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2006年6月15日

テレビ放映のお知らせ

 今度の日曜日(18日)朝、「若者はなぜ、農山村に向かうのか」および「自然・身体・労働の調和」を考えるうえで、注目のテレビ番組が二本あります。早起きの方はぜひご覧ください。

▼日本テレビ系 午前6:30~6:45

新ニッポン探検隊!
「“365日の山村活動”緑のふるさと協力隊」

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(以下番宣より)
現在高齢化が進み、過疎化が深刻な問題となっている農山漁村。一方、都会では自分自身の生き方に悩む若者達も増えている。そこで今回は過疎に悩む山村に移り住み、都会では出来ない農林業体験や地元の人々との交流を通じて自らの生き方を見つめ直そうとする若者たちを探検します!

新ニッポン探検隊 放送局・放送時間一覧


▼NHK総合 午前10:05~10:55

にっぽん再発見 ハイビジョンふるさと発
「干潟の伝統漁法を撮り続けて~有明海に生きるカメラマンの物語~」

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有明海の伝統漁を失われる前に記録しておきたいと、19年にわたり映画を作り続けてきたカメラマンの岩永勝敏さん。今回50以上の漁を撮り、4作目を制作する姿を追った。

今記録しなければ伝統漁は消えてしまう。長崎県諫早市のカメラマン、岩永勝敏さんは2005年から有明海の映画を作り始めた。岩永さんが故郷・有明海の伝統漁を撮り始めたのは19年前。干拓事業が始まると聞いてからだ。それから映画を3本制作。しかし諌早湾の閉め切りとともに中断。辛くて海を目にできなくなったのだ。このままでは伝統漁は消えてしまうと7年ぶりに撮影を始めた。4作目を完成させたカメラマンの姿を追った。

岩永さんの「イワプロ」ホームページ

2006年6月12日

「遊び仕事」の「ビジネスモデル」(その2)

 6月3日夜、「地方に帰りたいけど帰れない若者」のための「ビジネスモデル」づくりにチャレンジしたいと考えている伊藤洋志くんが農文協に訪ねてきた。昨年4月に入ったばかりの出版社を辞めた理由を聞くと、またオモシロイ答えがかえってきた。修士論文作成のために借りた旅の資金を返し終えた以外に、ふたつの「所期の目的」を果たせたからだと言う。

 そのひとつは、その出版社でまかされた、新しい医療技術者のための雑誌づくりを軌道に乗せることができたこと。彼によると、いまの若者の離職率の高さは、きちんとした取材をせずにいいことばかりしか書かない就職情報誌にも責任があるという。入ってみたら「こんなはずではなかった」と、失望して辞めることが多いのだそうだ。「きちんと取材した就職情報誌」で求人・求職のミスマッチを減らしたい――その情報誌をつくるという目的が一応果たせた。

 もうひとつの「所期の目的」は「ちょっと戦略的だったんですが」と前置きしてこんなことを語った。

「いっぺん、農業とか環境とかについて何も考えることなく日々を過ごしているサラリーマンを経験してみるのもいいかと思ったんです。いまの時代、大多数がそうだから。経験してみると、よくも悪くも時間が単純に埋め尽くされている。それを経験してみて、なぜサラリーマンが、ノウハウや、スキルや、ツールのようなものを外部に求めたくなるかよくわかった。人間関係の構築までノウハウ化されてしまって、一泊10万円もするような『自己啓発』セミナーなんかに行っている。そんなセミナーに大金を払うんだったら、農山村で自分のからだを動かして、さまざまな体験をするほうが、よっぽど価値があると自信をもって言えるようになった」(仕事関係の自己啓発セミナーだけでなく、健康関係のセミナーもまた、健康のノウハウ、スキル、ツールを外部に求めようとするものだろう)

 伊藤くんの修論作成のための短期見習い滞在先のひとつが西表島の染織工房・紅露(くーる)工房。そこでは、自然の草木で染めた色を定着させるのに、海水と淡水が入り混じった汽水域での「海さらし」という工程を、いまも守っている。

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伊藤洋志くん提供

 「『海さらし』というんです。八重山の島々に伝わっていたのに、今は定着材を使うようになり、ほとんど途絶えてしまった。汽水にさらすことがなぜ布にいいのかは、学術的にはまだ十分に研究されていませんけど、何といっても気持ちいい。それが一番いい仕事のあり方です。これができる環境を大事にしたい」(石垣昭子さん。5月6日東京新聞「異端の肖像」

 農山村でからだを動かし、さまざまな体験をすることで、「何といっても気持ちいい。それが一番いい仕事のあり方です」といった、自然・身体・労働が調和する感覚を取り戻す場を提供することが、「地方に帰りたいけど帰れない若者」のための「ビジネスモデル」になりうるのではないか――伊藤くんはそう考えているようだ。

 伊藤くんが訪ねてくる少し前には、熊本県菊池市のNPO法人「きらり水源村」事務局長の小林和彦くんから電話があった。かねて公募していた「きくちふるさと交流館」の支配人が決まったとのこと。

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森千鶴子さん提供

「ふるさと交流館」は、2000年に閉校になった菊池東中学校の木造校舎を生かした都市農村交流施設で、集落が農水省などの補助事業を活用して宿泊・入浴・食事施設を整備、その支配人を募集していたのだ。小林くんは32歳。國學院大学を卒業後、1年半の海外体験、国際ワークキャンプNPOの職員などを経て、「きらり水源村」に。一方で、13倍の競争の結果、新たに採用された支配人は53歳。東京のJTを退職後、パートナーの出身地である熊本県での再就職先を探していて「水源村」を知ったのだという。

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同上

 小林くんは「増刊現代農業」昨年8月号『若者はなぜ、農山村に向かうのか』で、こんなことを話していた。

「お金になるならないにかかわらず、集落にはたくさんの仕事がある。それは、人と暮らしと自然がしっかりと結びついた仕事です。いま、僕らの世代と集落にいる人びととで、子どもたちの居場所、そしてやがて帰る人びとの居場所をしっかりつくっています。先輩方が都市で培ってきた力を僕らの力と合わせて、山の力に、里の力にしていきましょう」

 6月5日は、熊本県天草市の離島・御所浦をフィールドにする旅するアーティスト集団l「またたび」のメンバーと赤坂の喫茶店で会う。楊英美さんは東京芸大の卒業生、野原大介くんは多摩美の卒業生、小室勇樹くんは東京農大に、地主麻衣子さんは多摩美に在学中だ。熊本空港からバスで3時間、船で1時間もかかる御所浦に足しげく通うのは、「子どもたちが育つ環境としての島」について惹かれたから。島の豊かな文化が、お年寄りから子どもたちに引き継がれていくよう、一昨年から「夏休み 島まるごとワークショップ」を開催したり、東京で島の文化を体感するイベントを開催したりしている。

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 彼らは、6月25日、「ビオアイランドネットワーク」第1回シンポジウム「環境が離島の経済を変える」を、東京湾に浮かぶ廃船の上で開くという。島民、NPO、研究者、芸術家を巻き込んだ、島の環境資源を利用した事業モデルの取り組みで、「離島において環境と経済の両立が可能なのか」を検証したいとのことだ。

 こうした若い人たちに会っていて感じるのは「就職イコール会社員になることではないはずだ」という思い。また、「他人のつくったビジネスモデルに乗っかっているだけでは、いつまでたっても地方に帰りたいけど帰れない若者のためのビジネスモデルはつくれない」というフロンティア精神だ。

 若者はすでに、21世紀のフロンティアは農山漁村にあることを見抜いている!

 ちなみに、前回、大正9年の国勢調査で国民から申告された職業は3万5000種にのぼったという結城登美雄氏の指摘を紹介したが、現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」を調べてみたら、その10分の1以下の2167職種となっていた。

2006年6月 1日

「遊び仕事」の「ビジネスモデル」

 元来私はひねくれているのか、世間が「希望がない」という農山村やそこに暮らす女性や高齢者、フリーターやニートと呼ばれる若者たちに「希望」を見いだすことのほうがよっぽど多い。今日もまた、その若者たちのひとりである伊藤洋志くんから手紙が来た。昨年、京都大学の修士課程を修了し、出版社に勤めたが、すでにそこは辞めてしまったようだ。

 その手紙がなかなかオモシロイので、ご本人の了解を得て、「ざ・こもんず」読者のみなさまにご紹介したい。一緒に送られてきた私への「仕事の提案書」はワープロ打ちだが、この手紙は律儀に手書きである(それを私もリチギに入力し直した)。

(以下引用)

 梅雨の気配も強まってまいりましたが、如何お過ごしで御座いましょうか。

 平素お世話になっております。手仕事文化研究家の伊藤です。先日の銀座での御会食ありがとうございました。

 私はその後、いろいろと作戦を練り、もうしばらく東京にいることに致しました。

 直接の理由は、世田谷のものづくり学校で行なわれているスクーリング・パッドというガッコウに通うためです。せっかく東京に出てきたので、東京での仲間をつくることは大事だと思いました。もうひとつの理由は、わずかな期間ではありますが、失業保険を支給していただけるようなので、この機会に自力で仕事を取り、自営していけるか試したいと考え実行するためです。

 幸い、前職でいっしょに仕事をしたWeb制作会社の方が独立されるので、お客さんの入口としてネットをうまく活用することができそうです。

 私の最近の問題意識としては、戦後から高度成長期を経て、自営業者が激減したことであろうと考えています。それはすなわち、ビジネスモデルの供給不足であろうと考えている次第です。会社員とは、他人のビジネスモデルに乗っかっている存在であると見るならば、高度成長期というのはビジネスの種類を絞って、少ない種類のビジネスに大量に人間を投入したと言えると思います。杉ばかり植えてしまった山々はその象徴的風景と言ってもよいと思います。

 一時期の成長には効率的であるが変化に対応できない。これに苦しんでいるのが現在の状況のように感じています。

 ならば、私はビジネス(生業)の多様性を増やす役目を負いたいと考えている次第です。

(引用終わり)

 なかなかリッパなものではないか。世間なら、「一年やそこらで辞めるなんて。だからいまどきの若者は……」となるところだが、そもそも彼の就職の動機は「修論作成のための旅に使った借金を返すため」。ハナから勤め続ける気なんてなかった。修論は、兵庫県豊岡市の杞柳(こりやなぎ)職人、栃木県日光市の日光下駄職人、そして西表島の染色工房に短期弟子入りして書いた「職人技継承の条件——体験から分かった技を身に付けるのに大事なこと」。論文作成のためなら聞き取りでもよさそうなものだが、彼はちがう(というか、いまの若者の多くに共通することでもあると思うが)。

 「『とにかく自分の手でやってみないことには何も言えない』ということである。なぜなら、手仕事というもの五感を使う。五感は人によって感じ方が違う。ということは、主観がとても大事である。今までは、客観的なことを調べるばかりが研究だと思われていた。でも職人技を少しでも知って、職人技を体得するのに役立たせようと思えば、外部から見るだけではむずかしいのではないか」

 今回、彼が「ビジネス(生業)の多様性を増やす役目を負いたい」と考えたのは、彼自身がそうであるように、「地元に帰りたいけど帰れない」若者のためのビジネスモデルをつくりたいから。手紙にもあるように、「他人のビジネスモデルに乗っかっているだけ」のサラリーマンの増加は、ビジネスモデルを供給できる人材を減少させた。「さらに都市への人材集中の結果、現在生まれているビジネスモデルは都市でしか成立しないビジネスモデルがほとんどである」と企画提案書には書かれていた。

 そういえば、「民俗研究家」を兼業とする「農家」の結城登美雄さんが、「増刊現代農業」2004年2月号にこんなことを書いていた。

 「第一回の国勢調査がはじまった大正9年、国民から申告された職業はじつに3万5000種にのぼったという。この職業の多様さこそが日本の暮らしであり文化の基であった。そしてそのひとつひとつの職業が多彩なネットワークを組み支え合っていた。それにくらべサラリーマン、公務員、医師、教師など現代の職業はなんという狭い場所に追いこまれ、あえいでいることか。これら3万5000種の職業とは、地域の人びとの暮らしの必要に対応して生まれた……」

 前回までの「遊び仕事」に加えて「地方に帰りたいけど帰れない若者」のための「ビジネスモデル」について、これからしばらく考えてみたい。

Profile

甲斐良治(かい・りょうじ)

-----<経歴>-----

1955年宮崎県生まれ。
九州大学経済学部卒。
社団法人・農山漁村文化協会(農文協)「増刊現代農業」編集主幹。
『定年帰農 6万人の人生二毛作』『田園住宅 建てる借りる通う住まう』『田園就職 これからは田舎の仕事が面白い』『帰農時代 むらの元気で「不況」を超える』の「帰農4部作」で、1999年農業ジャーナリスト賞受賞。
その後も『青年帰農』『団塊の帰農』『若者はなぜ、農山村に向かうのか』などの「帰農シリーズ」で新しい農的生き方を追究するとともに、「地元学」(ないものねだりではなく、あるもの探し)による各地の地域づくりにかかわる。
都市と農山漁村の共生・対流推進会議運営委員、100万人のふるさと回帰支援センター・里山帰農塾講師。
建築家・石山修武氏、民俗研究家・結城登美雄氏と「21世紀型農村研究会」05年に結成。

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