Calendar

2007年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

Recent Entries

Recent Comments

« INSIDER No.406《NEW TERMINOLOGY 1・2》シックカー・医薬の軍事化
メイン
INSIDER No.408《ABE》捨て身なのか、自暴自棄なのか──安倍“退陣カード”の唐突 »

INSIDER No.407《SEMINAR-04》高野孟の「インテリジェンスの技法」(4)──閃きを生む直感力/常識の嘘を見抜く

お断り・再

 本「インテリジェンスの技法」シリーズは、本来、写真や図版等が含まれますが、メルマガでは省略してあります。画像付きPDF形式のファイルをご覧になりたい方はインサイダーHP上にアップロードしてありますので、下記URLから閲覧またはダウンロードして下さい。

http://www.smn.co.jp/insider/takano/takano-semi04.pdf

---------------------------------------------------------------

 前回で、インフォメーションとインテリジェンスの区別と統一については理解してくれたものと思う。もう一度簡単に対比しておこう。

インフォメーション
第1次情報
事実情報
外部情報
量(の多さ)
集める

インテリジェンス
第2次情報
判断情報
内部情報
質(の高さ)
捨てる

 インフォメーションをインテリジェンスに煮詰めていくには「いろいろなフィルターを使って知的処理をして、その出来事を構成している諸要素が織りなすベクトル構造を炙り出していく」と述べたが、このフィルターについても暫定的に整理しておこう。この全体を通じて(a)直感力、(b)想像力、(c)論理力が発揮されなければならないが、敢えて図式化すれば(1)〜(4)については主に直感力が、(5)〜(8)には想像力が、(9)〜(12)には論理力が、より多く求められるのかもしれない。が、その3つの力は実際には正三角形をなして激しく循環し相互補完しながらインテリジェンスの全過程を通じて働き続けるものなのだろう。直感力は鋭さ、想像力はしなやかさ、論理力は確かさが勝負である。

(a)直感力(鋭さ)
(1)分類
(2)取捨選択
(3)対比
(4)優先順位

(b)想像力(しなやかさ)
(5)相互連関
(6)アナロジー
(7)視点の水平移動(反対側の立場から見る)
(8)視点の垂直移動(虫瞰←→鳥瞰)

(c)論理力(確かさ)
(9)ファクターの整理
(10)主要矛盾の確定とその他の矛盾との距離の測定
(11)段階・局面
(12)ベクトル構造と全体的な問題構図

●羽生善治名人の直感力

 史上初めて将棋の7冠王を達成した羽生善治に『図解/羽生善治の頭脳強化ドリル』(PHP研究所)という著書がある。副題は「直感力、集中力、決断力、構想力を鍛える」となっていて、その第1章が「直感力」に充てられている。彼は、直感力が「閃くためのマニュアルはない」と言いつつも、彼自身の途方もない直感力の働きについて述べているのが興味深い。

「直感や閃きは、まったく何もないところから偶然に出てくるものではない。また、漠然と思い浮かんだいくつかの考えのなかから、クジ引きのようにランダムに選ぶものでもない。それは学習、経験など、自分自身が今まで積み上げてきたもののなかから瞬間的に取捨選択し、判断を下しているものである。そこには、思考の妨げとなるようなためらいや恐れなどが介入できない。だから直感は『純度の高い思考』ともいえる」

「直感を磨く方法としては、とにかく当事者意識をもって行動し、決断をしていくことだ。……当事者意識をもって真剣に考え、行動し、決断を下すことを繰り返していくうちに、自然と直感の精度はあがっていく」

「将棋の世界では、1年前に常識と思われていた定跡が今はもう通用しない、ということはざらにある。となると、今の常識も10年後には間違っている可能性があるわけだ。しかし未来のすべてを予測するのは難しい。問題意識と洞察力を常に持ち、未来に対する嗅覚を研ぎ澄ませていく必要がある。閃きは、そのなかから生まれるのだ」

 論理力というのはまだ、それを教え学ぶためのメソッドがあり、「論理的思考力を鍛える」といった趣旨の教科書的な本も書店には並んでいるし(くだらないものが多いが)、私は私流にここで毛沢東『矛盾論』を素材にそれを講じているけれども、直感力ばかりは恐らく教えようがなく、自分で鍛錬してもらうしかない。どうやって鍛錬するかと言えば、ここで羽生名人が言っているのが正しくて、第1に、学習と経験の分厚さが直感の鋭さを生む基礎となる。

 棋士は、古今の定跡や棋譜を徹底的に研究して、それを自分なりに論理化した膨大なデータベースを頭の中に持っているが、だからといって実際の対局の場面場面で、それらを順序よくCPU(中央演算装置)に呼び出して1つ1つ検討するということはしないはずだ。優れた棋士ほど、そのデータベースの全体が熟成し発酵し渾然一体化した状態になっていて、それが理屈や順番を超えて「ん、ここだな」と感じる直感力を生むのだろう。羽生は「たとえば将棋では、『この場面はこの手しかない』と、100%確信をもって最善手が分かるときがある。このとき、論理的な思考は直感へと昇華されている」とも言っている。

 コンピューターに出来ないのはここで、データベースは人間の能力を超えて作ることは出来るだろうが、それを熟成させるということが出来ない。だから例えば私のようなヘボ将棋打ちがパソコンの将棋ソフトと対戦する時に、まっとうな手を続けているとたいていは負けるが、面白いことに「こんなところで飛車を捨てて桂馬を取るなんていう手があるかよ」というような常識外の捨て身戦法を採ると、それは将棋ソフトの想定外なので、明らかに向こうは混乱して、勝ちを得ることがある。

 将棋の定跡は、先人の何百年もに及ぶ実戦経験の蓄積から生まれてきた知識の集大成であり、将棋世界の「常識」である。棋士はそれらを1つ1つ、盤面に駒を並べて徹底的に研究し、身につけていくのだが、定跡をすべて覚え込んだからといって強くなる訳ではない。その研究成果を自分なりに体系化し、自分独自の得意の戦法を編み出し、それを実戦で試しつつ、日々新たな発展を求めて、ある場合には常識を打ち破って進んでいくのが強い棋士である。

 我々の場合、定跡に当たるのが古典の教養で、とりわけ若いうちには労苦を厭わずに洋の東西の思想のおおどころには一渡り触れておかなければならない。私が二十歳前後にギリシャ哲学はじめカント『純粋理性批判』、ヘーゲル『大論理学』、マルクス『資本論』、サルトル『存在と無』などといったいずれも難解極まりない大著を片端から読み漁っていた時には、「何でこんな訳の分からないものを読まなければいけないのか」と何度も投げ出しそうになりながら、しかしこうした知の巨人たちの強靱な思考力に付いていけないくらいの自分なら、ろくな仕事も出来ずに詰まらない人生を送ることになるのだろうと思い直して、歯を食いしばるようにして挑戦した。前回で「人類の知的資産の全部を背中に負って現実の世界に立ち向かうくらいの誇大妄想的な気概」が必要だと言ったのはそこのところなのだ。それで何が得られたかというと、はなはだ心許ないのだが、ただひとつ、論理的な思考能力だけは徹底的に鍛えられたと思う。

 今時は、何のためにという実用的な目標もないままにこういう七面倒くさい本を繙いて、1ページずつめくりながら考え込むといったことは流行らない。必要な情報はネットで瞬時に手に入る時代に、役に立たないことのために時間を費やすのはもったいないということだろう。アメリカのどこかの大学で、レポートにウィキペディアをコピペするのを禁止したという話が新聞に載っていた。あるテーマのレポートで、多くの学生が同じ間違いを犯しているので、おかしいと思って教授が調べたら、ウィキの記述が間違っていたというのである。ウィキは間違っている場合もあるという前提で使えば便利なツールで、これもまた人類の知的共有財産の1つの形だと思うけれども、問題は、若い人たちに、自分で原典に当たったり、情報源を確かめたりして真偽を見抜きつつ、自分なりの独創的な見解を作り上げていくという気風が乏しいことである。ネットの常識を自分の常識にしているだけでは、常識破りの知的生産など出来る訳がない。

 教養は単に知識として必要なのではなく、それを通じて論理的な思考能力と批判的な問題発見能力を鍛えるためにこそ必要なのであり、それこそが直感力を生む基礎となるのである。

●孤独な決断の繰り返し

 第2に、「当事者意識をもって真剣に考え、行動し、決断を下すことを繰り返す」ことである。当事者意識という意味は、その場面場面で自分が全責任をもって選択し決断するしかないということで、言い換えればその孤独に耐える神経のタフさの問題である。私らジャーナリストの仕事もまさに孤独な決断の連続で、何か思いもしなかったことが勃発して、よく考える暇もなくそれについてコメントしなければならないというようなことはしょっちゅうで、そこで初歩的なミスを冒したり緩んだ間抜けなことを言ったり書いたりすれば、それだけでジャーナリスト生命が絶たれかねない。

 実際、テレビの情報番組で、コメンテーターがたった一言の不用意な発言を吐いて猛烈な抗議を受けて、対応に困った局がその人を番組から降ろすことで始末をつけるといったケースは、私の身近でもいくつもある。私が20年以上もテレビのコメンテーターを続けていてそういう目に遭っていないのは奇跡とも言えることで、まあ全体としては、瞬発的な直感力の発露がそう酷い間違いを招かない程度の教養ベースがあったということになるのだろうか。

 それでも、私が出るのはほとんどが生番組で修正も編集も効かないので、「あわや」ということは何度かあった。1つは、1988年から日本テレビで始まった日曜日朝の「ザ・サンデー」という情報番組でレギュラー・コメンテーターを務めていた時に、90年8月の湾岸危機から91年1月の湾岸戦争にかけて司会の中村敦夫も私も米ブッシュ(父)政権と多国籍軍に対して批判的な論調を繰り広げたのが読売新聞には気に入らなかったらしく、91年3月に私が番組を降ろされ、半年後には中村も辞めてしまった。その番組は、まったく骨抜きの通俗的なワイドショーに衣替えして今も続いている。しかしこれは、論調の違いということなので、私はむしろ誇りに思っている。

 もう1つは、91年10月にTBSで生島ひろしの司会で始まった月〜金曜朝7時の「ビッグ・モーニング」という番組で水曜日のニュース編集長を担当している時に、新潟市の市民派の市会議員がジーパン姿で初議会に登院して保守系から袋だたきに遭ったというニュースがあり、私が「いいじゃないですか、市会議員なんて市民の『小使いさん』なんだから、ジーパンで走り回るほうがいいですよ」というようなことを言った。ところがこの「小使いさん」は差別用語・放送禁止用語で、正しくは「用務員」と言わなければならないということで大阪の自治労から猛烈な抗議を受けることになった。これは私にはビックリで、東京生まれ・東京育ちの私にとっては、「小使いさん」は一種の愛称で、竹とんぼの作り方を教わったり、校舎の2階の屋根に引っかかったボールを取って貰ったりした小学生時代の懐かしい思い出と共にある。よく理解できないまま、しかし「自分の発言には自分で責任を取る」と局側には言って、一人で大阪の自治労本部で開かれた「糾弾集会」に出掛けて行った。聞けば、特に関西では、この問題は被差別部落出身者への職業差別とも絡んでいて、自治労や部落解放同盟が長年にわたって「用務員」という呼称を定着させるために闘争を続けてきたのだという。私は、東京ではそういう話を聞いたことがないので仕方がなかったとはいえ、関西を中心にそのような闘いが続いてきた経緯についてまったく無知であったことは不明の至りであると率直に侘びて、今後その闘いの歴史について学習することを約束して和解したのだった。帰り際、先方は「今まで何十回もこの問題でテレビ局に抗議したが、発言した本人が来たのはあなたが初めてだ」と誉めてくれた。これは明らかに私の教養不足のケースだったが、自分一人で責任を持つ態度を貫いたことで解決した。

 比較的最近に起きたのは、これも被差別部落問題に絡むのだが、05年2月23日の「サンデー・プロジェクト」で『食肉業界のドン』と呼ばれてきたハンナン・グループの総帥=浅田満被告が50億円もの補助金を詐取して起訴された事件を取り上げ、彼の闇の人脈に迫る特集を組んだ際に、私が「(そんなことを取材したら)大阪湾に浮くよ」と言ったことが激しい糾弾の対象となった事件である。それは、番組冒頭でその日の放送内容を予告するやりとりの中で起きたことで、話の流れはこういうことだった。

 まず、もう1つのテーマだった郵政民営化問題について、田原総一朗が自民党の抵抗を排除してこの課題を成し遂げることの困難さを指摘しつつ、竹中平蔵大臣に「東京湾に浮くよ」とジョークを言った。次に浅田特集の話題になり、田原が「浅田被告は被差別部落の出身であり、そのことをタブー視して触れないようにしている他メディアの報道姿勢はおかしい」と言い、また取材を担当した大谷昭宏が「浅田被告の人脈は政界、官界、スポーツ界、芸能界にまで及んでいて、それを徹底取材する」と述べたことを受けて、私が「大阪湾に浮くよ」と発言した。これに対し後日、部落解放同盟と浅田の弁護士からそれぞれテレビ局宛に抗議文が届き、田原が浅田が部落出身者であることを暴露し、かつ被差別部落一般が犯罪に関係があるかのように発言したこと、また高野が被差別部落周辺を取材すると殺されるかのことを言って被差別部落出身者が殺人者であるかのように発言したことは重大な人権侵害であると指摘された。

 もちろんそれは誤解で、私は被差別部落が怖いなどと思ったこともないし、そういう意味で発言したのでもない。浅田人脈が山口組系暴力団に直結し、また野中広務、鈴木宗男、故松岡利勝ら政界の言わば表と裏の境目にいる一筋縄では行かない人々との密接な関係にまで及んでいることを念頭に置きつつ、そうした領域を取材することの困難さを表す記者仲間の比喩的な常套文句として、そのような言葉を口にしたのだったが、確かに説明不足だったことは否めない。それから丸2年間に渡って断続的に続いた部落解放同盟との“対話”の中で、先方は私の中に差別意識が潜んでいることを認めさせようと迫ったが、私にはそんなものがある訳がないので認めるわけにはいかず、あくまで短絡的な物言いが誤解を招いたとすれば申し訳ないと言い続けた。これは、関西闇世界についての私の教養が深すぎて、説明不足を招いたケースである。

 とりわけテレビの生番組は一瞬一瞬が真剣勝負で、それがうまく行く時も行かない時もあるけれども、結果については自分で責任を負うしかない。逆に、そういう切羽詰まった緊張感の中でデータベースを使っているとその熟成度が増して、閃きの精度が高まっていくということなのだろう。

●常識を疑う

 第3に、定跡や常識には通暁していなければならないが、同時にそれを疑い続け、先へ先へと乗り越えて行かなくてはならない。いつも常識の範囲内に留まって無難に凡庸な意見を吐いていたのでは、他人に見向きもされないし、第一、自分が面白くない。むしろ、常識は疑われるためにあるくらいに思っていた方がいい。

 とりわけ、何か事件が起きてメディアの論調が洪水のように一方に流れて、それが“大常識”となって世間にまかり通るといった場合には、大体において敢えてそれに逆らって反常識的に思考した方が正しい結論に到達することが多い。これは田原総一朗が最も得意とする手法の1つで、例えば田中角栄元首相が1972年に登場した当初は「庶民宰相」だ「今太閤」だとさんざん持ち上げられて、76年ロッキード事件で逮捕されるや一転、金権腐敗の権化として袋だたきに遭うということが起きると、「この風潮って、おかしいんじゃない?」という疑念が湧いてきて、同事件をもう一度詳しく検証して「田中角栄は無罪だ」と論じたりする。

 最近ではホリエモンも同じで、彗星のごとく登場した時には時代の寵児であるかにもてはやされたというのに、ひとたび検察が動き出すとたちまち諸悪の根源のように集中砲火を浴びた。そうするとまた田原の天の邪鬼が頭をもたげて、一審判決直前にホリエモンを「サンデー・プロジェクト」に出演させて言いたい放題に言わせようとして、それは報道原則に反するとして反対するテレビ朝日側と大げんかして押し通してしまったりする。

 私はこういう田原手法には大賛成で、なぜなら私自身も、そのように情緒不安定的というか情動的に、まるで表層雪崩のようにダーッと一方に流れる世論なるものをほとんど信用していなくて、むしろそれに対して孤高を保つことが時代の風見鶏としてのジャーナリストの使命の1つだと思っているからである。

 どうしてこのような極端な上げたり下げたりが繰り返されるのか。第1に、大衆社会の世論というのは元々そういうもので、ちょっとしたきっかけで右にも左にも大きく揺れ動く。第2に、メディアがテレビ中心時代に移って、テレビの特にワイドショーは、絵になりやすく、従って情に訴えやすいという意味で面白い場面を、事の重要性とは無関係に、繰り返し繰り返しオンエアするので、活字中心時代に比べて視聴者・読者の情動性が何百倍にも増幅されがちである。第3に、そのテレビ〜視聴者の意識構造の中では、シロかクロかどちらかにハッキリした主張が好まれるので、それを売り物にするキャスターやコメンテーターが人気を博したりする。が、世の中そんな風にシロクロで割り切れるものではなくて、シロと言われているものが3割はクロだったり、クロと言われているものが4割はシロだったりするのが常であって、そういう言説が溢れかえっている時に、「あれ、これって何か変だなあ」とザラッとした違和感を覚えて「待てよ?」と考え始るのもまた直感力の働きの一種なのだろう。■

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.the-journal.jp/mt/mt-tb.cgi/511

Profile

現在、INSIDERニュースレターの内容は、ご覧の《THE JOURNAL》内でブログの形で公開されております。
誰でも無料で閲覧し、またそれについて感想や意見を書き込むことが出来るようになっておりますが、従来通り、お手元に電子(Eメール)版配信もしくは印刷版郵送の形で講読を希望される方は、引き続きEメール版:年間6,300円(税込)、ペーパー(紙)版:年間12,600円(税込)をお支払いください。[法人購読の場合は年間105,000円(税込)になります]
ウェブ上で無料で閲覧できるものが、Eメール版・ペーパー(紙)版が有料なのはどういうわけだと思われるかもしれませんが、後者の場合、読者名簿管理と請求の事務、配信と郵送の手間が必要であり、とりわけ印刷版の場合は紙代、封筒代、印刷代、郵便代のほか宛名を印刷して封筒に貼り、印刷されたものを三つ折りして封入し、糊付けし、紐で束ねて郵便局に運び込むのに膨大な手間とコストがかかっていることをご理解下さい。
また、無料で閲覧できるならそちらに切り替えたいという方もおられると思いますが、残余の購読期間は引き続きEメール版もしくはペーパー(紙)版を配信させて頂き、購読料を途中返還することは致しませんのでご了解下さい。

BookMarks

TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER(インサイダー)
http://www.smn.co.jp/insider/

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.