イタリアのラクイラで開かれたG8サミットとMEF(主要国経済フォーラム)は、ホストのベルルスコーニ伊首相が離婚騒動の真っ最中なのはご愛敬として、麻生太郎首相は政権崩壊状況で2国間首脳会談の相手探しに苦労する有様だし、世界経済でも地球温暖化でも実質的な主役であるはずの胡錦涛中国国家主席は新疆ウイグル自治区の争乱で途中で帰国してしまって、それでなくとも前々から指摘されていた「G8は世界の問題を解決できない」という酷評に一層力を与える結果となった。
●2050年温暖化ガス半減論の空しさ
中心テーマの1つである地球温暖化対策については、昨年の洞爺湖サミットで「世界全体で2050年までにCO2半減」の合意形成に失敗したことの反省に立って、今回はG8側が一歩踏み出して「先進国全体で50年までに80%以上削減」を打ち出すことで、途上国を含めたMEFを説得しようとした。しかし、肝心の中国が不在である中で主にインドが反対論の急先鋒となり、またも合意に失敗した。
INSIDERNo.449(08年7月14日号)で指摘したとおり、洞爺湖サミットでは、G8が「世界全体で2050年までにCO2半減」をMEFに呼びかけることに合意はしたものの、実はG8内部ですら米国はその目標そのものに賛成でなく、また日本を含む他のG8諸国にしても、その達成のために自国はどうするのか、2020年の中期目標はどうするのか、まったく曖昧なままで、自分らでまとまっていないことを全世界に向かって呼びかけるという欺瞞が繰り広げられた。それに比べれば今年は、オバマ米大統領の積極的な方針転換によって米国と欧州が早々に「先進国全体で50年までに80%以上削減」目標で合意、日本も孤立を恐れて渋々これに同意したのは、確かに前進だった。しかし、それを達成するための2020年中期目標について言えば、欧州は90年比20%(他の先進国の合意があれば30%)を掲げているのに対し、米国は05年比14%(90年比0%)、日本は05年比15%(90年比8%)で、これで一体本当に50年に80%減をどうやって実現するつもりなのかはほとんど謎である。
こういう数字遊びのようなことをいつまで続けても意味がない。もはや、地球温暖化の問題設定そのものを根本からやりなおすことを考えたらどうか。上記INSIDERでもすでに要旨次のように書いていた。
「そもそもという話をすれば、《2050年にCO2半減》という目標そのものが馬鹿げているのではないか。その頃には、誰が考えても石油生産は世界的にピークを過ぎて急速に生産量が下降に向かっているにちがいなく、私がサンプロで発言したように『放っておいてもそのくらいのCO2は減っていく』。だから、『低炭素化』の中期目標を2020年に設定することには意味があるかもしれないが、長期目標を2050年に設定することにはほとんど意味がない。2050年について語るなら『無炭素化』=『脱石油』の目標であって、そこでは、石油に代わる新しいエネルギー源をどれだけ開発し普及させるかを各国が競い合うことでなければならない」
「日本は、2050年までに世界に先駆けて『水素エネルギー社会』を作り上げてその技術を中国はじめアジアにも惜しみなく注ぐつもりであって、米国あたりがグズグズ言って石油の海に沈みたいのなら日本独力でも《2050年にCO2半減》を遙かに超えて世界とアジアの無炭素化を実現する覚悟であるとでも宣言するなら、日本は『オ、オーッ』と世界をうならせたかもしれない」
●ヤマニ元石油相も言う「水素社会」の到来
石油の世紀としての20世紀は、ゆっくりとではあるが既に終わりの始まりの域に達していて、それに代わって訪れるのは、いろいろ議論のあるところではあるが、私は、水素の世紀としての21世紀であると思う。
7月4日付日本経済新聞「世界を語る」欄に登場したアハメド・ザキ・ヤマニ元サウジ石油相(現在は世界エネルギー研究センター所長)は、「長く続いた石油の時代は終わりに近づいている」と断言し、さらに、石油に代わって主役になるのは何か?との問いに対して、こう言っている。
「太陽光や風力エネルギーがより実用的になっており、原子力発電も増加している。なかでも最も影響があるのは水素エネルギーだ。ハイブリッド技術やバイオ燃料は石油の消費量を減らすだけだが、(燃料電池などの)水素エネルギーは石油を不要にする。水素エネルギーが実用化されたとき、石油の時代は終わる。21世紀はまだ始まったばかりだが、石油に代わる新エネルギーの世紀と呼ばれるようになるだろう」
水素エネルギーへの転換はいつになるだろうか?
「それは分からない。だが近い将来、転換は必ず来る。……原油はまだまだ地下に眠っているし、コストをかけて新技術を使えば採掘できる。だが、時代は技術で変わる。石器時代は石が無くなったから終わったのではない。(青銅器や鉄など)石器に代わる新しい技術が生まれたから終わった。石油も同じだ」
これが、かつて70年代の「石油危機」をもたらしたOPEC(石油輸出国機構)の輝けるリーダーで、その意味で石油の世紀とは何かについて誰よりも深く熟知している人物のエネルギー観である。
ヤマニは、水素社会の到来がいつになるか「分からない」と言う。しかし少なくとも明らかなことは、他のどの先進国よりもそれに近いところにいるのはこの日本である。
6月26日付日本経済新聞に、東京ガス、パナソニックはじめ関連企業が4ページの巨大広告を出して訴えたように、今年5月には「ついに世界に先駆けて家庭用燃料電池コージェネレーションシステム『エネファーム』が一般販売される運びとなった」。
家庭に一家に一台、水素発電機が備わることになれば、現在の電力会社による中央集権的な電力供給体制そのものが無用の長物となる。これについてINSIDERはすでに8年前の01年4月に4回シリーズで「石油から水素へ」を特集した。今となっては、技術面や企業動向などは全く古くなっているが、考え方の根本は変わらないので、アーカイブからその部分を、昨年のNo.449と併せて参考資料として添付する。
政権交代との関係で言えば、自民党政権の迷走ぶりに対し、民主党は「2020年中期目標=90年比25%」と欧州並みの目標を掲げているが、そのように、石油時代の枠内で数字を競い合うよりも、「脱石油、水素社会の実現で2050年までに世界に先駆けてCO2ゼロを目ざす」ことを公約したらどうなのか。▲
==== 添付資料 ====
▼No.449 2008年07月14日号
〓〓〓 SUMMIT 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
予想どおり“失敗”に終わったサミット
──なのに「共有」「合意」という見出しを乱舞させるメディアの罪
言葉のお遊びはいい加減にして貰いたい。毎日新聞を例にとれば、G8の結果について報じた9日付一面トップが「2050年半減『世界で共有』/G8合意/中期目標は数値盛らず」、翌日のMEMについて報じた10日付が「『長期目標共有』で合意/温暖化でG8と新興国/『50年半減』盛らず」と大見出しがついているが、これはどちらも「『50年半減』で合意成らず」でなければおかしい。
9日付の見出しだけ読めば、「2050年CO2半減」の長期目標についてG8が合意したという印象しか浮かばない。ところが実際には、記事の中身は誰もが理解できるように、米国は明らかにこの長期目標に反対で、G8は合意に失敗した。また「半減」をいつを基準年にして達成するのかについて欧州と日本との間で大きな食い違いがあり、それを埋めることにも失敗した。従ってさらに、それを達成するための現実的な目標として2020年の中期目標を確定することが長期目標への真面目さを占う試金石として注目されたが、もちろんそれにも失敗した。
●メインテーマにしたのが間違いの始まり
そもそもから順を追って言えば、まず日本国内でさえも確かな合意がない。安倍晋三前首相は6日のサンプロに退陣以来初めてTV出演して、終始にこにこと愛想よく、饒舌に、「昨年のドイツ・サミットで《2050年にCO2半減》を提案して『真剣に検討する』という議長総括を引き出したのは自分だ」と語った。しかしその中身のことになると、半減というのがいつを基準年としての話なのかについては曖昧のままに留まっていて、「数値目標というよりビジョンを共有しようという呼びかけだった」ことを認めた。
このように、曖昧なことを足して二で割るといった調子で安易に口にして、後なって困ってしまうというのが日本外交のパターンで、あの京都議定書にしてからが、欧州がそれなりの意思統一に基づいて90年基準で8%という目標を明示しているのに対し、当初は米国も日本も反対していた。ところがゴア副大統領が乗り込んできてこれもまた唐突に「米国は7%」と言い出して、驚いた日本は弾みで「じゃあ6%」と言ってしまって、結果的に全く達成できずに窮地に追い込まれた。その反省に立てば、今回のサミットで国内議論の調整と米欧それに中印など新興国との摺り合わせを万全にすることなく、地球温暖化をメインテーマに押し上げることは危険極まりないことと考えるのが普通なはずだが、外務官僚の入れ知恵なのかどうか、福田康夫首相は「昨年の安倍は半減を『真剣に検討する』に留まったので、今年はそこから一歩踏み出して『合意』に持ち込めれば大成功」という課題設定をしてしまった。
それならそれで、まず国内の議論を固めなければならないが、そこではまず《2050年にCO2半減》を安倍の言うように単なるビジョンとして神棚に飾っておこうという話なのか、それともG8共通の数値目標として義務化しようとするのかを明確にしなければならなかった。が、そこは曖昧のまま福田は「福田ビジョン」で独断専行的に《2050年にCO2半減》を長期目標だと宣言した。ビジョンであれば、どうせ42年も先のことでそのころ世の中がどうなっているかも分からないから「まあいいか」という程度の合意らしきものは達成されうるが、それが長期目標であるならば、基準年を明確にして、さらにその達成のために必要な2020年の中期目標を明確にしなければ目標にはならない。ところがそうなれば産業界ははっきりと反対で、中期目標は国内的に設定不可能である。それでは、世界の誰も長期目標を真面目なものとは受け止めないから、何の説得力もない。ブッシュ大統領を説得できなかったのは当たり前で、そのためG8は長期目標も中期目標も具体的な数値をあげて「合意」を達成することは出来なかったである。
ではG8は何を合意したのかと言えば、「50年半減」を気候変動条約の全締結国と共有し採択を求めることに合意したのだが、G8で合意できなかったことをどうして全世界に向かって合意を求めることが出来るのか。「何を言ってるんだ、顔を洗って出直してこい」と言われるに決まっている。事実、G8翌日のMEMでは早くも「50年半減」が消えて、「世界全体の長期目標共有を支持する」ことで「合意」した。内容抜きの長期目標を共有するというのは一体どういうことなのか。長期目標を共有できればそれに越したことはないけれども、具体的な数値やその負担率に踏み込んだら全く合意不可能ですね、という意味である。日本国内もG8もMEMも全部「総論賛成、各論反対」で、しかも後になるほど内容が後退している。こういうのを「失敗」と言うのである。
何で新聞ははっきり「失敗」と書かないで、「共有」とか「合意」とか、さも何事かが成し遂げられたかのような言葉のトリックにいそしんで福田や外務省を喜ばせようとするのか。しかもそのメディアの「サミット翼賛」の大合唱を調子を合わせて、広告までもがエコ技術の全面広告(旭化成など全紙に3ページ広告を打った!)ではやし立てている有様は一体何なのか。電通がこのサミット特需で大儲けして、新聞もその広告ほしさにデタラメ記事を書いたというのが真相であれば、この国のジャーナリズム精神は死に貧していることになる。
●目標は「低炭素化」でなく「無炭素化」ではないのか
もっとそもそもという話をすれば、《2050年にCO2半減》という目標そのものが馬鹿げているのではないか。その頃には、誰が考えても石油生産は世界的にピークを過ぎて急速に生産量が下降に向かっているにちがいなく、私がサンプロで発言したように「放っておいてもそのくらいのCO2は減っていく」(田原総一朗さんも「あっ、そうか」とか言っていた)。だから、「低炭素化」の中期目標を2020年に設定することには意味があるかもしれないが、長期目標を2050年に設定することにはほとんど意味がない。2050年について語るなら「無炭素化」=「脱石油」の目標であって、そこでは、石油に代わる新しいエネルギー源をどれだけ開発し普及させるかを各国が競い合うことでなければならない。
日本は、2050年までに世界に先駆けて(議論の余地はあるところだが例えば)「水素エネルギー社会」を作り上げてその技術を中国はじめアジアにも惜しみなく注ぐつもりであって、米国あたりがグズグズ言って石油の海に沈みたいのなら日本独力でも《2050年にCO2半減》を遙かに超えて世界とアジアの無炭素化を実現する核であるとでも宣言するなら、日本は「オ、オーッ」と世界をうならせたかもしれない。せっかくのチャンスをピンチに変えた福田首相の暗愚が問われるところである。▲
▼No.009 2001年4月5日号
〓〓〓 Hydro Revolution(1)〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
石油から水素へ──電力会社の危機の本質
3月30日付の日本経済新聞近畿版に「関西電力が、ガスを売る。驚きですか」という関西電力の全面広告が出た。「電力会社が、電気に加えてガスを売る。これには理由があります。お客さまにご希望のエネルギーシステムをお届けするためです。……4月2日『関電ガス&コジェネ株式会社』を設立、ガスの販売をはじめコジェネシステムのサービスを提供します」というこの広告の意味を理解できたのは、専門家や業界関係者を別にすれば、広瀬隆『燃料電池が世界を変える』(NHK出版、2001年2月刊)を、この著者独特のリテラシーの難渋さに耐えて最後まで読み通した熱心な読者だけだろう。
一言をもってすれば、この広告は、石油から水素への人類のエネルギー源の転換という驚天動地の事態が進行するに伴って、10年後ではないかもしれないが、15年か20年後にはたぶん確実に、関電を含めた電力10社体制そのものが廃絶されるに違いないという見通しが強まっている中で、せめて最後は天然ガスの輸入・供給会社として生き残るしかないかという、同社の悲壮な覚悟の一端を示したものと読むべきである。
●電力自由化の衝撃
新聞は、いま電力会社が直面している問題を、主として、昨年3月に実施された「電力自由化」によって、大口需用者向けの電力小売りに三菱商事系のダイヤモンドパワーはじめ異業種からの新規参入が始まり、電力の需要そのものが低迷していることとも相俟って、電力会社が需要見通しの改訂と経営体質の改善を迫られているといった事柄として解説している。確かに大口自由化はそれだけでも、これまで国家的独占の上にあぐらをかいてきた電力会社にとって、かなりの衝撃には違いない。しかし、電力側の予測では、新規参入者のシェアは2001年度で5億5000万kw、約90億円、電力総需要の0.07%にすぎないし、2010年時点でも34億kw、0.35%であって、それで電力各社の経営がおかしくなるような話ではない。電力各社が3月末に発表したように、10社合わせて火力を中心に計14の発電所、488万kw分の建設を延期するという程度の対応で済むことである。
新規参入者は確かに脅威ではあるけれども、例えば3月に行われた福岡県庁ビルの電力入札で九州電力が、自由化以前の料金よりも14%以上も値引きをすることで新規参入者を退けた事例が示すように、価格競争で生き残りを策していくことも可能だろう。日本の電力総需要の30%は家庭用、45%はビル・商店用、25%は産業・大工場用だが、1kw時の平均的電気料金はそれぞれ25円、20円、12円である。ビル・商店用の半分弱が大型オフィス・商業ビルで、それと産業・大工場用を合わせたものが大口だとすると、収益的には家庭用および小商店用が7割、大型ビルおよび大工場の大口が3割。日本の家庭や小商店が世界で一番高い電気代を黙って払い続ける無知と従順さを失わなければ、電力会社としては、そちらでボロ儲けしながら、大口向けでさらに価格を下げて新規参入者の頭を抑えつけることが出来るかもしれない。しかも、新規参入者は今のところ、鉄鋼・化学などの大工場が持つ自家発電設備の余剰電力を買って、特定の企業やビルなどに入札を通じて転売しているにすぎず、供給能力には限界がある。今後は彼らも、自前の発電所を建設したり、既存のものを買い取ったりして供給能力を高めるだろうが、しょせんはゲリラ的隙間産業にとどまるだろう……。
このようなストーリーは、今後とも(1)人類の主なエネルギー源は石油・天然ガスと原子力であり、従って(2)日本の生活と産業を支える主な電力供給源は電力各社が保有する出力100万kwなどという巨大火力・原子力発電所であり、従って(3)それら電力会社の地域独占と広域送電網による集権体制は変わることがない──という前提で成り立っているものである。しかし、もし広瀬が指摘するように、(1)人類の主なエネルギー源は水素に移行しようとしており、従って(2)そう遠くない将来にすべての工場やビルや家庭が自前の中型もしくは小型の発電機を備えて、自ら必要とする限りの電力と熱を効率よく自給することになり、従って(3)現在の原発はじめ巨大発電所も広域送電網も無用の長物になる──ということであるとすれば、簡単に言って、電力10社体制そのものが要らなくなってしまうのであって、「電力自由化で大変」とかいうレベルのことではない。
水素に酸素を反応させて電気と熱水を取り出す「燃料電池」は、1960年代から米国の宇宙船用の電源として実用化されていたが、それを思い切って小型化・低コスト化して自動車のガソリン・エンジンに代わる動力として利用しようという発想が生まれたのは1990年代初めのことで、93年にカナダの燃料電池研究ベンチャー「バラード・パワー」とドイツのダイムラー・ベンツが開発契約を結んだのが、日米欧を巻き込む技術開発競争の号砲となった。昨年のシドニー五輪のマラソンでは、排気ガスが一切出ないGM製の燃料電池カーが先導車として登場し、注目を集めたが、これはまだ試作車の域を出ず、トヨタ・GM連合やダイムラー・フォード・三菱自動車連合の実用車が市場に出回り始めるのは2003年から2004年にかけてである。車に積めるような小型で安価な発電機が出来るなら、それを各家庭に一家に一台設置して、必要なだけの電気を起こせばいいではないかという連想が生まれるのは当然で、こちらのほうも遅くとも2005年には商品として売り出される見通しである。
この家庭用の燃料電池の特徴は、詳しくは後述するが、(1)窒素酸化物(NOx)や硫黄酸化物(SOX)のような有害物質が一切出ない究極のクリーン・エネルギーであること、(2)電気だけでなく排熱を給油や冷暖房にフル活用することによって、エネルギー効率が(今の技術でも)80%かそれ以上になること、(3)何層でも積み重ねることによって、住宅1戸でもマンションやビル1棟でも、必要なだけの出力を得ることが出来る──ことである。
この電気と排熱の両方を活用するのがコジェネレーション(コジェネ)だが、これは燃料電池とは別の、天然ガスを燃料としたマイクロガスタービン発電機で都市の一角やビルのエネルギーを賄うシステムとして、欧米では急速に、日本でも徐々に、普及しつつある。従来の原発や旧式火力では、エネルギーの33%しか利用できず、残りは排熱として捨てられている。遠隔地の人里離れたところに立地した巨大発電所では、排熱の利用は難しく、地域やビルや家庭に小規模分散的に発電機を置くことによって初めてコジェネが可能になる。そのマイクロガスタービンによる地域発電や工場・ビル発電を東京ガス、大阪ガスがトヨタはじめ内外のメーカーと手を組んで盛んに進めており、さらに間もなく燃料電池による分散型発電が家庭を含めて広く普及するようになった場合も、当分のあいだ燃料には天然ガスを使うことになる公算が大きいため、電力会社が焦りまくっているというのが、冒頭の関電の広告が黙示していることである。
ダイヤモンドパワーなどによる電力転売くらいならまだ耐えられるが、天然ガスの燃料電池が各ビルや家庭に普及することになると、これはエネルギー供給の原理とシステムの異次元への転換であって、電力会社の存立に関わることである。だから、電力会社も「コジェネ」に手を出さざるを得ないのだが、それを認めることは既に今の巨大発電所と広域送電網のシステムそれ自体の自己否定であり、地獄への第一歩となるだろう。
昨年の電力自由化の直後、日経新聞の中島彰編集委員は「家庭発電所に異を唱える企業があるとすれば、それは顧客を失いかねない電力会社だろう。しかし、彼らには発想の転換を求めたい。都市ガス会社からガス管を借りさえすれば、彼らも家庭発電所をにらんだ新ビジネスを営む道が開けるはずだ」と、電力界にアドバイスを発した。大量の天然ガスの長期輸入契約を抱える電力各社が、ガス会社の下請けのようになってガスだけを売っている姿など、2〜3年前には誰も想像することさえ出来なかったはずである。[続く]
▼No.009 2001年4月5日号
〓〓〓 Hydro Revolution(2)〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
石油から水素へ・続──世界を二分する燃料電池車の開発
●実用化間近の燃料電池車
今から160年ほど前に燃料電池の原理を発見したのは、英国の28歳の青年ウィリアム・グローブだった。後に英国王立研究所の副会長になる彼は、水を電気分解して一方の極に筒をかぶせて水素を回収し、他方には酸素を回収する実験を行っている最中に、電極にガスが吸収されて電流が発生することを発見し、これを「ガス電池」と名付けて特許を取った。しかし当時は石炭と蒸気機関の時代で、それがやがて石油とガソリンエンジンの時代に移り変わって行く中で、この世界最初の人工的な電気化学反応による発電原理に目を向ける者はいなかった。1889年になってドイツの化学者ルートヴィッヒ・モンドが、その原理に基づいて石炭ガスを使った発電を試みて、その装置をフュエル・セルと名付けたが、失敗に終わり、その実用化は、1959年、英国のフランシス・ベーコンらによる5kwの燃料電池の完成まで待たなければならなかった。
ところで、広瀬によると、フュエル・セルを日本で「燃料電池」と訳しているのは、完全な誤訳である。「燃やしもしなければ、電気もためずに、燃料電池とは、これいかに」であって、実際にはフュエル・セルは、「爆発しやすい水素」を燃やすわけでもないし、それで生まれる電気を「公害の塊である電池」に貯め込むものでもなくて、「水素と空気(酸素)を入れると電気が流れ、同時に熱を出しながら水が出来るような発電機」である。確かに、セルは「電池」の意味でも用いられるが、物理化学では「電気分解装置」のことで、「燃料=エネルギーを得るための電解槽」というのが逐語訳。多少意訳して「電解発電機」か「水素発電機」だろう。
仕組みのポイントは、物質を電気的にプラスとマイナスに分離する性質を持つ「電解質」で、それに何を用いるかによって、高分子膜(PEM)型、アルカリ型、リン酸型、セラミック型、溶融炭酸塩型がある。ベーコンらが最初に実用化し、間もなく米宇宙開発で活用された燃料電池はアルカリ型で、水酸化カリウムを使った。が、今日の世界的ブームのきっかけを作ったカナダのバラード社の方式は高分子膜型で、それはおよそ次のような構造になっている。
真ん中に導電性のある固体の高分子で出来た薄い膜があり、陽極と陰極を隔てている。両極は内部が隙間だらけの多孔質の物質で出来ていてガスを通す。膜に接する面には触媒の作用をする白金が薄く塗ってある。陰極の側に水素ガスを送り込むと、電解質膜と触媒の作用で陽子と電子が分離して、陽子はプラスの陽子イオンとして膜を通り抜け、陽極に向かう。残されたマイナスの電子は両極の間をつなぐ電線を走って陽極に向かうので、電線に電流が生まれ、それを家庭の電源や自動車の動力として利用する。電子がエネルギーを使った後、陽極に入ると、プラスの陽子が待ちかまえていて再び結合しようとするが、そこへ空気を送り込むと、空気に約20%含まれている酸素が電線から出てきた電子を横取りしてマイナスの酸素イオンになり、それが水素の陽子と結びつくことで水になる。ガスが水になる時に電子のエネルギーが熱として放出される。そのようにして、水素と空気を入れると電気と熱と水が生まれるという奇妙な発電機が作動するのである。
バラードは、79年にたった3人で設立された研究ベンチャーで、当初はリチウム電池の開発に携わっていたが、83年からカナダ国防省の委託で高分子膜型の燃料電池の開発に進出し、その技術は90年前後までにほぼ完成に至っていた。それにダイムラー・ベンツが着目して、93年に自動車用燃料電池で開発協力する4年契約を結ぶとともに、ダイムラーがバラードの株を25%取得、その年の内に早くも20人乗りのバスの路上実験に成功して、バラードはナスダックに上場を果たした。95年には、ガソリン・エンジンと同等の性能でありながら、エネルギー効率を54%まで高めた30kw級の燃料電池を開発し、それを見て世界はこれが単なる夢の未来技術でないことを知って色めき立ったのである。ガソリン・エンジンのエネルギー効率はわずか15%、ディーゼルでも24%にすぎない。それ以降、同社が達成しためざましい技術的進歩と、次々に台頭してくるそのライバルたちとの激しい開発競争のいちいちについては、広瀬の大著を読んで頂くほかないが、ごく最近の同社の動向や製品については
http://www.ballard.com/
を参照するようお勧めする。燃料電池の原理を中学生でも分かるように解説したアニメも見ることが出来る。またダイムラー・クライスラーのこれに関する膨大な情報は
http://www.daimlerchrysler.com/index_e.htm(現在リンク切れ)
で「fuel cell」を検索すると参照できる。
バラードの先駆者としての地位を決定的にしたのは、99年4月の「カリフォルニア燃料電池パートナーシップ」の結成である。これは、カリフォルニア州政府が打ち出した「2003年以降、同州で車を販売しようとする者は10台のうち1台は完全無公害車を販売しなければならない」という、いわゆる“2003年規制”を実現するため、同政府がバラード、ダイムラー・クライスラーのほか大手石油会社3社に呼びかけて作った研究共同体で、後からフォルクスワーゲン、ホンダ、トヨタなども参加した。当初は、バッテリー充電式の電動自動車が本命と考えられていて、それをイメージして「完全無公害車」のシェア10%義務づけが定められたのだが、電動自動車は車そのものは完全無公害でも、その充電に必要な電気は既存の発電所で作られるので、それを含めた全過程では無公害とは言えないという議論になり、燃料電池車を中心に「ほとんど無公害に近い車」10%を目指すことになったのである。
ダイムラーはすでに、バラードの技術を使ってメタノールから水素を得る方式で走る燃料電池車を2004年から量産する体制に入ると公表しており、この陣営には米フォードや日本の三菱自動車やマツダも加わっている。ホンダと日産もバラードの燃料電池を使っているので大枠としてこの陣営だろう。それに対して米GMとトヨタは、ガソリンもしくはそれとよく似た性質を持つクリーン炭化水素燃料(天然ガスを液化する過程で不純物や有毒物質を取り除いた合成燃料)を使う方式による燃料電池車を2003年から市販すると発表している。GM・トヨタ両社とも、電動自動車、ガソリン・エンジンと電池を併用するハイブリッド車、メタノールやナフサや天然ガスなど他の燃料を使った燃料電池車を開発してきたが、今年に入って結局ガソリンに絞り込んだ最大の理由は、全世界に散らばる既存のガソリン・スタンドをそのまま燃料電池車の燃料補給ステーションとして使えるので、最も普及が速く事実上の世界標準になる可能性が高いからである。
GMは3月21日に米エクソン・モービルなどと行った共同研究の結果を発表し、燃料電池車の燃料は、最終の目標は再生可能なセルロース(植物繊維)であるけれども、当面の間はガソリンが最も効率的で環境負荷が小さいと結論づけた。ダイムラーが推進するメタノールは、単体の車だけを比べればより高い燃費性能を示すが、地下から採掘されてから、生産・精製・製造・輸送・貯蔵を経て車の燃料タンクに届くまで(well-to-tank)のコストと環境負荷を勘案すれば、ガソリンのほうが優れているとしている。この報告についてのプレス・リリースはGMホームページのニュース欄の中のプレス・リリース3月21日付
http://www.gm.com/cgi-bin/pr_index.pl(現在リンク切れ)
で読むことが出来る。またトヨタとGMの提携については、トヨタのホームページのニュース欄
http://www.toyota.co.jp/News/(現在リンク切れ)
の1月9日付に詳しい。
●住宅用発電機の可能性
こうして、ダイムラー・グループとトヨタ・GM連合が世界を二分して激しく競い合うことで、燃料電池車の実用化が目前に迫りつつあるが、その中で燃料電池の高性能化と低コスト化をめざす部品や素材の開発戦争もめざましい勢いで展開されており、そのことが、数万円で購入できる住宅用の超小型発電機の普及可能性を手前に引き寄せている。燃料電池車は欧米主導で、かろうじてトヨタやホンダがそれに互して頑張っているという図式だが、小型冷蔵庫ほどの大きさのコンパクトで安価な発電機を量産するといった家電感覚の事業となると日本が強い。実際、この分野で世界をリードしつつあるのは、東京ガス=松下電器、大阪ガス=三洋電機、東邦ガス=松下電工の3大ガス・家電連合である。家庭用の燃料電池の燃料は、当分の間、天然ガス(とプロパン、灯油のミックスか?)が中心になると考えられているから、都市にくまなくガス供給パイプ網を持つガス会社にとっては電力会社との力関係を転覆する絶好のチャンスである。家電各社は、中型・小型発電機そのものの需要はもちろんのこと、それをコジェネ・システムとして活用することで、例えば風呂や台所の給湯器が不要になって直接温水を供給することになるとか、冷暖房エアコンや除湿器や床暖房やふとん乾燥器なども電気を使わずに温排水を活用することになるとか、家庭用エネルギーの半分以上を占める熱利用の部分に一大変革が起きて、とてつもなく大きな新市場が生まれることに期待をかけている。
米国でももちろん住宅用の開発が進んでいる。バラードは早くも96年に、数kwの住宅用や数百kwの事業所用の燃料電池の開発をめざして日本の荏原製作所と合弁で子会社を設立し、これにNTTと東京ガスが参加して実用化実験に取り組んでいる。荏原が目指しているのは、下水の汚泥から発生するガスを燃料にして発電するシステムで、すでに苫小牧市の下水場でその実験に着手している。バラードの後を追う米オレゴン州の新興ノースウェスト・パワー・システムズ社は、最初から住宅用に着目し、99年には5kwの出力でエネルギー効率が95%という画期的な家庭用燃料電池を公開し、翌年にはその製品化のために新潟県の石油ストーブのトップ・メーカーであるコロナと技術提携した。コロナが考えていることの1つは、発電機が生む大量の湯を豪雪地帯の屋根や道路の融雪に活用するコジェネである。こうして、米国企業も家庭用の製品化となると、日本に助力を求めてくるのである。
ただし、住宅用を思い切って普及させようとする行政や事業家の意欲となると、すでに原発に事実上見切りをつけてしまった米国と、未だに原発推進の建前を崩すことが出来ない日本とでは天と地の違いがある。上述のカリフォルニア州政府による「カリフォルニア燃料電池パートナーシップ」の組織化はその代表例といえる。またテキサス州の石油王ハント一族は99年に、同州シェイリーランドに開発する居住人口3万5000人の新しい住宅地開発に当たって、すべての住宅に燃料電池を設置するという構想を発表して話題を呼んだ。テキサス州政府は公聴会まで開いて慎重に検討した末、これを認可し、さらに州議会で「電力産業再編成法」を通過させて、「個人住宅はじめショッピングセンター、病院、オフィスビルなど消費者が電力を使用する場所で発電する分散型発電(具体的には燃料電池はじめマイクロガスタービン、太陽、風力など)を奨励する」との大方針を打ち出した。これによって全米最大の電力を消費するテキサスの州民は、停電から解放され、電気代を節約できる上に余剰電力が出た場合は従来の送電線に接続して売電することが出来、大気汚染を軽減させることが出来る。この法案に署名したのがブッシュ・ジュニア州知事、今の大統領である。
余談ながら、このことから推測すると、ブッシュ政権のエネルギー戦略の柱の1つは、燃料電池の技術をテコにして「石油から水素へ」の時代転換の主導権を確保することである。先頃、同政権が地球温暖化京都会議の二酸化炭素削減のための議定書から離脱することを公言して世界中から非難を浴びていて、それは確かに国際政治の常識とかけ離れた粗暴な態度であるには違いないが、反面、地球温暖化会議が、20世紀と同様、今後とも人類が石油を直接燃やすエネルギー生活を続けるかの前提に立って、しかも地球温暖化の最大の原因が二酸化炭素であるかに断定して、その排出量削減に焦点を絞ろうとする路線をとっていることが、本当に正しいのかという疑問があることも確かである。
広瀬は、温暖化の主因が二酸化炭素であるというのはフィクションであり、それよりも原発がエネルギーの33%しか電気として利用できずに残りをすべて排熱として海に流し、海水の温度を上昇させ、近海の生態系を破壊していることのほうが余程問題だと指摘、温暖化会議は「原発は二酸化炭素を出さないクリーンな発電」という宣伝に利用されていると批判している。ここはいろいろ議論が出るところだろうが、少なくともブッシュは、州知事時代から燃料電池を中心とした無公害の分散型発電の時代がもう目の前に来ていることを熟知していて、地球温暖化会議の路線は見当違いで時代遅れだと考えているだろうことはまず間違いない。
日本の政府・自治体がこうした変化のスピードに付いていけずに、相変わらず原発中心の10電力集権体制が永遠であるかの幻覚に溺れて戦略的な対応を怠っていれば、せっかくの日本企業の優れた技術も巨大な国内需要も、おいしいところはみな米欧に囲い込まれ食い荒らされることにもなりかねない。[次号に続く]▲
▼No.011 2001年4月15日号
〓〓〓 Hydro Revolution(3)〓〓〓〓〓〓〓〓〓
石油から水素へ・続々──マイエレキの世紀
広瀬隆は「マイエレキの時代がやってきた」と書いている。「エジソンとウェスティングハウスによって本格的な発電所が建設されて以来、世界は過去100年間、ひたすら大型発電所による集中化を進め、それによって発電効率を高めようとしてきたが、21世紀から逆の時代を迎えることになる。それぞれ電気を使用する場所に小型・中型の発電機を設置し、最終的には家庭に1台ずつ発電機を持つ。マイカーと同じように、マイエレキの時代がやってきたのである。あちこちに発電機が置かれるので、これを分散型電源と呼んでいる」 実際、自動車用の水素エンジンを軸とした燃料電池の開発競争が行き着く先は、1家に1台の発電機が置かれるマイエレキの時代であり、しかもそれは遠い将来の話ではなく、数年中に現実となり始める。そのことは、エネルギー供給の体系だけでなく、環境汚染への対処を含めた人類の自然との関わり方そのものを異次元に引き上げる、まさにパラダイム・シフトが起こりつつあることを意味している。
■無公害、そして無制限?
第1に、燃料電池は基本的に水蒸気しか出さないので無公害である。自動車・工場・大型発電所による硫黄酸化物、窒素酸化物、二酸化炭素、浮遊粒子状物質などの排ガス公害を限りなくゼロに近づけていくことが出来る。また発電時に騒音も振動も出ないので、その面でも無公害である。
第2に、エネルギー効率が極めて高く、ガソリンや天然ガスを主燃料にする最初の段階でもすでに十分に資源節約的であり、さらに今後、太陽・風力などの自然エネルギー利用、ゴミなどの廃棄物の活用、セルロースなど再生可能な資源の導入が進めば、有限な化石燃料に頼らずにエネルギーを供給する可能性を秘めている。
最初の段階でもエネルギー効率が高くなる最大の要因は、排熱の利用可能性である。原子力発電や旧式の火力発電所では、投入するエネルギーのうち電力として活用されるのは33%で、残り67%は排熱として捨てられる。活用率は新型火力でも40%。たいていは遠隔地に立地される大型発電所、とりわけ人里離れた海岸に作られる原発では、排熱を活用する用途が周辺にないので、むざむざ温水として海に流されて生態系を壊すのに役立っているだけである。しかも平均5%と言われる送電によるエネルギー・ロスもあるので、さらに効率は落ちる。
それに対して、電気化学反応を使って発電し排熱をも利用する燃料電池や、ガスタービンで発電し排熱をも利用するマイクロガスタービンなど、コジェネ方式の場合は、エネルギーの平均80%までが電力または熱源として使われ、捨てられる熱は20%にすぎない。大阪ガスが日産ディーゼル工業のガスエンジンを使って2000年6月に開発した210kwのコジェネ・システムでは、すでに87.5%の効率が達成されており、今後の技術進歩で効率はさらに向上するだろう。
家庭用のエネルギーのうち照明、動力などに使われているのは35%で、残り65%は風呂、冷暖房用エアコン、床暖房など温熱として使われている。この後者のかなりの部分を、電力ではなく、発電の際の排熱による温水で賄うことで、80%以上という驚異的なエネルギー効率が実現する。ということは、同じ必要エネルギーを得るのに投入する燃料が40%で済み、従って、仮に化石燃料を使い続けたとしても、その枯渇までの年限は2.5倍に伸びるということである。
ところが、水素を得るのに今は化石燃料を改質するのが最も手っ取り早いというだけのことであって、理屈の上ではどこからでも水素を得ることが出来る。米カリフォルニア州などでは、太陽光発電のエネルギーを用いて海水を淡水化し、それを電気分解することで水素を得る実用化実験が行われているし、日本でも東京工業大学が太陽熱を使って炭素からメタノールを合成して発電用燃料をつくる研究を進めている。あるいは、すでに汚水処理場などで試みられているように、生ゴミや家畜の糞尿、下水の汚泥などからメタンガスを回収する方法も有力で、鹿島はすでに99年に、生ゴミを粉砕して微生物を加えて分解し、取り出したメタンガスを改質して水素ガスを得、燃料電池で発電するシステムを開発し、1トンの生ゴミから580kwの電気を生み出せることを実証した。プラスチック廃棄物を石油に分解する技術が完成すれば、もちろんそれからも水素を取り出すことが出来るから、日本の場合で年間5000万トンの家庭ゴミと4億トンの産業廃棄物の山は、実は宝の山ということになる。
さらには、再生可能なバイオマス(生物資源)を水素の源として活用しようという考えもある。本稿第2回で触れたように、GMは当面の水素源としてガソリンが最有力だという報告書を3月にまとめたが、その中で「我々の最終目標は再生可能なセルロースだ」と明言している。トウモロコシの芯や木屑や籾殻などの植物性廃棄物を活用するとか、生長の早い植物を栽培するとか、日本中で放置されている杉林を切って杉チップにするとかすれば、水素の源は事実無尽蔵なのである。
そのようにして、水素を化石燃料から取り出さないようになれば、化石燃料は燃料としてではなく化学工業の原料としてだけ利用し、しかもプラスチックの完全リサイクル技術が確立すればほとんど新たに掘り出す必要がなくなるから、その資源量は半永久的に枯渇しないことになる。
第3に、分散型の発電体系になることにより、破滅的な事故を起こす危険がある原発も、公害を撒き散らす大型火力発電所も、川の生態系を破壊する水力発電用のダムも、またそのような遠隔地から都会に電気を届けるための全国に張り巡らされた送電網も、すべてが過去の遺物となり、それらの建設・維持・廃絶のためのコストと危険負担、送電によるロスと電磁波障害、災害などによる停電のリスク、環境と景観の破壊から社会が解放される。
■電池も要らなくなる
さらに面白いことに、デスクトップ型パソコンなどのオフィス用・家庭用のエレクトロニクス機器の電源や、ノートパソコン、ウォークマン、携帯電話など携帯用機器の電池も、超小型の水素発電機に置き換わることになる。エレクトロニクス機器は、コンセントから交流電気を取り入れて直流に変換しているが、燃料電池が生み出す直流をそのまま使う方が効率が高く、信頼性もある。家庭やオフィスに発電機が備えられるようになれば、そこから直流電気を取ってもいいのだが、それよりも無停電の小型燃料電池を初めから内蔵している形になるだろう。
携帯用機器の電池では、93年にソニーが開発した充電式のリチウムイオン電池が全盛で、これは使い捨てでなく環境負荷は小さいが、まだ重く高価で、いずれ超小型の燃料電池に置き換えられる。使い捨て電池の用途は、時計、懐中電灯、ガスレンジなどの点火装置、カメラ、おもちゃなどまだたくさんあって、そのリサイクルがなかなか進まないことが問題となっているが、これも燃料電池になれば自ずと解決する。
この分野では、ビル・ゲイツも投資している米ワシントン州のアヴィスタ社、モトローラと米国立ロス・アラモス研究所のグループ、日本では松下電器などが最先端を走っている。モトローラが試作した携帯用燃料電池は、従来の充電型電池に比べて10倍も小型で、しかも燃料のメタノールを万年筆用のインク・カートリッジのように差し替え式で供給するもので、1回の差し替えで携帯電話なら1ヶ月、パソコンなら20時間以上、連続作動する。
燃料電池は、自動車以外の交通機関でも応用が進むだろう。とりわけ有望なのは船舶で、カナダのバラード社はすでに潜水艦用のメタノール燃料の40kw発電機をはじめ各種の開発を進めている。原子力潜水艦は、長期間にわたって海に潜ったまま行動するために、少量の燃料で運転できる原子力発電を動力に用いるわけだが、これが燃料電池に置き換われば、電気だけでなく真水や温水も得られるし、騒音もない。さらに将来的には、海中微生物をバイオマスとして捕獲して水素を得て、その気ならいつまででも潜っていられるようなことになるだろう。また水上船であればm上述の太陽光や風力による発電と水素発電を組み合わせる方式で、海水から水素を得て船が動くことになる。また鉄道機関車に燃料電池を用いる研究も、すでに日本や米国で始まっている。
こうして、人類の生活を支えるエネルギーをどうやって獲得するかについての20世紀までの常識は完全に覆りつつある。われわれはすでに「水素エネルギー社会」の入口に立っているのであり、そのことを遠慮がちな資源エネルギー庁「燃料電池実用化戦略研究会」の1月22日付の報告書でさえも宣言している。「おわりに──固体高分子型燃料電池:21世紀の水素エネルギー社会の扉を開く鍵」を別項で紹介する。▲
▼No.012 2001年4月16日号
〓〓〓 Hydro Revolution(4)〓〓〓〓〓〓〓〓〓
石油から水素へ・続々々々──エネ庁研究会の報告書
資源エネルギー庁が茅陽一慶応大学教授を座長に研究者・業界代表28人を集めて作った「燃料電池実用化戦略研究会」は、99年12月から9回にわたる会合を重ね、今年1月に報告書をまとめた。ここではその中から「おわりに」の章を全文紹介する。水素エネルギー社会の到来を予想しながらも、その意義を出来るだけ自動車・交通部門の燃料転換による環境保全効果に片寄せて、1家に1台の分散型発電体系への移行によって原発も電力会社も無用になるという肝心なポイントには余り触れないようにしているところに、エネ庁の限界がかいま見えている
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燃料電池実用化戦略研究会報告(2001年1月22日)おわりに
──固体高分子型燃料電池:21世紀の水素エネルギー社会の扉を開く鍵
人類がこれまで大規模に使用してきた燃料の歴史を振り返ると、18世紀後半の産業革命期の石炭に始まり、20世紀には石炭から石油へと移行し、この数十年の間には石油から天然ガスへと移行しつつある。こうした流れは、炭化水素燃料からの脱炭素化(石炭、石油、天然ガスの順に単位質量あたりの炭素数が少なくなる)の流れであり、脱炭素化の進展に伴って、地球環境への影響はより少なくなっていく傾向にある。今後も、脱炭素化の流れは変わらないものと考えられ、21世紀半ばには、炭素を全く含まずCO2を発生しない水素が重要なエネルギーとなる水素エネルギー社会が到来することが予測されている。
水素は究極のクリーンエネルギーであり地球環境問題への解決にもつながるとともに、水を含む地球上の多くの物質に水素が含まれているという意味で豊富なエネルギ−媒体でもあり、水素エネルギー社会の到来は我々人類にとって大きな意義がある。
しかしながら、水素エネルギー社会の構築には、社会の中に各種の水素インフラを整備する必要があるとともに、水素の製造・貯蔵・運搬に関わる技術開発が不可欠であるなど大きな努力が必要であり、現在の化石燃料を中心とするエネルギー社会から水素エネルギー社会への移行をいかにスムーズに加速化させていくかが我々に課せられた政策的な課題である。
燃料電池は水素を燃料とする高効率な発電装置であり、水素エネルギー社会の先駆けとなる技術であるとともに、本報告の中でも述べてきたように、システムの構成の仕方によっては水素からも化石燃料からもエネルギーを取り出せることから、現在の化石エネルギー社会から水素エネルギー社会へのスムーズな移行を橋渡しする技術である。
水素エネルギー社会への過渡的段階では、CO2発生を伴うものの、化石燃料から製造される水素を用いて、燃料電池自動車、家庭用燃料電池などの新たな技術を早急に実用化することによって、燃料電池の利用に関する社会の経験を積んでいくことが重要であり、こうしたことにより燃料電池を普及させ、その上で再生可能エネルギーから製造される水素を中心とする完全なゼロ・エミッション社会、将来の水素エネルギー社会の到来を加速化させることが期待される。
また、燃料電池の導入はその高効率性から主要用途先である運輸・民生部門において、省エネルギー効果が期待できるとともに、CO2の排出削減も可能である。更に、仮に燃料電池自動車においてGTL等の石油代替エネルギーが燃料となった場合には、これまで極度に石油に依存していた運輸部門のエネルギー転換を可能とすることになる。
このため、燃料電池の導入は、現在のエネルギー・環境分野での喫緊の課題である省エネルギー対策、地球温暖化防止、石油代替エネルギーの推進を行う上でも切り札となる可能性が大きく、そうした観点からも燃料電池の実用化に関する各種課題を解決し、早急に燃料電池の実用化を図ることが望まれるところである。
以上のように燃料電池は、現在、我が国が直面するエネルギー・環境分野の課題を解決する鍵であるのみならず、現状の化石エネルギー社会から水素エネルギー社会への扉を開く鍵でもあり、まさに21世紀のエネルギー・環境分野における「Key Technology」なのである。▲