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2007年3月29日

高円寺一揆・素人の乱動画

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先だっての高円寺一揆・素人の乱の「第1回作戦会議」の模様がこちらでご覧になれます。
また、明日夜、「第2回作戦会議」ももたれる模様。
当方締め切りのため、行けませんが(涙)。

この春の統一地方選、あちこちで「貧乏な若者の乱」が起きているようで、ひさしぶりにワクワクしています。

2007年3月24日

「半商品」で暴力的市場経済を空洞化する

フリーランスの哲学者・内山節さんが、いまから10年近く前、こんなことを語っていた。

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「私はこれからは、農業にかぎらず、どんな分野でも、商品を半商品に変えていく関係づくりをしていったほうが面白いと思っています。そのことによって、暴力的な力を持っている今日の市場経済を、内部から空洞化させていくことができたら、私たちは今日の市場経済の支配から大分自由になることができるでしょう」(1998年「農村文化運動148」)

内山さんは、「半商品」の概念を、1992年に92歳で亡くなった明治生まれの経済社会学者・渡植彦太郎氏に教えられたという。

「彼は私と会うと、よくこう言っておりました。『明治の人間は、町に半商品が沢山あった時代を知っている。それが明治の人間の強みだ』と」

「半商品」とは、商品として流通はしているが、それをつくる過程や生産者と消費者との関係では、「よりよいものをより安く」というような商品としての合理性(経済合理)が必ずしも貫徹していない商品のこと。具体的に言えば、3月5日のこのコーナーで紹介した「鳴子の米プロジェクト」もそう。消費者が60キロ2万4000円の「東北181号」を買い、農家に1万8000円を渡し、差額6000円を、後継者の育成や「鳴子の器」づくり、「鳴子のおむすび」開発など、米にまつわるたくさんの「小さな仕事」の開発に充てようというこのプロジェクトでは、鳴子の米を買うことは地域の未来に対する「投資」でもある。多分に遊び要素も含むが、四国独立リーグ・百姓スポンサーの「一俵入魂 百勝の会」もそうである。ここでは「買う」ことはたんなる「消費」ではなく、つくり手と食べ手が共通の夢と志を実現する――よりよい世界をつくるための営みでもあるのだ。

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80年代後半から90年代後半にかけて全国に1万2000カ所もできた農産物直売所もまた、ダンボールに詰められ、都市に大量出荷される「商品」農産物を、農家のじいちゃん、ばあちゃん、母ちゃんとの対面販売を復活させ「半商品化」する働きをもっていた。そこではいま、売り上げの1%を基金として、たとえば就農希望の研修生受け入れ、地域の料理写真集作成などの夢と志の実現につかおうという動きも起きている。まさしく「商品を半商品に変えていく関係づくりをしていったほうが面白い」のだ。

同様に「働く」ことについても「半商品」的な側面があったと内山さんは言う。

「職人は経済の合理性だけでものをつくってはいなくて、自分の誇りにかけて、自分の納得のいくものをつくっている。そのために大変な日数をかけ、日当計算をすれば赤字になってしまうこともある。消費者もただ商品を買いに来ただけではなく、そういう職人のつくるものだから手に入れたいと考えている。つまりここでも商品でありながら、生産者も消費者も商品の論理だけで動いていないという関係が成り立っている。すなわち半商品の世界があるのです」

ここでは働く=労働力を「売る」ことも、よりよい世界をつくるための営みであった。

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だが、「買う」ことも働く=労働力を「売る」ことも、より世界を悪くするための営みに変質しているとしたら……。3月17日に紹介した「高円寺一揆・素人の乱」の若者たちは、そのような売り買いを拒否し、大量生産・大量消費・大量投機の経済の歯車を少しでもスローダウンさせようと、「リサイクルショップ」「古着屋」などを生業としている。そこでのリサイクル品や古着もまた「半商品」ではないだろうか(そういえば、「貧乏上手」とも言うべき若者の変化――少なく働き、少なく消費する――を一番はじめに感じたのは、2000年末、明治公園でのフリーマーケットに偶然遭遇したときだった)。

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アメリカでは、身にまとう服から航空券まで、生活のすべてをdumpster diving(ゴミ箱あさり=無駄の回収)で得ている若者たちもいるという――「抵抗食の会(仮)」ブログからの情報。

どうやら世界は、買う、働くといった日常の営みを、「半商品」の視点で根本的に考え直すべきところに来ているのではないか――そんな話を、来週行われる集まりでできたらと思っている。

2007年3月19日

たたかうごはん/抵抗食の会(仮)

高円寺一揆・素人の乱につづく「とんでもなくアッパレ若者」の第二弾は「たたかうごはん」と「抵抗食の会(仮)」。

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本日は時間がないので、彼/彼女らのサイトのみ紹介します。ぜひのぞいてやってみてください。

たたかうごはん

抵抗食の会(仮)

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2007年3月17日

高円寺一揆・素人の乱

先週、今週と、とんでもなくアッパレな若者たちに会った。

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元日の朝日新聞1面「ロストジェネレーション」第1回、そして今発売中の「論座」4月号の巻頭をにぎわせている高円寺「素人の乱」の若者たちである。
本当は以前に紹介した「『丸山真男』をひっぱたきたい」へのオジサン世代の反論・忠告を読んでみたくて「論座」を買ったのだが、その反論・忠告はまあだいたい「想定の範囲内」(ただし鶴見俊輔氏インタビューは逆の意味で想定外。ITのわかる世代ではないのだから、前半部分は編集部でカットしてあげたらよかったのに……)。

ところが巻頭の雨宮処凛、小丸朋恵(編集部)、毛利嘉孝の各氏らがそろって論じている「素人の乱」ときたら……

貧乏人大反乱集団の行動は、あまりにばかばかしく、そして楽しい。今、非常に多くの若者は貧乏だが、それで楽しく生きている人は少ない。しかし、開き直ってしまえばこんなにも面白い地平が広がっているのだ」(雨宮氏)

「大学時代は『(法政の)貧乏くささを守る会』、卒業後は『貧乏人大反乱集団』、そしていまは『高円寺ニート組合』を結成し、警察までが笑ってしまうおかしな(3人)デモをくりひろげる。その基本スタイルは、仲間とこたつを囲んで酒を飲み鍋をつつく松本流『こたつ闘争』。駅前や商業施設、ときには省庁の前にでも、どてらを着込んだ仲間たちと畳を敷いてこたつを置く」(小丸氏、カッコ内は甲斐注)

「政治デモといってもそのテーマは『俺の自転車を返せ』とか『クリスマス粉砕』とか荒唐無稽でふざけたものばかりなのだが、その度ごとに高円寺を中心に多くの若者を集め、音楽やパフォーマンスを巻き込んだその一種独特のバカ騒ぎによってストリートを政治的な空間に変えている」(毛利氏)

これはこれはと思って彼らのHPを見ると「3/7水、20時ごろから、高円寺の飲み屋セピアでトークイベント『高円寺一揆』」 とある。「おっ今日だ」と19時すぎに気づいてあわてて電車に飛び乗った。

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高円寺北口を出て、中通りを過ぎると、彼らの店「素人の乱」5号店(リサイクルショップ)、10号店(古着屋)が目に飛び込んでくる。めざすは昼は革命コーヒー、革命ジュースを供する「素人カフェ」、夜は居酒屋「素人の乱セピア」となる9号店。すでにそこには40名ほどの若者が開会を待っていた。

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たしかにHPに「20時ころから」とあるように、20時をすぎてもまだ始まる気配がない。待っているあいだ、初心者のような(私だって「初心者」なのだが)女の子がスタッフの女性に質問した。
「あのー、これってサヨクのあつまりなんですか?」
「うーん、サヨクっていえばサヨクだけど、地元のサヨク、高円寺のサヨクって言ったらいいかな」
じつのところ、昭和30年生まれのオジサン(甲斐)は、どちらかというとパンクかヒップホップ系の若者の集まりのように感じて情けなくも「もう帰ろうか」と思っていたのだが、この「地元のサヨク」「高円寺のサヨク」という答えに勇気をもらって踏みとどまった! この間ここで何度か述べているように「パトリなきウヨク」も問題だが、「パトリなきサヨク」だって問題だと思っていたからだ。この「素人の乱」の若者たちは、ちゃんと「地元」「高円寺」という「パトリ」を持っている!

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そして開会。文字通り立錐の余地もない「セピア」店内だが、まずは資料映像「3人デモ」の上映! 「警察までも笑ってしまう」どころか、「おまえらデモならデモらしくしろよ」とか「ナントカ反対とか言うんじゃないのか」と言われるくらいナサケナイお散歩デモ。オジサンはかつて、いしいひさいちのマンガに登場していた「安下宿共闘会議」を思い出してしまった。

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そして次は、ドイツ無政府主義ポゴ党なる政党が2005年のドイツ連邦議会選挙にパンクバンド "Die Kassierer" のヴォーカル、ヴォルフガング・ヴェントラント を党首として出馬したときの政見放送の映像。公約は「すべての投票者に無料のビールを提供する」こと。そのスローガンは「全ての労働はクソである」「飲んで、飲んで、ただ飲んだくれる毎日」だとか。ちゃんと日本語に吹きかえられているのだが、制作者によると、「ドイツ語がわかるわけじゃないんです。YouTubeでとった映像に、Wikipediaのコピーフリーの記事を参考にして、たぶんこんなことをしゃべっているんだろうというのを吹き込んだんです。でも、そうちがってはいないとおもいますよ」とか。

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ほかには99年、シアトルでのWTO会議凍結のニュースが飛び込んできたまさにその瞬間の、シカゴセブンのトム・ヘイデンのスピーチ映像があったり、91年の東京都知事選に立候補した内田裕也がいきなり「ぱわーとぅーざぴーぽう」と歌いだす全編英語の政見放送の映像も流されて大ウケ(こんなお宝映像がYouTubeで簡単に見ることのできることを知らなかったオジサンは驚きの連続でした)。

どうもこの「高円寺一揆・素人の乱」の若者たち、来る統一地方選挙でなにか企んでいるようで、そのための「金のないヒマ人が騒ぎはじめるための作戦会議」のようだった。とにかく選挙までもパフォーマンス、バカ騒ぎで楽しんでしまえということか。

しばらく「高円寺一揆・素人の乱」の若者たちにご注目を!(4月中旬発売予定のわが「増刊現代農業」でも詳しくレポートします)。

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「素人の乱」と業務提携関係にある「味二番」(「素人の乱」で1000円お買い物をしたら、「味二番」の50円券がもらえる)

2007年3月 5日

田んぼを、米を、農家を、あきらめない

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米の値段は下がりに下がり、東北では、いま農家手取り60㎏1万3000円ていど。さらにこの4月から実施される国の農政改革では、所得補償の対象となる水田面積4ヘクタール以上の「担い手農家」はこの町の620軒の農家のうちたったの5軒! 町は年間85万人もが訪れる温泉の町だけど、このまま耕す人がいなくなれば、温泉街をとりまく農村風景も荒廃すると、旅館の主たちまで巻き込んではじまったのが宮城県大崎市旧鳴子町の「鳴子の米プロジェクト」。その発表会である「春の鄙(ひな)の祭り」が昨日開催されたので、行ってきました。

読者のみなさんは、いま食べているごはん一膳の値段や、それと同じ値段でどれだけのほかの食べものが買えるかをご存知でしょうか?

写真は、発表会会場に展示されていた「ごはん一膳分の値段で買える身近な食べもの」
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たとえば1俵(60㎏)24000円の米であれば、一膳(約60g)は約24円(1俵で1000杯分がとれる)。24円で買えるものといえば、笹かまぼこ3分の1切れくらい、イチゴ1個、グリコのポッキー4本分という現物展示。アメリカやオーストラリア産にくらべて「高い」と言われる日本の米ですが、そんなものなのです。

じつはこの1俵24000円=1膳24円が、「鳴子の米プロジェクト」が設定した米の消費者価格。鳴子の米を2万4000円で買ってくれる応援団をつくり、農家には手取り1万8000円を保証するかたわら差額6000円を、「鳴子の器」づくり、「鳴子のおむすび」開発、米粉やくず米をつかったパンやお菓子の開発、酒の試作、「鳴子の米通信」の発行など、米にまつわるたくさんの「小さな仕事」の開発に充てようというプロジェクト。昨日の発表会には、おそらく500人に近い人びとが集まりました。うち約100人は県外からの参加で、遠く北海道や九州、東京、千葉、群馬などからかけつけた人もいます。

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「鳴子の米」は、いまはまだ無名の「東北181号」。鳴子の近く、宮城県古川農業試験場で育成された新しい品種で、昨年、標高の高い鬼首(おにこうべ)地区の試験栽培では、これまで栽培してきた「あきたこまち」がせいぜい4、5俵だったのに、梅雨どきの天候不順にもかかわらず、10アール当たり7俵が収穫できたといいます。鬼首はスキー場があるくらい積雪量の多い地域で、雪解け水が直接流れ込む田んぼの水口(みなくち)は「青立ち」(背丈が低く、いつまでも青いまま稔らないこと)することが多かったのですが、試験栽培した3軒の農家は「この米は冷たい雪解け水でも稔った。強い米だなあ」と、喜びを語ります。

これで、農家の収入がどうなるかを見てみましょう。

▼あきたこまち
1俵13000円×5俵=65000円/10アール
▼鳴子の米(東北181号)
1俵18000円×7俵=126000円/同

私たちが、1膳24円の米を食べることで、農家の収入が倍近くになることがわかります。

また「鳴子の米」がめざすのは、「食べておいしい米」。「そんなことあたりまえじゃないか」と言われるかもしれませんが、今の米の値段は、「食味計」という機械で米粒のまま破砕して測定した「食味値」に左右されることも多いのです。プロジェクトでは、水分量を調節しながら、実際に炊いて、試食して、「水分15%減で炊いたものが一番おいしい」ということになりました。

「東北181号」のもうひとつの特徴は、デンプンの種類のひとつである「アミロース」が少ないということ。この数値が高ければ「粘りがない」ということになり、低ければ低いほど「粘りがある」ということです(もち米はゼロ%)。ということは、「おにぎりにしても、冷めても、おいしい」ということ。また味がしみ込みやすいため、混ぜごはん、炊き込みごはんにも向いているそうです。年間85万人の鳴子の宿泊客が朝、出発する際「お昼にどうぞ」と、一人2個のおにぎりを差し出すだけで、どれだけの田んぼの作付けが必要になるでしょうか?(答えはこちら

用意されたおむすびは100種類1200個!
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私の昼食(はなむすび、しゅうまいむすび、おかのり天むす、ぎんなんむすび……)
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この10年で鳴子の農家は100軒減り、耕作放棄地も70ヘクタールに及んでいるとか。しかし、プロジェクトに参加した農家の人は、耕作放棄地の復活どころか「このまま行けば、昔のように新田開発をしなくてはなんねえな」と、冗談話も飛び出すようになっています。

一膳24円の米を食べることで、こんな喜びを分かち合うことのできる「鳴子の米プロジェクト」。さっそくですが会場でこの秋の収穫分を予約してきました。

「国が見捨てたからといって、私たちにはあきらめてはいけない、失ってはいけないことがある」と、プロジェクト総合プロデューサーの結城登美雄さん
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おむすびのおひなさま
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裏方のお母さんも舞台に上がってフィナーレ
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鳴子の近く、旧宮崎町(現加美町)で1999年にはじまった「食の文化祭」は、いまや数えきれないほど全国のあちこちに広がっています。冷徹な国の農政についあきらめがちな中山間地の「小さな農業」ですが、「食の文化祭」同様、「みんなで育ててみんなで頑張る○○の米プロジェクト」を全国に広げることができれば、まだまだ希望をつなぐことができると思います。

鳴子の米プロジェクトお問い合わせ先

2007年3月 3日

パトリアのための食の祭典、地産地消、食育、弁当の日

2月はどういうわけか、「食の旅」の連続でした。

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2月11日(日)は、千葉県鴨川市での「かもがわ食の祭典」と「食文化フォーラム」へ。会場は鴨川駅から車で15分ほどのところにある城西大学観光学部キャンパス。同キャンパスは、「太平洋デッキ」からの眺望が「ちば眺望百景」に選ばれたほどの見晴らしのよい高台にあります。会場に到着すると鴨川市と同大学共催の鴨川朝市の第1回目も開催中。山にも海にも恵まれた鴨川だけあって、魅力的な山の幸、海の幸がズラリ! 1杯2000円のタカアシガニ、同じく2000円のヒラメなど、クーラー持参でなかったことが悔やまれました。

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なかには、すでに完売の店も。イワシを加工した「ひしこ押し寿司」「海の餃子」の店でしたが、人気急上昇中だとか。開発した金高さんはふしぎな人で、本業はビルメンテナンス会社の社長さん。

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ほかにもデザイナー兼天然酵母パン屋さんの宮下さん夫妻、本業は民宿経営なのに黒米そば、黒米うどんを製造・販売している長谷川さんは、「これちゃんと原価計算したら100g3000円なんだけど……」と、海洋深層水を使った「鴨川の塩」を、300円で売っていました(鴨川には独特の職業観というか商売観があるようで、帰りに立ち寄った石田三示さんの事務所の前の駐車場では、軽トラに乗っけるような冷蔵庫ひとつと椅子、まな板を置く台だけで「魚屋」をやっているおやじさんがいました。「こんなところで」と思ったのですが、事務所スタッフによると、あれでなかなかの売れ行きとのこと。市役所づとめを辞めて魚屋に転身したのだそうです)。

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「かもがわ食の祭典」は千葉県の委託で、地域の食育ボランティアとともに食育活動をすすめる事業。石田さんが理事長をつとめるNPO大山千枚田保存会が事業申請し、採択されたもの。昨年12月には、「食の地元学」である「食の文化祭」の提唱者・結城登美雄さんを宮城県から招いてお母さんたち100人以上で勉強会を開催するなど準備万端!

開会を宣言する石田さん
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出品数は100品とほかの地域にくらべて少ないものの、それだけ1品1品と、それに添えられた料理シートにじっくり目を通すことができました。料理そのものもさることながら、このシートに書かれたメッセージが味わい深いのです。

野菜ずし
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鴨川名物太巻き寿司
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「食の文化祭」の本家本元、宮城県宮崎町(現加美町)では「78歳 家族数1人」の女性が出品した「天然ホンシメジ炊き込みご飯」に、「秋、キノコの季節につくるわが家いちばんのごちそうです」と、書かれていました。ひとり暮らしのおばあちゃんが「わが家いちばんのごちそう」って、なんか、いいですよね。鹿児島県霧島町(現霧島市)では、「高菜のおにぎり」に、「『やすこー、きよみー、さとるー。母ちゃんたちゃ、畑、行ってくっでねー、おやつは『高菜んにぎぃめし』があっでねー』――高菜のおにぎりをつくるたびに、今は亡き母の声が聞こえてきます」とありました。こんなメッセージに思わず目頭が熱くなることもあります。

今回もこんなメッセージがありました。

「酢の物は体に良いし、食材は畑にあるし、昔から親達から伝えられているものです。ので」(大根なます)
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「普通はさんが焼きというと、アジを使ったものが一般的ですが、漁師町ではいろいろな種類の魚が食卓にのぼります。イナダはおさしみで食べるのが一番おいしいとは思いますが、一度にたくさん頂戴しますと、おさしみだけでは食べきれず、冷凍保存しております。お魚がない時に、解凍してさんがにしてみました」(イナダのさんが焼き)
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今回はノロウィルス騒動のおかげでお客さんは試食ができず残念でしたが、終了後はそれぞれ持ち寄った班ごとに分かれて食事会。「自己責任ならOK」ということでしたが、そのうち隣の班から「これどうぞ」「これいかが」の声とお皿が飛び交うようになり、いつもの「食の文化祭」同様の光景が広がりました。

昔から開けっぴろげで人が好いけれども根性の足りない房州人のことを「アバラ骨が一本足りない」と表現するそうですが、それはこんなに海山の幸にめぐまれ、自給自足ができて「お互い様」のおすそわけの生活文化がまだまだ息づいているからなのだと「食文化フォーラム」であるお母さんが発言していたのが印象的でした。

2月16日(金)には山口県の「周防大島地産地消シンポジウム」。わが「増刊現代農業」ライターにして、福岡県宗像市、大分県日田市(旧中津江村)に二地域居住し、「森の新聞社」を主宰する森千鶴子さんが基調講演するとのことで、押しかけ聴講。森さんは1999年に前述の宮城県宮崎町の「食の文化祭」に参加して以来、九州、山口、広島、島根などで数々の「食の文化祭」「家庭料理大集合」の伝道者として活躍中。その直前にも福岡県築上町では「町民漬物博覧会」、熊本県菊池市では「食の学校」の、翌17日には山口県長門市の「食の文化祭」のお手伝いという忙しさ。

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講演で森さんは「なぜ『食の文化祭』はコンクール、コンテストではないのか? それは20歳で嫁いだとして50歳なら3万回、70歳なら5万回、90歳なら7万回の家族のための食事をつくるそれぞれの生活文化に優劣はつけられないからです」と、そもそもの食の文化祭の提唱者、結城登美雄さんの言葉を引用しながら各地の盛り上がりを報告。

サツマイモ、もち米、砂糖を使った「かいもち」。上品な味わい
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ほぼ同じ材料、作り方の「ねったくり」(宮崎県高千穂町)
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焼きミカン、魚介、野菜の「みかん鍋」。どちらかというと「B級グルメ」
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パネルディスカッションで印象的だったのは、伊保田地区の農家で周防大島グリーン・ツーリズム実行委員の浜本陽子さんのつぎのような発言でした。

「伊保田に生まれたからといって、コンビニやファミレスの全国どこでも同じような食べものばかり食べていたら、その子のふるさとが伊保田だと言えるでしょうか? 家の畑で育ったものとか、おじいちゃんおばあちゃんがつくってくれたものを食べてはじめて伊保田がふるさとと言えるのでは。子どもたちへのふるさとづくりも“食”からなのではないでしょうか」

2月17日(土)は、福岡市の農文協九州地方事務所で『農業の教育力』(永田恵十郎著、1988年)をテキストにした勉強会。この際、新教育基本法の「愛国心」についても考えようということで、姜尚中さんの『愛国の作法』もサブテキストに。その中の「社会が『パーリア』的な存在に与える苦痛は、自らのリアリティとその存在意義そのものを疑わせ、自分の眼から見ても『実在している』と思えなくなるようにし向けること」という記述が、上の浜本さんの発言とも重なります。

その夜は、ちょうどFM福岡の収録のために福岡を訪れていたシンガーのYaeさんと、福岡の「農的暮らし」をすでにはじめた、あるいはこれからはじめようとしている若者たちを引き合わせるために「たべものや らうらう」へ。「はじめる自給 種まき大作戦」「土と平和の祭典」プロジェクトを九州でも、と思い、5、6人集まれば、と思っていたらなんと20名を超える集まりに。

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多くは「アグリプロジェクトin九州」(APIQ)の学生たちで、彼らのよき相談役である筑紫野市の有機農家、八尋幸隆さん・美智子さん夫妻にも参加していただきました。八尋さんは、元農業改良普及員だった宇根豊さん(現在「農と自然の研究所」代表)とともに、30年ほど前、いまや全国に広がる「減農薬稲作」をはじめた九州大学大学院出身の農家です(ちなみに合鴨水稲同時作の古野隆雄さんも九大大学院出身)。

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翌18日(日)には九州大学での「第2回食卓の向こう側セミナー――“弁当の日”実践報告会」に。「弁当の日」は、香川県綾南町の滝宮小学校校長の竹下和男さん(現在高松市立国分寺中学校校長)の提唱で2001年にはじまった、子どもたちが自分や友だちの、ときには親の弁当をつくる試みで、いわば「食の文化祭」の「子どものお弁当バージョン」。「地域に根ざした食育コンクール2003」では全国最優秀賞を受賞しています。

九州大学の学生版「弁当の日」のきっかけは、昨年10月に県内5大学の学生が集まって開いた「食育ワークショップ」で、「弁当の日」のことを西日本新聞に「食卓の向こう側」を連載中の佐藤弘編集委員に聞いたこと。彼らのブログ「お弁当の日」にはそのはじまりについてこう記しています。

――先日の食育ワークショップを受けて、大学生の私達でもできることとして「お弁当の日」を実行していくことに決めました。
みんなとても気合を入れて作ってきます。
味ももちろんだけど、見た目もきれい。
このまま食べたら、当たり前だけど全てなくなってしまう……。
それが惜しくて、ブログに残していくことにしました。
節約の為にお弁当を作るというのも大学生ならではですが、それだけではなく誰かの為に作ってみたり、みんなで一緒に外のベンチでお弁当を囲んでみたり、「お弁当」でたくさんの幸せが生まれたらいいな、と思います。

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 保育士、小中高教諭、家庭科教諭、大学家政科教員、学生、教育委員ら約100名が集まったこの日のセミナーで、とくに感銘を受けた発言をいくつかご紹介します。

「弁当の日の評価は点数ではできない。一人ひとりの生き方に優劣はつけられないから。評価は『おいしそうやな』『がんばったな』という言葉と、記録を残すこと」「弁当の日の実施までは、家庭科の教員であることにひがみ根性があった。家庭科の蔑視は家事そのものの蔑視だと思う。いまは『勉強よりこれができることの方が大事』と言ってくれるお母さんもいて、幸せ」(香川県・中学校家庭科教諭)

「以前は『荒れた学校』で夜11時までに帰ったことはなく、10人ほど遅刻常習の子どももいたが、弁当の日がはじまって、朝5時おきの子どもの顔がちがってきた。弁当の写真を撮るだけで喜ぶ子どもの顔を見て、先生も癒された」(北九州市・中学校家庭科教諭)

「いわゆるキツイ家の子はどうするのかと思っていたら、3回目にほんとうに卵焼きが上手になった。点数が上がっても子どもの成長を美しいとは思わないが、生活面の向上は美しいと思う」(福岡市・小学校教諭)

 そして、当日は別の講演会のために参加できなかった竹下和男さんから寄せられたメッセージの一節――「子どもが一人前になろうとするのは本能的な欲求だ。自分が家族にとって、社会にとって役に立つ存在であることを確認したがっている。これは、子どもにとって命がけの悲願だ」。

こうした発言と、姜尚中さんの「社会が『パーリア』的な存在に与える苦痛は、自らのリアリティとその存在意義そのものを疑わせ、自分の眼から見ても『実在している』と思えなくなるようにし向けること」、そして周防大島の浜本さんの「伊保田に生まれたからといって、コンビニやファミレスの全国どこでも同じような食べものばかり食べていたらその子のふるさとが伊保田だと言えるでしょうか?」を重ね合わせてみると、子どもたちにとって第一義的に大切なことは子どもの力を抽象化し、数量化して比較する「学力」ではなく、具体的で個性的なパトリアとしての「生きる力」であることがだんだんにわかってきました。「食育」とは、そういうことを言うのではないでしょうか?

宮城県宮崎町「食の博物館」2003冬編での高野孟さん、結城登美雄さん、浅野史郎宮城県知事(当時)の囲炉裏端鼎談(「増刊現代農業」2003年5月号『食の地方分権』にその模様が掲載されています)
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東京や遠く関西からかけつけた若者(そうでない方もいますが)と記念撮影
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各地の「食の文化祭」記録集
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Profile

甲斐良治(かい・りょうじ)

-----<経歴>-----

1955年宮崎県生まれ。
九州大学経済学部卒。
社団法人・農山漁村文化協会(農文協)「増刊現代農業」編集主幹。
『定年帰農 6万人の人生二毛作』『田園住宅 建てる借りる通う住まう』『田園就職 これからは田舎の仕事が面白い』『帰農時代 むらの元気で「不況」を超える』の「帰農4部作」で、1999年農業ジャーナリスト賞受賞。
その後も『青年帰農』『団塊の帰農』『若者はなぜ、農山村に向かうのか』などの「帰農シリーズ」で新しい農的生き方を追究するとともに、「地元学」(ないものねだりではなく、あるもの探し)による各地の地域づくりにかかわる。
都市と農山漁村の共生・対流推進会議運営委員、100万人のふるさと回帰支援センター・里山帰農塾講師。
建築家・石山修武氏、民俗研究家・結城登美雄氏と「21世紀型農村研究会」05年に結成。

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