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なぜ「専門家」は信用できないのか

平川秀幸氏
マル激トーク・オン・ディマンド
第522回(2011年04月16日)
なぜ「専門家」は信用できないのか
ゲスト:平川秀幸氏(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授)

プレビュー

 福島第一原発で深刻な事故が起きて以降、「専門家」から繰り返し発せられる「ただちに健康に影響はない」、「人体にすぐに影響を与える値ではない」という言葉をそのまま受け止めて良いものなのか、「専門家」への疑心暗鬼が広がっている。

 科学技術をいかに社会が制御するか(科学技術ガバナンス)を研究する大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授の平川秀幸氏は、専門家の言う安心と一般市民の考える安心には埋めがたいギャップがあり、われわれが「専門家」の言うことをすべて信用できないことには理由があると話す。

 例えば科学者の「100万人に1人の確率でしか起こらないから安心だ」という説明は、全体を見てリスクを考える統治者側からの目線だ。リスクにさらされる一般市民の側は、その1人に自分や自分の家族が当たった場合どうするかを考えるため、到底受け入れられない。つまり、同じ「安心」にも統治者と当事者の目線の違いからくる対立が生まれる。

 全体のリスクを考える視点は必要だが、確率的に起こり得なくとも心理的に恐怖を感じることも安心できない理由であり、市民感覚や当事者の意見がすべて非合理であるということにはならない。専門家の意見はそのようなバイアスが掛かったものだという特殊性に気付いたうえで、問題を考える必要があると平川氏は言う。

 また、専門家の側には「一般市民は無知だから反対する」という考えがあり、正しい知識を与えれば皆が受け入れるはずであり、それでも反対する人は反体制のイデオロギーを持った人だとみなす構図があると平川氏は言う。日本での原発をめぐる議論は、まさにその典型だった。

 これまで、原発を推進する産官学の「原子力ムラ」の研究者以外から様々な警告が出されてはいたが、その証拠が十分強くなかったことなどから無視された。原発に反対する一般市民の様々な意見も、反体制のイデオロギーを持つものとみなされて考慮されることはなかった。そもそも科学は不確実なものであり、科学だけで答えを出せるものではない。日本で原発が推進されてきたのは、科学的な政策決定に市民が参加する枠組みがなく、一部の専門家だけが原発のリスクについて価値判断をしてきた結果だと平川氏は言う。

 現在日本で起きているような「科学や専門家への不信」は、イギリスでは86年のBSE(狂牛病)問題で顕在化し、解決策が模索されてきた。当時の最新の科学的知見に基づき、政府はBSEに対して「安全宣言」を出したが、その後ヒトへの感染が確認され、政府もその危険を認めることになった。これをきっかけに科学や政府への信頼は危機に瀕し、政府と市民社会が、理解し合い納得して合意を作る仕組みが作られてきた。

 重視されたのは、政府が証拠に基づいて政策を決定することはもちろんだが、その証拠自体をいかに信頼できるものにするかという点だ。政府での議論をオープンにして外からの批判を受け入れ、NGOやシンクタンク、市民などの複数の見解が競合することによってチェックし合う仕組みを考えた。一方の市民社会にも、まず専門家に限られていた研究資源を利用できる制度を整えたうえで、とにかく反対と叫ぶだけでなく、証拠に基づいて政府の政策を批判することが求められた。このような努力が、この10年行われてきたと平川氏は説明する。

 BSE問題の後、遺伝子組み換え作物(GMO)の導入が問題になった際には、「科学が不確実なことは当たり前である」ことを前提にして、「科学では白黒がはっきりしない」、「白だ、黒だと専門家に言われたとしても、そんなふうには言いきれないものだ」と保留して、簡単には受け入れないという態度が広く共有されたという。具体的には、パブリック・コメントや総計2万人が参加した内閣府主催の討論会に基づいて、政策決定がなされた。

 原発のリスクに対する価値判断についても、われわれ一般市民を含む社会に情報を公開し、社会が政策を選択する制度設計が必要だと平川氏は話す。従来の工学的な専門家だけではなく、感情や社会・文化的価値にも配慮できるように、領域をまたぐ専門家や、専門家と素人をつなぐミドルマンと呼ばれる存在も欠かせない。

 なぜ、われわれは「専門家」を信用することができないのか。そして、われわれは「専門家」だけが担ってきた科学的な政策決定に、どのように関わることができるのか。平川氏とともに、神保哲生、宮台真司が議論した。

今週のニュース・コメンタリー
•福島原発最新状況分析
レベル7でも事態の矮小化に躍起な政府とメディア
解説:小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)
•東電清水社長1ヶ月ぶり会見で誠意は伝わったか
•なぜ菅首相が「脱原発」を語れないのか

<ゲスト プロフィール>
平川 秀幸(ひらかわ ひでゆき)大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授
1964年東京都生まれ。89年国際基督教大学教養学部理学部卒業。91年東京工業大学理工学研究科応用物理学科修士課程修了。00年国際基督教大学大学院比較文化研究科博士課程単位取得退学。同年京都女子大学現代社会学部講師、04年同助教授などを経て、06年より現職。著書に 『科学は誰のものか』 など。

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拝見し、今回の事件において専門家の意見が納得感を得ない理由が分かりました。

いま、重要なことはその専門家が如何なる立場・バイアスのもとでその議論を展開しているかを見極めること。

本来、学者同士の学会であれば、あの学者の出自を知ったうえでその議論の妥当性を検討できよう。
だが、今回の事故のように、事故発生原因である方針・ルールを決めた専門家が、自らの失敗に起因するトラブル・事故の解説を行うこと事態にナンセンスを感じる。
マスコミは、今回の事件を契機に、可能な限り、その立場を明確化した議論をすべきだと思う。

政府系の審議会や委員会に名を連ねる輩を学者と思ってはいけない。
産官と一緒になって事業を推進する立場なのだから、事業推進に都合の良い見解を示すことが仕事なのだ。
私も建設関連のコンサルタントをやっている関係で、環境アセスの取りまとめをやったこともある。
データを捻じ曲げて白を黒と書くことはないが、白のデータはたまたま採取しなかったことにする等は日常茶飯事で、アセスメントがアワセルメントと言われる所以である。
これは施主と請負の関係だから、継続して受注しようとすればそうならざるを得ない。
忸怩足るものはあるが、現実である。
従って、ここは政治がしっかりと問題点を明らかにしていく必要があるが、先般の共産党議員の質問のように、的を得ていても少数党ゆえの悲哀がある。

>政府での議論をオープンにして外からの批判を受け入れ、NGOやシンクタンク、市民などの複数の見解が競合することによってチェックし合う仕組みを考えた。

当にこれを我が国でも実現することであろう。
自民党に嘴を入れる権利は無い。
今こそ国民生活が第一として、実現することが政府に課せられている。

神保 様

存在現象に対する真理の探求に二つの見方考え方があり、自ずから現象に対する理解が分かれてしまう。

一つは、科学者の目であり、発見と発明の繰り返しによる真実の掘り下げである。研究者の陥りやすい盲点は、真実は無限に掘り下げられ、その興味はどんどん増し、なんとしてもさらにおくふかいところを捜し求めてやまないことです。

いったん研究者が、その真実の探求によって人類の破滅に至るかもしれないとの疑惑を抱いたのが長崎、広島の原爆である。

しかるに時間がたつうちに、国の本能的世界戦略が優先しだすと、原発の平和利用を名目に自制のない核開発が進められてしまう。

もう一つの眼は、宗教者の目である。現象を無尽蔵に見ながら、無なる〇点が無尽蔵である足場のない足場を持つということではないか。

この立場に立つと、人間の開発するものにおいて、絶対安全などということは、この世界にはありえないことであり、原発は根本的に人間を破壊する恐ろしい技術になってしまう。

人間に比重を置くか、便利、効率的快適性に重点を置くかであろうが、人間としての節度をどのように考えているかの、人それぞれの人格に帰するように思えてならない。その点では大変危ない社会であることにかわりはない。

学者バカという言葉が有る位だ。

専門家と言われる人間の中にも他の事に関しては全く無知な人がいる。

大学教授・学長などにいたってはその人のバック・運・論文数などによりたまたまなったという方もいるとか・・・。


政治家・マスコミいや誰でもその人の地位によりもてはやしたりする。


政府のもろもろの審議委員なども所謂著名な方でその上政府・官僚に都合の良い意見を述べる人間のみ選ばれるとか・・。少し反対な意見を言うと次回から委員に選ばれないとか・・・。報酬も問題であろう。金の魅力も効いているのでしょう。


一番の問題はマスコミが所謂専門家の意見を自分たちで検証もしないで、跡からの責任も無く、国民に垂れ流すことでしょう。

「100万人に1人の確率でしか起こらないから安心だ」という言い方は科学者のものではありません。「100万人に1人の確率で起きます」という言い方を科学者はするでしょう。それが安全か安全でないかは、彼または彼女にとって、まさに<専門外>の事項です。
煎じ詰めれば、安全、安全でないの判断は、一人一人がすべきものであって、他人にとやかく言われる筋合いのものでは無いと思います。ただし勿論、「これこれの場合は100万人に1人の割合で、これこれこういうことが起きます」というメッセージを提示された場合です。そのメッセージが無ければ、単に不安を煽るだけ、ということになります。
放射線に関連する現象は、本質的に確率過程と呼ばれるもので、「こうであれば必ずこうなる」ということが出来ない性質を持った現象です。言葉で説明すれば「こうであった場合、ああなる確率がA、こうなる確率がB、•••」といった具合です。その放射線の現象に、人体へ及ぼす影響をからませると、さらに複雑な確率過程になります。ですから
「ヨウ素xxxを何ベクレル人体に取り込んだ場合、何時間以内に死ぬ確率何%、甲状腺がんになる確率何%、白血病になる確率何%、視力障害になる確率何%、(胎児がいれば)胎児の異常発生確率が何%、•••」というようなメッセージを、現在の科学者の知見で発することは、実質的にできないほど難しい問題になってしまいます。
そこに今の専門家(科学者?)の限界がありますし、放射能の(なんとも薄気味悪い)怖さ、があります。

≫従来の工学的な専門家だけではなく、感情や社会・文化的価値にも配慮できるように、領域をまたぐ専門家や、専門家と素人をつなぐ《ミドルマン》と呼ばれる存在も欠かせない。


 全く同感です。テレビ番組では、原子力工学の専門家先生にズブの素人(司会者)がお伺いを立てるという形式のスタイルばかりでした。したがって質問(ツッコミ)が甘さが目立ちました。          
「外部からホースで注入した冷却用の大量の放射能汚染水はどこへ行くのか」とか、「バックアップの電源が外部調達によって回復したなら、ほんとうにうまく冷却装置が起動するのか」といった疑問点など、もう少しツッコミが必要な場面が多々ありました。今思えば、「電源さえ確保されれば、あとは大丈夫だ」といったムード(希望的観測)が主流でした。もう少し科学的知識のある《ミドルマン》が市民の側に立って、ツッコミ(質問)を入れるというスタイルを取れば、もっと理解は進んだと思いました。(専門家はいやがるとは思いますが。)       

また今後は原子力工学の専門家でも、立場の違う専門家同士の白熱したレベルの高い専門的議論の場も、テレビ局で企画して公開すべきと思います。素人でも分からないなりに分かることがあるものです。一口に素人とは言っても、ピンからキリまで、高校の物理の教師クラス程度なら世の中にザラにいるわけですから。                       
また原子力工学の専門家ではなくても、ノーベル物理学賞を受賞した小柴先生や、益川・小林両先生、江崎玲於奈博士のような方の提言なども聞いてみたい気がします。一昔前なら、湯川秀樹博士などは、物理学者でありながら、思想家でもあり、また【科学者の社会的責任】についてもしっかり発言しておりました。          
湯川博士なども、原子力の平和利用として原発に対しては、好意的であったようにも記憶しておりますが。

【科学者の社会的責任】というテーマは、もう一度議論すべき時期であると思います。

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神保哲生(じんぼう・てつお)

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1961年東京生まれ。
15歳で渡米。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。
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ビデオジャーナリストの草分けとして、日米の放送局に映像リポートやドキュメンタリーを多数提供。
2000年1月、世界初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を立ち上げ代表に就任。
2001年4月より『ビデオニュース・ドットコム』で宮台真司氏と人気ニュース番組「マル激トーク・オン・ディマンド」のキャスターを務め、現在にいたる。
2005年4月より立命館大学産業社会学部教授を兼務。
2008年4月より、早稲田大学ジャーナリズム大学 院非常勤講師を兼務。
専門は地球環境問題、開発経済、メディア倫理、日米政治関係。

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2008年12月、大月書店、翻訳・解説


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2002年10月、春秋社、共著

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1995年11月、ほんの木

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1993年7月、ほんの木

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