INSIDER No.449《SUMMIT》予想どおり“失敗”に終わったサミット──なのに「共有」「合意」という見出しを乱舞させるメディアの罪
言葉のお遊びはいい加減にして貰いたい。毎日新聞を例にとれば、G8の結果について報じた9日付一面トップが「2050年半減『世界で共有』/G8合意/中期目標は数値盛らず」、翌日のMEMについて報じた10日付が「『長期目標共有』で合意/温暖化でG8と新興国/『50年半減』盛らず」と大見出しがついているが、これはどちらも「『50年半減』で合意成らず」でなければおかしい。
9日付の見出しだけ読めば、「2050年CO2半減」の長期目標についてG8が合意したという印象しか浮かばない。ところが実際には、記事の中身は誰もが理解できるように、米国は明らかにこの長期目標に反対で、G8は合意に失敗した。また「半減」をいつを基準年にして達成するのかについて欧州と日本との間で大きな食い違いがあり、それを埋めることにも失敗した。従ってさらに、それを達成するための現実的な目標として2020年の中期目標を確定することが長期目標への真面目さを占う試金石として注目されたが、もちろんそれにも失敗した。
●メインテーマにしたのが間違いの始まり
そもそもから順を追って言えば、まず日本国内でさえも確かな合意がない。安倍晋三前首相は6日のサンプロに退陣以来初めてTV出演して、終始にこにこと愛想よく、饒舌に、「昨年のドイツ・サミットで《2050年にCO2半減》を提案して『真剣に検討する』という議長総括を引き出したのは自分だ」と語った。しかしその中身のことになると、半減というのがいつを基準年としての話なのかについては曖昧のままに留まっていて、「数値目標というよりビジョンを共有しようという呼びかけだった」ことを認めた。
このように、曖昧なことを足して二で割るといった調子で安易に口にして、後なって困ってしまうというのが日本外交のパターンで、あの京都議定書にしてからが、欧州がそれなりの意思統一に基づいて90年基準で8%という目標を明示しているのに対し、当初は米国も日本も反対していた。ところがゴア副大統領が乗り込んできてこれもまた唐突に「米国は7%」と言い出して、驚いた日本は弾みで「じゃあ6%」と言ってしまって、結果的に全く達成できずに窮地に追い込まれた。その反省に立てば、今回のサミットで国内議論の調整と米欧それに中印など新興国との摺り合わせを万全にすることなく、地球温暖化をメインテーマに押し上げることは危険極まりないことと考えるのが普通なはずだが、外務官僚の入れ知恵なのかどうか、福田康夫首相は「昨年の安倍は半減を『真剣に検討する』に留まったので、今年はそこから一歩踏み出して『合意』に持ち込めれば大成功」という課題設定をしてしまった。
それならそれで、まず国内の議論を固めなければならないが、そこではまず《2050年にCO2半減》を安倍の言うように単なるビジョンとして神棚に飾っておこうという話なのか、それともG8共通の数値目標として義務化しようとするのかを明確にしなければならなかった。が、そこは曖昧のまま福田は「福田ビジョン」で独断専行的に《2050年にCO2半減》を長期目標だと宣言した。ビジョンであれば、どうせ42年も先のことでそのころ世の中がどうなっているかも分からないから「まあいいか」という程度の合意らしきものは達成されうるが、それが長期目標であるならば、基準年を明確にして、さらにその達成のために必要な2020年の中期目標を明確にしなければ目標にはならない。ところがそうなれば産業界ははっきりと反対で、中期目標は国内的に設定不可能である。それでは、世界の誰も長期目標を真面目なものとは受け止めないから、何の説得力もない。ブッシュ大統領を説得できなかったのは当たり前で、そのためG8は長期目標も中期目標も具体的な数値をあげて「合意」を達成することは出来なかったである。
ではG8は何を合意したのかと言えば、「50年半減」を気候変動条約の全締結国と共有し採択を求めることに合意したのだが、G8で合意できなかったことをどうして全世界に向かって合意を求めることが出来るのか。「何を言ってるんだ、顔を洗って出直してこい」と言われるに決まっている。事実、G8翌日のMEMでは早くも「50年半減」が消えて、「世界全体の長期目標共有を支持する」ことで「合意」した。内容抜きの長期目標を共有するというのは一体どういうことなのか。長期目標を共有できればそれに越したことはないけれども、具体的な数値やその負担率に踏み込んだら全く合意不可能ですね、という意味である。日本国内もG8もMEMも全部「総論賛成、各論反対」で、しかも後になるほど内容が後退している。こういうのを「失敗」と言うのである。
何で新聞ははっきり「失敗」と書かないで、「共有」とか「合意」とか、さも何事かが成し遂げられたかのような言葉のトリックにいそしんで福田や外務省を喜ばせようとするのか。しかもそのメディアの「サミット翼賛」の大合唱を調子を合わせて、広告までもがエコ技術の全面広告(旭化成など全紙に3ページ広告を打った!)ではやし立てている有様は一体何なのか。電通がこのサミット特需で大儲けして、新聞もその広告ほしさにデタラメ記事を書いたというのが真相であれば、この国のジャーナリズム精神は死に貧していることになる。
●目標は「低炭素化」でなく「無炭素化」ではないのか
もっとそもそもという話をすれば、《2050年にCO2半減》という目標そのものが馬鹿げているのではないか。その頃には、誰が考えても石油生産は世界的にピークを過ぎて急速に生産量が下降に向かっているにちがいなく、私がサンプロで発言したように「放っておいてもそのくらいのCO2は減っていく」(田原総一朗さんも「あっ、そうか」とか言っていた)。だから、「低炭素化」の中期目標を2020年に設定することには意味があるかもしれないが、長期目標を2050年に設定することにはほとんど意味がない。2050年について語るなら「無炭素化」=「脱石油」の目標であって、そこでは、石油に代わる新しいエネルギー源をどれだけ開発し普及させるかを各国が競い合うことでなければならない。
日本は、2050年までに世界に先駆けて(議論の余地はあるところだが例えば)「水素エネルギー社会」を作り上げてその技術を中国はじめアジアにも惜しみなく注ぐつもりであって、米国あたりがグズグズ言って石油の海に沈みたいのなら日本独力でも《2050年にCO2半減》を遙かに超えて世界とアジアの無炭素化を実現する核であるとでも宣言するなら、日本は「オ、オーッ」と世界をうならせたかもしれない。せっかくのチャンスをピンチに変えた福田首相の暗愚が問われるところである。▲