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2008年5月31日

INSIDER No.441《SENGOSHI》私たちの若かった頃──森詠『黒の機関』文庫版への解説

 作家として活躍する森詠は、私より3つ年長で、私たちがまだ若かった30年余り前には週刊誌のライターをしていて、一緒に仕事をした。彼のその当時の初期作品で、戦後史の闇の部分に迫ったドキュメンタリー『黒の機関』がこのほど祥伝社から文庫として復刻されることになり、その解説を書いた。当時の時代の空気が多少は伝わるかもしれないのと、ジャーナリズム論に触れる部分もあるので、ここに再録して参考に供したい。

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 「ロッキード事件」と言っても、今の若い読者には何の感慨も湧かないだろう。3分の1世紀前のことで、歴史として教えられるには新しすぎるし、事件として知るには古すぎて、どうにも中途半端である。しかし、当時30代そこそこの、目をギラギラさせて取材に走り回るばかりの若手フリーライターだった森詠や私にとっては、その事件は、まさに青天の霹靂という古くさい表現でしか言い表しようのないほどの衝撃だった。喩えられるものがあるとすれば、9・11同時多発テロ事件かもしれない。あのWTCビルが崩落する映像をテレビで見て、それがハリウッドの劇映画ではなくリアルタイムの中継画像なのだと知って、脳天をブチ割られたかの衝撃を受けて、この出来事をいったいどう受け止めればいいのか、頭が回り始めるのに数日間を要するという体験を誰もがしたと思うが、それに匹敵するほどの、日本の政財官界を震撼させた一大疑獄事件がロッキード事件だったのである。

 発端は、米上院外交委員会の多国籍企業小委員会で1976年2月4日から開かれた公聴会である。この席上、米航空・軍需企業大手のロッキード社が、自社製の旅客機トライスターを売り込むため欧州諸国と日本の政府高官に計48億円の賄賂をばらまいたこと、そのうち日本に回ったのは23億円で、表では全日空や輸入代理店の丸紅のトップ経営陣、裏では右翼の大物というより戦後闇世界の帝王だった児玉誉士夫や「政商」と呼ばれるきわどいビジネスで新興財閥=国際興業を築き上げた小佐野賢治を通じて、田中角栄首相はじめ政界に大がかりな賄賂工作を行ったことなどが明らかにされた。日本中が雷に打たれたような騒ぎとなり、それから半年以上、いや一年近くだったろうか、新聞・雑誌・テレビはこの問題の追及で埋め尽くされ、「総理大臣の犯罪」「田中・ニクソン会談で密約」「CIAの陰謀」「地下帝国の攻防」といったおどろおどろしい見出しが連日のように飛び交った。その騒然たる雰囲気の中で、同年七月には田中角栄が受託収賄罪・外国為替管理法違反の容疑で逮捕され、それに前後して収賄側では佐藤孝行運輸政務次官、橋本登美三郎運輸大臣、田中の秘書と運転手、贈賄側では全日空の若狭得治社長、丸紅の檜山広会長はじめ両社の幹部・社員、それに児玉、小佐野らが次々に逮捕・起訴されていった(肩書きはいずれも賄賂工作当時)。

 当時、新聞などは事件そのものの追跡と解明に忙しかったが、週刊誌をはじめ雑誌ジャーナリズムは、それまでは口に出すのもはばかられるようなタブー中のタブーだった「児玉誉士夫」の名前が突如として“解禁”された事態を受けて、弾かれたように、戦前・戦中の上海「児玉機関」の暗躍、アヘン密売を含むその莫大な資金と物資の隠匿、それを原資とした戦後保守政界へのフィクサーとしての影響力、東京裁判で戦犯容疑者とされながらなぜか岸信介(元商工大臣、後に首相)、笹川良一(元国粋大衆党党首、後に日本船舶振興会会長)らと共に釈放され、その直後から米CIAから接触を受けた経緯などを書きまくった。それを通じて、日本の「戦前」と「戦後」は実は地下帝国を通じて繋がっていて、それがそうなったについては、GHQが「日本民主化」を建前としながらも次の米ソ対決時代を予想しつつ日本を「反共の砦」に仕立て上げるべく、旧陸海軍の軍人、軍の周辺にあった児玉機関を含む特殊工作機関や大陸浪人、右翼などを密かに温存し結集を図っていた事情があることが浮き彫りになってきた。

 森詠は当時、『週刊ポスト』を主な拠点にした気鋭のライターで、そのようなロッキード事件をめぐる調査報道の第一線を担った一人だった。その日夜を分かたぬ取材・執筆活動の中からエッセンスを抽出したのが本書で、ロッキード状況が生んだ傑作ドキュメンタリーの一つとして今も読み応えのある力作である。

*

 当時の私自身はと言えば、フリーライターになって間もない頃だった。大学を出て最初に入った左翼系国際通信社は路線をめぐる対立から3年半ほどで追い出され、しばらくは知人の経営する広告制作会社でコピーライターのようなことをしながら、同時に通信社を追われてフリーの政治評論家をしていた師匠の山川暁夫の事務所に通って内外情勢の議論に加わったりしていた。75年夏のある日、その師匠が「ニュースレターを発行しようと思う。手伝ってくれるか」と言う。私は二つ返事で引き受けて、翌日広告会社に辞表を出して、食うあてもないフリーの世界に飛び込み、失業保険を貰いながら「インサイダー」という誌名となるそのニュースレターの刊行準備に取り組んだ。森詠とは、たぶん山川事務所の勉強会に出入りしていたたくさんのマスコミ記者や週刊誌編集者やフリーライターの一人として知り合ったのではないかと思うが、その彼から同じ七五年夏に「実は戦後史の闇の部分に光を当てる本を書きたい。取材チームを作るので参加しないか」と誘いかけられて、これまた一も二もなく賛同した。何しろ私は、本書でも言及されている松本清張の『日本の黒い霧』や『深層海流』を高校生の頃に読んで「世の中にはこんな知られざる裏面があるんだ!」と興奮して、後になって振り返ればそれがジャーナリストの道を選ぶことになる原点ではなかったかと思えるほどだったから、「戦後史の闇」と聞いて武者震いさえ覚えたのだった。

 ほどなく森から紹介されたのが、彼の週刊誌ライター仲間の加納弘明と西城鉄男、それに学陽書房の編集者の江波戸哲夫だった。江波戸は、今では作家として活躍しているが、その当時は、一流大学から一流銀行に入ったものの飽きたらずにわずか数年で出版界に転身し、法律や判例全集などが売り物のその地味な出版社に新たにノンフィクション部門を創立しようと意欲に燃えていた。その新部門の第一弾が我々の戦後史ものとなるはずだったから、出版社と編集者の力の入れようも尋常でなく、我々のために新宿の裏町に小さなアパートを借りてくれた。私より3歳上の森がリーダー格で、私、少し若い他の2人を含めて皆で分担して資料を掘り出してきたり、生き証人を探し出してインタビューしたりしながら、暇さえあればその小部屋に集まって議論を交わした。本書の第二章「幻のKATO機関」の冒頭部分で「私がこの得体の知れぬ名称にぶつかったのは、ある週刊誌でロッキード疑獄を取材している最中であった。取材に協力してくれた高野孟君が持ってきた資料に、たまたま出てきたのである」と、私の名が出てくる背景には、実はそういう「チーム森」のロッキード事件勃発の前から始まっていた共同取材プロジェクトがあったのである。

 資料集めには神田の古書店街と世田谷区松原の「大宅文庫」が役立った。今のように検索システムなどない時代だから、足を棒にして何十軒もの古書店を歩き回って埃だらけの雑本の山の中から戦後秘録ものを見付けてきたり、あまりしょっちゅう顔を出すものだから書店主が興味を持って「どういうものを探しているの?」と声をかけてくれたりしたものだった。大宅文庫は戦後日本を代表する大評論家=大宅壮一ゆかりの雑誌図書館で、月刊誌・週刊誌はもちろん、戦後直後の怪しいエロ・グロ雑誌の類まで所蔵していて、昔懐かしい木箱にきちんと分類された小型の図書カードを繰って、ある人物についての過去の記事を拾ってドサッと重い綴じ込みを出して貰っては閲覧し、必要な部分を1枚いくらだったか有料でコピーして貰う。人物についても事件についても、何か取材を始めるときにはまずは大宅文庫に行って、過去の記事のコピーをしっかりファイルするというのが、今はどうか知らないが、その頃は記者や編集者の誰もがやっている基本中の基本だった。

 で、面白いことに、76年2月、ロッキード事件が噴火する直前の1月末から、私はその「チーム森」の作業の一環として、毎日のように大宅文庫に通って朝から晩まで、戦後史の闇に関わる記事を渉猟していた。事件を新聞が全紙面を使うくらいの勢いで一斉に報じたその朝も、私は電車の中で頭がクラクラするのを堪えて食い入るようにいくつかの新聞の紙面を読みながら朝9時の開館に合わせて同文庫に行き、前日から読み始めていた暴露雑誌『真相』の綴じ込みを借り出して、後でコピーを頼む個所に付箋を挟みながらページをめくっていた。すると、共同通信やNHKをはじめ報道各社の記者が黒塗りのハイヤーで次々に乗り付けてきて、カウンターで「児玉誉士夫だ!」「『真相』は?」などと叫んでいる。奥の閲覧室で私はいささかの優越感にひたりながら「今頃来ても遅いぜ」などとつぶやきながら、わざとゆっくり目に夕方までたっぷり時間を使ってその綴じ込みを繰ったのだった。

 本書の中にも触れられている『真相』という雑誌は、敗戦直後の1946年から独立を跨いで56年まで発行され一世を風靡した反骨精神むき出しの事件雑誌で、一体どういう人たちが書いていたのか、たぶんマスコミの事件記者で自分のところの気取ったメディアでは飽き足らないという人たちや、左翼崩れのやや怪しいブラック・ジャーナリストまがいの人たちなどがいろいろ渦巻いていたのだと推測されるが、占領権力とそれにまつわりつく連中の信じられないような所業、一般メディアには到底出て来ない底をえぐるような事件の内幕、正面切った天皇制批判とかを、ザラ紙の粗末な誌面に叩きつけるようにして書いていた。中にはちょっと首をかしげたくなるようなものや、急に歯切れが悪くなって「何か圧力がかかったのかな」と思わせるようなものもないではなかったが、まあとにかく荒々しい時代を突っ切っていくような元気さに溢れていた(後に三一書房から全巻復刻版が出た)。これまた本書で言及されている板垣進助という戯名による『この自由党!』という本も、そういう戦後初期の元気のいい暴露ジャーナリズムの流れに立つもので、我々にはバイブルのように扱われた一冊だった。その流れはやがて1950年代後半から次々と創刊された週刊誌に引き継がれて行って、森や私やもう少し下の全共闘世代がドッと週刊誌ジャーナリズムの世界になだれ込んだ70年代にもその気風はまだ残っていた。

*

 さて、「インサイダー」は、山川編集長が大半の記事を書きまくり、補佐役の私が雑記事の執筆からレイアウト、印刷屋とのやりとり、発送、事務、営業まで何でも担当し、森詠を含む周辺のジャーナリストたちが同人となって情報面から協力してくれるという格好で75年11月に創刊された。始まってすぐ、年が明けて2月初めにロッキード事件が起きて「インサイダー」はたちまち有卦に入った。事件そのものの瑣末なディテールよりも、田中角栄という劇薬的な存在を利用するだけ利用してまずくなったら切り捨てようとする日本エスタブリッシュメントの思惑とそれをめぐる権力内部の確執、GHQ以来の戦後支配構造を織りなす表と裏の人脈の絡み合い、ポスト・ベトナムの世界に適合しようとする米国の戦略転換と多国籍企業の国際犯罪摘発の関わり……といったことについて大胆な仮説に基づいて壮大な見取り図を描いてみせるのは、山川インサイダーの最も得意とするところで、時折はチャートなども交えたその鋭利な解析は、毎号のように話題になり、マスコミ関係者や国会議員などにそこそこ読者や支援者が増えていった。米国大使館とソ連大使館が購読申し込みをしてきたのにはいささか驚いた。

 当時は赤坂にあったインサイダー事務所の6畳間には、夜な夜な、マスコミのロッキード取材班のキャップ級や主だった週刊誌の編集者、フリーライター、時には海外メディアの在日特派員までが集まって来て、会社やジャンルの壁を超えて直近の取材結果を報告し合って分析を競い合い、我々はその議論を「インサイダー」の記事に反映し、他の記者たちもそれぞれなりにヒントを掴んで自分の次の取材企画の展開に役立てるという、熱気に満ちたサイクルが途絶えることがなかった。同じ新聞社でも、政治部と経済部と社会部それぞれのロッキード班は必ずしも意思疎通が出来ていなくて、うちの事務所でたまたま顔を合わせた同じ社の別の部のロッキード担当同士が「お前のところはそこを狙ってたのか。じゃあ俺の持っているこの資料をそっちに回すよ」といった会話を交わしたりすることもあった。私の知る限り、日本のジャーナリズム界が社や部の壁を外し、新聞と週刊誌の区別やマスコミ記者とフリーランスの差別をも超えて、一大共同戦線を築いたのは空前絶後のことで、それほどまでにすべての記者たちに高揚感と連帯感をもたらしたのがこの事件だったということだろう。

 そういう渦の目は「インサイダー」に限らずあちこちにたくさん生まれていて、PARC(アジア太平洋資料センター)もその1つだった。武藤一羊が主宰し吉川勇一、鶴見良行といったべ平連系の知識人が集うそこにもたくさんの記者たちが寄って、その中で吉岡忍(ノンフィクション作家)や私の愚弟=津村喬(文芸評論家)ら全共闘世代が『週刊ピーナツ』を刊行してマスコミの話題となった。ピーナツとは、ロッキード事件の贈賄側が賄賂を億単位で数えるときに使った隠語で、そのとき流行語となっていた。この週刊ピーナツに森詠や私や山川も協力した。田原総一朗もよくPARCやインサイダーに来ていて、そこから有名になった論文「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」(『中央公論』76年7月号)も生まれた。

 こういう騒然たる雰囲気の中で「チーム森」の作業はなおさら拍車がかかった。その間、森詠は週刊誌のロッキード取材の仕事に忙殺されてやや手を引いた形となり、私と加納の共著の形で成果をまとめ『内幕』というタイトルで学陽書房から76年秋に出版した。マッカーサー資金の符牒だとされた謎の巨大闇融資基金「M資金」伝説、本書の中心テーマであるGHQによる日本再軍備の陰謀、石炭から石油への米政府と石油メジャーズによる対日エネルギー支配などを取り上げたその本は、私や加納にとってもちろん初めての単行本であり、懐かしくも誇らしい一冊である。そして、本来ならこの本の共著者として名を連ねるはずだった森詠はそういう事情で執筆に参加できなかったので、「チーム森」の資料をベースにさらに独自の徹底取材を続け、翌77年に本書を出版したのである。そういう意味では、私らの『内幕』と本書とは兄弟関係にある。

 ちなみに、『内幕』の執筆に取りかかっていた76年の夏、田原総一朗が東京12チャンネルのTVディレクターを辞めて活字世界で大型ドキュメンタリーの企画を進めて行くこ腹を固め、「取材を助けてくれるチームを作りたい」という相談があった。食うや食わずというと少し大げさだが、当時はたくさんあった『現代の眼』『月刊日本』『情況』など“総会屋雑誌”と呼ばれたマイナー月刊誌に原稿を書きながらボランティアで「インサイダー」の仕事をする生活に追われていた私は、このときもまた二つ返事で引き受けて、早速、森詠が不在の「チーム森」の残り2人と語らって、3人で第一期「田原総一朗取材班」を結成した。「チーム森」が「チーム田原」に移行したわけである。雑誌の世界では、その2年前に立花隆が「田中角栄研究」を、児玉隆也が「淋しき越山会の女王」を『文芸春秋』に書いて田中角栄首相を退陣に追い込んだことがきっかけとなって、「ニュー・ジャーナリズム」ブームが起きていて、物書きに転じた田原は週刊誌や月刊誌で1カ月も2カ月も取材して百枚程度の原稿をまとめる大型企画を次々に展開した。文芸春秋社の2階には立花(隆)部屋、上之郷(利昭)部屋と並んで田原部屋が出来て、我々3人は取材に散っては深夜に戻ってデータ原稿を作ったり資料を整理して、そのまま文春の仮眠室に倒れ込むといういった生活が続いた。「チーム田原」は3年間ほどフルに稼働して初期の田原を支えた。他方、森は、その旺盛な取材力を活かして冒険小説や国際情報小説を書いて作家として活躍するようになった。

 余計なエピソードを1つ付け加えれば、そのように別の道を進むようになっても森と私とは新宿ゴールデン街の店でよく飲んだ。そこはライターや編集者ばかりが集まる店で、83年のある夜、森詠が酔った勢いで「ラグビーチームを作ろうよ」と言い出した。居合わせた中には、大学ラグビー部出身の週刊誌編集者がいたし、私も無類のラグビー好きで、ラグビー部ではないが高校時代に遊びでクラス対抗の試合に出たりしていたので、口を揃えて「いやあ、森ちゃん、ラグビーだけは止めたほうがいい。こんな酔っぱらいばかり集まっても、首の骨を折って死ぬのが関の山だよ」と諫めたのだが、彼は聞かない。彼が仲間入りしたばかりの冒険作家協会の面々はそれぞれに野球チームなどを組織していてお互いに試合をしたりしているが、その後追いをしてもたいして面白くもない、ラグビーなら「えっ、ラグビー始めたの?」とかなり驚かれるだろうという魂胆だったのだろう。結局、そのチームは本当に出来て、米国人がアル中になると桃色の象が歩き回る幻覚を見るという話から「ピンクエレファンツ」、日本名は桃象闘球団というチーム名となった。言い出しっぺの森が団長、ラグビー部出身の編集者が初代キャプテンで、最初のうちはどこと試合をしてもボロ負けだったが、翌年、私が2代目キャプテンになった頃からは少しは勝つようになって、その後、私が2代目団長を引き受けて今日に至っている。08年春に創立25周年を迎えた今では「日本ラグビー界の最底辺を支える名門草ラグビーチーム」と呼ばれている。

*

 本書は、一種の謎解きゲームになっていて、ここで改めて筋書きを追って個々の部分に注釈を加えるという解説の仕方は不適当だろう。ただ、特に本書の後半部分で扱われる衣笠丸事件をはじめ一連の旧軍人・特務によるスパイ船事件(言っておくがスパイ船は北朝鮮の専売特許ではなく、日本のほうが先輩ということになる)の真相解明にこれほどこだわるのかは、若い読者にはただちに胸に落ちないかもしれないという懸念が残る。そこで何より大事なのは、本書がどういう時代の躍動的な気分の中から生まれたのかを理解して頂くことであり、森詠と私の関わりを個人的なことまで含めていささか長々と述べたのもそのためである。当時のロッキード状況の中で、書き手の誰もが戦後史の闇にどう切り込んでいくか、その切り込みの角度と深さを競い合っていた。森詠は本書で、この角度と深さで戦後史を撃ったのであり、それが少なくともその角度では、松本清張や大宅壮一を超えることになったのかどうかは、読者の判断にお任せしよう。

 あるいはまた一部の読者は、今はもうほとんど故人となっているであろう旧軍人・特務・右翼らの名前がズラズラと出てくることを煩雑に感じるかもしれない。が。ある事件を取り上げるというときに、まず全当事者・関係者のリストを作って、そのそれぞれの経歴を調べ上げ、それからお互いの関係の濃淡やある組織との関わりの深い浅いを見極め、さらに可能な限り生存者を捜し出して接触し説得し取材して証言を得、既存資料の間違いや思い込みを補正し、そのようにして本書に挿入されているような「人脈図」を正確に描き上げていくことこそ、ジャーナリストの仕事の本道であり、取材のプロセスそのものなのである。近頃は、大新聞の記者でも当事者に取材しないまま書き飛ばすという腐敗堕落が横行しているが、そういう連中には本書は「取材とは何か」を学ぶための教科書ともなるはずである。読者にはその人名リストと人脈図も謎解きゲームの一部として楽しんで頂きたい。

 少し一般化して言うと、人脈研究というのは実体論的ジャーナリズムの重要な手法の一つである。私は84年に出した『世界関連地図の読み方』(PHP刊)のあとがきで次のように書いたことがある。「既存の枠組みに頼って、それに都合のいい現象だけを拾ってちりばめるといったやり方が、もはや何の役にも立たないことが自明である以上、われわれは現実そのものから出発し直すしかない。しかし、その現実というのは、諸現象を果てしもなく横並びに並べ立てたからといって、必ず見えてくるというものではない。諸現象を突き動かしているいくつもの実体的なファクターを析出し、それらの相互関連や優先順位を検討し、目に見えないベクトルや構造にまで想像力を差しのべていく作業が、どうしても必要である。それが、インフォーメーションをインテリジェンスに昇華させるということでもある」

「とはいえ、われわれジャーナリストがやれるのはせいぜいそこまでであって、その先のもっと抽象的なレベルで理論的な体系を編み上げていくのは、むしろアカデミシャンの仕事となるはずである。知の世界に対してジャーナリストが貢献できることがあるとすれば、それは命知らずの斥候兵の役割を引き受けることだと、私はつねづね思っている」

「20年前[今だと40年以上前になる]、ほとんど勉強しない哲学科の学生だった私が、今でも忘れないでいる数少ない言説の1つに《武谷3段階論》がある。従来の認識論の教科書が、現象から本質へ向かう人間の知の発展を説いていたのに対して、物理学の泰斗=武谷三男博士は、現象と本質の中間に実体(サブスタンス)の領域を設定することを提唱した。その学問的意義はさておくとして、我々の関心に引きつけて言えば、ジャーナリズムは、現象について饒舌に語りはするものの、それ以上には進もうとはせず、かたやアカデミズムは、古びた理論をいじくりまわすばかりで、現実のダイナミズムにほとんど関心を払っていないかのようであり、その中間の実体論の領域は、広大な荒野のまま、どちらの側からも踏み込まれずに残されている。『世の中がわからなくなった』『先が読めない時代になった』と誰もが口にするのは、じつはそういうことだったのではあるまいか」

「ニュー・ジャーナリズムの何がニューであるのかについて、人によって定義はさまざまだが、私の意見では、それは実体論的ジャーナリズムのことである。ある者は、徹底的に足で歩いて取材をして、人の知らない事実のディテールまでえぐり出して描き上げるのがニュー・ジャーナリズムだと主張するが、それなら伝統的なルポルタージュの手法と、そう質的に変わりはない。私はむしろ、ほとんどは人に知られている事実から出発して、まだ多くの人が見えていないある事柄なり問題なりの実体=構造を解明していくところに、ニュー・ジャーナリズムのニューたるゆえんがあると考えている……」

 現象の面白おかしさだけを求めるのはマスコミではあってもジャーナリズムではない。逆にひからびた理論的モデルやイデオロギーに現象をはめ込むだけでは知の世界は一向に深まることがない。例えばロッキード事件という現象が突発したときに、「ほらみろ、だから自民党政治は薄汚い」と断罪して分かったような気になるというのは、一種の退廃である。現象論の次元をさまようのでもなく、かといって本質論の次元に逃げ込んで事たれりとするのでもなく、あくまでも執拗に実体論の領域にとどまろうとする節度と覚悟がジャーナリストにとって大事なのである。立花隆が『田中角栄研究』を書いたあと、幾人もの大新聞の記者や総会屋ふうの情報屋から「あんなことはオレは前から知っていた」とか「あの部分はウチの資料を使っている」とかいった批評を聞いた。その度に私が説明したのは、誰かが知っていたり、すでに活字にしたりしていたことも含めて、既存の材料のすべてを集めるだけ集めるところから出発して、そこから問題点を整理して作業仮説を立て、足を使い知力を尽くして、田中の人脈と金脈の見えない実体=構造をあぶりだしていったからこそ、つまり実体論的な立場と方法を貫いたからこそ、その仕事が一国の総理を追い落とすだけの迫力を持ち得たのだ、ということだった。

 森詠の作家としての活躍は多彩で、冒険小説、近未来戦争シミュレーション小説から警察小説、自伝的少年小説まで表現のスタイルと扱う分野はさまざまだが、その根底には、週刊誌ジャーナリズムの第一線で培った執拗なまでの取材力の展開、そして徹底して取材をした者にだけ許される大胆な想像力の発露があると私は思っている。私はよく若いジャーナリスト志望者に「想像力には足がある、空想力には足がない」と言っている。空想力だけでも小説は書けないわけではないらしく、しかしそういうものはたいてい途中で投げ出したくなる。森詠の作品には本物の想像力が満ちている。そういう森詠の出立点を示しているのが本書であるとも言える。(文中敬称略)

INSIDER No.440《CASINO CAPITALISM》欧州でサブプライム損失がさらに拡大──米国は病気を自分で治せるのか?

 欧州主要銀行が1〜3月の四半期決算で依然として巨額のサブプライム関連の損失を出し続けていることが明らかになった。日本経済新聞がまとめた主要10社の損失額は次の通りで、昨年12月期に比べてさらに大きな損失を出したところは4社に上る(単位=億円)。

金融機関      国籍  07年12月期  08年3月期

UBS       スイス   18000     20000
RBS       英     5200     12000
クレディスイス   スイス   3500      5300
ドイツ銀行     独     3600      4400
HSBC      英     17900      6000
ソシエテジェネラル 仏     4300      2000
バークレイズ    英     3300      2100
ドレスナー銀行   独     3100      1400
コメルツ銀行    独      950      400
BNPパリバ    仏     1700      900

 特に損失の大きかったスイスのUSBでは、オスペル会長が引責辞任に追い込まれ、従業員も5500人削減された。同行は21日、サブプライム関連の証券など150億ドル(約1兆5600円)分を投資会社に売却したと発表したが、投資会社が支払った150億ドルのうち同社が顧客から出資を募ったのは37.5億ドルだけで、残りの112.5億ドルは当のUSBからの融資で、何のことはない、自作自演の不良資産隠しにすぎない。

 この例が示すように、正常な方法ではサブプライム関連資産を売却できないことが各銀行の悩みの種である。これが株式であれば、投げ売りして損切りすることで取り敢えず下血状態を止めることもできるが、マーケットがないサブプライム関連の金融商品では相対で誰かに押しつけるより仕方なく、このような崩壊状況の中では喜んで引き受ける者が出てくる訳もない。ジーッと不良資産を抱えたまま決算ごとに「評価損」を出し続けることになる。そのようにして「サブプライム危機はプライム危機になった」(日経19日付=岡部直明主幹の表現)、つまり単にサブプライム資産が危機なのでなくプライム資産を含む銀行本体の業務が危機に陥り、「第2次大戦後最悪の金融危機」(グリーンスパン前FRB議長)をもたらしているのである。

 しかしそれだけならまだ、電子化された仮想金融空間の出来事と言い捨てることも出来るが、問題は、飢えた投機マネーが余りに複雑怪奇化してリスク評価も出来なくなった金融商品から離脱して、原油や穀物をはじめあらゆる1次産品の先物相場に殺到し、世界的なインフレを煽り立てていることである。金融的ふしだらがついに実生活を打撃し、とりわけ途上国の貧しい人々の生活を追い詰めつつある。例えばベトナムでは5月だけで食品を中心とした物価が25%も上昇した。もちろんそのすべてが投機マネーの相場翻弄によるわけではないが、実物の需給逼迫にしても米国のトウモロコシを使ったバイオ燃料生産という愚策によるところが大きい。そのようにして、米国式の金融資本主義、引いてはドルそのものへの全世界的な不信が広がり、それに米ブッシュ政権の誤ったエネルギー政策やイラク戦争の出鱈目への怒りが重なり合っていく。

●29歳の餓鬼が操る金融市場

 24日付インターナショナル・ヘラルド・トリビューンでウィリアム・ファフは「錬金術師」と題したコラムで書いている。

▼ホルスト・コーラー独大統領(前IMF総裁)は、世界金融市場が「資産の大量破壊をもたらす化け物」になったと言っている。「しかも、その役員たちにグロテスクなほど多額の報酬を払っている」とも。

▼米最大のヘッジファンドの1つシタデルの創業者であるケネス・グリフィンによれば「国際金融は、米国の資本市場をコントロールする“29歳の餓鬼ども”の判断で動かされてきた。ビジネススクールを出たばかりの若い連中だ。大銀行の役員たちは、自分の銀行ビジネスの一部を理解しているだけだ。仏ソシエテジェネラルのケースでは、同行のトップは自社のディーリングルームで何が行われているかほんの少ししか分かっていなかったようだ。そこでは、上司に認められてもっと多額のボーナスを貰いたがっている若者たちが、同行の総資産を上回るほどの取引を行っているというのに」。

▼石油の先物取引に必要な証拠金は10%なので、例えば10万ドルを差し入れて100万ドルの先物を買って、5分後に価格が1ドル上がれば100万ドルを手に入れることが出来る。石油投機は、古典的な経済ルールが通用したような生産者と消費者の間の取引ではなく、実質的には何ら経済的に有用な役割がない。それは、生産者とバイヤーの間の取引を歪めさせる寄生的なギャンブルの一形態となってきた……。

 何を今更ということである。ケインズは72年前に出した主著『一般理論』の中で「国の資本形成がカジノでの活動の副産物となるとき、まともな成果は期待しにくい」と警告した。そこまで遡らなくても、米経済学者のスーザン・ストレンジは22年前に出した『カジノ資本主義』(岩波現代文庫)を次のように書き出していた(本誌は和訳刊行当時から何度か引用してきたので繰り返しになるが)。

▼西側世界の金融システムは急速に巨大なカジノ以外の何物でもなくなりつつある。毎日ゲームが繰り広げられ、想像できないほど多額のお金のつぎ込まれている。夜になると、ゲームは地球の反対側に移動する。世界のすべての大都市にタワーのようにそびえ立つオフィスビル街の部屋部屋には、たて続けにタバコに火をつけながらゲームにふけっている若者でいっぱいである。彼らの目は、値段が変わるたびに点滅するコンピュータ・スクリーンにじっと注がれている。彼らは国際電話や電子機器を叩きながらゲームを行っている。

▼カジノと同じように、今日の金融界の中枢ではゲームの選択ができる。ルーレット、ブラックジャックやポーカーの代わりに、ディーリング——外国為替やその変種、政府証券、債券、株式の売買——が行われている。これらの市場では先物を売買したり、オプションあるいは他のあらゆる種類の難解な金融新商品を売ったり買ったりすることで将来に賭をできる。遊び人の中では、特に銀行が非常に多額の賭をしている。きわめて小口の相場師も数多くいる。アドバイスを売っている予想屋も、騙されやすい一般投資家を狙うセールスマンもいる。この世界的な金融カジノの元締めが大銀行と大ブローカーである。

▼国際金融市場を賭博場と非常によく似たものにしてしまった、何か根本的で深刻な事態が起きたのである。それがいかにして生じたのかは明らかでない。確かなことは、それがすべての者に影響を及ぼしていることである。……通貨価値の変動は農民の農作物の価値を収穫前に半減させてしまうかもしれないし、輸出業者を失業させてしまうかもしれない。金利の上昇は小売商の在庫保有コストを致命的なまでに引き上げてしまうかもしれない。金融的利害に基づいて行われるテークオーバー(企業買収)が工場労働者から仕事を奪ってしまうかもしれない。大金融センターのオフィス街のカジノで進められていることが、新卒者から年金受領者まですべての人々の生活に、突然で予期できない、しかも避けられない影響を与えてしまうのである。

▼このことは深刻な結果をもたらさざるを得ない。将来何が起きるかは全くの運によって左右されるようになり、熟練や努力、創意、決断、勤勉がだんだん評価されなくなる。そうなると社会体制や政治体制への信念や信頼が急速に消えていく。自由な民主社会が最終的に依拠している倫理的価値への尊敬が薄らいでいく危険な兆候が生じる……。

 ストレンジがこう書いた当時、金融のコンピューター化は始まっていたが、まだインターネットはなく、実際の取引は国際電話やテレックスなどのアナログ手段に頼っていた。米国でインターネットの商業利用が始まったのは90年で、それから一気に全世界がオンライン化し、一個の壮大な仮想金融空間が形成されて、その数年前とは比較にならない速度と規模で金融が暴走し始める。彼女がカジノ化を嘆いた頃には、世界の株式時価総額は4兆ドル程度だったが、06年には50兆ドルを突破した。同じく1日平均5000億ドル程度だった世界の外国為替取引額は今では3.2兆ドル(07年4月BIS統計)に達している(世界の年間総輸出額が13.6兆ドルだというのに!)。あるいは、その頃にはまだほとんど始まっていなかった店頭デリバティブの1日平均4.2兆ドル(同)である。

 世界の金融資本市場の規模は、普通、株式と債券とデリバティブの時価総額(それが世界証券市場の規模)に商業銀行の資産総額を加えて算出する。SIFMA(全米証券業金融市場協会)の年報06年版によると、その規模は約190兆ドルで、世界のGDP合計45兆ドルの4倍強に当たる。全世界の人々の実生活の総体の4倍にも当たる金額をくわえタバコの“29歳の餓鬼ども”が弄んでいて、社長や頭取たちがその実態もよく知らないまま彼らの稼ぎからとんでもない多額の報酬を貰っているという姿は、どう考えても異常事態で、これではまさにグロテスクと化した金融によって実生活が押しつぶされることになるのは必然である。

●資本主義の病的変異

 こんなことになったのは、『米国はどこで道を誤ったか』(東洋経済新報社、08年)の著者で米ファンド業界の草分け的存在であるジョン・C・ボーグルに言わせれば「資本主義が病的突然変異をきたし、……資本主義の本末が転倒した」からである。本末転倒とは、伝統的な「オーナー(株主)資本主義」が後退して新型の「マネージャー(経営者)資本主義」が登場し、それが蔓延したことを指す。彼は言う。

▼ローマ帝国はなぜ崩壊したか。市民があくまで物質的な財(パン)を求め、娯楽(サーカス)に夢中になり、人間の値打ちも、欲求も、その所有物の価値も、金で測ることを受け容れた。尊敬され認められることが重要でなくなり、自由、解放、偉大さの理想さえ廃れた。帝国の衰退を招いたのは虚栄心だ。

▼米国もまた偉大さを脅かす内面からの脅威に直面している。過去20年間、米国の事業会社の指導者、投資銀行家、運用マネージャーたちの行動規範や価値基準が目立って低下し、欲や利己主義や実利主義や浪費が横行している。この国の経済は「持つ者」にばかり焦点を当て「持たざる者」をないがしろにし、困窮する人々に国の資源が配分されていない。貧困の問題が解決されず、質の高い教育が万人に行き渡っていない。また米国人は世界の天然資源をとんでもなく浪費している。企業CEOや有名スポーツ選手や芸能界のスターが目の玉の飛び出るほどの報酬を稼ぎ、株式バブルが呆れるほどの富を生み出してパンはますます膨れあがった。株式がエンターテインメントになり、金融市場が米国最大のサーカスになった。電子取引が普及し、ディーラーやデイトレーダーが一瞬のうちに市場を動かしている。ナスダックの世界最大を誇るスクリーンに株価が表示される光景は、私には株式市場がサーカスになっただけでなく投機のためのカジノになった実例と見える。

▼資本主義は米国がその偉大さを追求する上で亡くてはならない役割を果たしてきた。生産設備の私的所有権と、自由市場で設定される価格と、個人の自由に基づく巧みな経済システムのおかげで、米国は史上もっとも繁栄した、地上もっとも強力な国となり、いずれ万人に共有されるべき価値の再興の原型となった。「生命、自由、幸福の追求という譲渡され得ない権利」がそれだ。だが今日の資本主義は、誇り高い伝統の根本から離れ、程度の点ではなく種類の点で別なものに変容した。過去1世紀の間に、「オーナー資本主義」から次第に乖離し、究極の「マネージャー資本主義」へと姿を変えた。資金を拠出し、自己資本を失うリスクをとった人々に投資利益の大部分を提供するのでなく、オーナーの利益のために事業運営を任されたマネージャーに投資利益から不当な分け前が提供されるようにいなった。マネージャー資本主義はオーナー資本主義に対する裏切りだ。

▼株式バブルの陰で金融詐欺まがいの行為が横行した。エンロン、ワールドコム、タイコなどいくつもの会社が会計を粉飾し、いわゆる調査アナリストが投資家に根拠のない楽観論を吹き込み、CEOに現金ないしは御坂以内ストックオプションの形で法外な報酬が払われ、そのコストは株主が負担した(CEOと従業員の報酬格差は80年の42倍から04年には280倍に拡大した)。株式市場の焦点が企業の長期的な本質価値ではなく、その時々の株価に集まった。

▼株価は経営陣の業績を測る唯一の物差しであるとの誤った前提を採用したために、見かけ倒しの経営者が脚光を浴び、本質価値をじっくり積み上げてきた経営者が軽視された……。

 このようにして資本主義は腐敗した。どうすればいいのか。「万国の株主よ、団結せよ!」というしか手がない、というのがボーグルの結論のようである。イヤ、もちろん彼は具体的な提言をいくつも並べているが、歪みきった米国資本主義を立て直すには「世界を初めからやり直す」というほどの悲壮な覚悟が必要であることを隠していない。

●ポスト・アメリカの世界

 米国が直面するのは金融資本主義の暴発の危険だけではない。イラク戦争の泥沼とそれによる国際社会での権威の失墜、終わらないテロの恐怖、失業と住宅ローン破産等々が折り重なって米国民を不安に陥れている。『ニューズウィーク』国際版(英語)5月12日号のカバーストーリーは「ポストアメリカの世界」で、これは同誌編集長ファリード・ザカリアが5月に出した本のタイトルである。

 それによると、4月に行われた世論調査で米国人の何と81%が「この国は間違った軌道を走っている」と感じていて、これは同調査が始まってから25年間で最悪の結果となった。これほどまでに米国人がペシミスティックになっているのは、金融パニックやイラク戦争その他個々の出来事でなく、もっと奥深いところから湧き出る不安で、ザカリアはそれを「新しい世界が台頭しつつあるが、それは遠いところで他の国の人々によって作られつつあるのではないかという恐れ」だと述べている。つまり、米国の世紀が終わることへの不安である。彼は書いている。

▼見回してみよう。世界で一番高いビルは台北にあり、まもなくドバイが取って代わる。世界で一番売り上げの大きい会社は北京にある。世界で一番大きな精油所はインドで建設中である。世界最大の旅客機は欧州で製造されている。最大の投資ファンドはアブダビにある。最大の映画産業はハリウッドでなくボリウッドである。最大の観覧車はシンガポールにある。最大のカジノはラスベガスでなくマカオにある。かつて世界最大だったミネソタのショッピングモールは今や世界トップ10にも入らない。世界の金持ちトップ10に米国人は2人しか入っていない。このリストは恣意的で少々馬鹿げたものであるけれども、ほんの10年前にはこのほとんどで米国がトップだったことを考えてみてほしい。

▼米国内ではまだ「反米主義」が話題で、なぜ彼らは我々を嫌うのかを議論しているが、その“彼ら”はもう動き出していて、地球上の他のもっとダイナミックな地域により多くの関心を振り向けている。世界はすでにアンチ・アメリカ主義からポスト・アメリカ主義へシフトしたのである。

▼我々は近代史における3回目のパワーシフトの中にある。1回目は15世紀の西欧の台頭で、2回目は19世紀末の米国の台頭である。このパックス・アメリカーナの下でグローバル経済がダイナミックに展開した結果、今3回目が起きている。それは「その他の台頭」である。軍事と政治のレベルでは米国の一極は続いているが、産業、金融、社会、文化などでは米国の支配から逃れてパワーが拡散している。戦争と平和、経済とビジネス、思想と芸術などの問題では、いろいろな場所からいろいろな人々が定義づけや方向づけを与えるといった、今までとは全く異なる光景が現出している。

▼ポスト・アメリカの世界という展望に米国人が不安を抱くのは当然だが、そうではない。これは米国の凋落によってではなく、むしろ米国以外のすべての台頭によって生まれる世界であり、過去20年間の一連の望ましい変化の結果なのだ……。

 まあ簡単に言って、世界の人々が、そして本誌が、あれほど浴びせかけてきた「唯一超大国とか一極支配とか単独覇権などというのは幻想ですよ」という忠告を、ようやく米国人が受け容れる心の準備をし始めたということである。米国人であるザカリアが国内の読者に向かってそれを説くのに、慎重に言葉を選んで、「まだ米国が凋落した訳ではないのだ。世界の他の国々や人々が元気になるのは米国にとっても幸せなことなのだ」「米国はすべてを支配することは出来ないが、まだ十分にその変化をリードすることが出来るのだ」と、希望を持ちながら新しい多極世界に適合させるよう導こうとするのは、一種の教育的配慮であって、当然と言えば言える。

 しかし、その新世界への適合は傲慢と虚栄心にまみれた米国人にとって簡単なことではなく、まずもって、ブッシュ政権時代に表面化した金融資本主義の放埒とイラク戦争の出鱈目という2つの大きな罪を、目を逸らすことなく赤裸々に見つめる勇気を持つよう鼓舞しなければならないのではないか。それなしには、金融面からも軍事面からも、一極支配幻想から脱する道筋は見つけられるはずがない。が、そのように米国の抱える不安の根源に迫りつつ新しい希望を語ることの出来る候補者が不在のままに終わりそうな米大統領選挙の様子を見ていると、「その他の台頭」はその通りとして、米国は凋落に向かい、その分余計に世界に適合できずにヒステリックになって更に一層の大迷惑をかけるという最悪シナリオも消えていない。米国に求められるのは、ボーグルが言うように「世界を初めからやり直す」ほどの決意である。▲

2008年5月25日

INSIDER No.439《KOUKI-KOREISHA》岩見隆夫が本気で怒っている!──後期高齢者医療制度は廃止すべきだ

 岩見隆夫さんが本気で怒っている。24日付毎日新聞の「近聞遠見」は「当コラムがスタートして約19年になるが、憤りをこめて書くのは今回が初めてである」と尋常ならざる書き出しで始まって、さらにこう書き継いでいる。「こんな情けない政治を目のあたりにしようとは、思いもよらなかった」と。

●ぬくもりのない福田政治

 何のことかと思えば、テレビ番組で後期高齢者医療制度をめぐって自民党議員と何度もやりあって、その息子のような年齢の若造議員の態度に腹を据えかねたということらしい。岩見さんが「この差別的な制度は、高齢者の琴線に触れた。政治の重大な失敗だ。戦後最悪の下策、止めてやり直すしかない」と主張したのに対し、議員は「感情論でしょう」と反論した。「もちろん感情論だよ。感情がいちばん大事なんだ」と答えたが、その感情とは情の大切さのことで、何を大事に思うかの感性の問題だ、と彼は書いている。

「福田は制度の本質を直視していない。あるいは直視するのを逡巡している。……国づくりの基本は最大多数の最大幸福を目指す<ぬくもり>ではないか。いかに制度論として理屈が通っていても、人生の最後のコーナーを力走中の75歳以上を隔離する無神経と非情は許せない。民主党の最高顧問、きょう76歳の誕生日を迎えた渡部恒三の『あなたはこの世に必要ない、生きているのが迷惑だと言われたみたいで不愉快、ゼニ・カネでなく、心の問題だ』という怒りは核心を突いている」と、まさに怒髪天をつく勢いである。

 中曽根康弘元首相も23日に収録したTBS番組で「愛情の抜けたやり方に老人が全部反発している。至急、元に戻して考え直す姿勢をはっきり示す必要がある」と語っている。

●制度設計が間違っている

 さんざん指摘されてきたことだが、「後期高齢者」という言い方にすでに、「75歳以上の高齢者なぞ病院の待合室をサロン代わりにする役立たずばかりだ。自己負担させればさすがに目が覚めて無駄な病院通いを止めるだろう」という厚生労働省官僚の老人に対する酷薄非情な侮蔑感が集中的に表現されている。しかも、それでいて実は新制度には、医療費の無駄を抑制するメカニズムが埋め込まれていない。

 小林慶一郎=経済産業研究所上席研究員は24日付朝日新聞「けいざいノート」欄で書いている。
▼無駄を少なくする最も簡単で効果的な方法は、患者(あるいはその家族)の自己負担を増やすことで、それは新制度を作らなくても、もっと簡単にできたはずだ。高齢者の患者の窓口負担を現行よりも上げればよかったのである。
▼だが新制度では、高齢者の患者負担は現行制度に比べてほとんど増えていない。一方、保険料は医者に行くかどうかにかかわりなく取られる。インセンティブの経済学を間違って理解した制度設計ではないか。「高齢者に集団として医療費の負担を感じてもらえば、無駄な医療費を使わないようになるだろう」という考えが背景にあったとすれば、完全に間違っている。
▼高齢者が、集団としてではなく自分個人の医療費を負担するなら、損しないために、無駄な医療を受けないように行動する(スポーツなど体調維持にお金をもっと使うかもしれない)。その結果、国全体の医療費も抑制されることになる。しかし、保険料は医者に行くか行かないかという選択の自由に関係なく徴収されるものである。そこには自発的に無駄な医療を受診しないようにしよう、と高齢者に考えさせるメカニズムが何もない。
▼むしろ、新制度は一部の高齢者の負担を増やし、生活を圧迫し、必要な医療を受けることをあきらめさせるようなことにならないだろうか。

 なるほど重要な指摘で目から鱗の感がある。老人は75歳以上の「集団」としてひとくくりにされ、「お前ら、みんな病院をサロン代わりにしているような輩だろう。罰として全員に自己負担させるぞ」という扱いをされたことに怒っているのである。確かにそういうけしからん輩も一部にはいるのだろうが、しかしそれは基本的には、地域コミュニティが崩壊した中での独居老人などの孤独をどう救うことが出来るかという問題であって、医療費に罰則的な意味を持たせることで解決することではない。他方では、渡部や中曽根や、もうじき「後期」入りする岩見さんのように、サロン代わりに病院に行こうなどと考えたこともない元気な老人がたくさんいて、彼らはその輩と同一視され厄介者扱いされたことに深く傷ついている。集団でなく個人として自己負担させるのであれば(もちろん低所得者には減免措置を講じるとして)、確実に無駄な医療費は減る。

 解決策は簡単で、まず野党が出した廃止法案に中曽根ら自民党の一部も賛成してひとまずは元の制度に戻して、小林の言うように、単に窓口負担を増やせばいい。新聞は盛んに、野党が廃止だけ求めて代案を出していないと非難しているが、一旦は元に戻して老人の意見を聞いてよく考えればいいのではないか。▲

2008年5月11日

INSIDER No.438《KAMOGAWA DIARY 3》鴨川田舎暮らし絵日記・その3

 この項は折に触れて安房鴨川の山中での田舎暮らしを中心とした身辺記を出来るだけ写真を添えてお届けするものです。メール版はテキストのみですが、以下URLに写真入りのPDF版をアップしますので、それを開ける方はそちらをご覧下さい。また《ざ・こもんず》高野ブログにも(時間差はありますが)掲載されます。

http://www.smn.co.jp/insider/takano/kamogawa03.pdf

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《08年4月29日》

 京都国立博物館(京博)でやっている「暁斎」展がどうしても見たくて、東京に前泊、6時台の新幹線で京都へ。早く着きすぎたので、よく行く駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで新聞3紙と暁斎関係の資料を熟読。以前はこの辺りだと京都グランビアホテルの喫茶室を使ったのですが、この頃は禁煙、禁煙でどうしようもないので行かなくなりました。七条を東に歩いて京博に着くと、さすが連休、9時半開場の10分前だというのに50〜60人が列をなしているのには驚きました。

 京博は、2000年に伊藤若冲、2004年に曽我蕭白の18世紀後半の京都奇想派を採り上げ、その延長で今回は江戸から明治にかけて東京で活躍した河鍋暁斎を採り上げました。暁齊は「きょうさい」と読みます。というのも、彼の元々の号は「狂斎」で、明治3年に書画会で酔いに任せて描いた風刺画が薩長官憲の逆鱗に触れて逮捕される事件があり、そのあと、どういう心境の変化か、字だけ「暁斎」に改めたということがあるからです。

 1831年下総・古河に生まれ、7歳から浮世絵師=歌川国芳に師事、10歳からは狩野派に入門して本格的に画を習いますが、1858年、21歳で独立するときには、どちらかといえば国芳の流れをくむ「狂画師」というつもりだったのでしょう、狂斎を名乗って、「天竺渡来大評判象乃戯遊」など時事風俗を描いた錦絵や「風流蛙大合戦乃図」など鳥獣絵巻風の戯画を描きまくるかと思えば、時には狩野派正統に内在する極彩色の精密画(例えば「花鳥図」)や枯れた水墨画(例えば「枯木寒鴉図」)に立ち戻るという、自由闊達・変転自在な画風を展開します。維新を跨いで晩年に近づくほど怪奇ものが増えていったようで、「地獄極楽めぐり図」「幽霊図」などがよくしられていますが、私がいちばん強烈に感じたのは、明治13年に歌舞伎の新富座のために描いた「妖怪引幕」で、縦4メートル、横17メートルの大画面に躍動する13人の化け物どもの乱舞に胸騒ぎが収まりません。

 私は(こう見えても)結構、博物館・美術館マニアで、地方に行っても時間があれば郷土史資料館のようなものまで含めてよく歩きます。そのため、旅行鞄にはいつも美術鑑賞用の単眼鏡が放り込んであるほどです。「VIXEN Multi Monocular 6x169.3°」というやつで、倍率6倍、対物レンズ径(接眼側でなく対象物に対面する側のレンズの直径で明るさに関係)16ミリ、実視界9.3度ということですが、望遠鏡の類は倍率が高ければいいというものではなく、美術鑑賞用には4〜6倍で、ある程度のレンズ径=明るさのあるもの。倍率が高くなるほど暗くなって実視界=視野も狭くなります。ある程度の視野の広さが必要なオペラ鑑賞には3〜5倍の双眼鏡が便利だし、コンサートやスポーツ観戦でお目当てのプレーヤーの表情まで捉えたいという場合には8〜10倍の単眼鏡や双眼鏡のほうがいいということになります。美術鑑賞用の場合、何より大事なのは至近焦点距離が30センチ以下、出来れば20センチであることで、ガラス越しだったりするとはいえ、近くからディテールを観察するには、倍率8倍で至近焦点距離70〜80センチのスポーツ観戦用グラスを持って行っても余り役に立ちません。道具が意識を規定するというのも人生の一面で、気に入った単眼鏡を持ち歩いていればちょっと時間が余ったときに美術館・博物館に行こうという気にもなろうというものです。私のはビックカメラなどで実売価格8000円台ですが、一応実用に足るもので2000円以下からいろいろあります。VIXENやKENKOなど望遠鏡専門メーカーのものがお勧めで、他にNIKONやZEISSなどカメラメーカーのものもあり、性能はいいんでしょうが高い。特にZEISSは数万円です。

 さて、展覧会の歩き方ですが、私の流儀は、
(1)まず始めから終わりまでを一渡りサーッと見て、どこに何があるか、それをそこに配置した学芸員の企図は何かなどを察知し、全体像を掴む、
(2)それで「これは!」と直感的に引っかかった1点ないし数点のところまで戻ってじっくり鑑賞し(そのとき単眼鏡が役立つことがあります)、印象を刻み込む。
(3)出口のショップで目録・解説と必要なら関連図書を買って、博物館・美術館には必ず喫茶室があるので、時間があればコーヒーを飲みながら目を通す。
(4)帰りの新幹線か泊まったホテルで(ホテルならウィスキーを舐めながら)、得たものを1枚の「心象曼荼羅」スタイルでメモにまとめておく。
 ……というものです。今回の「暁斎」展のメモはこんなふうですが、これを解説すると長くなるのでやめておきます。▲

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