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2009年6月20日

INSIDER No.496《OZAWA》何が何でも“小沢潰し”に突き進む検察──西松事件冒頭陳述の異様

 19日に行われた西松建設事件の初公判での検察の冒頭陳述は、まるで同社が小沢事務所にのみ献金してきたかのような記述に終始し、その一点に絞って同社の国沢幹雄=元社長を政治資金規正法違反で起訴するという異様なものとなった。

 これについて、19日付読売は「当初、検察内部には『西松側の公判で、必要以上に小沢事務所がらみの立証を行うのは“欠席裁判”との批判を受けかねない』との慎重論もあったが、事件の全体像を示すことを優先したとみられる」と書いた。しかし、全体像というなら、これは小沢の秘書の裁判でなく西松建設の元社長の裁判なのだから、同社が自民党議員を含む政界全般に広く献金をバラ撒いて公共事業の受注を図ってきたかの全貌を描いて、検察の言うところの“悪質性”を際だたせるのが本当だろう。

 ところが冒陳は、2つの政治団体を通じた献金システムがあたかも小沢事務所の指示で、小沢のためだけに作られて、しかも「天の声」という言葉を躍らせて小沢事務所が岩手県や秋田県の工事受注について実質的な決定権を持っていたかの印象を与えるように腐心している。秘書逮捕以来の「政治捜査」批判に応えて、何が何でも小沢の悪党ぶりに世間の注目を集中させ、それを大久保裁判へと繋げていこうとする検察の執念が浮き出ている。

●大久保の弁護人の批判

 これに対して大久保被告の弁護人が次のような「所感」を発表したのは妥当と言える。

▼2政治団体による献金やパーティ券購入は、他の団体へのものも相当あるにもかかわらず、国沢氏の起訴は小沢氏側に対する献金だけに限られている。検察官がダミー団体による西松の献金と断じる多くの部分を不問に付し、特定分のみ起訴したことに正当な理由があるのか、先日報道された検察審査会の指摘にもあるが疑問と言わざるを得ない。

▼自民党関係の団体が西松関係の政治団体から献金を受けた事実について検察官は証拠が十分であるにもかかわらず、冒頭陳述で実態を明らかにしていない。結局、大久保氏を狙い撃ちにしたのは誰が見ても明らか。このような冒珍は大久保氏にとって欠席裁判に等しく、著しくバランスを欠き、到底容認できない。

▼検察官は特に岩手県下の公共事業について小沢事務所の意向に基づいて受注業者が決定されたなどと主張したが、一部の者の一方的供述に基づくものであり、その主張内容も極めて抽象的。大久保氏が具体的な工事で検察官の言う「決定的な影響力」をいつ、いかに行使したのか、そもそも「決定的な影響力」とは何か、まったく具体性を欠いている。大久保氏が受注者を決めていた事実は一切なく、大久保氏がこれに関する取り調べを受けたこともない。「決定的な影響力」を具体的に裏付ける証拠も何一つ出されていない。

 私が見渡した限りでは、この大久保の弁護人の所感要旨を詳しく載せたのは20日付毎日だけ。毎日はさらに同じ面で、(「これだけの証拠が出たのだから小沢は議員辞職するのが当然だ」との河上和雄=元地検特捜部長の談話と並べて)岩井奉信=日本大学法学部教授の次の談話を載せている。

▼検察側は、小沢事務所の要求に基づき国沢被告らが献金の流れを作ったことを強調しており、大久保被告の裁判の前哨戦のようだ。

▼東北地方の公共工事に対する小沢事務所の「天の声」は伝聞的な印象が強く、検証されているわけではない。検察側は「小沢事務所」と繰り返したが、秘書を指すのか小沢前代表なのかあいまいだ。結局は政治資金規正法違反事件であり、総選挙を控えた時期に、帳簿に記載されている「表の金」で強制捜査に及んだことは、やはり疑問だ。

 実際、建設業界の談合システムが“健在”だった時代でも、実質的な決定権を持っていたのは鹿島建設を頂点とする、それ専門に特化したプロフェッショナルたちのマフィア的組織であり、政治家がそれに「決定的な影響力」を持つということはなかったというのが常識である。多くの場合、有力政治家への献金は「挨拶料」のようなものであったし、また逆に資金集めを担当する秘書などが受注に影響力があるかのような口ぶりで献金額を増やさせるということも“営業方針”としてはあったわけで、その意味でこれは両者の「共同幻想」の上に成り立っていたという面がある。それを、個々の献金と口利きと受注のプロセスとして具体的に立証するのはかなり難しいことで、今回検察は、それについて西松側などの「自白」にのみ頼っていて大久保からは供述を引き出すことに失敗している。しかし、この裁判で西松側は容疑を認めていて争わない方針であるし、争うと言っても大久保は不在なので、実際には大久保裁判まで突っ込んだ議論は行われない。とすると、総選挙目前に、新聞がまた「天の声」と大見出しで報じて検察の言い分だけが世の中の印象として広まるという、鋭く政治的な検察の姿勢が浮き彫りとなった。

 もちろん、「共同幻想」に基づくものであるにせよ何にせよ、自民党的な献金システムを小沢が引きずっていたのは事実であり、ここで自己切開的にその実態を明らかにして、その返す刀で企業献金の全面禁止を訴えるのが潔く、この検察の政治的攻撃を跳ね返して総選挙を逆に有利に展開するための上策だと思うが、恐らく小沢は、大久保に対する検察冒陳が出るまでは口を開かないのかもしれない。▲

2009年6月13日

INSIDER No.495《SHIMBUN》新聞もテレビも、もう要らない?──4つの雑誌の特集を拾い読む

 『リベラルタイム』7月号が「いらない!新聞・テレビ/つまらない新聞・テレビは見たくない!」、『クーリエ・ジャポン』7月号が「サヨナラ、新聞ジャーナリズム」、『週刊新潮』が先週から始めた「新聞業界最大のタブー“押し紙”を斬る!」連載、『週刊東洋経済』6月13日号が「大激震!電通vsリクルートvsヤフー」と、マスメディアの未来を占う雑誌の特集が相次いでいる。以下、主に新聞とウェブについての部分の拾い読み。

●朝日新聞は経費155億円を削減

 『リベラルタイム』によると、朝日新聞社は昨年9月中間連結決算で最終損益103億円の赤字、営業損益も5億円の赤字で、両方が同時に赤字となったのは史上初。5月14日に開かれた同紙OBの集まり「旧友会」で挨拶に立った秋山耿太郎社長は「いま今年度の予算を策定しているが、困っている」と言いつつ、次のように述べた。

(1)広告収入はこのところ、毎年100億円ずつ減少していたが、昨年のリーマン・ショックを契機に急減。08年度は200億円の減収になった。
(2)このため、今年度は経費を155億円削減する計画で、“聖域”といわれる販売経費も60億円削減する。
(3)用紙代を削減するために、新聞の頁建ても36頁から32ページに減らす。
(4)タクシーチケットを全廃したほか、ゴルフの会員権も売却中だが、年金の補填額が260億円必要で、さらなるコストカットが必要。
(5)今年夏の賞与は平均40%カット。役員賞与はゼロで、報酬も今年4月から社長は45%、常務は30%、取締役は25%、役員待遇は20%のカットを実施している。
(6)これからはOBの皆さんの年金を引き下げることになるかもしれない……。

●“押し紙”という偽装ビジネス

 『週刊新潮』の連載第1回によると、新聞各社が販売店に本当必要な部数以上に押しつけて卸している“押し紙”は平均で公称部数の約4割に及ぶ。滋賀県の大津など5市で25万世帯を対象に行われた調査では、読売18%、朝日34%、毎日と産経は57%だった。

 ある読売販売店の場合、配達する朝刊約7000部に対して新聞社が搬入する部数は8750部。残りの1750部は梱包を解かれることもなく倉庫に山積みされ、週に1度、古紙業者の4トントラックで積み出される。その1750部の分は販売収入はもちろんないが、その分も含めた卸し代金が新聞社から請求される。新聞の販売収入は、新聞社と販売店でおおむね折半するが、それで押し紙分も支払わされたのでは販売店は成り立たない。ところが販売店には折込チラシの収入がある。折込チラシの枚数は原則として新聞の公称部数と同じだから、販売店は8750部の分の料金を手にするが、実際には押し紙の分は折り込まずして料金だけを騙し取り、その分のチラシも倉庫に放り込まれる。チラシの水増し請求分と、押し紙の分の新聞とチラシの古紙回収代金が販売店の収入となり、それで新聞社に払う水増し請求分を相殺するのだが、相殺しきれない場合は新聞社が“補助金”で埋める。それが「販売経費」である(朝日がそれを60億円も削減したら、ますます押し紙が利かなくなる)。

 そうまでして新聞社が公称部数を膨らませるのは、広告媒体としての価値を高値で維持するためである。食品はじめ他の業界や企業の“偽装”を居丈高に糾弾する新聞が自分は陰でこんなことをやっているのだから話にならない。さらに、「地球環境に優しく」とか社説を掲げたりキャンペーンを張ったりしても、大量の押し紙とチラシを廃棄して紙資源をむざむざ浪費していることへの反省もない。それでいて、部数偽装のことは知れ渡っているから、公称部数で設定された正規の料金を払う広告主などいないし、不況になって広告主が激減している今はますます値崩れが激しくなって、この偽装ビジネスモデル自体が崩壊に瀕しているのである。

 筆者の黒藪哲哉は「新聞販売黒書」というサイトの主宰者で、読売新聞社との間で裁判係争中。
http://www.geocities.jp/shinbunhanbai/

●消費者に高値を強制する「再販制度」

 押し紙は主に新聞社と販売店と広告主の三すくみゲームだが、その前提になっているのは、公正取引委員会から“特殊指定”で許されている「再販制度」——再販売価格制度すなわち値引き販売禁止の仕組みによって宅配制度が維持されていることである。『リベラルタイム』でビデオジャーナリストの神保哲生は、これを「日本のメディアが抱える深刻な構造問題」の3つのうちの1つに挙げて次のように論じている。

▼商品の値段は市場原理によって決まるのが原則だが、特殊指定を受けている新聞の価格は新聞社が指定した値段で売ることが出来、そのおかげで新聞社は価格競争に晒されずに安定的な経営を行って「国民の知る権利」を担保しているのだと彼らは言う。

▼が、今の新聞社の経営を優遇すべき必然性を、どれだけの人が感じているだろうか。さらに、自由競争になればいまよりも安価で売られるべき新聞を、再販制度の下で、消費者があえて高い値段を支払うことでその経営を支えているという事実を、どれだけの消費者が知っているだろうか。

▼紙面は各紙とも大半が記者クラブ発の横並び記事で埋め尽くされ、たまに独自ネタがあるかと思えば、権力におもねる記事や、大衆を煽動するヒステリックな記事ばかり目につくと感じるのは、私だけだろうか。

▼今日の新聞社の現状は、公共的なジャーナリズムの担い手というよりも、むしろ「巨大娯楽産業」であり、特別に保護すべき正当な理由があるだろうか。

 神保は、「構造問題」として、さらに、新聞5大紙による民放テレビのキー局の系列化(多くの先進国では制限・禁止されている)、記者クラブ制度(再販=宅配制度があるから紙面で勝負しなくても売上げには関係ないので横並びに流れる)の2つを挙げ、それらが絡み合って今日の堕落を招いたと指摘している。

●急減するマス広告

 『週刊東洋経済』によると、今年4月の媒体別広告売上高は前年同月と比べて、新聞29%減、雑誌28%減、テレビ18%減、ラジオ13%減(電通調べ)という土砂降り状態となった。

 こうした中、マス広告の覇者=電通は1兆8871億円を売上げながら営業利益はわずか431億円、106年ぶりに最終赤字に転落した(3月期連結決算)。それに対してリクルートは、同じ広告を本業とすると言っても、読者の関心に絞った自社の出版媒体に販促型の広告を集めるという新しいモデルを展開、1兆0839億円を売り上げて電通の倍以上の1131億円の営業利益を上げている。またネット広告でダントツのヤフーは、売り上げこそ2657億円だが、営業利益は電通やリクルートより高い1346億円である。現在は、ネット広告も減少に転じているが、長い目で見れば将来にわたって上昇傾向が続くと見られており、企業業績が回復した際には、マス広告は少ししか回復せず、ネット広告が大きく伸びることになるだろう。

 しかしヤフーの広告ビジネスにも死角はあって、「独り勝ち」しすぎて自分の首を絞めることになりかねない。というのも、ヤフーの集客力の中心は1日200万人超を集めるヤフーニュースだが、そのコンテンツを作るのは自社ではなく既存の新聞社はじめメディア企業。彼らが収益基盤をネットに浸食されて体力を消耗すれば、コンテンツの品質が下がって客が離れていく。「ヤフーの収益力を既存媒体に還元する仕組みを強化する」ことで「共存光栄」を図ることが課題だと同誌は指摘するが、しかしヤフーが収益の一部を回したくらいでは新聞社など既存メディアが立ち直ることはないだろう。

●瀕死状態の米国の新聞

 『クーリエ・ジャポン』の特集のトップを飾るのは、ポ−ル・スター=プリンストン大学教授の米オピニオン誌『ニュー・リパブリック』への寄稿である。

 それによると、新聞業界は近年、インターネットの発展、広告収入の下落、購読者数の長期的減少によってその存立が危ぶまれてきたが、そこに今回の不況が襲って、いまや崩壊寸前に追い込まれている。昨年末時点で新聞業界の広告収入は3年前と比べて25%減少し、さらに09年に17%、10年に7.5%減る見通しである。各新聞社は編集者や記者の削減、ページ数や取り扱うニュースの幅の削減、特集記事の廃止などで対応しているが、それでも間に合いそうにない。

▼ロサンゼルス・タイムズ紙は、人員削減で記者数を半減させた。
▼同誌の親会社でシカゴ・トリビューン紙も傘下に持つトリビューン社は、昨年12月破産法適用を申請した。
▼サクラメント・ビー紙やマイアミ・ヘラルド紙など全米30紙を傘下に置くマクラッチー社も、この1年間で従業員を4分の1解雇した。
▼ニュージャージー州最大の日刊紙スター・レジャー紙は昨年10月、編集局の人員の45%を早期退職させた。
▼あのニューヨーク・タイムズ紙でさえ、手元資金が細り、信用格付けが引き下げられた。
▼新聞社の株価はこの1年間に平均で80%以上、下落した。

 特に削減の影響がが著しいのは、海外ニュース部門と政治部門である。

▼02年〜06年の間に米国の全新聞社の海外特派員の数は30%減少した。
▼この3年間に全米の新聞の3分の2が国際ニュースの扱いを減らした。
▼フィラデルフィア・インクワイラー、ボルティモア・サン、ボストン・グローブのいずれも名門3紙は、ここ3年間ですべての海外支局を閉鎖した。
▼トリビューン社は、傘下のロサンゼルス・タイムズ紙、シカゴ・トリビューン紙などのワシントン支局を1つに統合し、支局員を3分の1にした。
▼コックス・ニュースペーパーズ社は、傘下のアトランタ・ジャーナル紙など17社の記者30人がいた共同のワシントン支局を今年4月に閉鎖した。
▼ニュージャージー州のスター・レジャー紙は、州都トレントンに置いた13人の記者を4人に減らした。
▼同州で新聞6紙を発行するガネット社は、州行政担当の記者を6人から2人にした。

 さらに科学欄、文化欄、書評欄も削られる中で、各紙が少しも削っていないのは地域の出来事・情報を伝える地域欄である。この動きはハイパー・ローカリズムと呼ばれるが、街ネタしか提供しない新聞は早晩、国際ニュースや文化情報に関心を持つ比較的富裕な読者層や、その層を相手にしたい広告主から見放され、新聞のフリーペーパー化が起きるだろう。

 こうした中で、全部または一部をネットに移行する新聞も多い。

▼クリスチャン・サイエンス・モニター紙は、紙印刷は週刊とし、毎日のニュースはネットだけにした。
▼デトロイトの日刊紙2紙は、宅配を木・金・日曜だけにし、他の日はオンライン版とスタンド用のスリム版を販売している。
▼ニューヨーク・タイムズ紙も、週末だけの宅配購読の勧誘に力を入れている。

●新聞が死んだ後に

 新聞がそのままネット上に身を移して生き残ることは可能なのか。スター教授は「現時点では、紙媒体を廃止しウェブに完全に移行することは自殺的行為」だと言う。クリスチャン・サイエンス・モニター紙がそうしたのは、同紙が教会の資金で成り立っていて、特定の地域市場との結びつきがないからで、これは特殊ケースである。ウェブに完全移行すると、コストを40%削減できるが、収入の90%を失うのが普通である。

 他方、ウェブ上のニュースサイトは、新聞はじめ他のニュース媒体からニュースを集めたものがほとんどで、独自の取材で記事を書いていない。市民記者が書く場合もあるが、プロの仕事には及ばないし、特定団体のプロパガンダが混じる危険もある。プロ記者を多数抱える大手ジャーナリズムの仕事を、個人の自発的参加によるマス・コラボレーションで実現することは難しい。

 とすると、代替するものが現れないうちに新聞が消えてしまうこともありうる。1つの打開策は、政府の補助金でニュースという公共財を支えることで、例えばフランスのサルコジ大統領は18歳以上の仏国民に、好みの日刊紙を1年間無料で購読出来る計画を実施に移した。もう1つは、ジャーナリズムを「寄付で賄う」という発想で、言わば「NPOジャーナリズム」である。

 それには3つの方向性がある。第1は、新聞社を商業ベースでなくNPOに移行して寄付金ベースで存続させることで、熱心な読者の中には単なる購読料だけでなく寄付をしてでも愛読紙を支えようとする人もいるかもしれないが、これを実行したところは未だない。

 第2は、特定のジャーナリスト集団を慈善事業でサポートする方法で、有名なのは「プロ・プブリカ」である。これは、元新聞記者たちが「公益にかなう調査報道を行う独立系かつ非営利のニュース編集室」を作り、その趣旨に賛同した篤志家が個人で毎年ポンと寄付を行うパトロン型。記者たちは時間と費用をかけた調査報道記事を作成し、新聞社などに提供する。

 第3は、ウェブ環境に相応しい新しいジャーナリズムの開発に資金を提供するもので、「センター・フォー・インディペンデント・メディア(CFIM)」の場合は、資金提供者70人から集めた年間400万ドルでワシントン・インディペンデントなどのニュースサイトの運営をサポートしている。将来の成功を先取りしたベンチャー投資型と見られるが、自身の財政基盤を持たないでは、たった1回の訴訟で運営が行き詰まることにもなりかねない。

●独立系ニュースサイトの成功例

 『クーリエ・ジャポン』の特集には他にもいくつかの記事があり、そこではすでに投資資金や広告収入で維持できている独立系ニュースサイトの例がいくつか出ている。

▼ポリティコ
 銀行業で資産を築いた資産家の御曹司で新興メディア王としても頭角を現しているロバート・アルブリットンがベンチャー企業として創業した。編集の中心は元ワシントン・ポストのベテラン記者2人で、ワシントンの政治の動きについてのニュースや著名ブロガーのコメントをネットと紙媒体で繰り出していく政治専門サイトとして、オバマ選挙を通じて急伸した。08年9月のユニーク・ユーザー数は460万に達したが、選挙後はだいぶ落ちている。しかし創業者は今年中にも黒字化すると見通している。今は紙媒体の広告料が主な収入だが、今後ウェブ広告を増やしていくという。

▼ハフィントン・ポスト
 もう1つ、オバマ選挙を通じて成功を収めた政治中心のブログサイト。05年にギリシャ系女性ジャーナリストのアリアーナ・ハフィントンと元AOL役員のケネス・レーラーが立ち上げ、徹底したブッシュ政権批判と独自スクープの連発で月450万以上のユニーク・ユーザーを集めるようになった。ベンチャー投資家の資金が推進力になっている。

▼ドラッジ・レポート
 30歳までコンビニでバイトをしていた高卒ニートのマット・ドラッジが、父親に買って貰ったパソコンで98年に始めた個人サイトで、こちらは共和党支持の保守派。クリントン大統領のモニカ事件をタレコミでスクープしたり、CBSテレビの大ベテラン=ダン・ラザーが番組で暴露したブッシュの徴兵逃れの証拠文書を“偽造”だと指摘してネットで包囲網を形成、ダンを降板に追い込んだことで有名になった。ユニーク・ユーザー数は200万。

 ドラッジのケースは、幸運にも恵まれてマス・コラボレーションが成功した希有な例だが、プロ・プブリカ、CFIM、ポリティコ、ハフィントンなどは、志を持った資金元とプロのジャーナリスト集団がそれぞれ独特の形で結合して始まった実験と言える。さて、我がTHE JOURNALは日本のネット報道局として独自の展開の道を切り開くことが出来るのかどうか。▲

2009年6月 9日

INSIDER No.494《YUSEI》西川追放で日本郵政は官僚勢力の食い物に?──鳩山邦夫“暴走”の背景

 日本郵政の西川善文社長の進退問題をめぐって、7日のサンデー・プロジェクトで公明党の高木陽介が「辞任も1つの選択」と言ったのに対して、自民党の石原伸晃が「辞める必要はない」と言い、コメントを求められた私も「石原さんが正しい。『西川辞めろ』は『小沢辞めろ』と同じで、別に犯罪を犯したわけでもなく、事業実績も上げているのだから、辞めさせる理由はない」という趣旨を述べた。余りに短いコメントで、しかも司会の田原総一朗が「オッ、高野が自民党に賛成している」などと茶化したこともあり、真意をいぶかる声がTHE JOURNAL読者の間からも上がっているので、私の「かんぽの宿」問題、郵政民営化問題についての見方はINSIDERNo.479(2月17日付)「鳩山邦夫は旧郵政官僚の操り人形ではないのか?」でほとんど尽きているけれども、繰り返しを恐れず改めて論じておく。

●郵政民営化の本質

 まず第1にはっきりと確認しておきたいのだが、郵政民営化は、小泉流のやり方に稚拙さや粗雑さがあり、それ故に日本郵政も複雑骨折的な様々な問題を抱えているのは事実であるけれども、それ自体を否定したり後退させたりしてはならない。

 そもそも郵政民営化の核心は郵貯民営化にあった。日本国民が明治から100年余りかかって築き上げてきた郵貯・簡保350兆円という世界最大の国営銀行にして日本最大の銀行を、旧大蔵官僚のやりたい放題の専制管理下から解き放って民間金融の体系に組み込むという、まさに金融における「官から民へ」の世紀の大手術の避けて通れないステップであり、それを小泉=竹中が時代の中心課題として取り上げたこと自体は、全く正しかった。

 旧大蔵省は発展途上国型の官僚主導体制の心臓部であった。「財政・金融一体」のスローガンの下、一方では税のほとんどを中央に吸い上げて省庁縦割りの予算として配分し、また郵貯・簡保を原資として財政投融資として旧公社・公団・財団などに注ぎ込み、あるいは国債を買わせ、他方では銀行はじめ証券・保険も含めた金融界を「護送船団方式」と呼ばれたほどに緊縛して右へ行け左へ行けと支配することを通じて、財政・金融両面から日本経済の血液たるマネーの循環の元栓を握ってきた。

 ところがその後者の金融における政官業癒着の体制が、バブルの創出とその破裂を生み、不良債権問題という100年来最悪の金融スキャンダルを引き起こした。日本経済を10年以上にもわたって苦しめた不良債権問題の主犯は疑いもなく旧大蔵省のデタラメ金融行政にあったのであり、それに対する政治的な懲罰として、98年の金融庁の発足と旧大蔵省の看板引き下ろし=財務省への改編、そして日銀法の改正による介入権限の制限という革命的な改革の第一歩が踏み出されたのだった。その主舞台となったのは、小渕政権発足直後、98年秋の「金融国会」であり、そこでは政府が出してくる曖昧で保守的な法案に対して、当時も参院で第一党を占めていた菅=民主党が次々と革新的でより徹底的な代案を出し、それに自民党内から渡辺喜美、石原伸晃、塩崎恭久ら若手・中堅の政策通が呼応して修正に次ぐ修正を実現して、小渕を土俵際まで追い詰めていった。これが、小沢一郎が今日言うところの「明治以来100年の官僚主導体制を打破する革命的改革」の発端である。

 ちなみに、この時、最後の大蔵事務次官、最初の財務事務次官として「財政・金融分離」に徹底的に抵抗した筆頭が武藤敏郎であり、そんな人物を福田康夫前首相が日銀総裁に据えようとしたのは、98年の財金分離革命を台無しにする行為であって、民主党はじめ野党がそれに反対して潰したのは当然だった。

 世間では、「改革」が小泉の専売特許であるかに誤解している人が少なくないが、すでにこの時、野党である民主党の主導で改革は始まっていたのであり、しかし同党がまだ政権を獲るだけの力がない中で、01年に登場した小泉がその改革の旗印を巧みに奪い取って「自民党をブッ壊す」と呼号して大いに人気を博しただけのことである。小泉は、単に改革の看板を人気取りに利用して自民党政治を延命させただけという一面もあるが、それだけではなく、民主党が始めた改革を部分的かつ不徹底な形で引き継いで推進したという一面もあって、その両面を正当に評価しなければならない。

 さて、しかし、金融国会で法的な枠組みは一応整ったものの実際の不良債権処理はグズグズと長引いて、結局は小泉政権下で竹中が強権を用いてケリをつけた。そこで小泉・竹中コンビが間髪を入れずに着手したのが、郵政民営化だった。その意味するところは、金融の機能を奪われて半身になった財務省の徴税と予算、郵貯・簡保と財政投融資という2大財政機能のうち後者を同省から剥奪するにあった。350兆円が官僚とそのOBたちの食い物にされているのを放置するのでなく、民間金融の中で生き生きと自由に活用されるように大転換を図ることが出来れば、21世紀の日本経済は金融面から大いに元気を与えられることになる。これこそが、98年に続く革命的改革の第2弾となるはずだった。さらに付け加えれば、財務省のもう1つの重大な機能、すなわち徴税・予算の権限を剥奪するのが「地方分権」もしくは「地域主権国家への転換」で、これが革命的改革の第3弾となることが期待されている。

 革命的改革の第2弾を実現するためには、一方では、不良債権処理を終えた後の成熟経済大国=日本に相応しい金融体系のあり方について構図を描き上げ、他方では、これから民営化される郵貯・簡保をその中にどう位置づけるかの大議論を巻き起こすことが必要だった。ところが小泉は、そのように正しく問題を設定することをせず、いきなり「3分割か4分割か」といった瑣末な戦術レベルの議論に突入してしまった。当然にも自民党内からは「郵便局の数が減ったら大変」とか「ハゲタカファンドに食い物にされたらどうするんだ」といった低次元極まりない反対論が高まって、議論は完全に本質から外れた方向に流れていった。

 本来であれば小泉は、郵政民営化の核心が郵貯民営化であることを正面切って主張し、それを説得力のあるものにするには、国際金融、新しい形の産業ベンチャー型金融、地域金融の3次元に分けて21世紀日本の成熟した金融体系への改革プランを示しつつ、その中に郵貯・簡保をどう位置づけるかを提案し、さらにそれを実現するについて、単純な分社化がいいのかそれとも郵便事業については国営的要素を残した方がいいのかなど経営形態についても丁寧な議論を進めるべきだったろう。また「ハゲタカ」云々の幼稚な議論に対しては、米国が何を言おうと言うまいと、郵貯民営化は日本の経済と金融がそこを通らないと21世紀へと進めない日本自身の戦略問題なのだと堂々と反論し説得し抜くべきだったろう。ところが彼はそれを一切やらずに、異論を唱える者を一括りに郵政民営化に対する敵対勢力とみなし、そこに“仮想敵”を設定して「賛成か反対か」と叫んで総選挙に突入するという粗暴極まりない姿勢をとった。当時の岡田=民主党もこの事態に対応できず、本来なら「改革の本道からすれば郵政民営化の正しい方向性はこうだ!」と対案を掲げて小泉と対決すべきだったが、「郵政民営化など国民の関心事ではない」という態度をとったために「改革反対派」に分類されてしまい、「賛成か反対か」という単純化された、と言うよりもほとんど架空の、疑似争点に巻き込まれて選挙で大敗した。

 その結果、今日もなお日本の金融の将来像は不明確なままで、一体ギガバンクを日本の金融体系の頂点に位置づけるのか、いや貸し出しも取り立ても運用もろくにやったことのないゆうちょ銀行を頂点に置くわけにいかないから3つのメガバンクの横か斜め上あたりに置くのか、それともかつて京都大学の教授たちが提言したように地域分割してローカル・バンキング(地銀、信金・信組)のバックアップをしながら「銀行とは何か」を学ぶようにするのか(これは結構説得力がある)、何も定まっていない。これではせっかく民営化しても日本の金融に大元気をもたらすきっかけにはならない。メガバンクの大物経営者出身の西川社長に問うべきは、まさに世界の金融が大変調に陥っている中での日本の金融戦略の方途とその中でのゆうちょ銀行の位置づけであって、過去の不良資産の売却の仕方などという枝葉末節ではないはずである。

●かんぽの宿売却の問題

 第2に、かんぽの宿の売却問題は、プロセスに多少とも不透明な部分がない訳ではないが、全体として背任などの犯罪に該当する事案ではない。

 鳩山邦夫がそれを問題にする際の主張の第1は「オリックスの宮内会長は規制改革会議の議長をやり、郵政民営化の議論もそこでなされた。そこに一括譲渡となると、国民が出来レースではないかと受け取る可能性がある」という点にある。

 確かに宮内は規制緩和の急先鋒であり、その関連の政府審議会の長を10年以上にわたり歴任している。小泉・竹中時代には「総合規制改革会議」の議長だったが、オリックスの1月7日付プレスリリースによると、同会議でも、その04年3月廃止後に設けられ引き続き宮内が06年9月まで議長を務めた「規制改革・民間開放推進会議」でも、答申中に「郵政民営化」のテーマは出て来ていない。また竹中平蔵も1月19日付産経の「ポリシー・ウォッチ」で、「郵政民営化のプロセスに規制改革会議が関係したことはない。基本方針を決めたのは経済財政諮問会議であり、制度設計は内閣官房の準備室が行った。その際にいくつかの委員会も作られたが、宮内氏がそのメンバーになったことはなかった。同氏が郵政民営化にかかわったというのは、ほとんど言いがかりのようなものである」と述べている。竹中はさらに次のようにも言う。

「より重要なのは、民間人が政策過程にかかわったからその資産売却などにかかわれない、という論理そのものに重大な問題があることだ。今や政策決定における民間人の役割は極めて大きなものになっている。経済財政諮問会議や各省の審議会・委員会にも民間人が関与する。しかし、いったん政策が決められたとして、それに関係する経済活動がその後できないとなると、民間人はだれも政府の委員会メンバーになどならなくなる。郵政民営化の枠組みを決めた諮問会議の民間議員は、郵政の株が売却される際、それを購入してはいけないのか…。これは、政策決定における民間人排除の論理に等しい」

 その通りで、宮内は広い意味の小泉・竹中人脈の一角には違いないが、直接に郵政民営化の議論に加わったわけではないし、仮に議論に加わっていたとしても事後的にこのような契約の当事者となるのは、公正な手続きを経てさえいれば何の問題もない。これがダメだと言うなら、例えば医師の診療報酬などを決める厚生労働省の審議会に初めから利害当事者である医師会代表が加わっているのはもってのほかだということになる。

 鳩山の言い分が罷り通れば、竹中が多用して成果を上げた、民間有識者を審議会等に入れてバンバンと提言ペーパーを繰り出して官僚の保守・保身を押さえ込むという手法が、最終的に息の根を止められる。官僚の思うつぼである。

 鳩山の主張の第2は「なぜ一括売却しなければならないのか」ということである。

 一括については、そうするより仕方がなかったのではあるまいか。70施設のうち黒字なのは10程度と言われており、他はトントンか赤字で、07年度の日本郵政の赤字負担は40億円に上る。2012年9月末までに売却すると法で決められている中で、1件ずつ買い手を探しているのでは到底時間的に間に合わないし、しかも事業の継続と雇用の維持を条件にしている以上、黒字施設はすぐに売れても赤字施設には買い手が付かず、売却が難航することが予想される。だからこそ比較的優良な施設とそうでないものを抱き合わせにしてパッケージにし、一括して引き受けて貰う以外に方法がなかったのではないか。事業を廃止し雇用も放棄するのであれば、残った土地・建物を単なる不動産として売却するのだから、109億円よりだいぶ高く売れるかもしれないが、それでは、元々簡保加入者の保養・福祉施設だった時代からの愛用者の利益も従業員の生活も守ることが出来ない。鳩山は、これが事業譲渡であって不動産売却ではないということを理解していないように見える。

 鳩山の主張の第3は「土地取得代・建設費2400億円の70施設がなぜ109億円で売られるのか。少しでも高く売却出来るようにするのが私たちの務めだ」ということである。

 「2400億円で作ったものをたった100億円で?」という言い方も粗雑に過ぎていて、まさにこれを不動産売却と混同していることを示唆している。事業譲渡である以上、赤字施設の価値はゼロであって、それを作った積算費用がいくらであるかは関係ない。野党議員の中にも、「簡保は加入者はじめ国民の財産であり、それをこんな値段で…」などという者がいるが、それを言うなら、そもそも旧簡保がその国民の財産を2400億円も費消してほとんどが赤字の施設を100近くも作って簡保幹部の天下り先にしてきた、そのデタラメ経営の責任こそ改めて問うべきだろう。

 他方、109億円が高いか安いかというのはそれだけで計ることが出来ず、オリックスにせよどこにせよ引き受けた企業は、当分の間、年間40〜50億円の赤字の補填の他に恐らく数百億円を注ぎ込んで赤字施設の黒字転換を図らなければならないはずで、そこまで含めて是非を評価すべきである。

 ここまで大騒ぎをしてストップをかけるのであれば、鳩山は西川に対して別の名案を示すべきだろう。しかも2012年の売却期限に間に合うように。どんな案が出てくるのか見物である。

●次の社長は誰か?

 第3に、西川が去って笑うのは誰かということをよくよく見極めなければならない。

 鳩山にかんぽの宿問題や中央郵便局の建て替え問題を吹き込んで、さらに西川再任反対で突っ張るよう促しているのは、そもそも郵政民営化に反感を持ち、しかしこうなってしまった以上は出来るだけ徹底的な改革を阻んで、日本郵政とその傘下の事業を支配下に置いて天下りや利権漁りの場として残しておきたいと思う旧郵政官僚の勢力である。その筆頭は、日本郵政の代表執行役副社長=團宏明である。

 彼は小泉が郵政大臣を務めた時の秘書課長で、小泉やその参謀=飯島勲秘書官に引き立てられてここまで上り詰めてきた人物だが、日本郵政内では反西川の急先鋒で、同社内では彼がポスト西川の社長の座を狙って様々な策謀をこらしていることはよく知られている。その背景には、現職の総務省官僚だけでなく、例えば旧「郵政互助会」(05年に郵政弘済会、郵政福祉協会と統合され現在は「(財)郵政福祉」)あたりに巣くっている官僚や労組のOBたちの、日本郵政を思い通りにしたいという思惑もうごめいていると言われている。

 ここ数日、永田町ではポスト西川の社長候補としてNTTの元役員の名前が取り沙汰されているが、事情通の解説によると、「西川の後にいきなり團では余りに露骨で、『官僚勢力の西川追い落とし』と言われるに決まっているから、旧郵政官僚にとって御しやすいNTT出身者を持ってきて、團を次の次に据えようというシナリオだろう」という。だとすればなおさら、鳩山邦夫は官僚勢力に踊らされて郵政民営化の骨抜きに協力しているだけということになる。もちろん彼には、このようによろず派手にパフォーマンスを演じることで、麻生首相との近すぎる距離を少し修正しつつ、ポスト麻生の有力候補として目立ちたいという政局思惑もあるに違いないが。

 なおこの人事に関連して、日本郵政の取締役会が社外取締役で多数を占められていて、生え抜きが入っていないこと、その取締役会が設置する「指名委員会」が西川続投を決めたことを問題にする向きもあるが、これは会社法2条に定められた「委員会設置会社」とは何かを知らない議論で、話にならない。

 委員会設置会社は、特に大企業の監査のあり方が問題になったことから、最初は03年の「監査等に関する商法特例法」で、正式には06年の会社法で、米欧で広まっている方式を採り入れたもので、(1)社外取締役を含む取締役会(米国では社外が過半数でなければならないが日本ではそうではない)が意志決定と職務執行の監督を行い、また取締役会の中に必ず、指名委員会、監査委員会、報酬委員会を設置して業務の適正化を図る、(2)その下に執行役を設け(取締役との兼任も可、ドイツでは兼任不可)、業務を執行する。(3)監査委員会と別に監査役を設けることは出来ない、というもの。従って、取締役会の名簿だけ見ると社外取締役が多数を占めているのは珍しいことでも何でもなく、例えば同じ委員会設置会社である野村證券やソニーを見てもみなそうなっている。代表執行役は、従来の株式会社の代表取締役と同じで、業務を執行するが、取締役会から委任を受ける事項は従来に比べて広く、そのため迅速な業務の執行が出来るものとされている。

 日本郵政の場合は、取締役会を構成するのは、代表執行役社長を兼ねる西川、代表執行役副社長を兼ねる高木祥吉(元大蔵相→金融庁長官)のほか7人の社外取締役であり、執行役は代表執行役副社長の團のほか16人である。西川を追い出して一時は民間人を社長に据え、その時出来れば高木も追い出して團が取締役兼代表執行役副社長になり、次を狙うという段取りではないか。

 西川については、私は、三井住友銀行の頭取の時代から余り能力を買っていないし、上述のような金融改革の構図を描いて日本郵政を導くという観点からしても評価は高くない。しかし、西川を追い出して民営化を逆行させようとする官僚勢力を喜ばせるようなことだけは、政治はしてはならないと思う。▲

2009年6月 7日

INSIDER No.493《CRISIS MANAGEMENTA》監視カメラはまず警察署内に設置しろ!──日本的危機管理のお粗末

 5日付朝日新聞夕刊によると、警察庁は補正予算から5億9000万円を引き出して、全国15カ所の小中学校近くの住宅街に25台ずつ、計375台の防犯用の監視カメラを設置するという。警察が設置する監視カメラは、東京・新宿歌舞伎町はじめ繁華街を中心に全国に363台あるが、台数が一挙に倍以上になる上、今回は初めて住宅街に設置し、しかもその運営を民間の防犯団体に委託するところが新しい。

 まず第1に、この「民間の防犯団体」が怪しげである。朝日は団体名を出さずに、「地元の警察と日ごろ協力的な民間の防犯ボランティア団体に管理してもらう」と書いているが、これはどう考えても「財団法人・全国防犯協会連合会」という警察庁長官OBの天下り指定席団体のことだろう。その下に、47都道府県全部に県別の防犯協会と暴力追放運動推進センターがあり、さらにその下に警察署の所轄区域にほぼ照応して1197の地区防犯協会、3188の市町村防犯協会、20万4505の防犯ボランティア団体があって、それぞれのレベルで管区警察局長、都道府県警察本部長、警察署長、幹部警察官などが天下って、企業の寄付や国の補助金で飯を食っている。麻生政権のバラマキ補正予算は、各省庁に「景気対策になりそうなものは何でもいいから持ってこい」と言って寄せ集めただけのものである。そうなると、 役人の考えることは皆一緒で、さすがに今までちょっと遠慮していた天下り団体への便宜供与も、この際なんとか名目を付けて滑り込ませよう発想だから、バラマキの割には国民は潤わず、天下り団体ばかりが肥え太る結果となっている。これもそのささやかな一例と言えそうだ。

●官憲的発想の貧しさ

 第2に、住宅地に、しかもモデルとして選ばれたところでは1学校区の狭い範囲に25台もの監視カメラが設置される——ということは学校を中心とした主要道路はすべて常時、警察の監視下に置かれることになるが、このようなジョージ・オーウェル的社会への匍匐前進を、一般にはもちろん国会でも(たぶん)議論することもなく許してしまっていいのかどうか。もちろん警察庁も、そのように批判されかねないことを重々承知していて、だからこそ自分でやらずに民間に委託して、さらに朝日記事によると、「画像を見るのは原則、犯罪などがあって捜査上必要な場合に限る」「画像が流出しないようコピーは禁止」「プライバシーの保護にも重点を置いた運営規則を防犯団体に策定してもらう」「カメラは住宅部分が撮影されないようカメラのアングルなどを配慮する」「カメラがあることを伝えるステッカーを張る」「設置後は住民にアンケート調査し効果を確認」など、いくつもの予防線を張っているけれども、警察OBが実質支配していて「警察と日ごろ協力的な民間団体」が権力の乱用の歯止めになどなるはずがない。

 第3に、その背景には、社会の安全が近年とみに脅かされていると人々が感じているその構造的な原因をきちんと検討し、それに対して総合的にどのような対策を進めるべきかを考えた上で、議論の末にこういうことも戦術的な手段の1つとして試してみるという合意が形成されるのであればまだしも、全部吹っ飛ばして、いきなり上からの管理・統制(つまりお上による国民監視)の強化策だけを突出的に打ち出してくる、まさに官憲=官権的発想がある。五十嵐徹記者の署名が入った朝日記事は、どうもそのへんのスタンスがはっきりせず、せいぜいが「議論をよびそうだ」と遠慮がちに付け加えながらも、上述のように警察庁側の“配慮”項目を並べ立てて、「警察庁はこんなに住民に気を遣っているのだ」と半ば擁護しているかにも見える書きぶりである。それでまずいと思ったのか、末尾では専門家として荻野昌弘=関西学院大学教授(社会学)を登場させ、「漠然とした不安感が生活者の中で広がっているため、防犯カメラを設置しようという議論が出てくるが、設置したからといって犯罪が減るわけではない。本来は別の方法もあるはずだと思うが、それを探らずに、むしろその不安感に乗じた形で国が防犯カメラの設置を進めゆく方向に問題があると思う」とコメントさせている。記者が自分で真正面から批判すると記者クラブ出入り禁止になるから、外部の意見の形でバランスを取っておくといういつもの手法ということだろうか。

 私に言わせれば、まず第1に警察庁が取り組むべきは、警察官の綱紀粛正とメンタルケアと能力向上、世界に名高い「交番」システムの再建など、警察自身の大改革である。4日夜には岡山市内の路上で75歳の女性から財布をひったくろうとした男がいて、女性の悲鳴を聞いて近くにいた高校生2人が追いかけて取り押さえたところ、なんと愛媛県松山東署の巡査部長で、しかも「盗犯係主任」の29歳の警察官だった。お手柄の高校生が、犯人が警官であると知って「世も末だな」と感想を述べたように、警察のあり方が世も末の有様であることが社会不安の最大原因である。

 かつて交番勤務の警察官は「駐在さん」と呼ばれて尊敬さえされて、地域社会のトラブルや不安について住民のどんな相談にでも乗っていた。今では「駐在さん」は死語で、なぜなら警官のいない空き家交番が増え、またいたとしても、住民の相談に乗る能力・見識などあるはずもなく、重大案件が持ち込まれても適切に対処できずに初動捜査に支障を来すような場合も少なくない。そのような警察そのものの劣化を放置しておいて、「人がいないからカメラ」というのではお話にならない。どうしても監視カメラを置きたいなら、まず署内の廊下、トイレ、取調室、それに交番内や警官の宿舎に設置したらどうか。

●徒に社会不安を煽るマスコミ

 カメラ設置の前に問題にすべき第2は、荻野教授の言い方を借りると、「漠然とした不安感が生活者の中で広がって」いて「その不安感に乗じて国が」統制と監視を強化しようとしているわけだが、その「漠然とした不安感」を無闇に拡散しているマスコミの責任である。

 話が横に飛ぶが、感染制御の専門家である高橋央=長野県立須坂病院感染制御部長(元米CDC[疾病対策センター]疫学調査員)は、4日付朝日の「私の視点」欄で、新型インフルをめぐるこの国の危機管理のお粗末さについて次のように述べている。

「国、自治体、マスコミ間に混乱が生じると、グー、チョキ、パーの関係になり、おのおのが自らへの重圧を他者へぶつけながら点数稼ぎし、失点は避ける態度をとる。3者からメッセージを受ける国民は、右往左往する図式である」

「この問題の根底には、科学的な根拠に基づいて判断する能力が低いことがある。…とりわけ政治家とマスコミ周辺に専門家が少ない。マスコミは街中の混乱や市民の困惑ぶりを強調する一方、政府や行政が表明する対応策への建設的な批判や、危機管理の中長期的な展望は、自信をもって打ち出せない。不安だけを助長する中身の乏しい報道へ過熱し、状況が落ち着くと後出しジャンケンで批判を再開する」

「テレビやインターネットは危機を具体的にイメージするのに有用なメディアだが、パニックを引き起こす危険性がある。また絵にならないニュースは、重要でも取り上げないため、報道の頻度や量が急激に減る。これが官房長官発言に通じる誤解を与えるのだ」

 官房長官発言とは、5月25日の河村の「新型インフルエンザは、終息の方向に向かっている感じがする」との、事実上の終息宣言と受け取られかねない表明のことである。その3日前には政府対処方針改訂版で「国家の危機管理上重大」な事態であると言っていて、しかも、今現在もなお各地でポツンポツンとではあるが感染者が増え続けていて、今秋にも新型インフルのウィルスが強毒性に変異して蔓延するという本当の危機が訪れる可能性もなしとしないと言われているというのに、彼がこんなことを言ったのは、新型インフルをめぐるマスコミの馬鹿騒ぎが終息の方向に向かっているのを見てインフルの危機そのものが終息に向かっていると「感じ」てしまったからで、その政治の無知とマスコミの無責任のもたれ合いの相乗作用を高橋は怒っているのである。

 マスクとうがいと手洗いが、やらないよりかはやった方がいいことは間違いないとしても、感染予防にはほとんど役に立たず、感染者が咳をするなどして飛沫を他人に及ぼすのを防止するにはかなり役に立つだけであることは、最初の段階から専門家が指摘していた。マスクの上下や両脇にはかなりの隙間があるし、また口と鼻だけでなく目の粘膜にウィルスが取り憑かないとも限らない。とは言え、手先に飛沫を受けてその手で自分の口や鼻を触ることで体内に入るということくらいは防げるかも知れないという程度である。さらにうがいも、一度粘膜に取り憑いたウィルスは10〜20分で体内で活動し始めるので、10分間に1回していなければ余り意味はないのだという。

 ところが、舛添要一厚労相がまなじりを決するようにして記者会見を開いて、マスクの着用とうがい・手洗いの励行を呼びかけ、その結果、大阪の繁華街などでは道行く人の7〜8割もがマスクをしているという異様な光景がテレビで繰り返し映されると、大臣がまた「国民の(従順な?)協力」に感謝を述べたりして、それで人々はなおさら慌ててマスクを買いに走ることになった。マスコミも途中からさすがに行き過ぎだと感じて、某東京キー局の報道部門では、ドクターをニュース番組に出演させてマスクの効用の限界をきちんと説明するという企画を立てたが、上層部から「国民の皆さんがマスクをしてくれてありがとうと大臣が言っているときにそんな番組をやれる訳がないだろう!」と一喝されて中止になったりもした。

 そもそも、どこで何人感染者が出たといった話は、厚労省の局長が淡々と発表すればいいだけの話で、それを舛添は、国家的危機に雄々しく立ち向かう益荒男ぶりを演出して“ポスト麻生”へのトップランナーに躍り出るチャンスと見たのかどうか、時には深夜にまで会見を開いて大げさに立ち回った。それで麻生は不快と嫉妬の念に駆られて、自分から政府広報のCMに出演して「先頭に立っているのは自分だ」とアピールし、また陰謀趣味のナベツネの提案に飛びついて唐突に厚労省分割案を口にして舛添への警告的な牽制球にしようとした。泥舟政権内部での愚にもつかない政局思惑が先行して、麻生や河村や舛添ら「科学的な根拠に基づいて判断する能力が低い」政治家たちがあらぬ方向で騒ぎを大きくし、マスコミがそれを増幅して何の批判精神もないままに「不安だけを助長する中身の乏しい報道へ過熱し」て扇情性を競い合う。そのようにしてマスコミは権力への批判とチェックを忘れて、徒に「漠然とした不安感」を広げることで権力のやりたい放題を露払いする役目を果たしているのである。

●危機管理が出来ないこの国

 このマスクについて、文芸評論家の斎藤美奈子が「思い出すのは戦時中の防空頭巾だ。事態がマスクという目に見えるものに収斂していったのはなぜだったのか」と問うているのは妥当である(3日付京都新聞オピニオン欄)。気休めにすぎないマスクを、政府もマスコミもそうとは正しく伝えないまま奨励し、そうすると国民は、「しないよりかはマシ」と思っている人も、「それさえ着ければ感染を防げるのか」と誤解した人も、こぞって買い溜めに走った。「顔の真ん中にどんと居座るマスクは『私は危険ではありません』『ちゃんとインフル対策しています』という標識にもなる。それがエスカレートすると、マスクをしていないと非難されるのではないかという恐れが生まれ、やがてマスクが自己目的化する」(斎藤)。

 戦時中の国民は、なぜ本土の自分らが空爆に晒されるような事態になったのか、戦局の客観的な分析と見通しについての正しい知識は何ら与えられないまま、「空襲にはまず防空頭巾」と言われて、それは火の粉を避けたり瓦が落ちてくるのを緩衝するくらいには役立つけれども、直近に焼夷弾が落ちたら何の役にも立たないことは誰しも分かっていながら、しかしそれを携行し着用することがやがて「打って一丸、お国のために戦っている」ことを表すシンボルにまで転化し、皆がそれに従った。いよいよ末期になると、「本土決戦」に備えた「竹槍訓練」ということになり、それに参加しなければ「非国民」扱いされるという馬鹿馬鹿しいところへ辿り着いていく。これが日本の“危機管理”の原型であり、今日もそこから大して進歩していないことをマスク騒動が示したのである。

 もちろん危機管理の要諦は「Think Unthinkable(考えられないことまで考える)」にあり、まして今回は未知のウィルスが敵であるから、現段階では弱毒性で致死率が低い他のインフルと同等程度の危険度ではあるけれども、国内に感染が広がれば変異が起きて強毒性に転化することもありえないではないという最悪事態を想定して対処するというのは正しい。しかし政府責任者がいきなり浮き足だったようにして「最悪事態もありうる」ことを顔に出したり口に表したりすれば、国民の間に「漠然とした不安感」が広がりパニックに陥らないとも限らないのだから、まずはこの敵の本質、他の経験済みのインフルとの異同、世界的広がりの現局面の特徴などについての正しい科学的な知識を淡々と、しかし徹底的に広めるべきだったろう。それが徹底しないまま、いきなり戦術レベルで「水際作戦」がクローズアップされ、専門家の間では、海外からの帰国者の内、すでに発症している者はチェックできても潜伏期間中の者はチェックのしようもないから、必ず国内で発生すると指摘されていたにもかかわらず、政府とマスコミは「水際で防げる」かのような幻想を与え続けた。それで予想通り、神戸の高校生に始まって国内で感染者が増え始めればパニックが起きるのは当然で、すると今度はマスク着用という超戦術レベルの呼びかけになっていく。

 話はさらに横に飛ぶが、この戦略的認識を欠いたままのあやふやな(出来ることと出来いないことをはっきしさせないままの)戦術的対処でお茶を濁すという日本的危機管理の特徴は、北朝鮮のテポドン騒動でも同じだった。あれは確かに、本当に人工衛星打ち上げが目的だったのかそれに名を借りたミサイル実験が目的だったのか、またその両方だったのかは、今なお不明のままだが、いずれにしても米国に対する外交的駆け引きの一環であって、日本に核もしくは通常弾頭のミサイルを撃ち込もうとするものでは全くなかった。にもかかわらず政府は、「日本にミサイルが撃ち込まれたら迎撃する」かのような姿勢を採り、イージス艦とPAC3を日本海と秋田・岩手両県に配備し、マスコミがそれを大々的に報じて大騒ぎになった。本当に日本にミサイルを撃ち込んで来る危険が少しでもあるなら、まず防衛を固めなければならないのは首都圏であるけれども(北が秋田・岩手両県に撃ち込む理由は考えられない——ちなみに金正日は盛岡産の冷麺が大好物だが、今は禁輸で食べられない)、首都圏のPAC3は両県へ行ってしまって東京はガラ空きだった。ということは、政府は実はこれが、日本を相手にしたミサイル発射ではないことを最初から認識していたことになるが、そうは言わずに「万が一には迎撃する」と言い続けた。

 その場合PAC3は何が出来るかと言えば、(1)発射直後に意図的にか(全くありえない)事故によるか(全くありえないとは言えない)打ち出しの軌道や速度を計算して両県に向かってくると判った場合に撃墜する(のだが成功の確率はかなり低い)、(2)日本海〜両県の上空で爆発を起こしたり部品が剥落したりして破片が国土に落下してくる(ありうる)場合にそれを撃墜する(のだが軌道計算が出来ないので全く不可能)のどちらかであり、つまりはPAC3配備はほとんど全く意味がない。そのような戦略的判断と科学的知識を淡々と伝えるどころか、麻生は「北の暴挙に雄々しく立ち向かう宰相」を自己演出し、それをマスコミが無批判どころか何倍にも増幅して騒ぎを大きくして、その結果が、前にも書いたように、発射直後のテレビ朝日のニュース第一報のように「先ほど北朝鮮のミサイルが発射されました。まだ日本には着弾していません」という頭が狂ったとしか思えない表現と口調になって国民に投げつけられることになるのである。賢明な読者はすでにお気づきと思うが、西松建設事件とその後の「小沢辞めろ」キャンペーンもまた相似形の構造を持っていて、つまるところこの国は、繰り返すが、政治家の無知、官僚の無能、マスコミの無責任の相乗作用によって国民が右往左往させられ、ますます何が本当の道筋なのか分からなくなって「漠然とした不安感」に苛まれて情動化していって、何かすがれるものが欲しいという気分になる。するとそこへ、官僚が“国民の期待”に応えるような振りをして小賢しい権限拡大手段を利権絡みで予算に潜り込ませようとするのである。

 いくら楽観的な私でも、政権交代すればすぐにこの政官報の退廃的なトライアングルの害毒を除去できるとは思わないが、少なくとも現政権ではその退廃がますます深まってこの国がますます先行き不明の泥沼に陥っていくことだけは確かである。これは、単に寿命約1年の麻生政権に対する政権交代ではなくて、官僚が実質権力を握って政治を好きなように操ってきた明治以来100年余の体制に対する「100年目の大転換」の苦痛に満ちた始まりであることを覚悟する必要がある。

 ここまで書き終えたところで、7日付朝日新聞が届いた。「耕論」欄で3人の専門家が新型インフルをどう受け止めるべきかを書いていて、問題の捉え方としては米本昌平=東京大学特任教授(科学技術論)に同感した。現場での対応については岩崎恵美子=仙台市副市長(危機管理担当)に学ぶことが多かった。永井美之=理化学研究所・感染症研究ネットワーク支援センター長は、治療薬の開発と検査法の改善で日本は最先端の技術を持っており、それを国がイニシアティブを取って推進せよと主張している。▲

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