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2005年12月28日

メディア批判本が売れる時代に

数ヶ月ぶりにワシントンDCに向かう機内で、『ご臨終メディア』(森達也.・森巣博)を読む。僕らにとって他人事ではないテーマが対談形式で語られている。2人の話者のあいだに本質的な対立点はほとんど見受けられない。語られる内容は、同調でありその確認である。要するに、日本のマスメディアはダメだ。ご臨終状態にある、と。

メディアって常に、利用される客体なんです。主体となることはほとんどない。だからこそ、危なっかしいんです。保身や売り上げのためには、簡単に権力や俗情と結託しますから。(森達也)

現在、ほとんどのジャーナリストは、自分自身では調査しません。新聞記者なんて、プレスリリースと、ウェブ情報の切り貼りで記事を作ってしまう。キッタハッタでヤクザと一緒。おまけにテレビの報道局の記者は、その新聞を読んで番組を作ってしまう。カメラは行けるところにだけ行って映像を撮ってくる。そうすると、垂れ流しの発表ジャーナリズムにならざるを得ない。(森巣博)

このような小気味いい語り口に、読者は「同調と確認」を得て、メディア不信をいっそう強固なものにするのだろうか。メディア批判本が売れる時代はよい時代ではない。そのような時代を招いてしまった責任を回避しようとは思わない。マスメディアで仕事をする人間のひとりとして、できることをやる。

2005年12月25日

清志郎で今年のコンサートを締めくくる

やっぱり見てよかった。今年のコンサート行脚の実質的な締めは、やっぱり忌野清志郎ということになった。場所は渋谷AX。会場には2000人近い人が来ていて、ほとんど酸欠状態に近かったかも。『自由』とかを2曲目にやった。大好きな曲だ。クリスマスということでサービス満点。レノン&ヨーコの『ハッピー・クリスマス』まで飛び出した。最近は、清志郎のバラードが、しっとりと切なくて、とてもいいと思うようになった。歌がうまいもん。こんなブルース&ロック歌手なってそうそういるもんじゃない。ホーン・セクションがメチャクチャにうまくて、音が分厚い。今年読んだ本のなかで印象に残っている1冊に『見ることの塩』(四方田犬彦)があるが、ベオグラード紀行のなかの一節に、ロック音楽が活況を呈している旨が活写されていた。ランボー・アマデウスなるパンク・ロック・グループについての記載を読んで、こういう熱い血につながっている日本のロックって、ほとんど死滅したことを実感した。でも清志郎は違う。日本のなかの例外的なロッカーだ。元気をもらって感謝!

2005年12月23日

植田正治・砂丘とノスタルジー

世の中はクリスマス・イブ・イブで街は華やいでいる。今夜は所用で恵比寿のウェスティン・ホテルのロビーで人と待ち合わせたが、ロビーには大きなクリスマスツリーが飾られていて、そこにアベックがわんさか押し寄せてきては携帯で記念撮影をして帰る。本当にまわりはアベックだらけで、ひとりで待っている間、なんだか拷問にあっているような、いやあな(?)気分を味わった。まあ、そんなことはどうでもよくて、その前に恵比寿の写真美術館で植田正治の写真展をみた。植田が2000年に87歳で没してから初の大規模回顧展だという。1930年代からの植田正治の代表作が展示されている。そこに映し出されている昔の日本人たちのいい表情と言ったら。昔のニッポン人って実にカッコいい。なかでも鳥取砂丘を舞台に撮られた多くの作品に目を奪われる。砂丘に人工的に配されたオブジェとしての人間の風景には、シュルレアリスムの絵画作品をみているような静謐さが漂う。時間が静止したような不思議な空間だ。それでいてどこか懐かしい。ノスタルジーを感じる。1950年の作品『妻のいる砂丘風景Ⅲ、Ⅳ』などは、本当に綿密に構成された風景なのに、郷愁を感じるのはなぜなのか。砂丘という特有の場が持つノスタルジーなのか。いや、そうではあるまい。撮影の快楽を満喫している植田正治のにんまりとした顔が、作品と見る者の間にあるようで、とても感動してしまった。これは消費される映像では全くない。そういう映像に出会うことが少なくなった。

2005年12月21日

本屋さんが消えていく時代

この5月に日本に帰国してみたら、昔、通ったなじみの本屋さんがずいぶん消えていた。渋谷駅前の第一勧銀ビル(これももうないか?)の旭屋書店。田園都市線から地下道ですぐにつながっていたので、よく本を買っていたのだけれど。池袋の芳林堂書店。この本屋さんは、高校・大学時代からよく行った。そう言えば、池袋西口の古本屋さん・高野はまだあるんだろうか? 芳林堂のなかに支店があったけれど。職場のある赤坂の文鳥堂。安価の寿司屋に変わっていた。金松堂書店がなくなったら赤坂もおしまいだ。そういう時代になってしまった。先日、本当に何年ぶりかで神保町の古書店・田村をのぞいていみたが、あの店は健在でほっとした。本はネットで買えばいいなんて僕は全然思わない。
さて、今年は忙しがってばかりで、まともに本が読めなかったけれど、読んだ本のベスト5を記すと、
①『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』佐藤優 新潮社 
 旧知でもある佐藤氏の迫力ある筆致に引き込まれた。
②『見ることの塩』四方田犬彦 作品社 
 「自爆テロリスト」というレッテルの背後に向きあう歩くことの想像力。
③『靖国問題』高橋哲哉 ちくま新書 
 本質が押さえられていてしかも平明 
④『旅の途中』筑紫哲也 朝日新聞社
 このBLOGで既に記した通り 
⑤『失踪日記』吾妻ひでお イーストプレス 
 これはマンガだけれど、実体験というところで告白小説の上を行く。
といったところか。乱読・雑読のエネルギーを失わずにいたいのだが、来年もいい本に出会えますように。

2005年12月18日

欧州という視点の大切さ


『傍観者からの手紙』
著者:外岡秀俊、出版社:みすず書房、価格:2100円(税込)

外岡秀俊の『傍観者からの手紙』(みすず書房)を読む。著者は朝日新聞欧州総局長だ。ちょうど本書に所収されている手紙が書かれた時期とほとんど重なって、自分が米ワシントンDCに記者として駐在していたこともあって、イラク戦争を中心とした世界の動きを、欧州においてはどうとられていたのかを知る意味で、とても興味深く読んだ。アメリカから取材成果を日本に送っていた僕が言うのも変だが、大体、日本のマスメディアにはヨーロッパ発の情報が少なすぎると思う。逆に、アメリカ情報が過多・偏重というきらいがある。欧州という視点は日本にとってとても大切だ。特に現在のような日米のトップ同士の特殊な関係のもとにあっては、冷静な第三の視座がどれほど貴重なことか。手紙のすべてが凝った時候の挨拶で始まり、使われている語彙も日常の「手紙」というより、ちょっとあらたまった「書簡体」といった感じで、好き嫌いもあろうが、深い。なかで興味をひいたエピソードをひとつふたつ。香港返還前に著者が取材で知り合った女性歌手が言ったという「人間は、名声と金と自由の3つの大望のうち2つしか叶えられない」という箴言めいた言葉。今のニッポンじゃあ、その3つの待望が叶えられる選択肢は3か0でしょう。それとジョージ・オーウェルの『1984』のオペラ化。そのちょっと前にワシントンDCで、小劇団Catalyst Theaterの『1984』をみていた身としては、オーウェル的状況の現出に敏感に反応・共振した米欧の波動があったのだとしみじみ思った。著者いわく、傍観者はObserverであって By-standerではないとのこと。

2005年12月17日

『クライマーズ・ハイ』を見てしまう

「ねえ、NHKのドラマ『クライマーズ・ハイ』ってみた?結構面白かったよ。新聞社の職場の様子、結構リアルに描かれててさ」。そんなことをつい最近、職場の先輩から聞いていた。全く別の宴場で、JAZZをやっている某放送局の仲間のO氏と雑談を交わす機会があり、何と彼は大友良英と親しくしているとのこと。その大友良英が音楽を担当したドラマとして『クライマーズ・ハイ』のタイトル名を聞いていた。『クライマーズ・ハイ』って何だ? 僕は今やテレビのドラマはほとんどみていないが、偶然ついていたチャンネルがNHKで、その『クライマーズ・ハイ』が始まったのだ。それでぼんやりと見続けていたら、どんどん引き込まれていってしまった。しかも今夜のは後編で、前編をみていないのに。ドラマは、20年前の日航ジャンボ機墜落事故の取材を担当した地元紙・上毛新聞を舞台にして(ドラマでは北関東新聞と名前を変えていたが)現場記者たちの葛藤・苦悩が描かれている。クライマックスは、圧力隔壁破壊という墜落原因をスクープするギリギリ直前で、それを見送るか掲載するかのキャップの判断のシーンにおかれている。そう言えば、新聞協会報の最新号に、この「圧力隔壁破壊」を結果的にスクープした毎日新聞の当時のキャップの回顧文が載ってたな。どうしてもその種の文は自画自賛風になる。ドラマでもうひとつ描かれているのは、報道現場と経営(販売)との対立である。昔、丸谷才一の小説に「新聞はインテリがつくって、やくざが売る」という一節があったと記憶しているが、そんな生々しさをうまく描いていた。

2005年12月11日

デイヴィッド・サンボーンを生で聴く

僕はブルーノート東京には普段あまり足を運ばないのだが、今夜はそこにいた。フュージョン系を聴く人のノリは、ロックのそれに近い。つまり素直。客席には本当に若い人の姿が目立つ。それでみんな小綺麗。デイヴィッド・サンボーンは超人気のアルトサックス吹きだ。60歳にはみえない。ちょっと見は、ジョージ・W・ブッシュに似ていなくもないが、GWBを数百倍インテリにして、繊細にしたらこうなるだろうか。音質はけっこう強い。観客たちの、体を揺らせて歓声をあげる反応は、とてもストレートで陰影がない。ドン・アライアスのパーカッションもよかったが、35歳のキーボード・プレイヤー、ジェフリー・キーザーを間近にみていたので、そっちの方の迫力にどんどん引き込まれてしまった。このキーボード・プレイヤーはいいなあ、と思う。どんな音楽もジャンルに関係なく、楽しめればそれに越したことはない。

2005年12月10日

山田風太郎・日記という遺言

ワシントンに記者として暮らしていたあいだ、何かにつけて読み返していた作家がいる。ひとりはジョージ・オーウェルで、『1984』や『動物農場』があまりにもブッシュ政権下、イラク戦争を遂行するアメリカの「暗喩」になっていたからである。もうひとりが作家・山田風太郎である。『戦中派不戦日記』『戦中派虫けら日記』を繰り返し読んだ。それは日本を外からみていて、自国の政治・世論が向かう方向に危ういものを感じ続けていたからで、風太郎の日記の記述はその危うさの空気にシンクロしていると感じたからである。
今夜放送されたNHKのETV特集『山田風太郎がみた日本〜未公開日記が語る戦後60年』には実に大きな衝撃を受けた。僕は不勉強なことに、山田風太郎がおそらく書き残していたに違いない亡くなる直前までの日記の存在に思いが至らなかった。そうだ、風太郎の日記はあったに違いなかったのに。1950年から1993年までの43年分の日記を、この番組スタッフはどのように探り当てたのだろうか。番組は、俳優の三国連太郎が、山田家を訪ねて、そこで書斎において未公開の日記を夫人から借り受け、朗読するという形をとっている。三国連太郎という大物を配するあたりにこの番組スタッフの意気込みを感じるが、僕にはそれ以上に、日記の記述内容の重みが大きな衝撃だった。それらの記述は、戦争の時代を肌身をもって知る人間の根源的な視点が貫かれているからだ。戦後史のいくつかのエポックメイキングな出来事を、風太郎はどのように日記に記していたかだけでも大変な発見だと思うからだ。番組内で紹介されていたいくつかの記述のなかで心に残ったことを書き出してみる。

◎サンフランシスコ講和条約締結に際して、風太郎は、占領軍=米軍が日本に居座ることになったことに触れ、「治外法権」「駐兵費」が将来の日本において「癌となる」と記していた。
◎1960年の浅沼稲次郎刺殺事件の山口二矢の遺書(「七生報国 天皇陛下万歳」)について「奇怪」と記している。
◎60年代の高度経済成長を支える日本人の心性の本質を「無責任」と断じている。
◎1970年11月25日の作家・三島由紀夫の決起・割腹自殺について「終戦以来のショックなり。いろいろ考える」と当惑・混乱している。
◎1971年、旧日本兵・小野田寛郎の帰国を呼びかけた母親のビラの文章に感じ入り、「笑うべきか泣くべきか」と結んでいる。
◎1970年〜1972年の赤軍派の一連の事件に触れ、「これで戦後が終わり、新しい時代が来たと痛感せざるを得ない」と記している。
◎第4次中東戦争の際のアラブ諸国への対応で、将来において国際社会で対アラブに対する「十字軍」のようなものが組織された時、日本は「派兵」せざるを得ないと見通している。
◎1989年に昭和天皇が亡くなったことを、天皇「崩御」と記している。
◎1989年のベルリンの壁崩壊、東欧のドミノ式崩壊、さらに、1991年のソ連クーデター未遂事件をきっかけにソ連が崩壊したことを風太郎は「第二次大戦終結以来の大事件」と記している。

ともあれ、このような番組を制作したETVの制作スタッフに一縷の希望を見出す。さらに43年分のこの膨大な日記が刊行されることを願わずにいられない。

RYUICHI SAKAMOTO PLAYING THE PIANO /05

坂本龍一という人は世界遺産だ。この人の曲は間違いなく20世紀から21世紀にかけてのクラシックである。ソロピアノのコンサートを聴くのは随分久しぶりだ。『Amore』から始まって、懐かしい曲や最近のまでたっぷり19曲。舞台のビジュアルも優しくていい。途中で弾いた『Undercooled』はアクースティック版もいいなあ。坂本さんが言っていたが、この曲、古謝美佐子さんがネーネーズ再結成に向けて、ウチナーグチ・バージョンを近々歌うのだそうで本当に楽しみだ。『Tibetan Dance』から『Riot in Lagos』『+33』までは、「一人デュエット」の試み。つまり、事前に坂本さんが演奏したピアノ音をコンピュータでプログラミングしてステージ上のもう一台の生ピアノで再生させ、それと競演するという実験なのだ。これがとてもよかった。『+33』なんかはラヴェルのボレロを聴いているような気持ちになった。アンコール後の最後の曲は『千のナイフ』。デビュー作にはやはりその人の本質的なものが現れているものだ。1978年のこの曲は、今聴いてもすごく新しい。四半世紀以上も昔の曲だぜ。

2005年12月 4日

矢野顕子と清志郎の『Day Dream Believer』『ひとつだけ』


『JAPANESE GIRL』
矢野顕子

矢野さんのコンサートは4年ぶりくらいかな。何しろ、青山のロブロイで弾いていた天才ピアノ少女時代からのファンで、アルバム『Japanese Girl』『長月 神無月』の頃からだから一体何年間この人の歌を聴いてきたんだろう。『達者でな』とか『あんたがたどこさ』とかその頃のことを思い出しながら、しかも確実に深化している歌を聴いてすっかりいい気持ちになった。英語版にアレンジした『電話線』もクールそのもの。矢野顕子の歌の魅力は「切なさと勇気」である。これは断定的に言えることだ。いつもこの人の歌から僕は「切なさと勇気」をもらって生きてきた。この日のコンサートのゲストは何と忌野清志郎だった。お客さんは本当に得したね。そして、清志郎と矢野さんがデュエットした2曲は、『Day Dream Believer』と『ひとつだけ』。前者はモンキーズの名作。後者は矢野さんの代表作だ。娘さんの坂本美雨も歌っている。亡くなったナンシー関が、この『ひとつだけ』を上京したての若い頃に何度も何度もアパートで聴いていたとどこかに記していた。忌野清志郎が次のように歌ったとき、何と切なく勇気がわいてきたことか。

    離れている時でも
    ぼくのこと 忘れないでいて欲しいんだ
    ねえ お願い

素敵な2人のこんなにいい歌が聴けて、最近のイヤなことがすっかりどうでもよくなった気分だ。と同時に、同時代に生きてリアルタイムで歌が聴けてよかったと思う。

2005年12月 3日

現代詩系の人たちの服装

ことばが今の時代ほど蹂躙されている時代はない。ことばは単なるカネ儲けのための「キャッチ・コピー」になっていないか。そういう圧倒的な空気のなかでも、反時代を生きることばが立ち現れるシーンがどこかにまだあるはずだ。詩人のことばにそのようなものを求める気になるのは自分が弱っているからかもしれない。明治学院大学で開かれたポエトリー・リーディングの会をのぞいてみた。お目当ては、小池昌代氏の朗読だった(彼女の小説のファンなので)。けれども、これから書くことは、そういう詩の中身と無関係なことだ。詩人と呼ばれている人たちのスタイル、服装について。古事記に出てくるアメノウヅメノミコトへのオマージュを詩にした女性詩人、新井高子氏は、緑色の大きなベレー帽をかぶっていた。ニコニコしていた。詩人の表情としてはなかなかいい。小池昌代氏は、茶色いショール(と言うのかな?)を垂らしていた。ちょっとオシャレだった。会場で買い求めた小池氏の新作の詩を電車の中で読みながら、この詩人のことばのただならぬ凝縮度に、さっきまで見ていた人の服装との関係をなぜか考えてしまった。

2005年12月 2日

『ハチドリのひとしずく』のちから


『ハチドリのひとしずく』
光文社

旧知のジャーナリストAさんから送られてきた『ハチドリのひとしずく』(光文社)は、なかなかいい本だと思う。この本では、南米アンデスの先住民の伝承がまず掲げられる。森が火事にみまわれ、われ先にと森の動物たちが逃げ出しているなかで、クリキンディというハチドリが、くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは炎のうえに落としていく。逃げ出した動物たちがそれをみていて、「そんなことをして一体何になるんだ」と笑う飛ばすなかで、クリキンディは答えたという。「私は、私にできることをしているだけだ」。
クリキンディをあしらった本の表紙の装幀がいい。何よりもユニークなのは「引き算」生活のすすめである。この本では、その引き算の基本単位を「1ポトリ」(ハチドリのひとしずくにちなんで)と定め、引き算の行為が何ポトリに相当するかを列挙している。例えば、往復4キロの道を車に乗らずに歩くと、7.7ポトリ。3キロ移動するのに、タクシーの代わりに地下鉄を使うと12.0ポトリ。スーパーでレジ袋1枚をもらうのを止めると、0.9ポトリといように。ワシントンに駐在していた時、布巾とか雑巾とかいうものがなくて、僕らはアメリカ人と同じようにペーパータオルを死ぬほど使っていたが、あれなんかは「引き算」的な生活に最も反する行為だった。罪滅ぼしに「マイ箸」と「フェアトレード・コーヒー」ぐらいはやってみようかと思うけれども。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

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