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2006年1月29日

ベトナム戦争とジャーナリストたちの志の高さ

写真美術館で開催されている写真展『VietNam 発掘された不滅の記録 1954-1975 そこは戦場だった』をみる。この写真展の新しい所は、当時の北ベトナム側のカメラマンたちによって撮影されたベトナム戦争の現実が初めて展示されていることだ。プロパガンダ目的で撮影されたと思われがちのそれらの写真からは、しかしある真実も伝わってくるのだ。それは戦時下の北ベトナムにも当たり前のことだが、人間が生きていて「喜・怒・哀・楽」があったという事実だ。北ベトナム側の写真は、このうち、「哀」がカットされていて、兵士たちにおそらく現実よりは多めの笑顔が浮かんでいたりする。「米帝の攻撃にもかかわらず、果敢に祖国のため攻撃を続ける正義の兵士」というストーリーが北ベトナムのカメラマンたちには要請されていたのだ。それにしても、と展示写真を見続けて思う。ベトナム戦争を取材して報じていた記者、カメラマン、ジャーナリストたちの視線の低さと志の高さ。からだを、生命をかけて、戦争の現実を報じ続けた彼らの魂は今も輝き続けている。日本人カメラマン・沢田教一が撮った写真群をみよ。あれから30余年。イラク戦争で僕らは何を報じているだろうか。

2006年1月26日

映画『Good Night, and Good Luck』をみる


『マロー・ボーイズ』
1999年9月、日本放送出版協会

昨年末、アメリカのワシントンに行った際、05年映画ベストの選評記事のなかで、話題になっていたジョージ・クルーニー『Good Night, and Good Luck』をみた。この映画があれほどまでに賞賛された理由の大部分は、惨状を呈している現在のTVニュースに多くの視聴者が不満をもっているからだろう。正直に言えば、僕はこの映画それ自体に衝撃を覚えることはあまりなかった。だって、僕が接している現実のテレビ報道の世界は、本当に映画以上のとんでもないドラマに満ちあふれているから。それに加え、3年前の夏ワシントンにいた頃、邦訳で読んだ『マロー・ボーイズ』(スタンリー・クラウド+リン・オルソン著 NHK出版 田草川弘訳)というマローの伝記本に深い感動を覚えていたので、赤狩りのシーンだけが描かれた『Good Night〜』の方には物足りなささえ感じてしまうのだ。エド・マローは卓絶したジャーナリストだった。伝記から僕が理解したエド・マローの人物像は、新聞ジャーナリズムを敵に回して縦横無尽に活躍したラジオ記者であり、第二次大戦の実況リポーターであり、その後、ラジオからテレビにメディアの主舞台が移行するにあたって、失ってはならないものを最後の最後まで頑なに守り続けた人物であり、その後、CBS経営陣と決定的に袂を分かちながら失意の内に亡くなっていった伝説的なジャーナリストである。マローおよびマロー・ボーイズと呼ばれた彼の部下たちの人間ドラマには、ジャーナリズムの抱える問題が凝縮している。
マローの第二次世界大戦に関する基本姿勢はこうだ。

この戦争に何か目的があったとすれば、それは、ドイツの打倒や、旧体制の復活などをはるかに超えたところにあった。真の目的は、戦後の世界が貧困、不平等、不正の撲滅に本気で取り組むことであった。
(上掲書より)

この考え方にマロー・ボーイズたちは強く共感していたそうだ。セパライドやコリングウッドといったマロー・ボーイズの重臣たちの生き方にも敬服させられる。すごい取材チームがあったもんだ。次の引用はとても長いものだが、第二次大戦のパリ解放まで従軍取材をしていたエリック・セパライドが実際にラジオで行ったレポートである。このような戦争に対する洞察を言葉に出来た者が、今の放送界に、ジャーナリズムの中に果たしているだろうか?

戦争の現実を身をもって体験しているのは、兵士たちだけです。ジャーナリストではありません。記者は兵士の外面的な生活や危険を共有できるかもしれませんが、内面的な生活は決して共有できないのです。なぜなら、それぞれにのしかかる精神的な圧力が異質のものだか
らです。観察者は自分の行動に選択の余地があることを心得ています。兵士に選択の余地はありません。彼らはまったく異質の世界に生きているのです。記者は自由ですが、兵士は奴隷です。この戦争の実状を知るためには、自分の目で見る必要があります。しかし、戦争を身をもって体験している者でなければ理解は不可能です。我々ジャーナリストは現実に起こったことや兵士が実際に行ったことを伝えることはできます。しかし兵士がどのように、なぜそのように行動するのかを伝えることは事実上不可能です。我々は、この戦争があなた方の息子のうち、ある者たちに残忍な仕打ちを加え、またある者たちに栄光を与えるさまを観察してそれを伝えることはできます。それ以上のことを伝えるのはほとんど不可能です。戦争は心の中の出来事です。戦争は一人一人の人間の内面の出来事です。戦争は断じて他人に伝えられるものではないのです。これは悲劇です。いや、あるいは恵みなのかもしれません。見るも無惨な一千の負傷は実は一人のものです。戦争に殉じた百万の命は、一つの家庭の食卓に一つの空席を残すにすぎません。突き詰めて考えれば、人間が戦争を容認してしまう理由がそこにあります。国家が戦争を生き延び、存続し続ける理由もそこにあります。そして、こんなことを言うのは酷ですが、ある意味で、あなたと戦争から帰還したあなたの息子とは永遠に心が通じ合わなくなってしまう理由もそこにあるのです。

(上掲書 334-335ページ) 

よりよい世界を実現することに希望を失っていなかったエド・マローとその仲間たちから僕らが何を受け取るか。この映画はそのことを考えるきっかけをあらためて与えてくれた。
そのことだけでも大いに見る価値があった。

2006年1月22日

人生という名前の旅を旅によって知る


『語るに足る、ささやかな人生』
2005年7月、NHK出版

知人の強い薦めで『語るに足る、ささやかな人生』(駒沢敏器 NHK出版)を読んだ。ロードムービーの佳作を見終わったようなじーんと来る読後感。作品全体に漂う一種の感傷は、昔の村上春樹の作品みたいな感じだろうか。アメリカはNYやワシントンやLAでは語れない、スモールタウンと呼ばれる小さなコミュニティに暮らす普通の人々のなかにこそ、アメリカの本質があるのだ、という作者の主張は、アメリカに対するイメージが現在の政権の元でここまで悪化している今にあっては、ノスタルジックであり、とても甘美な魅力を湛えてさえいる。個人的なことで言えば、ワシントンに勤務していた3年間に、僕はスモールタウンをほとんど訪ねていない。それは、たまの出張取材の通過点程度だった。作者はそうではない幸福な体験をスモールタウンで得た。

この本が少しでも読む人に何かをもたらすことがあるのだとしたら、その原因は小さな町の住人たちの、フェアな精神とかぎりないやさしさにある。そしてささやかではあるけれど、語るに足るだけの人生を歩んでいる彼らの生き方に、その精神は確かに反映されているはずだ。

作者はこう言い切る。アメリカにはスモールタウンがあるが、さてこの国にもそのような地域の小さな共同体があるはずだ。そこに直ちに目が向かないのは何故だろう。最後に、エドワード・ホッパーの絵をあしらったこの本の装幀が、内容と相俟って、なかなか素敵だな。

2006年1月14日

人は誰でも娼婦(夫)になり得る


『コールガール』
2006年1月、筑摩書房

おととし全米でかなり話題になったノンフィクション『コールガール』の邦訳が出たので読む。著者のジェネット・エンジェルは、アメリカのボストンで、大学教員(博士号)と娼婦(エスコート・クラブのコールガール)を3年間にわたって「兼職」していた。社会的な地位としては対極にあるこの2つの職を綱渡りするスリリングなストーリー・テリングにはどんどん引き込まれてしまうが、この赤裸々な手記はとにかくストーリーとして抜群に面白いのだ。客になる男のさまざまな生態は、ある意味で人間の本質の一端を物語っている。彼女は何度も記す。『わたしたちはあなたの母親であり、姉妹であり、女友だちであり、娘である』。そう、僕らの身の回りにいる誰でもこのような立場になりうるのだ、ということを彼女は訴えているのだ。僕が読んだ本の中では、女性の立場からこのように性の欲望を正面から語った本は、藤本由香里の『快楽電流』以来だろうか。いくつもの実話エピソードが語られているのだが、こころに残ったのは、ドラッグにおぼれて破滅していった同僚の中国系コールガール、ソフィーにまつわる悲しい章だ。盛田隆二の『ラストワルツ』という小説を思い出してしまった。余計なことかもしれないが、帯にある惹句『アメリカにも東電OLが?!』はいただけない、と思うけど。

2006年1月12日

『ミュンヘン』に「良心」をよみとるべきか

1972年という年は自分の中で強烈な印象を残す年だ。あさま山荘事件。日中国交回復。グアムで横井庄一さん発見。沖縄本土復帰。札幌五輪。ウォーターゲート事件発覚。田中内閣成立。そして、テルアビブ空港乱射事件、ミュンヘン五輪での「黒い九月」事件。スピルバーグの新作『ミュンヘン』をみる。USAトゥデー紙の昨年の映画ベスト10では4位に入っていたと記憶している。72年の「黒い九月」事件後に、イスラエルの諜報機関モサドが極秘裏に行った報復暗殺作戦の史実に基づく作品とされる。ユダヤ系映画監督スピルバーグがこのテーマに挑むこと自体、勇気のいる作業だが、さっそくイスラエルからは「スピルバーグはこの映画を撮るべきではなかった」との非難の声が出ているとのことだ。けれども何の何の、この映画のアラブゲリラ側の描き方もやはりステレオタイプから免れてはいない。報復の連鎖は何の解決ももたらさない。この映画の発するメッセージだ。そこに僕らは掛け値なしの「良心」を読みとるべきなのかどうか。シャロン首相が昏睡状態に陥っている今、この映画をみて、ただちに「良心」という言葉には行き着かない複雑な思いに陥ってしまうのだ。映画に含まれているいくつかの符牒に思考が引きつけられる。去年ガンで亡くなったABCのピーター・ジェニングスが、若き記者としてこの「黒い九月」事件の現場レポートをしていたんだなあ。また、「黒い九月」事件では、犯人グループの要求を飲んだようにみせかけ、実際には空港への移動の末に、人質の救出を切り捨てたオペレーションが行われていたことを映画は描いている。映画のラストシーンに描かれているNYの摩天楼の眺望のなかに、今はない2つのタワーが建っていることに、どのような解答を見いだせばよいのか。重い映画だ。

2006年1月11日

ゲルギエフのオーラ

久しぶりにワレリー・ゲルギエフの指揮を間近にみた。ワシントンのケネディ・センター以来。この指揮者が登場すると、途端に空気が変わる。体中からオーラが出ていて、会場全体が得も言われぬ緊張感に包まれるのだ。マリンスキー歌劇場管弦楽団を率いたこの日の演奏も素晴らしいものだった。もともとが「ロシア文化フェスティバル2006IN JAPAN」の皮切り公演で、冒頭に日露両国の代表挨拶があった。日本側代表のスピーチは森喜朗氏だったが、会場から「引っ込め!」とヤジが飛んでいた。曲目は以下の通り。
   チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調Opus23 第1楽章
            <ピアノ:上原彩子>
   プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調Opus19
<ヴァイオリン:諏訪内晶子>
     ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調Opus27
諏訪内晶子は、僕がたまたまモスクワに赴任した前の年、1990年にチャイコフスキー・コンクールで優勝した18歳の天才少女だった。それが今夜、舞台にソリストとして登場した彼女は、すっかり成熟した大人の女性になっていた(何かやらしいな)。それにしても、文化交流という面に関して言えば、いまだにロシアという国は豊かな文化大国であり、何もかもがshrink している日本とは勢いが違う。そういうなかで日本の2人の女性ソリストが堂々と演奏していたのは救いか。

2006年1月 9日

継続するラディカルな意志のスタイル

 引っ越しをした。ヒドい風邪をひいてしまい絶不調。そうは言ってもやらなければならないことはやらねば。段ボール箱から出して未整理のままだった蔵書を本箱に入れていく作業。これが丸一日がかり。大体、古い本を捨てられないたちなので、出てくるわ出てくるわ、古い雑誌や同人誌のたぐい。そういう中で『シネマグラ』という懐かしい季刊の同人雑誌が出てきた。今から27年も前の夏に出た第5号には、何とスーザン・ソンタグへの独占インタビューが載っている。本の片づけをしながら思わず読んでしまった。懐かしいなあ。大学にいた頃から、映画好きの大学生たちが集まったこの同人誌に、ひそかに注目していたのだ。インタビューを敢行した『シネマグラ』同人の平野京子さんという人は、このあとNYに住んでいて、ソンタグを見続けていたんじゃなかったっけ。そのソンタグのレニ・リーフェンシュタール論の紹介などは、今読んでもとても刺激的な内容だ。リーフェンシュタールもソンタグも今はこの世にいない。その後の2人に対する世の中の評価の変遷を知るにつけ、ソンタグのまっとうな批判の切っ先が光るのだ。「口舌の徒」に堕す知識人とは対極の地点にいた、ラディカルな(根源的な)表現行為を続けた知識人の足跡に、僕らは何をつかみとるか。走れ、走れ。

2006年1月 7日

元のチャン・イーモウに戻ってよかった!

話題の日中合作映画『単騎、千里を走る。』は、高倉健の存在感が圧倒的だ。中国の地方の人たちの素朴な演技ぶりも心に沁みる。ヤンヤン役の子役の演技には泣かされた。このところのチャン・イーモウは『HERO』、『LOVERS』と、どこかハリウッドを意識したような大作映画路線をとっていたので、つまらないと思っていたけれど、この『単騎、千里を走る』はまた『あの子を探して』『活きる』を撮っていた元のチャン・イーモウに戻ったようで、よかった! 日中関係が今くらいギクシャクしている時期は近年ないけれど、こういう映画を通じての熱い交流は、政治家たちの浅見・皮相を遙かに超える力がある。政府益・官益を超克する民益を作り出すこと。そのことが決して不可能ではないことをこの映画は証明している。

2006年1月 5日

『「資本論」も読む』のユーモア

人から奨められたこともあって、劇作家・宮沢章夫の『「資本論」も読む』を読む。タイトル自体がアルチュセールの『資本論を読む』のパロディ。僕はドイツ語を解さないので、「資本論」原典にあたったわけではないが、これまで宮沢章夫という人については、劇作家だけに日本語の語感にとても敏感な人だなあと思ってきた。『わからなくなってきました』とかは笑って読んだ。だからその宮沢が、今度は「資本論」大月書店版の日本語訳の、ある意味での「トンデモ部分」にこだわっているさまは、読み物としてはすこぶる面白いのだけれども、うーん、どうなんだろう、と唸ってしまう。筆者が、この本は「資本論」の解説をめざしているのではなく、ただただ「資本論」を読んでいる自分のドキュメンタリーだと明言しているのだから、何も目くじらをたてるまでもないのだろう。いいや、面白いし。でも「価値魂」「自分の舌をこれらの物の頭に突っ込む」「商品の命がけの飛躍」「国家的制服」とかの表現を面白がって、さまざまな想念を展開していくさまは、結果的には生真面目な(?)マルクス学者・翻訳者たちを笑っているだけのことになるんじゃないのだろうか。こんな違和感を書いてしまって宮沢ファンの人たち、ごめんなさい。

2006年1月 1日

歴史は人間が刻んでいる

わが畏友・村上由見子さんの『百年の夢~岡本ファミリーのアメリカ』(新潮社)を読む。ノンフィクション作品には、その時々のいわば「時流」にあった類いの作品があり、出版社・編集者のなかには、そのような作品を歓迎する向きもあるだろう。「売れる」と値踏みされるからだ。しかし、そのような「時流」とは無関係に「基軸」が存在する。例えば、戦後の日本を考える場合に、「日米関係」はそのような基軸のひとつだろう。『百年の夢』は、あの戦争をはさんで日米欧で生きてきたある家族の肖像を丹念に追うことによって、まさに歴史が人間によって刻まれていること、歴史が多くの人間の思いによって織りなされていることを、あらためて認識させてくれるのだ。「日米関係」とは何なのか。戦争を通して、アメリカにおける日本人・日系人がいかに数奇な、そして過酷な運命に翻弄されたかを描いたノンフィクション作品と言えば、『マリコ』(柳田邦男)が思い出されるが、個人的にはこの『百年の夢』の方により大きな感銘を受けた。カリフォルニアにある日系人の老人療養施設で102年の生涯を閉じた岡村品子さんの足跡は、今を生きる僕ら日本人に大きな勇気を与えてくれる。岡本ファミリーが何気なく交わった人々が、その後の歴史のなかで不思議なスポットライトを浴びるようになるとは、本書が執筆された段階では予想されていなかっただろう。例えば、岡本ファミリーの次男・王堂と親交のあった日系二世の建築家ミノル・ヤマサキは、あの9・11で崩壊したワールド・トレード・センターの設計者である。また、戦後最大の公害事件・水俣病のフォトドキュメントで有名な写真家ユージン・スミスの来日・滞日は、実は岡本王堂が尽力した結果だった。
長男・岡本陽一が、ジョンソン元大統領の公式カメラマンになるきっかけをつくった時のUSIA(米広報局)
の局長はあのエド・マローである。戦後史のなかの不可思議な人間の交差模様。だから歴史は面白い。
まともなノンフィクション作品はこのように残るものなのだ。ちなみに『百年の夢』の発行年は1989年6月である。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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