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DNA鑑定は誰の利益に資するべきか

marugeki_426_amagasa.jpgマル激トーク・オン・ディマンド
第426回(2009年06月06日)
DNA鑑定は誰の利益に資するべきか

プレビュー

 DNA鑑定を含む科学技術は、もともと誰のためにあり、何のためにそれを刑事捜査に導入するのだろうか。この問いに対する一般的な答えは「真犯人を逮捕するため」となるに違いない。それだけなら、恐らく誰も文句は言わない。しかし、ここで言う「真犯人の逮捕」の中に「犯人ではない人の無実を明らかにするため」が含まれていなければ、それは単なる警察の捜査権限の拡大を意味することになる。

 4歳の女児が殺害された足利事件で、無期懲役が確定し服役中だった菅家利和さんが、DNA再鑑定の結果、無罪であることが確実となり、4日、千葉刑務所から釈放された。

 菅家さんを犯人と断定する上で決定的な役目を果たしたDNA鑑定が、およそ20年の月日を経てその精度を増し、結果的に菅家さんが犯人ではないことを証明した結果だった。 無実の身で17年間刑務所に拘留された菅家さんの心中は察するに余りあるものがあるが、この問題が最新のDNA鑑定技術によって解決されたことで、DNA鑑定万能論とも呼ぶべき空気が蔓延しつつあることには注意が必要だ。

 早くからDNA鑑定に関心を持ち、著書『DNA鑑定―科学の名による冤罪』の中で足利事件が冤罪である可能性を10年以上前から指摘してきたジャーナリストの天笠啓祐氏は、DNA鑑定があくまでDNAの型を調べている「DNA型鑑定」であることを強調する。警察が用いているMCT118と呼ばれるDNA鑑定は、血液型のA型やO型と同じように、DNAの塩基配列の中の、ある特定部分の塩基配列(より厳密にはある特定の配列が繰り返される回数)に基づきDNAを類型し、その一致の是非を調べているに過ぎない。被疑者のDNAが犯人のDNAと一致したと考えるのは、大きな間違いだ。

 また、どんなにDNA型鑑定技術そのものの精度が上がっても、鑑定の対象となるDNAサンプルの採取は人間の手で行われる。その段階での不適切なサンプル処理や、杜撰な証拠管理によって、結果は大きく左右されることになる。そもそも、その段階で証拠のねつ造などが行われてしまう可能性も考え合わせると、DNA鑑定の結果で犯人を断定してしまうような空気には、かなりの注意が必要だ。

 そもそも足利事件では、菅家さんは自白を取られている。釈放後の記者会見で菅家さん自身が、警察の暴力的な取り調べによって自白を強要された事実を明らかにしているが、当時より格段に精度を増したとされるDNA鑑定の結果を突き付けられ、肉体的にも精神的にも追い詰められた状況の下で自白を強要された時に、いったいどれだけの人が最後まで抗うことができるだろうか。

 そうしたことまで考え合わせると、今回の冤罪事件を不確かなDNA鑑定だけの問題に帰結することは、逆に進歩した今日のDNA鑑定技術に過度の信頼性を持たせ、冤罪の再発の原因となる危険性をはらんでいると思えてならない。

 もともと菅家さんの冤罪を招いたDNA鑑定技術について、当時のマスメディアは、それを画期的な技術として持て囃すような報道を繰り返していた。

 天笠氏は、現在のDNA鑑定は、DNAの型の違いを明らかにすることで、ある人の無実を証明するためには有効だが、誰かを犯人と断定するには十分な注意が必要だと警鐘を鳴らす。そうでなくとも日本の取り調べのあり方や刑事訴訟制度上の問題が指摘されている。そうした中にあって、新しいDNA鑑定の技術が、「犯人を見つけるために有効なツール」とメディアや識者に囃される一方で、必ずしも「被疑者の無実を証明するためにも有効なツール」とは受け止められていないところに、現在の刑事制度が抱える本質的な問題の一端が垣間見えると言っては、言い過ぎだろうか。

 アメリカでは、被告にDNA鑑定を受ける権利があり、これまでに200人以上の冤罪が明らかになっているが、その中にはすでに死刑が執行されたケースもあったという。日本では、DNA鑑定のために冤罪が生まれているとすれば、その違いはどこにあるかを、十分考えてみる必要があるだろう。DNA鑑定がもっぱら捜査機関のみに活用され、被告人の利益になっていないとすれば、それはDNA鑑定そのものの問題ではなく、日本の刑事制度そのものの問題である可能性が大きい。

 今回は足利事件の冤罪問題を入り口に、DNA鑑定がどのようなもので、それは一体誰の利益に資するべきものなのかを、天笠氏とともに考えた。

今週のニュース・コメンタリー
・取調べ可視化と捜査権限の拡大
・大新聞が報じない核密約証言の衝撃度
・催涙スプレー判決が示す裁量行政の行き過ぎ

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遺伝子組み換え食品とアメリカの世界食糧戦略
ゲスト:天笠啓祐氏 (市民バイオテクノロジー情報室代表)

<ゲスト プロフィール>
天笠 啓祐(あまがさ けいすけ)ジャーナリスト
1947年東京都生まれ。1970年早稲田大学理工学部卒業。01年より市民バイオテクノロジー情報室代表。著書に『遺伝子組み換え作物はいらない!』、 『世界食料戦争』など、共著に『DNA鑑定―科学の名による冤罪』など。

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「あまりに酷すぎる事件でした」
今回の冤罪事件で改めて思ったことは、日本をこんなに酷い国にしたのは今の政権与党が官僚をやりたい放題の野放しにした結果に他ならないということです。
事件後の法相コメントを聞いても、検察コメントを読んでも、“無誤謬”意識が前提。
これまでの経緯を見ても科学性がまったく感じられない官僚の発想であったことは否定できない。自分が“if” 冤罪事件の被告になったらという視点からは看過できない問題と思わないのでしょうか?
何事も政権交代に結びつけるつもりがなくとも、このような状況からは他の選択肢はないとしか思えません。

神保様
はじめまして。
------------------------
>アメリカでは、被告にDNA鑑定を受ける権利があり、これまでに200人以上の冤罪が明らかになっているが、その中にはすでに死刑が執行されたケースもあったという。
------------------------
日本でも同様に既に死刑が執行されてしまったケースが無いとはいえないでしょう。
今回菅谷さん釈放のニュース後「飯塚事件」のことを初めて知りました。http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009060501000966.html
飯塚事件の弁護団は「死後再審」を目指すということですが、一旦処刑が執行されてしまえば、本人から冤罪を晴らす機会を永遠に奪ってしまいます。事件による被害者だけではく、国家による新たな殺人を生むことになります。
神保さんが取り上げられているようにDNA鑑定に限らず諸々の証拠は本来「司法側の利益」としてではなく、「被告側の利益」としても扱わられなければいけないはずです。
しかし現在の日本では、いったん刑事被告人となると、メディア報道による勧善懲悪的な世論の形成の結果、「被告側の利益」という視点自体が許されない空気があります。
司法側は自らのメンツ・正義感と勧善懲悪的な「世論」をバックに、いやむしろ世論を先取りする形で、動こうとするでしょう。
私達はもっと身近な問題として、「冤罪」からどのように身を守ったらいいのか?という意識を持つべきです。
全ての取調べ可視化を進める運動は、その第一歩だと思います。

<編集部様>
わたくしem5467及びem5467-2は、今後恵美と名のります。しばらくは「em5467及びem5467-2こと恵美」とします。
今回改めてて、本名もしくは、本名が難しい場合は名前として違和感のないものに、との見解、承りました。
仕事上、(広告会社におり、自身が支持していない政党の仕事を受けている為)フルネームは難しいので氏は勘弁して頂き、名前のみ本名を使います。改めてよろしくお願いします。

個人的に今気にかかっているのが脳科学の分野で究極のウソ発見器といわれている海馬の記憶中枢の部位の本人しか知らない記憶を反応させ、ウソをついているかどうかを見抜く機械がアメリカで開発され応用され始めているという話のことです。
実用段階に至ったらしいが、どこまで正確なのかがわからない。
脳科学のことなど門外漢なので記述に誤りがあればどなたか指摘してくださればありがたいですが、あるテレビ番組で売り出し中の有名な脳科学者が口にしていたのをたまたま見たときに、なにかいやーな感じがしました。
DNA鑑定が出始めた時、科学捜査に画期的な影響を与えるだろうといわれ、犯人特定の道を開けたといわれていたこともその後の発達によって随分ずさんな鑑定を行っていたことが逆に明らかとなった。
それだけでなく、足利事件の場合、DNA鑑定で間違いが起き、再鑑定で別人だとわかったのにもかかわらず、裁判所は真犯人のDNAが判明したにもかかわらず時効期限を考慮もせず、被告の訴えを却下し続けている。
つまり別の真犯人の手がかりを見つけながらみすみすこの事件の時効を見過ごしてしまったわけです。
冤罪で獄中につながれ、人生の大半を奪われた菅家さん、そして別の真犯人の手がかりを見つけながら被害者の子供さんの遺族の願いを時効で台無しにしてしまった警察、検察、裁判所。
罪は重いといわざるを得ません。

何十年か前、いろいろな冤罪事件が発生したとき、私は妻の母に怒りをぶつけますと、義母は私に言ったものです。【そういう疑いをお上(つまり警察や検察、そして政府)に抱かせる容疑者が悪いのだ。あなたも、そういう疑いをもたれないように、日ごろの生活をキチンとしなさい】と。
こういうシーラカンスな考え方が、今なお今回の足利事件の警察・検察・裁判所、そして政府にはびこっている気がしてなりません。
政府というのは、先日の国会でも、麻生首相は刑事訴訟法の意義もわきまえず【小沢代表の大久保秘書は悪いことをしたから、検察庁は逮捕したのだ】と答弁しています。まだ裁判にもなっていない段階で、検察庁に逮捕されれば、悪人と断定しているのです。日本の最高責任者が、この程度の考え方なんです。
足利事件を裁いた関係者は、もしも人間だったなら、今日にでも【菅家利和さん】に謝罪に訪れているはずです。それが証拠に、今なお国家公安委員長は『当時としては最善を尽くした』と、うそぶいているではありませんか。
国家権力(警察・検察・裁判所、そして政府)は人間性のかけらもないのか、あるいは昔(義母が言っていたように)、お上は絶対に悪いのではなく【疑われた人間が悪人】なのか。
かかるお上(警察・検察・裁判所)そして≪このような考え方≫に満ちている自公政権に激しい怒りを覚えます。
今朝のテレビ朝日で、一部の関係者(宇都宮地裁や最高裁)の氏名が放映されましたが、関係者全員の公表をお願いすると共に、その人々は(ご自分では、どう思っている)のか、是非とも国民に説明してください。

<警察官・検察官の名前を広く開示する>
これ以上、冤罪を増やさぬ為に、最終的には全てをオープンにする事ではないかと思います。
自白偏重主義を改め、まずは取り調べの可視化、取り調べ官の名前役職を誰もが見れるホームページ上での実名公表(長時間の取り調べや蹴る、髪の毛を掴むなどをしなければ実名を公表されても困らないでしょう)をする事。
役人にもいえるのですが、匿名性(責任をとらない)が問題です。
ドクターも患者ごとに担当も執刀医も決まっていて、最近では看護師さんさえ担当制です。いざ、何かあったときのトレーサビリティが容易です。
逮捕後、取り調べ前の弁護士の接見を解禁する。
DNAを含む全ての証拠は、裁判所に半永久的に保存し、検察、弁護側の求めに応じて公開しなければならない事にする。
最高裁裁判官の信任投票 は、国政選挙とは別に行い、経歴、事件毎の経緯と判決を明示し、国民の審判を受けるものとする。
冤罪を起こした裁判官、検察官は、司法試験の合格取り消し、弁護士としても活動できないようにする。
また、真犯人を見つけない限り、退職金の没収、冤罪被害者への個人的な賠償を行うものとする。
などが考えられますが、検察・警察のマスコミへの接触は公式の記者会見以外、禁止。接触及び接触の可能性が疑われる記事が掲載された場合は、いかなる理由があろうと厳しい罰則を設ける。
光市母子殺害事件以来、被疑者の人権など、どうでもいいの風潮があり、憂うものです。

恵美さま
こんにちは。
>冤罪を起こした裁判官、検察官は、司法試験の合格取り消し、弁護士としても活動できないようにする。
>真犯人を見つけない限り、退職金の没収、冤罪被害者への個人的な賠償を行うものとする。
取り調べの可視化は必要とは思いますが、上記はいかがなものかと。減給や活動停止くらいのペナルティはともかく、あまり罰則を厳しくするのも、今度は捜査サイドのモチベーションを下げる結果になると思います。医療ミスでもそうですが、医者がミスをしない、間違わないというのはあり得ない事で、警察官も弁護士も検察も間違えないという事は、人間である以上難しいと思います。問題は、怒りの矛先が、一点、彼らが『謝らない』これに尽きると思います。私は、本来はえん罪事件を防ぐというよりは、”仮にえん罪により有罪になっても、迅速にえん罪をはらし無罪と断定できる”システムが整う事が大切なのではないかと思います。どだい100%有罪無罪を間違えなく判定するなど、人間である以上不可能です。しかし、ひと一人の命と人生がかかっている以上、そうも言っていられません。ですから、取り調べ方法のありかたや科学的実証法の採用には厳しい決定基準は必要だと思います。これを契機に、もっと、他の裁判の事例や捜査の事例も調べたいと感じましたし、もう一度「人権」という事についても、考えたいと思いました。やはり、日本では感覚的に犯罪被害者に対する、人権の方がウェイトは大きいような気がしましたので。難しい事です。
最後に私は、検察や警察がなぜ可視化出来ないのか本音を聞きたいと思っています。公に、はなせないなら秘密会議でも良いので、第三者にでも、現場の声を話して頂きたい。そこが解らないと可視化の問題点も解らないです。私が勝手な想像をするに、少し警察の肩を持てば、犯人によってはかなり難しい取り調べになるケースもあるのではないかと思います。いわゆる狡猾で心理戦を要するような人物です。ケースとしては少ないと思いますが。えん罪事件は有ってはならないし、起こしてもいけないのですが、捜査する側も、明日は捜査される側になるという認識も持って頂きたいし、我々も裁判員制度で、裁く立場になるという現実も見据えなければならないともいます。
牛頭蛇尾さま
脳科学は私も門外漢ですが、ここの臓器移植のところで脳死判定に関して、興味深いお話がありました、是非ご覧ください。

em5467-こと恵美様にならい、「ねこのしっぽ」から「須美子」に名前を改めます。

今回の記事およびビデオニュ-スは大変有用なものでした。
DNA鑑定なるものが、どんなものであるか、また、どんな問題をいままで引き起こしてきたのか。さらにこれから引き起こす可能性のあるものなのかを、私なりに理解できたと思います。
まず、DNA鑑定は被疑者が完全に無罪であること証明するためには有用であるが、被疑者を有罪とするためには、必要十分な証拠となるものではないということです。
これは、DNA鑑定の精度が上がろうが下がろうが、関係のない本質的な問題だということです。
つぎに理解したのは、ナイフの刃が鋭くなってゆけばゆくほど凶器としての危険性が増すように、DNA鑑定の精度が上がれば上がるほど、悪用された場合の危険性は、増す。
ということです。
宮台氏がおっしゃっていたように、つねに、物事には、ヒュ-マンファクタ-がついてまわるものであり、それが故意か過失かを問わず、ナイフの切れ味のみを絶対の真実とみなしてしまうという無知は、これからますます危険なことになってゆくでしょう。
いま、私たちは、足利事件、小沢氏大久保秘書事件などを目の当たりにして、わが国の検察警察、および司法が、どんなにひどいかをひと事でなく、身に染み入るものとして、感じています。
国民の代表として国会へ送られながら、これら行政のによっておこなわれた国民への暴力をチエックもせず、60年間の官僚システムとの癒着のうえに胡坐をかいてきた自公政権のしてきたことがこれなのです。
わが国には、三権分立も、法のもとの平等も、それを守ろうとするメデイアもない。

自公政権は、いまだに取り調べの可視化にさえ反対し、しかし裁判員制度のみゴリ押しして実施しはじめました。国民が裁判員として参加したいのは、刑事裁判よりも、むしろ行政裁判でしょう。しかし国民が裁判員として行政裁判に参加することはできないのが、今回の裁判院制度です。

政権交代近づいてきたからなのか、裁判員制度が実施された影響なのか、今、足利事件の菅谷さんが解放されたのにはなにか意味があるとしかおもえません。
宮台氏が、おっしゃるように、このDNAの問題は、だれでも聞けば分かる話です。
このようなまともな情報が、まともでない大新聞やテレビに替わり、より多くの人々のもとに届くようにするには、どうしたらよいのでしょうか。

ともかく、まず、政権交代からしか、始まらないでしょう。

<堀口 雪文(白雪)様>
お返事おそくなりすみません。ご指摘ありがとうがさいます。
さて、さすがにやりすぎでしょう。とのご指摘、誠に正論です。菅家さんの顔を見ている内につい感情が高ぶってしまいました。
>問題は、怒りの矛先が、一点、彼らが『謝らない』これに尽きると思います。
病院の場合、現在では、行き過ぎた訴訟は問題で、二度と起こさない様に検証する事のほうが大切との世論が主流です。でも、そこに行き着く前は白い巨塔さながらに、医療事故の隠蔽がたびたび行われ、問題になった経緯があります。病院関係者の知り合いによると、医療事故とその後の対応をあやまると患者数は減少し、看護師などの医療スタッフも集まらないそうです。だから病院は、手術もビデオに撮って可視化したり、事故が起きた時は事故検討委員会を設立するなど内部で努力しています。
しかるに、捜査機関は、経営の危機に曝されることもありません。せめて取り調べの可視化と捜査陣の実名を公表しないと、内部からの改革は不可能なのではないか、と考えました。菅家さんへは、当時の一刑事から検察官、裁判長まで雁首を揃えて、テレビカメラの前で公開謝罪会見(菅家さんの前で)をおこなうべきと考えます。それがなければ彼らは何ら反省する事なく「当時の捜査は適切だった」と今日もノウノウと美味しいご飯を食べて生活しているのです。
当時と部署が移動になったり、検事をやめて一弁護士だから関係ないと逃げるにきまっています。
匿名性を打ち破る事、しでかした冤罪へのペナルティーを個人としても受ける事、それだけは曲げられません。

先に、フルネームは行政と色々な付き合いがありますので、ご勘弁ください。

「冤罪」・・・何時になればこの言葉が過去の言葉になるのでしょうか?

今回の件を知り、又先日のテレビでの御殿場事件のこと(被害者が前言を翻しても犯罪者と断罪された。しかも当日の天気の矛盾も認めないで)、冤罪が日常に起きている国なのかと思うと絶望的な気持ちになります。

裁判員制度も始まりました。そして、もし裁判員に選ばれたらどうするか自問したとき、今のこのように安易に冤罪を繰り返す警察と検察裁判所に対して、唯一出来ることは「自己の良心に基づいて、「推定無罪」で裁判に臨む」と言うことになるのではないでしょうか?
検察も裁判官も信ずることは出来ないという立ち位置で、裁判員になると言うしかないのではと思います。
そうしないと「知らない間に冤罪の片棒を担いでいた」という悲劇に見舞われるでしょう。
または冤罪の補強として裁判員制度が利用される。

em5467-2こと恵美様が言われること、ある意味もっともと思います。
そして司法だけでなく行政も「官吏匿名」に保護されてるが故に、行政や司法の不作為で国民に被害者が出るのではないでしょうか。

DNA鑑定も、神保様が書かれていたと同じ危惧を抱いていました。
警察や検察が被疑者を冤罪で処分しようとなったら、証拠の仲に被疑者の汗でも唾液でも入れることが可能でしょう。
そうなれば鑑定の正確性を保証されるなら尚更、犯人と断罪されることとなります。

やはり冤罪を防ぐには、警察や検察が嫌う「取り調べの透明化」が絶対に必要です。

恵美さま
こんばんは。お返事有り難うございます。
>当時と部署が移動になったり、検事をやめて一弁護士だから関係ないと逃げるにきまっています。<この下りは200%有りそうで、つい苦笑しました。さて、取り調べの可視化については、本日、森法相は否定的考えを示したそうです。私はとりあえず、彼らの言い分を聞き、整合性のない理由は、一つ一つ潰すべきだと思います。(本当はそこをマスコミが、権力監視として、追求してくれないと、ここで論議しても始まらないのですが、何とも情けないです。)、諸外国の事例も勘案し可視化の法案を議員立法で提案すれば良いと思います。ただ可視化をしてかえって検察の有利になるような事が起こったら大変ですから、間違いを起こしそうな問題点はきちんと洗い出すべきだと思います。また、匿名性の撤廃ですが、私は、えん罪が出た場合、やはりトップの責任追及、厳罰化はした方が良いと思います。正直、警察組織は下っ端が取り調べで、勝手に暴行できる程、ならず者の組織では有りません。むしろ、自白を強要するように命じたのはそれなりの立場の人間の了解がなければ出来ないと私は思います。(相撲部屋のリンチ事件のように)単に取調官の責任制という事にしてしまえば、命じた上級職の人間は罰せられず逃げ隠れできる事になりますから、そこをどう法整備するかは課題が有ると思います。裁判所に関しては、国民ももっと国民審判の制度を利用すべきです。また、最高検察官に関しても国民投票するという手も有るかもしれません。いずれにせよ、やはりえん罪による責任の有無は取るべきですし、調査委員会の設置等、検証も必要と思います。ただ、あまり組織の下層部まで責任追求をしてしまうと、今度は末端の捜査官のやる気が失われ、捜査が萎縮してしまうのではないかという懸念を持ちましたから、一筆書かせて頂いた次第です。

神保さん、こんばんわ。

「DNA鑑定は誰の利益に資するべきか」

足利事件の場合、

結果的に、逮捕当時は「警察のため」。現在は「菅家さんのため」ですよね。

この事件の問題点、うーん、信じられないようなズサンさですが、ここにこのように書いてます。

ねこのしっぽこと須美子 さま

> わが国には、三権分立も、法のもとの平等も、それを守ろうとするメデイアもない。

今回の足利事件において 最高裁が再審決定に至った要因の一つとして テレビ報道があったということ
のようですね。 それは、受刑者の弁護士がそのように語っているので 確かなことでしょう。
その意味では、今回の件については マスメディアは それなりの役割を果たしたと率直に認めてもいいのでは。

ただし、同時に この事は 裁判所はマスコミの報道に左右されるのかという別の問題のあることを感じさせます。
マスコミの論調というか、マスコミによってつくられる世論を気にする 裁判所というのを 我々はどう考えたらいいのか。

今回は マスコミ報道は冤罪を晴らす方向に働きましたが、同時に マスコミ報道が 死刑などの厳罰へと誘導する方向に動く場合もあるでしょう。

今回の足利事件のことでは、 マスコミによる世論を気にして やっと最高裁が重い腰を上げて再審に応じたとするのならば、やはり そのこと自体が一つの問題を提起しているように思われます。

「DNA鑑定は誰の利益に資するべきか」。

菅家さんのことから考えますと、真っ先やる必要があるのは、過去のDNA鑑定のやり直しです。

昨年、菅家さんと同じ鑑定方式で、無罪を訴えながら死刑執行された人が居ます。

「飯塚事件」
足利事件と同じDNA鑑定、92年の飯塚事件も再審請求へ
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090606-OYT1T00089.htm

足利事件の鑑定が信用できない事が分かった今、過去にDNA鑑定を証拠としたものは、全て再鑑定が必要です。

これは、謝罪より前に、「裁判所、検察、警察」のやるべき事ではないでしょうか。

このことを前提に、DNA鑑定を

このことを前提に、DNA鑑定を>編集ミスです。ごめんなさい。

身内に刑事がいて、取調べや冤罪についての意見を聞いた事があります。
あくまでプライベートオピニオンにとどまるのかもしれませんが、山ちゃんさんがすでに書かれているとおり、違法な取調べに付いては「暴力団など海千山千の者を相手にする時に、ていねいな対応をやっていて起訴までもっていけるわけがない」。
冤罪については「元々捕まるような奴は何かしら後ろ暗い部分があって仕方のない事、冤罪は必要悪だ」というような話でした。
警察学校時代には当然「推定無罪」の原則は教わっているはずですが、現場ではそんなことを考えている余裕はないようです。
身内をかばうわけではないですが、その人は朝から晩まで働き、休みはほとんどなし、しかも無駄としか思えないような大量の報告書など書かされているため、過労死寸前でした。
これは警察そのものというよりシステムの問題だと思うのですがどうなんでしょうか。

植芝秀和 さま
> ていねいな対応をやっていて起訴までもっていけるわけがない

なるほど、 だったら 「おとり捜査」や盗聴などの手法を警察が広範に使えるようにすればいい。
なぜ 日本に場合 おとり捜査が認められていないのか、それに反対する人たちは どういう理屈で反対しているのかな。

たとえば、「おれおれ詐欺」で おとりを使って 出し子といわれる 現金の引き出し役を捕まえるという成果を続々と上げていることが報道されている。 このことからも、 おとりを使う捜査が非常に有効であることが 理解されます。

取り調べて厳しくしないと起訴までもっていけないということならば、 おとり捜査などの強力な武器を警察に持たせればいい。 これに反対する理屈というのは なんなのだ。誰がどういう理屈で反対しているのだ。

はっきりいって 日本の警察の取調べの対応は 先進国のレベルではないと思いますね。 特にヨーロッパなどの警察などがどういうやりかたをしているのか、 それと 日本の警察を比較する報道がもっとあっていい。そうすれば、 いかに
日本の警察が遅れているか、国民が意識するようになるのではないか。 やはり、こういうのは比較がないと、自分たちのことはかわりません。 これが当たり前と思ってしまう。 警察自身も今のやり方が当たり前と思う。

もうだいぶ前ですけれども、英国放送局の製作した 英国の警察ドラマをNHKが連続で放映したことがある。主人公が女性の署長で。残念ながら題名は忘れましたが。 容疑者を取り調べるごとに録音機を回す。必ず録音機を回しながら取り調べる。 あるいは、容疑者が堂々と自分の権利を主張する。それに刑事たちが対応する、そういう情景が描かれていた。

まあ、日本の警察ドラマではこういう情景は成立しないでしょう。

やはり、先進国水準というのがあるはずで、日本の警察が当たり前と思い込んでいる取調べは 後進国水準だと思いますね。

暴対の刑事さんたちは一瞬、どちらがその筋の人なのかわからないほど、圧力の高い人たちが多いですね。
確かに舐められないように、威圧的に出ることは相手によって必要かもしれません。
警察に捕まるような者は元々後ろめたい・・・これは我々の社会に厳然とある偏見に根ざしている言葉でもあり、耳が痛いですよね。
また凶悪事件ともなればマスコミは騒いで警察にプレッシャーを与え、それがとにかく犯人が逮捕された、社会の安寧秩序は守られたという証しを提示しなければならないと焦る警察のミスを誘発させている面はあるでしょうね。
警察に逮捕されたらそれであとは裁判で重刑、一般人の警察の事件捜査に対する理解なんてこんなところでしょう。
それどころか昨今の風潮では弁護人、特に人権派と呼ばれる弁護士を犯人に味方する反社会的な連中だと非難し、侮蔑する人たちが増えてきたりもしている。
意識の中にある犯人が捕まり、裁判が開かれれば重罪で決まりという刷り込みを、犯人でなく容疑者で裁判中は被告、結審して罪が確定しないうちは推定無罪だというように変えていかなくては、冤罪であったとわからなければずっとこういう刷り込みが一般大衆に刷り込まれたままです。
しかし、こういう啓蒙が裁判員制度で活かされているとはとても思えないのですが。

番組の中で神保さんが、「裁判員制度になって、今回のような事件で弁護士がしっかりと裁判員たちに取り調べの違法性やDNA鑑定に基づく決めつけ捜査の問題点を説明すれば、裁判官ではまったく相手にされなかったような主張でも、裁判員は反応してくれる可能性はあるのではないか」といった趣旨の発言していますが、それに対するゲストの方の回答は「公判前整理などがあるので、裁判員が複雑な事件を冷静かつ中立的に理解するのは難しいだろう」というものでした。

神保さんの質問とゲストの回答に、まさに今回のような冤罪問題への答えと、裁判員制度の決定的な欠陥の両方が隠されているのだなあと、実感した次第です。

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Profile

神保哲生(じんぼう・てつお)

-----<経歴>-----

1961年東京生まれ。
15歳で渡米。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。
クリスチャン・サイエンス・モニター記者、AP通信記者を経て独立。
ビデオジャーナリストの草分けとして、日米の放送局に映像リポートやドキュメンタリーを多数提供。
2000年1月、世界初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を立ち上げ代表に就任。
2001年4月より『ビデオニュース・ドットコム』で宮台真司氏と人気ニュース番組「マル激トーク・オン・ディマンド」のキャスターを務め、現在にいたる。
2005年4月より立命館大学産業社会学部教授を兼務。
2008年4月より、早稲田大学ジャーナリズム大学 院非常勤講師を兼務。
専門は地球環境問題、開発経済、メディア倫理、日米政治関係。

BookMarks

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2009年7月、ダイヤモンド社


『オルタナティブ・メディア―変革のための市民メディア入門』
2008年12月、大月書店、翻訳・解説


『教育をめぐる虚構と真実』
2008年10月、春秋社、共著


『ツバル―地球温暖化に沈む国』
2007年7月、春秋社、増補版


『ビデオジャーナリズム―カメラを持って世界に飛び出そう』
2006年7月、明石書店


『中国―隣りの大国とのつきあいかた』
2007年6月、春秋社、共著


『アメリカン・ディストピア―21世紀の戦争とジャーナリズム』
2003年9月、春秋社、共著


『天皇と日本のナショナリズム』
2006年11月、春秋社、共著


『ネット社会の未来像』
2006年1月、春秋社、共著

『粉飾戦争―ブッシュ政権と幻の大量破壊兵器』
2004年3月、インフォバーン、監訳

『プロパガンダ株式会社―アメリカ文化の広告代理店』
2004年8月、明石書店、解説

『漂流するメディア政治―情報利権と新世紀の世界秩序』
2002年10月、春秋社、共著

『地雷リポート』
1997年11月、築地書館

『ビデオジャーナリストの挑戦』
1995年11月、ほんの木

『重要政策全比較―シリウス・日本新党・平成維新の会』
1993年7月、ほんの木

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