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2006年12月28日

憎悪社会化を阻止したい

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今年最後の投稿です。

「ざ・こもんず」忘年会でのご挨拶でお話させていただいたことと同じなのですが、07年への決意表明に変えて、ここに記させていただきます。

最近の私の関心は、「食と農」よりむしろ「都市における労働」にあります。その発端は、この1~2年、熊本・水俣、宮崎・高千穂、千葉・鴨川、新潟・上越、宮城・鳴子など、全国の農山村で都市から移り住んできたり通ったりしている若者に出会うことが多く、その年代が圧倒的に30歳前後であることに気づいたことでした。そして、彼ら・彼女らの世代が、私たちオジサン・オバサンとはまったく異なる労働の環境におかれていることに気づかされました。

彼ら・彼女らが社会に出たのは90年代半ば。「雇用のポートフォリオ」なる方針のもと、経団連が「雇用の柔軟化」、すなわち「終身雇用・年功序列」システムの終焉を宣言したころでした。その結果、生み出された「非正規雇用」層が、前回このコーナーでご紹介したような「安定正規雇用層」へのルサンチマンを募らせています。

来年はまた、年金支給開始年齢の引き上げにともなう「定年後再雇用制度」がスタートする年です。これまでの3分の1から5分の1の安い賃金でも、「何もしないよりはマシ」と働き続ける層が生まれます。

つまり、労働力市場においては安定正規雇用であっても、「定年後再雇用」層と、「若年非正規雇用」層に挟撃され、コスト競争を余儀なくされます。その象徴が、一定以上の年収以上は、勤務時間をある程度自由化する換わりに残業代ゼロとなる「ホワイトカラーエグゼンプション」制度の導入でしょう。

まるで「蜘蛛の糸」のような憎悪社会、ルサンチマン社会の出現が予想されます。ヘタしたら戦争待望の風潮さえ引き起こしかねない(もうすでに起きている?)社会の出現を阻止しなければならないと思います。

それを阻止するのは、けして「終身雇用・年功序列」システムに戻ることではないと思います。

憎悪社会、ルサンチマン社会の出現を阻止するものは何か。90年代、農産物市場自由化の中、農村オヤジたちがヤケになって「戦争待望論」さえ口走っているさなか、農村女性・高齢者たちは、朝市・直売所をつぎつぎに開設し、地域資源と結びつくことによって市場化でも戦争でもないまったく別の活路を切り拓きました。市場ではなく、自然との結びつきが活路を開いたのだと思います。

いま、その女性・高齢者が切り拓いた活路をたどりつつ、労働力市場自由化の中、若者たちの間に「戦争待望論」が現れる一方で、別の新たな可能性を切り拓きつつあるのが農山村に向かった若者たちであると思います。

農村女性・高齢者、そして農山村に向かった若者たちが切り拓きつつある世界は、日本の、世界の、憎悪社会化、ルサンチマン社会化を阻止する力となることを、07年、私の微力をつくして明らかにしたいと考えています。

この1年、ありがとうございました。07年もまた、よろしくお願い申し上げます。

2006年12月20日

「希望は、戦争。」という「うめき」

12月17日の宮崎学さんの「突破者の独り言」――「歴史観をめぐって(其の三)」に、沖縄県知事選についてこんな記述があった。

>私は、沖縄の失業者たちが最後まで平和理念を唱える人たちを自分たちと同じ苦しみを持つ側の人間だと思えなかったのではないかと思う。

>つまり、失業者たちは革新側の運動を行っている人々を生活安定者として捉えたのである。

私は沖縄県知事選については、必ずしもそうは思わないが、むしろ都市のフリーターが「平和理念を唱える人は、自分と同じ苦しみを持つ側の人間ではない」「革新側は生活安定者」ととらえているという論文(?)が朝日新聞社の『論座』1月号「現代の貧困――困窮する若者と貧困ビジネスの実態」に掲載されている。

問題の論文は「『丸山真男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」31歳フリーターは筆者・赤木智弘氏自身であり、北関東在住。「結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている」。

彼は、こう言う。

「平和な社会を目指すという、一見きわめて穏当で良識的なスローガンは、その実、社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会の達成を目指しているように思えてならない。このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル世代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、『右傾化』であると見ている」

「なぜ左傾勢力は彼らに手を差し伸べないのか。若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に『労働者の権利を奪い取って、おれたちに分けてくれ』と期待してしまうのだ」

そして、こうも。

「平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である」

ずっと前、こんな「うめき」をどこかで耳にしたことがあった。記憶をたぐると、80年代の農村だった。世の中はバブルに向かう時期、農産物価格は低迷、マスコミは地形狭小で零細農家ばかりの日本なんてそもそも農業に向いていないと「日本農業不要論」さえ煽った。当時は公共事業も少なく、農家のおやじたちには閉塞感の中で「このままでは戦争しかないんじゃないか」とつぶやく者もいた。読んではいないが、87年には『荒れた農村から戦争の足音が聞こえる』(薄井清・御茶の水書房)という本も出た。

「農業不要論」の閉塞感の中の「希望は、戦争」。いまは「若者不要論」の閉塞感の中の「希望は、戦争」と言うべきか。

だが、80年代農村おやじたちの「うめき」は、今日を生きなければならない女たちの「90年代生活革命」によっていつの間にか聞こえなくなった。農地はたしかに狭小かもしれないが、四季折々の山川海のめぐみを生かした「農村らしい暮らし」の豊かさを朝市、直売所で地域や都市の住民にも分けられるようになった。前回書いたように、「地域資源の国民的利用」の道筋を開くことで、新しい農村生活の「希望」を示したのは女たちだった。

そしていま、「希望は、戦争」と言う都市フリーターの赤木氏とちがって、農山村に向かった同世代の若者たちは、「農山村の暮らしに学んで仕事をつくる」を合言葉に、農的ライフスタイル起業をつぎつぎに立ち上げている。前回の「NPOかみえちご山里ファン倶楽部」「NPOえがおつなげて」だけではない。京都の大学の150坪の小さな農園で出会い、北海道上川町の2ヘクタールの畑で来年から農的新生活をはじめる「かむつみ」の3人の若者たち(「かむつみ」とは、神様の果実・桃の意)。

「金銭は、社会生活のツールであって、それ以上のものではありません。しかし『他人よりも多く』と貪るために、この世の中は相も変わらず弱肉強食です。最近の言葉で言うなら『勝ち組・負け組』ですが、そういう原始的な価値観に突っつき回されるのはご免です」

彼らの基本的な活動の方針は以下の3点。

一、今後10年かけて栽培作物の自家採取を行ない、上川の風土にもっとも適した、オリジナル品種を作り出す。
二、地場産の農産物を使った加工品の開発。
三、過度な消費社会の中で失われかけている、あらゆる有用な生活技術を収集、整理し、現代の暮らしの中に息づかせる。

若者たちは、どんな「地域資源の国民的利用」の道筋を開き、どんな希望を指し示してくれるだろうか。私は、彼らにどこまでもついていきたいと思っている。

2006年12月15日

若者たちの農的ライフスタイル起業

今日のお昼は九州在住の森千鶴子さん、農文協の新雑誌「うかたま」編集者のナカタと会食。
森さんは「増刊現代農業」の常連執筆者であるのだが、福岡県宗像市の実家(イチゴ農家)と、大分県日田市旧中津江村(Wカップのときのカメルーンキャンプで有名)の廃校活用施設を行き来しながら「森の新聞社」を主宰し、宮城県宮崎町に端を発した「食の文化祭」「家庭料理大集合」を九州各地や島根県、広島県にまで広げた「伝道者」でもある(6年ほど前、宮崎町で開かれた「食の文化祭」を貯まったマイレージで学びに行って以来)。

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左から3人目が森さん。その右は『スローフードな人生』のノンフィクション作家・島村菜津さん。昨年11月の「高千穂の家庭料理大集合」で

その森さんが、「森の新聞社文化事業」としてスタートさせたのが、「暮らしの学校」。詳しくは彼女のブログ「森の新聞」をご覧いただきたいが、各地の伝承料理、伝承生活技術を農家のばあちゃん、じいちゃん先生から学ぼうというもので、都市生活の女性と現地の子育て世代や若者が生徒。ただ学ぶだけでなく、「味は、いくら聞き取り、書き残しても、作って食べないと伝承されない」ので、食べものならばいっしょに台所に立って作るということが必須。

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2003年大分県竹田市「竹田の家庭料理大集合」

「いっしょに作る」ことを必須としたのは、彼女がこれまで取材したばあちゃんたちの中にもそろそろ他界される方々が出てきて、そのばあちゃんたちに取材した料理を作ってみようとしたができなかったこと。その第一回を私の郷里でもある宮崎県高千穂町でフリーペーパー「5(ファイブ)」を作っている20~30代の若者たちと開催し、「森の新聞」で発表したところ、「私も参加したい」「こんな料理を習いたい」とのコメントがつぎつぎ。そのほとんどが母親となったばかりか、これからなろうという都市の女性たち。


経験のない私にはわからないのだが(アタリマエ!)、妊娠・出産を経験すると女性の食の嗜好は和食や伝統食へと激変するようで、現にこの世代を読者対象にした「うかたま」最新号「雑穀はおいしい」は、売れ行きゼッコーチョーである(ちなみに昨年の「うかたま」創刊号の表紙写真モデルは、故・藤本敏夫さん、加藤登紀子さんにとっては孫にあたる和麻くんを宿していたシンガーのYaeさん)。

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ちなみに、「うかたま」の編集は20代~30代の女性ばかり。甲斐をはじめとするオジサンの介入はまったく排除されていて、そんな世代が「おばあちゃんのおやつ」や「雑穀」を特集し、それがまた同世代に支持されて売れ行き好調というのだから世の中は暗い話ばかりではない(次号の特集は「摘み草」とのこと)。

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話は脱線したが、「いっしょに台所に立たなければ食の伝承はできない」を農村生活全般に拡大し、事業化したのが新潟県上越市の「NPOかみえちご山里ファン倶楽部」や山梨県北杜市の「NPOえがおつなげて」。詳しくは彼らのHPやこちらをご覧いただきたいが、多くは30歳前後のこの世代に共通しているのは農山村の伝承料理や伝承生活技術を文字や映像に記録するだけでは満足せず、まずは「いっしょに作る」ことで自らの身体に記録し、伝承しようとしていること。それがまたそこそこ彼らの収入源にもなっていて、「農山村の暮らしに学んで仕事をつくる」が合言葉である。農山村の暮らしに学んで伝承することが、半農半XYZのXにもYにもZにもなる時代なのだ。ただ伝承するだけではなく、「NPO九州バイオマスフォーラム」における阿蘇・大草原の草資源バイオマス利用のように、脱石油・地域自立のためのエネルギー開発をX仕事にしている若者たちもいる。

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「第1回日本フリーター団塊フェア」の「囲炉裏端座談会」で語り合う「かみえちご」と「えがおつなげて」の若者たち(1月9日、東京大学弥生講堂)

そうした若者たちの活躍を見ていて、思い出す一冊の本がある。プラザ合意、前川レポートや行革審答申が出され、大前研一氏や竹村健一氏がまことしやかに「日本農業不要論」を語り、世の中が挙げてバブルに向かっていたとき、そうした論調、風潮と対峙するために農文協が総力を挙げて発行した「食糧・農業問題全集」(全20巻)の中の『地域資源の国民的利用』(永田恵十郎著)である。地域資源の利用・管理問題には「農村と都市の差をこえて、人間の全面的発達を支える、より豊かな生活の創出という国民的課題を解く解がかくされている」という一節は、いままさに人間を部品化する企業社会に見切りをつけ、農村空間のありとあらゆる資源と文化を活用し、「農的ライフスタイル起業」によってその「解」を得ようとしている若者たちの姿と重なる。

「ある山村住民の日本自然観と地場産業論」で取り上げられている落合喬氏は、「自分のあしもとをみつめなおす百姓をふやしたい」と語る島根県邑智町の邑智物産協同組合組合長。「地域固有の資源の利活用に基礎をおいた産業こそが本当の地場産業の基本である」という信念の源は、「来たれ!満蒙、我らが新天地」のスローガンを信じてわずか13歳で大陸に渡り、地下1m半まで凍結する厳しい自然と苦闘した体験である。

「日本農業不要論」の80年代後半以降、農村が自ら元気を取り戻すきっかけとなった「生活革命」。朝市、直売所、クラインガルテン、グリーンツーリズム、定年帰農、地元学などの「新生事物」はすべて「地域資源の国民的活用」であり、農村から都市へのライフスタイル転換――自然と調和した暮らしへの転換への提案である。「90年代からは、農山漁村から都市生活者への明確な呼びかけが起こった。それは、生活革命といっても良いくらいの農山漁村の変化である。新しい農山漁村での生き方の誕生といってもよい。一方的に都市の暮らしがよいものであり、農山村のそれは遅れている、田舎くさいものだという卑屈さのような感覚が支配していたものが、新しい生き方を都市の人々に提案するまで変化したのである。そして、その提案が都市の一部の人たちに受け入れられ大きな潮流となった」(富田祥之亮「むらの生活革命――暮らしの都市化」『都市の暮らしの民俗学1 都市とふるさと』吉川弘文館、2006)。

「国際化時代にふさわしい農業政策の推進」を謳い、「育成すべき担い手に焦点を当てて施策の集中・重点化を図るとともに、価格政策についても、市場メカニズムを一層活用し、構造政策の推進を積極的に促進・助長する方向でその見直し・合理化を図るべきである」とした「前川レポート」から20年。所得保証の対象となる農家の規模を、都府県の個別経営で4ヘクタール以上、北海道は10ヘクタールとし、また、個別ではその規模に達しない場合に村単位で共同で20ヘクタール以上の「集落営農」を行なえば対象とするという具合に面積的規模拡大のみを「近代化」とする来年からの「農政改革」。

だが、この20年のあいだに、農村の女性、高齢者、そして農村にふみとどまった団塊世代に元気をもたらし、いままた都市の若者を迎え入れているのは断じて農業生産に特化した近代化農業ではなく、文化をも含む農村空間全体の地域資源と結合した暮らし―農的ライフスタイルそのものである。

評論家・内橋克人氏は人口530万人のデンマークでは年間1万7000の起業があり、日本ならば30万に相当するが、現実には7000しかないことが問題だと言っている。日本の起業をデンマーク並みにするのは、若者たちの「農的ライフスタイル起業」ではないかと思う。ちなみに「増刊現代農業」次号『農的生活革命――「つくる暮らし」をはじめよう』(仮題)では、「森の新聞社」森さんに、高千穂町の「5(ファイブ)」の20~30代の若者たちの各人各様の「農的ライフスタイル起業」について報告してもらう予定である。

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「ファイブ」の若者たち

2006年12月14日

複数の名刺や肩書きをもつ「新・遊牧民」

前回(12月2日)、この欄に、滞在期間の長短を問わず、むしろ自分の生き方の拠点は農村にあると考え、正社員だろうが派遣社員であろうが、都市での仕事は「出稼ぎ」ととらえる「新・出稼ぎ暮らし」について書いたが、鴨川自然王国のホームページに王国内T&T研究所の田中正治さんのレポート「都市若者の最先端は”非営利・非所有”」「半農半XYZ・脱都会する青年群像」「遊牧民ネットワークとしての田舎ぐらし」がアップされていて、これが面白い!

田中さんは王国のスタッフや、里山帰農塾に集まってくる若者のみならず、鴨川を拠点に「半農半XYZ」の暮らしを実現している若者たちの観察から、「もちろん、田舎に”ひきこもる”ことはない。多くの都会からの移住者は、都市とのネットワーキングを縦軸に生計を立てている場合が多いのであるから、都市と農山村を自由に往還する、”遊牧民的ライフスタイル”がむしろトレンディーだと思う。自由と世界の可能性を羽ばたかせるところに人生の面白さがあるのだから」と書いている。

「新・出稼ぎ暮らし」より「新・遊牧民」の方がよっぽどしゃれているなあ、なんて思っていたら、あることに気がついた。最近の若者、とくに「食と農」に関心をもつ若者と会うと、何種類かの名刺を差し出されることが多いのだ。先週日曜日の東京ハチミツ倶楽部「蜜会2006ファイナルイベントセミナー・ミツバチを育てながら」で会った二人はそれぞれの勤務先の名刺のほかに「NPO菜の花プロジェクトネットワーク 東京ブランチ」の名刺を差し出した。ゲストスピーカーの小林キユウさんの名刺は1枚だが、名前の上に「写真家にして養蜂家」とある。

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小林さんは銀行員や新聞社勤めを経て、写真家になった人だが、写真の仕事でパリのアパルトマンやニュージーランドでも、みな室内でミツバチを飼っていることを知り、東京のマンションの室内での養蜂をはじめたが、飛び回るミツバチにさすがにヤバイと感じ、信州の伯父さんの果樹園に「疎開」させて、自らは毎週のように通う生活に。パートナーの渡辺ゆきさんとの近著は『ハチミツレシピ。ミツバチを育てながら』(主婦と生活社)。今年生まれた赤ちゃんの名前はなんと「れんげちゃん」! レンゲはいま、貴重な蜜源植物なのだ。会場には、東京の現役高校生にして養蜂家の通称「ハッチくん」も。高校3年生の彼は、来年、東京農大に進学し、師匠の藤原誠太さんのような養蜂家をめざすという(永田町や銀座での出張養蜂で有名になった藤原さんの経歴もめちゃくちゃユニークなのだが、それについては「増刊現代農業」2004年8月号『おとなのための食育入門』やこちらをどうぞ)。

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経団連や米国主導の「雇用の流動化」により、部品化される若者たち。だが、その部品化を逆手にとって、「新・出稼ぎ暮らし」や「新・遊牧民」となったり、都会でも食と農にかかわるNPOを立ち上げて「ひとりの人間」としての全体性を取り戻す新しい仕事と暮らしのありようを創造しつつある若者たちがこのところ急増していると感じていたら、そうした若者たちが、来年11月11日を「土の日」として「土と平和の祭典」を開催したいと相談をもちかけてきた(詳細後日発表、乞ご期待)。

またまた昨日は11月の鴨川自然王国に関西から参加した大学4年の西園寺蘭子さんからメール(なんちゅうペンネーム)。

> 甲斐さん寒さが厳しくなってきましたがいかがお過ごしですか?
>
> 私は鴨川から帰ってきてから、自分の今までの生活がすべて消費で成り立っていたことに気づき、大きな変化がありました。考えてみれば食べることというのは素晴らしい創造行為であるのに、都会の中で生活していると食べる=消費になりがちです。今まで忙しいを理由にあまり料理をしなかった私が毎日自炊、今年はおせちまで作ろうとしているなんて鴨川効果は予想以上のものになりそうです。

「食べるということは素晴らしい創造行為」! なんと素晴らしい気づきであることか! そう。農だけでなく、食―台所や食卓も「全体性回復」の場なのだ。鴨川自然王国代表理事でありNPO大山千枚田保存会会長の酪農家・石田三示さんは、帰農塾の修了式の際、きまって「帰農塾の目的はけっしてみなさんに農家になれということではありません」と話す。こんな「気づき」こそが帰農塾の目的なのだと思う。

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里山帰農塾・炭焼き

卒業後は、就職が決まっている不動産会社で「祝祭空間のあるまちづくり」をしたいと言う西園寺さん。同テーマの卒論に何か参考になる文献は? と聞かれて迷わずすすめたのが5月6日の「食と農の底力」でもご紹介した故・米原万里さんの『旅行者の朝食』。「経済ではなく、祝祭。労働ではなく、助け合い」が人々のモチベーションの源であったロシア農村の豊かさを描いた一文だ。

こんな若者たちに、まだまだ日本も捨てたものじゃない、とオジサンは深く感動の毎日である。

(と書き終わったところで、今日NHKテレビの18時台のニュースで「はちみつヌーボーパーティ」の放送があることを思い出した! トホホ、見逃してしまった……)

2006年12月 2日

新出稼ぎ暮らし

昨日書いた「派遣社員の癒やしとしての農作業体験」のことだが、逆にこんなことは考えられないだろうか。

つまり、滞在期間の長短を問わず、むしろ自分の生き方の拠点は農村にあると考え、正社員だろうが派遣社員であろうが、都市での仕事は「出稼ぎ」ととらえるのである。

これまでここで書いてきたことを大雑把にふり返ってみると、戦後、学校教育再生のなすすべのなさに国会で文部官僚が号泣するしかなかったころ、農山漁村の人びとが自前で建てた学校で教育を受けた「団塊の世代」は、年功序列・終身雇用などの「擬似共同体的性格」によって都市へ、企業へと奪われた。しかし、そのジュニアの世代が社会に出るころ、企業は「擬似共同体」であることを放棄し、正社員であれ、派遣・契約社員であれ、都市においては「食の不安、労働の崩壊、身体の悲鳴」にさいなまれることになる。

そうした中で、一筋の光明を示しているのは、「農山村に向かった若者たち」である。彼らの多くは「よい学校を出ても、よい就職口のなかった私たち。でも、私たちにははじめから『年功序列・終身雇用』という観念もなかった」と言い、農村においても「半農半X」どころか、「半農半XYZ……」の暮らしをして、「擬似」ではなく「ほんもの」の共同体の中で役割を果たしている。

そういえば、高野孟さんも、以前から、「鴨川にしても帯広にしても、そこに自然と触れあう活動の拠点があって、その周辺で暮らす地元の人々がいて交流や友情が生まれる。行くのは月に1度であったり年に数度であったりするとはいえ、そこではわれわれは単なるお客さんなのではなくて、臨時ではあるが定期的にそこに住まう生活者なのである」として、「生活空間の多重化」「アイデンティティの多重化」を言っておられるし、藤本敏夫さんも「いま流行りのワークシェアリングは不況に対する緊急避難型で、ていのいいリストラ。そうではなく、多様就労型ワークシェアリングというか、いろんな働き方を容認するかたちをとれないか」と言っておられた。

たまに農村に「癒しに行く」ではなく、自分や家族のアイデンティティの根拠は「ほんものの共同体」である農村にあり(農村でなくても「居場所」感覚が感じられる場所ならどこでもよい)、そこから都市や企業へは「出稼ぎに行く」――そんなライフスタイルなら、「癒やしビジネス」の餌食になることもない――これから少し、そんなライフスタイルの若者もご紹介していきたい。

2006年12月 1日

派遣社員に癒しの場を?

タウンミーティングの広告代理店丸投げもあきれたものだ。どうしてお役人はこうも「民間」や「企業」に弱いのだろうか?

農業関係の「インターンシップ」や「再チャレンジ」にも似た例があるのではないかと思って調べていたら、「丸投げ」とは違うが、某人材派遣企業のプレスリリースにこんなものがあるのを見つけてしまった。

「●●●(社名)派遣登録スタッフに“癒やし”の場を提供する『収穫祭』」――「当日は、派遣登録スタッフと社員はもちろん、参加者に家族や友人を連れてきていただき、農作物の収穫や収穫した農作物を使った料理作りなどを楽しんで頂きます。●●●では、こうした農業体験を派遣登録スタッフの福利厚生として活用し、農村及び農業の“魅力”や自然に囲まれた環境で農作物を育てる“癒やし”を参加者に感じていただくため実施いたします」

「福利厚生」なら当然、ただだろうと思ってみていたら、「会費3000円」、しかも収穫体験以外の「農産加工」「温泉入浴」は「別途料金」とあり、それ以外の選択肢は「海岸散策」しかない。

派遣先の企業には「福利厚生費がかからない」ことをメリットとして登録社員を派遣し、「“癒やし”を求める」社員からはカネを取って農作業をさせる。いまはこんなことがまかり通る時代なのだろうか?

しかも、その農場は官製談合で先日知事が逮捕された某県にあり、昨年12月の某県のリリースには「知事と●●●社長が農場構想実現への取り組みについて発表しました。この農場構想は、『企業と地域の協働活動による新たな農村づくり』のことです」とあった。

自然と労働についての思索を続ける哲学者・内山節氏は、以前、「明治以降、とくに戦後、企業は農村共同体から労働力を引きはがすために終身雇用制、年功序列型賃金、企業内福利制度などの擬似共同体的性格を強めたが、いまでは、労働力が農村からではなく、都市の子弟から確保される時代を迎えたがゆえに、企業はつくりあげた擬似共同体的性格を、捨てはじめた」というようなことを述べていた。

だが、人間は基本的に人との共同や、自然・労働・身体の調和を求める生き物である、と私は思う。「派遣労働」というものでそれを奪い去り、求めるならば新たにカネを払えというのは、人間否定であると同時に、企業社会自身の「自己否定」なのではないかと思う。

Profile

甲斐良治(かい・りょうじ)

-----<経歴>-----

1955年宮崎県生まれ。
九州大学経済学部卒。
社団法人・農山漁村文化協会(農文協)「増刊現代農業」編集主幹。
『定年帰農 6万人の人生二毛作』『田園住宅 建てる借りる通う住まう』『田園就職 これからは田舎の仕事が面白い』『帰農時代 むらの元気で「不況」を超える』の「帰農4部作」で、1999年農業ジャーナリスト賞受賞。
その後も『青年帰農』『団塊の帰農』『若者はなぜ、農山村に向かうのか』などの「帰農シリーズ」で新しい農的生き方を追究するとともに、「地元学」(ないものねだりではなく、あるもの探し)による各地の地域づくりにかかわる。
都市と農山漁村の共生・対流推進会議運営委員、100万人のふるさと回帰支援センター・里山帰農塾講師。
建築家・石山修武氏、民俗研究家・結城登美雄氏と「21世紀型農村研究会」05年に結成。

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