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2008年10月30日

INSIDER No.464《ASO CABINET》解散先送りで麻生内閣の漂流が始まる──その先に何があるのか?

 麻生太郎首相が11月30日投開票と目されていた解散・総選挙を来年1月以降に先延ばしする決断をしたのは、偏に、選挙で大敗を喫して民主党に政権を奪われ、在任僅か2カ月余にして首相官邸を明け渡さなければならなくなる事態を恐怖したからである。かといって、26日の自公党首会談で公明党の太田昭宏代表が麻生に直言したように、「先送りしても勝てる戦略がない」。たとえわずかな可能性であっても、その戦略があってそれに賭けるというのなら話が分からなくはないが、何もないのでは決断どころか単なる不決断にすぎない。

●民主党単独過半数の見通し

 決定的だったのは、自民党が24〜26日に行った9月下旬以来4回目の選挙区情勢調査で、自公両党の獲得予想議席が過去3回の調査に比べて一段と落ち込んで205議席程度、それに対して民主党は240議席以上で単独過半数を確保するという結果が出たことである。日本経済新聞30日付の報道によると、300小選挙区のうち自公両党が優勢な選挙区は120弱にとどまる一方、民主党は170弱で、比例代表を合わせた予想議席は自民党が約180、公明党が25前後で、民主党は240超と与党を大きく上回る。この結果は「首相をはじめごく一部の幹部に報告され」、「解散先送りの判断を後押ししたとみられる」と同紙は書いている。

 9月下旬の第1回調査では、与党は現有より約100議席減の230超の見通しだったのだから、麻生自身が一度は決意しかかったように、臨時国会冒頭で解散に踏み切っていれば、まだ血路を切り開く余地があった。が、内閣発足直後の支持率が思ったほど上がらなかったことに加えて、中山成彬=国土交通相のアホ発言による辞任騒動に気勢をそがれて、ためらってしまった。そこで次には、補正予算で景気対策を打ち出せば拍手喝采を浴びるだろうと「補正成立後」に焦点を定めたが、その途端に株価の記録的な大暴落が襲いかかって、またもタイミングを失した。そうなるともう11月30日投開票は無理で、追加経済対策の発表とそれに基づく第2次補正の景気対策と来年度予算案の策定を着々と進めて人気回復のきっかけを掴もうという姿勢に転じたのだったが、そもそも目先のバラマキ的な景気対策で人気を集められるという発想そのものが間違っていることに麻生は気付いていない。

●景気対策が焦点ではないだろう

 第1に、今起きているのは、根本的には、金融危機、すなわち実体経済の何十倍にも金融経済を膨張させることで米国への資金環流を掻き立てようとしてきた、巨大な「振り込め詐欺」のような米国流金融資本主義の破産であって、その金融経済の波に乗っておいしい思いをしてきたごく一部の人たちは直接的な打撃を受けるだろうが、そうでない大多数の人々にとっては、金融機関が慌てふためいて貸し渋りに走った結果として倒れなくてもいい企業が倒れるとか、対米輸出に頼っていた企業が売り先を失って立ち行かなくなるとかいったことを通じて間接的な影響を受けることがあるかもしれないという程度のことであって、政府から4人家族で6万4000円だかの「給付金」を受け取らなくては暮らせないほど逼迫している訳ではない。

 30日の麻生の追加経済対策発表でその給付金についてテレビの街頭インタビューで感想を求められた若い女性が、「えっ、お金くれるんですか。うれしーっ。だけどそれで政府の財政は大丈夫なんですか?」と、むしろ政府のほうを心配しているのが実状なのだ。

 ここで日本の総理として麻生が国民に向かって語るべきことがあるとすれば、例えばそれは……、

(1)way of lifeの問題——日本人は、金が金を呼ぶようなカジノ資本主義の道は採らず、コツコツと額に汗して本物の価値を生み出すために真面目に働くモノづくり資本主義で生きていく。それを兎と亀に喩えるなら、最後は亀が勝つという確信を持とう。
(2)ユーラシアへの視線——米国頼りでは21世紀を生き抜けない。中国、インド、ロシアそれにEUのユーラシア4極構造を骨格としたユーラシアに大繁栄の時代が訪れるだろう。日本のモノづくり資本主義の未来をそこと結びつけて行こう。
(3)技術と教育への投資——そのためには、日本のモノ作りの技術を高め、またそこへと人材を注ぎ込むような教育を充実させるような長期的な投資に力を注ごうではないか。

 といったことではないのだろうか。少なくとも人々は、漠然とではあるけれども、米帝国の崩壊の後にどんな世の中が来るのだろうか、そこでは相当程度に生き方・暮らしぶりに大きな変化が訪れるのではないだろうか、という予感を抱いていて、目先に消費できる現金をほしがっているわけではない。

 第2に、人々の不安と消費手控えの根源は、今使うべき金がないことではなくて、将来の年金・医療費負担の行方が見えないことにある。「社会保障は将来不安をなくすものなのに、逆に不安の種を蒔いている」(御手洗冨士夫=経団連会長)ことが問題で、その状況では、6万4000円とかのバラマキをしても、それがそのまま消費に回って景気を押し上げるかどうかは分からない——と言うか、むしろ貯蓄に回ってしまう可能性のほうが大きい。

 麻生が30日の会見で、将来の消費税値上げを明言したのは、バラマキ批判をかわす狙いからのことだが、これもただ「上げる」では不安材料になるだけで、法人税・所得税など直接税と消費税との直間比率を先進国型に組み替えることを含めた税体系全般の見直し、またそれと福祉・医療・教育負担のあり方とを包括した国民負担像を示さなければならない。展望も骨組みもなしに、思いつきの策を並べることをバラマキと言うのである。

●求心力を失って漂流へ

 こうして、「政局より景気」と言って打ち出した景気対策そのものが正しく方向付けられていないので、大した効果は上がらず、従って内閣支持率も回復しない。むしろ年末から来年にかけては、米金融危機は底が見えず、株価と為替もヒステリックに乱高下する中で、倒産・失業が増え、さらに3月末に向けてはCDS市場破綻などの影響で思いもよらぬ大企業の倒産が出る可能性もあり、いくら待ってもいいことは何もない。

 しかも、解散をしないことで与党内での麻生の求心力は失墜し、野党が一気に攻勢に転じて再び「ねじれ国会」の運営が困難さを増す中で、とうてい結束して突破していく態勢にはならない。実際、細田博之幹事長を筆頭に自民党の大勢は「もう勝手にしろ」という気分に陥っていて、先延ばしを喜んでいるのは自分が落選しそうな派閥ボス級のベテラン議員だけである。早期解散をあれほど強く求めていた公明党との亀裂は深く、選挙協力にも支障を来すことになろう。

 結局は、支持率がさらに下がり、国会の運営はうまく行かず、与党内はバラバラになるなど、今よりもっと悪い条件で追い込まれて解散・総選挙をやらざるを得なくなる公算が大きい。時期としては、

(1)クリスマス解散——第2次補正予算案を今国会に出す場合は、同案を成立させ、来年度予算案の編成を終えた12月下旬に解散、1月13日公示、25日投開票。ただし第2次補正成立に野党がすんなり協力するはずはないので、麻生としては補正成立なしで改選することは避けたい。逆に参院で補正審議が止まり、破れかぶれで解散に打って出るケースもないとは言えない。
(2)通常国会冒頭解散——1月下旬に招集される通常国会の冒頭に解散するというのは1つのタイミングだが、予算と関連法案の成立は大幅に遅れる。
(3)予算成立後解散——09年度予算を3月末までに成立させた直後、4月14日公示、26日投開票。ただ予算関連法案に衆院再議決が必要になると5月解散にズレ込んでいく。
(4)7月都議選とのダブル選挙——公明党は認めず、選挙協力はなしになる。
(5)任期満了選挙——そこまでとうてい麻生はもたない?

 といろいろあり得るが、先になるほど麻生が主導的に解散を打つ力は弱まっていくだろう。1月を超えると、与党内から麻生下ろしの動きが始まるのではないか。▲

2008年10月20日

INSIDER No.463《CRISIS》米国式金融資本主義の大崩壊──その先に何があるのか?

 サブプライム問題に端を発した米国式金融資本主義の大崩壊は止まるところを知らない有様で、米政府の金融安定化法(10月3日)、その不備を「国際協調」で補おうとするG7の「断固たる対応」声明(10日)、その限界を大手銀行への「一括資本注入」でしようとした米政府決定(14日)といった堤防が次々に決壊して、世界金融動乱はますます深刻化している。

 米国式金融資本主義が破産したのは疑いないとして、金融は、資本主義は、そして米国はこの先どうなるのかという議論が高まるのは当然である。

●社会主義には戻らないにしても

 野村ホールディングスの渡部賢一社長は、17日付毎日新聞の「米国型資本主義は終わったか?」と題したインタビューで、「投資銀行のビジネスモデルや米国型資本主義は終幕したと言われています」という問いに、こう答えている。

「マスコミが言っているだけだ。この4、5年、世界中で過剰流動性(金余り状態)が進行したことで、行き過ぎが生じた。異常なレバレッジ(元手が少ないのに巨額借り入れで過剰な投資をすること)はなくなると思うが投資銀行業務そのものはなくならない。ヘッジファンドも一定部分以上はあだ花だったが、適正なヘッジファンドは残る。正常に戻る過程が始まるのであり、マルクス、レーニンの計画経済になることはない」

 そりゃあ、いくら何でもマルクス、レーニンには戻るはずもないが、この人がまるで分かっていないのは、マルクスはもちろんレーニンも、単純な意味での計画経済など唱えたことはなく、旧ソ連型の計画経済とは、ロシア革命直後の内乱状態の下での非常事態がそのまま第1次大戦(ナチス・ドイツの対ソ侵攻)に対する戦時の危機管理体制に引き継がれていく中で、スターリンによって「これこそが社会主義だ」というように定式化されてしまった「戦時統制体制の不当な一般化」と呼ぶべき代物であって、ここで渡部が選ぶべき言葉があったとすれば「スターリン型の計画経済」である。しかし、計画経済はスターリンの専売特許ではなく、1930年の世界大恐慌に直面したルーズベルト米大統領が採用したケインズ型の政府による市場への介入もまた計画経済の一種であって、その意味でスターリンとケインズには同時代性があった。渡部は「スターリンの計画経済にもケインズの計画経済にもならない」と言いたかったのかどうか。もしそうなら、ルーズベルト由来のケインズ型の流れを断ち切って新自由主義モデルを導入したレーガン政権以来の米国の生き方が破綻した今、スターリン型があり得ないのは当たり前として、ケインズ型もないのかどうか。現にブッシュ政権がやっていることは、広い意味のケインズ型への逆流と言えないこともない。そう考えると、渡部の言い方は二重三重に不正確である。

 要は、政府の失敗と市場の失敗の競い合いという古くて新しい問題であって、今は市場が失敗した上に政府も失敗しつつあるという深刻な事態で、そこから抜け出すについて、政府と市場とどちらの失敗が少ない方に賭けるかという問題なのではないか。

 これに関連して、面白いのは、米誌ニューズウィーク10月8日号で中国の温家宝首相がインタビューで「中国の急激な経済成長の成功のカギは何か」の問いに答えて、次のように言っていることである。

「78年に導入した改革開放路線だ。われわれには重要な考えがあった。それは社会主義が市場経済を実践できるというものだ。マクロコントロールと規制の下、資源の分配で市場の基本的役割を十分に発揮させる。アダム・スミスは『国富論』で市場原理について書いているが、彼は社会の平等と正義についても書いている。そこでは、富を分配する政府の調整能力の重要性が強調されている。富の多くが一部に集中すれば、国家の調和と安定性が脅かされる」

 中国の首相からアダム・スミスについて講義を受けるというのも驚きである。確かにスミスは、1776年に書いた主著『国富論』では理論の基礎に「利己心」を据えたが、その17年前に書いたもう1つの主著『道徳感情論』では「利他心」とそれに基づく「同感の論理」を重視し、こう述べた。

「人間がどんなに利己的なものと想定されうるものにしても、自由で平等な利己的個人の平和的共存が権力の介入なしに可能なのは、同感の論理の存在ゆえである。利己心も同感の論理に支えられなければならない」

 利他心を失った利己心の暴走が権力の介入を招いたというのが今日の米国だろう。伊東光晴=京都大学名誉教授は、そのことに触れつつ、「21世紀は、利己心と利他心のバランスを欠いた覇権国アメリカの、崩壊の世紀になるかもしれません。……これに対して21世紀の少なくとも前半は、中国経済の成長発展の世紀となるでしょう。中国は……豊かな未知の資源に恵まれ、アメリカの数倍の可能性を秘めた市場を持っています」と指摘している(エコノミスト08年4月15日号)。

 私はINSIDERNo.429(08年2月14日)で「中国型の『社会主義市場経済』、すなわち一部は社会主義的に制御された市場経済というのは、これまでは『共産党一党独裁の下で市場経済を発展させることなど出来るはずがない』という幼稚な偏見に晒されていたけれども、もしかしたら米欧型の金融資本主義を超える、コントロールされた資本主義の別のモデルになるのではないか」と述べておいたが、北京指導部がまさにそのような問題意識に基づいて中国経済の運営を図ってきたのだとすれば、伊東の言うように、21世紀は中国の世紀となるのかもしれない。

●行き過ぎの是正で済むのかどうか

 さて、投資銀行業務そのものはなくならない、と渡部が言うのはその通りだろう。が、投資銀行業務はなくならないとしても、「ビジネスモデルとしての投資銀行」はすでに消滅した。米投資銀行(証券会社)第5位だったベア・スターンズは破綻して米商業銀行第2位のJPモルガン・チェースに買収され(3月)、第4位だったリーマン・ブラザーズも破綻して米国部門は英バークレイズ銀行に、欧州・中東・アジア各部門は野村ホールディングスに、分割・買収され(9月)、第3位だったメリル・リンチは米商業銀行第2位のバンク・オブ・アメリカに買収され(同)、生き残った第1位のゴールドマン・サックスと第2位のモルガン・スタンレーは銀行持ち株会社に移行し(同)、こうして投資銀行というものそのものがなくなってしまった。

 ということは、1933年グラス・スティーガル法(銀行法)に基づく商業銀行と証券の分離の75年間に及ぶ歴史が終わったということである。グラス・スティーガル法は、証券取引のような価格変動リスクが大きい業務を銀行が手がけていると、預金者保護の責務が果たせなくなる危険が大きいということで、銀行業務と証券業務の兼営を禁止し、また銀行が証券会社を系列下に置いたり、両者の役員を兼務することをも禁止したもので、日本の証券取引法65条の銀証分離もこれをモデルとしている。これは、銀行に節度を保たせるという点では大いに効果があったが、逆に証券側は節度を失って、その本来の業務から次第に乖離して、もっと大きいリスクを賭けて一か八かの巨莫利益を求める「投資銀行」へと発展を遂げることになった。

 証券会社らしい業務とは、(1)投資家からの委託を受けて証券を売買して手数料を受け取るブローカー業務、(2)自己資金でポジションを組んで公共債などを売買するディーリング、(3)企業が株式や債券を発行する際にそれを支援し、一旦引き受けた上で投資家への販売を行うアンダーライティング業務などである。

 それに対して投資銀行が扱うのは、(4)企業の合併・買収の仲介と助言で手数料を得るM&Aはまだしも、(5)これから買収しようとする相手先の資産やキャッシュフローを勝手に担保に入れて買収資金を調達し、買収が成功した暁にはその企業の資産を売却したり、キャッシュフローを流用したりして返済をしていくという、企業強奪に等しいLBO(レバレッジド・バイアウト)、(6)株式や債券では気が済まずに、不動産、通貨、原油、商品などありとあらゆる投機市場でのプリンシパル(自らが投資主体となった)ビジネス、さらには(7)金融技術を駆使して複数のリスクを組み合わせて新しい金融商品を組成して、それを小口に分けて売り飛ばす「証券化」、(8)その証券化の怪しい部分をカバーするための装置としてのヘッジファンドやモノラインや格付け会社の育成・提携・貸出や、あるいは本体では扱えないリスキーな投資を簿外で行うためのSIV(仕組み投資会社)の設立などによる裏での荒稼ぎ——などで、これらを通じて投資銀行は、ハイ・レバレッジ、ということはそれだけハイ・リスク&ハイ・リターンの金が金を生む資本主義のカジノ化を主導することになった。

 この投資銀行全盛を見て商業銀行側が嫉妬したのは当然で、99年のグラム・リーチ・ブライリー法(金融制度改革法)によって銀行の証券業務はじめ投資銀行業務への進出が認められることになった。この境界溶融によって金融バブルは米欧のすべての金融機関を巻き込んでさらなる膨張を遂げ、今日の危機を招いたのである。

 倉都康行=RPテック代表取締役はこう指摘する(エコノミスト08年9月30日号)。「商業銀行は特にバブルが発生しなくても、融資という利ざやのストックで生計を立てる余裕がある。一方で投資銀行は、バブルを作り続けないと人件費やシステム費用など巨額に膨れあがったコストを賄えない。現代の投資銀行は、何らかのバブルが発生していないと経営が揺らぐという、危険な土壌にそびえ立つ摩天楼なのだ。投資銀行の役割や性格を考えれば、彼らが簡単に衰退するはずもないと考える人は少なくないだろう。ただし、世の中に永久機関が存在しないように、バブルを作り出しながら生き延びる戦略は、永続しないビジネスモデルである」

 確かに、商業銀行は余裕があるので投資銀行を買収したのだし、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーは銀行持ち株会社に移行することで余裕を作り出そうとしたのだろう。そのようにして投資銀行業務は銀行の一部門として生き残るに違いないが、倉都の言う「バブル的経営」は、今後予想される厳しい法的規制という面からも、投資家に見向きもされなくなるという面からも、国民の怨嗟に満ちた監視の目から逃れられないという面からも、存続不可能で、だとすると次には一体何を目指すのか。そこが明確でないまま単に銀行の中に身を潜めても、逆に銀行そのものを内部から浸食して一層深刻な金融危機を準備するだけに終わることにもなりかねない。なぜなら、商業銀行はすでに99年以降、投資銀行の道を追いかけていて、今年前半の統計を見ると、株式・債券の引き受けやABS(資産担保証券)の引き受けでは投資銀行を上回り、また新規公開株式発行やM&A助言の業務でもそれと同等の地位を占めていて、新たに投資銀行を抱え込まずとも、とうの昔に投資銀行化しているからである。

 御立尚資=ボストン・コンサルティング日本代表は日本経済新聞10月17日付「経済教室」欄で「投資銀行は“原点回帰”へ」と論じ、こう言っている。「[投資銀行は]商業銀行の3〜4倍のレバレッジ(てこ)をかけ、実体経済と距離を置き、自らリスクを取るビジネスに傾斜していった。……投資銀行業務を取り込んだ商業銀行、すなわちユニバーサルバンクは、行き過ぎたレバレッジを調整する中で、当面、より実体経済に近い業務に注力することになろう。一種の揺り戻し、原点回帰だ」と。

●市場が解決できない価値

 しかし、事は「レバレッジの調整」程度で済む話なのか。投資銀行の実体経済からの乖離というのは現象論で、その裏に潜むのは、実体論次元では、71年にニクソン政権が断行したドルと金の交換停止による金の裏付けのないドルの大量印刷とそれ故の80年代以降の過剰流動性を背景に、為替が貿易とは無関係に投機資金によって左右されることになってしまった金融の実生活に対する反作用であり、より本質論次元で言えば、つまりは財と貨幣の乖離である。

 思想面で言えば、この過剰流動性の暴走による不安定化を肯定し合理化さえして扇動したのは、ミルトン・フリードマンらシカゴ学派の「新自由主義」イデオロギーである。佐伯啓思=京都大学大学院教授は「米国的資本主義が破綻する理由」という一稿でこう述べている(エコノミスト08年9月9日号)。

「“新自由主義”もしくは、今日の米国経済学の誤りは、市場経済をあたかも抽象的に組み立てられた普遍的体型とみなしてしまう点にある。市場競争原理は普遍的なものだから、どこにいても通用する、とみなされている。あらゆるものを商品化し、市場化することで、効率性は向上するとみなしている。この考え方の決定的な誤りは、“市場経済”を“社会”から切り離してしまう点にある。“社会”とは、そこで人々が交わり、生活を行い、一定の価値観を涵養する場所であり、さまざまな活動の土台を与えるものである。1人の人間が一人前の経済人になるのは、それなりの教育、文化(真津メディアや情報なども含めて)、家族、組織、そして医療や福祉などによる“支え”が必要なのである。“社会”はそれを提供する。……[しかし]過剰な市場競争は“社会”を破壊しかねない。そして、その結果として、逆に市場経済そのものがきわめて不安定化するわけである」

 してみると、投資銀行(業務を抱え込んだ商業銀行)が実体経済寄りにシフトするなどと言っても、金融が実体経済を傷つけてしまうようなこれまでの構造を変革する論理と筋道を見付けられない限りは絵空事に過ぎず、しかも、その論理と筋道を見付けるための出発点は、市場原理で解決可能な部門と、佐伯の言う“社会”すなわち市場原理が通用しない部門とを峻別するところに置かれなければならないだろう。古くは経済人類学の創始者とされるカール・ポランニーが『経済と文明』(ちくま学芸文庫)などで提起したように、非市場社会では「経済が社会に埋め込まれている」のであって、それを市場社会の論理で扱うことは出来ない。大きな三角形のてっぺんに、貨幣をも商品にする金融市場があり、その下に貨幣以外のすべてを商品とする私的企業社会があり、その下に政府・公的部門があって様々のインフラを提供しており、そこまでがGDPとして貨幣的にカウントできる世界である。しかし、その下により広大な、必ずしも貨幣にだけ置き換える訳にはいかない人々の生活コミュニティがあり、さらにその下には自然の資源というものがある。

 金融経済は企業経済を前提にしなければ成り立たないのはもちろんのこと、さらにその下の公共部門や地域の実生活や自然の資源の恩恵を被ることなしには存続することすら出来ず、だからこそ金融機関や企業も社会の一員として、公共を支えコミュニティに貢献し自然を保護しなければならない。ところが新自由主義は、それらを無視し、あるいは平気で傷つけながら、すべては市場を通じて解決できると思い込む傲慢に陥った。この馬鹿げた事態が爆発しなければならなかったのは必然で、しからばいかなる価値を定立するのかが今問われていることである。▲

2008年10月14日

INSIDER No.462《CRISIS》泥沼に填るアメリカ式の金融工学的資本主義──アメリカ帝国の破産

 最大75兆円(7000億ドル)の公的資金を投じてサブプライム関連を中心とする金融破綻を救済しようとするブッシュ政権乾坤一擲の金融安定化法案が、難産の末ようやく10月3日、下院で修正・再可決されたものの、その実効性にはますます疑問符が突きつけられていて、週明け6日のニューヨーク市場は株式の1万ドル割れの大暴落という形で同法案への拒絶を露わにした。

 それを受けて10日に主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が打ち出した声明文は、主要な金融機関の破綻回避と市場の機能回復のために「あらゆる手段を活用する」という抽象的な決意だけのべた、英文わずか22行の素っ気ないもので、「決意は当たり前。いつどこへいくら米国が公的資金を投入すれば危機が止まるのかの具体策を聞きたい」という全世界の関心事に応えるにはほど遠いものでしかなかった。

 ポールソン米財務長官としては、「あらゆる手段」の中には公的資金による金融機関への資本注入も含まれれていて、それは金融安定化法の枠内で可能なのだと強弁したいところなのだろうが、仮にそう明言すれば、米議会では「いや、同法案の審議ではそんな話は出ていない」「そこへ踏み込むなら新法が必要だ」という大合唱が盛り上がるだろう。11月改選選挙が近づくにつれ、特に共和党議員はますます視野狭窄に陥っていく。だからこそG7声明は「あらゆる手段を活用する」という文言に止まらざるを得なかった。

●アメリカ民主主義の光と陰というお粗末

 下院が一旦同法案を否決したこと自体は、アメリカ民主主義の偉大さの現れである。下院議員は11月の大統領選と同時に全員改選を控えており(上院は3分の1のみ改選)、選挙民の「ウォール街の大金持ちをなぜ我々の税金で救わなければならないのか」という素朴且つまっとうな批判に応えざるを得なかった。

 選挙民の中心をなすのは、まさにサブプライム・ローンの破綻とその影響に苦しんでいる人々をはじめとして、1980年代以来の自由市場主義の専横の中で一向にその恩恵を被らなかったばかりか、むしろそれによって酷い目に遭ってきた圧倒的多数の人々である。

 サブプライム・ローンは、普通ではローンの対象とはならない(実体的には黒人やヒスパニックがほとんどを占める)低所得者にも住宅ローンを提供してマイホームの夢を実現させようという、一面では福祉的な意味合いさえ持つ金融商品ではあるけれども、実際には、「NINJAローン」(No Income, No Job & Assets=無収入・無職・無資産の人たちでも融資対象となるローン)を典型として、無理にでも住宅を買わせて高金利をむしり取るほとんど詐欺的な強奪手段ですらあった。

 サブプライム・ローンは、入り口の敷居を低くして引っ張り込みやすくする蟻地獄的な仕掛けになっていて、当初2〜3年間は無金利もしくは超低金利で、3〜4年目からいきなり高金利が襲いかかる仕掛けになっていて、元本に金利と手数料を上乗せすると年収の半分以上を返済に回さなければならない人も出てくる。ところが、住宅価格が上昇を続けてさえいれば、3〜4年目に転売して差益を得たり、ローンを借り換えて再び数年間の金利猶予期間を獲得したり、あるいはホーム・エクイティ・ローン(住宅担保の消費ローン)を組んで車を買ったり旅行費や医療費に充てたりすることも可能で、サブプライムにおける福祉と強奪の矛盾は顕在化することがなかった。

 そのようにして、住宅そのものの需要増に加えて、住宅担保金融による消費の旺盛が米国の景気拡大を支えてきたのだが、その前提となった住宅価格の上昇がいつまでも続く訳がなく、やがて飽和から下落に向かったのは理の必然で、サブプライム債務者の15〜20%はたちまち支払い不能に陥ってテント生活者に転落したり、クレジット・ローンを借りて住宅ローンの返済に充てるというローン地獄に陥ったりした。まだそこまでの苦境に至っていない人々も、一時の夢破れていつホームレスになるかもしれぬ不安に苛まれていて、そういう時に、破綻したリーマン・ブラザーズのトップの昨年の年収35億円、まだ破綻していないゴールドマン・サックスのトップが75億円という正気の沙汰でない話を聞いて、「何でそんな奴らを救うのだ」と怒るのは当然だし、自分の選挙大事の議員がその声に耳を傾けざるを得なかったのもまた当然だろう。

 しかし反面、米連邦議会と議員は最大の帝国アメリカの行く末とその世界的影響について責任を担っているのであって、選挙民の素朴な感情に落選怖さで即物的に反応してあわてて反対票を投じるというのでは余りにはしたない。責任ある代替案を形成するか、そうでなければ、金融市場の破綻を放置すれば巡り巡って皆さんの生活の一層の苦難をもたらすのだということを理性の言葉で語って困難を承知で選挙民を説得し抜くしかない。が、議員たちが採ったのはそのどちらでもなく、同法案に債務者・預金者・納税者の保護を感じさせるような微修正を施し、さらに金融安定化とは直接関係ない人気取り的な減税案を盛り込むといった迂回策でしかなかった。結果的に、同法案はさらに実効性を疑われるようなものとなった訳で、これはアメリカ民主主義の愚劣さの現れである。この1週間でアメリカ民主主義は偉大さと愚劣さの両極間を激しく揺れ動き、アメリカ民主主義がブッシュが自慢して言うほどの世界に対する輸出品ではないことを改めて知らしめたと言える。

●何の役にも立たない米金融安定化法

 この米金融安定化法になぜ実効性がないかと言えば、公的資金による破綻金融機関への資本注入を何としても避けようとしているからである。そうなってしまうのは、本質的には、THE JOURNALへの9月18付の水野和夫コメントが指摘するように、新自由主義のイデオロギーに取り憑かれているブッシュが、金融機関に資本注入したり国有化したりして「お前は共産主義者か!」と非難されることを何よりも畏れていて、そんな非難を浴びるくらいならそのイデオロギーと心中した方がマシだと思い込んでいるためである。これはもう、ほとんど自暴自棄に近い。ポールソン長官もつい先日まで、「安易な(金融機関の)救済はしないという原則を尊重すべきだ」と言っていた。

 金融機関を破滅させず、従って公的な資本注入を避けるという前提に立てば、必然的に、破綻寸前の金融機関をも生かしておいて、ということは経営者の法的・倫理的責任を問うこともしないで、その不良資産だけを買い取るということに公的資金の役割を限定せざるを得ない。問題はどういう価格で買い取るかだが、「簿価」で買い取れば金融機関は救われるが、それでは莫大な金額になって75兆円程度で済むはずがなく、納税者の納得を得られないし、何事も時価でという市場原理イデオロギーや国際会計基準の原則にも合致しない。では「時価」でと言っても、金融機関が抱える不良債権は売るに売れない状態になっているから不良債権なのであって時価が形成されていない。時価でと言うことは、タダ同然で投げ売りさせて不良資産を吐き出させるということと同義で、そうなれば経営破綻が確定し、経営者責任も民事・刑事責任を含めて明確化され、公的資金による資本注入による事実上の国有化で再建を図ることにならざるをえない。社会主義、万歳!

 そこで同法案の苦肉の策のスキームは、逆入札と言って、より安い価格で(つまり簿価でもなく時価でもないその中間の折り合いのつくところで)売ると申し出た金融機関から順に買い取るということになっている。買い取りにも競争的な市場原理を働かせているのだというせめてポーズだけは維持しようという狙いだが、政府が「より安い価格」で買い取ろうとするのに対して、経営者は「より高い価格」で買い取って貰おうとするせめぎ合いの中で、結局はその申し出価格が「より安い」かどうかの判定は当局の裁量ということになるのだろうから、折り合いがつくのは難しく、時間もかかり、その間にも金融機関の経営がますます悪化していくことも十分に予想される。現に、同法案の成立から10日間を過ぎて、切羽詰まっているはずの金融機関のどこも逆入札に応じていない。

 また仮に折り合いがついて買い取りが成立したところで、その分の損失が確定して経営の破綻ぶりが表面化し、しかも経営者は報酬制限を受けるのだから、体力が残っている金融機関はある程度まで不良債券を整理するために買い取りを願い出るかもしれないが、体力のないところはそれすらも出来ないということになるのではないか。だからこそ「いつどこへいくら」という具体策が焦点になるが、米政府・連銀はそれを打ち出すことが出来ない。

 となると、結局は、破綻→公的資金注入→国有化とならざるをえないのだが、それはブッシュ政権の新自由主義イデオロギーへのこだわりと米議会のポピュリズム的抵抗とによって阻止されるだろう。進むことも引くことも出来ない有様で、イラクとアフガニスタンの戦争がそうであるのと同様、ブッシュのような馬鹿を大統領にしてしまった米国民の自業自得が深まっていく。

●金融工学的資本主義のふしだら

 問題の根源は、90年代から始まったアメリカ式金融工学的資本主義のふしだらにある。

 日本のかつてのバブルとその崩壊は、ある意味で単純で、不動産価格の下落にどう見切りを付けるかということで、それが巧く出来ずに処理が10年間も長引いた。なぜなら、旧大蔵省のデタラメ金融行政の右往左往とそれがもたらした破滅的な事態への責任の問い方が定まらずに徒に時間が空費されて対応が後手後手に回ったからである。よく言われるように、その当時、スウェーデンも日本と同じようにバブルとその崩壊に直面し、大手7銀行のうち5つが破綻する事態を迎えたが、当局が機敏に対処し、短期間で切り抜けた。今回の事態について、日本の経験が参考になるなどという話が出回っているのは噴飯もので、米政府が見倣わなければならないとすれば、日本のモタモタではなくてスウェーデンのスピード感である。日本が米国に何事か教訓を垂れうるかのことを言っているマスコミは浅薄にすぎる。

 とはいえ、仮に米政府・連銀がスウェーデン的スピード感を以て対処したとしても、それでは間に合わない。なぜなら、今回の場合は、日本ともスウェーデンとも違って、不良債権の規模が底なしだからである。

 アメリカ式金融資本主義は、世界最大の経済大国であり基軸通貨国であることをいいことに、「振り込め詐欺」さながらの金融工学的マジックで全世界から金をかき集めてブンブン回しを楽しんできて、世界の金融資産の総額は世界の実体経済=GDPの4倍近くにも膨らみ、さらにその金融資産を裏付けとした金融派生商品の想定元本は世界GDPの10倍以上、500兆ドルにも達している。しかも、チャールズ・R・モリス『なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか』(日経出版社、08年7月刊)によれば、活発に取引されている金融派生商品が対象とする銘柄はごく少数、せいぜい数百社であり、それを取引しているのはかなり少数の世界的な商業銀行、投資銀行、ヘッジ・ファンドであって、それらの間で金融派生商品が次々に売買されて巨額の利益が計上されていく間に「亀の上に亀が乗り、その上にまた亀が乗っていったような形で、じつに不安定な負債の塔、それも巨大な塔が作られてきた」結果、「どこかで小さな問題が起こっただけで、塔の全体が崩壊しうる」事態となった。

 そうしてみると、日本のかつてのバブル崩壊など可愛いもので、今回は、もし「塔の全体が崩壊」するとすれば不良債権の総額は最大500兆ドルということになる。現象論的には「サブプライム危機」だが、それはきっかけにすぎず、実体論的には金融派生商品(亀の上の亀)、とりわけCDO(金融債権担保証券)と、さらにそれを種にした信用派生商品(そのまた上の亀)であるCDS(債務不履行保険取引)の崩壊であって、これでは、ようやく7000億ドルの救済枠を手にしたポールソン長官が「具体策を」と言われても、どうしたらいいのか分からずに立ちすくむのは当然である。

 CDOとCDSについては、ジョージ・ソロス『ソロスは警告する/超バブルの崩壊=悪夢のシナリオ』(講談社、08年9月刊)の説明が分かりやすい。

▼アメリカでは、銀行や貯蓄貸付組合が住宅ローン融資を決めた場合、融資自体は貸付を専門に行うブローカーによって行われ、その住宅ローン債権が銀行に集められ、まとめて証券会社に売られるのが一般的だ。

▼証券会社はリスクの高い住宅ローン債権を何本も組み合わせて、CDO(コラレラライズド・デット・オブリゲーション=金融債権担保証券)という名称の新たな資産担保証券に仕立てて売却した。CDOは何千ものローンの利払いと返済から生じるキャッシュフローを一括して、これをさまざまな組み合わせからなる金融商品に分割し直したもので、利回りやリスクが複雑化する半面、さまざまな投資需要に応えることが出来るという触れ込みだった。

▼これらCDOのおそらく8割ほどは、格付け会社から最高レベルのAAAの格付けを与えられた。それより格付けの低いCDOは、元になっている住宅ローンが不良債権化したときに負わされるリスクが高かったが、その分、利回りも高かった。しかも銀行や格付け機関は、「NINJAローン」のようは馬鹿げた仕組みに必然的に潜むリスクを大幅に過小評価していた。

▼こうした証券化は、リスクを段階評価し、しかも元の資産を分散させることでリスクを低くするとされていたが、実際には、住宅ローン債権の所有権を、借り手と直接やりとりする銀行から、借り手とはまるで無関係の投資家へと次々に移転することで、リスクを高めてしまっていた。

▼2005年からこの“危険な証券化”が加熱しはじめる。アイディアに富んだ証券会社は、売れ残ったCDOをさらに分割して合成したCDO2(二乗CDO)、さらにそれを再分割し組み合わせなおしたCDO3(三乗CDO)まで作り出した。これらの合成CDOは、しまいには総取引量の半分にまで達した。

▼安易な証券化ブームは、住宅ローン債権に限定されず、他の形の債券にまで広がった。合成証券市場の半分を軽く上回る割合を占めていたのは、実はCDS(クレジット・デフォルト・スワップ=債務不履行保険取引)という複雑な合成金融商品である。ある債権群を持つA銀行は、それが債務不履行に陥った場合に備えて、予めB銀行から保証を購入する。AはBに対して、一定年限を区切って年間手数料を支払い、その期間中に保証対象の債権が不良化した場合、その損失分をBがAに対して埋め合わせをする。債権不良化が起きなければBは手数料を丸儲けする。

▼やがてヘッジ・ファンドがCDS業界に参入し、事実上、無認可の保険会社として機能し始めた。CDS市場は爆発的に成長し、現在、CDS契約の残高は42.6兆ドルと推計されている。これは、アメリカの家計の全資産の合計にほぼ等しい金額である。アメリカ財務省証券の市場規模4.5兆ドルはもちろん、アメリカの上場株式の時価総額18.5兆ドルさえも軽く凌駕する巨大市場なのだ。

▼この証券化ブームは、借入金のとんでもない膨張を引き起こした。通常の債券を保有するには額面の10%の自己資金が必要だが、CDSを使った合成債券では1.5%の自己資本で済む……。

●SIVという地下の魔物

 大銀行は、一方ではヘッジ・ファンドに資金を提供してCDO/CDS市場を盛り上げ、他方では自らの傘下にSIVと呼ばれる「仕組み投資会社」を設立して(たいていはケイマン島にあって法的には無関係の法人の形をとっている)、そこで大量のCDO/CDSを売買して簿外で大儲けをしていた。現在、金融機関同士の相互不信から銀行間の短期資金融通(CP)市場が麻痺しているが、実はSIVはCPで低金利で短期資金を借り換えしながらCDO/CDS投資を行っており、CDO市場が底なしの崩壊に陥ってSIVが破綻しつつあるためにCPの金利が跳ね上がったことがその麻痺の原因である。

 SIVは元々“陰の銀行”と呼ばれ、どれだけ膨大な資産を持っているのかは分からず、従って、こういうことになってどれだけの損失を出しつつあるのかも分からない地下世界の魔物である。その状況では、ポールソンが地表の金融機関だけ相手に救済しようととしても実は何の意味もなく、地下へ地下へと引きずり込まれていくことになる。

 こうして、アメリカ発の金融危機は、レバレッジという名のとてつもない信用膨張がアメリカと世界の実生活の何十倍もに膨れあがって、ついに自家中毒を起こして死に瀕するという有様となっている。

 12日のサンデー・プロジェクトで私は榊原英資に「アメリカ資本主義はこれからどうなるのか?」と尋ねたが、余りハッキリした答えはなかった。コマーシャルの間に水野和夫に「結局、証券会社は昔のように地道に株を売買して手数料を稼ぎ、銀行は真面目に預金を集めて事業会社に貸し付けるというところに戻って行くんですかね」と聞くと、彼は「そうだと思います。レバレッジは10倍まで」と言った。

 モリスによれば、「四半世紀にわたるシカゴ学派の指導に従って来た」間に行われたのは「価値の創造」ではなく単なる「価値の移転」であり、結果的には「価値の破壊」でしかなかった。価値創造のシステムとしての資本主義をその本家である米国が破壊してしまったというこの「ふしだら」と言うだけでは済まない事態に、米国はどういう打開策を見付けることが出来るのだろうか。▲

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