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2007年9月28日

INSIDER No.414《RERECORDING》集団的自衛権と集団的安保体制論(再録)

 本誌は04年にNo.175と182の2回連続で「憲法第9条をめぐる対立軸の変位/改憲VS護憲からへ集団的自衛権VS集団的安保体制論」という長い論説を掲載し、さらにそれを補足する資料としてNo.183に国際法の領域における「戦争の違法化の歴史」についての資料を掲載した。テロ特措法をめぐる議論の根底にある問題を整理するのに役立つと思われるので、これらを一挙再録する。

(1)憲法第9条をめぐる対立軸の変位
——改憲VS護憲から集団的自衛権VS集団的安保体制論へ(i-NS175)

 2004年の日本政治は、イラクへの自衛隊派遣をめぐる論争が、7月参院選を経て、そのまま恐らく今年後半に本格化する憲法改正、とりわけ第9条の扱いをめぐる論争に繋がっていくという恰好で基調が形作られることになるだろう。

 実際、通常国会冒頭から与野党対決の焦点となったイラク派兵をめぐっては、小泉純一郎首相は、憲法前文の「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」「いづれの国家も自国のことのみに専念してして他国を無視してはならないのであって」といった個所を(俄勉強の一知半解の域を出ていないものの)盛んに引用して派兵を正当化しようとし、それに対して菅直人=民主党代表は、自衛隊が事実上の戦闘地域に出て行って、国際法的ステータスも占領軍の一員であることからして、派兵の「憲法違反」は明白で、小泉と神崎武法=公明党代表は辞任すべきだと主張した。

 また27日の衆院予算委員会で民主党の生方幸夫が米国追随・国連軽視だと迫ったのに対し、小泉は「現実的に日本に危機が起きた時、国連は国連軍を投じて日本の侵略を防いでくれるわけではない」と、国連の“役立たず”を指摘して、日米同盟重視の立場を強調した。本当ならここで小泉は、同じく憲法前文の「恒久平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの平和と生存を保持しようと決意した」という個所をこそ引用して、国連の場を通じての国際紛争の公正かつ信義に基づく平和的解決こそが基本であって、日米同盟による集団的自衛権の事実上の発動によるイラク派兵やその“見返り”としての朝鮮半島や日本の危機への対応は国連憲章及び日本国憲法の趣旨には合致しないことを認めるべきであったろうが、彼はむしろ、国連をバカにして、日米安保しか頼るものはないという立場を鮮やかにした。

 しかしこのような小泉のスタンスに対して、加藤紘一、古賀誠の幹事長経験者2人が公然と反旗を翻し、また宮沢喜一=元首相も反対を唱えている。さらに、元代議士とはいえ郵政相や防衛政務次官も務めた箕輪登が「イラク派遣は明らかに憲法第9条、自衛隊法に違反する。日本は法治国家であり、総理大臣が法を守らないでいいのか」と、派遣差し止めと慰謝料1万円を求める訴訟を起こした。“慰謝料”は、「イラクの自衛隊員だけでなく、国内外で活動する日本人がテロの標的にされる可能性は明らかに増大し、人間として平和的に生きたいと考える自分にとって耐え難い精神的苦痛である」ことを理由としたもので。極めてまっとうな憲法・法感覚である。旧宏池会を中心にシニア・長老クラスにこのような感覚が根強く残っていることが、ある意味で自民党の健全さである。

 こうしたイラク派兵論争の構図が、そのまま憲法第9条をめぐる論争に引き継がれ、従ってそれは当然にも、さらなる政界再編の引き金となる可能性を孕んでいる。

●改憲論争の構図

 戦後長い間、憲法をめぐる論争の対立軸は「保守=改憲VS革新=護憲」で、その基本的な様態は、保守陣営では、少数ではあるが声の大きい戦前回帰型の“自主憲法”制定論(天皇元首/本格再軍備=自主防衛/徴兵制復活等々)と、それはいくらなんでも極端で、日米安保体制下ではさしあたり個別的自衛権の明示化と自衛隊の存在の認知があれば十分で、そのためには憲法解釈の変更で事足れりとする“解釈改憲”論の多数派とが混在し、それに対し社共両党を中心とした革新陣営では、解釈改憲派が地ならしした道を通って自主憲法派が日本軍国主義を復活させようと企んでいるとの情勢認識に立って、「第9条に一指たりとも触らせるな」と叫ぶ“護憲”論が徹底抗戦の陣形を張った。

 自主憲法論は、戦前へのノスタルジアと「国家たるものかくあるべし」といった観念論とを基礎としていてそもそも時代錯誤であるのに加えて、安保下の戦後の現実では重武装による自主防衛体制など米国はじめ国際社会が許すはずもなく、二重の意味で非現実的であって、中曽根康弘=元首相あたりをその最後の変種として、目に見えて衰退していく。他方、解釈改憲論は、日米安保条約も、本来その下で在日米軍を補完するものとして創設された自衛隊も、解釈によって“合憲”と主張するのであるから、改憲論というより護憲論の一種であり、その枠組みの中で、有事立法の制定、シーレーン防衛に名を借りた対ソ日米共同作戦範囲の拡大、91年湾岸戦争後の自衛隊による機雷処理作戦参加、PKO協力法、日米安保再定義に基づく周辺事態法での“後方支援”容認、そして今回のイラク特措法による自衛隊派兵……とギリギリのところまで積み重ねてきて、しかしこれ以上進んで“集団的自衛権”の容認に踏み出すとなると、もはや原理的転換であって解釈変更によって行うことは出来ないということから、まさにそこを焦点とした改憲論に発展しようとしている。

 自主憲法論が、少なくとも気分の問題として対米自立の契機を含んでいたのに対して、集団的自衛権の解禁をめざす最近の改憲論は、日米同盟重視の立場から、とりわけ冷戦終結後(そして9・11後はますます)、“唯一超大国”として振る舞う米国の要請に応えて日本も海外での武力行使に踏み込もうとするもので、徹頭徹尾、対米追随的であるところに特徴がある。

 もちろん、日米安保条約の双務化——日本が侵略されたときには米軍が支援してくれるのに、米国が侵略されたときには日本は何もしないという片務性を解消したいという問題は、安保が出来たときからの米国の要求であり、上述の一連のなし崩しの解釈改憲は基本的にそれに応えるためのものであった。しかし9・11以降、凶悪なテロに対して国際社会が一致協力して闘うべきだという機運が生じ、国内世論的にも「それは日本だけ逃げるわけにいかないよな」「北朝鮮の脅威も間近にあるわけだし」という雰囲気が広がる中で、保守陣営の中に第9条に手を着ける好機到来という判断が強まっているのである。

 このような新改憲論に対して、旧来型の護憲論はほとんど無力である。それは、“一国平和主義”と揶揄されてきたように、「自分だけよければそれでいい」という狡いエゴイズムと同一視されがちで、それに反論するに、日本は軍事以外の経済、文化、人権等々の分野で積極的に国際貢献すればいいのだと言いながら、そのような非軍事的貢献で世界の人々から賞賛されるような具体的な方策を打ち出して実行に移すわけでもなかった。「ダメなものはダメ」と言っているだけでは、国際的にはもちろん国内的にも説得性を失って袋小路に追い込まれ、これまでもそうだったように、結局のところ「反対」の声を上げている内に保守のやりたい放題がまかり通っていくことになりかねない。そこで、あくまで不戦の原理に立って憲法の前文と第9条の理念を守りつつ、集団的自衛権の解禁には断固として反論し、そのことを含めて第9条を解釈の余地のないほど明確にするための、もう1つの改憲論が必要で、民主党の最近の憲法論にその萌芽が見える。同党が憲法論から逃げずに、国民誰にも分かりやすく理論構築し、条文案も提示して議論を巻き起こすことが、現在有効な唯一の歯止めと言える。

●護憲的改憲論?

 その点で面白いのは、国際法学者である大沼保昭=東京大学教授の「護憲的改憲論」である。同教授は93年に最初に発表され、当時の日本新党の憲法論にも影響を与えたもので、最近の法律雑誌『ジュリスト』1月1日・15日合併号の大特集「憲法9条を考える」の中でも改めてそれを論じている。

 彼の議論の最大のポイントは、「9条の『武力による威嚇又は武力の行使』を、日本自身の個別国家としての利益追求のための武力行使と、国連の決定・要請・授権の下に行われる国際公共価値実現のための武力行使とに区別する」ことである。彼は要旨次のように言う。

「日本が憲法9条を維持し、9条の厳格解釈にしたがった政策をとり、9条の精神を諸国に説き続けるだけでは、国際社会で頻繁に行われる各国の武力行使をやめさせることはできない。(そういう)努力は尊いが、諸国が行う現実の武力行使に対しては、日本も他の諸国と共にさまざまな方法で対処しなければならない。その中で、国連憲章を中心とする国際法によって、武力の行使を、国連による集団的措置、自衛、それ以外の違法・不当な武力行使という範疇に分け、最後のカテゴリーに属すると国連が判断したものには国際社会の全構成員が武力行使を含む集団的措置で対処し、さらに軍縮の努力を積み上げることにより、徐々に武力行使を国際社会から減少させていくという方向こそ、2次の大戦を経た国際社会が営々と取り組んできた道である。日本国憲法はそうした戦争違法化の全人類的努力の重要な一環であり、そのことは、(パリ)不戦条約の語法を引き継いだ9条の文言、憲法前文に示された国際協調主義、憲法制定の過程などから明かなはずである」

 93年当時、本誌は不勉強にして大沼教授の議論を知らなかったが、当時の梶山静六=自民党幹事長が「国連憲章と日本国憲法の関わりを本当に読みこなす必要がある」と発言したのを捉えて、同年2月1日号(旧インサイダーNo.288)で「《資料》国連憲章と日本国憲法——戦争の違法化の歴史」と題した長い記事を載せ、その冒頭で「たぶんその最も正しい読み方は……」として次のように述べた。

「第1に、国連を、第2次大戦の戦後処理機関としてスタートしたその歴史的制約と、さらに冷戦が始まったことによってますますそのあり方が歪められてきた現実と、その二重の限界から解き放って、改めて憲章の根本に立ち返り、場合によって『第3の国連』ないし『地球共同体協議会』のようなものを新たに創設するくらいの意気込みで、国連改革を推進する。

 第2に、立ち返るべき憲章の平和理念とは、紛争解決の手段として個別国家が武力を用いることを原則として否定して、にもかかわらずどうしても武力行使が必要な場合には、国連に超国籍的な『国連警察軍』のようなものを設置してそれに解決を委ね、その代わり各国ごとの軍備は限りなく縮小し、最終的には廃絶することをめざすという、いわゆる『集団安全保障体制』の考え方であり、そこへ向かって世界的なコンセンサスを作り出していく先頭に日本が立つ。

 第3に、そのために日本は、一国の国益確保の手段である自衛隊をいかなる名目の下でも海外に派遣することはせず、他方『国連警察軍』のようなものが適切な運営・指揮体制の下で実現した場合に日本人が『国際公務員』すなわち国連職員の資格でそれに積極的に参加し、また応分の資金も負担する用意があることを、憲法的にも明確にする。

 第4に、その場合には自衛隊は分割・再編され、必要最小限の国境警備隊的な本来の自衛隊の存在を認める一方、陸上部隊の大半を国連警察軍に提供する。あるいはさらにその一部は、非武装の災害緊急派遣部隊あるいは地球環境防衛隊(グリーン・ベレー)としてもよい。国内の自衛隊は国連の警察軍機能が充実するにつれ縮小・廃絶され、また国連警察軍は世界にそれを必要としなくなるルールが確立するにつれ縮小・廃絶されることを予定する……。

 そのように国連憲章と日本国憲法の関連を捉えて、その両方を条文上でもはっきりさせて趣旨を徹底するよう努めることが、真の国連中心主義であり、また憲法を尊重する道筋である」

 その数年後、小沢一郎とこのことについて語る機会があったが、彼は、(1)国連の枠組みでの平和維持活動に日本が積極参加すべきであること、(2)米国の例えばベトナム戦争のような“私的な”戦争に集団的自衛権を発動して参加することは違憲であり絶対にしてはならないこと、(3)自衛権は個別的自衛権でさえもそれを口実に対外侵略が行われてきた歴史を踏まえて極めて制約的に運用すべきであること、(4)冷戦後の防衛構想を確立し、その下で自衛隊を分割・再編・縮小する案には賛成であること——などを述べた。本誌の“護憲的改憲論”とほとんど一致していたわけで、唯一違いがあったのは、91年湾岸戦争タイプの、確かに国連決議の裏付けはあるけれども米国指揮下にある多国籍軍に日本が参加することの是非であった。国連軍が編成できない現実では多国籍軍が役割を果たすのは当然というのが小沢で、そうは言っても多国籍軍というのは国際法上は各国の国権発動が束になっただけという疑いがあり、実体的には米国がうまく国連を利用したという一面があって、無条件で参加ということにならないのではないかというのが本誌だった。

 その点をはじめいくつもの論点が残るが、しかし、小沢の国連(および将来の東アジアの地域安保機構)による集団的安全保障体制を是とし、集団的自衛権による対米軍事協力をそれと峻別するという立場は、今日まで一貫しており、昨夏の民主・自由合流後の小沢と横路孝弘の会談でその点で改めて一致したことが示すように、これを基礎にして民主党が第9条の扱いについて説得的な代案を提起することは可能である。

 こうして、憲法論議は、自民党の集団的自衛権解禁論と民主党の集団安全保障論が鋭く原理的に対立する形で始まって行く公算が大きい。▲

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(2)憲法第9条をめぐる対立軸の変位(続)
——旧式護憲論の破綻の後に(i-NS182)

 前稿で、旧来の非武装=絶対平和主義による第9条解釈に立つ護憲論では、集団的自衛権に名を借りて海外派兵に道を開こうとする保守側の新改憲論に対して無力であることを指摘した。

 旧式護憲論が無力なのは、第1に、自衛隊の存在そのものを違憲とすることによって、個別的自衛権さえも事実上、否定してしまうことになって、「日本がいざ侵略されたらどうするの」という素朴かつ最も基本的な問いに対して答えを持たないからである。

●山内敏弘流護憲論の破綻

 旧式護憲論の代表的論客である山内敏弘=龍谷大学教授は、『ジュリスト』1月1日・15日合併号の大特集「憲法9条を考える」の巻頭座談会で、(1)憲法第9条第1項の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」との規定が、侵略戦争を否定しつつも、自衛戦争と制裁戦争は許容したものであるという国際法の世界の常識については、「それはそうですよ。私も1項はそうだと思います」と言いながら、(2)第9条第2項で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」との規定は、政府の解釈によっても「自衛のためであれ戦力保持はできない」ことを意味していて、(3)そうだとすると、「憲法で禁じられた戦力」と「憲法で認められた自衛力」について政府が明確な説明をしないまま、「現実に自衛隊は世界でベスト5に入るような、約5兆円という多額の防衛経費を支出し、定員約26万人の組織を持つ紛れようもない軍隊」すなわち事実上の戦力を育てているのは違憲である——という論旨を展開している。

 山内が錯乱的なのは、1つには、自衛権を認めながら(集団的自衛権はともかく個別的自衛権を認めないわけにはいかないだろう)その実体的保証は何かについて語ることを避けている点にある。外からの侵略に対処するには、一般論として、(1)重武装の本格軍隊(戦力?)による自主防衛、(2)軽武装の国境警備隊的な自衛戦力(自衛力?)による専守防衛、(3)侵略軍に対する群民蜂起や占領軍に対するパルチザンなど全人民的な武力抵抗、(4)組織的な非暴力不服従運動、(5)無抵抗主義——などがあるが、山内は「自衛隊など必要なく、それがなくとも日本の安全は保てる」という立場だから、(1)はもちろん(2)も否定する。(3)と(4)は理屈の上では防衛構想の対案となりうるけれども、それならそれで普段から覚悟と準備が必要で、それなしには何のリアリティもない。非武装憲法を持つコスタリカでは、隣国ニカラグアの情勢が緊迫した時には市民が鉄砲を持って国境に終結したというが、そういう腹の据わり方は山内にも社民党・共産党にもないだろう。とすると彼は多分(5)で、それならそうと明言してくれれば分かりやすいのだが、つまりは集団的のみならず個別的自衛権さえも放棄することを主張しているのと同じことになる。これでは、自分の言っていることと辻褄が合っていないし、80%が「自衛隊は必要」と考えている国民の意識から余りにかけ離れている。

 それを指摘されると山内は、「世論調査で9条を改めることに賛成ですか、反対ですかと問いかけた場合、今の9条を維持したいと考える国民が過半数を占めている」「自衛隊が必要だという人たちの中でも、自衛隊がこれまで何のために役立ってきたかと問いかけると、圧倒的多数は災害派遣のために役立ってきたと言っている」——つまり、国民の過半数は非武装を支持しており、自衛隊が必要だとする人たちの圧倒的多数は国防のためでなく災害派遣のために必要だと考えているにすぎないと主張する。ここまで来ると、滑稽を通り越して悲惨で、イデオロギーの囚われ人がどれほど現実を見失うかの見本と言える。9条を維持したいと思う人たちの中には、(1)自衛隊は違憲だから即事廃止、もしくは縮小・削減すべきだ、(2)自衛隊廃止とは言わないが非武装の理想はあくまで掲げ続けるべきだ、(3)自衛隊が大きくなりすぎるのを防ぐ歯止めとして9条維持が必要だ、(4)9条でも自衛権は認めていて自衛隊は合憲なのだからこのままでいい——など、いろいろな9条観があるはずで、これをすべて(1)に流し込もうとするのは無理がある。また「自衛隊がこれまで何に役立ってきたか」と問えば、今まで一度も戦争がなく、目に見えた組織的活動としては災害派遣しかなかったのだから、そういう答えが返ってきて当たり前である。それを国民の多くが自衛隊は国の安全のために必要だと考えていないことの証拠であるかに言うのは無茶苦茶である。

 このような旧式の非武装・絶対平和主義では、「北朝鮮のミサイルが飛んできたらどうするんだ」という素朴な不安に答えることが出来ない。山内は「少しリアルな認識をしてみたときに、突然、北朝鮮が日本にミサイルを撃ってくるなどということは、ちょっと考えられない」と言うが、「ちょっと考えられない」から非武装でいいということにはならない。確かに、本誌もしばしば主張してきたように、第1に、何もない平時に、ある日突然、北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込むということは99.9%あり得ない。金正日にはそうする理由も動機も考えられないからで、残り0.1%の可能性は彼が気が狂ってしまった場合だが、通常、戦略ゲームはお互いが最小限の合理的思考を保っているという前提でしか成り立たないことになっている。第2に、しかし、米ブッシュ政権が半ば発狂して北の核施設その他を“先制攻撃”する可能性は50%程度であり、その場合に金正日が100万歩兵をソウルに殺到させると同時に、韓国や日本にミサイルを撃ち込む可能性は50%程度であると仮定すれば、日本・韓国・中国の共同努力がブッシュの先制攻撃衝動を押さえ込むのに失敗した場合に日本が北のミサイル攻撃を受ける可能性は25%であり、それに備えない訳にはいかない。付け加えれば、第3に、その時に北のミサイルに通常爆弾か核爆弾のどちらが装着されるかは、ほとんど問題ではない。通常爆弾搭載のミサイルで韓国や日本の原子力発電所を攻撃すれば立派な核攻撃となりうるからである。

 北朝鮮にせよ将来の中国にせよ、その他どこの国にせよ、日本にとって直接の軍事的脅威となることは「ちょっと考えられない」のは事実であり、またそうなることを予め防止する2国間および多国間の系統的な外交努力が何より優先されなければならないことは言うまでもないが、しかし日本への軍事攻撃は100%あり得ないと断言することは誰にもできない以上、万が一それが起きたときには日本国民はいかにして自衛権を発動するのかについて、非武装論者ははっきりとした代案を示さなければならず、それを怠る限り、保守側による脅威の誇大宣伝を利用した集団的自衛権の解禁への世論操作に敗北し続けるほかないだろう。

●軍事的国際貢献のサボタージュ

 旧式護憲論が無力なのは、第2に、日本が世界の平和維持・構築のために積極的に国際貢献をなすべきであることは認めながら、しかし、その貢献は非軍事分野に限定すべきであると論証抜きに決め込んで、しかも、その非軍事的貢献について実際には何の具体的な組織・行動プランも示していないからである。これでは、「世界第2の経済大国である日本が平和のために汗も血も流さないのは卑怯者の誹りを受けるのではないか」という素朴な疑問に答えることはできない。

 前出『ジュリスト』巻頭座談会で山内は「国際貢献」について、(1)戦後半世紀以上、日本が果たしてきた最大の貢献は、かつてのように他国を侵略せず、従って他国民も自国民も殺すことがなかったことである、(2)国際秩序の一翼を日本が担う必要があると思うが、軍事協力だけが協力でなく、非軍事の協力もいっぱいあり、日本としてなすべきことがいくらでもある、(3)むしろ、現実の国際社会に日本が近づくのでなく、日本に国際社会が少しずつ近づいて、戦争が起きない方向に持っていくべきだ——などと発言している。

 (1)については、確かにGHQがこの憲法を作った狙いはそこにあって、日本は2度と侵略国家になる芽を摘まれたのだが、冷戦後の今になってまだそれを以て“貢献”だと言い張るところに、この人の古色蒼然がある。司会の高橋和之=東大教授があきれて「他国を侵略もせず戦争もしなかったということは、当たり前のことをやっているだけのことで、それを“貢献”と呼びますか」と問いかけても、山内は「アジア諸国との関係においては非常に重要な意味があり、それをいまこの時点で私は評価する」と譲らない。日本国民でもアジア諸国民でも、今の時点で日本が近隣を再び侵略する危険があるなどと誰が考えているだろうか。山内の考えは恐らく、日本資本主義は放っておけば再び領土的・資源的野心のために近隣を侵略し植民地支配する衝動を抑えがたく持っていて、憲法第9条があるために辛うじてそれを抑えてきたということなのだろうが、今日の日本資本主義にそのような衝動はない。

 (2)については、国際貢献に軍事的と非軍事的の両方があるというのは、基本的には正しい。しかし、日本は軍事的貢献はやらなくてよく、非軍事的貢献だけをやるべきだということの論理的な根拠は、山内は持ち合わせない。高橋は言う。

「国際秩序を守るのに軍事力を必要と考えるか、考えないか、というのがまず第1の分かれ目ではないでしょうか。国内の治安については、警察力は必要だと(山内も)考えているわけですね。では国際の平和と安全については、軍事力は必要でないのか。もし必要だと考えるなら、次の問題として、日本がそれに貢献しなくてよいのか、『私たちは憲法で決めているからやりませんよ』ということが許されるのか、という問題なのだろうと思うのです」

 また五十嵐武士=東大教授も要旨次のように言う。

「山内さんのおっしゃるのは、私も10年ぐらい前はそう思っていました。しかし、それにはある種の自己欺瞞があるかもしれない。というのは、日本が軍事行動を起こさないことが国際的に貢献したことは間違いないが、そのことによって、国際的な平和を実現できたのかというと、実現できていないのです。いろいろな貢献の仕方があるし、ODAその他の非軍事的貢献をそれなりにやってきたのは事実だが、今のPKOの状態などを見ていても、日本は軍事力を派遣しないということで済むのか。それは結果的に、不作為によってアフリカなどの戦闘で人々が殺戮されるのを放置しているという問題にもなる」

 これらの問いに対して山内はまともに答えず、「非軍事でしなければならないことがいっぱいあったにもかかわらず、国際貢献というと軍事的な協力だけが強調されてきたところに、非常に大きな問題がある」「イラク特措法による国際協力というのは、国際社会全体の要請でも何でもなく、まさに国際協力の名の下にイラクの民衆を大量に殺戮するという行為がなされ、それに日本も荷担することであるわけで、作為によりそのような国際平和に対する侵害行為をするのだったら、日本はむしろ不作為の道を選ぶことが必要ではないか」と語っている。

 非軍事の国際協力で他国に文句を言わせないほどのことを積み重ねてきていないから軍事貢献もやれと言われてしまうのであって、だから政府が悪いと批判していても始まらない。非武装論者は誰にも文句を言われないような非軍事国際貢献の論理と行動計画を提示しなければならない。また、米国の対イラク戦争が国際法的に違法であり、日本がそれに荷担することが政策論のレベルで国際法的のみならず憲法的にも問題があることは言うまでもないことであるけれども、だからと言って憲法論のレベルで一般論として一切の軍事貢献をすべきでないことの論拠にはならない。

 (3)については、日本国家としての外交理念としては正しいし、国際平和運動の方針としてであればなおさら正しい。憲法論のレベルでも、理念として日本が非武装の理想を掲げ続けることは絶対に必要なことである。しかしそれは、日本が一切の軍事的貢献をしないことの理由にはならない。山内が致命的に理解していないのは、日本が非武装の理想に近付く唯一の道筋は、単にそれをお題目として唱えていることではなくて、国連および(将来の)アジアの地域的な集団安全保障体制の枠組みの下で、日本が誰よりも積極的に軍事貢献を買って出ることだという点である。

●国連憲章と日本国憲法の表裏一体

 結局、山内的錯誤の根源は、前回で引用した大沼保昭=東京大学教授「護憲的改憲論」が言う「9条の『武力による威嚇又は武力の行使』を、日本自身の個別国家としての利益追求のための武力行使と、国連の決定・要請・授権の下に行われる国際公共価値実現のための武力行使とに区別する」ことができないところにある。

 このことを理解するには、まず、国際法の領域における“戦争の違法化”の人類的努力を振り返らなければならないので、前稿でも引用した93年の本誌「《資料》国連憲章と日本国憲法——戦争の違法化の歴史」に若干の補正を加えたものを別稿として添えておく。

 この《資料》のように、戦争の違法化を一貫した流れと捉え、その中に国連憲章と日本国憲法を理念的に表裏一体のものとして位置づけることには、国際法学者や憲法学者の中にも強い異論が存在する。とりわけ、国連憲章が集団安全保障体制の下での軍事制裁と、それが間に合わない間の各国の個別的・集団的自衛権の発動とを認めていることを以て、「国連は究極的に武力による平和をめざす体制」であって、すべての武力行使と戦力保持を禁じた日本国憲法とは相容れない関係にあるとの見解は、旧式護憲論の非武装論者の間では根強いものがある。

 第1に、国連が二重の意味で限界を抱えていることは事実である。1つには、それはまさに第2次大戦の「連合国」という日独伊枢軸国に対する軍事同盟体制を母として生まれてものであり、結成時もその直後も、日独伊の軍国主義とファシズムの復活を強く警戒すべき状況にあったため、連合国5カ国からなる安保理常任理事国に強大な権限を与え、軍事的制裁措置に関する規定を盛り込まざるを得なかったという、歴史的な制約がある。2つには、その警戒の必要はたちまち消滅したものの、今度は米ソが冷戦に突入し、NATOとワルシャワ条約機構を正面にお互いに世界的に軍事同盟を張り巡らせて事あるごとに対立する時代が始まり、そのような国際政治の現実によって国連は裏切られ続けなければならなかった。

 2つの点とも、国連もしくは地域的な集団安全保障体制を作り上げて、原則として、可能な限り、紛争の平和的手段による解決を目指し、戦争のない社会を実現しようという考え方と、それは理想にすぎなくて、実際には国家間の戦争は簡単にはなくならず、各国の武装と軍事同盟による集団的自衛が安全保障の本筋であるとする考え方との、相克の歴史の一コマ一コマを表している。歴史的・現実的な制約によって国連の理念が実効あるものとはならなかったからと言って、それが始めからこんな程度のものだったと決めてしまうのは間違いで、1つ目の点は、今こそ国連をその歴史的限界から解き放って、安保理のあり方や拒否権の問題を含めて「第3の国連」を創設するくらいの意気込みで改革するという、国連改革の課題として設定し直さなければならない。2番目の点は、冷戦が終わって国連がようやく本来の機能を発揮すべき好機が到来しているというのに、米国がそのことをまったく理解せず、一国覇権主義による米国中心の“武力による平和”秩序に向かって暴走している中で、日本がユーラシア大陸諸国と連携して、いかにしてこの世界最大の“ならず者国家”を押さえ込むかという外交戦略の課題として取り組まなければならないだけのことである。

 第2に、そのような偏見を取り除いて国連憲章を見れば、それが武力による威嚇と武力の行使を禁じ、あくまで紛争の平和的解決の仕組みを作り出そうと苦心惨憺したものであることは明かで、それが第6章33~〜8条の数々の手続きの積み重ねと、それらが破綻した後でいよいよ軍事制裁に出なければならないような状況に至った場合でも、なお安保理による要請、勧告、措置決定をはじめ、経済制裁、通信手段の中断、外交断絶、軍による示威・封鎖など(第7章39〜42条)などに表れている。軍事攻撃に至るまでに、ありとあらゆる手段を尽くして平和的解決を図ることに国連の本旨があることは疑いのないところで、それでもダメだった場合には、安保理の下に各国が兵力を提供して「国連軍」を編成するのである。この国連軍が、安保理の直下に形成される軍事参謀委員会の「戦略的指導」の下に置かれることが問題の眼目で、それによって同軍の武力行使または威嚇行動は、個別国家の国益のための、国権の発動としての、従って私的な戦争とは、本質的に峻別される。

 第3に、その上で、安保理が必要な措置を採るまでの間、各国が集団的・個別的自衛権を発動することが認められている(51条)わけだが、それは、あくまで平和的解決が破綻した場合の“例外”としての国連軍であり、その国連軍が間に合わない場合の“例外の例外”としての自衛であるという構成となっていることを見誤ってはならない。しかもその場合の自衛措置は、直ちに安保理に報告する義務があるなど、勝手にやってはならないよう制約が課されている。このように、極めて制約的に個別的・集団的自衛権の行使による自衛を認めた51条を以て、「国連憲章でもはっきりと認められている集団的自衛権」なのだから日本もそれを解禁すべきだと主張する保守側の理屈は、都合のいいところだけ引っ張ってきて、国連が本来、その行使を例外中の例外としていた趣旨を歪めるご都合主義にすぎない。

 そのように考えれば、国連憲章と日本国憲法の表裏一体関係は明かである。両者は矛盾するのでなく矛盾しないのであり、しかも単に消極的に矛盾しないというにとどまらず、国連による平和的解決とそれが破綻した場合の軍事措置としての国連軍が機能すればするほど、各国は個別の膨大な軍備を削減し最後には廃絶することができるという能動的な一致関係にあるのである。

 これは実は簡単な話で、高橋が「国内の治安については、警察力は必要だと考えているわけですね。では国際の平和と安全については、軍事力は必要でないのか」と問うたのに対して、山内はまともに答えなかったが、まさにそこに核心がある。日本では、米国と違って各戸は武装せず、警察官にだけピストルを持たせることほうが、よりよく治安秩序を保つことができるという考え方に立つ。これは、各戸が武装せず、強盗に入られて110番しても警官が間に合わずに殺されてしまうかもしれないリスクと、各戸が武装することで余計な銃犯罪や誤射が激増するリスクと、どちらを採るかという問題であり、日本はもちろん多くの国々は前者を採る。しかし警官にも武装させないというほど人類はまだ進化(?)していない。国際平和秩序も同じことで、理想的な形では、国連の常設警察軍だけが軍備を持ち、各国は個別の武装を持たないほうがよい。しかしそれはいきなり実現することではないので、1つのプロセスとして考えて、国連の警察機能を充実させ、そのために日本も積極的に関与し参加することを通じて、初めて非武装の理想に近付いていくことができると捉えなければならない。非武装を唱えながら現実の平和維持・構築活動に参加しないということこそ、論理矛盾なのである。

 本誌の知る限り、このことを最初に整理した形で提起したのは高野雄一「憲法第9条」(『日本国憲法体系(2)』所収、有斐閣、1965年)で、そこで彼は(1)国際社会の“現実”を日本国憲法の“理想”に近づけるための努力を惜しむべきでない、(2)日米安保条約中心主義を国連中心主義に転換する、(3)国連主義の実践として日本は「国連警察軍」に積極参加する、(4)そのためにのみ再軍備する、(5)そうして初めて第9条は定着し安定する——という趣旨を述べた。

 さてそのように国連の平和維持・構築活動に積極的に参加することが非武装の理想に近付くことだと考えるとして、実際の国連の活動としてはPKO、PKF、国連の決議を背景にした多国籍軍(そうでない多国籍軍は論外)、将来できるかもしれない臨時の国連軍、常設の国連軍——といろいろなレベルがある。そのどれにどういう条件で参加するかしないかを区分けする基本的な分水嶺は、大沼教授も言うように、指揮権が日本(個別的自衛権)や米国(集団的自衛権)にあるような国権発動としての私的な対外戦争であるか、国連の指揮下で各国から提供された軍隊は国籍は持つものの臨時か恒常的か国連職員=国際公務員として振る舞うことが求められるような公的な軍事行動であるか、である。日本政府の伝統的な立場は、国連の枠組みであろうと、日本が海外で軍事行動を採ることは違憲であり、武力行使と“一体化”しない限りの“後方支援”なら違憲でないというものだが、これは、私的戦争と公的軍事・警察行動との区別が付いていない点で、旧式護憲論の立場と同曲である。ところで保守側は、現憲法ある限り日本の国際貢献はそれ以上前に進むことができないという判断から改憲を策しているが、その限界を集団的自衛権の解禁で突破しようとするのは、間違いの上に間違いを重ねることでしかない。しかし、海外の武力行使はすべていけないとする旧式護憲論では、出発点において保守側と同じ間違った次元に立っているので、これに抵抗することはできても代案を提起することはできない。これらについてはさらに稿を改めて論じることにしよう。▲

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(3)《資料》戦争の違法化の歴史(i-NS183)

▼(1)前史

 18世紀から20世紀初頭に至るまでは、戦争についてどちらが正義でどちらが不正義であるかを決めることは出来ないというのが国際法学の支配的な考え方であったが、20世紀に入るとそのような考えは否定され、戦争の未然防止や武力行使の制限を国際条約に盛り込もうとする努力が始まった。先駆的なものとしては次の2つがあった。

1)07年に第2回ハーグ平和会議で署名された「契約上の債務回収の為にする兵力使用の制限に関する条約(ポーター条約)」——それまでヨーロッパ諸国が,自国民の債権の取り立てのために中南米諸国などにいとも簡単に武力行使あるいは武力による威嚇を用いていたのに対し、中南米諸国が私人との契約不履行を理由に本国政府が軍隊を動員することをやめさせることを提唱して実現したもの。

2)1913〜14年にアメリカが欧米の30数カ国と2国間で締結したいわゆるブライアン条約——戦争を平和的に解決するため、紛争処理のための常設委員会に付託し、その審査中は武力に訴えることを禁止する「戦争モラトリアム(猶予期間)」を定めた。

▼(2)国際連盟

 1914年に始まった第1次世界大戦は歴史上初めての大掛かりな無差別大量殺敷戦争であり、その反省に立って戦争を違法化しようとする努力が本格的に始まった。1919年に結ばれたヴェルサイユ講和条約・第1編として「国際連盟規約」が作られ、

1)前文で「締約国は戦争に訴えざるの義務を受諾し」と、不戦の義務を明示。

2)第11条で「戦争または戦争の脅威は…総て連盟全体の利害関係事項」であり「連盟国際の平和を擁護するため適当かつ有効と認める措置を執る」と、集団安保体制の考え方を初めて規定。

3)第12、13、15条で、紛争発生時にまず国際裁判もしくは連盟機関による審査に付して平和的に解決する手続きを規定。この中で、紛争に際しては国際裁判もしくは国際連盟機関による審査に報告・付託し、それから3カ月の冷却期間はいかなる場合も戦争に訴えてはならないとしたが、これは上述のブライアン条約の方式を踏襲したものであった。

4)第16条で、その手続きの約束に反して戦争に訴えた国に対して「他のすべての連盟国は一切の通商上または金融上の関係を断絶し、自国民と違約国民との一切の交通を禁止し」などの非軍事的制裁をおこなうこと、また兵力を使用する場合に理事会が陸海空軍の分担を提案する義務を負うことを定めている。さらに、この連盟規約の運用を具体的にするため、1924年に国際紛争平和的処理に関するジュネーブ議定書も作られた。

▼(3)ロカルノ条約とパリ不戦条約

 連盟規約の不戦条項の精神をさらに明確にするため、1925年にスイスのロカルノで欧州諸国が集まって、ライン地方の現状維持に関する相互保障条約(ロカルノ条約)その他を結んだ。同条約は、ライン地方の非武装化を含めてドイツ西部国境の現状維持を保障するため、当事国である仏・独・ベルギーが相互不可侵と紛争の平和的解決を約束し、それを英・伊が保障国として見守るという地域的な集団安全保障体制を成立させた。当時これは「欧州の和解」と賞賛され、英仏独の外相にノーベル平和賞が与えられたが、11年後のヒトラーのライン侵攻で紙切れと化した。

 ロカルノ条約を受け継いで、1928年にはパリでより包括的な「戦争放棄に関する条約(パリ不戦条約)」が結ばれた。日本は裕仁天皇の名で署名したこの画期的な条約は、

1)前文で「国家の政策の手段としての戦争の共同放棄に世界の文明諸国を結合せんことを希望し」と、不戦の理念を格調高くうたった上で、

2)第1条で「締約国は、国際紛争解;決のため戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することを宣言する」と、否定されるべき戦争の性格を明確化。

3)第2条で「一切の紛争は、その性質または起因の如何を問わず、平和的手段による以外の解決を求めないことを約す」と、武力行使一般をも否定したが、当時からの解釈で、自衛のための戦争や、連盟規約などによる集団的な制裁のための戦争や、不戦条約に違反して戦争行為に出た国に対する戦争などは許されると見なされた。そのため、せっかくのこの条約も、それぞれが「自衛」のためと称して武力に訴え、世界が再び大第2次大戦へと転がり込んでいくのを防ぐことは出来なかった。

▼(4)大戦前の各国憲法

 憲法の条文に戦争放棄を盛り込んだ最初は、

1)1791年のフランス憲法——フランス国民は、征服の目的をもっていかなる戦争を行なうことを放棄し、またいかなる人民の自由に対しても決して武力を行使しない」とし、その趣旨は後の同国憲法にも受け継がれた。

 他に第2次大戦前の不戦憲法の例としては、

2)1931年のスペイン憲法——「スペインは国家的政策の手段としての戦争を放棄する」

3)1935年のフィリピン憲法一一「フィリピンは国策遂行の手段としての戦争を放棄」

 などがある。この「国家的政策の手段としての戦争」の否定が戦後の日本国憲法にも流れ込んでくることになる。

▼(5)国際連合憲章

 1945年に第2次大戦が終わり国際連合が発足した。その憲章は、

1)前文で「国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し」と武力不行使の原則を打ち出している。

2)第1章第1条〔目的〕で「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること、並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」(第1項)、「人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること、並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること」(第2項)

3)同第2条〔原則〕で、国際紛争を平和的手段によって解決しなければならないこと、国際関係において武力による威嚇又は武力の行使を慎むこと、加盟国が憲章に沿った国連の行動にあらゆる援助を与えると同時に国連の防止行動・強制行動の対象国に援助を慎むこと、を挙げている(第3〜5項)。

 以上の目的と原則は、前の連盟規約と同様、あくまで紛争を平和的に解決することを主眼としながらも、それが破綻した場合に、連盟規約では集団的な強制行動についての規定が不十分で機能しなかったことの反省に立って、その後段の部分を強化する企図を表したものとされる。それについては第7章で細かく規定される。また前段については第6章が具体化している。

4)第6章「紛争の平和的解決」で、第33〜38条にわたって紛争の平和麓解決の義務、安保理による調査と手続きの勧告、加盟国による安保理及び総会への注意喚起、紛争当事国による安保理への付託などの手続きを規定。戦争モラトリアムの定めはなくなった。

5)第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」で、安保理による勧告と措置の決定(第39条)、それ以前の当事者に対する暫定措置の要請(第40条)、経済関係及び運輸通信手段の中断並びに外交関係の断絶などの非軍事的措置(第41条)、それで不十分な場合の陸海空軍による示威、封鎖その他の軍事行動(第42条)、加盟国がその兵力を提供〔して国連軍を編成〕する場合の特別協定(第43条)などを規定している。また安保理に任された兵力の戦略的指導には軍事参謀委員会が責任を負い、その指揮については後に解決する、としている(第47条)。

6)同第51条では、加盟国の個別的・集団的自衛権と国連による集団安保体制の関係について、安保理が必要な措置をとるまでの間は自衛権を発動することが認められること、その自衛権行使のために各国がとった措置は直ちに安保理に報告することなど、自衛権の濫用を抑さえる趣旨の規定が盛られた。

▼(6)日本国憲法

 国連憲章の翌年に作られた日本国憲法は、その起草に当たったGHQ民政局の初会合で、「国連憲章に明示的に言及する必要はないが、国連憲章の諸原則はわれわれが憲法を起草するにあたって念頭におかれるべきである」とされたことが示すように、国連憲章が理想として掲げたものとの連動性を十分に考慮してつくられたものである。日本国憲法は、

1)前文で「日本国民は、恒久の平和を祈念し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と、武力による平和という観念そのものを否定した。

2)第9条で「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達するため・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とした。

 第1項の前段が、政府もしくは議会が正式に戦争と宣言した大掛かりな武力行使はもちろん、その他の形のいかなる武力行使も、また武力による威嚇も否定していることに疑いの余地はないが、後段の「国際紛争を解決する手段としては」という限定が何を意味するかについては……

(A)国連憲章との関係、当時のGHQの意図と日本政府の説明などの背景に照らしても、また条文上、戦争ないし武力行使はいずれも国際紛争解決の手段であってそれ以外のものがあるわけはないので、第1項がすでに自衛戦争、制裁戦争を含むすべての戦争を禁止しており、第2項は念押しのようなものだとする解釈、

(B)その限定は上述のパリ不戦条約の第1条がそう解釈されたように、侵略戦争を否定したのであって、自衛戦争、制裁戦争は否定していないと見て、しかし第2項で交戦権が否定されたことで、結果的に両項を通じて自衛戦争も制裁戦争も放棄されたとする解釈、

(C)第2項は侵略戦争のための戦力保持と交戦権を否定したのであり、両項を通じて自衛戦争や制裁戦争は否定されていないとする解釈、

 ——に大きく分かれる。(A)は自衛隊は違憲であり、まして国連の広義の平和維持活動への自衛隊の参加は出来ないという立場に、(B)は自衛隊は違憲でないが、多国籍軍や国連軍に加わるには改憲が必要という立場に、(C)は自衛隊が合憲であるのはもちろん、多国籍軍などに参加するにも改憲は必要ないという立場に、それぞれ繋がることになる(大雑把に言ってであり、他にバリエイションはいろいろある)。

▼(7)その他の条約・各国憲法

 国連憲章の規定を補完する宣言などには、

1)1970年国連総会決議付属書「友好関係宣言(国連憲章にしたがった諸国間の友好関係と協力に関する国際法の諸原則についての宣言)」

2)1946年国連総会決議「軍縮大宣言(軍備の全般的な規制及び縮少を律する原則)」

3)1978年の第1回国連軍縮特別総会「最終文書」、1982年の第2回「最終文書」

 ——などがある。この外、核実験禁止、核兵器不拡散と原子力平和利用、戦略核兵器制限、核戦争防止、化学・生物・環境兵器禁止、通常兵器制限、武器移転制限、地域軍縮と信頼醸成措置などの分野にわたって、数多くの条約や宣言・決議が国連を中心に積み重ねられてきた。その主なものだけでも50件を超える事実が、戦後の国際社会が戦争の違法化と世界の非軍事化のために払ってきた努力の証明である。

 また、趣旨はいろいろながら、戦後に出来た不戦の憲法には、ブラジル(46年)、ビルマ(47年)、イタリア(47年)、ドイツ(49年)、コスタリカ(49年)、オーストリア(55年)などがある。コスタリ力は常設の軍隊を禁止した。

▼(8)CSCE不戦宣言

 こうした戦後の流れの中で、ヨーロッパでは1975年、冷戦下でありながらいち早く地域的に集団安全保障体制を確立することを目指した「全欧安保協力会議(CSCE)」が設立され、ヘルシンキ宣言を発した。戦争のない1つの欧州を目指すその活動は、15年後の1990年11月、NATOとワルシャワ条約機構の全加盟国22カ国首脳がパリに集まって冷戦の終結を宣言した「不戦宣言」を生んだ。同宣言は、「武力の威嚇・行使を控え、兵器を自衛および国連憲章に従う場合を除いて使用しない」ことをはじめ、「戦争の防止および効果的防衛に必要な軍事力のみを保持する」「通常・核・化学兵器の軍備管理・軍縮への積極的貢献を決意する」「信頼醸成措置の発展を支持する」などの項目を盛り込み、国連憲章を起点とし日本国憲法の趣旨も含む戦後のこの分野での国際社会の努力の成果を総括した内容となっている。

 EC=EUとCSCEは、戦前の国際連盟によって初めて提起され、戦後の国連においても本来理想とされた集団安保体制を地域的に実現することを目指すものだが、一面では、主権国家の集合体としての国連の限界を超えて、各国の内政に相互に干渉しあうことを通じて「不戦共同体」を実現しようとしている点で、21世紀の「第3の国連」の質を一部具現しているとも言える。

 CSCEはその後、「全欧安保協力機構(OSCE)」として常設機構化されたが、その精神と枠組みを嫌う米国が、本質的には冷戦時代の遺物である北大西洋条約機構(NATO)にあくまでこだわって、米国の実質的指揮権の下での集団的自衛権の発動でコソボ、イラク、対テロなどの戦争を遂行しようとしてきたために、OSCEの機能は麻痺している。その矛盾を打開するため、仏独を中心に「欧州共同軍」を創設して米国に引き回されるのを回避しようという動きが増していて、状況は複雑だが、理念的にはOSCEの地域的集団安全保障とNATOの集団的自衛権とが対抗関係にあることに変わりはない。▲

INSIDER No.413《OZAWA》国連、憲法、自衛隊──小沢の軽井沢講演要旨

 民主党の小沢一郎代表は9月3日、長野県軽井沢で開かれた参議院民主党・新緑風会研修会で講演し、その中で、テロ特措法に関連して彼が「理念、哲学の違い」と呼んでいるものについて基本点を述べた。以下、速記録からその該当部分を要約紹介する(小見出しは本誌による)。

■自衛権発動と国連平和活動参加との峻別

 今度の国会の最大の焦点になっておりますテロ特措法の話でありますが、マスコミは、なんか私が個人的な見解を一方的に発現しておるかのごとく言う人がおりますけれども、決してそうではありません。その基本方針の政策の中に書いてありますし、またマニフェストでも、イラクについてもテロ特措法についてもちゃんと書いておりますので、あとで目を通していただきたいと思います。マグナカルタの「外交・安保政策」の最後の部分をご覧いただきたいと思います。2つの文章になっています。

 1つは、自衛権の問題について書いてあります。自衛権は、私どもが急迫不正の侵害を受けた場合、簡単にいえば我々が攻撃を受けた場合にのみ行使する。安保条約に絡んで周辺事態法というのがありますが、放置しておくと我が国への侵略につながる、そういう周辺の事態、いわゆる「準有事」ですが、周辺事態法にはその規定が書いてありますけれども、我々の基本的な考え方は、とにかく攻撃を受けたときのみは自衛権を行使する。すなわち武力で反撃する。そうでない限りは、個別的とか集団的とかに関わらず、武力の行使、自衛権の発動はしない、ということが第一の文章に書かれていると思います。

 しかし、自分の安全のことだけでどうなんだ、ほかの世界平和のためにどうするのかということに対応して、2番目に書かれていると思います。国際社会、そして国際社会で国々の唯一の機構である国連、この国連の平和維持・治安維持の活動は、言ってみればお巡りさんの役目であります。その国連の行動には我々は積極的に参加する。また、それは日本国憲法になんら抵触しない、という考え方が2番目に述べられていると思います。

 この点につきましては。日本の法制局自体が非常に混乱しておりますので、みんなが混乱するのも当たり前ですけれども、日本の法制局は今もって、国連の平和活動であっても集団的自衛権の行使の延長線上でしかないのだという解釈をとっております。そして、湾岸戦争のときには、「後方支援でも武力行使と一体となる。それは集団的自衛権の行使だから、参加は絶対ダメだ」と言って反対しました。17、18年前ですか、私は当時、自民党の幹事長で、西岡先生が総務会長を務めておられました。(参加を主張したのは)私と西岡さんぐらいのもので、あとはみんな反対ということでした。私は、自衛隊を派遣すべきだと言った。国連は多国籍軍に対して明確な、しかも詳細な裁量権を与え、行動を認めたわけでありますので、せめて後方支援だけでも、後方の野戦病院でも何でもいいから参加したらいいだろうと申し上げましたが、ほとんどが大反対。マスコミ、党内でも、もちろん野党もそうでありましたが、ついに実現できませんでした。

 ところが、法制局はそれまで「後方支援であっても武力行使と一体となる。だからダメだ」、と言ってきたんですけれども、アフガン、イラクに派遣するときは「後方支援は武力行使ではない」と言い出した。小泉さんも「戦争に行くわけではない。危険なところに行くわけではない」。まさに、憲法論というより、子どもだましの詭弁です。それで事実上の軍隊を派遣したわけです。

 私はこの間、ドイツのメルケル首相とも話しました。ドイツも我々も歴史の苦い経験がある。したがって、軍隊を海外に派遣することについては、きちっとした原則を確立し、慎重な判断をしなければいけない。兵隊さんごっこをしているのではないんだ。軍隊というのは、戦えば相手を殺傷することになるわけですから、そういう意味で、詭弁を弄して兵隊さん遊びをするというのは政治をもてあそぶものだと、私は考えております。やっぱり明確な原則が不可欠。あいまいさを残したままではいけないと私は思っております。

 脱線しますけれども、湾岸戦争のときに強硬に派遣に反対したのは誰だと思いますか。一番反対したのは外務省、次が防衛庁、そして法制局。その裏付けとなる詭弁、へ理屈をつくったのは法制局です。それがいつの間にか、海外派遣が既定の単なる事実として、積み上げとしてなされていることに、私は非常に危険を感じます。

 ドイツではその海外派兵について、与野党が猛烈な議論を何年か越しでやりました。その結果、たしかNATOの範囲内で派遣するとかいう形になりました。もちろん国連への協力でもいいんだと思いますが、そういう明確な議論をすべきだと私は思っています。クラウゼヴィッツの『戦争論』を引くまでもなく、戦争と言うのは政治がほかに方法がない、政治の究極の選択肢でありますから、しっかりした原則と判断を持つべきであろうと思っているわけであります。

 この後は皆さんでそれぞれ結論を導き出していただければいいのですが、わが党としてはこういう基本政策、基本方針、政策マグナカルタとしてみんなで決定した方針があることも、また念頭に置いていただきたいと思います。

■国連、憲法、安保の三位一体

 これに関連してお話申し上げますが、資料をもう1枚お配りしてあると思います。「国連憲章」「日本国憲法」「日米安保条約」の3つを並べて、「戦争放棄」「自衛権」「国際協調」の3項目を比較したものです。読み比べるとよく分かります。「戦争の放棄」は、日本国憲法だけにあるかのごとく言われていますが、そうではありません。国連憲章にもきちんと「戦争の放棄」が明記されております。しかも、その国連憲章の「戦争の放棄」とたぶんまったく同じ文章が、安保条約にも明記されております。日本国憲法の「戦争放棄」は、第1次世界大戦後の不戦条約、「ケロッグ=ブリアン条約」とも呼ばれておりますが、そこから取った文言だと言われておりますが、文章はちょっと違いますけれども、国連憲章にも日米安保条約にも同じ趣旨のことが書かれてあります。

 それから「自衛権」については、国連憲章に、それぞれの国が個別的・集団的自衛権を有することを認めるという条文があります。安保条約にもそれが同じ文章で書かれております。日本国憲法には、自衛権について逐条にはありません。ただ、自衛隊が書かれている安保条約を国民のほとんどが認めておるわけでありますし、個人の生活のレベルで言いますと、緊急避難、正当防衛が刑法で認められていますので、「自然権」という言い方もしますが、(日本には自衛権が)当然の権利としてあるであろうという推測が成り立つと思います。

 「国際協調」については、国連憲章第7条41条、42条にある。41条は経済制裁でありますけれども、経済制裁も事実上、軍事的制裁と同じなんです。なぜかといえば、その程度によりますけれども、本当に制裁しようとしたら経済封鎖する以外にないでしょう。海は海軍がやるしかないし、陸は陸軍が封鎖する以外にない。空軍も使う。要するに軍事力を使わなきゃ徹底的な経済封鎖・制裁はできない。そういう意味では41条も42条も同じなんですが、建て前は経済制裁ということになっております。

 42条は、陸海空、国連憲章では「空軍、海軍、陸軍」となっていますが、それでもって平和を乱すものを鎮圧することができると、42条で書かれております。

 安保条約では、(自衛権と国際協調の関係が)逆のサイドから書かれております。日本が攻撃された場合、日米でもって協力して安保条約に基づいて反撃する。日米のこの共同作業は、その紛争に関して、日本に対する第三国の攻撃に関して、国連で(協調行動が)決定された場合は終了する、と条約に書かれております。これは何かというと、国連憲章とまったく同じ概念、構成です。国際紛争は、国連が国際社会みんなの協力で解決する。国連が中心となって平和を維持する。しかし、みんなで集まってどうしようかと相談するわけですから、国連が動き出すまでにどうしてもタイムラグがある。それまでの間はそれぞれの国が個別的・集団的自衛権でもって反撃してよろしい。それを、安保条約は後ろからかいてあるだけのことでありまして、これは明確です。

 日本国憲法には、それが逐条にはまったくありませんし、ほかのところにもありませんが、平和を希求し名誉ある地位を占めたいという憲法前文の理念は、国連憲章にある世界平和の部分と同じであると、私は解釈いたしております。

 なぜこんなことを言ったかというと、我が国の(安全保障の)体系を知ってもらいたいからです。国連中心主義と日米安保体制・日米同盟は矛盾するのじゃないか、対立するのじゃないか、という議論がよくなされます。マスコミから何から、みんなそういう話をします。しかし、いま申し上げたことを理解していただければわかる通り、日米同盟、つまり安保条約そのものが国連憲章の理念、その論理の構成とまったく同じです。見ればお分かりの通り。私は、安保条約・日米同盟と国連中心主義はなんら矛盾しないと考えております。

 ただ、アメリカという国は非常に孤立主義的傾向が強くて、他人に制約されるのを嫌うんです。わがままなんですよ。これもメルケル首相に言ったら笑っていましたけれども。単純で若くてわがままですから、「オレが一人でできる」と言っていろいろやりがちですが、「自分一人でできないことはお分かりでしょう」とシーファー大使にも申し上げました。「オレの戦争だ」とブッシュさんは言いました。「アメリカの戦争だ。他の国の動員なんか要らない」。そうはっきり言ったんですから。私は本当は、もうちょっと言いたかったんです(笑)。今になって「世界の皆さん、よろしくお願いします」と言うのは、アメリカ自身の理屈からいうとおかしな話なんです。それはそれとして、安全保障の原則について皆さんよく考えて研修していただきたいと思います。

■アフガンの実状と日本の役割

 最後に、これに関して、中村哲さんというアフガンで現実に働いているお医者さんから、この間話を聞きました。「ペシャワールの会」を日本国内でつくって、3億円ぐらい募金を集めて、アフガンで活動しているそうであります。医者ですからお医者の仕事をしているのかと聞いたら、「いや、医者より前に、まず食うことです」。自分で井戸を千何百ヶ所掘ったとか言っていました。アフガンは本来、90何%もの食料自給率で、自給自足の経済で食べていたそうでございます。ところが、戦争とものすごい干ばつで自給率が40%に下がった。その水準は日本と同じだから変な感じですけれども、日本はお金があるからいろいろかえるからいいが、アフガンはまさに自給自足の経済なのに干ばつと戦争で、医者にかかるより先にまず食わなければ、腹が減って死にそうだという状況にある。だから中村さんも、医者の仕事よりも井戸を掘ったり灌漑をするのに一生懸命だそうであります。

 我々はこの間の参議院選挙で「政治とは生活である」と主張いたしました。私はまさに、このアフガンも、もちろん中近東、アフリカその他の国も、その言葉が当てはまると思う。兵隊さんもみんな、井戸掘りの機械やスコップやもっこを担いで、一生懸命やったほうがいいんじゃないかと思うくらいでありますけれども、私は生活が安定しさえすれば、タリバンもアルカイダもなくせると思います。食うに困って、あしたどうしようか、もう飢え死にしそうだとかいうときに、外国の軍隊が入ってきて、「やあ、お前はタリバンか、やあ、アルカイダか」と言って銃を突きつけられたら、頭にくる一方だ。それよりも、みんなが最低限でもいいから生活できるようにしてあげることが政治の基本だと、改めて思いました。

 もう一つ、中村哲さんが言ったことは、アフガンでは以前、日章旗を張っていれば絶対にタリバンもアルカイダも攻撃しなかったそうであります。日章旗はお守り札みたいなものだった。なぜかというと、アフガンは帝政ロシア以来、ロシアと接しているでしょう。だからロシアにさんざんやられているんです。トルコも同じだけれどもね。ところが、日露戦争で日本はロシアをやっつけたものですから、アフガンはものすごく親日的で、日本に対して好意的だったそうです。

 ところが、今、日本も結局、アメリカと一緒に軍隊を出しているじゃないかということで、日章旗をつけても攻撃を受ける恐れが大きくなってきたそうであります。中村さんは本当に井戸を掘ったり排水路をつくったりしていますから大丈夫ですけれども、日章旗は必ずしもお守り札ではなくなってきたということで、彼は早くやめてくださいということを私に言いに来たんですけれども、アフガンはそういう現状にあります。我々自身、「政治とは生活だ」「国民の生活が第一」ということを7月の選挙で訴えてきたわけであります。だから、そういうことも常に忘れずに政治に当たっていかなければならないと思っています。

 取りとめのないことばかり言いましたけれども、皆さんがいろいろと考え、勉強するに当たっての参考の意見を申し上げました。参考にしてください。(拍手)▲ 

INSIDER No.412《FUKUDA》これで流れが変えられるのか?──「安倍尻ぬぐい内閣」の多難

 混迷から自滅へと転がり込んだ安部政権の呪われた軌道をキッパリと断ち切って出直すことがまず第一の使命だというのに、17閣僚のうち横滑りの2人を含めると15人、旧党3役のうち1人が再任という、何のための政権交代か分からないような福田内閣のスタートである。裏を返せば、安倍前首相の国会会期中の職務放棄という前代未聞の異常事態の中で、なぜこんなことになったのかの総括も、その上に立って組織と路線をどう再建するかの方策も、まったく議論することなく、取り敢えず首だけをすげ替えるしかなかったわけで、その意味では新内閣は、福田自身が名付けた「背水の陣内閣」と呼ぶよりも、安倍が対処しきれなかった諸困難を整理されないまま引き継がざるを得なかった「安倍不始末の尻ぬぐい内閣」と呼ぶにふさわしい。前途は多難で、そのいくつかを乗り越えたとしても、遅くとも来春には行われる次期総選挙までしか命の保証はない、事実上の「選挙管理内閣」であり、しかもその選挙で民主党に政権を奪われる公算が大きいことを考えれば「政権明け渡し準備内閣」とも言える。

●すげ替え効果

 首のすげ替え効果は確かにあって、いつも通りのご祝儀相場的な内閣支持率上昇に加えて、今回は小泉のドタバタと安倍のオロオロで騒々しい6年半を過ごさなければならなかった後だけに、福田の年格好と一見穏和な物腰に国民が何かホッとするものを感じて、「何かをやってくれそうだ」という積極的な期待感というのでなく、「これでしばらく落ち着いて過ごせそうだ」という消極的な安堵感を抱いているという事情がある。しかしこの落ち着き気分は嵐の前の静けさにすぎず、秋のテロ特国会から始まって総選挙、政権交代(?)までは一連なりの政局プロセスであり、それを通じて日本政治は93年細川政権誕生を上回る大変動に巻き込まれ、本格的な2大政党時代という未体験ゾーンに突入することになる。

 その意味からすると、細川とその後継の羽田内閣が計10カ月の短命に終わった後、村山富市社会党委員長を首相に担ぐという奇策を弄して94年にともかくも政権に復帰して以降、単独では過半数を制することの出来ない自民党が社会党、さきがけ、自由党、保守党、公明党と大小の野党を次々に連立相手に引っ張り込んでは食い潰しながら政権に留まってきたものの、いよいよ食い潰すものがなくなって、14年間に及んだ「55年体制」の無理矢理の延命時代が終わるのであって、福田内閣はその「自民党政権延命時代最後の政権」ということにもなる。

 もう少し付け加えれば、この文脈の中では、01年森内閣時代にすでに自民党は、公明党を食ってもなお延命が難しいところまで来ていたのであり、そこを突破するもう1つの奇策として、小泉純一郎・田中真紀子の変人コンビを担ぎ上げ、自民党総裁に「自民党をブッ壊す」と言わせることで、自民党の真ん中に小泉という疑似野党を作って抵抗勢力と戦わせる一大マジックショーを演じた。引田天功も顔負けのこの小泉大魔術の後に、誰が出てきてもそれ以上の芝居が打てるはずもなく、昨年9月には次のさらに奇をてらったシナリオや演出をひねり出すゆとりもない一種無気力状態の中で、安倍のような凡人以下の人物を、ただ単に「テレビ映りがいい」というくらいの理由で、ほとんど満場一致、選んだのだったが、案の定、大根役者は舞台の上でただ右往左往するばかり。結局、1年間を費やして小泉ショーの魔術性の化けの皮を剥がしただけで、安倍は役を放り出してしまった。

 マジックが効かないのであれば、それ以外に新奇な延命策のアイディアがある訳でもなし、オーソドックスと言えば聞こえはいいが、要するに小泉以前の古い自民党による新国劇風の時代劇に戻るしかない。それが、8派閥が一夜にして福田でまとまるというほぼ満場一致ぶりの意味するところであり、その限りでは1年前の安倍へのほぼ満場一致より更に一段と自民党の組織としての劣化が進む中での福田政権誕生だったと言える。

●崖っぷち内閣

 秋の国会の最大焦点であるテロ特措法問題に関して言えば、この内閣はまさに「背水の陣内閣」である。そもそもテロ特法を通した小泉政権の官房長官が福田、外相が高村、防衛庁長官が石波だったのだから、自民党としてこれはベストのテロ特シフトである。安倍はなぜか、現行のテロ特法を延長してインド洋での海上自衛隊の給油活動を1日の中断もなく継続しなければ米国に見捨てられると思い込んでいて、1〜2カ月かそれ以上の中断を前提とした新法への置き換えを安易に口にした麻生=与謝野ラインへの不信感を抱き、「こうなったら小沢一郎民主党代表との党首会談で自分の首と引き替えに延長への同調を頼むしかない」とまで思い詰めた。その見通しが立たなかったことが彼のプッツンの直接の原因であることは周知の通りだが、そんな安倍の心労など知ったことかという調子で新シフトはあっさりと新法路線であり、伊吹文明幹事長は「予算委員会がある程度動き始めた段階で与党案の骨子を示し、野党に話し合いを呼びかけたい」と語っている。

 安倍と福田は、延長と新法という違いはあるものの、民主党と話し合って妥協することが可能だと考えている点では同じ。他方小沢は安倍時代も今も「理念、哲学の問題であって、足して二で割る妥協はありえない」と繰り返し明言していて、呼びかけられれば話し合いには応じるだろうが、賛成に回ることはあり得ない。新法の運命はすでに決まっていて、参院で否決後に衆院に差し戻されて与党の単独強行採決ということになるに違いない。問題はそこに至る議論の過程で、新シフト側はイラク・アフガン戦争の正当性とそれへの協力の意義を、民主党側は小沢の言う「理念、哲学の違い」を、十分に世論に納得させられるかどうかである。民主党にしてみれば、集団的自衛権問題、ひいては憲法の解釈にまで繋がるこの「理念、哲学の違い」についてある程度まで国民の理解を得ることが出来れば、法案は通っても与党を一層孤立させ、福田政権を崖っぷちに追いやることが出来るという計算なのだろう。

 ところが政府・与党もマスコミも、この小沢の言う「理念、哲学の違い」を正しく理解しているとは言えず、そのために「話し合いで何とかなる」と甘く考えている節がある。メディアでは「小沢は元々親米派であったはずなのに、何で心変わりしたんだ」などという完全に阿呆な言説までまかり通っていて、どうにもならない。

 本誌は今後、この問題を精力的に分析・開設していく予定だが、その前提として、今回は(1)9月3日に軽井沢で行われた参院民主党研修会における小沢講演の速記録から該当部分、(2)背景となる憲法第9条の読み方について整理した本誌No.175、182、183の再録とを別添するので、まず読者の皆さんご自身で頭の体操を始めて頂きたい。

 いずれにせよ、まずこのテロ特法を巡る論戦に自民vs民主の第1ラウンドの勝負がかかっている。▲

2007年9月20日

INSIDER No.411《ABE》中西輝政はさぞかしがっかりしているだろう──安倍崩落で「保守革命の10年」が終わる?

 安倍政権が無惨に崩壊して、その後を、事もあろうに福田康夫元官房長官が襲おうとしていることについて、この世で最もがっかりしているのは中西輝政京都大学教授にちがいない。12日付本欄(INSIDER No.408)では『諸君』10月号の中西論文の次の部分を引用した。

「安倍政権とは拉致問題によって生まれた政権であることを、もう一度明確に意識しなおす必要がある。……いま安倍政権の命運は、国民にとっての政治家・安倍晋三像を確立できるかどうかの一事にかかっている。それには何が必要か、もう一度自らの原点である“拉致”に立ち返ること以外にない。拉致問題に立ち戻り、徹底したこだわりを見せる必要がある」

●思い入れ

 京大風の新現実主義から、91年湾岸戦争後は一時、反米的リベラリズムへ、一転して超保守ナショナリズムの旗手へと変転してきた中西の、この激情的なまでの安倍への思い入れは一体どこから来ているのか。もう少し同論文の文脈を辿ってみよう。

▼この10年、日本の保守はひたすら「上げ潮」の状態にあった。その起点は1997年で、前年12月に創立された「新しい歴史教科書をつくる会」が同年1月、初めて小杉隆文相に慰安婦記述の削除を申し入れ、同年3月、拉致被害者の家族が実名公表を決意して「家族会」が結成され、日本の保守が2つの政治的運動という形をとって烽火を上げた。

▼その後5年間、2つの運動は地道な活動に留まっていたが、2002年9月17日の小泉訪朝で拉致問題が国民的に注目を集め、その際に、横田めぐみさんに関する死亡宣告を伝えられた母=早紀江さんが「日本の国のためにめぐみは犠牲になった」と、“国家とは何か”の核心に触れる決定的な問いかけを発したことをきっかけに、全国から保守の潮流が澎湃として湧き起こって全土を覆った。

▼安倍晋三は小泉訪朝に随行し、日朝会談の場で安易な妥協をすべきでないと主張した時、自らの内に政治家としての「芯」を形作った。その後、心ある国民の絶大な期待を背に、安倍は幹事長、官房副長官のキャリアを積み、首相になった。つまるところ、安倍政権は02年9月17日の出来事によって生まれたと言ってよいのである。

▼対照的に、小泉訪朝で拉致被害者の安否情報が刻々と日本にもたらされる中、福田康夫官房長官は外務省飯倉公館に陣取って、家族ごとに部屋に招き入れ「お宅は死亡です」「お宅は生存です」と残酷な宣告を行った。こうして福田は「拉致」に一刻も早く終止符を打ち、直ちに国交正常化に進もうとした。福田が拉致被害者をはじめとした日本人を売ろうとした政治家であったことは今も覚えていたほうがよい。

▼(しかしその福田が官邸を去って安倍が残り、やがて小泉の事実上の使命を受けて)06年9月に安倍政権が誕生したことで、日本の保守は時期尚早にも「勝った」と思い、ついい保守が待ち望んでいた日本が実現すると錯覚してしまった。だが、1年も経たないうちに参院選で惨敗してしまった。

▼しかも、安倍政権発足と前後して、新しい歴史教科書をつくる会と拉致家族会・救う会がそれぞれ内紛状態に陥り、また靖国神社をめぐって遊就館の展示修正問題や「富田メモ」浮上などで保守が分断され、さらに北朝鮮の核実験後に米国が対北朝鮮で融和策に転換しブッシュが「盧武鉉化」したが安倍と日本の保守はこの流れを見誤った。

▼今真に戒めるべきは「保守の油断」である……。

 つまり、この10年間の保守ナショナリズムの潮流が、拉致と教科書を両輪として上げ潮になってきて、その申し子とも言うべき安倍が首相にまで上り詰めて「勝った!」と思った瞬間に、運動は足下から崩れだし、しかも安倍は参院選で惨敗した。そこで気を引き締めて、今度こそ思い切って「拉致突破内閣」として突進せよと中西が檄を飛ばしたとたんに、安倍自身が人格崩壊を起こしてしまった。だからこれは、政治家=安倍の終わりというにとどまらず、10年間の保守革命時代の終わりを意味していると言えるのかもしれない。

 しかも、後を襲うのが拉致で強硬論に立つ麻生太郎外相ならともかく、中西がここで「拉致被害者はじめ日本人を売ろうとした」と売国奴呼ばわりしている福田というのでは、まさに泣きっ面に蜂である。小泉政権の官房長官時代の福田は対北対話路線を採って、専ら強硬論を主張する安倍副長官と対立、それを(唯一ではないが)最大の理由として官邸を去った人物である。それを、自民党のほぼ全派閥が満場一致のようにしてためらいもなくポスト安倍に選ぼうといているのを見て、中西は憤死寸前の心境に違いない。

●「解決」の定義

 こうしてみると、福田vs麻生の自民党総裁選の最重要争点の1つは、マスコミは余りそう意識していないようだが、拉致問題への対応である。

 第1に、12日付本欄で指摘したように、安倍がシドニーでの日米首脳会談で「日米関係を犠牲にして米朝関係を進めることはしない」(つまり「テロ支援国家」指定解除をしない)というブッシュの言明を取り付けることに失敗したことが、彼のプッツン——こうなったらインド洋給油活動を1日でも中断なく継続しなければ米国から見捨てられる……それには小沢と直談判して何とか局面を打開しなければ……と思い詰めていく直接のきっかけだった。この異常事態には、初めから拉致問題がまつわりついているのである。

 第2に、そうであれば、安倍は早々に対北強硬路線を共にする麻生にスパッと禅譲してさっさと身を引いた方がまだマシだった。安倍は拉致問題の破綻がプッツンの最大原因であることを口にせずにボンヤリと辞意を漏らし、麻生もまたその認識のないまま「ま、俺に政権が転がり込むならそれでいいか」と甘い捉え方をしてグズグズしているうちに、福田が急浮上してわずか1日で自民党内の流れをつくってしまった。結果的に、拉致問題は福田の穏健対話路線に委ねられることになりそうである。

 第3に、しかし仮に麻生になったとしても、拉致強硬路線の破綻は避けられなかっただろう。16日のサンプロに出演した麻生に対して、司会の田原総一朗が「米国から(日本が拉致問題にこだわって6者協議の足を引っ張るのは)いい加減にしろと言われているだろう」と言い、それを受けて高野が「いい加減にしろという意味は、拉致問題の解決とは何なのか、定義を明確にしろと繰り返し米国から言われていることでしょう」と質問したのに対し、麻生は「定義ははっきりしている。すべての生存者の帰還、不明者の再調査、犯人の引き渡しの3つだ」と答えた。高野が「それ全部が揃わなければ一歩も動かないということですか」と言ったのに対して麻生は「そうだ」と答えた。

 そのあと番組は時間の関係もあって次の話題に移ってしまったが、高野が言いたかったのは、その3項目は定義というよりも大原則であって、それを叫んでいるだけでは現実には北との交渉は一歩も進まない、実際にそれを解きほぐしていくためのシナリオはあるのかを問いただすことであったが、話はそこまで深まらなかった。

 実際、辺真一が本サイトの「『拉致成果ゼロ』の安倍政権」で書いているように、安倍政権下では北との交渉は全く停滞し、運動側は「制裁強化」を叫んでは来たものの政府はそのような措置は何も採らず、むしろ当初の「全面解決」は「解決」に、やがて「進展」にと後退をし続けてきて、しかもそのそれぞれが具体的には何を指すのかの定義は不明なままで、だからこそ米国も中国も日本に対し、定義すなわちどの段階で何を勝ち取りたいのか目標を明示してくれなければ協力のしようもないじゃないかと苛立ちを露わにしてきたのである。麻生の挙げた3項目は「全面解決」の定義であって安倍政権が後退しつつ求めてきた「進展」の定義ではない。

 17日の遊説で、福田は「北と交渉しようという姿勢、意欲が向こうに伝わる方法がないか工夫しないといけない」と、対話路線への転換を明示し、それに対して麻生は「圧力なくしては対話も成り立たない」と、強硬路線の継続を訴えたが、2人の間で、安倍の「拉致成果ゼロ」をきちんと総括しながらその行き詰まりの打開策をぶつけ合うような実りある議論は行われておらず、他方、自民党の大勢はそんなこととは無関係に福田支持に雪崩を打っている。拉致問題を「置き去り」にしているのは、米国より先に自民党で、その意味でも保守上げ潮の10年は終わったのである。▲

2007年9月15日

INSIDER No.410《ABE》安倍辞任の精神分析学──カプセルが壊れて弱さ露呈?

 安倍辞任は、政治学というよりも心理学、精神病理学の研究対象である。直接の病名は「機能性胃腸傷害」つまりガンなど物理的理由が見あたらないのに胃腸が働かなくなり下痢をしたり逆に酷い便秘になって食事も喉を通らなくなるような病気だが、その原因は肉体疲労や精神ストレスで、結局は心の問題が根本原因である。

●私がいなければ……

 精神科医の斎藤環は14日付毎日で次のように述べている。

「精神医学的にみれば、典型的な分裂気質だった小泉内閣の強硬な改革路線を、配慮と調和を志向しがちな執着気質の安部首相がなかば強引に引き継がされた時点で、この政権の短命さは予測可能だった」

「安倍会見は異様で、ほとんど謎めいている。『局面の転換』『私がいるせいで』といった言葉が何度も繰り返される一方で、明確な謝罪も反省もない。……とりわけ目立つのは『私が障害になっている』という言葉である。こうした露骨な自責の言葉を政治家が口にすることは通常あり得ない。……ここに私は安倍の肉声を聞く思いがする。政治家がかくも異様な『肉声』を口にしてしまう状況は、医学的にきわめて危険な状態なのではないか」

 政治家とりわけ総理大臣ともなれば「俺がいなければ日本は駄目になる」というくらいの気宇壮大というかほとんど誇大妄想的な自信を持たなければやっていられない。それがひっくり返って「僕がいることが国会の運営ひいては日本の将来にとって邪魔になっている」と思い込んでしまっては話にならない。

●殴られるのが怖いボクサー

 臨床心理士・矢幡心理教育研究所所長の矢幡洋は14日付読売で次のように述べた。

「プロのボクサーが『殴られるのはいやだ』とリングを前にして試合放棄した光景に見える。……仮に健康問題があったとしても、私たちは『打たれ弱い』という言葉にはとどまらない精神的にひ弱な人物に最高権力をゆだねていたようだ」

「安倍が曲がりなりにもここまで来られたのは、内在する弱さをカバーする3つのカプセルがあったからだ」

(1)自分を批判する声の入ってこないカプセル(お友達内閣、高い支持率)
(2)不相応な高い目標を掲げる背伸びで自分を強い人間と思い込む幻想のカプセル(「美しい国」「戦後レジームからの脱却」などやたら壮大な言葉、「私と小沢のどちらを?」も同様)
(3)失敗を合理化の論理操作によって言い繕い強引に自己正当化するカプセル(参院大敗後「自分の理念そのものが否定されたわけではない」)

 参院選大敗でお友達で周りを固めた態勢は雲散霧消し、支持率回復を狙った内閣改造も遠藤農相の辞任で台無しになって、(1)のカプセルが壊れ、安倍は孤独に現実に直面しなければならなかった。そこで意を奮って「職を賭す」の大仰な言葉で自分にカンフル剤を打とうとしたが、かえってちぐはぐなことになり、強い人間と思う込もうとする(2)のカプセルも破裂した。それで一気に弱気になり、代表質問を受けるのが怖くなった。追い詰められた中で、最後に思いついたのは、代表質問の前に小沢に会って「お手柔らかに」と頼むことだった。矢幡は言う。

「小沢代表との会談の申し入れも『何とか議員・国民の目前でめった打ちにされる姿をさらさないで済む方法がないものか』という、政治戦略以前の『これ以上精神的なダメージを受けたくない』という思いから出たものだったのだろうか。……力量不足に対する真摯な自己批判は見当たらず、『小沢が話し合いに応じてくれなかった』『国民が自分を支持してくれなかった』という責任転嫁。3番目のカプセルだけが最後まで残存していた」

 他人のせいにするというのは、今に始まったことではなく、消えた年金問題で「菅直人が悪い」というビラを刷ったのをはじめ前例があるが、いずれにせよ精神的衰弱の現れで、こういう無理矢理の自己正当化が行き詰まると一転、「あー、もう駄目だ」と自虐の深淵に沈んでいく。こうして(3)のカプセルもはじけて、彼の心身は持ちこたえられなくなった。▲

2007年9月13日

INSIDER No.409《ABE》安倍政権瓦解で液状化する政局

 いじめに独り悩み苦しんだ女子中学生が突如として手首を切り、「そこまで追い詰められていたのか…」と周囲を仰天させるような、美しくも潔くもない安倍晋三首相の突然の辞意表明である。安倍のこの支離滅裂に合理的な解説を加えようとしても無理な話で、折り重なる重圧に耐えかねて心身共に衰弱し、もはやまともな判断力を働かせることも出来ない精神不安定状態に陥った挙げ句の自爆的行為としか説明のしようがない。本誌はすでに9日シドニーでの“退陣カード”発言に病の兆候を感じ取って、前号(No.408)でその分析では意図して「発作的」「錯乱的」「衝動的」などの形容を散りばめていた。が、早くもその3日後には「的」を付ける必要のない病状の深刻さが露見したことになる。

●間違いの始まりはどこ?

 こんなことになってしまう間違いの始まりはどこにあったのか。それを測る物差しは長短いろいろある。

《1日》
 最短は1日で、10〜11日に衆参両院での所信表明演説を(一部読み飛ばしたりしながらも)何とか朗読し終えたものの、12日午後に衆院で始まる各党代表質問では臨機応変の受け答えをしなければならない場面も出てくるかもしれず、それに立ち向かう気力は残っていなかったということだろう。しかし、それなら所信表明前に辞めたほうがまだ迷惑は少なかった。国会もマスコミも国民もそこから何かを読み取ろうとして耳を傾け、各党トップバッターたちは張り切って質問を準備し、さあこれからという時間に「辞〜めた」では、ドッキリカメラ並みの悪い冗談で、人を馬鹿にしている。新総裁選び、首班指名、組閣に無駄な時間が費やされた末に、新首相はもう一度、所信表明からやり直さなければならない。

 内容面から言えば、所信表明では「改革を止めてはならないという一心で続投を決意した」と言っていたのに、翌日の辞意会見では「テロ特措法延長問題が打開できないから辞める」と言うのでは、何が何だか分からない。テロ特のためには「一心」とまで言った改革など放り出して構わないという心境なのだろうか。

《3日》
 9日にシドニーではテロ特を「国際公約」と強弁し、「職を賭して取り組んでいく」と言っておきながら、12日には「職を投げて他の人に取り組んで貰う」と豹変した。こんなことなら、3日前にそんな大見得は切らない方がよかった。その間にこの問題を巡って新たに起きたことと言えば、「小沢一郎民主党代表に党首会談を申し入れたが断られた」ということだけで、しかも小沢によれば、自民・民主の国対委員長の間で、

大島(自民)「党首会談を開きたい」
山岡(民主)「いつでも結構だ。ただし首相がどういう考えで、どういう話をしたいのか、官邸と話してきちんと申し入れて貰いたい」
大島「いや、ご挨拶だ」
山岡「この時点でご挨拶の党首会談とはちょっと。それならば党首討論という方法もあり、その方が国民に分かりやすいのではないか」

 という打診段階のやりとりがあっただけで、正式の申し入れが小沢に届いて、それを小沢が断ったという事実はない。政界通によると、大島の針小が棒大になり棒大が針小になる話術は有名なのだそうで、彼が安倍にどういう報告の仕方をしたのかは分からないが、もしかすると「小沢は参院選後、安倍は民意を受けていない首相だと言い続けているから、ちょっとやそっとでは応じないかもしれませんよ」くらいのことを口にしたかもしれない。ともかくもテロ特の打開には最初に党首会談ありきと思い込んでいたらしい安倍は(本来は政局の山場に設定すべき党首会談を代表質問が始まろうという時に持ってくること自体が常識外れであり、しかもその中身を「ご挨拶」などと言うのは非常識極まりないことなのに、それを反省して戦略を組み直すこともせずに)、それが駄目ならその先もすべて駄目という極端な短絡思考に転がり込んで、その場で大島に辞任の決意を漏らしたのである。

《1カ月》
 誰もが言うように、だったら参院選直後にきっぱりと辞めていればよかった。本誌はその時彼が辞めなかったことについて次のように書いた(No.403)。自爆は予想されていたのである。

「彼が要所要所できちんと責任を明らかにしてテキパキと問題を片付ける能力がないことに国民が苛立っていて、その結果がこれであるというのに、そこでまた自らの責任について触れることなく『今後もよろしくおねがいします』と言うとは、どういう神経なのか。このようにして安倍は自分がどういう立場に置かれているか一向に分からないまま、自爆に近づいていこうとしている」

 参院選直後、開票前に安倍にあって続投を勧めたのは麻生太郎現幹事長(当時外相)である。次を目指す麻生にとっては、安倍がすぐに辞めて自分にお鉢が回ってくるのは時期尚早で、安倍を立て(るフリをし)ながら捻れ国会の難局を乗り切って、いざとなれば安倍の政治生命と引き替えにテロ特を何とか延長させて、12月安倍ボロボロ退陣、総裁選、1月解散・総選挙というシナリオだったろう。そんなことはおくびにも出さずに、親切顔をして安倍を励まして「俺が支えるから頑張れ」と言ったかもしれない。その時点で、安倍続投、次期幹事長は麻生と決まり、人事はじめ何事も安倍が麻生に相談するという形で改造内閣づくりが進められたが、麻生は安倍を自分の政権までの使い捨て雑巾としか思っていないから、何かにつけて安倍を無視したり逆らったり馬鹿にしたりする。その象徴は、安倍が盟友=菅義偉前総務相を官房長官に、また塩崎泰久前官房長官を政調会長代理にと望んだにもかかわらず麻生が「お友達登用はいい加減にやめたほうがいい」と無碍に拒絶したことだったろう。国民の間で人気が回復しないのは仕方がないし、野党の小沢から「民意を受けていない政権」と罵られるのも我慢できなくはない。が、その人を頼りに無理を承知で続投を決意したつもりだった麻生までもが実は自分を馬鹿にしていると分かってきたことで(鈍いのだが)、彼は神経がズタズタになり、「ああ、俺は国民からも小沢からも、麻生さえからも馬鹿にされているんだ。あの時すぐに辞めておけばよかったんだ」という自虐モードに沈んでいったのに違いない。

《1年》
 そもそも1年前に安倍を総裁に選んだこと自体が間違いの始まりだとは、こうなった後では多くが口にするが、安部政権発足時にそう明確に主張していた者は少なく、本誌はその1人である。当時本誌(No.368)はこう書いた。

「小泉劇場には及ぶべくもないが、せめてテレビ映りのいい安倍で何とか来夏参院選の大敗を免れられないかという藁をも掴む思いから、我も我もと安倍支持に殺到するというこの総裁選の有様は、自民党の強さでなく弱さ、一層の組織的な劣化の現れであり、やはり(小泉という)“最後の切り札”の後にもう1枚別の切り札が袖口から出てくるという手品のようなことは起こらなかったのである」

 手品が効かない以上、課題とその優先順位、相互連関を明確にした正攻法で行かなければならなかったが、これがまた最初から大混乱で、例えば「改革」は、小泉に事実上後継指名された者としてはそれを口にし続けなければならないものの、単にそれを「美しい国」というそれこそ美辞麗句のオブラートに包んでみせはしたものの、改革を経済活性化に繋げていく具体的な工程表を官僚と激突しつつ実行に移していくような、小泉における竹中平蔵のような側近がいるわけでもなく、そうなると経済成長戦略も怪しくなってきて、改造で与謝野馨が官房長官に就いたことで最終的に頓死した。与謝野は、第1次安部内閣の発足時にも官房長官に擬せられたが、小泉が「与謝野では官僚に官邸を乗っ取られて改革が頓挫する」と強く反対して見送りになった経緯があったにもかかわらず、今回は麻生の推挙を安倍があっさり受け入れてしまった。だから、今更「改革を止めてはならないという一心」などと言えた義理ではないのである。

 改革や経済成長は苦手でも、タカ派ナショナリズムに立つ「主張する外交」は安倍にとって身近なもので、ブレーンや取り巻きも多い。それは(1)反北朝鮮=拉致、(2)反中国=靖国公式参拝、(3)親米=集団的自衛権解禁などを柱として、最終的に憲法改正に繋げていこうという右翼保守勢力の運動論と密接に連動した路線だが、まずは政権発足早々、中国との和解を図る一方、右翼が強く期待していた靖国の秋の例大祭への堂々参拝を実行しなかったことで(2)が崩れ、続いてブッシュ政権の政策転換によって(1)がどうにもならないディレンマに填り、そして集団的自衛権の発動が憲法上認められていないための代替措置であるテロ特問題が行き詰まるという形で、ことごとく展開を阻まれ、右翼の間には「ようやく俺たちの政権が実現したと思ったのに」という嘆きや怒りが広がった。とりわけ拉致とテロ特は二重三重にこんがらかっていて、前号で述べたように、それを解きほぐしながらブッシュと駆け引きするなどという芸当は安倍に出来るわけがなく、結局そこがプッツンのきっかけとなったのである。

《10年》
 拉致問題と歴史教科書問題が世間の注目を集め始め、その運動組織がスタートしたのは97年で、中西正輝に言わせれば、そこから10年間の保守勢力の上げ潮時代が始まった。安倍は最初からそのよき理解者であり同伴者であったのだから、中西が「「安部政権とは拉致問題によって生まれた政権」と正確づけるのも当然である。しかしそれがこんな無様な形で崩れ去ったことで、保守上げ潮の時代そのものが終わるのかもしれない。奇しくも、拉致と教科書の運動組織は安部政権発足に前後してそれぞれに内部分裂して弱体化が始まっている。

《13年》
 13年前とは、その前年に発足した細川政権とその後継=羽田政権が頓挫して、一旦野党になった自民党が社会党・さきがけを連立相手に引き込んで与党に復帰した年である。以来、自民党は、すでに単独で両院の過半数を確保するだけの組織力を持たないばかりか、年々衰えさせながらも、野党がてんでんばらばらである多党化状況を利用してあれこれの小政党を連立に呼び込んでは食い殺して“権力党”として生きながらえてきたのが、この13年間であり、ということはそのようにして「55年体制」は長々と延命されてきた。自民党の化け物じみた権力本能に触れると、どの小政党も理想と現実、理念と利権の狭間で引き裂かれて、結局は分解・消滅・吸収されていく運命にある。それを潔しとしない人々がおおむね民主党に合流したことで、自民党が食えるのは公明党だけとなったというのが近年で、さてその公明党が我慢に我慢を重ねて何とか随伴してきた安倍に、このように乱暴な、連立相手への最低限の礼儀さえわきまえない扱いをされて、それでも唯々諾々とポスト安倍の自民党に心中覚悟で付いていくのかどうか。その意味で、毎日の丸山昌宏政治部長が「今回の安倍辞任劇はいわゆる55年体制崩壊の最終局面ともいえる」と書いているのは正しい。自公連立が続こうと続くまいと、恐らく3〜6カ月以内に行われるであろう総選挙は、細川政権が作った「政権交代を可能にする選挙制度」が初めてまともに作動する選挙となることはまず間違いない。▲

2007年9月12日

INSIDER No.408《ABE》捨て身なのか、自暴自棄なのか──安倍“退陣カード”の唐突

 安倍晋三首相が9日シドニーで、インド洋での海上自衛隊の給油活動の継続に「職を賭して取り組んでいく」、それが出来なければ「職責にしがみつくことはしない」と、内閣総辞職の可能性にまで踏み込む発言をしたのは、本人にしてみれば自ら退路を断って重大決意を示す小泉流の捨て身のパフォーマンスのつもりに違いないが、それにしては準備不足と言うよりもむしろ発作的で、期待ほどのメッセージ効果を生むに至らなかった。

●小泉亜流の失敗

 まず第1に、「職を賭して」はいいとして、「職責にしがみつく」というのは日本語としておかしい。職責は全うするか投げ出すかであって、しがみつくものではない。しがみつくなら「地位」だろう。首相が総辞職を示唆するのはまさに最高度の重大決意であり、それを口にするには練りに練った表現をしなければならないが、その最大の見せ場で日本語を誤用してしまうところに準備不足の程度が表れている。

 第2に、タイミングが悪い。日経新聞11日付「春秋」欄は、「これまでは何があろうと“職責”を全うしてきたのに、ずいぶん唐突に退陣カードを切ったものだ。……成算のない危険なけ賭けに打って出た、との声も聞こえる。前首相はここぞという場面でポーズを決めた。それに比べると、安倍さんは見得の切りどころを心得ていないと言ったら失礼か」と述べたが、その通りで、見得にとって一番大事なのは切りどころであって、それを外すと滑稽にさえなってしまう。

 加藤紘一は「決意は伝わるが、表明するタイミングの善し悪しという問題はある」と言い、町村派のベテラン議員も「参院選の直後に言うべきだった」と指摘している(11日付日経)が、これまたその通りで、参院選敗北の直後にも、シドニー発言の翌10日の所信表明演説でも、「この改革を止めてはならないという一心で続投を決意した」と言っていながら、他方でテロ特措法の延長が出来なければその改革の職責は投げ出すと言うのでは、タイミングの問題としても、内容的な整合性や優先順位という観点からも、錯乱的と言わざるを得ない。

 町村派議員が言うように、それだったら参院選直後に、「この結果は私の不徳の致すところであり、これによってテロ特措法の延長や改革の課題の達成は一層の困難が予想されるが、ここで政権交代に時を費やすよりも、私がその困難をも敢えて引き受けて職責を全うし、その結果をも含めて国民の評価を仰ぎたい」というようなことを言っておけばよかったのだ。

 さらに、シドニー発言の趣旨は翌日の所信表明演説に盛り込んで、さらに詳しくその覚悟を訴えるべきだった。が、実際には演説原稿は先に出来ていてマスコミにも事前配布済みだったので、「はじめに」で「改革を止めてはならないという一心」で続投を説明し、後半の「主張する外交」のところで触れるという全体構成を変更する暇もなかった。そのため余計に唐突感だけが残ることになった。

 第3に、これも準備不足の問題の一部だが、根回しがなかった。与謝野馨官房長官や麻生太郎自民党幹事長にとっても「寝耳に水」だったようで、麻生は「しっかりやれよという言葉と取った。総辞職という話には聞こえなかった」と、また別の自民党3役の1人は「APECで外国首脳と会って気が大きくなったのだろう」と、いずれも間延びした反応を示して、首相の決意を自民党挙げて支えていくのだという機運を作り出すことに失敗した。公明党ももちろん聞かされておらず、「自衛隊を海外に出すという判断を、一院だけで行うのは本来、好ましくない」(同党幹部)と戸惑いを隠さなかった(発言はいずれも11日付朝日)。与党幹部でさえこうなのだから、自民党内では「総辞職」という言葉だけが浮遊して、「政権末期」「解散・総選挙か」と浮き足立つ気分が流れ出している。

 こうして、小泉亜流の演出はほとんど失敗に終わった。

●拉致問題の影

 この安倍の唐突な態度の裏には、拉致問題の影がちらついている。安倍が本当のところ自分の政権の最重要課題だと思っているのは、改革でもインド洋給油でもなく拉致問題であり、その問題でどうにもならない窮地に追い込まれつつあることが、彼の心情を攪乱しているものと推察される。

 一方で安倍は、改めて保守派からの「拉致問題に真剣に取り組め」というプレッシャーに直面している。安倍応援団の1人である中西輝政京都大学教授は『諸君』10月号の論文でこう叱咤している。

「安部政権とは拉致問題によって生まれた政権であることを、もう一度明確に意識しなおす必要がある。……いま安部政権の命運は、国民にとっての政治家・安倍晋三像を確立できるかどうかの一事にかかっている。それには何が必要か、もう一度自らの原点である“拉致”に立ち返ること以外にない。拉致問題に立ち戻り、徹底したこだわりを見せる必要がある」

 そこで発憤した安倍は、9月5〜6日ウランバートルで開かれた6者協議の日朝作業部会では、日本側から「不幸な過去の清算」の問題を俎上に乗せることで「誠意」を示し、それと引き替えに拉致問題で何らかの進展を引き出すことを目論んだが、具体的な成果は得られなかった。それどころか、2日までジュネーブで開かれた米朝部会の後、北朝鮮の外務省報道官は、年内に北の核施設を無能力化することで合意し、それを受けて米国が北に対する「テロ支援国家」指定を解除し、さらに対敵国通商法による経済制裁を全面解除することになると発表した。もちろん米国務省筋は「今すぐにということではない」と言いはしたものの、米朝間で核無能力化と引き替えに解除が行われることは合意済みであることに疑いはない。

 本誌NO.405(7月14日号)で指摘しておいたように、日本政府およびマスコミが米国の「テロ支援国家」指定の条件の1つに日本人拉致問題が入っている、もしくは入れて貰いたいと思っているのは願望にすぎず、米国が北をそう指定している国内法的に根拠のある要件は「ハイジャック犯人の保護」の一点だけである。だからこそウランバートルの日朝協議で北は「よど号乗っ取り犯の扱いについて日本政府と関係者の協議する場を用意する」という話を持ち出した。これについて7日付朝日が「リップサービスとの見方が強い」と書いているのは完全にトンチンカンで、同日付読売が「テロ支援国家指定の解除に向け、実質的なカードを切り始めた」と解説しているのが正しい。

 平壌に37年間在留してきたよど号犯らは以前から帰国希望を表明し、北当局もそれには反対しない態度を採ってきていて、それを改めて持ち出してきたのは、米国との打ち合わせに基づいて指定解除の条件を整えるためであって、「リップサービス」どころの話ではない。日本は、指定解除に反対する立場からは「引き取らない」と言わざるを得ないが、そうなれば第三国に出国させてでも北は条件を整えようとするだろう。しかし、日本としては、お尋ね者を引き渡すと言っているのに「結構です」とは言えるはずがない。とんでもないディレンマに直面することになるのである。

 いよいよ追い詰められた安倍は、シドニーでの日米首脳会談で、「日米関係を犠牲にしてまで米朝関係が進むことはない」という確認をブッシュ大統領から取り付けることに全力を挙げ、事前の両国事務レベルの準備ではそのように段取りされていたにもかかわらず、ブッシュはウサマ・ビンラーディンの最新映像がテレビで映し出されたことを取り上げて「世界がいかに危険かを改めて示している」とまくし立て、日本がインド洋での給油活動を継続するよう強く要請、結局、指定解除の問題は話題にもならなかった(11日付日経)。

 恐らく安倍は、「拉致はテロであるというのが日本の立場である。ブッシュさん、あなたが“テロとの戦い”に全力を傾注する以上、その日本の立場を理解して、北のテロ支援国家指定を解除するのは止めて貰いたい」と言うつもりだったのだろう。ところがブッシュはそれを言う暇を与えず、「“テロとの戦い”にとって日本の給油活動は必ず続けてくれ」ということだけを言った。もしその話になれば、「安倍さんの気持ちは理解するが、拉致はテロ支援国家指定の法的要件ではない。“テロとの戦い”の正面はアフガニスタンとイラクの2戦域であり、いま北朝鮮と事を構える訳にはいかないというのが米国の立場である」と言ったかもしれない。空振りに終わった安倍は、これでさらにテロ特措法が延長できなければ、拉致問題を置き去りにして米国が北と融和していく流れは押しとどめようもなくなる——という危機感にとらわれて、翌日、ほとんど衝動的に退陣カードを切ってしまったのである。

 もちろん、テロ特で失敗すれば対米関係は最悪事態に陥って、拉致置き去りは決定的となるだろう。しかし、テロ特で頑張れば拉致置き去りが避けられるという保証は何もない。テロ特を衆院一院で強引に押し通しても、それで国内世論的にも自民党内的にも安部政権はズタズタになるが、辛うじて安倍は退陣しなくて済むかもしれない。が、そのとたんに米国が指定解除に進めば、それは十分に安部退陣の理由となる。安倍の退陣カードが「成算なき捨て身」と言われるその成算のなさは、実はそこに潜んでいると言える。▲

2007年9月 6日

INSIDER No.407《SEMINAR-04》高野孟の「インテリジェンスの技法」(4)──閃きを生む直感力/常識の嘘を見抜く

お断り・再

 本「インテリジェンスの技法」シリーズは、本来、写真や図版等が含まれますが、メルマガでは省略してあります。画像付きPDF形式のファイルをご覧になりたい方はインサイダーHP上にアップロードしてありますので、下記URLから閲覧またはダウンロードして下さい。

http://www.smn.co.jp/insider/takano/takano-semi04.pdf

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 前回で、インフォメーションとインテリジェンスの区別と統一については理解してくれたものと思う。もう一度簡単に対比しておこう。

インフォメーション
第1次情報
事実情報
外部情報
量(の多さ)
集める

インテリジェンス
第2次情報
判断情報
内部情報
質(の高さ)
捨てる

 インフォメーションをインテリジェンスに煮詰めていくには「いろいろなフィルターを使って知的処理をして、その出来事を構成している諸要素が織りなすベクトル構造を炙り出していく」と述べたが、このフィルターについても暫定的に整理しておこう。この全体を通じて(a)直感力、(b)想像力、(c)論理力が発揮されなければならないが、敢えて図式化すれば(1)〜(4)については主に直感力が、(5)〜(8)には想像力が、(9)〜(12)には論理力が、より多く求められるのかもしれない。が、その3つの力は実際には正三角形をなして激しく循環し相互補完しながらインテリジェンスの全過程を通じて働き続けるものなのだろう。直感力は鋭さ、想像力はしなやかさ、論理力は確かさが勝負である。

(a)直感力(鋭さ)
(1)分類
(2)取捨選択
(3)対比
(4)優先順位

(b)想像力(しなやかさ)
(5)相互連関
(6)アナロジー
(7)視点の水平移動(反対側の立場から見る)
(8)視点の垂直移動(虫瞰←→鳥瞰)

(c)論理力(確かさ)
(9)ファクターの整理
(10)主要矛盾の確定とその他の矛盾との距離の測定
(11)段階・局面
(12)ベクトル構造と全体的な問題構図

●羽生善治名人の直感力

 史上初めて将棋の7冠王を達成した羽生善治に『図解/羽生善治の頭脳強化ドリル』(PHP研究所)という著書がある。副題は「直感力、集中力、決断力、構想力を鍛える」となっていて、その第1章が「直感力」に充てられている。彼は、直感力が「閃くためのマニュアルはない」と言いつつも、彼自身の途方もない直感力の働きについて述べているのが興味深い。

「直感や閃きは、まったく何もないところから偶然に出てくるものではない。また、漠然と思い浮かんだいくつかの考えのなかから、クジ引きのようにランダムに選ぶものでもない。それは学習、経験など、自分自身が今まで積み上げてきたもののなかから瞬間的に取捨選択し、判断を下しているものである。そこには、思考の妨げとなるようなためらいや恐れなどが介入できない。だから直感は『純度の高い思考』ともいえる」

「直感を磨く方法としては、とにかく当事者意識をもって行動し、決断をしていくことだ。……当事者意識をもって真剣に考え、行動し、決断を下すことを繰り返していくうちに、自然と直感の精度はあがっていく」

「将棋の世界では、1年前に常識と思われていた定跡が今はもう通用しない、ということはざらにある。となると、今の常識も10年後には間違っている可能性があるわけだ。しかし未来のすべてを予測するのは難しい。問題意識と洞察力を常に持ち、未来に対する嗅覚を研ぎ澄ませていく必要がある。閃きは、そのなかから生まれるのだ」

 論理力というのはまだ、それを教え学ぶためのメソッドがあり、「論理的思考力を鍛える」といった趣旨の教科書的な本も書店には並んでいるし(くだらないものが多いが)、私は私流にここで毛沢東『矛盾論』を素材にそれを講じているけれども、直感力ばかりは恐らく教えようがなく、自分で鍛錬してもらうしかない。どうやって鍛錬するかと言えば、ここで羽生名人が言っているのが正しくて、第1に、学習と経験の分厚さが直感の鋭さを生む基礎となる。

 棋士は、古今の定跡や棋譜を徹底的に研究して、それを自分なりに論理化した膨大なデータベースを頭の中に持っているが、だからといって実際の対局の場面場面で、それらを順序よくCPU(中央演算装置)に呼び出して1つ1つ検討するということはしないはずだ。優れた棋士ほど、そのデータベースの全体が熟成し発酵し渾然一体化した状態になっていて、それが理屈や順番を超えて「ん、ここだな」と感じる直感力を生むのだろう。羽生は「たとえば将棋では、『この場面はこの手しかない』と、100%確信をもって最善手が分かるときがある。このとき、論理的な思考は直感へと昇華されている」とも言っている。

 コンピューターに出来ないのはここで、データベースは人間の能力を超えて作ることは出来るだろうが、それを熟成させるということが出来ない。だから例えば私のようなヘボ将棋打ちがパソコンの将棋ソフトと対戦する時に、まっとうな手を続けているとたいていは負けるが、面白いことに「こんなところで飛車を捨てて桂馬を取るなんていう手があるかよ」というような常識外の捨て身戦法を採ると、それは将棋ソフトの想定外なので、明らかに向こうは混乱して、勝ちを得ることがある。

 将棋の定跡は、先人の何百年もに及ぶ実戦経験の蓄積から生まれてきた知識の集大成であり、将棋世界の「常識」である。棋士はそれらを1つ1つ、盤面に駒を並べて徹底的に研究し、身につけていくのだが、定跡をすべて覚え込んだからといって強くなる訳ではない。その研究成果を自分なりに体系化し、自分独自の得意の戦法を編み出し、それを実戦で試しつつ、日々新たな発展を求めて、ある場合には常識を打ち破って進んでいくのが強い棋士である。

 我々の場合、定跡に当たるのが古典の教養で、とりわけ若いうちには労苦を厭わずに洋の東西の思想のおおどころには一渡り触れておかなければならない。私が二十歳前後にギリシャ哲学はじめカント『純粋理性批判』、ヘーゲル『大論理学』、マルクス『資本論』、サルトル『存在と無』などといったいずれも難解極まりない大著を片端から読み漁っていた時には、「何でこんな訳の分からないものを読まなければいけないのか」と何度も投げ出しそうになりながら、しかしこうした知の巨人たちの強靱な思考力に付いていけないくらいの自分なら、ろくな仕事も出来ずに詰まらない人生を送ることになるのだろうと思い直して、歯を食いしばるようにして挑戦した。前回で「人類の知的資産の全部を背中に負って現実の世界に立ち向かうくらいの誇大妄想的な気概」が必要だと言ったのはそこのところなのだ。それで何が得られたかというと、はなはだ心許ないのだが、ただひとつ、論理的な思考能力だけは徹底的に鍛えられたと思う。

 今時は、何のためにという実用的な目標もないままにこういう七面倒くさい本を繙いて、1ページずつめくりながら考え込むといったことは流行らない。必要な情報はネットで瞬時に手に入る時代に、役に立たないことのために時間を費やすのはもったいないということだろう。アメリカのどこかの大学で、レポートにウィキペディアをコピペするのを禁止したという話が新聞に載っていた。あるテーマのレポートで、多くの学生が同じ間違いを犯しているので、おかしいと思って教授が調べたら、ウィキの記述が間違っていたというのである。ウィキは間違っている場合もあるという前提で使えば便利なツールで、これもまた人類の知的共有財産の1つの形だと思うけれども、問題は、若い人たちに、自分で原典に当たったり、情報源を確かめたりして真偽を見抜きつつ、自分なりの独創的な見解を作り上げていくという気風が乏しいことである。ネットの常識を自分の常識にしているだけでは、常識破りの知的生産など出来る訳がない。

 教養は単に知識として必要なのではなく、それを通じて論理的な思考能力と批判的な問題発見能力を鍛えるためにこそ必要なのであり、それこそが直感力を生む基礎となるのである。

●孤独な決断の繰り返し

 第2に、「当事者意識をもって真剣に考え、行動し、決断を下すことを繰り返す」ことである。当事者意識という意味は、その場面場面で自分が全責任をもって選択し決断するしかないということで、言い換えればその孤独に耐える神経のタフさの問題である。私らジャーナリストの仕事もまさに孤独な決断の連続で、何か思いもしなかったことが勃発して、よく考える暇もなくそれについてコメントしなければならないというようなことはしょっちゅうで、そこで初歩的なミスを冒したり緩んだ間抜けなことを言ったり書いたりすれば、それだけでジャーナリスト生命が絶たれかねない。

 実際、テレビの情報番組で、コメンテーターがたった一言の不用意な発言を吐いて猛烈な抗議を受けて、対応に困った局がその人を番組から降ろすことで始末をつけるといったケースは、私の身近でもいくつもある。私が20年以上もテレビのコメンテーターを続けていてそういう目に遭っていないのは奇跡とも言えることで、まあ全体としては、瞬発的な直感力の発露がそう酷い間違いを招かない程度の教養ベースがあったということになるのだろうか。

 それでも、私が出るのはほとんどが生番組で修正も編集も効かないので、「あわや」ということは何度かあった。1つは、1988年から日本テレビで始まった日曜日朝の「ザ・サンデー」という情報番組でレギュラー・コメンテーターを務めていた時に、90年8月の湾岸危機から91年1月の湾岸戦争にかけて司会の中村敦夫も私も米ブッシュ(父)政権と多国籍軍に対して批判的な論調を繰り広げたのが読売新聞には気に入らなかったらしく、91年3月に私が番組を降ろされ、半年後には中村も辞めてしまった。その番組は、まったく骨抜きの通俗的なワイドショーに衣替えして今も続いている。しかしこれは、論調の違いということなので、私はむしろ誇りに思っている。

 もう1つは、91年10月にTBSで生島ひろしの司会で始まった月〜金曜朝7時の「ビッグ・モーニング」という番組で水曜日のニュース編集長を担当している時に、新潟市の市民派の市会議員がジーパン姿で初議会に登院して保守系から袋だたきに遭ったというニュースがあり、私が「いいじゃないですか、市会議員なんて市民の『小使いさん』なんだから、ジーパンで走り回るほうがいいですよ」というようなことを言った。ところがこの「小使いさん」は差別用語・放送禁止用語で、正しくは「用務員」と言わなければならないということで大阪の自治労から猛烈な抗議を受けることになった。これは私にはビックリで、東京生まれ・東京育ちの私にとっては、「小使いさん」は一種の愛称で、竹とんぼの作り方を教わったり、校舎の2階の屋根に引っかかったボールを取って貰ったりした小学生時代の懐かしい思い出と共にある。よく理解できないまま、しかし「自分の発言には自分で責任を取る」と局側には言って、一人で大阪の自治労本部で開かれた「糾弾集会」に出掛けて行った。聞けば、特に関西では、この問題は被差別部落出身者への職業差別とも絡んでいて、自治労や部落解放同盟が長年にわたって「用務員」という呼称を定着させるために闘争を続けてきたのだという。私は、東京ではそういう話を聞いたことがないので仕方がなかったとはいえ、関西を中心にそのような闘いが続いてきた経緯についてまったく無知であったことは不明の至りであると率直に侘びて、今後その闘いの歴史について学習することを約束して和解したのだった。帰り際、先方は「今まで何十回もこの問題でテレビ局に抗議したが、発言した本人が来たのはあなたが初めてだ」と誉めてくれた。これは明らかに私の教養不足のケースだったが、自分一人で責任を持つ態度を貫いたことで解決した。

 比較的最近に起きたのは、これも被差別部落問題に絡むのだが、05年2月23日の「サンデー・プロジェクト」で『食肉業界のドン』と呼ばれてきたハンナン・グループの総帥=浅田満被告が50億円もの補助金を詐取して起訴された事件を取り上げ、彼の闇の人脈に迫る特集を組んだ際に、私が「(そんなことを取材したら)大阪湾に浮くよ」と言ったことが激しい糾弾の対象となった事件である。それは、番組冒頭でその日の放送内容を予告するやりとりの中で起きたことで、話の流れはこういうことだった。

 まず、もう1つのテーマだった郵政民営化問題について、田原総一朗が自民党の抵抗を排除してこの課題を成し遂げることの困難さを指摘しつつ、竹中平蔵大臣に「東京湾に浮くよ」とジョークを言った。次に浅田特集の話題になり、田原が「浅田被告は被差別部落の出身であり、そのことをタブー視して触れないようにしている他メディアの報道姿勢はおかしい」と言い、また取材を担当した大谷昭宏が「浅田被告の人脈は政界、官界、スポーツ界、芸能界にまで及んでいて、それを徹底取材する」と述べたことを受けて、私が「大阪湾に浮くよ」と発言した。これに対し後日、部落解放同盟と浅田の弁護士からそれぞれテレビ局宛に抗議文が届き、田原が浅田が部落出身者であることを暴露し、かつ被差別部落一般が犯罪に関係があるかのように発言したこと、また高野が被差別部落周辺を取材すると殺されるかのことを言って被差別部落出身者が殺人者であるかのように発言したことは重大な人権侵害であると指摘された。

 もちろんそれは誤解で、私は被差別部落が怖いなどと思ったこともないし、そういう意味で発言したのでもない。浅田人脈が山口組系暴力団に直結し、また野中広務、鈴木宗男、故松岡利勝ら政界の言わば表と裏の境目にいる一筋縄では行かない人々との密接な関係にまで及んでいることを念頭に置きつつ、そうした領域を取材することの困難さを表す記者仲間の比喩的な常套文句として、そのような言葉を口にしたのだったが、確かに説明不足だったことは否めない。それから丸2年間に渡って断続的に続いた部落解放同盟との“対話”の中で、先方は私の中に差別意識が潜んでいることを認めさせようと迫ったが、私にはそんなものがある訳がないので認めるわけにはいかず、あくまで短絡的な物言いが誤解を招いたとすれば申し訳ないと言い続けた。これは、関西闇世界についての私の教養が深すぎて、説明不足を招いたケースである。

 とりわけテレビの生番組は一瞬一瞬が真剣勝負で、それがうまく行く時も行かない時もあるけれども、結果については自分で責任を負うしかない。逆に、そういう切羽詰まった緊張感の中でデータベースを使っているとその熟成度が増して、閃きの精度が高まっていくということなのだろう。

●常識を疑う

 第3に、定跡や常識には通暁していなければならないが、同時にそれを疑い続け、先へ先へと乗り越えて行かなくてはならない。いつも常識の範囲内に留まって無難に凡庸な意見を吐いていたのでは、他人に見向きもされないし、第一、自分が面白くない。むしろ、常識は疑われるためにあるくらいに思っていた方がいい。

 とりわけ、何か事件が起きてメディアの論調が洪水のように一方に流れて、それが“大常識”となって世間にまかり通るといった場合には、大体において敢えてそれに逆らって反常識的に思考した方が正しい結論に到達することが多い。これは田原総一朗が最も得意とする手法の1つで、例えば田中角栄元首相が1972年に登場した当初は「庶民宰相」だ「今太閤」だとさんざん持ち上げられて、76年ロッキード事件で逮捕されるや一転、金権腐敗の権化として袋だたきに遭うということが起きると、「この風潮って、おかしいんじゃない?」という疑念が湧いてきて、同事件をもう一度詳しく検証して「田中角栄は無罪だ」と論じたりする。

 最近ではホリエモンも同じで、彗星のごとく登場した時には時代の寵児であるかにもてはやされたというのに、ひとたび検察が動き出すとたちまち諸悪の根源のように集中砲火を浴びた。そうするとまた田原の天の邪鬼が頭をもたげて、一審判決直前にホリエモンを「サンデー・プロジェクト」に出演させて言いたい放題に言わせようとして、それは報道原則に反するとして反対するテレビ朝日側と大げんかして押し通してしまったりする。

 私はこういう田原手法には大賛成で、なぜなら私自身も、そのように情緒不安定的というか情動的に、まるで表層雪崩のようにダーッと一方に流れる世論なるものをほとんど信用していなくて、むしろそれに対して孤高を保つことが時代の風見鶏としてのジャーナリストの使命の1つだと思っているからである。

 どうしてこのような極端な上げたり下げたりが繰り返されるのか。第1に、大衆社会の世論というのは元々そういうもので、ちょっとしたきっかけで右にも左にも大きく揺れ動く。第2に、メディアがテレビ中心時代に移って、テレビの特にワイドショーは、絵になりやすく、従って情に訴えやすいという意味で面白い場面を、事の重要性とは無関係に、繰り返し繰り返しオンエアするので、活字中心時代に比べて視聴者・読者の情動性が何百倍にも増幅されがちである。第3に、そのテレビ〜視聴者の意識構造の中では、シロかクロかどちらかにハッキリした主張が好まれるので、それを売り物にするキャスターやコメンテーターが人気を博したりする。が、世の中そんな風にシロクロで割り切れるものではなくて、シロと言われているものが3割はクロだったり、クロと言われているものが4割はシロだったりするのが常であって、そういう言説が溢れかえっている時に、「あれ、これって何か変だなあ」とザラッとした違和感を覚えて「待てよ?」と考え始るのもまた直感力の働きの一種なのだろう。■

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