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2006年5月25日

安達太良山麓に奇跡のむらを見た!(その2)

 このむらの水路にイワナがすんでいるということは、それだけそのエサとなる昆虫類が多いということでもある。その昆虫類が多いということは、山が豊かだということでもある。

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 Gさんが、むらの入会権を解体し、法人格をもつ森林組合などの管理に移行することに反対したのは、そこに、天然林を伐採させ、スギ、ヒノキの単純林にしてしまおうとする国の意図を感じ取ったからでもある。養蜂家でもあるGさんは、年間を通してさまざまな木の花の咲く天然林があったほうが、ミツバチだけでなく、ほかの昆虫や鳥や獣にとってもよいことを知っていた。

 むらでは、Gさん宅のほかに入会林組合長さん宅、部落会長さん宅にお邪魔したが、どの家でもお茶請けはタラノメやウルイ、ミズなどの山菜類と漬物で、買ったものはほとんどなかった。山が豊かだということは、人の食卓も豊かだということだと思った。

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 またむらの水路にイワナがすむということは、それだけ水が清冽だということだが、それだけ水が冷たいということでもある。イワナがすむ水の温度は一般に15℃以下。一方で、田んぼに入れる水が冷たいと、イネの生育が遅れてしまう。とくに、温まる間もない水口(みなくち)付近は、どうしても実りのない青立ちイネとなってしまう(堰上げのとき水路を覆う草を刈るのは、少しでも田んぼに水が到達するまでに水温を上げておきたいからでもある)。

 むらの田んぼのほとんどは棚田。同じ田んぼでも、1枚当たりの区画が大きければ水口の数は少なくてすむが、小さく分かれた棚田の場合は田んぼのだけ水口の数も、青立ちの面積もふえる。また1枚当たりの区画が小さいということは、それだけあぜ塗り作業もあぜの面積も多いということである(あぜにはイネを植えられないので、かわりに大豆を植えたのが「あぜ豆」)。ある家では、3枚30アールの田んぼが、明治時代には90枚にも分かれていたという。

 このむらでは、イネのためにも、自分たちの作業の軽減のためにも、田んぼ1枚の面積を大きくすることが悲願だった——だが、そこまでは全国のほとんどの農村と同じ——そこからこのむらが違っているのは、田んぼ1枚の面積を大きくすること(「基盤整備」や「土地改良」という)を、国や県の補助事業に頼らず、昭和40年代にむら内の建設業者に頼んで、自前でやったこと。

 いまでも田んぼ1枚の面積は、補助事業で行なわれたひとつ下流のむらの田んぼのほうが大きい。しかし、いま、下流のむらの田んぼの何枚かは、上流のこのむらの農家数戸が請負耕作をしているのだという。補助事業とはいえ、基盤整備の農家の負担金は大きい。それを稼ぎに兼業に出るうち、兼業のほうが本業になってしまったのである。補助事業による農業の「近代化」は農業の存続を困難にさせたが、このむらの「自前の近代化」は、農業を存続させた。

 このむらの人びとは、水のことも、山のことも、田んぼのことも、なんでも「自前」でやってきた。自分たちの生存にかかわることは、「自前」でやることが当たり前だと思ってきたからだ。だから食肉流通センター建設の話が出たとき、かわりに「水道を通してやる」という県の提案はかえって逆効果だった。生存にかかわる水を、たとえおカミとはいえ、他人にゆだねるのは「とんでもない」ことだった。

 今回「あいあいネット」の仲間がこのむらを訪ねたのには、堰上げの参加のほかにもうひとつの目的があった。

 あいあいネットでは、6月、インドネシア・スラウェシ州の山に暮らす人びとを日本に招き、東北、中部地方の山村を回る。その目的は、日本の「入会権」を学ぶこと。

 インドネシアでは、日本の農山漁村の入会権が危機にさらされた明治政府による「官民有区分」とちょうど同じころ、オランダ植民地政府が「国有地宣言」を出し、西欧型の排他的所有権が証明されない土地はすべて国有ということになった。つまりあらゆる国土は国有か私有かしかないということである。日本では、官民有区分に対する激しい抵抗によって、財産区、共有林など、政府の譲歩・妥協の産物ともいうべき制度が生まれ、実質的には入会慣行が認められ、今日に至っているが、インドネシアでは、村人が利用している山が突然、国立公園に指定されたり、開発計画で村人が追い出されるということがいまも起きているという(「増刊現代農業」2005年11月号掲載・島上宗子「未来をひらく入会・寄り合いの原理」に詳しい)。

 インドネシアの山に暮らす人びとを迎え入れていただけるか、むらの人びとに尋ねると、だれもが自信あふれる表情で「山に生きる者同士なら、話はわかるだろう」と快諾していただけた。

「人と自然、人と人を結ぶ民主主義」の象徴である「入会」が、アジアと日本の農山漁村を結びはじめた。

(おわり)

2006年5月24日

安達太良山麓に奇跡のむらを見た!(その1)

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 前回の更新から10日以上がたってしまった。書きたいことはたくさんあったのだが、この間、いろいろなことがありすぎて、おおげさに言えば一種のトランス状態になり、あることを思いついた瞬間には、その数分前に考えていたことがもう思い出せないほどだった(たんに物忘れがひどくなっただけかもしれないが)。

 発端は、5月14日に福島県郡山市I集落の「堰上げ」行事に参加したこと。事前には誘ってくれた「あいあいネット」(いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク)の案内で、

1.年に一回の集落をあげての作業
2.朝8時頃から、集落内のいくつかの堰にわかれて堰上げ
3.そのとき魚を捕まえ、河原で焼いて宴会。2時過ぎに終了
4.堰上げの後は夕方まで各世帯がそれぞれの田んぼに水を引き込む作業

 ということだけわかっていたが、実際に現場に行ってみると、驚きと興奮の連続だった。

 その集落は、新幹線郡山駅から車で1時間足らず。山村ではなく、平野の縁にあって、安達太良山を背後に背負ったような150戸ほどのむら。堰上げとは、田植えにそなえ、取水口から田んぼまでの用水路を共同で整備、清掃すること。ひと言で言えばそれまでなのだが、そこにはいくつもの「日本のむらの底力」を感じさせるものがあった。

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 朝8時半、すでに出発していた本隊を追いかけようと、集落を出ようとしたとき、おじいさん、おばあさんと、孫の女の子が家の前の溝をのぞき込んでいる。溝のごみを上げた後で、そこにいる魚を捕まえるのだと言う。どんな魚がいるの? と聞いて驚いた。なんと「イワナ」だというのだ! 「幻の渓流魚」とも「渓流の王様」とも称され、環境指標としては「もっともよい環境にすむ」とされるイワナが集落の中を流れる溝にいる!

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 興奮しながら上流の取水口「東の堰」に向かうと、すでに水門は閉められ、7〜8人の男たちがバケツやナタ、カマ、ノコギリ、魚網などを手に、まるで自然の沢のように見える用水路を歩いている。そしてときおり、軍手をはめた手を岩の下に突っ込んだり、水たまりの水をバケツでかき出しては、「いたか!」「さわった!」「つかまえた!」「逃がした!」などと、大騒ぎしながら、イワナを手づかみで捕まえている。もっとも興奮していた60代の男性は、2㎞の分担部分を終えて用水から上がったとたん、「水の中では気づかなかったけど、足を痛めていた」と、痛むほうの足を引きずるように道路を歩きはじめた。

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 ときおりは、底にたまった落ち葉をかき出したり、横たわる倒木を切って「仕事」もしているようにも見えるが、これはまず、限りなく「遊び」に近い「遊び仕事」である。しかし、むらの暮らしに必要不可欠な「水」を運んでくれる用水の様子を細部に至るまで、文字通りからだ全体で記憶し、みんなで確認する「遊び仕事」でもある。この堰上げにはむらの全戸から18歳以上65歳まで160人が参加(親子で参加の家も)。用水は集落に入ると灌漑用水としての「背戸川」だけでなく生活用水としての「井戸川」に分かれるので、農家でなくとも全戸が参加することが義務なのだ。

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 義務ではあるけれど、ふだんは郡山市などへの勤めで顔を合わせることも少ない集落の仲間総出の「祭り」でもある。160人は延長10㎞の用水を24班に分かれて堰上げ。作業自体は昼までにほとんど終わり、いったんそれぞれは家に帰って昼食をとるが、2時ころには再び持ち場に帰り、そこで捕ったイワナや肉を焼いて祝杯をあげ、そして本流に土のうを積み(これが本来の「堰上げ」)、水門を開けて用水路に水を流す。昔はこの堰上げの日の後2日間は「神事(かみごと)」と称し、野良仕事を休んで山菜採りなどを楽しみ、「田植え30日は死んだと思え」と言われたほどの重労働にそなえたのだという。
 宴会のとき、むらの役員のひとりが言った。
「堰上げをしなくなったら、このむらはこのむらでなくなる」
 このむらには、共同の労働を通して育まれる共感、いや「共歓」がある。

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 生活用水でもあるこの用水の水利権は土地改良区ではなく、集落(むら)に属している。法人格をもつ土地改良区の場合、ものごとの決め方は「多数決」だが、法人格のないむらの場合は「全員一致」が原則だ。このむらの農林家・養蜂家・そば打ち名人のGさんは、「ひとりでも反対ならばものごとが決められない全員一致の原則は、人間の生存権から来ているのではないか。多数決は人の生き死にを左右する問題にはなじまない」と言う。

 Gさんは営林署員でもあった昭和40年代、「入会林野近代化法」による入会権の法人化(森林組合、株式会社など)に反対し、結果としてこのむらの入会山をまもった人。人間としての最低の生存を支える水や山(燃料)の問題を多数決にゆだねれば、少数派は生存を脅かされる。さらに分割共有でもそれは商品化につながり、その権利がカネのあるむらの外の人間の手に渡ればむら全体の生存も脅かされると言う。子どものころは「学校に行くとアタマが痛くなって、ろくに学校は出ていない」と言うGさんだが、書棚には大学の研究室も及ばないほどの入会権や江戸時代の思想家・安藤昌益などの専門書が並んでいる。Gさんのような「むらの思想」を体現した「野の哲学者」に学ばねばならないことはまだまだ山ほどある。

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 「堰上げ」の昼休みの際、「あいあいネット」の仲間7人で、さらにその上流にある「団結の碑」を見に行った。碑文の書き出しはこうだった。

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——春まだ浅い●●(集落名)には雪が降っていた。
 此の地▲▲(上流の地名)の路上に座り込んだ三百余名の部落民に県警機動隊三百余名がおそいかかった。泣叫ぶ老婆婦女子を含む住民の抗議も空しく権力の前に蹴散らされ、食肉流通センター建設工事が強制着工された。時に昭和五十二年三月二十五日午前十一時二十分、正に戊辰の役で●●が焼打ちされた以来の出来事となった。
 昭和五十年七月、福島県は突然牧場に食肉流通センターを建設すると通告し、国の補助金を理由に住民不在の封建行政で推し進めようとした。これに憤怒した住民は美しい自然と清流を守り住みよい生活環境を後世に残すため、総会の決議を守り、一貫して建設に反対してきたが……

 1975年、福島県が、集落の上流に1日1000頭規模の家畜を処理する食肉流通センターを建設することを通告してきた。建設されれば、朝、顔も洗う生活用水である「井戸川」の水を汚される住民の反対は当然で、それに対し県はおためごかしに上水道の敷設も提案してきたが、イワナ捕りの「堰上げ」の思い出の結晶でもある川と水道とは比較にならない。なにより、県の種畜牧場のあった建設予定地は「使わなくなったら集落に返す」という条件で集落が県に「貸していた」入会地で、それも話が違う。
 世間の目が三里塚に集まっていたその当時、このむらの人びとは最長1カ月に及ぶ現地座り込みやピケ、法廷闘争で、建設通告の2年後、強制着工の3カ月後には建設を白紙撤回させた。騒ぎを聞きつけた学生などむらの外からの支援の申し出は、「目的がちがう」といっさい断った。

 座り込みのときの思い出を、ある農家の女性が楽しそうにふり返る。

 「そのときは、ばあちゃんたちを一番外側にして、その次がヨメさんで、真ん中が男の人たち。ばあちゃんたちが泣き叫ぶと、機動隊もなかなか手が出せないのね。まあ、堆肥を塗りたくったカッパを着てるから、それもあって手をだせなかったというのもあるけど。男の人たちは引っぱられると(連行されると)、意外とモロイから真ん中ね」

「団結の碑」は、こう結ばれている。

——此れは久しく圧殺されていた福島県の住民運動史に輝く金字塔を打ち立てた民主主義の勝利である。郷土の山河が幾久しく譲り継がれることを祈念し、茲に住民の叡知と勇敢な正義の闘いの勝利を記念して団結の碑を建立する。

昭和五十三年三月二十五日
●●部落会 共有林組合 牧野組合 反対同盟 母の会

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(つづく)

2006年5月12日

結城登美雄さん講演会「おとなのための食育入門」のお誘い

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 6月9日、東京・虎ノ門パストラルで結城登美雄さんの講演会が開催されます。

——おとなの食育。それは子どもたちの食育を他者にゆだねるのではなく、自らが食の主体になること。そのためには日本の食の現在がもつきわどさ、危うさを見すえることから出発したい。これまでのような「あさきゆめみし」日々の延長にではなく、もう一度、真摯に「食のいろは」から始めていきたい。断ち切られつつある食の環をつなぎ直し、できうれば土に近い場所で向い合いたい(結城登美雄「おとなのための食育入門」増刊現代農業2004年8月号『おとなのための食育入門 環を断ち切る食から環をつなぐ食へ』掲載より)。

 結城さんとはナニモノなのかを一言で表すのは困難きわまりないのですが、本人が名乗っているのは一応「民俗研究家・農業」。「東北のお地蔵さん」と呼ぶ人もいます。

 10数年前までは東北地方最大の広告代理店の経営者でしたが、思うところあって会社を「散開」。そうして主に東北地方を中心に約600もの小さな村々を訪ね歩き、そこに暮らす人びとの声に耳を傾け、そこに暮らす人びとが「当事者」となって地域をつくる「地元学」を提唱し、さまざまな地域でそこに暮らす人びとに寄り添うように、実践中。

 4年前からは自ら「農の当事者」たるべく、1.5ヘクタールの農地を取得し、夫人、息子さんとともに帰農。

 「地元学」とともに、結城さんが提唱し、広がったのが「食の地元学」とも言うべき「食の文化祭」。農山漁村の男たちや行政が経済文脈で「ここにはなにもない」と嘆きつづけるのを尻目に、「ここにあるもの」でいのちを育てつづけてきた女性たちが、その知恵と技の結晶である「ふだんの食事」を一品ずつ持ち寄り、地域の豊かさを確かめ合い、再出発する催しで、宮城県宮崎町から始まり、この数年で北海道から九州にまで広がり続けています。

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2003年宮崎町「食の文化祭」での高野孟さん、結城さん、浅野史郎宮城県知事(当時)の囲炉裏端鼎談

 昨年は、結城さんの「地元学」と「食の文化祭」が評価され、「芸術選奨・文部科学大臣賞(芸術振興部門)」が授与されました(本人は受賞そのものよりも、同時受賞の都はるみさんに会えたことを大喜びしていましたが)。

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 「地元学」と「食の文化祭」のどこが「芸術振興」なのかはいまもってよくわかりませんが、私などはその第一報に接したとき、彼の「写真」と「話芸」に対しての賞ではないかと思ったほど、感動的な風景を見、心揺さぶられるお話を聞くことができます。ぜひおいでください。
 
《結城登美雄さん講演会「おとなのための食育入門 子どもたちへの食育の前に」》

日時●2006年6月9日(金) 18:00〜19:30
場所●虎ノ門パストラル新館5階「マグノリア」/講演終了後4階「アイリスガーデン」で懇親パーティ
参加費●5000円(パーティ会費含む)当日会場にてお支払いください
申込み締切り●6月5日(月)
申し込み先●株式会社パストラル・ネットワーク事業室
電話:03−5733−7372
FAX:03−5733−7374
※なお、この講演会&パーティは「パストラルHBネットワーク交流会」として開催されるものですが、非会員の参加も歓迎です。

「いいもの少しだけおすそ分け」風土倶楽部のミニ・ショップも出店予定(岩手県室根村産「干しリンゴ」、日本ミツバチの「ハチミツ」、熊本県水俣市産「無農薬緑茶・紅茶」など

2006年5月11日

風水土のしつらい展(大阪・札幌)

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「灰に還り、灰から生まれる、森羅の回生へ。手仕事が生むアジアの生活は美しい」をテーマに、大阪(大丸梅田店)と札幌(大丸札幌店)で、「風水土のしつらい展」が開催されます。

 企画制作は私がひそかに「ジサマ・ビン・ラディン」と呼んで尊敬している今井俊博さん。

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 日本におけるマーケティングの草分け的存在でありながら、「消費者とは生活の放棄者」と言い放ち、

「明治以降の近代国家形成、とくに第二次大戦後のアメリカナイズのなかで、清潔という衛生概念、脂肪カロリー指向の栄養学、動物性蛋白質摂取(肉食)、 とくに、戦後の消費革命が消費者を無知にした」

「20世紀は、石油—プラスチックの生活文化、そして今、石油の毒を消し、殺人光線(電磁波等)から解放されることが求められている」

「モンスーンアジアに豊かな自然素材—これを材料化する技と文化には、発酵、熟成、灰による制御、ミネラルや微生物の活用がある」

 が持論で、「21世紀のそう遠くない時期に『消費者』というコトバを消滅させたい」と考えている私の師匠のひとりです。

「風水土のしつらい展」は「つくり手と使い手の出会いの場」であり、「灰が土に還り、枯れ木に花が咲くように、モンスーンアジアには自然の循環と共に生きる暮らしや文化が根づいています。今回は、この“灰の文化”をテーマに、手仕事の担い手たちが集まりました」とのこと。

 お近くの方は、ぜひお立ち寄りください。

風水土のしつらい展
5月17日(水)→22日(月)●大丸梅田店15階 多目的ホール
6月14日(水)→19日(月)●大丸札幌店7階 催事場
詳細
http://www.daimaru.co.jp/fusuido/
(大阪のワークショップの申込締切が5月7日となっていますが、18日の「紙漉き」21日の「灰染め」にはまだ若干名のゆとりがあるとのこと。また、今井師匠のレクチャー「今、なぜ灰なのか?」はとくに定員はないとのことです)

2006年5月 9日

入会・総有・全員一致と「むらの弁証法」

 旅先で、ふるさとで、とんでもない「農の哲学者」に出会うことがある。昨年の夏、ふるさと・宮崎の高千穂で初めて出会った農家のSさんもその一人。友人の父親の四十九日法要で同席したのだが、私の仕事を聞きつけ、話しかけてきた。

「あなたは、『むらの弁証法』をどう思っていなさるか?」

 法要の席でいきなりそんなことを聞かれるとは思っていなかったので、答えに窮していると、「私が、いま一番気にかかっているのは『むらの弁証法』の弱りです」と、続ける。いま75歳で、小学校を卒業するとすぐに農業に従事し、7年前までは出稼ぎをしていて「東京湾のアクアラインの工事にも行きました」というSさんの話を聞いていて、「困ったな。断片的な知識をつなぎ合わせてこんな席で議論を挑まれても……」というのが正直な気持ちだった。

 そのSさんと、今年の3月に宴席で再会することがあり、また話しかけられた。今度は「北海道の花崎皋平さんを知っていなさるか?」と。また「困ったな」と思い、どうしてそんなことを聞くのかと、聞いてみた。

「アイヌのむらの物事の決め方を知りたいと思いましてな」

「アイヌのことは知りませんが、北米の先住民は全員一致だと聞いたことがあります」
するとSさんの顔が輝き、「やはりなあ。私はその全員一致に至る話し合いの過程が弁証法だと考えてきたんです。でも、最近はむらの物事を多数決で決めるようになってきた。その弁証法が弱ってきたことが気になっておるんです」

 私は棒で頭を殴られたような衝撃を受けた。「弁証法」と言えば「正・反・合」とか「アンチテーゼ」とか「アウフヘーベン」とかの断片的な記号をつなぎ合わせてわかったつもりになっていたのは私の方だったのだ。Sさんは「日本のむらには、階級の発生を排除する力もあったと思います」とも言った。地に足をつけた日常の暮らしのなかで「むらの弁証法」や「むらの民主主義」を考え続けてきたSさんに、次回の帰省の折はじっくり教えを乞いたいと思う。

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 そんなことを考えていたら、定期講読している富士ゼロックスのPR誌「グラフィケーション」最新号(144号)が届いた。その特集「コモンズの思想」がなかなか充実していて面白い。なかでも、巻頭の室田武氏、多辺田政弘氏による対談「コモンズの可能性を考える」では、現代においてコモンズ、入会を考えることの意味がわかりやすく整理されている。

 その対談のなかに、高野孟さんが4月7日の「極私的情報曼荼羅」に書かれていた「共同体の全員が集まり、あるいはもっと広域で部族長全員が集まって全会一致になるまで何日でも話し合うという形は、ユーラシアの遊牧民や北米の先住民の間では今日でも部分的に残っている立派な民主主義の伝統である」こととも関連するような、こんなやりとりがあった。

(以下引用)
室田 (前略)入会権の面白いところは、全員一致でないと重要なことは決められないという決まりがある。細かいことは多数決でいい、しかし大きなことは一人でも反対があったら成立しないんです。多数決制と全員一致制とでは大きく違っていて、近代民主主義というのは多数決ですべて決まるんですが、入会権の論理はそれとは根本的に違うわけです。全員一致が原則で、その原則から言うと、たった一人でも異議があれば、日本の法体系の中でも認めないといけないことになっている(後略)。

多辺田 入会での決め事は全員一致というのが面白い。これは入会の話ではないのですが、宮本常一の『忘れられた日本人』の中には、村の寄り合いの話が出てきますね。そこでは意見が対立すると、一致を見るまで何回も休み休み議論を続けていく。合間にちょっと休んで他の議題に移り、また戻ると前と逆の意見に賛成がどっと増えていたりするんですね。多数決で手を挙げて決めるのではなくて、何回も揺さぶって、全員が納得するまでいろいろな意見を出し、出尽くしたところで話が決まるというやり方で、そのプロセスを無理しないんですね。時間は確かにかかりますが、その決め方はとてもいいなと思ったんです。

室田 一人でも反対の人がいたらやらないという、そういう入会のあり方には、メンバー全員で平等に所有しているという意味で「総有」という言葉が使われていますね。全員が関わるので、逆に非所有とも言える(後略)。
(引用終わり)

 今週末、「堰上げ」の作業に参加させていただく福島県のGさんも、ただ一人山を登記することに同意しなかったことで、集落の「入会山」を守った「農の哲学者」である。

「グラフィケーション」は隔月刊で無料講読できます

2006年5月 6日

経済的というより祝祭的、「労働」ではなく「助け合い」

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『旅行者の朝食』

 連休中に読んだ本の中では、米原万里さんのエッセイ集『旅行者の朝食』(文春文庫)が面白かった。

 書名の由来となったロシア小咄や、新大陸の「発見」によって旧大陸にもたらされたジャガイモが「悪魔の食いもの」として気味悪がられ、ロシアに受け入れられたのは19世紀も半ばすぎであったこと、それも17世紀にピョートル大帝が「いま朕の目の前で食って見せなければ、その場で打ち首にいたす」と農民たちを脅したり、19世紀初頭の「デカブリストの乱」でシベリアに流刑になった青年将校たちが同地の農民の窮乏を救うため、ジャガイモを栽培し食べた者には金貨を与えるなどしてようやく主食となったことなど、「目からウロコ」の「食と農」の話題の連続だった。

 なかでも「ウォトカを最も美味しく飲める理想的なアルコール比が39度でも41度でもない、40度である」という世界的歴史的大発見をしたのが周期律を発見したD・I・メンデレーエフであるという説と、「ロシアを代表する酒を、ロシアを代表する化学者と結びつけたい」心情に表されるロシア人のウォトカへの情熱の源を追った「ウォトカをめぐる二つの謎」の項に惹かれた。

 メンデレーエフの発見の真偽をめぐる一つ目の謎は同書を読んでいただくとして、ロシア人のウォトカへの思い入れはなぜこれほどまでなのかという二つ目の謎について、米原さんは、『パンと塩』(副題「ロシア食生活の社会経済史」、R・E・F・スミス+D・クリスチャン著、鈴木健夫訳、平凡社)を引用しながら、こう明かす。

(以下引用)
——白眉は、ロシアの農村においてウォトカが果たした経済的というよりも祝祭的役割について述べるくだり。

「草刈り、脱穀あるいは家屋建築材の運搬などといった緊急の仕事を片付けなければならない家長は、多くの働き手を招き、集団ができる。はたらく人々には報酬は支払われないが、……一日が終わればいつも大がかりな食事と火酒が振る舞われる。そして、それは、貨幣支払いよりもはるかに魅力的となっている」

 とあり、農村共同体の相互扶助の象徴であったと同時に、

「人々は共同労働で一生懸命働き、もてなしもよく、その雰囲気は祭りのようであった」と伝えている。

「彼女(依頼する側の女主人)は、ウォトカを出し、パイを焼き、出来る限りのご馳走をし……、最善のもてなしをする。参加者はいつも素晴らしくよく働き、……仕事は、笑い声、冗談、歌、陽気な雰囲気の中で進められる。仕事自体がふざけ合っているかのようにして行なわれる……。それは『労働』ではなく『助け合い』と呼ばれている」

 同書は、その後、資本主義的貨幣経済の浸透とともにこのような共同体的人間関係が崩壊していく様子も手に取るように伝えてくれる。

 ウォトカを前にすると、ロシア人はたちまち己の心と身体に潜む遠い祖先たちの記憶がうずき出して、共同体的な祝祭的な世界にワープできるのだろう。
(引用終わり)

「彼女(依頼する側の女主人)は、ウォトカを出し、パイを焼き、出来る限りのご馳走をし……、最善のもてなしをする」——前回、報告した房総半島の「イセエビ生け簀漁」のTさん夫人も同様。漁の後は、ありったけのアルコールとご馳走で参加メンバーをもてなしてくれ、その楽しみもあって私も鴨川自然王国のスタッフも、炎天下の重労働を耐え忍ぶ。

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 来週末は、「あいあいネット」の仲間の誘いで、福島県郡山市郊外の某地区で行なわれる「堰上げ」(セッキャゲ)の共同作業に参加する予定。作業の詳細は不明だが、仲間からの連絡では、

1.年に一回の集落をあげての作業
2.朝8時頃から、集落内のいくつかの堰にわかれて堰上げ
3.そのとき魚を捕まえ、河原で焼いて宴会。2時過ぎに終了
4.堰上げの後は夕方まで各世帯がそれぞれの田んぼに水を引き込む作業(まさに「我田引水」)
5.集落への挨拶がわりにお酒をもってくるといい

 とのこと。これもまた「経済的というより祝祭的」「『労働』ではなく『助け合い』」の匂いがぷんぷんする(宿泊などのお世話になる農林家・養蜂家・そば打ち名人のGさんは「入会権・コモンズ」について独学で勉強し、地域の「入会山」をまもった人)。

 ちなみに「あいあいネット」は「いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク」の略。自然資源管理(いりあい)と住民自治(よりあい)に関する共同調査・経験交流(まなびあい)の活動を展開中。この「ざ・こもんず」の理念とも共通する「入会」(いりあい)についての勉強+実践の会ですが、私はもっぱら祝祭的「よいよい(酔い酔い)ネット」の担当です。

▼あいあいネット
http://i-i-net.seesaa.net/

Profile

甲斐良治(かい・りょうじ)

-----<経歴>-----

1955年宮崎県生まれ。
九州大学経済学部卒。
社団法人・農山漁村文化協会(農文協)「増刊現代農業」編集主幹。
『定年帰農 6万人の人生二毛作』『田園住宅 建てる借りる通う住まう』『田園就職 これからは田舎の仕事が面白い』『帰農時代 むらの元気で「不況」を超える』の「帰農4部作」で、1999年農業ジャーナリスト賞受賞。
その後も『青年帰農』『団塊の帰農』『若者はなぜ、農山村に向かうのか』などの「帰農シリーズ」で新しい農的生き方を追究するとともに、「地元学」(ないものねだりではなく、あるもの探し)による各地の地域づくりにかかわる。
都市と農山漁村の共生・対流推進会議運営委員、100万人のふるさと回帰支援センター・里山帰農塾講師。
建築家・石山修武氏、民俗研究家・結城登美雄氏と「21世紀型農村研究会」05年に結成。

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