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2007年3月29日

INSIDER No.385《COUNTRY LIFE》いよいよ念願の田舎暮らしが実現する──安房鴨川に移住して田舎暮らしを始めるの記・1

 3月26日に長年住み慣れた横浜市戸塚区から千葉県鴨川市に住民登録を移した。生まれてからこれまでに9回引っ越しをしているが、間違いなく10回目の今回が最後で、ここが終の棲家となるだろう。

 鴨川の山中に建設中の新居はすでに9割方出来上がっているが、実はまだ完成・引き渡しに至っていない。昨年8月末に地鎮祭を執り行って当初予定では2月末に完工するはずが半月延びて、さらにその段階で一部の家具・建具の施工が終わらなかった上に、建築家が細部に渡って監査して厳しい手直し要求をいくつも提起したため、もう1カ月延びて4月15日に引き渡しということになった。横浜の家がすぐになくなる訳ではないので、こちらとしてはじっくり丁寧に仕上げて貰ったほうがいい。4月から5月連休にかけて、まさに五月雨的に引っ越しを進め、念願のエセ(?)田舎暮らしが始まることになる。

 ここに至る経緯の途中までは、土地を入手した直後の03年10月20日付「インサイダー」No.154から約1年後に家のプランニングに入った頃の04年10月28日付No.236まで、「人生二毛作開墾記」と題して14回に渡り断続的に連載(サイドメニューのCATEGORY「DOUBLE-CROPPING」にまとめてあります)したが、その後は事情あって中断していた。いよいよ引っ越しが実現することになったので、上記の連載を一部補正の上、アーカイブとして収録すると共に、改めて「安房鴨川に移住して田舎暮らしを始めるの記」と題して、中断後の進展、実際にこれからそこで暮らし始めて何が起きるのかを「インサイダー」紙上で順次報告していくことにする。

●そもそもの始まり

 こういうことになったそもそものきっかけは、何度も書いたりしゃべったりしてきたことだが、故・藤本敏夫との再びの出会いである。藤本とは学生運動時代から党派の違いを超えて遠目でお互いに見知っていて、その後もポツンポツンとは付き合いがあった。彼が参院選に立候補したときには事前に相談があって、麻布十番のおでん屋でじっくり話をして、「止めた方がいいよ」とアドバイスしたりもした。50歳になった時に、ちょうど10歳上の田原総一朗さんが原因不明の消化機能衰弱で痩せ衰えて入院するのを見ていて、「そうか、あと10年で俺も還暦かあ」としみじみ思うことがあり、同じ昭和19年生まれの藤本に久しぶりに声をかけて2人の呼びかけで「一休会」を結成した。19年のイチキュウと、「ここらで人生一休み、今から還暦の迎え方を考えよう」というヒトヤスミの意味と、そう言えば一休禅師は80歳を超えても洒脱で、行きずりの女を庵に引き込んで同棲しエロチックな歌など詠んでいつまでも元気だったのにあやかりたいというイッキュウさん願望とを重ね合わせたネーミングで、時折酒を飲んでは談論風発した。その席で藤本が、学生時代と変わらぬアジテーション口調で、「諸君、還暦とは人生二毛作目に入るということであり、二毛作というなら『農』である。石原莞爾は戦後『国民皆農』と言った。日本人すべからく、何らかの程度、土に触れて農のある暮らしを目指さなければならない」と大演説をブッた。それでその会の有志で彼の鴨川自然王国を訪ねてみようじゃないかということで行ったのが、そこに填り込んだ始まりだった。

 都心からも横浜からも、アクアラインを通って車で飛ばせば1時間半という近さでありながら、そこには日本の農村の原風景と言える美しい里山風景が広がっていて、「東京近郊にこんなところがあったのか」と感動する。しかし、ひとたび中に分け入って見れば、超過疎の村々、放棄されて荒れ果てた田畑、手入れされずに真っ暗になった森など、触れるものすべてがほとんど半死状態であることに胸が引き裂かれる。放っておけない気分に駆り立てられてそこへ通って農作業や森林整備作業に取り組むようになり、ややもして棚田保全のトラストを組織して自分らで田植え・稲刈りをし、大豆を撒いて味噌を作り、年間日程を立てて都市と農村を往復する暮らしが始まった。

●藤本敏夫の遺志

 鴨川では1日の作業が終われば必ず焚き火を囲んでの宴会で、そういう席で藤本とはたくさんのことを語り合った。思いきって要約すれば、1つは、産業政策としての農業政策の立て直しの問題で、折からアメリカ型の大規模化・効率化一本槍の旧農基法下の農政破綻の果てに多少ともヨーロッパ型の環境や農村共同体重視の新農基法に置き換えようという流れが生じて、それまでは危険人物視されていた藤本が関東農政局のそのための諮問会議の事実上の座長に指名されるということもあって、彼は大いに意欲を燃やしていた。私は、そこまでその転換に主体的に関わる見識もゆとりもなかったので、彼の熱弁に頷くばかりだったが、しかし直感的に、法律の文言がどう変わるかよりも農業の現場の実践が現実にどうサポートされるのかが大事なのではないかと思っていた。それは、今で言えば、教育基本法をいじくってもいじめや自殺はなくならず、結局は校長を筆頭とする教師や親や地域の現場での闘いを国がどう励ますことが出来るかに帰着するというのと同様である。結果を見れば、新農基法農政は、大規模化・効率化幻想を捨てきれずに零細農家の足切りを強行するばかりとなってしまった。

 2つには、しかし藤本がそれよりももっと心を砕いていたのは、“業”の付かない“農”のことである。「農業に帰れと言っても、農業はプロの農家が逃げ出しているのが現実だ。都会人に、都会を捨てて農村に行き、農業を始めるべきだなどと言うのは非現実的で、都会人であってもマンションのベランダにプランターを置いてハーブを植えるのも農だし、それで飽きたらずに市民農園を借りて五坪で野菜を作るのも農だ。条件があるなら、鴨川自然王国の会員になって田植えや草取り、芋や大豆作りに参加するのもいいし、畑を借りて小屋を建てて週末農作業をやるのでもいい。定年を機に田舎に引っ越して、農業は無理でも米と野菜の自給くらいは達成しようというならそれに越したことはない。実際、21世紀の日本はそれが最大のテーマだ」と藤本は言った。都会に本宅があって田舎が別荘なのではなく、都会と田舎を自由闊達に行き来して、そのどちらもが本拠であるような多重生活空間を生きるべきであり、そのために鴨川自然王国をもっとみんなに活用して貰いたいというのが、彼の考えだった。

 3つには、特に晩年の藤本は、若い世代が農的生活に関心を向けるようになることに期待をかけていた。我々やそのちょっと下の団塊世代はいずれ還暦を迎えて、その中の少なくとも一部はごく自然に田舎暮らしに向かうだろう。しかしこの世代が出来ることは先鞭をつけることだけで、そこで拓かれた道を辿ってそのジュニアやもっと若い人たちが、最初からの人生戦略として農的生活を目指すようにならなければ日本は変わらない、と彼は言った。その遺言のような期待は、早くも鴨川自然王国において現実となりつつあって、藤本の死と入れ替わるようにして王国には数人の30歳代の若者がスタッフとして身を投じ、そのうち2人は揃って一昨年地元で結婚してそれぞれに子供を設けた。年に4〜5回開いている「帰農塾」でも、最近は20歳代、30歳代の受講生が過半を占めるようになった。その人たちや、私が毎年王国に稲刈り合宿に連れてくるゼミ学生たちの中には、生まれて初めて田んぼに入って泥だらけになると、それだけで人生観がでんぐり返ってしまって、卒業したら会社に就職というだけが人生ではなく、もっと多様で豊かな仕事の仕方、人生の送り方があるんだと目覚めてしまう者もいる。

●移住への決意

 そうしたことを語り合う中で、私もいつしか、還暦を機にこの地に移住して藤本と共に「国民皆農」時代を切り開くために第2の人生を捧げようと思うようになった。藤本の影響と言えばそうなのだが、それ以上に、子供の時以来何十年ぶりに土にまみれて汗をかいたことで、私の人間としての本能というか、本来あるべき姿に目覚めてしまったのではないか。

 藤本が4年前に亡くなってからは、王国の指導は加藤登紀子さんに引き継がれ、彼女が女王(永六輔さんに言わせると皇太后)、次女で歌手のヤエさんがプリンセス、農事組合法人代表の地元の農家・石田三示さんが首相、私が通いの官房長官といった役回りで、上記トラストの運営、王国産の野菜の頒布、年4〜5回の「帰農塾」の開催など多彩な都市・農村交流の事業を進めてきた。これからも王国を盛り立てて藤本の遺志を継いでいかなければならないと思っている。

 こうして、私にとっての鴨川移住は、まだ時折誤解する人がいるのだが、引退でも引きこもりでも都落ちでもなく、まさに土に根ざした人生二毛作目の出発である。本業の方で《ざ・こもんず》という新たな挑戦的事業を起ち上げている最中なので、東京と鴨川を行き来する私の二都物語はしばらくは慌ただしいものとなるだろうが、それを通じて私の人生曼荼羅はなおさら豊穣さを増していくことだろう。

●建設計画の中断と再開

 さて、それで私が王国からほど近い1800坪の山林を手に入れ、たくさんの方々の力を借りながら約1年かかって開墾し、さあ家のプランニングに入ろうかというところまで漕ぎ着けた経緯は、上述の「人生二毛作開墾記」連載で述べた。

 家と庭の設計監修は友人の庭園デザイナーSさんに依頼していた。彼は常々、「本来、家というものは、環境があって、景観があって、庭があって、だからこういう家を建てるというのでなければならない。と言っても今の都会ではそんなことは到底無理で、誰もが周りとは無関係に家の設計図だけ引いて、後になって『ここは水道管が目立つので木を植えてくれ』という程度の認識でしかない」と嘆いていた。私はそれに大いに共感し、こういう広大な敷地だからこそ環境・景観・庭園そして家屋という順序で物を考えていくプロセスを彼と一緒に楽しむことが出来るだろうと考えて、彼に白羽の矢を立てたのだった。彼はもちろん造園が仕事であって建築家ではない。しかし彼がそのような考え方に沿って全体的なプランニングをして、後は信頼できる建築家や大工に任せれば、私の思い通りの家が出来るだろうと期待した。

 しかし、結論から言うとこの仕事は彼には荷が重すぎたようで、プランニングは難航した。とりわけ、上記連載の第13回に述べているように、この土地が「地滑り防止区域」であって地盤に不安があるという問題があって、私はそこは腹を括って前進するという立場だったのに対して、Sさんはどうしてもこだわり続け、そのことがプランニングも設計も工程も著しく制約することになって、とうとう05年末、基礎工事に着手した段階で行き詰まってしまった。私としては、それまでに土地入手からすでに2年間を費やしていて、それ以上の遅延はそこで暮らす時間を縮めるだけになることから、やむなくSさんに降りて貰い、友人の木工作家Bさんの知り合いの別の建築家Tさんに設計を依頼することにした。06年1月に正式依頼、半年かけてプランを煮詰め、8月着工、それでようやくこの春に私の移住が実現することになったのである。

 その際に私が「作りたい家」のイメージを建築家に伝えるために、マインドマップの手法を活用して図示したのが下図である。この説明は次回に述べる。▲

house070329.jpg

2007年3月14日

INSIDER No.384《NORTH KOREA》出口を見失う安倍外交──“原点回帰”が命取りに?

 3月7〜8日にハノイで開かれた日朝国交正常化作業部会は、予想されたとおり、拉致問題をめぐる双方の立場の余りに大きな乖離を再確認しただけで、何の成果もないどころか、次の開催日程さえ決められないまま終了した。これとは対照的に、5〜6日にニューヨークで開かれた米朝国交正常化作業部会のほうは、米側がマカオの北朝鮮銀行口座2400万ドルのうち不法性がないと判定された約半分を近々、金融制裁から外すことを予め通告したことから、順調というか、ほとんど蜜月ムードの滑り出しとなり、「テロ支援国家」指定の解除、寧辺核施設の停止とIAEA査察の受け容れ、重油5万トン支援の開始、その後の米朝国交正常化の準備までが議題に上がったと推測される。

 安倍晋三首相は日朝部会の結末について「まあ、北朝鮮との交渉はいろいろ(曲折が)ありますから」と、表向きゆとりの表情を見せたものの、本当のところは、「日米の緊密な連携で北に圧力をかければ、拉致問題で折れて来ざるを得ないだろう」という甘い見通しが早くも第1ラウンドで破綻に瀕し、このまま強硬姿勢を貫いていていいのかどうか再検討せざるを得ない深刻な事態に直面している。とはいえ、拉致問題の強硬姿勢は安倍の(唯一とは言わないまでも)最大の売りで、「政権の命綱」とまで言われており、しかも支持率下落の中で開き直りの“原点回帰”以外に政権を救う道はないと思い詰めつつある時に、今さら柔軟姿勢に転じることなどあり得ない。

 とすると、今週には米朝協議の第2回と、半島非核化・北東ア安保・エネルギー支援の3作業部会の第1回とが開催され、またIAEAトップのピョンヤン訪問も実現し、さらには2月27日〜3月2日にピョンヤンで開かれた南北閣僚級会談に基づく韓国の対北支援も動きだすなど、事態が多面的に進展する中で、日朝だけは何の動きもなく、中露韓はもちろん米国からさえも日本の拉致最優先のスタンスが迷惑視されることにもなりかねない。

 小泉時代には“親米・反アジア”だったのに対して、安倍は政権発足直後に中国・韓国を電撃訪問し、小泉の反アジアの部分を是正しようと試みた。が、拉致で突っ張らかってしまったことで、北の核暴走を何としても押さえ込まなければならないと思っている中国・韓国のみならず米国の不興をも買うことになり、加えて従軍慰安婦をめぐる米議会の動きに誤った挑発的な対応をしたために、結果的に中韓とも米国ともギクシャクするという“反米・反アジア”に陥りかねない虻蜂取らずの袋小路に突き進んでいるかに見える。

●6カ国協議の本質

 6カ国協議の本質について、自民党の山崎拓=前副総裁は3月9日付朝日のインタビューで次のように語っている。

▼そもそも6者の枠組みは、約20年前、冷戦構造による朝鮮半島の南北分断を解消するために構想されたものです。だから究極の目的は米朝・日朝の国交正常化。そういう歴史の大きな流れの中にあるという大前提で語られるべきです。朝鮮半島の非核化を実現しないとゴールには届きません。

▼拉致問題は重要ではあるが、日朝2国間のテーマであってマルチ(多国間)の問題ではないというのが1つ。もう1つは、確かに国家主権の侵害の問題ではあるけれども、安全保障のジャンルというよりは人道上の問題として取り組むべき性格のものです。6者協議ではなく、日朝両国の直接協議で決着をつけたほうがいい。

▼政府は拉致が第一、核は第二といった具合に順番をつけているが、それ自体がおかしい。全然別の問題ですから。拉致を解決するためには圧力を加えるのみというのも知恵がないと思う。

 山崎の言っているのはおおむね正しくて、米朝・日朝国交正常化と南北対話を進める中で、38度線の休戦協定を恒久的な和平協定に置き換えることで朝鮮半島の“冷戦”状態を解消し、その先、南北の努力によって“分断”状態を解消して民族統一を果たしうる北東アジアの安全保障環境を作り上げていくことが国際社会共同の戦略課題であり、そのための入口として、北の核暴走に歯止めをかけることが緊急に求められている。だからこそ2月の6者合意は、非核化を第一義として、エネルギー支援、米朝・日朝国交正常化、北東アジアの安全保障などの課題をひと連なりのものとして設定した。

 もちろんそこには数々の難題があって、まず非核化をめぐっては、北が本当に国際社会を欺くことなく寧辺核施設を停止しIAEAの査察を受け容れた後、“全核プログラム”をテーブルに乗せてその廃絶に進むのかどうか。また、そうなった上でさらに問題になるのは非核化をめぐる米朝の捉え方の違いで、それは米国にとっては北の核の脅威を除去することであるけれども、北にとっては、そもそも北が核開発に踏み込んだのは米国の(かつては在韓米軍の地上配備の戦術核兵器、現在は)在日基地を含む極東米軍の海洋・航空核戦力によって常時脅かされていると感じているからで、その米国による核恫喝を除去することも含まれなければならない。米国も、そのことが少なくとも議論のテーマの1つであることを認めていて、だから非核化に直結するものとして北東アジアの安全保障に関する作業部会を設置したのである。さらにまた、エネルギー支援は、単なる温情によるのではなく、このプロセスで北に経済崩壊引いては政治崩壊を起こさせないようにする米中韓露の決意の表れであり、その裏には、それでも北が国際社会を欺くようなことをすれば宮廷クーデターでも起こして金正日を物理的に除去することも辞さないという米中の秘密合意がある。

 エネルギー支援のすぐ裏側はクーデターであるような緊迫した状況で、米中韓露がこのガラス細工のような合意をなんとか軌道に乗せようと腐心している時に、日本が拉致という別の問題を持ち込んで、それが解決しなければエネルギー支援にも加わらず、国交正常化もしないという事実上、拉致最優先の独自の立場を主張することは、攪乱行為以外の何物でもない。本来日本は、「ピョンヤン宣言」を基礎としつつ、まず核問題の解決に他の誰よりも熱心に取り組んで他の5者の信頼を得ることを通じて、拉致についても各国の理解を求めていくというスタンスを採らなければならなかった。そうしなかったことによって、日本は6カ国協議のお邪魔虫となってしまい、結果的に拉致でも解決の糸口を掴めないことになった。

●日米vs朝のはずが米朝vs日に?

 日本はまず、米国が拉致を重視し、日米の緊密な連携で北に圧力をかけて何らかの妥協を引き出すことに狙いを定めた。そのため、ニューヨークでの米朝部会とほぼ同時にハノイでの日朝部会を開くよう日程を調整し、その米朝の場で必ず拉致問題を採り上げ、「拉致問題が解決しない限り米国が“テロ支援国家”指定を外さないでくれるように米国に強く要請した。

 米国はもちろん日本の立場に“理解”を示し、実際に日程をそのように調整し、拉致問題を俎上に上げることは約束したものの、事前に例えば毎日新聞3月6日付のニューヨーク電が伝えていたように、「“テロ支援国家”指定解除問題で、米政府が日本人拉致問題の解決を指定解除の明確な前提条件にはしていないことが分かった。複数の米政府高官らが毎日新聞に語った。日本政府は米政府の立場を『拉致問題の解決なくして指定解除なし』と説明しており、同問題を巡る日米間の温度差が鮮明になった」というのが実状である。1人の高官は「拉致問題が解決しなければ指定解除しないというのは米政府の立場ではない」と言い、別の高官は「指令解除と拉致問題をどう関連付けるかは核交渉がどう進展するかなど全体的な文脈で判断される」と言った。当たり前で、喫緊の核問題の前進にとってマイナスになるようなことを米政府がするわけがなく、ただ日本への配慮から一応、拉致を話題にして善処を求めるに止まった。その結果、「拉致を解決しないと指定解除しない」という米国からの圧力を期待して成り立っていた日本の日朝部会への方針は、前提から崩れていた。

 しかし、日本は予定通り日朝部会に臨まざるを得ない。日本の方針は次のようなものだった。

(1)北が「拉致は解決済み」との態度を改めれば、日本単独の対北追加制裁はせず、協議を続行する。ただし、北が「再調査」を約束したくらいでは態度を改めたと認めない。

(2)拉致被害者の一部でも帰国させれば、日本もエネルギー支援に参加する。

(3)全被害者・家族の早期帰国、真相究明、容疑者引き渡し(すなわち全面解決)があれば、国交正常化に応じる。

 これに対してハノイで北が言ったのは、

(1)拉致は解決済みだが、現在の対北制裁を解除すれば「再調査」してもいい。

(2)日本が偽物と判定した横田めぐみさんの遺骨を返還せよ。

(3)在日朝鮮総連への弾圧の中止、脱北者支援NPOの日本人活動家の引き渡し、過去の清算。

 などであり、これでは初めからお互いに話し合いを拒否しているに等しい。糸口になるのは恐らく、加藤紘一衆議院議員が言っているように、めぐみさんの遺骨を第3国の信頼できる機関で再鑑定して不毛な真贋論争にけりをつけ、すれ違いの原因の1つを消去することだろう。その上で、日本の主張する“一挙全面解決”はどう考えても現実的でないので、まずは一部にせよ全部にせよ、拉致被害者・家族の生存確認のための「再調査」実施について、その方式と条件を含め合意することである。その時に、日本側の見返り条件が「追加制裁をしない」という約束なのか、現在の制裁の一部解除なのか、それ以外なのかは交渉次第である。それによって生存が確認された被害者があれば、無条件に帰国させ、それに対して日本はエネルギー支援に参加するのみならず、国交正常化の時までにすべての被害者・家族を帰国させることを条件に国交交渉にも応じることになろう。山崎は上述の朝日インタビューで、「私が勝手ながら(今年1月)訪朝時に提案したのは、国交正常化の時期が来れば、拉致被害者も日本人妻も、あるいは特定失踪者も北朝鮮で生存している日本人を全部帰してくれ、ということです。責任追及はその後だ」と語っているが、これもおおむね正しくて、国交がなく、従って日朝捜査当局の協力態勢も犯人引き渡し協定も存在しない状態で全真相の究明とそれに基づく犯人もしくは容疑者の引き渡しなど要求しても、ただ勇ましいだけの遠吠えに終わることは目に見えている。

 しかし、山崎のアイデアを含めてこうした現実的な解きほぐし策を検討すること自体、被害者・家族・支援者にとっては“裏切り”であり、最初から彼らと心情的に一体化している安倍にとっては出来ることではない。もちろん、被害者・家族の心情に深く思いを致すことは大前提だが、それだけで直情的に突き進むのでは国としての二枚腰、三枚腰の外交姿勢にはならないのであって、安倍には最初(一時帰国の5人を「帰さない」と政府として決定した時)からそのような考慮が欠けている。今回も、その直情性のために、すでに第1ラウンドにおいて、日米vs北の圧力図式を作り上げて拉致で進展を得ようという目論見は崩れ、逆に朝米vs日の図式で核問題を前進させて日本を孤立化させようという北の術策に嵌ることになった。安倍政権の間は拉致問題が一歩も進まないという事態に陥る危険さえ見て取れる。

●火に油を注いだ慰安婦問題

 他方、米下院外交委員会では従軍慰安婦問題で日本政府に正式謝罪を求める超党派の決議案が提出され、すでに2月15日は元慰安婦3人を招いて公聴会を開いた。在米アジア人系の働きかけで過去8回出され否決されたが、今回は通過する可能性が大きくなっている。

 確かにこの問題への日本政府の態度は曖昧な部分があり、在米アジア人がこうした行動をとるのは理由のないことではない。とはいえ、これ自体は例え委員会および本会議で採択されたとしても何の拘束力のない決議であり、同様のあれこれの過去の問題を採り上げた決議案など年間に数百〜数千本も提出されるものであるから、少なくとも決議されるまでは日本政府としては黙っていればよかった。ところが、拉致問題と並んで慰安婦問題についての“河野談話”の廃止を含む“歴史見直し”を得意分野としてきた安倍は、黙っていることが出来ずに、3月1日には記者団に「強制性を証明する証言や裏付けはなかった。その定義が狭義から広義に変わったことを前提に考えるべき」と語り、さらに5日の予算委員会では「官憲が家の中まで入って連れて行ったという(狭義の)強制性はなかった。米下院の決議案は客観的な事実に基づいていない。決議があったからといって謝罪しない」と先走ったコメントをした。

 火に油を注ぐとはこのことで、たちまち中国、台湾、韓国、フィリピンなどの外相はじめ政府高官が非難の談話を発表し、米議会でも、同決議案への賛同が一気に増えるという逆効果を生んだ。フォレオマバエガ議員(下院外交委アジア太平洋地球環境小委員会委員長)は「とても深刻な発言だ。当初は4月末の安部訪米に配慮して採決をそれ以降に先延ばしする予定だったが、情勢は劇的に変わった。3月中に小委員会で審議し、外交委員会に上げる」と述べた。

 そもそも、強制力に広義と狭義があるという議論自体が書生風の議論で、この点は11日のサンプロでも私と桜井よし子の間で若干のやりとりがあったが、時間がなくて意を尽くせなかったので、再論しておく。

 安倍の言う“狭義の強制力”とは、軍が公式に戦場の行く先々に売春宿を作るよう方針や命令を出したり、あるいは彼自身の言葉にあるように、「官憲が家の中まで入って(他国の女性を)連れて行った」といった歴史的事実はない、ということである。事実がないのではなくて、これまでの政府の調査ではそのようなことを示す証拠は見つからなかったというのが本当だろう。それはごく自然なことで、北朝鮮の党・軍の特務機関が日本人拉致の証拠となる資料をきちんとファイルして保存していないであろうのと同様に、旧日本軍が自らの恥部ともいえるこの問題で資料を残しているとも考えられない。

 しかし、元慰安婦の生き残りの多くは、まさに狭義の強制力があったことを米議会その他で証言しており、例えば8日付NYタイムズによれば、台湾出身のウ・フイメイ(90歳)は、「私は日本軍将校に強制的に連れて行かれた。連れて行かれる前に、軍医が私を裸にして検査した。安倍はどうして世界に向かって嘘をつくのか」と言い、またオランダ系豪州人のルフ・オハーン(84歳)は、「ジャワの捕虜収容所に将校がやってきて、他の9人の女性と共に私をピックアップして連れて行った。慰安所には定期的に軍医が来て性病のの検査をした。私を最初に強姦したのは検査に来た軍医だった。慰安所が軍によって組織的に管理されていたことは疑いない」という趣旨を語っている。

 このオハーンの「スマラン慰安所事件」は、以前から強制連行否定派と肯定派の論争問題となっているもので、桜井よし子を含む否定派は、「実際には日本軍上層部の方針に逆らった末端の将兵が勝手に連行し、その違法行為が発覚してすぐ日本軍自身により停止されていた事実が明らかとなった。しかもこの違法の性的徴用の責任者たちは戦後の軍事裁判で死刑を含む厳刑に処されており、今回の日本非難はすでに責任のとられた案件の蒸し返しとなっている」(3月10日付の産経・古森義久のブログ)という見地から彼女を非難し、この件はむしろ逆に日本軍上層部がいかに厳格に対処したかを示すものだと主張している。また、これに限らず戦後直後に各地で行われたBC級戦犯の裁判はデッチ上げや冤罪など何でもありの出鱈目なもので、この裁判で「35名の白人売春婦のうち少なくとも25名は強制だった」と判定されたこと自体が信用できないという主張もある。他方、肯定派は、これが慰安所問題が正面から裁判になったほとんど唯一の事例であるとして重視し、同様の強制連行は朝鮮半島、台湾、フィリピンなど各地で無数に行われたに違いないと主張する。

 どちらもこの事件を都合のいいように解釈しているのだが、問題は、広義(間接)にせよ狭義(直接)にせよ、日本軍が他国を占領してさらなる侵略を続行するという究極目的のために、現地でそのような人員及び施設を調達することを必要としていて、事実上軍民一体でそれを促したことが、戦争法規違反の場合はもちろん、そうでない場合も含めて、全体として道義的に恥ずべきことであったか否かということである。仮に慰安所を作ったのが日本人・朝鮮人・中国人などの市場経済原理に忠実な“民間”業者で、それに応募したのが“自由意思”による売春婦及びその志望者であったとしても、そのこと全体が侵略と占領という絶対的強制力の働いている中で起きたことであり、広義と狭義の間には様々のグラデュエーション(現地司令部の画策、業者との癒着、軍医の指導、末端の暴走等々)があって当然なのであって、どこからどこまでが民間的・自発的であり公的・強制的であるのかを問うこと自体がほとんど意味がない。ましてや、私は連行されたと訴えている本人に対して、「嘘つけ。お前は金欲しさに自分で進んで売春婦になったに違いない」などと、どうして言い放つことが出来るのか。「あれは下請け業者がやったことだから当社には責任がない」などと言い逃れをしようとした関西テレビの社長と似たり寄ったりで、美しくも潔くもないのである。まして政治家の発言は常に政治的文脈の中で受け取られるのであり、安倍が「広義・狭義」という言葉のゲームを弄ぶことは、「何とかして日本政府の責任を逃れようとしている」という印象だけを世界に向かって振りまいているに等しい。

 事実、米誌『タイム』最近号は、「日本の首相は、北朝鮮に対しては一握りの日本人拉致被害者についてはっきりするよう要求しながら、他方では、おそらく何十万人もの性奴隷(その大部分は朝鮮人)のトラウマに対する自国の責任については曖昧にしようとしていると見られている。このことは(日朝)交渉における彼の立場を弱めている」と書いた。そのように受け止められる磁場の中にすでに日本が置かれているということの自覚がないと、この国はますます出口を失って迷走することになる。

 改めて言うまでもなく、「拉致強硬策」、「河野談話見直し」、「歴史教科書見直し」が青年将校だった時の安部の活動の3本柱であり、平沼赳夫と衛藤晟一はその緊密な同志であったが故に何としても復党させたかった。支持率低下の中で、このまま座して死を待つよりも、“原点回帰”して思いっきりよく“決断”して何でもやってやろうという安倍の毒を食らわば皿まで的な心境だが、その決断があらぬ方向へ発揮されると政権の命取りになりかねない。▲

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