3週間余り後に迫った総選挙での真に本質的な争点はたった1つで、自民党政権を生き長らえさせて過去120年間に及ぶ「中央集権国家」を今後とも続けるのか、民主党政権を誕生させて次の100年のための「地域主権国家」への道を拓くのかという、ただその一点である。
その他の問題は、どうでもいいとは言わないが、その一点に比べたらすべて重要度は低く、下位に属する。例えば「子育て支援」は、どちらの政策が損か得かを計ったりその財源策が妥当であるかどうかをほじくったりする以前に、自民党的国家像の下では、役所や天下り団体などを通じた「上からの間接支援」となり、民主党的国家像の下では、個人・家庭への「下からの直接給付」となるはずで、そのどちらの方向性が正しく回路設計として優れているかが問われるべきだろう。
本質論レベル:21世紀の国家・社会像
実体論レベル:方向性や回路設計
現象論レベル:結果としての損得
というふうに思考しないで、いきなり現象論レベルで「損か得か」「ここが不透明、あそこが曖昧」などと、それぞれに長大なマニフェストの重箱の隅を突くように論じているのがマスコミで、これでは有権者は本当のところ3週間後に何を選び取るのか、ますます分からなくなってしまう。
●各党の「地方分権」政策
その国家像に直接関わるマニフェストの最重要項目は「地方分権」に関わる部分である。
自民党の「政策BANK」は第6章「地域活性化・地方分権」の中で、次のように言っている。
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《地方分権のさらなる推進》
国は国が本来果たすべき役割を担い、住民に身近な行政は地方に委ねるべく、国と地方の枠割り分担や国の関与の在り方の見直し、都道府県から市町村への権限委譲、国の出先機関の廃止・縮小や法令等による義務付け・枠付けの見直し、地方税財源の充実確保のための補助金・交付税・税源配分の見直しなどの「新地方分権一括法案」を平成21年度中に国会へ提出し、成立を期す。直轄事業の維持管理費負担金は平成22年度から廃止するとともに、直轄事業を基礎的・広域的な事業に限定し、直轄事業制度を抜本的に見直す。また地方分権をさらに進めるため、国と地方の協調に向けた徹底的な議論が行えるよう、国と地方の代表者が協議する機関の設置を法制化する。
《道州制の導入》
国際化、少子化、成熟化の中で、日本再生のため国のあり方を根本的に見直す。国際社会に発信できる個性豊かで活力ある圏域を創出するため、都道府県を超えた広域的なエリアで地域戦略をになる道州を創出し、多極型の国土を形成していく。このため、新しい国のかたちである道州制の導入に向け、内閣に「検討機関」を設置するとともに、道州制基本法を早期に制定し、基本法制定後6〜8年を目途に導入する。また、この間、先行モデルの北海道特区などを一層進める。
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★自民党・政策BANK=
http://www.jimin.jp/sen_syu45/seisaku/pdf/2009_bank.pdf
公明党の「マニフェスト中長期ビジョン」は第4章「新たな国のカタチと行政改革の取り組み」で、次のように言っている。
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《「地域主権型道州制」を実現し、地域活性化で日本を元気に》
公明党は、21世紀にふさわしい、新しい国のカタチとして、「地域主権型道州制」を実現します。これにより、各地域の活性化や雇用の促進を図るとともに、身近な行政サービスを充実させ、住民本位の地域づくりを進めてまいります。これまでの中央集権体制を根本から変え、中央政府の権限は国でなければできない機能のみに限定し、各地域が独自に決定できる仕組みに改めます。そして、地域主権型道州制の もと、各道州がそれぞれの地域で潜在力を発揮し、新たな地域産業を創造することにより、日本全体に、そして地域に活気をもたらすことが可能となります。
《徹底した行政改革の推進》
不断の行政改革の推進とムダ排除の徹底は待ったなしです。国民に負担を求める前に、まずは行政が「範」を示し、徹底した行政改革を断行し、ムダを削減することは当然です。「税金のムダづかいは1円たりとも許されない」との精神で、公明党はムダゼロへの取り組みと大胆な行政改革を断行してまいります。特に、国の出先機関については、業務が地方と重複し、国民から見て非効率な「二重行政」になっているとの指摘があります。この際、廃止・縮小を強力に進め、国の事務・権限を大胆に地方に移譲します。
今こそ、21世紀にふさわしい効率的な行政の確立に向け、政治のリーダーシップを発揮し、改革を実現します。
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★公明党・マニフェスト=
http://www.komei.or.jp/policy/policy/pdf/manifesto09.pdf
さて民主党の「政権政策マニフェスト」は、冒頭の「鳩山政権の政権構想・5原則」の1つに「中央集権から地域主権へ」を掲げ、さらに各論の第4章「地域主権」で、次のように言っている。
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《27. 霞が関を解体・再編し、地域主権を確立する》
[政策目的]
○明治維新以来続いた中央集権体制を抜本的に改め、「地域主権国家」へと転換する。
○中層政府は国レベルの仕事に専念し、国と地方自治体の関係を、上下・主従の関係から対等・協力の関係へ改める。地方政府が地域の実情にあった行政サービスを提供できるようにする。
○地域の産業を再生し、雇用を拡大することによって地域を活性化する。
[具体策]
○新たに設立する「行政刷新会議(仮称)」で全ての事務事業を整理し、基礎自治体が対応可能な事務事業の権限と財源を大幅に委譲する。
○国から地方への「ひもつき補助金」を廃止し、基本的に地方が自由に使える「一括交付金」として交付する。義務教育・社会保障の必要額は確保する。
○「一括交付金」化により、効率的に財源を活用できるようになるとともに補助金申請が不要になるため、補助金に関わる経費と人件費を削減する。
《28. 国の出先機関、直轄事業に対する地方の負担金は廃止する》
[政策目的]
○国と地方の二重行政は排し、地方に出来ることは地方に委ねる。
○地方が自由に使えるお金を増やし、自治体が地域のニーズに適切に応えられるようにする。
[具体策]
○国の出先機関を原則廃止する。
○道路・河川・ダム等の全ての国直轄事業における負担金制度を廃止し、地方の約1兆円の負担をなくす。それに伴う地方交付税の減額は行わない。
《34. 市民が公益を担う社会を実現する》
[政策目的]
○市民が公益を担う社会を実現する。
○特定非営利活動法人をはじめとする非営利セクター(NPOセクター)の活動を支援する。
[具体策]
○認定NPO法人制度を見直し、寄付税制を拡充するとともに、認定手続きの簡素化・審査期間の短縮などを行う。
○国際協力においてNGOの果たす積極的な役割を評価し、連携を強化する。
[所要額]
100億円程度。
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★民主党・政権政策=
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/index.html
●地域主権と地方分権は違う
なんだ、みな同じようなことを言っているじゃないかと思われるかもしれないが、そうではない。
第1に、公明党と民主党は共に「地域主権」という言葉を明記し、「地方分権」という言葉を使っていないが、自民党は「地方分権」と言い、「地域主権」という言葉を避けている。自民党が安部内閣時代の07年1月に設置した道州制推進本部が福田内閣時代の08年7月に発表した「道州制に関する第3次報告」では、「中央集権体制を一新し、基礎自治体中心の地方分権体制へ移行」と謳っていて、この時は「一新した上で引き続き中央集権体制そのものは維持するつもりなのではないか」と、一新の意味をめぐって議論が出た。また昨秋の麻生太郎首相の所信表明演説では「最終的には地域主権型道州制を目ざす」と言っていた。が、今回のマニフェストでは「中央集権体制の一新」も「地域主権型」も消えて、単に「道州制の導入」とされている。ということは、道州制を導入するにしても、"主権"の所在が国なのか道州なのか基礎自治体なのか、あるいはその3層に分存するのか、ますます曖昧化しているということである。
★自民党の第3次中間報告=
http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2008/seisaku-021.html
「地方分権」と「地域主権」は根本的に違う。自民党的な地方分権が、明治以来の発展途上国型の中央集権国家が今後とも続くという前提の下で「地方にも権限や財源をもう少し手厚く分けてやろう」という域を出ることがなさそうなのに対して、民主党的な地域主権国家論は、中央集権国家を廃絶して成熟先進国型の地域主権国家に改編しようという「百年目の大転換」とも言うべき革命的改革の提言であり、そのどちらを採るのかが根本問題である。
そのどちらを採るかで、例えば「道州制」の意味は180度、違ってくるので、根本を問わずしていきなり「道州制は是か非か」「区割りはどうするのか」を議論するのは意味がない。中央集権国家は、国〜都道府県〜市町村の垂直統合型が本質であり、単にその延長で都道府県を広域合併して道州に置き換えたところで、それで出来るのは「中央集権型道州制」にすぎず、国=中央官僚が道州を通じて地方を支配することに変わりはない。それに対して地域主権国家は、国〜広域自治体〜基礎自治体の関係は水平分散型であり、そのそれぞれは対等な行政主体として、そのそれぞれで行うのが最も適切な行政サービスを分担する。
「地域主権」という時の「主権」は、政治学的に厳密に言うと「国家主権」との関係がどうなるのか曖昧でありむしろ比喩的な表現と捉えるべきだとの議論もあるけれども、ここでは、国家主権の重要な内容の1つである「課税自主権」「徴税権」を国〜道州〜基礎自治体に水平的に分割することを中心にして、地方が中央から犯されない主体性を保証されているという意味に捉えればいいのではないか。「地域主権型道州制」の先導的主唱者であり内閣官房の「道州制ビジョン懇談会」座長でもある江口克彦(PHP研究所社長)が強調して止まないように、道州制と言うなら「各道州そして各基礎自治体が...中央政府から支配されない『主権』、主体性を持っていることを示すためには、『地域主権』という修飾語を『道州制』という用語の前に付すべきである」(江口克彦『地域主権型道州制』、P64)。
自民党マニフェストの「道州制の導入」に「地域主権型」という修飾語が付かないのは大問題で、そうなったのは、同党内に、官僚勢力の後押しを受けて、地方ブロック単位の国の出先機関を形ばかり縮小して実は温存し、道州制になった暁にはそれを国の道州に対する支配の道具として活用しようと画策する「中央集権型道州制」論者が強力に存在していて、それと「地域主権型道州制」論者との妥協の産物としてマニフェストの表現がまとまったためである。2日のサンプロで私がそれを問うと、その場の議論はワチャワチャになってしまったが、直後のCMの間に石原伸晃=選挙公約作成副委員長が遠くから私に向かって、「高野さん、自民党の中にその2つの考え方があるのは事実なんですよ。私は地域主権の方ですよ」と言い、私は「あなたがそっちなのは分かっているよ」と答えたのだった。
上述の自民党道州制推進本部の第3次報告書は、「道州・基礎自治体の税については課税権・徴税権を自ら行使」し、「課税ベースは国、道州、基礎自治体間で原則共有しない」と明言して、「地域主権型」に近いスタンスをとっていた。そこから明らかに後退しているのに、マスコミはどこもそれを問題にしていない。
●道州制は必須ではない
第2に、自民党と公明党は「道州制」を謳っているが、民主党は謳っていない。民主党がそれを謳わなかったことに対して、大阪府の橋下徹知事や神奈川県の松沢成文知事が批判し、松沢に至っては「道州制に触れていないのは、本気で地方分権、霞が関の解体を究極的にやる根性があるか疑問」とまで言ったが、これは松沢の方が一知半解で物を言っている。
上述のように、道州制にも「地域主権型」と自民党に根深い「中央集権型」とがあるのであって、道州制を言いさえすればいいという訳ではない。また、「地域主権型」の国家像を目ざすという場合に、それが必ず道州制でなければならないというものでもない。
知られているように、小沢一郎は道州制には否定的ないし重視しておらず、「全国を300ほどの"市"に分割する基礎自治体」の上には国しかない2層制(地方1層制)を構想し、「将来は、いくつかの(現在の)県にまたがる州を置くことも考えられようが、基本的には、行政を分かりやすくし、地域住民に密着したものにするためにも、その方が望ましい」と言って来た(『日本改造計画』、93年)。
思想的・原理的にはこれが正しい。85年の「欧州地方自治宣言」で定式化された「補完性・近接性の原理」は、
▼個人で出来ることは個人で(自助)、
▼個人で出来ないことはは家族で(互助)、
▼家族が出来ないことは地域社会で(共助)、
▼それでも出来ないことは[地方・中央]政府で(公助)
----というもので、個人の自立を前提として、問題を出来るだけ身近なところで解決することを旨とする社会編成の考え方で、「自立と共生」を根本原理とするとそのすぐ下位に位置する原理である。この原理に立って地方自治制度を考えれば、国の権限と財源をチョビチョビと道州ないし広域自治体に移し、道州がそれをまた市町村ないし基礎自治体に分け与えるという具合に、上から下ろしていくのでなくて、まず住民にとって一番身近な基礎自治体に可能な限りの生活関連の行政サービスの権限と財源を一挙に渡してしまい、その後に基礎自治体では手に余る広域調整を道州に委ね、それでも追いつかない全国レベルの事柄を国にやらせるというように、下から上へと制度設計を進めて行くことになる。
小沢は、何によらず原理主義者だから、そのような考え方の教示しているのであって、具体的な制度として「基礎自治体は300ほどにすべきだ」とか「道州制はなくてもいい」とかいうことを言っているのではない。それを何も勉強していないマスコミが、今回のマニフェストで「300の基礎自治体という小沢構想は否定したのか」「道州制を謳わないのは小沢に遠慮しているのか」などと民主党の"内紛"を期待するかの質問を繰り返しているのは困りものである。
「地域主権国家」は、小沢の原案のように地方1層制となる場合もなしとしない。また彼が言うように、一旦そのように割り切った上で、すでに強大な権限を持った基礎自治体が近隣と相談して必要に応じて道州の形成を求めることもあるかもしれず、その場合には道州は広域調整以外にあまり大きな権限を持たないかもしれない(緩い道州制=1.5層制?)。しかし江口克彦は「緩い道州制」には反対で(江口克彦・前原誠司編『日本を元気にする地域主権』)、それは「単に都道府県を統合し、統治体制を中央の意のままにする」ようなことになりかねないからである。上述のように、自民党案はそちらに傾く危険を内包している。さらには、州憲法、州裁判所、州兵まで持つ米国の州のように、「きつい道州」による連邦制というケースも理屈の上ではないでもないが、これは恐らく日本には合わない。州知事と州議会を持ち、かなり広範な権限と財源を持って国の介入を許さない程度の「強い道州制」が、江口のイメージだろう。
しかしいずれにしてもそれは、「中央集権国家をやめて地域主権国家に転換する」ことを選択した後の話で、その順番を間違えて、「基礎自治体はいくつにする?」「道州は10なのか12なのか」など区分けの問題にいきなり入ってしまったり、道州制にもいろいろな種類があることを知らずに「道州制是か非か」と議論しようとしたりするようなことだと、国民はこの総選挙で何を選ぶのかますます分からなくなってしまう。
●直接給付か間接支援か
第3に、蛇足ながら、この「補完性・近接性の原理」は、地方自治制度の設計のためだけでなく、政策全般にも貫かれるべきである。2日付日本経済新聞が4〜5面の2ページを使ってマニフェスト特集を組んだ際に、「民主は直接給付、自民は間接給付」という大見出しを掲げたのは、まことに適切だった。ほとんどのマスコミはこのマニフェスト対決の肝心要がどこにあるか全く理解しておらず、例えば7月30日付朝日新聞は1面トップで、民主党の子ども手当と高校無償化に対抗して自民党が幼児教育無償化を打ち出したことを採り上げ、「自・民"ばらまき対決"に」と揶揄的な見出しで解説を付して「民主党が創った"ばらまき合戦"の土俵に(自民党が)引きずりこまれ」ていると述べた。
どっちもばらまきじゃないかというのが、マスコミが盛んに作り出したがっている印象なのだが、日経が言うように、自民党の場合はこれまでは扶養控除という形で間接的に子どものいる家庭を支援してきたのに対して、民主党は「控除から手当へ」という考え方の下、当事者である親に現金で直接支給する方向に転換する。個人・家庭こそが問題解決の主体であり、そこが安心を実感できるように仕向けなければ事は進まないという下からの政策発想があるからそういうことになる。対抗して自民党が打ち出した幼児教育の無償化も、制度として段階的に無償化を進めるのであって、「お上が無償化してやるのだから有り難いと思え」という上からの目線がつきまとう。自民党的には、例えば教育予算は、国が税金を学校や教師に割り振るものであり、その延長で無償化すれば、より大きな予算を扱う文部官僚はますます大きい顔をするし、各種の天下り団体や業界団体の利権という名の中間搾取もまた増える。民主党的なやり方なら、まず税金は直接親の財布に入ってから授業料などとして学校に納められるので、結果は同じようなものに映るかもしれないが、問題解決の主体が国=官僚なのか親=末端生活者なのかという決定的な回路設計の違いがある。
『週刊現代』8月15日号の「噂の天才・ドクターZ(誰だ、こりゃあ?)が民主党のマニフェストを徹底分析」の記事は、民主党の言う農家の戸別所得補償についてこう指摘している。「農業は、農協に補助金を配るより、戸別農家に配るほうが直接的な政策効果が期待できる。しかも、最終受益者でない組織・業界が間に介在すると、補助金目当ての行動をとるようになるから、望ましくない。こうしたところへの補助金は、特定組織・業界を既得権益化するので"ばらまき"をしてはいけないが、マスコミが意味も知らずに、最終受益者への補助金までも"ばらまき"と表現しているのは、明らかな誤りだ」と。
しかも(このドクターZも分かっているのかどうか不明だが)戸別所得補償は、従来の品目別の一律の補助金制度で農協や天下り団体ばかりが肥え太って肝心の農家が衰弱してしまったことへの反省に立って、農家に基本的にWTOやFTAなどを通じての自由化はじめ市場化の波に適合することを求めつつ、しかし天候にも大きく左右される農業は必ずしも市場経済だけで割り切れるものではないことにかんがみて、主要農作物についてその年の市場価格が生産コストを下回った場合にその差額を交付金として補償しようというもので、下回らなければ交付しないのだから今までの補助金とは全く違う。欧州でも、補助金に代わる農家の経営安定策として広く採用されている。これを補助金と一緒にして"ばらまき"呼ばわりするなどもってのほかである。
何度も繰り返して恐縮だが、小沢一郎はこの選挙を通じての政権交代の意義を「明治以来100年余の官僚主導体制を打破する革命的改革」にあると言っていて、鳩山由紀夫代表も解散当日の会見で、その趣旨を明確に述べた。そして民主党のマニフェストにはその時代観が全編に貫かれている。細かい財源論などどうでもいいことで、そもそも自民党にしてからが官僚の掌の上で踊らされて、本当のところはどこにどんな財源や埋蔵金があるのか分からないでこれまで長年やってきたのであって、人のことなど言えた義理ではない。一昨年までは「埋蔵金などあるわけがない」と官僚に言われたら、その通りに国民と野党に向かって鸚鵡返しのように言っていたではないか。民主党政権は、その120年の歴史を持つ官僚と天下りOBたちの秘密の花園に乱入して手探りで探索を開始する。どこにどんなお宝が隠されているか、やってみなければ分からないのが当り前なのだ。マスコミも、もういい加減に「どっちもどっち」のような似非の公正中立性に立てこもって馬鹿なことばかり言っているのは止めて、要するに、これまでの120年間の惰性を選ぶのか次の100年への冒険を選ぶのか、過去をとるのか未来をとるのか、争点はそれしかないことを国民に伝えるべきである。▲