Calendar

2008年3月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Recent Trackbacks

« 2008年2月 | メイン | 2008年4月 »

2008年3月31日

INSIDER No.433《FUKUDA》ダッチロールする福田政権──ガソリン再値上げが出来なければ墜落

 福田康夫首相は27日、官房長官も副長官も従えない異例の単独緊急記者会見を開き、道路特定財源を09年度から全額、一般財源化するとの約束と引き替えに、3月末で期限切れとなるガソリン暫定税率の継続について野党の妥協を取り付けようと図った。福田にしてみれば「皮を切らせて骨を切る」捨て身の戦法のつもりだったのかもしれないが、これは論理レベルでは何の整合性も説得性もない愚論にすぎないし、現実レベルでは一般財源化に激しく抵抗する古賀誠=元幹事長ら道路族をいきり立たせて自民党内からの“福田下ろし”の動きを加速させることになりかねない愚策にほかならなかった。

●本当に必要なのはいくらなのか?

 論理レベル。
(A-1)道路財源を一般化して道路以外の目的にも流用できるようにすべきかどうか、
(A-2)流用すべきだとしてどの程度か、
(A-3)流用を決めるのは財務省か地方自治体か、
——という問題と、
(B-1)ガソリン暫定税率を撤廃すべきかどうか、
(B-2)撤廃しないまでもどこまで減額するのか、
(B-3)撤廃もしくは減額の場合に代替財源は必要なのか、必要な場合にどこからひねり出すのか、
——という問題とは、別々に切り離して論じることは出来ないはずのことであって、まず今後10年間の道路整備中期計画に本当のところいくら必要なのかについて国会が精査して国民的合意が成り立った場合に、そこで次に初めて、しからばその財源をどのように調達するかという議論が浮上して、現在の特定財源を維持するのか、部分的もしくは全面的に一般化するのか、あるいはその一角にあるガソリン暫定税率を25円で継続するのか20円か15円か10円か5円か0円かにするのかという話になるはずである。

 つまり、そもそも政府・与党が昨年末に、10年間で59兆円の道路整備中期計画を中身の議論抜きに決定してしまったことが間違いの始まりなのだから、そこまで時計を巻き戻して「まず59兆円ありき」の国土交通省と自民党道路族の発想と姿勢を白紙撤回させた上で、1本1本の道路計画について地方の言い分もよく聞きながら国会の場で吟味して改廃しつつ優先順位を定めることが先決である。

 計画には、誰が考えても不要なものや、次の10年計画に回しても差し障りのないものも含まれている。それを国会が決定することが重要である。それと平行して、これまでも国会審議やマスコミ報道を通じてその一端が明らかになってきた財源の無駄遣いや不正流用などの乱脈の実態を徹底的に究明して、その分を排除しなければならない。「道路会計でタクシー代」5年間で23億円(17日付読売)などはまだ可愛いほうで、「道路会計が国交省人件費に」「児童手当にも」創設以来49年間に2.3兆円(27日付毎日)となると、本省の予算には計上できない余剰人員へのヤミ給与かという疑いさえ出てくる重大事である。「道路事業費9割入札せず」「天下り先51法人に特命随意契約」(10日付読売)にも水増し不正で血税が食い物にされている構造が見え透いている。

 こうしたものをすべて削り取って、なおかつ公共事業費を年々3%ずつ削減する原則を正しく適用した上で、今後10年の道路整備に必要な額が例えば45兆円なのか、38兆円なのか、それとも21兆円なのかということが確定されなければならず、それこそがすべての議論の出発点となる。仮に実質予算が33兆円で済むということになれば、年間2.6兆円、10年間で26兆円の暫定税率は完全撤廃してちょうどピッタリ辻褄が合うことになるし、また仮に予算が44兆円ということならば暫定税率を年間1.5兆円に減額して維持しようということになるかもしれない。

 というわけで、一般財源化を受け容れるから暫定税率を存続させてくれという福田の言い分は、彼の得意の表現を借りれば「どういう意味だかさっぱり分からないんですよね」ということになる。

●政権崩壊の墓穴を掘ったことにならないのか?

 現実レベル。
 すでに日銀総裁人事で大きく躓いて一段の支持率低下に直面している福田は、この年度末で無為無能ぶりをさらけ出せば一気に政権維持が難しくなるとの危機感を抱き、一念発起、この挙に出たのだろう。しかし「09年度から一般財源化」という福田の決断は、政権を支える二本柱である町村信孝官房長官、伊吹文明自民党幹事長にも、内閣としてこれを所管する冬柴鐵三国土交通相にも、ろくに根回しもせずに唐突に行われたもので、自民党内からは「独断専横」とか「殿、ご乱心」とかいった声が湧いている。

 もちろん、自民党内にも一般財源化賛成論は少なからずあって、27日の緊急記者会見の直前にも平将明ら自民党若手議員30人が福田を訪ね、「特定財源は自分たちの財布という役人の意識が国民の不信を招いた。一般財源化で情報公開と統治能力を高めるべき」と申し入れた。しかしそのくらいでは、古賀誠=元幹事長や二階俊博=総務会長、さらに青木幹雄=前参院議員会長も加わった老獪な道路族のボスたちを抑え込める保証とはならない。少なくとも伊吹とは綿密な道路族封じ込め作戦を練り上げていなくてはならないはずで、なぜ福田が会見で「党の方でもまとまったと思っている」と述べたのかは謎である。古賀は、幹事長とほぼ同格の選挙対策委員長のポストにあり、地方の選挙区をくまなく回って土建業者中心の旧来型選挙態勢を築き挙げつつある真っ最中であって、一般財源化を呑むくらいなら福田を引きずり下ろそうとするだろう。実際、古賀は26日夜に町村と会った時に「福田政権は誰が作ったのか、お分かりでしょうか」と凄んだという。また二階は総務会長で、一般財源化を党議とするには総務会の議決を経なければならないことを思えば、これは大きな難関である。

 もちろんトップが根回し抜きでいきなり重要政策を発表してしまい、党内や官僚機構の抵抗勢力の機先を制するという手法は有効な場合もあって、小泉純一郎元首相はこれを頻発した。それは、小泉の個人的な人気を活用して小気味よいワンフレーズで世論に直接働きかけて抵抗勢力に文句を言う暇を与えずに物事を進めてしまうというやり方で、しかも裏では飯島秘書官ら周辺が要所要所を予め押さえておくという周到さもあったが故に効果を発揮したのだが、国民にさっぱり人気のない福田がムニャムニャとした口調で記者会見を開いても世間はそれほど感動せず、さらに裏工作も仕組まれていないのだとすれば、成功の確率はほとんどゼロである。ということは、福田としては、追い詰められてのことではあるが、相当思い切った単独行動に出て血路を開こうとしたのには違いないが、世論の支持は得られず、抵抗勢力の反撃だけが激しくなって、政権の生命を縮める可能性の方が大きくなったということである。

 一方で福田は、4月から少なくとも一旦は25円下がるガソリン税率については出来れば4月末、そうでなくとも衆参両院議長の斡旋案が示した期限ギリギリの5月末までに衆院で再議決して元に戻す意向を表明しているが、現実には、この原油高の中で一度下がってしまった税金をすぐにもう一度上げるというのは、圧倒的とも言える世論の支持がなければ難しく、内閣支持率31%・不支持率53%、ガソリン税値下げを「よいことだ」72%・「よくないことだ」12%という世論状況(31日付朝日調査)ではとうてい不可能といえる。自民党は大筋、再議決やむなしという方向ではあるが、町村官房長官が首相に早期に再議決への決意を表明することで自治体や業界の混乱を回避しようとする立場であるのに対して、自民党執行部は「首相が明言してしまうと、再値上げが出来なかった場合に責任問題が避けられなくなる」として町村の動きを牽制している。世論がよほど大きく変わらなければ、自民党が再議決で結束しきれないかもしれず、その場合にそれだけの理由で福田が退陣に追い込まれる事態を回避しようというのが党側の意図だが、その時にしかし、古賀、二階らは暫定税率復活を強行させて福田が世論の袋叩きに遭うのを放置した上で、福田を引きずり下ろして、それと道連れに一般財源化を反故にしようとするかもしれない。それが福田名義の約束手形で、自民党が裏書きしていないということであれば、破棄するのは難しくない。

 こうして、早ければ4月末にも内閣総辞職、福田引退という場面も考えられる緊迫した情勢となってきた。

●財務省が福田政権を殺す?

 こんなことになったのも、福田が財務省に対して全く警戒感がないどころか、旧大蔵省コンプレックスではないかと思わせるほどの従順さでそのマインドコントロールを受け容れているからである。

 日銀総裁人事の混迷について彼が「(野党が言う)財金分離という意味がさっぱり分からない。むしろ財金が連携して初めて日本経済は適切な運営が出来ると信じている」と繰り返し表明しているのは、トボけているのではなく本当に分かっていないからで、だからこそ財務省事務次官出身者を2度も持ち出して拒否されて、後の対策が立たない思考の“空白”に落ち込んでいるのである。財政と金融が連携しなければ経済運営がうまくいかないのは当たり前で、誰もそんなことを否定していない。旧大蔵省=財務省の金融支配と日銀制御を復活させたのでは改革はすべて逆戻りになってしまうということを野党も言っているのであって、その意味が「さっぱり分からない」のでは日本の総理大臣をやる資格はないとさえ言える。

 道路財源の一般財源化というのは、それ自体は正しい改革の方向ではあるが、実はそれもまた財務省の要求である。道路に限らず特別財源を議員立法で次々に作って各省庁の独自予算としたのは、専ら若き故・田中角栄の才覚によることで、それ以前には旧大蔵省の一般財源から各省別の予算を振り分けて貰うしかなかった旧建設省も、このお陰で大蔵省から干渉されない独自の財布を握ってほとんど自由に使うことが出来るようになり、以後、田中とその派閥には頭が上がらなくなった。それを大蔵省は歯噛みしながら見ていたわけで、何とかしてこの特別財源を建設省から引きはがして一般財源に組み入れることは大蔵省の積年の悲願だった。

 そこで問題は、道路財源を一般財源にして「土建国家ニッポン」の基礎を突き崩すのはいいとして、それをそのまま財務省に委ねて同省の権限を強めるだけでいいのかということである。それでは、片山善博=前鳥取県知事(慶応大学教授)が指摘するように、国土交通省と財務省の縄張り争いで政治が財務省側に加担したというだけのことになってしまう。一般財源化ということは、それを道路以外の目的にも使うことになるが、そこで、それを決めるのは財務省なのか地方自治体なのかという問題を決定しなければならない。当初はひたすら特別財源と暫定税率の維持を主張していた東国原英夫=宮崎県知事が最近は「一般財源化された後の地方への配分方法を明確にしてほしい。逆に、地方での道路整備が進むチャンスかもしれない」と言い出している(31日付朝日)のはそこのところで、実際、国交省から取り上げた財源の全部もしくは大部分を地方に回してその使途を自由に決めさせるということになれば、地方分権の流れにも沿うことになるし、道路建設をめぐる無駄もむしろ省けるかもしれない。民主党の対案が、財源一般化と暫定税率廃止と共に「国直轄事業の地方負担金廃止」を3本柱の1つとしているのも、他の措置とも組み合わせて地方の自主財源を増やして結果的に暫定税率を維持する場合よりも地方が潤うようにしようという狙いからのことである。この辺は今ひとつ説明不足でディテールも曖昧だが、大いに議論すべきことである。「一般財源化は大いに結構。しかし財務省の焼け太りには反対。財源を地方の自主財源へ」という主張をもっと説得的に展開すれば、この議論はより実りあるものとなる。そうなればますます福田は追い込まれ、財務省の期待したような方向に問題が決着せず、同省からも彼が見放されることになる。▲

2008年3月17日

INSIDER No.432《BOJ》日銀総裁人事、打開へ──“空白への恐怖”に左右される福田政権

 政府は今日中にも、19日で任期切れとなる日本銀行総裁の後継人事について何らかの打開策を国会に提示することになろう。理屈上は、(1)政府が「ベスト」と自負する武藤敏郎副総裁の昇格を再提示する強硬策、(2)現総裁の任期を延長する法改正もしくはすでに副総裁就任が確定している白川方明京大教授の一時的な総裁代行就任など暫定案、(3)野党が受け容れやすい別の人選を提示——などの方策がありうるが、(1)は、町村信孝官房長官は与謝野馨前官房長官が16日のNHKテレビ討論で「参院で否決されたものをもう一度ぶつけるのは乱暴すぎる」と指摘したとおり、自民党内でも合意は得られまい。(3)がベターで、民主党の鳩山由紀夫幹事長は同じく16日のサンプロで「財務省出身者ならダメということでなく、財務官経験者(の黒田東彦アジア開銀総裁や渡辺博史国際金融情報センター顧問)なら国際的な視野を持っており反対しない」という趣旨を語っている。が、19日が目前に迫っている中で人選と国会での手続きが間に合うかどうかという問題がある上、「結局は民主党が総裁を決めた」という印象を生む可能性もある。そこで(2)の暫定案を採って人選にしばらく時間をかけるという選択に落ち着く公算が大きい。

●「財金分離」の原則論

 政府・与党もマスコミも余りよく理解していないように思われるのは、民主党の武藤反対論の根拠となっている「財金分離」論の意味である。新聞の論調はほぼ一様に、民主党がそのような原則論にこだわっているのは非現実的だ」というものだが、17日付毎日新聞「風知草」で山田孝男専門編集委員が正しく指摘しているように、同党の主張には「歴史と人脈がある」のであって、昨日今日の思い付きではない。

 言うまでもないことだが、80年代後半〜90年代のバブルとその崩壊による“失われた10年”あるいは15年を生み出したA級戦犯は旧大蔵省である。中曽根内閣時代に国有財産の払い下げやNTT株の大々的な売り出しで土地と株への国民的狂奔を作り出したのは同省であったし、その結末としての銀行の不良債権問題に度々対処を誤って傷口を広げて史上空前の金融スキャンダルに発展させたのもまた同省であった。山田は「甘い判断の積み重ねで深手を負っていくさまが第2次世界大戦下の内閣と軍官僚を思わせ、“第2の敗戦”といわれた」と書いているが、それを憎しみを込めてそう呼んだのは故司馬遼太郎だった(『土地と日本人』ほか)。金利政策を誤って急激な引き締めに走って経済をオーバーキルした直接の責任は日銀にあったが、当時日銀は大蔵省支配下にあり、総裁も大蔵次官出身で、護送船団方式と言われた大蔵省の銀行界丸抱えの金融政策の迷走が日銀をも誤らせたことは明らかで、そのために橋本内閣時代に大蔵省が“金融”の機能と権限を剥奪されて「金融庁」が発足し、「財金一体」が自慢のスローガンだった同省は片肺を失って「財務省」という屈辱的な名称変更を受け入れなければならなかった。そしてそれを表裏一体のこととして、日銀法を改正して大蔵省の日銀に対する監督権も削除されたのである。

 その当時、大蔵省の戦争犯罪追及の先頭にあったのが、自社さ連立与党の一角を占めていた「さきがけ」の田中秀征、鳩山由紀夫、菅直人であり、その直下で理論や政策をになったのが前原誠司、枝野幸男、玄葉光一郎、簗瀬進、安住淳、福山哲郎、長妻昭らであった。政界を引退した田中を別にすれば、そのすべてが今は民主党のトップないし中堅幹部であって、そのことを山田は、この党の主張の背景にはそういう歴史と人脈があると指摘したのである。

 これは元さきがけの人たちにとっての単なるノスタルジアの問題ではない。すでにその時から、旧大蔵省を頂点とする霞ヶ関官僚の実質的な日本支配に終止符を打つことは、避けて通れない時代の中心課題であって、橋本内閣の中央省庁再編と地方分権改革が肝心の旧大蔵省権力の解体だけは避けようとして中途半端なものになり終わろうとしていた中で、さきがけの面々はそうさせないように頑張ったのであったし、しかし田中秀征はその成果に不満であることを理由の1つとして、さきがけを離れ、政界にも見切りをつけたのであった。

 「改革」とは詰まるところ、旧大蔵省を頂点とした官僚権力の革命的な解体のことであり、その中では同省の「財務省」への再編と「金融庁」の発足は決定的に重要な第一歩だったであり、そしてその前後、最後の大蔵事務次官、最初の財務事務次官として異例とも言える長きにわたってトップの座にあって、その改革に反対し続けたのが武藤という人物である。まさに「財金分離」による大蔵省と日銀それぞれの改革にとって最大の障害であった人物が、その後、日銀副総裁になるということ自体が反改革的であり、ましてやその副総裁を無難にこなしてきたからというだけの理由で総裁にするなど信じられないほど反改革的である。そこに、まさに「改革帳消し内閣」としての福田政権の本質が露呈しているというのに、旧さきがけが中枢の大きな部分を占めている民主党が賛成できるわけがない。こんなことも分からずに、「武藤のどこが悪いのか」などと言っているマスコミには反吐が出る思いがする。鳩山がテレビで言ったとおり、マスコミも財務省の根回し工作に屈しているのである。

 確かに、小沢一郎代表にそれほどの想いがあったかどうかは疑問で、鳩山が16日のテレビで示唆したところでは、「政権を獲った時に財務省を完全に敵に回していいものかどうか」と小沢が言い、鳩山らも「そういう判断もあるか」と武藤容認に傾いた時期もあったようだ。が、与党が予算案の強行採決に踏み切ったことから小沢が強硬論に転換、日銀総裁についても、鳩山の表現によれば「こうなれば(財金分離=原則論の)純粋な立場に立ち戻るべきだ」という判断が固まったのであって、その意味では、わずかに迷いが生じたこともあったけれども、本来あるべき主張が雨降って地固まる風になっただけのことである。

●ガソリン税も一時値下げか

 日銀総裁が決まらないというのは、別に驚くことでもない。サンプロで榊原英資早大教授が言い切っていたように「日銀は組織的に政策を決めているので、総裁が決まらないからと言って経済には何の影響もない」というのが本当である。マスコミがこれまた口を揃えて「国際的信用が失墜する」と言うのは、財務省の囁きを鸚鵡返しにしているだけで、こんなことがなくても日本の経済運営がすでに信用されていないという事実を忘れている。むしろ問題は、これまでは政府・与党が決めた総裁候補が国会で反対されるなどということ自体がありえないことだという、自民党一党支配時代の発想の延長で事に当たってきて、候補がきちんと所信を述べて質疑をした上で国会議員が判断するという(米欧では時間をかけて慎重審議するのが当たり前の)国会同意人事が全く形骸化していて、もめた場合の最低限のルールさえ出来ていないことが露呈したことである。

 ねじれ国会が悪いことであるかに言う論調も相変わらず根強いけれども、こういうケースの1つ1つについて新しい体験を積みながらルール化していくことが課題であり、日銀総裁人事もそのようなケースの1つである。総裁が決まらない場合に任期を延長したり代行を置いたりするルールは、この結果がどうなるにせよ、確立しておいた方がいいし、そういうことが両院がねじれたり政権が交代したりすることが当たり前のような政治風土を耕していく努力となるのである。

 福田内閣にはそのような自覚がなく、対応がよろずグズグズと遅れ、せっぱ詰まると“空白の恐怖”に促されて強行突破を図るということの連続で、それはたまたま現在は小泉内閣の遺産である衆院3分の2超の議席を持っているから成り立っているものの、そうでない場合には全く対処のしようがなくなってしまう。このようなダラダラと続く無為無策と発作的な強行突破の繰り返しが「何をやっているのか分からない福田政治」という印象を生み、内閣支持率の低下に次ぐ低下をもたらしている。

 この有様では、道路特別財源とガソリン税の暫定税率の問題を巡っても同様のことが繰り返され、結果として年度末までに与野党合意は成立せず、4月からガソリン税の25円値下げが(少なくとも一時は)実現してしまう公算も大きくなっている。それをまた強行採決で持ち上げ直して元に戻すのは至難で、“空白の恐怖”はいよいよ福田にとって現実となって政局運営に行き詰まる場合も考えられる。民主党はそこで解散・総選挙に追い込みたいのは当然だが、自民党としてはこの福田を頂いて選挙をやるという選択はありえないので、内閣総辞職によって乗り切ろうとするだろう、いずれにせよ3月末以降は大波乱含みとなる。

 福田としては解散も総選挙もせずに7月の洞爺湖サミットまで何とか持ちこたえて、地球温暖化問題で目覚ましいイニシアティブを発揮することで政権浮上を図ろうという計算だが、その布石としての4月胡錦涛中国主席来日も餃子問題とチベット暴動でどうなるか分からず、肝心の温暖化では16日まで開かれたG20(主要20カ国閣僚級会合)で日本の産業別積み上げ方式による削減目標という案はほとんど見向きもされず、ポスト京都議定書の枠組みについて何の方向性も打ち出すことが出来なかった。

 こうして、すでに各種調査で支持率が30%台前半に入り始めた福田内閣には、赤の点滅信号が灯っている状態である。3月末から4月にかけてそれが赤信号に変わる可能性は50%以上とみるべきだろう。▲

2008年3月 4日

INSIDER No.431《FROM THE EDITOR》

●三島由紀夫の幽霊が出てきそうだ!

 2日は夕方から福井市で、早稲田のOB組織=稻門会福井支部の総会での記念講演があって、懇親会にも付き合った後、福井の名門企業=江守商事の揚原安麿常務(元日本青年会議所会頭)の案内で同市JCの若手の皆さん10人ほどと深夜まで懇談。翌朝は二日酔い気味の中8時に汽車に乗って京都へ。巡回ルートになっている河原町から寺町にかけてのいくつかの古本屋さんを歩いていたら、ある店の店頭ワゴンに三島由紀夫『葉隠入門』(カッパブックス)が500円の値札を付けて置いてあって、懐かしくて思わず買ってしまった。

 その本は1967年、三島が市ヶ谷の自衛隊本部に殴り込んで自決する3年前に出た。私が買った古本の奥付を見ると75年=62版とあるから大変なベストセラーだったことが分かる。私は三島事件のとき駆け出し記者2年目で、とるものも取り敢えず市ヶ谷に駆けつけて、中の様子も分からぬまま遠巻きのようにして何やら緊迫したその場の雰囲気を嗅ぎ取っていただけだったのだが、それからこの事件について論評を書かなければならなくなって、真っ先にこの『葉隠入門』を読んだ。が、その本はとっくに手元になく、それから38年を経てたまたまこの日、それが500円の値札を貼られているのに遭遇したという訳である。夕方、数十年来通っている河原町の万菜屋「いろめし黒川」に寄って一杯飲みながらページを繰った。

 今読み直すと、この頃にすでに三島の中で生と死についての考え方が相当煮詰まっていたことを改めて思い知る。『葉隠』と言えば「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」のワンフレーズだけが知られていて、封建時代のファナティックとも言うべき滅私奉公の道徳観が述べられているだけだと思い込んで、真面目に繙いてみようともしない向きが多いかと思うが(私もかつてそうだった)、そうではなく、現代にも十分通用する警世の書だと、三島が熱く語っている。

 彼に言わせれば、「死ぬ事と見付けたり」というのは、それ自体が太平の世の武士の堕落に対する逆説的な文明批評である。江戸開幕から80年余を経過して、元禄、宝永ともなると、儒学や軍学や士道論なども興る一方、蕉風の俳諧や近松の戯曲、西鶴の小説なども興って一種のルネッサンスの風潮があり、町人ばかりか武士までもが歌舞音曲にうき身をやつしたり、戦国剛健の気風が衰えきった時代であって、その士道論や儒学、軍学自体も、いたずらな観念論にふける傾きがあった。その世相に対して、武士とは命懸けで国を支えるべきものだという武士道精神の再興を企図して佐賀藩士=山本常朝が論述したのがこの書なのだ。「死ぬ事と見付けたり」の後はこういう文章が続く。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬほうに片付くばかりなり。別に仔細はない。胸すわって進むなり。図に当たらぬは犬死になどという事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当たらぬことのわかることは、及ばざることなり。我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはずれて生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはずれて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度(おちど)なく、家職を仕果たすべきなり」

 死ぬか生きるかの二者択一が迫られる場面で、ためらいなく死ぬ方を選ぶのが武士の本質である。正しい目的を達成できないうちに死ぬのは犬死だとそれを避けようとするのは上方風の打算的な考え方である。実際にはその二者択一の場面で、絶対に正しいほうを選ぶということはむずかしい。そこで人は、誰でも死ぬより生きるほうがいいに決まっているので、生きることに傾きがちであるけれども、目的を達成できずになお生きているのは腰抜けである。このへんがむずかしい。目的を達成できなくても、死を選んでさえいれば、犬死、気違いとそしられることはあっても恥ではない。これが武士道の本質である。常に死ぬ覚悟を持つことで武士は自由の境地を得、それによって一生誤りなく国に奉公することができるというものだ、と。次のような一節もある。

「今時の奉公人を見るに、いかう低い眼の着け所なり。スリの目遣ひの様なり。大かた身のための欲得か、利発だてか、又は少し魂の落ち着きたる様なれば、身構へをするばかりなり。我が身を主君に奉り、すみやかに死に切って幽霊となりて、二六時中主君の御事を歎き、事を整えて進上申し、御国家を堅めると云ふ所に眼をつけねば、奉公人とは言はれぬなり。上下の差別あるべき様なし」

 奉公人を今の役人、経営者・サラリーマンと読み替えればいい。社保庁や厚生労働省や国土交通省や防衛省の役人も、あれこれの偽装にまみれた経営者も、みないかにも志がなく自分の欲得だけで小利口に立ち回ろうとしていて、スリの目付きをしている。主君は今は(憲法上)国民であり、その国民に一身を捨てて仕える気構えを持って、一旦死んで幽霊になったくらいのつもりで、絶えず国民のためを思い、物事を整理して勇気をもって具申し、国の基礎を固めるという立場に立たなくては、役人ともサラリーマンとも言えない。このことには上下の区別はない。ここまで来ると、『葉隠』が「死ね!」と言っていることの意味が一層明らかになるだろう。元禄の世と同様、いやそれ以上に今は死ぬ覚悟で職に賭ける者が少ない。さらに今時の若者もダメだと同書は言う。

「三十年来風規相替はり、若侍ども出合いの話に、金銀の噂、損徳の考へ、内証事の話、衣装の吟味、色欲の雑談ばかりにて、この事のなければ一座しまぬ様に相聞こへ候。是非なき風俗になり行き候」

 近頃は若侍が集まれば金の話、損得の話、家計のやりくり、ファッション、色欲のことばかりで、こうした話題がなければ座が白けるほどだという。困った風潮になったものだ。こういう若者たちに『葉隠』は、「お前ら、武士として死ぬ気で仕事に励む覚悟はないのか!」と迫っているのである。

 三島は書いている。「現代社会の方向には、社会主義国家の理想か、福祉国家の理想か、二つに一つしかないのである。自由の果てには福祉国家の倦怠があり、社会主義国家の果てには自由の抑圧があるのはいうまでもない。人間は大きな社会的ヴィジョンを一方の心で持ちながら、そして、その理想へ向かって歩一歩を進めながら、同時に理想が達せられそうになると、とたんに退屈してしまう。他方では、一人一人が潜在意識の中に、深い盲目的な衝動を隠している。それは未来にかかわる社会的理想とは本質的にかかわりのない、現在の一瞬一瞬の生の矛盾にみちたダイナミックな発現である。青年においては、とくにこれが端的な、先鋭な形であらわれる。また、その盲目的な衝動が劇的に対立し、相争う形であらわれる。これは自由への衝動と死への衝動といいかえてもよい。……戦時中には死への衝動は100パーセント開放されるが、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、完全に抑圧されている。それとちょうど反対の現象が起きているのが戦後で、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、100パーセント満足されながら、服従の衝動と死の衝動は、何ら満たされることがない」

 この生と死の弁証法を突き詰めていく中で、彼は高度成長日本の退屈に耐えかねて、図に当たらずにおめおめと腰抜けとして生きるよりも、図に当たらずとも潔く死んで気違いと言われることを選んだ。しかし、その身を以ての警鐘も現代の主君の心には響かず、その後の日本はバブル狂乱とその崩壊による茫然自失に陥り、今また金融資本主義の暴走や欺瞞行為の横行の中でどう生きたらいいのかも分からなくなっている。三島が岩波文庫の『葉隠』を額に縛って幽霊となって出てきそうな気配である。(《ざ・こもんず》3月3日に掲載)▲

Profile

現在、INSIDERニュースレターの内容は、ご覧の《THE JOURNAL》内でブログの形で公開されております。
誰でも無料で閲覧し、またそれについて感想や意見を書き込むことが出来るようになっておりますが、従来通り、お手元に電子(Eメール)版配信もしくは印刷版郵送の形で講読を希望される方は、引き続きEメール版:年間6,300円(税込)、ペーパー(紙)版:年間12,600円(税込)をお支払いください。[法人購読の場合は年間105,000円(税込)になります]
ウェブ上で無料で閲覧できるものが、Eメール版・ペーパー(紙)版が有料なのはどういうわけだと思われるかもしれませんが、後者の場合、読者名簿管理と請求の事務、配信と郵送の手間が必要であり、とりわけ印刷版の場合は紙代、封筒代、印刷代、郵便代のほか宛名を印刷して封筒に貼り、印刷されたものを三つ折りして封入し、糊付けし、紐で束ねて郵便局に運び込むのに膨大な手間とコストがかかっていることをご理解下さい。
また、無料で閲覧できるならそちらに切り替えたいという方もおられると思いますが、残余の購読期間は引き続きEメール版もしくはペーパー(紙)版を配信させて頂き、購読料を途中返還することは致しませんのでご了解下さい。

BookMarks

TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER(インサイダー)
http://www.smn.co.jp/insider/

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.