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2007年1月29日

富士の麓で

先週土曜日(27日)は、「若者の力が社会を変える~地域と青年をつなぐキーワード 『ワークキャンプ』」をテーマに開催された「全国ワークキャンプセミナー in Fuji」に参加のために静岡県御殿場市へ。

会場の「国立中央青少年交流の家」は、返還された米軍キャンプの一部を利用して昭和34年にオープンしたものと聞いたが、とにかく広い(宿泊定員500人)! しかも前日の夜に着いたので気がつかなかったのだが、翌朝、朝食のために別棟のレストランまで歩いていて何気なく左を見たら、ドーンと真っ白な富士山! 一瞬、からだが先に反応してのけぞってしまった。

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約100人の若者(私のようにそうではないのも10人くらいいたが)が参加したプログラムは午前中が

○オープニングトーク 「ワークキャンプの可能性」・開澤真一郎さん (国連・ユネスコ 国際ボランティア活動調整委員会(CCIVS)代表)

と、   
   
○基調セッション 「若者の力が社会を変える」・パネリスト: 杉澤経子さん(東京外国語大学多言語・ 多文化教育研究センター・プログラム・コーディネーター)関根章文さん(文部科学省青少年課事業係長)高塚雄介さん(明星大学人文学部教授)能島裕介さん(NPO法人 ブレーンヒューマニティ理事長)甲斐良治

午後が

○分科会1 「都市と農山村の交流」 
~若者の力で地域が変わる~ 
事例紹介:
 小森耕太さん(山村塾)
 前田修児さん(静岡県川根本町役場 企画環境課)
 石井有美さん(緑のふるさと協力隊)
コメンテーター:甲斐良治

などの分科会。

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一橋大学在学中、1年間休学して12カ国を旅し、ポーランドで国際ワークキャンプに参加、その魅力に惹かれ、NICE(日本国際ワークキャンプセンター)を設立したという開澤さんの「ワークキャンプ」の説明で面白かったのは、「ワークキャンプって起源は誰も知らないし、その定義もまちまち。ただ、カンボジアで植林のワークキャンプをやっていたら、村の長老たちがやってきて『なつかしい。昔はそうやって用水も学校も道路もみんなでつくった』と言った。昔の農村では当たり前にやっていたそんなことを、都市や海外の『よそ者』も一緒に現代的に再生させるのがワークキャンプかもしれない」ということ。

それを聞いて思い出したのが、高野孟さんに聞いた鴨川自然王国や大山千枚田保存会の「棚田オーナー制度」の初期の話。まちからやってきたオーナーさんたちが手植えで棚田の田植えをはじめると、村の長老たちがカメラを手にわらわらやってきて、「なつかしい、なつかしい」と、写真を撮りはじめたのだとか。

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分科会の事例発表は、福岡県黒木町の「山村塾」で働く小森耕太さんの話。彼は九州芸術工科大学(現在は九州大学に統合)在学中に、二軒の農家が都市住民との交流のためにつくった山村塾での「国際田園・里山保全ワーキングホリデー」活動に参加し、卒業後も、そのまま山村塾に「就職」した。彼には最新号の『脱・格差社会 私たちの農的生き方』をはじめ、これまで3回ほど「増刊現代農業」に登場してもらっているのだが、2回目の『若者はなぜ、農山村に向かうのか』に寄稿してもらったうちのつぎの一文が印象に残る好青年だ。

――「一年目は何も考えず地域や山村塾のやり方を学び、三年で将来やっていけるかを見きわめる。やっていけないと判断したら、きっぱりあきらめ、新たな職を探す」と決めた。そうして、結果として現在六年目となった。また、おかげさまで昨年結婚し、夫婦で家を借りて暮らせる身分にまでなった。結婚相手の文子さんは、福岡市で典型的なOL生活をおくっていたが、デパートもエステもお洒落なバーもない山村の生活に飛び込んできてくれた。結婚という大事件によって、両親含め、黒木町の地域の人たちに対しても、今の自分の仕事とやる気を伝えることができたようだ。独身のころも同じようにやっていたつもりだが、「若いうちだけの無茶」と思われていたところもあっただろう。今やっと、ここで暮らし、仕事をすることが認められた気がする。

そして今回も、会場からの「生活できる給料をもらっていますか?」という質問に、「ここに来て8年目、そして結婚して3年目になりました。だからこれからもここで生活できる気はします」と。彼は『若者はなぜ』にも「山村では仕事がないように思われがちだが、サラリーマンのように一カ所から収入を得ることが安定した生活という考え方を見直せば、だれもがやっていけるとまでは言えないにしろ、山村には、都会にはない幅の広い受け皿があると思う。考え方次第で、自分なりの山村生活が過ごせるはずだ」と書いていた。

石井さんが参加している「緑のふるさと協力隊」は、NPOの「地球緑化センター」が全国の「過疎」と呼ばれる約50の市町村とタイアップし、そこに1年間若者を派遣する制度。北海道出身で岩手大学2年の石井さんは、「農学部に入ったが、大学では勉強したいことが見つからない」と、1年間休学して協力隊に参加し、静岡県川根本町に派遣された。川根にはじめて来たときの印象を「チョー山だぁーと思った。道路一本、信号2個、いるのはじいちゃんばあちゃんばっかり」と語る現代娘だが、「一回だけの大学での収穫体験と違い、ここで1年近くを過ごしてみてわかったのは、農業は収穫してそこで終わりではなく、収穫はつぎのはじまりだということ」と、なかなか本質に迫る発言。

「ここに来るまでは、夜働いて、昼寝てるような不規則な生活の仕事をしている人がかっこいいと思っていたが、ここに来たらからだが自然な感じになってきた。毎日毎日そんな感じで、今ハマっているリズム、朝、さむいなーと起きて、昼少しあったかくなったなー、夕方またさむくなったなーという自然のリズムがからだに合うんだなーと思うようになった。今までは気づかなかったけど、空の色が毎日変わるし、今は黄色いけど茶葉(川根はお茶の本場)の色が毎日青くなっていくし、今の私は『雑草魂』――そんな感じです。笑顔でいる時間が延びたなー」

分科会会場の若者も、早稲田を中退して杜氏になり、日本酒の世界に入るという青年、学芸大を卒業し、島根県海士町の観光協会に就職が決まっているが、卒業まぎわの3月には「まちをおこす若者を増やしたい」と仲間20人と「ちち☆ばす」(ちち=地域発・地球行きのバイオディーゼルオイルで走るバス)による最短4泊5日から最長27泊28日のバスツアープロジェクトに取り組んでいる青年、自ら起業したIT会社を○億円で売却し、50人が働く協働福祉農場に転進した青年、渥美半島の「いまは廃れてはいないが、5年後、10年後を考えるといまのままの農業では絶対にヤバイ」と考えている青年など、男も女も、みんな真剣で、独自の活動に実際に取り組んでいる若者たちばかりだった。

100名が参加したこの集まりで、私が知っている顔はたったひとり! 順天堂大学体育学部の都築興治くんで、鴨川の大山千枚田保存会の活動に「体育会系の都市農村交流をめざす」と参加している若者だ。彼のつぎの千枚田でのプロジェクトは田植え前の「首都圏大学対抗どろんこバレー大会」! 現在のところ、6大学が参加予定とのこと。田植えまでにはまだまだ増えるだろう。農村の古い言い伝えでは、「田植えと稲刈りはにぎやかであればにぎやかであるほど田の神様が喜び、豊作になる」。この泥んこバレー、老骨に鞭打って私も参加することを約束した!

富士の絶景のなかでのこのセミナー。しかし時折ドーン、ドーンの音と地響きが。この「交流の家」に隣接する滝ケ原自衛隊基地のものか、米軍キャンプ富士の砲声だという。そして「キャンプ富士」をネットで調べていたら、「キャンプ富士ミリタリーフレンズ掲示板」なるサイトに遭遇してしまった。軍事オタクの掲示板かと思ったら、そこにある書き込みは下記のようなもの。

>私の旦那は、元マリーンです。富士にもいたことがあるので、富士については色々詳しいので、何かあったらきいてくださいね。ちなみに、アメリカ人と付き合うには、やっぱり日常英会話くらいできないと、都合のいい女で終わっちゃいます。あと、肝心なのは出会ったときに、嬉しさのあまり、がっつかないこと!飢えてる女と思われたら、おわりです。

>富士にいるマリーンには、パーマネントとトレーニングの2つの種類があって、トレーニングの人は、富士に滞在する期間が決まっているので、要注意! やられて終わりで気づいたら帰国してた・音信不通...って友達も何人もいました。

キャンプ富士の米軍兵士との、「正しい男女交際のあり方」をアドバイスし合う掲示板……。安倍さんの言う「アメリカと価値観を共有する美しい国日本」の美しい富士の麓において、このように「美しい国際恋愛」が育まれていることも今回、知ったのでした。


 

若者は3年で辞めてもいい?

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新卒若者の3年以内離職率=中卒7割、高卒5割、大卒3割という「7・5・3現象」(現在はもっと上がっていると思われる)が問題になったり、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書)という本が話題になったりのご時勢で、私もこのところずっと若者を取りまく雇用と労働の激変について考えてきたが、先週、地下鉄の社内で唖然としてしまう吊り広告を「発見」した(それにしても地下鉄や電車の駅や車内の、派遣社員募集やキャリアアップ、転職あっせん広告のなんと多いことか)。

――こんどの2月3日(土)、
「リクルートで3年がんばる」という
新しい働きかたの説明会
「春イベ」を開催します。
くわしくは会場で。

の、大きな文字の横には「営業は初めてだ。が、三年後、経営者になる。 25歳 前職/トラック運転手」「この三年で、人脈をゴマンと作る 25歳 前職/営業」「私の仮説→成功する仕組みをリクルートは持っている。三年で盗む。 26歳 前職/メーカー」「三年、限界まで行ってみようと思った。 22歳 前職/米国留学」など応募者の志望動機らしいコピーが20本ほど並んでいる。

そしてめでたく3年を勤めおおせたら、「キャリアアップ支援金」として100万円が支給されるのだとか。

まるで「7・5・3」「若者はなぜ3年で」を逆手に取ったようなこの「新しい働きかた」。気になったのでネットで調べてみたら、じっさいは「契約期間」初回契約のみ:6ヶ月間、それ以降:1年単位/更新上限2回(最長3年)、「初回契約の6ヶ月間は最長3年間に含まれません」そして「キャリアアップ支援金100万円(3年満了退職の場合に支給)」とあった。

その仕事の内容は、クーポン情報誌「Hot Pepper」(よく駅の出口などで真っ赤なかっこうの女性が配っている真っ赤な表紙のアレ)の企画営業、つまりお店の広告取りである。給与は若者の水準からすれば悪くないと思うが、これも半年毎の見直しで、かつ勤務時間は「事業場外みなし労働時間制」で「1日10時間52分」!

吊り広告には「リクルートは3年間あなたに投資します」とあるけれど、「キャリアアップ資金100万円」も含め、これって若者自身の稼ぎじゃないんですか?

まあ、ここまで露骨にやられると、かえって「テキもあっぱれ」と感心してしまうが、出勤して同僚にその話をしたら、「それって、バイトに来てる○○ちゃん(女子学生)が応募してるアレじゃない。3年やったら農業やるって」――テキもあっぱれだが、若者もあっぱれと、オジサンはまた感慨を深くしたのであった。

2007年1月26日

希望は戦争か、土と平和か

「2007年、『農』のムーブメントを日本におこす。前代未聞の大プロジェクト!」と銘打って、農に関心をもつ若者たちが今年、「はじめる自給 種まき大作戦」「土と平和の祭典 2007」の2大プロジェクトに取り組みます。

その趣旨はこう。
「藤本敏夫がこの世を去ってから5年という節目である『2007年』。彼はなくなる間際、真の日本の未来像『持続可能な循環型田園都市』構想を、国に、私たちに残した。『食』の不安、『農』の危機、それを支える『環境』の破壊がますます叫ばれる現在において、まさに2007年こそ、(中略)来年よりリタイヤの時期を迎える『団塊の世代』の力と、次世代をつなぐ『団塊Jr.』の力を、『農的幸福=土と平和』というキーワードで結びつけることで、このムーブメントを牽引する『新しい未来への大きな力』としたい。この趣旨のもと、2007年をまさに『はじまりの年』と位置づける」

 具体的には「はじめる自給 種まき大作戦」が、

・アースデイ東京(2007年4月)
・「東京朝市アースデイマーケット」(2007年計7回)
・「Yae農村ライブツアー2007」(2007年計20回)
・ビーンズウォーク(※全国の小学校に大豆の種を蒔きに歩く)
・「トージバ・大豆レボリューションなど」(2007年 通年)
・「半農半X@カフェ・スロー」(2007年計3回)
・「地大豆カフェ@カフェ・スロー」(2007年計2回)
など。

 そして「土と平和の祭典」(朝市と音楽祭)は、この1年の集大成で、11月11日(日曜。十一の重なりを「土」に見立てて「土の日」)に代々木公園で開催予定。

 実行委員は、委員長:藤本八恵(Yae)さん、事務局長:神澤則生さん(特定非営利活動法人トージバ理事事務局長)、企画:ハッタケンタローさん(特定非営利活動法人トージバ理事)。世話人が加藤登紀子さん、高野孟さん、田中正治さん、藤田和芳さん、辻信一さん、それに私。

 1月22日には、その成功に向けて、東京港区「エコプラザ」で登紀子さん、高野さん、田中さん、辻さんの世話人も参加しての第一回勉強会があり、60名近くの若者に不肖・甲斐が「希望は戦争か、土と平和か 脱・格差社会――若者たちの農的生き方」と題してスピーチしました。以下はそれを文章化したものです(長文ですので、お手すきの折ご覧ください。またこのコーナーに以前書いたことと一部重複していますが、お許しください)。

 こんにちは。甲斐という名前ですが、山梨県の出身ではありません。昨日そのまんま東さんが知事になってしまった宮崎県の出身です。宮崎はどうなってしまうのでしょう。
 農文協という、農業関係の出版団体に1980年に入りました。最初は「月刊農業現代」という雑誌の記者でした。今年51歳です。

 さきほどからお話に出ている藤本敏夫さんのことも学生のころから知っていました。1968年の原子力空母エンタープライズの佐世保寄稿阻止闘争のときに、藤本さんの指揮で全国からたくさん集まった学生が福岡の私の大学の学生会館を占拠して出撃拠点にし、ついでにそこを学生の自主管理にした。その後、私が入学した74年ころも自主管理が続いていたんですが、だいぶ学生の力が弱まった78年に、文部省と警察と大学が改修を口実に自主管理を解くということで「学生は会館から出て行け」ということになった。でも、なにも抵抗しないと格好がつかないということで、つかまることを覚悟して2人だけ最後まで残りまして、予定通りつかまって、1カ月ほど冷たいところで過ごすという貴重な経験をしました。その後農文協に入り、農家の話を聞いて廻る仕事をしまして、いつか藤本さんにお会いできるだろうと思っていたのですが、2002年にご入院中の虎ノ門病院で一度だけお会いしてお話を聞くことができ、「増刊現代農業」の8月号『青年帰農』にインタビューを掲載することができました。それが最初で最後です。

 藤本さんにいつかはお会いできるだろうと思っていたのは、私たちが取材で話を聞きに行った農家で、「この前藤本さんが来たよ」とか、「登紀子さんも一緒だったよ」という話がよく出たからです。一番印象に残っているのは、福島に佐藤圓治さんという農家の方がいらっしゃって、ご自身が農薬中毒になったことから農薬を使わないキュウリ栽培を始めた。農文協も貧乏でしたが、藤本さんがつくった「大地を守る会」も当時は貧乏だった。その佐藤さんという農家の方は、大地の会がキュウリを売ってくれるお礼に、年に一回大地の会の若い職員何人かを近くの飯坂温泉にご招待していた。それに私も一度だけご相伴にあずかったことがあります。

 その佐藤さんのところに、何回か取材で通って仲よくなったら、佐藤さんが「じつはうちには家宝があるんだ」と言って、大事そうに取り出した一枚の巻紙を見せてくれた。それは何かというと、大地の会を立ち上がったばっかりのときに、佐藤さんに払うキュウリの代金の都合がつかなくて、「今しばらく待ってほしい」という藤本さんの念書でした。それには「必ず払います。もし払えなければ女房の伊豆の別荘を売ってでも払います」という一文が入っていました。

 今私がつくっている雑誌は、年4回発行の「増刊現代農業」というのですが、いろんなテーマで特集を組んでいます。一番新しいのは2月号の『脱・格差社会 私たちの農的生き方』というものです。現場での気づきをもとに毎号のテーマを考えるというのが基本なのですが、98年に出した『定年帰農』というテーマがわりとあたったものですから、2002年に出したその若者版は『青年帰農』というタイトルにしたんです。そのときに登場してもらった若者の何人かが、「私たちはべつに農業だけをやりたいわけじゃないんだから『帰農』というくくりにはめないでくれ」と言っていたのですが、当時はその意味をあまり深く考えなかった。

 2005年になって、その年、全国のいろんな山奥、たとえば熊本県水俣市に標高500メートルの高原があり、そこで無農薬のお茶をつくっている天野さんという親子がいますが、総工費20万円で建てた大きなお茶の加工場兼ゲストハウスがある。生木を燃やしてもくもく煙が出るような野蛮な囲炉裏なんですが、誰が行っても泊まれるので、長期に滞在する若い人がいることに気づいた。鴨川自然王国でも、今日来ている人たちとか、宮城県の鳴子町というところも若い人がいて、また新潟県上越市には全国から9人の若者が集まってNPO「かみえちご山里ファン倶楽部」というのをやっている。年齢を聞いたら、すぱーっと線を引いたように当時で32歳以下の人たちが多い。だから勝手に「32歳ライン」とネーミングして追いかけ、その後に『者はなぜ農山村に向かうのか』と、『田園里山ハローワーク』という2冊をつくりました。

 最近の気づきは、そうした彼ら・彼女らの間に、新しいいのちが次々に生まれているということです。いつも編集後記にいろんなことを書くのですが、『脱・格差社会』では去年一年間に生まれた新しいいのちの、ご両親のお名前と、赤ちゃんの名前に込めた思いをつなぎあわせて、編集後記にしました。今年1月15日生まれなのでそれには間に合わなかったのですが、トージバの渡邊さんのところにも女の子が生まれたというので、名前を聞いたら「むすびちゃん」。考えてみたら、農文協が「近代化路線にまどわされるな」と主張しはじめたのが1970年で、日本有機農業研究会が結成されたのが71年、ローマクラブの「成長の限界」が72年、有吉佐和子さんが朝日新聞に「複合汚染」を連載したのが73~74年です。そうした食とか農の不安が高まる中で生まれた子どもたちが32歳ラインの若者たちで、その32歳ラインの若者たちに新しいいのちが生まれているのが、今。新しいいのちが、さきざき平和に、本当の意味で豊かに暮らしていってほしいという願いが込められているのが「はじめる自給 種まき大作戦」ならびに「土と平和の祭典」なのではないかと思います。

 その今年はどういう年か、35年から36年間の流れの中でとらえるとどういうことが見えてくるかをこれからお話してみたいと思います。

 じつは今年の4月から、農村で、非常に大きな変革が始まろうとしています。それは「農地改革以来の農政改革」と農水省が自画自賛しているものですが、ひと言で言えば「小規模農家の切り捨て」です。それにどう反対していくか、実施されたとしても無いに等しいものにしていくのかを、自分の雑誌でもやらなきゃいかんと思ったし、民俗研究家の結城登美雄さんからも詰めに詰められて、夜も眠れないような思いをしました。そうした中で、あるとき、これはじつは農業の中だけの問題ではないのではないかとふと気がついて、一般に「格差社会」と言われる問題を引き起こしている「労働と雇用の問題」とひとくくりにとらえることで、非常に大きなテーマ、都市と農村の垣根を超えて取り組まなけなければならないテーマが見えてきて、「農政改革」から始まった企画が「脱・格差社会」に変わっていった。
 
 農政改革は、所得保障というか、農水省がこれまで専業農家については広く薄く補助金を出していたのですが、今年の4月から、米、麦、大豆、ビート、テンサイ、デンプン原料用のジャガイモの5品目だけに限って保障しますということです。しかも、面積要件があって、個別の経営では、さきほどお話に出た自然王国の農地が8反、80アールですが、農政改革が農業の「担い手」とみなすのはその5倍の4ヘクタール以上です。都府県の農家についてはそれ以上でないと保障の対象とはなりません。北海道はもっと広くて10ヘクタール以上です。しかし、そんなに大面積の農家は日本にほとんどありませから、抜け道というか救済策として、個別経営でその面積が満たせなくても集落全体合わせて20ヘクタール以上で5品目のいずれかをつくる「集落営農」も認めます、ということになった。

 ただしその集落営農でも、日本全国の農村で集落全体の農地を合わせても20ヘクタールに届かないところが53%もあるんです。日本の農村の、いろんな山や水を支えている農村の半分以上は政策の対象にはしないというのです。国が「お金がないから申し訳ありません」と頭を下げればまだかわいげがあって「それなら仕方ない」ということにもなるのですが、「大規模化によって生産性を高める」とか「国際競争力を強める」とか、いろんな理屈を述べる。そうした霞ヶ関の机の上の理屈による「近代化」がどれだけ農家を苦しめてきたことか。

 ただ、農家をその経営規模によって差別・選別しようという動きは今に始まったことではありません。若い人はよく知らないと思いますが、1986年、中曽根内閣のときに「前川レポート」という、いろんな経済の規制緩和についてのレポートが出ていて、農業については「国際化時代にふさわしい農業政策の推進」として、こんなことが書いてありました。

「我が国農業については、国土条件等の制約の下で可能な限りの高い生産性を実現するため、その将来展望を明確にし、その実現に向けて徹底した構造改善を図る等、国際化時代にふさわしい農業政策を推進すべきである。この場合、今後育成すべき担い手に焦点を当てて施策の集中・重点化を図るとともに、価格政策についても、市場メカニズムを一層活用し、構造政策の推進を積極的に促進・助長する方向でその見直し・合理化を図るべきである。基幹的な農産物を除いて、内外価格差の著しい品目(農産加工品を含む)については、着実に輸入の拡大を図り、内外価格差の縮小と農業の合理化・効率化に努めるべきである。輸入制限品目については、ガット新ラウンド等の交渉関係等を考慮しつつ、国内市場の一層の開放に向けての将来展望の下に、市場アクセスの改善に努めるべきである」

 また以下は、今回の農政改革についての農水省の言い分で、昨年12月に発表されたものです。

「我が国の農業は、農業者の数が急速に減り、また農村では都会以上のスピードで高齢化が進んでいます。一方、国外に目を向けると、WTO(世界貿易機関)の農業交渉では、国際ルールの強化などの交渉が行われています。このような状況のなかで、今後の日本の農業を背負って立つことができるような、意欲と能力のある担い手が中心となる農業構造を確立することが“待ったなし”の課題となっています。そこで、これまでのような全ての農業者の方を一律的に対象として、個々の品目ごとに講じてきた施策を見直し、19年産からは、意欲と能力のある担い手に対象を限定し、その経営の安定を図る施策(品目横断的経営安定対策)に転換することとしています」

 この二つの文章を読み比べてみると、今回の農政改革のルーツは、20年前の「前川レポート」にあることがはっきりわかる。ただ私は、このことを考えるときに、「20年もかかった」ことの意味、重みを考えたいと思います。たとえば中曽根内閣のとき、国鉄が民営化されてJRになりました。電電公社の民営化など、ほとんどのことがあのころすぐにやられている。後でまたふれますが、「労働者派遣法」も86年です。しかし農業農村の場合は、20年がかりでようやく今年から、ということです。なんで20年間「大きな農家だけじゃないよ、小さな農家だって農家だよ」と、がんばってこれたのか。

 じつは農村では、80年代後半から、直売所、朝市、道の駅などが、全国いたるところで、しかも自然発生的に始まりました。たとえば愛知県豊川市に「ひまわり農協」という農協があります。農協には農家の女性たちの「女性部」というグループがありますが、ひまわり農協では80年代になって女性部のメンバーがどんどん少なくなって、最後は50人くらいになり、このまま解散しようかという話まで出てきた。

 そんなとき、「ちょっと待って」と声があがった。「今全国のあちこちで朝市が始まっているらしいから、私たちもやってみようよ」と。最初は無人の直売所からのスタートです。でも無人だとお金が入っていなかったりするから、女性たちが交代で店番をするようになって、みるみるお客が増えてきた。最初は2坪のプレハブにコンテナをひっくり返して農産物を並べただけのささやかな無人市でしたが、その後10年間で出荷会員1000名、店舗は5カ所、年間売上げ20億円の直売所「グリーンセンター」に発展した。それまで管内を国道1号、東名高速の大動脈が走る同農協の主力は、東京や名古屋といった大都市に大型トラックで施設野菜・果実・花などを出荷する「輸送園芸」でした。それはおもに男たちの農業なんですが、その販売高は10年前も現在も150億です。そこに女性や高齢者が、ゼロから20億の「市場」を地域内に起こしたのです。

 そのグリーンセンターに行ったとき、こんなのも売ってるのかと思ったのは田んぼの「れんげ」。れんげを黒い園芸ポットに入れて売っている。それから石。ただの石にバーコードがついて売っている。漬物の重石なんですかね。それから麦の穂のドライフラワーなんてのもある。それまで男の人たちは、ダンボールに入れて農協の出荷場に持っていくものだけが農産物で売れるものだと思っていたんですね。ところが朝市や直売所を始めた女性たちは、田んぼや畑で取れるもの以外にも、山や川や野原のような、あるいは家のまわりにあるような、あらゆる農村空間にあるものを都市の人たちがほしがっていることに気づいてどんどん直売所に並べるようになったんです。

 そうした動きが1980年代の後半からあちこちで始まった。しかし農水省は、こうした朝市や直売所のような、農家の自給の延長上にあるものは経済行為とみなしていないので、統計をとったことがない。いまだにないんです。それで3年ほど前に、結城登美雄さんがNHKの仙台放送局に頼んで、全国のNHKの放送局に電話したりして調べたら、有人の朝市・直売所が全国で1万2000カ所もあることがわかった。市町村の数が合併で1800くらいだから、ひとつの市町村に10カ所くらいあることになる。売上げも全体ではよくわからないのですが、多いところでは1カ所で年間15億円以上。昨日は千葉の匝瑳市というところに行ってきたのですが、そこの「ふれあいパーク」は年間6億ということでした。

 それくらいはだんだんざらになってきていて、一軒当たりでも、私の知っている人で年間1000万円以上売り上げている女性がいます。でもだいたいは100万円とか300万円とか、年に1回、お盆のときのお花だけ出荷しているという人もいて、いろんな人がいろんなかたちで出荷できる。出荷しているのはほとんど女性。それもおばあちゃん。自分で車を運転できなくなっても、そこの直売所の車が配達とともに野菜を集めて廻って売ってくれたりするから、直売所のある村ではとことん動けなくなるまで働ける。そうした場所ができはじめたのが1980年代後半なんです。そんな朝市や直売所に限らず、80年代後半から90年にかけて、農村ではいろんなことが起きた。

 たとえば市民農園。クラインガルデンという小さな家付きの農地。グリーンツーリズム。定年帰農。畑カフェ・農村レストラン。食農教育。食育基本法……。

 今度2月11日に鴨川でも開催される「食の文化祭」。家庭料理を地域のみんなで持ち寄るんですね。一品ずつ持ち寄っても、みんなで持ち寄ったらまだまだこの地域の食を生み出す力も、それに手を加えて家族に食べさせてくれるお母さんたちもすごいじゃないかということがみんなで確認できる。かつての村おこしや地域おこしのように、「この地域はだめなところだから、どこかよその成功例をモデルに変えていこう」ではなくて、まずはその地域らしさを生かして育てていこうよという「地元学」も広がっている。地元学の言葉に「ないものねだりではなくあるもの探し」「当たり前のすごさに気がつく」というのがあるんですが、「当たり前のすごさ」の最たるものが、毎日毎日のお母さんの食事づくりですね。10年で1万回。20歳で結婚したら、50歳になるまで30年で3万回。こうした食を生み出す力とかに、みんなで共感していこうという動き。こういう動きを、ある研究者は「90年代生活革命」と呼んでいます。

「90年代からは、農山漁村から都市生活者への明確な呼びかけが起こった。それは、生活革命といっても良いくらいの農山漁村の変化である。新しい農山漁村での生き方の誕生といってもよい。一方的に都市の暮らしがよいものであり、農山漁村のそれは遅れている、田舎くさいものだという卑屈さのような感覚が支配していたものが、新しい生き方を都市の人々に提案するまで変化したのである。そして、その提案が都市の一部の人たちに受け入れられ大きな潮流となった」(富田祥之亮「むらの生活革命」『都市の暮らしの民俗学1 都市とふるさと』吉川弘文館、2006年)

 こうした動きは私自身、肌身で感じてきたことです。農文協に入ったのが1980年。それからの10年近くは、バブルの崩壊まで、ありとあらゆる世の中の価値観が、どんどんどんどん土や農というものから離れていった。それが毎日のストレスとなって、それだけが原因じゃないんですがそのころ一度離婚も経験しました。

 ところが90年代になって、はっきりそれと気がついたのは95年くらいなんですが、世の中の風向きが変わってきたんじゃないか、もう一度土や農に世の中の価値観が戻ってきたんじゃないかと感じるようになったんです。その現象のひとつが朝市・直売所。もうひとつが定年帰農です。それで97年に「増刊現代農業」で『朝市大発見』を、98年に『定年帰農』を発行しました。

 定年帰農の場合はその間の世の中の変化を本当に数字がぴったり表していて、「平成7(1995)年における販売農家の15歳以上の世帯員のうち、新たに農業への従事が主となった者は10万2000人であった。(中略)これを年齢別にみると、60歳以上の者が5万9800人と6割を占める一方、39歳以下の者は1万2500人であった」(97年3月末発表の農水省「平成8年度農業構造動態調査」)。「新たに農業への従事が主となった者」は、86年に10万人の大台を割った後激減し、バブル頂点の90年には2万7000人にまで落ち込みますが、その後回復基調になり、93年には5万6000人、94年9万人、そして95年に再び10万人を上回り、そのうち5万9800人が60歳以上なので、『定年帰農』のサブタイトルを「6万人の人生二毛作」としたんです。

 そうやってこの20年間、農村では女性や定年退職者、高齢者が、「小さくても農業は農業だ」と、小さい農家を差別・選別しようとする動きに対してがんばってきたんです。

 一方で、都市の企業の雇用や労働に目を向けてみると、「前川レポート」が出た1986年に、男女雇用機会均等法と一緒に労働者派遣法というのが施行されています。当時は派遣が許される業種が限定されていましたが、ズルズルと緩和されて、今では医療とか教育関係以外のほとんどの職種で派遣が認められるところまで来ています。それに拍車をかけたのが、1995年に経団連が発表した雇用の新しいガイドラインである「新時代の日本的経営」。そこでは、終身雇用・年功序列の日本的雇用に変わる「雇用の柔軟化」「雇用の三段階」として、つぎのような労働力の差別・選別が認められるようになった。

(一)ごく少数の長期蓄積能力活用型(将来の幹部候補として長期雇用が基本)
(二)高度専門能力活用型(専門的能力を持ち、必ずしも長期雇用を前提にしない)
(三)雇用柔軟型(有期の雇用契約で、職務に応じて柔軟に対応)

 さきほど「32歳ライン」の若者たちのお話をしましたが、彼・彼女らが社会に出たのが94年や95年の「就職氷河期」が始まったころ。それだけでなく、経団連の雇用についての方針の大転回で終身雇用の形態が崩れ、非正規雇用がものすごく増えてきた。若い人たちが契約・派遣社員やパート、アルバイトなどの「安くて交換可能なパーツ労働力」として使い捨てられる時代になってしまった。その95年以降の10年で、非正規雇用は50%も増え、いまや1500万人以上。一方、正規雇用は10%減少し、3500万人を割り込んで、「雇用の柔軟化」どころか「雇用の流動化」「雇用の液状化」とさえ指摘されるような状況になっています。

 私は2005年にむしろ農山村に向かった若者たちから都市の企業の雇用と労働の問題に気づかされて、その年『若者はなぜ、農山村に向かうのか』と『田園・里山ハローワーク』を出したのですが、そのころまだまだニート・フリーターは若者の甘えの表れだというような報道や論調が多かった。一番頭にきたのはその年「若者の人間力を高めるための国民会議」というものを小泉内閣が立ち上げたことです。当の経団連の奥田さんとか、連合の笹森さんとか、若者の雇用と労働をそういうふうにしてきた張本人たちがメンバーで、「若者の人間力を高める」だと! 冗談じゃない! と思った。その国民会議は今どうなっているか知りませんが、今安倍さんは「再チャレンジ」だと莫大な予算をつけている。大本に手をつけないで再チャレンジなんてとんでもないことです。むしろ農山村に向かったような若者の人間力に学ばなければならないのはお前さんたちじゃないかと言ってやりたい。あ、ホントに朝日新聞に「若者の人間力に学べ」という文章を書きましたが。

 さすがに近ごろでは、ニート・フリーターの問題は若者に問題があると一方的に言うのではなくて、雇用や労働にも問題があるのではないかという声がふえてきた。今年の元旦から朝日新聞も一面で「ロストジェネレーション 25~35歳」という連載をやりましたね。そこでは非正規雇用だけが酷薄な労働条件を強いられているのではなくて、競争に勝ち抜いたはずの正社員も、いつ転落するかわからない不安、いつ追い抜かれるかわからない不安にさいなまれるという話が出てくる。

「IT業界は、年功序列とは無縁の成果主義の世界だ。職場では自分が最年長だが、後輩の方が能力があると感じる。いつまで残れるのか、不安が残る。気がつけば、うつ病になっていた」というのは「35歳正社員」の話です。じつは私も知っている人で、彼はしばらく会社を休むんですが、記事には「職場に復帰して半年ほどたった昨年11月中旬、ネットで偶然見つけた農業体験のイベントに参加した。南房総の棚田に囲まれた丘の上で、見ず知らずの男女18人が2泊3日の合宿生活をした。まき割りをし、野菜を収穫し、うどんを作る。以前だったら時間の無駄と切り捨てていたことが無性に楽しかった。睡眠薬に頼らずに眠れたのは、久しぶりのことだった」と書かれています。これはじつは自然王国の里山帰農塾のことなんです。

 そういうふうに、この20年で若者の雇用と労働がずたずたにされてしまった。朝日新聞に『論座』という硬い雑誌がありますが、1月号で「現代の貧困」という特集を組んでいて、そこに「31歳フリーター、希望は戦争。」という論文が掲載されています。

「31歳フリーター」とは筆者自身であり、北関東在住。「結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている」と自己紹介し、以下のようにつづけます。
「平和な社会を目指すという、一見きわめて穏当で良識的なスローガンは、その実、社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会の達成を目指しているように思えてならない。このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル世代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、『右傾化』であると見ている」

「なぜ左傾勢力は彼らに手を差し伸べないのか。若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に『労働者の権利を奪い取って、おれたちに分けてくれ』と期待してしまうのだ」

そして、こう結論づけます。
「平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である」と。

 若者にこうした「戦争待望論」さえ抱かせる雇用と労働のありようが、健全な社会のそれであるはずがありません。

 若者側からの正規雇用に対する似たような不平や不満はまだまだあります。『若者はなぜ3年で辞めるのか』という本でも、年功序列・終身雇用の層がいるから若者の不平不満が溜まってしまうんだと書いています。不平不満の矛先が、雇い主ではなく、今現在比較的安定している層に向けられます。40代~50代の正規社員の層の下は派遣や契約で安く使われる層。その上はやはり今年からはじまる定年後再雇用制度で安く働く団塊世代の層。それに挟撃された正規社員は安穏としていられるかと言うと、労働時間がある程度自由になる代わりに残業代は一切出さないホワイトカラーエグゼンプション制度の導入を政府や経団連、それにアメリカがしきりにねらっています。この前国会に提出されかけた案では、「年収900万円以上」ということでしたが、いったん通ってしまえばズルズルと年収も下げられていって、誰も残業代なんか見たことも聞いたこともないという状況になるのではないか。世代間の労働力ダンピング競争です。

 このような都市の労働における20年の差別・選別の進行と、農業農村の20年の差別・選別とのたたかいを比べてみると、農業農村はここまでよくがんばってきたじゃないかとふり返ることができます。
 
 このような農政改革と雇用の液状化=労働市場の自由化は、一見すると全然別のものに見えますが、じつは根っこは同じです。1970年代のアメリカで生まれた、政治的には新保守主義(ネオコンサバティブ、ネオコン)、経済的には新自由主義(ネオリベラリズム、ネオリベ)という考え方に根ざしています。この考え方はアメリカでも最初はあまり相手にされなかったようですが、だんだん市民権を得るようになって、アメリカがアフガニスタン、イラクに侵攻してムチャクチャをやっているのもネオコン、ネオリベの影響ですね。市場原理至上主義であり、福祉や環境切り捨ての「小さな政府」を標榜しますが、一方では先制攻撃も辞さない「大きな軍隊」をもつのが特徴です。

 アメリカではレーガン、親子ブッシュ、イギリスではサッチャー、日本では中曽根、小泉、今の安倍さんもその流れを汲んでいる。特徴は、従来の保守は農村が支持層であるのに、ネオコンは、都市住民の不平不満をあおることで都市住民から支持を受ける。石原都知事も小泉もそうですね。防衛庁が防衛省に昇格したのも今年です。まさに「大きな軍隊」です。そしてネオコン、ネオリベはあらゆるものを競争の中にたたきこんでしまう。農産物、金融、労働……。今標的にされているのは教育と医療です。教育、医療における市場原理の導入。教育なら学校バウチャー制度。学力テストの点数によって予算の配分に差をつけるという足立区のようなおバカな区さえ現れた。じつは私も足立区住民なんですが。医療だと混合診療。

 農文協が1988年に発行し、その後の「90年代生活革命」の指針のようになった本に永田恵十郎さんという方の『地域資源の国民的利用』がありますが、それには早くもつぎのように書いてありました。

 「『新保守経済学』の特徴は、市場メカニズムだけを信仰し、かつ人間を経済的利益のみを追求する経済動物としてだけ考える人間性不在の論理に立脚しているところにある、と考えてよいだろう。経済学の病理現象といわれるゆえんである」

 人間がこういう病理的な思想に支配されたままでよいわけはありません。先ほどの辻信一さんのお話ではアメリカでさえ大きな変化のきざしがあらわれてきたということでした。

 ネオコン、ネオリベが登場した70年代――ローマクラブの『成長の限界』も72年で、シューマッハの『スモール・イズ・ビューティフル』が73年ですが、当時オイルショックがあったり公害問題が噴出したりで、GNP信仰とかケインズ的な経済政策を見直す動きが両極に出てきた。一方は環境や福祉なんてどうでもいい、儲ければいいというネオコン、ネオリベ。もう一方は環境問題を織り込んだ生産や経済のありよう、ライフスタイルをつくり出さないと、地球や人類は滅亡してしまうぞという動き。農文協や日本有機農業研究会は、ローマクラブより先にこの問題に気がついた。教えてくれたのは「土」なんです。経済成長の中、都市が膨張していったとき、同じ品目の野菜を大量につくって、限られたいくつかの大都市に出荷しないと価格安定制度の恩恵を受けられない「指定野菜産地制度」が始まった。キャベツならキャベツ、ダイコンならダイコンと、同じ品目をたくさんつくるためには、農薬も化学肥料もどんどん入れる必要が出てきた。そして連作障害を防ぐのに、土の中の微生物や昆虫を皆殺しにする土壌消毒をやり始めた。

 そのうちに農家が言い始めたんです。「土が病み、人が病む」と。土が農家に教え、その農家に導かれて農文協は70年に「近代化路線にまどわされるな!」と言い始めたのです。73年~74年に有吉佐和子さんが朝日新聞に「複合汚染」の連載をしているとき、大手町の農協ビルの7階にあった農文協の分室に10回くらいやってきて、本を買いながら、土や農薬や化学肥料について相談したそうです。

 この会場でも、さきほどYaeさんが「私の中のキーワードは土」と言われましが、土が教えてくれることには非常に大きいものがあります。そうして70年代からまた30年がたって、もっと広範な人たちにまた土が教えてくれようとしています。自然王国のスタッフが埼玉県の小川町というところに行ったと聞きましたが、小川町の有機農業のリーダーの金子美登さんは、1948年生まれで、1971年に農水省の農業者大学校を第一期で卒業して有機農業を始め、全国から研修生を受け入れています。金子さんのように、だいたい55歳~60歳くらいの農家がいま、若者を迎え、育てていますが、日本有機農業研究会が結成されたころに、有機農業の世界に飛び込んだかつての若者たちです。そうした農家が、いま自分と同じ道を歩もうとする若者を受け入れていて、今は全国的にそういうことができるようになった段階です。

 『若者はなぜ、農山村に』や『脱・格差社会』には、いろんな頼もしい若者たちが登場します。北海道の上川町というところには、3人で2ヘクタールの農業生産グループをつくった「かむつみ」の若者がいます。京都の大学の150坪の小さな畑で出会って、「もうこれ以上、勝ち組、負け組という原始的な価値観にふり回されるのはごめんだ。僕らは別の世界をつくる」と、北海道に行きました。

 お手元にお配りしている文章は、農家の人に読んでもらう「月刊現代農業」3月号の「主張」といって、新聞の「社説」にあたるものですが、さきほど書き終えたばかりです。全国の農家の人たちに、みなさんの「はじめる自給」と「土と平和の祭典」を応援してもらおうと思って、こんなふうに書きました。
 
――首都圏近郊や関東、東北地方の農家の協力で昨年4月から10月まで全6回の「東京朝市アースデイマーケット」を代々木公園ケヤキ並木横で成功させた若者たちは、今年、全国的に「はじめる自給 種まき大作戦」を展開し、11月11日を「土の日」として、やはり代々木公園で「土と平和の祭典 2007」を開催する。その事務局長の神澤則生さん(41歳)はこう述べる。
「日本という四季があり多様な自然と豊かな気候風土の地に生まれただけでも幸せなのに、さらにその資源をみんなで有効活用しながら共有して、楽しくて幸せになってしまおうというアースデイマーケットは、買う人、つくる人、運営する人、みんなの手でつくる、まさしく『手づくりのコミュニティマーケット』」

 また、大学院生のとき福岡県筑紫市の有機農家・八尋幸隆さん(54歳)・美智子さん(49歳)が開いている「直売所兼つどい所・むすび庵」で学んだ九州大学の佐藤剛史さんは、いま農学研究院の助手になって、この4月から、福岡市西区のキャンパス周辺農家の協力で、学生に農作業や環境保全活動などを体験させ、それを正式に単位として認定する新講座をスタートさせます。その佐藤さんは今、農家の人に朝市・直売所の売上げのうちのいくらかを、地域のために、若者のために使ってはどうかと提案しています。たとえば6億円の1%は600万円です。それをこの地域で農業をやってみたいという若者1人当たり月5万円の研修費に使ってはどうかということです。預かった農家には3万円、研修生本人に2万円。1人1年60万円ですので、全体では10人の研修生を受け入れることができます。10年なら100人です。全員が全員残らないにしても、少なくともその地域のファンができるじゃないかと。

 NPO地球緑化センターというところがすでに13年続けている制度で「緑のふるさと協力隊」というのもあります。全国40町村くらいの過疎地域に若者を1年間派遣する制度で、これも1人1カ月5万円。その代わり自治体が、住む家と車を提供します。大学を休学したり、会社員や公務員を辞めたりして行く若者が、1年の派遣期間を終えて残る率が55%。「100万人のふるさと回帰運動」なんてありますが、いきなり「100万人」なんて言わずに「うちの直売所だったら、10人はOK」「うちは3億円だから、5人」みたいに、できることをできるところから始めたほうがよいのではないかと思います。

 ということで、今年はどういう年なのか、一緒に「希望は、戦争」ではなく、「希望は土と平和」の年にしていこうではありませんか、というお話をさせていただきました。ご静聴まことにありがとうございました。

2007年1月18日

雪の板谷峠・4半世紀前

2001年1月、雪の新大久保駅で、酔って線路に落ちた若者を助けようとした韓国人留学生が、電車にはねられて亡くなるという事件が起きた。このとき、ふと思い出したのがそれから20年ほど前に撮った2枚の写真。

新幹線のない当時は、福島や山形に行くのにすら、もっぱら夜行の急行、しかも寝台ではなく普通座席に座って行っており、この写真は明け方の奥羽本線「板谷駅」か「峠駅」で撮ったもの。スイッチバックで列車が止まった際、夜通し座りっぱなしでこりかたまったからだをほぐそうと雪のホームに下りてみると、先に下りていた少女に、駅員が小さな雪玉をつくって渡すところだった。

itaya1.jpg

少女「おじさん、この雪(玉)持って行っていい?」

駅員「いいよ。それだけじゃなくて、ここいらの雪、ぜーんぶ持って行きなよ」

itaya2.jpg

JRではなく、国鉄のころ。当時、無人駅以外は、どんな山奥の駅でも発着時にはホームに駅員がいたように思う。映画「ぽっぽや」のように、たとえ駅長ひとりの駅も、まちの駅も、田舎の駅も。

新大久保駅の事件をモデルに、新しい映画も制作されたようだが、韓国人留学生の自己犠牲に対する感謝と畏敬の念を忘れてはならないが、一昨年の福知山線事故、羽越線余目鉄橋事故を引き起こしたJRのコスト重視・安全軽視体質への監視もまた、日本人として忘れてはならないと思う。

Profile

甲斐良治(かい・りょうじ)

-----<経歴>-----

1955年宮崎県生まれ。
九州大学経済学部卒。
社団法人・農山漁村文化協会(農文協)「増刊現代農業」編集主幹。
『定年帰農 6万人の人生二毛作』『田園住宅 建てる借りる通う住まう』『田園就職 これからは田舎の仕事が面白い』『帰農時代 むらの元気で「不況」を超える』の「帰農4部作」で、1999年農業ジャーナリスト賞受賞。
その後も『青年帰農』『団塊の帰農』『若者はなぜ、農山村に向かうのか』などの「帰農シリーズ」で新しい農的生き方を追究するとともに、「地元学」(ないものねだりではなく、あるもの探し)による各地の地域づくりにかかわる。
都市と農山漁村の共生・対流推進会議運営委員、100万人のふるさと回帰支援センター・里山帰農塾講師。
建築家・石山修武氏、民俗研究家・結城登美雄氏と「21世紀型農村研究会」05年に結成。

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