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INSIDER No.391《SEMINAR-02》高野孟の「インテリジェンスの技法」(2)──高野孟とは誰か?/マルチアイデンティティな生き方について

お断り・再

 本「インテリジェンスの技法」シリーズは、本来、写真や図版等が多く含まれているが、インサイダー読者向けのメルマガでは余りに多くの画像を添付することに制約があり、また《ざ・こもんず》ブログ上では写真等の大きさや配置に制約が大きいので、本文ではタイトルのみ記して写真・図版は省略してある。画像付きPDF形式のファイルをご覧になりたい方はインサイダーHP上にアップロードしてあるので、下記URLから閲覧またはダウンロードして頂きたい。

http://www.smn.co.jp/insider/takano/takano-semi02.pdf

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▲高野孟のアイデンティティ曼荼羅図(画像省略)
▲上の自画像曼荼羅を描くための頭の体操(画像省略)

●自画像を描く試み

 今回も、曼荼羅図から入る。これは「高野孟とは誰か?」の説明のために、07年正月休みに家で一杯飲みながら作成した、私の自画像すなわちアイデンティティ・マップである。諸君も、大隈塾授業でもテレビでも田原さんの斜め後ろあたりに控えている私を見ていて、「あれはどういう奴なのか」と思っていたことだろうし、これから1年間付き合っていくについては、私が誰であるかをある程度は知っておいて貰わないと困る。とはいえ、「ひと言で言えば」という言い方があるけれども、私の場合は到底ひと言では収まりようもなく、マルチアイデンティティというか、多重生活空間を飛び回ってどこまでが仕事でどこまでが遊びか見境がつかないような日々を送っているので、時折こうやって1枚の絵に整理しないと自分でも何が何だか分からなくなる。

 参考までに、こういうものをどうやって作るかと言えば紙1枚と鉛筆と消しゴムを用意して、思いつくままに要素を書き込んで、眺めては消しまた眺めては付け加えたりして大体の形を整えていって、最後にフィールドの分け方や配置をもう一度考えて、サインペンと色鉛筆で別の紙に清書にかかる。少し慣れてくれば、下書きから清書まで1時間か1時間半で出来る。そこで皆さんに宿題である。これに見習って来週までにそれぞれ「自分とは誰か?」を自己紹介するアイデンティティ曼荼羅図を作ることを試みてほしい。まあ最初は稚拙なものしか出来ないかもしれないが、それでもそれが今の自分なのだから仕方がない。前夜までに画像ファイルにしてメーリスに流すのがベスト。それが出来なければ当日朝、自前で人数分コピーを取って配布し、各自3分程度で皆に説明する。

 前期のレポートは「『矛盾論』の視点で○○を論ずる」、後期のレポートは「私の人生戦略」を提出して貰うのが、ここ2〜3年の恒例となっている。一昨年から、その最終レポートを中心に1冊の文集を編んでゼミ終了記念とするようになり、昨年からは、その最終レポートに「私の人生戦略」に即した自分とは誰かの曼荼羅図を添えることが付け加わった。今年もそれを踏襲する。来週までに描くものと後期の終わりに描くものを比べれば、自分が1年間でどれだけ成長したかしなかったか、曼荼羅技法がどれだけ進歩したかしなかったか、一目瞭然となる。1年後にもっと豊富で洗練された自画像を描けるようになることを目標に、このゼミに励んでほしい。そして、ゼミを出た後も、社会に出た後も、毎年正月にでも、この自分曼荼羅の改訂版を作ることを習慣づけるといいだろう。就職すれば、あるいは結婚すれば、子供が生まれれば、その都度、曼荼羅は大きく変化して当然で、去年のそれに何も付け加えるものもなく修正する必要もなかったとすると、その1年間、自分がほとんど成長しなかったということがバレるのである。

●マルチなアイデンティティ

 本来、1人の人間がそれなりの人生を送り、いろいろなことに関わりを持ち、そのそれぞれについて人の繋がりを築いていけば、その人のアイデンティティが単一である訳がない。単純に言って、皆さんは「日本国民」であり(あ、留学生もいたかな)、「○○県出身」であり、「早稲田の学生」であり、「□□学部の学生」であり、このゼミの「ゼミ生」であり、「△△サークル」のメンバーでもある。例えばそのサークルがアジア支援のためのインターカレッジのNPOであったとすると、その人の中では「日本国民」よりも「アジア人」とか「地球市民」という自己意識のほうが上位に立つのかもしれないし、「早稲田の学生」であるよりもその「NPOのメンバー」であることのほうが価値があるのかもしれない。あるいは、毎年ゼミ生の中に「早稲田に来てこのゼミが一番面白かった」と言ってくれる人が何人かはいるので、そういう人は「□□学部の学生」より「ゼミ生」であることを重く見ているということになる。

 そのように、アイデンティティは決して1つではなくいくつもあって、しかもその優先順位や軽重や相互関係は常に変化し進化し成長を遂げていくはずで、その多重的かつ動態的(ダイナミックな)自分自身のアイデンティティ構造について明晰な自覚を持って、巧く統合しマネージしていくことが、つまりは「格好いい生き方」ということになる。

 あるいは、こういう言い方をしたほうが分かりやすいのかもしれない。みなさんは、余り自覚的でない状態では、自分でも他人の目から見ても、いろいろな場面で「自分(彼奴)ってこういう人間なのかな」と感じたり感じられたりすることがあって、その散発的な印象が“現象”としての自分である。そこに留まっている限りは「自分が何であるのかよく分からない」という悩みを脱することが出来ないだろう。ところが、それを自覚的に吟味して、上述の日本国民、早稲田の学生等々のように、それぞれの次元や方面で自分は実際にどのように世の中と関わっているのかを示すいくつかのサブ・アイデンティティズに整理し、それらの織りなす動態構造を見極めることができれば、それが“実体”としての自分である。そして、それらのサブ・アイデンティティズをどのように統合しマネージして将来に向かって発展させていくかの人生戦略を仮にでもいいから(そんなものはいつも仮であって、上述のように毎年のように改訂し続けなければならないのはもちろんだが)持った時に初めて「自分とは誰か」という統合された1つの全体としてのアイデンティティが見えてきて、それが“本質”としての自分である。物事を見極めるのに、現象ー実体ー本質の3段階で捉えるという思考方法論は、毛沢東『矛盾論』を学んだ直後に、武谷三男博士の論に触れることがあるはずなので、そこでもう少し原理的に理解することが出来るだろう。これを、ヘーゲル弁証法で言う「即自(ansich)」、「対自(fursich)」、「即自かつ対自(anundfursich)」と重ねてもいい。

※武谷三段階論・論文抄
http://www.smn.co.jp/takano/Taketani.html

 我々は「人間」という言葉を何気なく使っているが、江戸時代まではそう書いて「じんかん」と読ませていたそうで、そのほうがむしろ、他者との間=関係性こそが実は人を規定するというニュアンスを表していて新鮮ですらある。人間は他者=世界=宇宙との関係性の中で生きている——というよりも、その中でしか生きられない社会的動物であり、もっと言えば、自分が持っている関係性の総和こそが実は自分なのであって、それと切り離された純粋の個などというものは哲学的思弁の中にしか存在しない。ある人の生き方が格好よかったり、美しく映ったりするのは、その人の持っている関係性の豊かさと、それらを1つの全体として統合して自分らしい暮らしぶりを実現している巧みさがごく自然に滲み出ていることによるのである。皆さんの年代だと、特に失恋して落ち込んだりしたした時に、下宿の電気もつけずにうずくまり、「自分とは何なのか」と思い悩んだりすることだろうが、そうやって内へ内へと自分を覗き込むようにしても何も見えてこないはずで、なぜなら人は誰も真ん中はドーナツのように“空”であって実体がなく、色や味や歯ごたえがあるのは円環状のドーナツの身の部分であってそれが実体であり、しかしそうは言っても真ん中はただの空っぽなのではなくて、その回りの円環によって支えられた仮想あるいは仮説として「自分」というものがそこに浮遊しているにすぎない。禅の修業で悟るというのはたぶんそういうことで、自分は空であって自分の都合で勝手に「生きている」のではなく、ただひたすら無限の時空の広がりを持つ宇宙ー自然ー社会によって「生かされている」のだと心底感じられた時に、初めて味わう解放感のことを指すのだと、私は思っている。

 鈴木大拙は言う(『新編・東洋的な見方』、岩波文庫)。「人間には、自分の外に出てまた自分を見ることができるはたらきがある。このはたらきの故に、人間は、自分らの社会集団だけでなく、自分以外の他の生物でも無機物でも何でも1つにした絶大の社会集団を認めることができる。これを仏の煩悩という。大慈大悲ともいう。弥陀の本願の出処はここにある」「“空”は空空寂寂の空ではなくて、森羅万象、有耶無耶が雑然として、無尽に織れているところ、それが直ちに“空”の座である。これを『色即是空、空即是色』という。どうかしてこの一点に覚醒してほしいものだ」「自分はこれを、0=∞、すなわち『零イコール無限』という。自分だけの数式である。『空』の世界をここに認得したい」

 空に至るのもまた三段階論的な「矛盾道」のプロセスである。大拙はこうも述べている。「ある禅坊さんは次のようにもいっている。『まだ禅にはいらない前は、山は山、水は水であった。少し禅をやるようになったら、山は山でなくなり、水は水でなくなった。ところが、修行もすすんだということになったら、山はまた山、水はまた水になった。』山が山でない、水が水でない時節を、一遍、通らなくてはならぬ。そうでないと本当の山が見られぬ、水は見られぬ。般若心経には『AはAでない、それ故に、AはAだ』というようなことが書かれている。これはアリストテレス的論理のわなにかからぬ考え方だ。ところが、物の真相にはいるには、この『矛盾』道を経過しなくてはならぬ。言葉の上で片付けないで、『体得』しなければならぬ、『知見』しなくてはならぬ」 まあ、今は「何のこっちゃ」と思っていればいい。いずれ、勉強も仕事も恋愛も結婚も、人生すべからく「矛盾のマネジメント」に尽きると“体得”することもあるだろう。

●李登輝の教養

 さて、そう言うわけで、矛盾論の方法を用いて自分とは何かを見極めて人生の戦略を描くのは簡単なことではない。明治以降の日本には「教養主義」の流れというものがあって、明治から大正、昭和初期までは、若者は古今東西の古典を乱読する中で自分なりのアイデンティティすなわち生きる道筋を自由に模索していくべきであるとする気風があった。ところが戦時中ともなると、そんな呑気なことは言っていられなくなって、「日本国家の一員」という単一アイデンティティにすべてを流し込んで、挙国一致・滅私奉公で戦争遂行ということになり、学生も学業を投げ捨てて戦地に赴かなければならなかった。

▲07年1月李先生にお目にかかった時に頂いた記念の色紙(画像省略)

 戦前の「教養教育」がどういうものであったかを知るには、李登輝(元台湾総統)の『「武士道」解題』という本を読むのが手っ取り早い。彼は日本統治下の台湾に生まれて、自らそう公言しているように“日本人”として育ち、1943年に旧制台北高校を卒業して京都帝国大学農学部に進学したが、翌年学徒出陣、千葉高射砲部隊の見習士官として終戦を迎えた。主としてその旧制高校時代までに、新渡戸稲造への傾倒を中心軸としてどんな本を読みながらどんなふうにして自己形成していったかを振り返りながら、新渡戸の名著『武士道』を解説したのがこの本で、その中で彼が特に影響を受けたものとして採り上げている書名を一覧表にすると別表のようである。これ以外に、彼がマルクス主義の文献にも親しんだことは間違いなく、実際彼は46年に帰国して国立台湾大学に編入した直後に共産党に入党し、2年間ほど地下活動に従事している。こうしてみると、李が20歳前後までに読みふけった書と、約20年の隔たりの後に私が読んだ書とがほとんど同じであることに驚いてしまう。私の両親は明治末の生まれで大正リベラリズム真っ盛りの時代に青春を過ごして、とりわけ母は絵に描いたような大正教養人だったから、ここに出てくるような書はたいてい家の本棚のどこかに埃をかぶって並んでいて、そこは私にとって、かなり背伸びをしてドキドキしながら覗き込む「大人の世界」への潜り穴だった。

※李登輝『「武士道」解題』(小学館文庫)
※新渡戸稲造『武士道』(岩波文庫)

 話は逸れるが、「親父(お袋でもいいのだが)の本棚」というのは1つのテーマである。ジャーナリストの嶌信彦がまだ毎日新聞社を辞める前、ワシントン特派員生活から帰国して元のマンションに戻った時に、「日本の住宅では本棚を置くスペースがないんだよ」としみじみと言っていた。アメリカでは(社費で)大きな家に住んで、好きなように本を並べていたが、帰ってきたらとても本など置く場所はなく、段ボール箱の大半はビニールシートを被せてベランダに積んでおくしかなかった。「俺たちが子供の頃は、大なり小なり親父の本棚というものがあって、背表紙を見ると『何の本だか分からないが、自分も大人になったらどういう本を読むのかなあ』と思ったりしたじゃないか。今の親は、本を読んだとしても、置くところもないから文庫本で読んで捨てる。これじゃあね」と。皆さんもいずれ人の親となるわけだが、その時に子供が胸ときめかせるような本棚を持つことが出来ているだろうか。「百科事典」や何とか「全集」を買いそろえて並べておけばいいというものではない。自分の魂の軌跡を滲ませるような本棚でなければならず、それが、子が親の背を見て育つということの重要な要素の1つである。慌てて付け加えると、百科事典はあったほうがいい。私はそれほどではなかったが、昔は親戚や知り合いに「暇さえあれば百科事典を開いて読んでいる」というおかしな子が結構いて、そういうのは大体において後に大物になっている。昨今はWikipediaというわけだが、あれは常時未完成で間違いもあるし、第一、1つの項目を引いて、関連項目に素早くリンクを辿るにはまことに便利でも、ついでに隣の全く関係のない別の項目に興味を惹かれるということが起こり得ない。新聞も同じで、いくらネットで無駄なく便利に何でも検索出来るようになっても、印刷メディアの無駄で不便なところに実は文化が宿るという機微はネットが逆立ちしても追いつくことが出来ないので、紙メディアは贅沢品としていつまでも残る。

 話を戻して、大正育ちの私の両親世代と戦時下の李と戦後1950〜60年代の私の教養項目とがほぼ共通しているとなると、日本的教養主義は連綿と続いて今に生きているかのようだが、実際にはそうではない。李の時代には実は教養主義としてのリベラリズムは瀕死寸前まで痛めつけられていたのであり、それでもなお彼の逞しい知性は時代の濁流に抗してギリギリまで教養を求めて闘い続けたのだろう。日本全体はとっくに「日本国家の一員」=天皇の赤子という唯一絶対のアイデンティティによって染め抜かれて打って一丸団子状態となっていたのである。戦後、民主主義のありがたいご時世になって、その団子状態は解消されたのかと言うとそうではなく、そのまま目標が戦争から経済に、アイデンティティが「日本国家」から「会社の一員」に置き換えられただけだった。戦前型の教養は、私の両親のようなやや変わり者のインテリ層によって多少とも復元と継承が図られたものの、その子である私らの世代あたりを最後に絶滅に瀕し、その後に「戦後教育」が蔓延し、挙げ句の果てに今日の教育荒廃があるという訳である。

 私は、今後も折に触れてそのことに触れることになると思うが、今の日本が抱えるさまざまな問題の根源は、明治から100年余り、欧米に追いつき追い越せをスローガンに、ひたすら経済成長を追求し、自国が豊かになるためなら戦争をも辞さないという具合にして突っ走って来た日本的発展途上国ないし開発独裁の時代が1980年前後を境にして終わって、世界第2の規模の成熟先進国として次の100年に向かって踏み込まなければならないにもかかわらず、その意識の変革、価値観の転換が出来ていないところにあると考えている。その「100年目の大転換」には例えば次のようなことが含まれる。

《100年目の価値観の転換》
[スケール]   これまでの100年    < これからの100年

《政治》
[意思決定]   一極集中       < 多極分散
[主権所在]   官権=中央集権    < 民権=地方主権
[民主主義]   強制と保護の上からの < 自立と共生の下からの
[地方意識]   ないものねだり    < あるものさがし
[社会]     欧米モデル追求    < 江戸モデル回帰
[外交]     日英・日米同盟    < アジア共同体

《国際》
[文明基盤]   石油         < 脱石油
[国家形態]   国民国家       < 脱国民国家
[戦争形態]   国家間戦争      < 非国家間戦争
[価値基準]   国益万能       < グローバル益重視
[安全保障]   敵対的軍事同盟    < 協調的集団安全保障
[国際秩序]   一国覇権主義     < 多国間協調主義
[繁栄中心]   アメリカの世紀    < ユーラシアの世紀
[核]      核恐怖        < 核廃絶

《経済》
[経済目標]   量(的拡大)     < 質(的充実)
[産業中心]   カネづくり      < モノづくり
[産業構造]   産業社会       < 知識社会
[企業形態]   大企業        < 中小企業
[税体系]    直接税中心      < 間接税中心
[組織論]    ピラミッド型     < ネットワーク型
[メディア]   アナログ(1tox)   < デジタル(xtox)
[アイデンティティ]シングル      < マルチ

 この解説はまた日を改めるとして、今日の主題に即して言えば、過去の100年間を通じて基本的にこの国は、国家=会社が真ん中にあって光を放つ太陽であって個々人はその周りを回る衛星にすぎず、それぞれが独自のアイデンティティなど持つことは許されなかったし持とうという気も起こらなかった。が、次の100年には真ん中にあるのは個々人であり、そのそれぞれが自分なりに周りに会社、仕事、地域社会での役割、家庭、趣味やこだわり等々の活動領域すなわちサブ・アイデンティティズを適切に配置して、それらに上手に時間とエネルギーを配分してコーディネートすることを通じてその人らしい暮らしぶりを実現するのでなければならない。私は、不遜ながら、すでにして小なりといえども1個の太陽である。みなさんはこのゼミで、私という太陽から否応なく光を浴びざるを得ないのだが、それで終わっては意味がなく、それを通じて自分がミニ太陽となって光を放つにはどうしたいいかを体得するのである。

 ちなみに、私のような人間がどのようにして形成されてしまったのかに関心があれば、下記の高野個人HPへのリンクを参照して貰いたい。

※余り短くない自分史
http://www.smn.co.jp/takano/who.html
※我カク戦ヘリ/二十一世紀への冀望
http://www.smn.co.jp/takano/warekaku.html

 前者は98年のある日、突然思い立って一晩で執筆して個人HPに搭載したもの。後者は早稲田大学文学部哲学科の同窓生有志が04年に同人誌『西東』を創刊し、その第1号の巻頭に掲載したもの。62年入学の西洋哲学科同級生で僧侶にして絶叫詩人の福島泰樹が私にインタビューするという形をとって当時の時代の空気を掴みだそうとしている。■

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