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元通産官僚が明かす「霞ヶ関文学」という名の官僚支配の奥義

岸博幸氏(慶應義塾大学大学院教授)マル激トーク・オン・ディマンド
第467回(2010年03月27日)
霞ヶ関文学入門
ゲスト:岸博幸氏(慶應義塾大学大学院教授)

プレビュー

 民主党政権が目指す「政治主導」がどうも思わしくない。公務員制度改革関連法案では肝心の天下り規制や人件費の2割削減が先送りされてしまったし、地球温暖化対策基本法案も民主党の選挙公約から大きく後退してしまった。一見政治主導を装いながら、どうも鳩山内閣の政務三役が、霞ヶ関官僚に手玉に取られている感が否めない。
 そこで今週のマル激では、民主党が唱える脱官僚・政治主導が実現できない原因の一つとして、官僚が政治や立法過程をコントロールするために駆使する霞ヶ関の伝統芸とも呼ぶべき「霞ヶ関文学」に注目してみた。

 霞ヶ関文学とは、法案や公文書作成における官僚特有の作文技術のことで、文章表現を微妙に書き換えることで別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするなど、近代統治の基本とも言うべき「言葉」を通じて政治をコントロールする霞ヶ関官僚の伝統芸と言われるもののことだ。

 霞ヶ関文学では、たとえば特殊な用語の挿入や、「てにをは」一つ、句読点の打ち方一つで法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能になる。また、特定の用語や表現について世間一般の常識とは全く異なる解釈がなされていても、霞ヶ関ではそれが「常識」であったりする。若手官僚は入省後約10年かけて徹底的にこのノウハウを叩き込まれるというが、明確なマニュアルは存在しない。ペーパーの作成経験を通じて自然と身につけるものだといわれるが、あまりに独特なものであるため、政治家はもちろん、政策に通じた学者でも見抜けないものが多いとも言われる。

 通産官僚として約20年間霞ヶ関文学を駆使し、その後竹中大臣の政策秘書官として、官僚の霞ヶ関文学を見抜く役割を果たしてきた岸博幸慶應義塾大学大学院教授は、そもそも霞ヶ関文学の出発点は日本語を正確に定義して書くという、行政官僚に本来求められるごく当然のスキルに過ぎないと説明する。しかし、法律や大臣の国会答弁の文章を明確に書き過ぎると、自分たちの裁量が狭められたり、官僚が何よりも重んじる省益を損なう内容になる場合に、官僚の持つそのスキルが、本来の趣旨とは異なる目的で使われるようになってしまった。そして、そのような意図的な書き換えを繰り返すうち、法案や大臣の国会答弁で使われる単語や表現の意味が、一般常識とはかけ離れたものになってしまったと言うのだ。

 ほんの一例をあげれば、道路公団や郵政改革でよく耳にする民営化という言葉があるが、「完全民営化」と「完全に民営化」とが、霞ヶ関文学では全く別の物を意味すると言う。「完全民営化」は株式と経営がともに民間企業に譲渡される、文字通りの民営化を指すが、「完全に民営化」になると、法律上3パターンほどあり得る民営化のどれか一つを「完全」に実現すればいいという意味になるというのだ。つまり、「完全に民営化」では、一定の政府の関与が残る民間法人化や特殊法人化でも良いことになるという。しかも驚いたことに、霞ヶ関ではそれが曲解やこじつけではなく、ごくごく当たり前の常識だと言うのだ。

 岸氏が竹中平蔵大臣の補佐官として政府系金融機関改革に取り組んでいたとき、官僚が滑り込ませてきた、この「に」の一文字に気づき、法案を突き返したことが実際にあったという。政府系金融機関が「完全民営化」されることで天下り先を失うのを嫌った官僚が、政治決定の段階では入っていなかった「に」の一文字を、法案の中に潜り込ませてきたのだ。

 他にも、全く同じ文章でも、句読点を打つ場所を変えることで意味が変わったり、単語の後に「等」をつけることで、事実上何でも入れられるようにしてしまうなど、確かに霞ヶ関文学は伝統芸と呼ばれるだけのものはある。

 そして、霞ヶ関文学はそれを熟知した官僚もしくは元官僚にしか見破ることができないが、現在の民主党政権にはそうしたノウハウを熟知した上で官僚を使いこなせる閣僚が少ないため、官僚に取り込まれるか、あるいは無闇に官僚と対立する結果行政の停滞を招くなど、間違った政治主導になっていると、岸氏は苦言を呈する。

 自民党時代の官僚政治を支えてきた霞ヶ関文学の実例を挙げながら、権力の行使において言葉が持つ重要性や、政治主導の実現のために何をすべきかを岸氏とともに議論した。

今週のニュース・コメンタリー
•google中国撤退で追い詰められた中国
 解説・佐々木俊尚氏(ジャーナリスト)
•北朝鮮最新情勢とよど号犯人の今
 報告・青木理氏(ジャーナリスト)
•憲政史上初のオープン首相会見の中身

関連番組
ニュース・コメンタリー (2010年03月06日)
温暖化対策基本法案に見る霞ヶ関文学の功罪

マル激トーク・オン・ディマンド 第407回(2009年01月24日)
無法地帯化する霞ヶ関
ゲスト:高橋洋一氏(東洋大学教授)

プレスクラブ (2010年03月26日)
鳩山内閣総理大臣記者会見

<ゲスト プロフィール>
岸 博幸(きし ひろゆき)慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
1962年東京都生まれ。86年一橋大学経済学部卒業。02年コロンビア大学経営大学院修了、MBA取得。86年通商産業省(現経済産業省)入省。同省産業政策局、内閣官房IT担当室、竹中平蔵経済財政政策担当兼金融担当相補佐官、同政務秘書官などを経て06年退官。07年より現職。著書に『ブレインの戦術』、『ネット帝国主義と日本の敗北』、共著に『脱藩官僚、霞ヶ関に宣戦布告!』など。

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

文芸作家以上の作家能力をもち、一流の評論家以上の解釈論をもつ官僚の頭脳明晰は、すでに証明されています。
更には、文章管理のずさん能力も暴露されています。
我が春を謳歌し続けていることに非難が、あることに真摯に受け止めて戴きたいのですが・・・。
現在の社会において、余りにも安定した職種である特権を見直さないといけない。
問題があっても、一般社会人のように個人名で報道に上ることも無い。影に隠れた存在であり、それを決めた政治家に非難が集中する。
公務員法・給料法を処罰人事を含めて抜本的に見直さないと、改善は不可能であると思っています。
いっそのこと、霞ヶ関そのもの民営化(シンクタンク等)して、自分達で経営させては、どうかと思うのです。

そもそも立法は議員の仕事なんだから、官僚に法律の条文なんて書かせちゃダメだ。議員による立法がどんなにザルになっても回数こなしている内にできるようになるし、ダメだと思ったら修正すればいい。その権限が議員にはあるのだから。

裁判所の条文解釈に裁判員を積極参加させれば、霞が関文学は意味なくなるんじゃないかな。 検察を敵視する論調がここでは多いけど、本当に大事なのは司法。裁判官。

shousiminjp | 2010年3月28日 20:03 さん

何が言いたいのでしょうか。
言葉は相手に伝え、理解してもらえなければ意味ないですよ。もっと論理的に記述しましょう。

現在の時点において「霞ヶ関文学」などを出してくる時点で、実は新しい流れについていけないのかもと疑うことも必要です。
事務次官会議が廃止されました。国会における官僚の答弁も廃止されます。内閣法制局(官僚)による法律の解釈も廃止されます。
句読点の書き方をいくら工夫して抵抗したり篭絡しようとしても、解釈をするのが、政治家に移ってしまうと、そんな伝統芸は、全く意味を無くし、吹っ飛んでしまうかもしれません。

革命というのは、かつて産業革命が家内制手工業だった製造業を一気に変革したように、大体に価値観が変換することを意味します。

まず「霞ヶ関文学」が通用したのは政治家が行わなければならない仕事を「官僚」に押し付けてきた、これまでの結果にすぎません。
「官僚」はその立場上、国民から選ばれた訳ではなく、あくまで雇われた行政執行人であり、超えられない壁があるのです。
だからこそ、「霞ヶ関文学」などというものを駆使して、その立場を乗り越えてきたのでしょう。
つまり政治家が本来の仕事を思い出し、これまで曖昧にされて続けてきた内容に明確な線引きを行えば「官僚」には手が出せなくなってしまうのです。

政治家が手放し、形骸化されていたとしても、やはりシステムの底流には議会制民主主義の基本思想が残っているのです。だから、再度、実行すれば良いのです。

ただ、たとえ不健全とは言え「霞ヶ関文学」の上に、高々と強固に積み上げられてきたこれまでの「慣習」がありますから、それを覆すのは、それこそ抵抗勢力だらけになるでしょうがね。

その場の現象だけをみて、どうこうと論評するよりも、底流にある流れを冷静に見続けていきたいと思っています。

<何が霞ヶ関文学だい!>
岸博幸氏の正体見たり「枯れ薄」でございますよ。
物事の実態と本質を全く理解していない「世迷言」に過ぎません。
こんなもんでよく「大学教授」が務まりますよねぇ?そういう方って結構多いけど…我が母校である「低脳未熟大学」も落ちるとこまで落ちたモンですねぇ。今更殊更言うほどのモンでもないけれど、日本の大学は「コンビ二やジャンクフード」レベルの過当競争・劣化スパイラル状態に陥っていますよ。

本論は「大学劣化問題」ではありませんから、話を「霞ヶ関」に戻しますが、『そもそも霞ヶ関文学の出発点は日本語を正確に定義して書くという、行政官僚に本来求められるごく当然のスキルに過ぎない』という認識そのものが錯誤或いは驕り或いは無知なのです。そんな見事な説得力のある「霞ヶ関の日本語」に出会った記憶は不肖私には皆無であり、単なる「官僚様」の自己満足に過ぎません。従って、そんなモンは「ノウハウやスキル」などと呼ぶのも覚束ない、上っ面の言葉ハンドリングに過ぎ無いだけでなく、官僚様の「発想の貧困」と「言葉の機能に対する無知蒙昧」を曝け出しているってことです。
このことを論拠に、「官僚に取り込まている」「無闇に官僚と対立する結果行政の停滞を招く」「間違った政治主導」なんて、現状分析や結論をのうのうと述べる脳みそレベルに呆れ果てているには私だけなんでしょうか?
前記<菅原様>がご指摘のように、問題はもそっと違う位相にあるのではないでしょうか?
<岸博之様>におかれましては、貴兄の原点に立ち返り、もう少し世間を「お勉強」下さいますよう切望いたします。

hal2001さん、菅原さん、お二方のおっしゃる通りです。
この岸なにがしというものも、所詮「我々が日本を仕切っている」という勘違いした悪乗り官僚の一人にすぎません。
官僚丸投げ修正主義者かな?
簡単に言っちまえば「馬鹿」の一人。
政治家が、なすべき事をなす事が出来れば、自然に官僚もなすべき事をなすようになるのです・・・はずなんですが・・・。

霞が関文学とは東大法学部という日本最高の学校秀才が、自分らよりレベルの低い大学を出た政治家に任せられないという誇りの象徴、最高の武器なのだろうが、全体のムードが完全に変わった時官僚は霞が関文学で抵抗できるほどの官僚はいない。
辞表を胸に抵抗できるかだ。

歴史的に日本でも日清、日露は薩長の現場修羅場勝者が指揮し勝利したが、学校秀才が指揮した太平洋戦争は無残な敗北を喫した。
現場修羅場勝者が活躍する世界では、学校秀才は不要であり、今日日本を衰退に導いているのが明白である。
国民はしっかりと認識している。
いくらマスコミをつかって洗脳しても無理である。
学校秀才は現場修羅場勝者の小沢に勝てるわけがない。
一旦進みだした方向は簡単には元に戻らない。
小賢しい岸氏には見たくない世界である。

それにしても官僚が精魂こめて金と人を集めた東京はお粗末である。
スカイツリーの報道が増えてきたが、低層の建物のなかに鉄塔だけぽつんと立つ風景は情けない。
まるで砂漠の中の鉄塔である。
東京タワーと六本木ヒルズでもお粗末なのに更にお粗末である。

広州、上海の鉄塔周辺の景色と比較すれば日本のみすぼらしさは一目瞭然である。
いかに日本が世界とかけ離れているかである。
マスコミが洗脳すればするほど、民主主義にしろ、都市計画にしろ世界からかけ離れるのが今の日本である。

竹中の群像エピゴーネンの一人、岸某か。

この者が折々に放散する非本質的な戯言に、嗤える、と言うか毎度臍が茶を沸かすものなり。

と同時にこの国の役人が如何にタコ壷幼稚園の住人で、上記・奥野氏も仰有る「現場修羅場」の最前線から画然と隔離されたお目出度い存在であるかが、改めて理解される。

「霞ヶ関文学」論はあらゆるイミで単なる自己満足の発露に過ぎず、読む方は脱力感と軽侮の念に捕われるのみ。
婉曲的には、こうした衒学的言辞を弄してテクニカルの極限を往くかの如き官僚の様態への畏怖を惹起させようとしているかのような不遜さをも感じるのだが、兎も角“現場”サイドの一般的な感興からすれば、この者らの「他者」や「世界」という視点の一切を欠いた独善的な視野狭窄と、おぞましくも厭らしい自己完結があからさまで、その始末に負えない児戯を無理っくり適用される側の「白眼視」の温度はますますもって冷えるのみであるし、
次にそうして捏ね回した法律と、それに倍加する膨大な政令、省令、規則、ガイドラインは、個々の役人が実に自分達の都合の良いように恣意的に運用するのであり、もって不断に不定形で曖昧な基準を押し付ける作為、不作為を犯し続けて恬然としているのであるから(そしてそうした組織の筆頭が例えば検察、という事であろうが)、そもそも「てにをは」の一言一句に拘泥することに実情、何の意味もない。なのでそれをさも高次の理論の如く得々と講釈されても……いや寧ろ、だからこそ好き勝手なフリーハンドを担保しているとも言えるのか。

という訳でこの国の立法府(政府、党)が本来の仕事の質量をクリアさえしていれば、こうしたブンガク論はたちどころにニッポンの古典芸能よりも劣化退色し、ただ苔生して転がるガラクタでしかなくなる。

取り敢えず今週は郵政民営化がどう見直されるのかと、普天間の問題を注視していよう。

全く同感、こんな低能官僚上がりが大学の教授とは日本も落ちぶれたもの。しょせん、官僚の肩書きだけで全く世間を知らないおおばかものでしょう。先日もとあるTV番組で、参議院に遅刻してきた大臣の話に「民主党は政治主導と言ってるのだから、大臣自ら時間管理すべき」と平然と言っていたのにはたまげました。大学教授の台詞ではなく、おこちゃまのたわ言です。ペーパーテストは出来ても精神的に幼稚な人間。The Journalもしっかり人選していただきたいものです。

竹中の秘書官だった岸がやららと官僚の代表でTVに徴用されるが、どういう事なのか?TVは民主党の政治主導の政権批判の為につ使っているのだろう。発言は民主批判、つまりは竹中の代弁者か。確かに、今の大臣は官僚に取り込まれている。ある意味経験不足が影響しているが、特に反小沢に多い。小沢幹事長の側近に任せない鳩山首相、そろそろ小沢副総理を依頼すべきでは無いですか?鳩山首相は平和のハト,官僚と戦える剛腕さが無い。相談してみたらどうですか?

岸博幸の登場とは。神保・宮台のレベルもこんなものか、と大いに落胆しました。中身もヒドい。

岸こそ、まさに政治家を見下している、良くも小生の母校の教授なんて遣っているよな。竹中べったりの天下りみたいなものでしょう。霞ヶ関文学だと?政治家を騙して有頂天になっている官僚社会。特に自民党の体たらくこそが、こう云う官僚をのさばらせている。専門職に詳しくて当たり前だろう。そんな仕事しかやっていないし、偉そうに政治家をバカにし、国民を愚民と称する官僚。税金を勝手に使い果たして何様だと思っているのか?勝手に試験受けて官僚になっているけど、税金で生活及び仕事をしている、つまりは国民の税金を使っている。よって国民の審査こそ必要なのではないだろうか。それが難しいから政治家に頑張って、監視の目を光らせるべきだ。

宮台さんに聞いてみたい事
ツイッターでは面倒でこちらで・・・
外国人選挙権について、宮台さんに・・これはヘタレの考えですか?アチラは何らかの意志で、キチット一線を置いて日本でお世話になり安全に暮らしながらも「日本の国籍を取得しない」わけですよね。俺は素晴らしいと、むしろ日本政府もこれを見習えよって、国意識として国境・国籍重視してね。

現政権中で日本開放アジア共同体など誰が意志示していて、一体どういった形の構想を思想として持っているのかがまず知りたい。そして中国らに日本を開放するとかそんなにも急務で重要で国民の理解と安全が得られるものなのでしょうか?

国体は国籍は国境・ルール・風慣習・民族・先祖からの歴史など意味が無いことですか?「一線をキチリト引いて日本の国籍は要らない」と言うアチラ側の方が1枚も2枚も肝っ玉が座りドンと構えているじゃないですか?

特に現政権は国民を見下して、在日や外国人優遇ともとれるような数々の裏政策を打ってくると思います。選挙権が先兵切り込み隊長で、「一線を越えれば」後はなし崩しで国民無視政策が通るから、ここだけは重要な守るべき一線であるとは思いませんか?

宮台さんに聞いてみたい事
盛んには聞かないが、アジアに開放したいとの件で
国籍・国境・国体観、国家観、国のルールなどは古い考えですか?全く重要ではないと、日本に生まれこれからも日本に居住するならば国籍も、例え彼らの祖国と日本が揉めた場合、彼らがどちら側に付いてどう出ようが、仮にも日本に愛国心のかけらが無いどころか潰れれば面白いと思っていたとしても、仮に日本で稼いで祖国で寄付する、持ち前の金で潤す貢献するが、日本にはビタ一文落としたいとも思わない思想だったとしても、それでも関係なく、国民と同等の権利保有は当然だと言うのが現在の考え方であり当たり前なのですか。ガンガン外国の方を優遇し外国にも日本国を開放、解放し極端ですが日本島にするのが良いのですか。世界の常識、最先端の思想ですか。

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Profile

神保哲生(じんぼう・てつお)

-----<経歴>-----

1961年東京生まれ。
15歳で渡米。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。
クリスチャン・サイエンス・モニター記者、AP通信記者を経て独立。
ビデオジャーナリストの草分けとして、日米の放送局に映像リポートやドキュメンタリーを多数提供。
2000年1月、世界初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を立ち上げ代表に就任。
2001年4月より『ビデオニュース・ドットコム』で宮台真司氏と人気ニュース番組「マル激トーク・オン・ディマンド」のキャスターを務め、現在にいたる。
2005年4月より立命館大学産業社会学部教授を兼務。
2008年4月より、早稲田大学ジャーナリズム大学 院非常勤講師を兼務。
専門は地球環境問題、開発経済、メディア倫理、日米政治関係。

BookMarks

ビデオニュース・ドットコム(有料会員登録制)
http://www.videonews.com/

ビデオジャーナリスト神保哲生のブログ
http://www.jimbo.tv/

マル激!メールマガジン
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-----<著書>-----

新刊!
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『格差社会という不幸』
2009年12月、春秋社、共著


『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』
2009年7月、ダイヤモンド社


『オルタナティブ・メディア―変革のための市民メディア入門』
2008年12月、大月書店、翻訳・解説


『教育をめぐる虚構と真実』
2008年10月、春秋社、共著


『ツバル―地球温暖化に沈む国』
2007年7月、春秋社、増補版


『ビデオジャーナリズム―カメラを持って世界に飛び出そう』
2006年7月、明石書店


『中国―隣りの大国とのつきあいかた』
2007年6月、春秋社、共著


『アメリカン・ディストピア―21世紀の戦争とジャーナリズム』
2003年9月、春秋社、共著


『天皇と日本のナショナリズム』
2006年11月、春秋社、共著


『ネット社会の未来像』
2006年1月、春秋社、共著

『粉飾戦争―ブッシュ政権と幻の大量破壊兵器』
2004年3月、インフォバーン、監訳

『プロパガンダ株式会社―アメリカ文化の広告代理店』
2004年8月、明石書店、解説

『漂流するメディア政治―情報利権と新世紀の世界秩序』
2002年10月、春秋社、共著

『地雷リポート』
1997年11月、築地書館

『ビデオジャーナリストの挑戦』
1995年11月、ほんの木

『重要政策全比較―シリウス・日本新党・平成維新の会』
1993年7月、ほんの木

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