この項は折に触れて安房鴨川の山中での田舎暮らしを中心とした身辺記を出来るだけ写真を添えてお届けするものです。メール版はテキストのみですが、以下URLに写真入りのPDF版をアップしますので、それを開ける方はそちらをご覧下さい。また《ざ・こもんず》高野ブログにも(時間差はありますが)掲載されます。
http://www.smn.co.jp/insider/takano/kamogawa02.pdf
---------------------------
《08年4月11日》
夕方近くまで鴨川で雑用に明け暮れる。本当を言うと、昭和天皇が昔「雑草という草はない」と仰せになったのと同じ意味で、雑用という用はないんで、1つ1つの用はどんなに些細なことでもそれぞれにかけがえのない、そこでその時行われるべくして行われるべき何かなのですね。雑用と思えば煩わしくなる。が、「雑」とひとくくりにしないで1つ1つに向き合えばそれなりに楽しくこなすことが出来る。このへんが心がけ次第ということになります。
この日に取り組んだことの1つは、薪小屋の設計。家の北側の1段下がったところは駐車場で、もう1段下がったところに物置小屋があって、その脇に薪ストーブ用の薪を積み上げる薪小屋を建てることが前々から懸案になっていました。2日後の日曜日には、我が家の数あるプロジェクトの内これに参画を表明して頂いている、ご近所に住む木工家の馬場健二さん、鴨川自然王国のスタッフで休日には我が家に来ていろいろ手伝って貰っている小原利勇さん、大学が春休みの間我が家に通い詰めて肉体労働に従事しているゼミ生OBの篠原豪くんが集合して計画を練るという段取りとなっているので、それまでに施主の私としては考えをまとめておかなければならないのです。
「薪ストーブは二度暖まる。一度目は薪割りで、二度目は炎で」という言葉があるくらいで、薪ストーブの楽しみはまず薪割りから始まります。普通は、薪の素材となる木材を手に入れるのが大変だし、手に入ったとしても薪を割るのは相当に過酷な重労働で、最初は「これぞ田舎暮らし」と面白がってやったけれども長続きせず、結局2年目からは薪をホームセンターで買っているという人も少なくありません。我が家の場合は、敷地内にも周辺にも薪の素材はいくらでもあるし、小原さんが知り合いの造園業者から貰い受けた木材を時折運び込んでくれるので、材料には事欠かない。薪割りは、私は子供の頃からやっていて苦にならないし、小原さんは達人だし、その小原さんの指導で手伝ってくれる学生もいるので、全然問題ない。そこで、割った薪を整然と積み上げて乾燥させておく薪小屋を整えることが課題となっているわけです。
薪は、切り倒された木を切ったり割ったりしただけでは、水分が多くて、そのまま燃せばヤニやススが出てストーブを傷めてしまう。最低でも1年、出来れば2年、理想的には3年は寝かせてやると惚れ惚れするような美しい炎が出て、煙突の煤払いもほとんど必要ないくらいにクリーンな燃え方をします。そういう薪を用意するためには相当のストック空間を持たなければならないのですが、それがどのくらいなのかは焚く頻度と程度にもよるのでどうもよく見当がつきません。それで、外観の方から判断して、今はその場所に、下のお隣の家のプレハブ住宅の青い屋根が隠れるように高さ2メートル余の笹藪を刈り取らずに残してあるのですが、ちょうどそれと同じ幅と高さにすることにして、実測してみると、幅6間、高さ1間半。奥行きは標準長さ40センチの薪を前後2段に積むので、半間ないし1メートル。それを既製のコンクリート土台を並べた基礎の上に角材を組めばいいだろうと見当をつけて、簡単な図面を引き始めたところへ、折良く馬場さんがやって来て言うには、コンクリ土台は薪の重みがかかると不均等に沈んで木枠が歪む可能性が高いから、足場用の単管パイプを使ったほうがいい、と。なるほど、言われてみればそうで、3メートルと4メートルのパイプを中心として継ぎ手で組んで下部を50センチほど土中に埋めてそれを土台とすることで、設計し直しました。「しかし、銀色に光るパイプは無粋じゃないか」と私が言うと、馬場さんは「黒く塗っちゃえばいいんだ。それでもイヤなら縦の柱だけ板で化粧してもいい」と言います。なるほど…。
実施は、皆さんが5月連休に田植えを終えて少し時間が出来てから、ということになりました。
《08年4月12日》
名古屋の栄中日文化センターで10年ほども月1回続けている「新・世界地図の読み方」の講義。今日から新学期なので、いい地図帳を座右に備えようという話を少ししてから、アメリカの世紀が終わってユーラシアの世紀が始まる、それで日本はどうするんだ?という本題を2時間まくし立てました。
★栄中日文化センター:http://www.chunichi-culture.com/
(→「教養」へ)
往復の新幹線で、明治学院大学の辻信一先生からお送り頂いた近著『幸せって、なんだっけ』(ソフトバンク新書)を読了。お金で測る豊かさには限りがなく、だからお金にこだわる限りどこまでいっても幸せにはならないということですね。かってはごく当たり前だった「貧乏」と近頃の「貧困」は違うという話が面白かった。貧乏でも「溜め」がある人は幸せになりうる。溜めとは、金や財産とかだけでなく、いざというときに頼りになる家族はじめ人間的なつながりから、本人の心と体の健康、自然とのやりとりや独りでいるときの時間の過ごし方などの生きる技術まで含めた、広い意味のセーフティネットのことだという。逆に言うと、溜めのない金持ちもまたいるわけで、その人はどんなに金があっても幸せでないということですね。
《08年4月13日》
今日はサンプロ非番で終日鴨川。午後から馬場さん、小原さんらが集まって薪小屋の相談。取り敢えず場所決めをして、笹藪を刈って、小型ユンボで整地した。作業後、近所の“謎の焼き肉屋”=美家に行って宴会。夜はインサイダーの原稿執筆。
《08年4月14日》
早稲田大学の授業初日。昨年までの全学部から200人選抜の「大隈塾授業・21世紀日本の構想」、その履修者からまた20数名を選抜した「高野ゼミ」に加えて、今年度からは、新たに創設された政経大学院ジャーナリズム専攻コース(Jスクール)のニュース演習も1つ担当することになったので、月曜日は朝10時40分から17時50分まで早稲田漬けということになります。
第2限のゼミでは、モグリまで含めて30人を相手に、まず「高野孟とは誰か?」を「高野孟の心象曼荼羅図」(左図)を示して語り、その描画手法の元になっている「マインドマップ」について説明し、それについては「大隈塾授業」の第3回に日本での第一人者=ウィリアム・リード氏を呼んであるので出来ればそれを受講するように勧め、さらにこのゼミを受ける心構えとして毎日1つ以上の新聞を熟読することを義務づけました。
心象曼荼羅は、英学者トニー・ブザンが開発したマインドマップの手法を参考にしながら私が独自に開発しつつある、1つの概念なりテーマ(ここでは「高野孟」)を1枚の図柄で表現する方法で、ノート&メモ術としても思考整理術としてもプレゼンテーション術としてもまことに有効です。ゼミ生には早速この方法で、「自分とは誰か」を来週までにまとめて来るように指示しました。
第3限の「大隈塾授業」は、初回なので田原総一朗塾頭にお出まし願って「人生論」を語って貰いました。同授業は昨年度までの6年間、田原さん自らが企画し司会してきましたが、今年度からは、田原さんは商学研究科に新設された「大隈塾大学院」に主力を注ぐことになり、この学部生向け授業の企画と司会は私に任されました。そこで私が組んだ今年のプログラムは次のURLをご覧下さい。第5限のJスクール演習では、新聞の読み方の基本を語りました。
★大隈塾/オープン教育センター「21世紀日本の構想」:
http://open-waseda.jp/open/program/21.php
★大隈塾/大学院商学研究科「リーダーシップ論」:
http://www.waseda.jp/extension/okumajuku/index.html
★大学院政治経済研究科「ジャーナリズムコース」:
http://www.waseda-j.jp/
《08年4月15日》
大阪読売TV「ミヤネ屋」のニュース特集は映画「ヤスクニ」の上映中止問題。夜は第3回「大阪・高野塾」。同塾は、《ざ・こもんず》サポーター企業募集代理店である(株)シーエフエスの藤岡俊雄社長が中心となって去る2月に創始されたもので、月に1回、関西方面の《ざ・こもんず》サポーター企業やその候補社の方々50〜60人ほどが集まって私が講演し、そのあと居酒屋で交流する会で毎月第3火曜日に開催しています。問い合わせはinfo@fvf.jpへ。写真はその交流会で飲み交わす藤岡氏と私。
《08年4月16日》
今日から京都造形芸術大学で講義開始。「日本を見る目を養う」というテーマの演習で日本の歴史、文化にまつわる本をたくさん読んで貰うことを中心に進めていく予定です。
★京都造形芸術大学:http://www.kyoto-art.ac.jp/
《08年4月17日》
早起きして、バイオ浄化槽の土手に植えた芝桜の手入れ。急斜面なので芝生よりも芝桜のほうがいいだろうということで植えたのだが、足が滑って草取りの作業がなかなか大変。夢中になってやっているうちに、家を出る時間を忘れてしまい、9時20分に車で飛び出して11時新宿発の特急に何とか間に合って飯田市へ。飯田信用金庫の若手経営者の会で「国民皆農」について講演しました。
《08年4月18日》
昼間鴨川。夜、築地の魚市場の中の東京歴史遺産とも言うべき魚料理屋「魚がし山はら」で鳩山由紀夫さん等と会食。私がインサイダー(及び《ざ・こもんず》)で「(日銀人事問題などをめぐって)民主党は別に混乱などしていない」と書いたのがお気に召したようで、メルマガ「はあとメール」に全文転載して頂きました。このお店は凄いですよ。建物が崩壊しないうちに一度お出でになるようお勧めします。
★鳩山由紀夫:http://www.hatoyama.gr.jp/indy_frame.html
(→メルマガ/バックナンバー/4月16日号へ)
《08年4月19日》
13時から《ざ・こもんず》打ち合わせ。15時から虎ノ門のスタジオで東京FM系の全国ネットJFNで月1回、第4日曜日の朝5〜6時放送している「ヴォイス・コモンズ」の収録。今回のゲストは、『本は10冊同時に読め』の著者=成毛眞さん(元マイクロソフト日本社長、現インスパイア社長)。ビジネス界きっての読書家による、ひとことで言えば乱読の勧めで、1冊ずつを始めから終わりまで読み通すよりも、書斎、居間、トイレ、オフィスのデスクなどあちこちにいろいろな分野の本を積んでおいて、脈絡もなくツマミ食い的に読み散らすのがいい、と語ります。私もツンドク・ランドク主義なので、読書論で大いに盛り上がりました。
成毛さんとは、彼がMSジャパンの社長になる前からの知り合い。いつだったか、私が思想的にMac派だもんで、MS帝国主義vsオープンソースの対抗図式の下でMSはもう文明論的に敗北しているとインサイダーで書いて、当時まだ社長だった成毛さんから反論を貰ったこともありましたっけ。
《08年4月20日》
サンプロ出演。森喜朗元総理と渡部恒三民主党最高顧問の「重鎮が語る春の政局」は何だかボケとツッコミの漫談という感じでしたね。中川秀直自民党元幹事長ほかによる「移民1000万人受け容れ」提言は面白かった。私は、元々日本は多民族・多文化社会であり、明治以降の万世一系・単一民族史観を克服しなければならないというようなことを言いました。
13時半から銀座で、昔の通信社時代の同僚で軍事ジャーナリストの故松尾高志さんを偲ぶ会があって、挨拶もそこそこに失礼して15時から上野文化会館で小澤征爾指揮のオペラ「エフゲニー・オネーギン」。歌、演奏、演出、すべてよかった。
《08年4月21日》
早稲田授業第2回。ゼミは「新聞の読み方」。授業は私の講義で、インテリジェンス論の基本と1つの実例としての「財金分離論」の捉え方を前夜3時間かかって作ったチャートをスクリーンに映しながら語りました。
日本の明治以来の発展途上国型「官僚主導=中央集権システム」の心臓部は旧大蔵省によるマネーの総動員体制で、そのスローガンが「財政金融一体」でした。
それは、実体的には、金融面では金融界への護送船団方式とまで言われた統制と日銀への支配、財政面では徴税と予算配分、郵貯資金による財政投融資とによって構成され、前者の金融支配がバブルの創出とその崩壊という形で、不良債権問題という100年来の最悪最大の金融スキャンダルを惹起した。その責任をとらせるために、98年に金融庁が発足して旧大蔵省は財務省に“格下げ”され、日銀法改正によってようやくこの国で中央銀行の独立性確保への第一歩が踏み出された。それは、明治以来の官僚政治を打ち砕くための最初の決定的な脳天一撃だったのです。
で、その時、旧大蔵省最後の事務次官にして財務省最初の事務次官として、この財金分離に何としても抵抗しようとしてありとあらゆる悪あがきをしたのが武藤という男であって、こんな奴を日銀総裁にしようというのは、改革の時計を10年前まで巻き戻そうと言っているに等しいのですね。
ま、この辺はインサイダー&《ざ・こもんず》でも書いたのでこれ以上は繰り返しませんが、要するに大隈塾学生たちに、政府やマスコミの言うことに騙されるな、簡単に騙されてるようではどんな分野にせよリーダーになることなど出来るわけがないですよ、ということを言いたくて、その例としてこれを絵入りで説明したのでした。
Jスクールでは「今日の新聞から何を読み取るか」の実習で、朝日と日経の内閣支持率調査の結果、どちらも安部内閣崩壊直前と同じ水準に達しているという福田内閣の危機状態と今後の見通しを論じました。
《08年4月22日》
大阪へ。「ミヤネ屋」終了後、司会の宮根誠司、毎週火曜日にゲストで一緒の松尾貴史その他番組関係者の皆さんと心斎橋の「ゆうや」で飲み会。同店は宮根さんが最近ハマッて通い詰めている店で金目鯛と鯖のしゃぶしゃぶがビックリするほど美味しいです。
《08年4月23日》
京都造形大第2回。想像力と論理力を鍛えることで直感力が磨かれるという道筋の話をしました。帰途、名古屋で降りて同地方の経営者が作る「名古屋平成クラブ」で講演。資本主義の行方と日本のこれからについて語りました。
《08年4月24日》
嬉しいことに今日から4日間は鴨川。午前中、近所の安田自動車に行ってダイハツ・ハイゼット・カーゴを注文。15年間乗り回してきたジープ・チェロキーが老朽化してますます燃費が悪くなったので、東京往復用に昨年10月トヨタ・ブレードを購入、軽快な走りちお低燃費が気に入っていますが、これでは大きな荷物や材木の類は運べないし、鴨川自然王国へ上がって行くときに悪路で鼻をこすったりする。田舎暮らしにはどうしても軽の四駆が必要で、軽トラックにするかボックス型のカーゴにするかだいぶ迷ったのですが、結局、普段は4人乗りで後部座席を倒せばビックリするほどの荷物スペースが確保できるカーゴに落ち着きました。
午後は、庭の観察。あちこちで群落をなしていて1万本はあるだろうと思われる蕗は、花がほぼ終わってタンポポ状態になって、その脇でこれから葉茎が大きく育ってくる段階。蕗というのは楽しくて、2月の厳寒の中で誰よりも先に凍った地面を割るようにして蕗の薹が顔を出します。これは花芽で、摘んで天ぷらにして最初の春の香りを味わうのですが、3〜4回も天ぷらにすれば飽きてしまいます。放っておくと花茎が伸びてあちこちでお花畑状態になって、これは見ているしかないのかなと思えば、それを摘んで金平ゴボウのように油で炒めて醤油で味付けすると食べられるし、天日で干して刻んで乾煎りすると薬用茶になり、それを煮出して汁を風呂に入れると入浴剤になるというのは今回初めて知りました。写真:左から、蕗の花畑、花が終わるとタンポポ状態、畑状態の葉茎。
しかる後に、葉茎が育って、その葉と茎で佃煮を作る。この佃煮を4日も5日もかけて煮ては浸しながら作る秘伝は、大阪・法善寺横丁の名店「美加佐」のおかみさんに教えて貰ってあるので、近々挑戦するよ予定です。ということで、蕗だけで冬から夏まで半年もいろいろに楽しむことが出来るのですね。自然と和みながらどこまでも利用させて頂く日本人の知恵の凄さです。
タンポポの黄色い花も目立ちます。よく見ると、和種のカントウタンポポと外来種のセイヨウタンポポがほぼ対等に混在しています。和種がやや清楚で、外来種がやや野性的です。見分け方は簡単で、花の下の総苞と呼ばれるヒラヒラ部分が下に反り返っているのが西洋種、そうでないのが和種ですが、実際には交雑していて見分けがつかない場合もあるそうです。写真:右が西洋種。
カラスノエンドウの濃いピンクの花、ハルジオンのうっすらピンクの花もかわいい。清らかなのはヤブニンジンの線香花火のような白い花で、これも茎から採って乾燥させると入浴剤になるのだそうです。
シャガの生え方は尋常ではないですね。森と野の境のちょっと日陰のあたりにこれでもかというくらいに薄紫のアヤメ系の花が咲き乱れ、そのような群生が敷地内に何十カ所もあって、まことに美しい。私はオシャレをした小娘がいたずらっぽくあかんべえをしているようなこの花が好きです。
このように、次々に生え出す野の草花を、「雑草図鑑」「山野草大百科」などと首っ引きで名前と特徴と効用を確かめていくのが田舎暮らしの本旨で、「雑草という草はない」ことを思い知るのですけれど、そうは言ってもそれらがブォーッと伸びてきて草刈りをしないとどうしようもなくなる時期は近づいていて、5月連休中には今年第1回の草刈りを実行しなければならないでしょう。
夕方、ゴルフ・コーチ&トレーナーの石渡俊彦プロが若いお弟子さん2人と共に来訪、久しぶりにお酒を酌み交わしました。石渡プロは《ざ・こもんず》でもお馴染みですが、中嶋常之をドン底から救い出したトレーナーとして名を馳せ、その頃から私は「股関節や肩胛骨が動かないのに小手先のスイング技術だけ覚えようとしても意味がない」という彼のセオリーに同感して、取材を兼ねて訪ね、以来ずっとお付き合いをしています(が、その割に私がゴルフが上手くならないのは私が不熱心であるためでプロのせいではない)。当時は彼のスタジオが成田空港近くの富里のほうにあって、時々遊びに行って体を診てもらったりしていたのですが、そのうちに友人のゴルフ狂=勝又基夫千葉トヨペット社長を紹介したら完全に填って奥さんや息子さん共々通い詰め、挙げ句に千葉駅前に彼がレクサス千葉店の豪奢な店舗を作るに当たってその2階を最新設備を揃えたゴルフトレーニングのスタジオにしてしまい(まあ自分が毎日でも行きたいからなんですが)、そこに石渡プロを招いたのでした。
《08年4月25日》
ほぼ終日、芝生の手入れ。だいぶ緑が濃くなってきましたが、それと同時にスギナをはじめ雑草の生え方も並みではなくなってきて、家にいれば必ず少しでも草取りをするよう心がけてはいるけれども、それでも数日もするとワッと出てくる。今日は、春になって初めて金属熊手を持ち出してサッチ(芝草の下に溜まっている枯葉)を軽く掻き出しながら雑草を徹底的に取り除き、隠れている若芽が風と光を味わえるようにし、さらに傷んで剥げたり凹んだりしている部分に目土を入れて根が張りやすいようにしてやりました。サッチはそのまま地面に帰って栄養になるから掻き出さなくてもいいんだとも言われていて、実際この時期にガリガリ掻き出す必要はないですが、芝生に触れていると、若芽が「もう少し陽の光と酸素が欲しいんだけど」と言っているような気がして、その自分の直感力を信頼して、芝が求めているようにしてあげました。
今時、芝に花が咲くんですね。さんざん雑草を取って「だいぶきれいになったなあ」と自己満足に浸っていると、ある日突然のように、黒紫の小さな稲穂のようなものが一面ブオワーッと吹き出している。「えっ、こりゃあ何だ?」と結構あわてて、調べてみると芝生の花。ネットでも私と同じように芝に花があることを知らなくてあわてて専門家に問い合わせたた人がたくさんいるようです。答えは、「放っておくか、芝と一緒に刈ってしまいなさい」。芝は根を通じて繁殖するので、花は育成とは関係なく、放っておいて枯れるに任せるか、芝刈りが必要な時期なら葉と一緒に刈ってしまっていいんだそうです。普段我々はゴルフ場や公園など手入れされた芝面しか見ないので、自分で育てない限り花を見ることはないのですね。自分でやってみないと分からないことって一杯あります。
《08年4月26日》
大隈塾大学院の田植え合宿で、主として社会人院生25人が村田信之=大隈塾ディレクター引率の下、鴨川自然王国に来訪。13時半頃から冷たい風が吹く中、膝まで水に浸かって慣れない手つきで田植え作業、2時間余りで約1反の田んぼ1枚を植え終わりました。左手に苗の束を持って正確に5本を取り分けて右手の人差指と中指でスーッと泥の中に植え込む訳ですが、その要領がようやく分かりかけた頃には終わってしまいます。シャワーもそこそこに、焚き火を燃やして盛りだくさんの山菜天ぷらとバーベキューの宴会。自己紹介での発言を聞くと、エリート・サラリーマンの皆さんが「何でこんなことしなきゃならないんだ」と訝りつつやってきて、しかし初体験の田植えで何かしら日常では得られない感触を掴んだようで、よかったです。出がけに奥さんが「田植え? 嘘でしょう」とどうしても信じてくれないまま振り切って家を出てきて、自分の田植え姿を写メールで送っている人がいたのはおかしかった。大企業エリートで、選ばれて早稲田の大学院で「リーダーシップ論」を学んで、それでどうして田植えなんだというのは、まあ当然の疑問でしょう。
《08年4月27日》
9時から自然王国の山小屋で大学院生に講義。なぜ私は鴨川で「半農牧半電脳」の田舎暮らしを始めたかについて、石原完爾将軍の「国民皆農」論を引用しつつ、それこそが21世紀日本の生き抜く道なのだというお話をしました。我々の祖先は数千年、いや1万年前から土に足を踏ん張って暮らし、そこからありとあらゆる知恵を得て来た。明治以来のこの100年だけ、土から離れて都会に出、金を稼ぐのがいいことだと思い込まされて突っ走って来たけれども、それは数千年の歴史の中でのほんの一時の気迷いで、これからまた新しい次元で日本人本来の暮らしぶりに回帰しなければならない、と。
午後は家内と共にヤマブキなどの植栽作業の後、鴨川の魚屋「池田」で早めの夕食。私は金目鯛の焼き魚定食、家内はホウボウの煮魚定食で、共に1200円だか1300円。他にタコの唐揚げとエビの竜田揚げを一品でとって、車なのでノンアルコール・ビールで我慢して、大満足。このお店は、表が鮮魚店、裏が食堂で、まさに魚屋さんのお店。魚の鮮度のよさに加えて焼き方、煮方、揚げ方がちょっとないくらい上手で、お値段がビックリするほど安い。これぞ南房総!ということで文句なしお勧めです。恥ずかしながら店内には私の拙い色紙が加藤登紀子さん等と並べて飾られています。君津方面から房総スカイライン経由で鴨川市内に入ると車のディーラーが軒を並べる通称ディーラー通りがあり、その中頃の右側に赤地に白文字で「魚」と書いた大きな看板があるので、すぐ分かります。昼食時から休みなしで開いている代わりラストオーダーは19時という早じまいですのでご注意下さい。
《08年4月28日》
いつもより少し早め、4時半起床、まずコーヒーを煎れて新聞4紙を熟読してから資料整理、メール処理、原稿書き、授業準備。ベランダ脇のU字溝にトウキョウサンショウウオが卵を産み付けていて、余り水が流れて干上がらないよう、堰を作って軽く泥沼状態を維持するようにして毎日観察しているのですが、今朝ふと覗くと、卵の1つが見えなくなっていて、小さなメダカのようなものが尾をくねらせて泳いでいるのを発見。たぶんこれがサンショウウオの幼生でしょう。2つ1組の卵嚢に60〜120個の卵が入っていて孵化するのはせいぜい20〜30匹ほどですがが、生まれたとたんに共食いしたりするんだそうで、これは生き残った数少ない強者の1匹でしょう。写真:中央から右上方向の黒っぽい細い影がそれ。頭部近くに鰓らしきものが生えている。夏になると手足が生えて陸上生活を始めるという。いやあ今日は大発見だ。
8時半に家を出て、京都に行く家内を品川駅まで送ってから早稲田に着くと9時50分。ワセダ・カフェでサンドイッチとコーヒーの朝食をとりながら週刊誌3誌と月刊誌2誌を拾い読みして、10時40分から大隈塾ゼミ。前回提出させた「私は誰?」の曼荼羅図を元に自己紹介をやって貰う予定だったのですが、事務局に頼んでおいたOHP機器が準備できていなくてダメ。情けないねえ、早稲田も。京都造形大ではその場で言って「はい、どうぞ」と1分間で準備OKだったですけどねえ。仕方なくそれは次回に回して、昨日の山口補選での自民敗北の分析を中心に「福田政権はどうなる」を議論しました。
午後の大隈塾授業は講師ウィリアム・リードさんで「発想力/7つの鍵」。充実したpptを駆使しての熱演で、学生にはいい刺激になったと思いますが、彼らの質問のほとんどは「こういうばあいどうしたらいいか教えて」という、安直にノウハウを聞き出そうとするもので、このへんが今時の若い衆の限界かなと感じました。ヒントを貰ったらまず自分で身を粉にして修練を重ねて体で覚えなさいということをリードが言っているのにねえ。Jスクールではやはり山口補選結果について編集会議風な議論をしました。高野ゼミOBのモグリが3人もいて、どちらかと言うと彼らのほうが活発に意見を出していたのはどういう訳なのか。
夜は日本橋の鉄鋼会館で、民主党の浅尾慶一郎参院議員(ネクスト内閣防衛大臣)の後援会で講演。「福田首相は官僚にマインドコントロールされて自滅への道を歩んでいる」という話をしました。▲