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2006年4月25日

INSIDER No.352《POLITICS》政治の流れを大きく変えた千葉補選──小沢民主党に勢いがついた!

 昨日の千葉7区補選は、そこが一体千葉県のどこなのか、誰と誰が立候補しているのか、全国的にはほとんどの人が知らないまま、しかし今後の政治の流れに決定的に影響を及ぼす天下分け目の大決戦として注目を集め、結果は1000票弱の僅差で民主党が勝利した。

●小沢効果

 最大の要因は、言うまでもなく「ニュー小沢効果」である。偽メール事件で同党はほとんど瀕死状態に陥って、この選挙も候補者選びが難航して不戦敗覚悟でパスしようかというところまで追い詰められていたのに、26歳の前県議のお嬢さんの“勇気ある”立候補決意と、投票2週間前に誕生した小沢一郎代表の陣頭指揮でここまで盛り返し、来年夏の参院選で自公政権の息の根を止めるかどうかの挑戦権を確保した。本当に政治は「一寸先は闇」で、昨秋の総選挙での小泉圧勝、年末・年始にかけての「4点セット」での民主党の攻勢、偽メール事件での民主党沈没と前原辞任から一転、その2週間後の補選勝利による急浮上と、まあ目まぐるしい政局温度の乱高下ではある。

 「ニュー小沢効果」の第1は、13年前に『日本改造計画』80万部のベストセラーを引っさげて経世会=竹下派を「ブッ壊し」て自民党を離脱、細川政権のプロモーターとなった小沢に対する“待望論”がまだ地合いとして相当に残っていて、たまたまの巡り合わせで小沢代表が実現したことで、それが半ば自動的に掘り起こされたということである。

 実際、地方に講演に行って出会う商工会議所や商工会の経済人などにも、「私もあの時、『日本改造計画』を夢中で読んだ。一度、小沢に(首相を)やってもらいたいという気持ちはずっと抱いていた」と言う人が驚くほど多い。その人たちは、細川=非自民連合政権を熱狂的に迎え、それが短命に終わったことに失望し、しかし新進党から自由党へ、そして民主党との合流へと流れる小沢に「やっぱり、もう終わったのかな」と思いつつ仕方なく小泉=自民党支持に一旦復帰し、しかしまだ小沢への期待を捨てきれないでいた——といった感じであり、そのような“小沢神話”(なのか“小沢幻想”に終わるのか?)が全国的に復活する可能性があることが明らかになった。その掘り起こしを確実にするためには、前に書いたように、小沢が『新・日本改造計画』を9月までに出すことである。

 9月までに——というのは、自民党総裁選を迎えて、小泉は、「小泉劇場」を「安倍劇場」に遺伝させようとして、TVのワイドショーにそれを面白おかしく取り上げさせて、昨年の刺客騒ぎのような狂態を演じさせようとするだろうが、その時に小沢が、「そんなお遊びはもうたくさんだ。私の国家ビジョンはこれだ。安倍君が有力とかいう話だが、彼のビジョンはどういうものなのか」と言い放って、事実上「俺の相手が出来るような自民党総裁を出して来て貰いたい」みたいなニュアンスで自民党総裁選に先制攻撃的に介入することが重要だからである。ワイドショー的バカ騒ぎはもうウンザリだと思っている人たちを小沢支持に引きつける機会として自民党総裁選を利用するくらいの仕掛けが民主党に必要なのではないか。

 小沢効果の第2は、“選挙上手”という田中角栄・竹下登譲りのこれまた神話が、これで民主党内に一気に行き渡ったことである。岡田と前原が短命に終わったのは、「小泉劇場」に対抗しなければならないと思いながらも、そのためのイメージ戦略と組織戦略の車の両輪を巧く設定出来なかったためである。イメージ戦略は上記の“小沢神話”復活で十分だが、それだけではダメで、他方で周到な組織戦略が要る。とりわけ前原は、「労組のしがらみ」を脱却するなどと子供じみたことを公言して徒に労組の反発を買うばかりで、労組そのものが言ってみれば巨大な市民運動組織に変容しなければ存続さえ難しくなっていて、そのために民主党の助けを必要としているという問題を全く理解していなかった。他方、自民党は、小泉の「自民党をブッ壊す」のお陰で旧来の支持団体を本当にブッ壊してしまい、組織的には1選挙区平均2〜3万票と言われる創価学会票に頼らざるを得ないというイビツな形に落ち込んでいる。

 そこで小沢は、自ら同選挙区の最有力企業であるキッコーマンを訪れて既知の茂木友三郎会長に挨拶し、すると面白いことに茂木は同社労組幹部を小沢に紹介し、労使一体で民主党を支援することを約束した。これを手始めに小沢は決して人任せにすることなく、中小企業や労組や旧自民党支持団体をこまめに歩いて支持を訴える“どぶ板選挙”を展開した。そのため連合労組も戦線に復帰し、笹森清前会長を現地に送り込んで、終盤では「最後は創価学会票と労働組合票の対決だ」とハッパをかけたという。労組票と言っても昔のような結束力はなく、どれほどの効果があったのかは分からないが、他方で自民党が頼りにする創価学会票は、全国婦人部長を投入して2万5000〜3万票の総動員を図ったにもかかわらず、恐らくは小泉の靖国参拝のマイナス影響もあって思ったほどの成果は上がらず、労組票の掘り起こし効果の方が上回ったと見られる。

 こうした小沢の地を這う活動に対して、自民党は「劇場型選挙」の再現で対抗した。現職首相が補選ごときに応援に入るのは異例なことであるけれども、小泉も1回だけ現地に入って1万人の大集会で演説し、看板の安倍は3回も行き、麻生、谷垣、福田も各1回行き、“小泉チルドレン”を大量投入し、さらにTVタレントのハマコウまで動員したが、効き目はなかった。その裏で小沢に対抗するだけのこまめさを発揮するのは武部幹事長の役目であったけれども、その組織能力は比べものにならなかった。

 来年夏の参院選では、最大の焦点となるのは地方の29の1人区(現在は27で内自民25、野党2)で野党がどれだけ逆転できるかである。そのそれぞれで小沢が今回やったような精密な下からの組織工作を今から1年間かけて積み上げていった場合に、その多くで民主党が勝利を収める可能性が見えてきたということである。自民党の参院議員会長=青木幹雄は、参院での与野党議席差は「15人しか余裕がない。15人減ったら完全に自民党政権が終わりになる」と語っているが(17日付毎日)、まさに自民党にとってのその恐怖を現実のこととして突きつけたのが今回の選挙結果だったと言える。

●安倍窮地

 このことは、ワイドショー的人気が高く、来年参院選を勝ち抜くには最適任だろうということをほとんど唯一の理由として、ポスト小泉レースの先頭を走ってきた安倍にとって、深刻な事態である。

 千葉だけではない。麻生に近い中堅議員は「3回入った千葉で負け、地元と言える山口の岩国市長選で負け、同じ森派の中川秀直政調会長の息子が出て応援した東広島市長選で負けた。選挙に強いという『安倍神話』は完全に崩壊した」と語っている(25日付朝日)。

 千葉補選と同日に行われた山口県岩国市長選では、岩国基地への米空母艦載機移転計画の是非が争点となり、計画撤回を訴えた旧岩国市長の井原勝介が、受け入れに前向きな自民推薦の前岩国JC理事長を大差で破った。また、広島県東広島市長選では、早々と安倍支持の態度を明らかにしている中川の次男だけに、安倍は特に力を入れて応援したが、取りこぼした。付け加えれば、沖縄県沖縄市長選も、嘉手納米軍基地の自衛隊による共同使用が争点の1つとなり、明確に反対を訴えた民主・社民ほか推薦の東門美津子=前衆院議員が当選した。

 劇場型選挙が通用せず、安倍を顔に押し立てても勝てないということになれば、彼を小泉の後継者にする理由は消えてしまう。かと言って彼が今回の小沢のように組織選挙が戦えるかと言えば、かつて幹事長として責任を負った03年の衆院選では勝てず、04年の参院選では大敗して退任しているほどで、全く役に立たない。

 こうした状況で、自民党内の反安倍勢力が“福田政権”実現のため派閥を超えて手を組むという流れはますます加速することになろう。とはいえ、福田自身の安倍とは対照的な地味さに加えて、彼を担ごうとしているのは森喜郎、加藤紘一、古賀誠、青木幹雄ら(田原総一朗の表現では)「土俵からはみ出している人」、つまり半ば終わりかけている人ばかりで、清新さが全く感じられないのが苦しいところである。ただ福田になれば彼は靖国参拝問題の解決と日中・日韓関係の修復に全力を注ぐだろうから、安倍の場合と比べてその点での野党からの攻撃を回避することは出来る。

 いずれにせよ、自民党に問われるのは、国家ビジョンを巡って小沢と渡り合えるだけの力量である。久間章生総務会長が「民主党と比べてきちんと政策を打ち出せるかどうかだ。特に地方に強い政策が必要になる」と語っている(25日付朝日)のはその通りで、小泉の真似事をしてワンフレーズで人をはぐらかしたり、「分からないことは分からないんだ」と開き直ったり、およそパフォーマンスで翻弄できるような相手ではない。政策とビジョンで正面切った議論に応じる覚悟がなければ、ますます小沢の攻勢にタジタジとなるばかりだろう。

●政策対決

 議論の焦点は数々あるが、地方に関しては個別の政策というよりも、地方分権構想自体が大きな論争テーマとなろう。自民党は、中川政調会長を中心に「道州制」案の策定に取り組んでいるが、その先触れとなる北海道道州制特区推進法案の4月12日まとまった素案は、国の補助金を形を変えてほぼそのまま残す一方で、道に委譲する権限は砂防、民有林の治山事業の一部など8項目だけで、当初の小泉プランからは大後退した。これでは道州制そのものもろくなことにはならない。これに対して民主党は単なる地方分権というよりも、中央集権を廃絶して「地域主権連邦国家」に変革する案を掲げており、小沢自身も『日本改造計画』の頃から300基礎自治体に大きな権限を与える徹底分権論者であって、自民党の中央集権の下での地方分権か、民主党の非中央集権化された地域主権かという論争が起きれば興味深い。

 “格差”是正も大きなテーマである。千葉補選で小沢は「アジア外交破綻」と「格差拡大」を小泉政治の悪しき遺産として攻撃し、太田和美候補は「格差ゼロ社会を」と訴えて支持を得た。これに対して自民党は「これから格差是正をスピードアップする」(武部)と受け身に追い込まれ、これを跳ね返すことが出来なかった。もっとも、「格差ゼロ」とは、選挙では対立図式を単純化しなければならないことを差し引いても、明らかに言いすぎで、これについて民主党はもっと厳密な議論を仕掛けないと、社民・共産から自民党抵抗勢力、さらには藤原正彦までが口を揃えて改革否定の口実に格差を誇大に言い立てているのと同じになってしまう。

 『日本経済新聞』19〜21連載の「格差を考える」が書いているように、盛んに持ち出されるジニ係数(所得の偏りを0〜1の数字で示すもので、例えば0.5であれば上位4分の1が全所得の4分の3を占める)が厚労省調査で2001年が0.4983で3年前に比べ0.0263上昇したというのも、その増加分の64%は高齢者世帯(現役時代より所得は下がるのが普通)の増加、25%は単身世帯の増加による世帯人員減少によるもので、これを以て「改革のせいで貧しい者が増えた」言うのは無理である。あるいは、学校給食費が払えず就学援助金を受け取る世帯が増えていると言われるが、これも、東京都足立区の場合、夫婦と子供4人の世帯の年収換算で580万円程度までがこの制度を利用でき、また埼玉県川越市の場合は年収700万円程度までが援助対象となっている。一方、国税庁の調査では全国の給与所得者の7割は年収500万円以下で、そうなるとたいていの人は就学援助を受けることが出来ることになってしまい、「負担能力があるのに免れている人が増える」傾向が指摘されている。これを以て「給食費も払えない子が増えているんですよ」と叫ぶのもちょっと筋が違う。

 この連載で経済学者の小宮隆太郎が言うように「言葉の定義も測り方も不明確」なまま“貧困”イメージが先行すると「怠けている人と一生懸命働く人の所得が異なることを格差と」呼んで後者の足を引っ張るようなことになりかねず、「より精緻な分析が必要」となる。

 あるいは、ニートやフリーターを「だらしない」と非難し、「正規の就職をするのとしないのでは生涯収入にこれだけの差が出て、結婚もできなくなるんだぞ」と脅して無理にでも就職させようとするセミナーが盛んだが、これはナンセンスで、確かにだらしないだけの奴もいるけれども、多くはむしろ自分の夢や目標があって、それへのステップとして敢えてアルバイト生活を選んでいる。それは「金よりも大切なことがある」という1つの価値観の模索なのであって、金で説得することは出来るはずがない。フリーターは「定職に就かずに臨時的な仕事を続けている人」(23日付日経)なのだそうで、だとすると私も30歳から今までずっとフリーターもしくはフリーライターで、そうしているのは職がなかったからではなくて、金よりも大事なことのために生きたいからである。

 こうしたことを含め、21世紀に一体どういう国家・社会を作っていくのかについて正々堂々の大議論が繰り広げられる中で、来年参院選で有権者がそれに審判を下すことになれば、日本政治は子供じみたバカ騒ぎから少しだけ卒業できることになるのではないか。そうなることこそが真の“小沢効果”である。▲

2006年4月22日

INSIDER No.351《BOOKS》あなたは脳細胞の99%を眠らせたまま死んでいくのか?──溜め込んで3冊ずつ読むスローな読書術・その1

 《ざ・こもんず》ではこのほど、「溜め込んで3冊ずつ読むスローな読書術」と称する書評コーナーを新設して、最初のうちしばらくは私がペースを作るが、やがてブロガーの皆さんにも適宜参加して頂いて執筆して頂くようにしたいと思っている。

 私の本の読み方というのは乱雑で、自分で月に数万円分の本を買うのに加えて、それを上回るほどの本を友人・知人や場合によっては未知の方からも献本して頂く中から、(1)これは今すぐ斜め読みでもいいから読んで対応しなければならないもの、(2)一応、前書きと目次と後書きを読んで肝心要のところだけを読むもの、(3)積ん読というか目次を眺めたくらいでとっておくもの──を区別して、大雑把に言えば(1)が1割、(2)が2割、(3)が7割という割合である。で、その(2)と(3)の9割の本をどうするかといえば、出来るだけ溜め込んで、あるテーマが閃いた時に、それに関連するであろうと思われる3〜5冊をほとんど1日か2日で一気に読んで、いいとこどりをしてそのテーマに関する自分なりのイメージや考え方を作り上げる。

 私としては、溜め込んでおくのはスローだけれども、そこからあるイメージを形成するのは一気であるという本の読み方が自分のペースになっていて、それを他人に押しつけるのは気が引けるけれども、私がそれをまず始めて、そういうやり方に賛同してくれるブロガーの皆さんにも順次その「3冊一度に」という三面鏡的なフォーマットで参加して頂けることを期待して、このコーナーを始めようと思う。

なお、このコーナーのうち私が執筆したものはインサイダーにも転載される。他の人が執筆した場合は転載されないので《ざ・こもんず》の当該コーナーを見て頂きたい。[たかの]

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《今回取りあげる3冊》
竹内一郎『人は見た目が9割』(新潮新書)
ウィリアム・リード『マインドマップ・ノート術』(フォレスト出版)
トニー・ブザン『ザ・マインドマップ』(ダイヤモンド社)

●目は口ほどにものを言う

 「人は見た目が9割」という書名だけを見て、外面を飾れば女にもてるという類の軽薄な実用本かと思って手に取るのをためらった向きもあるかもしれないが、これは「言葉による伝達(verbal communication)」より「言葉以外の伝達(non verbal communication)」の方が伝達力が高いのだということをテーマとして、日本人のコミュニケーションの特徴を分析した真面目な本である。

 著者は、劇作家・マンガ原作者であり、また舞台演出や俳優教育を長年手掛けていて、自分が言葉で書いたシナリオが、芝居の役者やマンガの登場人物の表情や仕草、間(タイミングのよい沈黙)、色や匂いや音、声色や話すテンポなど、言葉以外の表現要素を巧みに動員することで、遥かに伝達力が高まっていくその手法やプロセスを熟知している。

 例えば、「目は口ほどにものを言う」と言われる通り、待ち合わせに遅れてきた女が「ごめん。怒ってる?」と訊き、男が「怒った」と答えながら目は笑っているという場合は、彼は怒っていない。逆に「怒っていないよ」と言いながら目が怒っているときには、怒っている。あるいは、頬杖をついている男に、女が「真面目に聞いているの?」と問い、男は「ああ、聞いているよ」と答えるが、頬杖に加えて、ロックグラスの氷を見つめるような目線でもあれば、心ここにあらずであることは明らかだ。

●言葉の割合は7%?!

 言葉以外のコミュニケーションというのは実は心理学の1研究領域であり、人が他人から受け取る情報の割合についての米国の心理学者アルバート・マレービアン博士の実験結果によると、「話す言葉の内容」が占める比率は何と7%にすぎない。残り93%は言葉以外の要素で、「声の質(高低)、大きさ、テンポ」が38%、「顔の表情」が55%である。実際には、身だしなみや仕草も大きく影響するだろう。その数字を引用しながら著者は言う。

 「ついついコミュニケーションの“主役”は言葉だと思われがちだが、それは大間違いである。…人は能力や性格もひっくるめて『見た目が9割』と言ってもさしつかえないのではないか…。にもかかわらず学校教育では“言葉”だけが“伝達”の手段として教えられる。だから7%を“全体”と勘違いしている人が生まれる」

 確かに学校でも、音楽や美術、ダンスや演劇、さまざまなスポーツなども教科に採り入れられているけれども、それらはすべてバラバラで、そのような言葉以外の伝達力をさらに言葉そのものの伝達力と上手に組み合わせて、自分自身の総合的な言語的かつ身体的な表現能力、コミュニケーション能力を鍛えていくという具合には指導されないので、例えば、音楽の授業でかえって音楽が嫌いになるというようなことが平気で起きている。

●テレビの影響力の大きさ

 テレビ・メディアの影響力の大きさ、引いては小泉劇場といった問題もたぶんこのことに関係しているのだろう。言葉の中身だけではなく、広場を埋め尽くした何万もの大群衆、大音響のワーグナーの音楽、天を突くサーチライトの光、林立する旗の色となびき方、その中へ(身長の低さを隠すため)白馬に乗って登場するヒトラー、制服、敬礼、そして次第に興奮して上ずっていく演説のトーン──など、ありとあらゆる手段を動員して精密に計算した演出で大衆を陶酔に引き込んだのが、ナチスの宣伝相ゲッペルスだが、戦後、米国のテレビ業界、CM業界、マーケティング業界はそれを徹底的に研究してテレビを通じての大衆心理操作の技法を磨き上げ、やがてそれは政治にも波及して「政治のテレビ化」が進んだ。

 他方、それに対抗して60年代後半の米西海岸のカウンターカルチャーの中で生まれたのが「マルチメディア」で、それは原始的には、ロック音楽のサウンドだけでなく、衣装、色、光と闇、動画、激しい扇動演説、抑制された詩の朗読等々、さらにはドラグに寄る聴衆心理の高揚まで計算に入れてロックコンサート兼反戦集会を演出するやりかたのことである。やがてアップル・コンピューターが登場し、個人がそのような様々の表現要素を組み合わせた表現物を制作することが可能になり、さらに電子的通信手段を通じてそれを自由に発信することさえ可能になって、それが今日のブロードバンド時代にまで繋がっている訳であるけれども、ますます大がかりになり巧妙化していくテレビの側の社会を動かす影響力の巨大さに比べて、ネット上の個人の発進力の総和はまだそれに十分拮抗するだけの力にはなっていない。

 まして日本では、幼い頃から言語的と身体的・イメージ的との表現能力を総合してコミュニケーション力を鍛えるということがないので、余計にテレビの魔術に対して抵抗力がない。それが「小泉劇場」が成り立つ日本の風土なのだろう。

●マインドマップという思考ツール

 さて、マインドマップというのは、あるテーマに関する関連事項を言葉だけでなく色づけした線やイメージ(画像)を使って1枚の紙に表現する技法のことで、それはノート術であり、記憶術であり、発想術、企画術、プレゼンテーション術、コミュニケーション術でもある。その元祖が英国のベストセラー作家でありカリスマ・コンサルタントでもあるトニー・ブザン。その弟子で世界で5人目の公認マスタートレーナー資格を与えられて「ブザン・ジャパン」を設立した在日米国人がウィリアム・リード。この2冊は、ブザンを原理篇、リードを応用篇と捉えてワンセットで読むのが分かりやすいだろう。

 ブザンはマインドマップを次のように定義する。

 「マインドマップは放射思考を外面化したものであり、脳の自然な働きを表したものである。脳の潜在能力を解き放つ鍵となる強力な視覚的手法で、誰もが身に付けることができる。あらゆる用途に使用でき、学習能力を高めたり、考えを明らかにしたりするのに役立ち、生産性の向上が可能になる。マインドマップの特徴は次の4つである。

(a)中心イメージを描くことにより、関心の対象を明確にする。
(b)中心イメージから主要テーマを枝(ブランチ)のように放射状に広げる。
(c)ブランチには関連する重要なイメージや重要な言葉をつなげる。
(d)あまり重要でないイメージも、より重要なものに付随する形で加える。ブランチは、節をつなぐ形で伸ばす。

 マインドマップに色、絵、記号、立体化などを使うと、おもしろさや美しさや個性などを加えることができ、創造力、覚える力、とくに記憶の再生の助けとなる」

 それこそ文字で書くより絵で見た方が早く、ブザンの本には面白いサンプルがたくさん載っているのだが、それをそのまま複写するわけにはいかないので、取り敢えず高野ブログの4月10日付「これは一体何だ?」、17日付「これは一体何?/その2」を参照して頂きたい。私もまだ初心者で、W・リードさんは「よく出来ている」と言ってくれはしたものの、これがセオリーに合致しているのかどうかは分からないのだが、まあ大体こんな感じのものである。

 で、それがなぜ「脳の自然な働きを表したもの」と言えるのか。人間の脳には推定で1兆個の脳細胞(ニューロン)がある。個々の脳細胞はピンの頭ほどの大きさだが、それぞれに複雑な電気化学装置と強力なマイクロデータ処理伝達システムを備えていて、何十、何百、何千という触手を木の枝のように放射状に伸ばして他の脳細胞と信号のやり取りをする。同じテーマを何度も考えると、そこに一定の電磁回路が出来上がって「記憶痕跡」や「認知地図」が形成されるので、ちょうど森に道を開くように、段々踏み固められて思考のスピードが増し効率的になる。それが放射思考で、マインドマップはそのような脳内のプロセスを鏡のように映し出すことで脳の力を強化するものである。

 その際に、マインドマップに線や形や絵や色を用いることでその効果は尚更大きくなる。よく知られている右脳と左脳の機能の違いという問題がこれに関連する。左脳が、言葉、論理、数字、数列、直線性、分析、リストなどに優位性を示すのに対して、右脳は、リズム、空間認識、全体性、想像力、空想、色、次元性などに優位性を持つ。先に竹内が、言葉と言葉以外とにコミュニケーション能力を分けて、とりわけ日本の学校教育では言葉を偏重しがちだと言ったのは、別の表現で言えば、左脳偏重に陥って右脳の豊富な認識と伝達の機能を十分に活用していないということになる。マインドマップは左脳と右脳の両方を使うというだけでなく、その両方が巧く連動してバランス良く働くようにするための訓練術でもある。

 W・リードの(長い書名を正確に言えば)『記憶力・発想力が驚くほど高まるマインドマップ・ノート術』は、まずノートの取り方というところからこの方法に慣れることを勧めた入門書である。彼は、合気道に憧れて1972年に交換留学で来日して早稲田大学で1年間を過ごし、そのまま在日して日本語(完璧)、合気道(7段)、書道(師範)、タップダンス(上級者)などを次々に極めつつ、翻訳・通訳・記者の仕事をし、その中でマインドマップに出会って今や日本におけるその伝道者である。と言うより、マインドマップを身に付けたからこそそれだけ何をやっても一流になれたということだろう。

 彼も言っている。「人間は本来脳が持っている機能の1%以下しか使っていないという学説も出ています。たった1%…。逆に言えば、あなたの脳の99%は眠ったままということです。もちろん使わなければその1%も退化してしまいます」

 99%も眠らせいて、しかも左脳ばかり使って右脳の退化が甚だしいと言うことであれば、脳細胞の0.5%も使っていないことになる。せっかく人間に生まれながら生きた屍も同然だ。これじゃあ死んでも死にきれないと思う方は、この3冊を読んで自らの脳を蘇生させ、悔いのない人生を送るよう心がけて頂きたい。▲

2006年4月21日

海外旅行は指紋を押して(読者からの投稿)

 タイトルは、あと3年ぐらいの近未来の話である。と思っていると、来年、すでにそうなってしまっている、ってことだってありうる。

 日本政府は、今国会に提出した入管法改正で、来日する外国人から入国審査時に指紋を採取することにした。その数、ここ数年の実績からすれば来日する外国人は年間約700万人。人類史上、これだけ多くの人から指紋を採取しようという計画は初めてだろう。

 指紋は人類65億人、全部違う。ということになっているが、検証した人はいない。

 電子的な指紋読み取りの場合、解像度や記号化の精度、照合時に利用する情報の量には何らかの制限がされるはずで、果たしてこのシステムが誤認識することなく稼働するのか、疑わしい。

 誰かが変造・偽造旅券を行使して入国するのを防ごうと思えば、たとえば採取した指紋を長期にわたって保存して、同じパスポートで入国しようとする人がいれば過去のデータと照合する。

 そのとき、指にけがをしたり、洗剤で指紋が薄くなったりで、機械が同一人物と判断しない場合が出てくるかもしれない。ちょっとした機械の誤認識で入国できない、なんて冗談じゃない。

 2004年9月から、アメリカは、「US-VISIT」といわれる入国管理方式を導入した。入国しようとする外国人から指紋と写真を採取することにしたのである。主要な空港でこうした入国手続きが行われている。

 これと同様のことを日本でもしようというのである。

 日本政府の入管法改正案では、16才以上の、公用旅券で入国しようとするもの以外のすべての外国人から指紋を採取することになっている。

 理由はテロ対策。テロを理由にすればなんでもできてしまう。しかし16才以下のテロリストはいないのか? 公用旅券を偽造してくるテロリストはいないのか? なぜ16才は指紋を採られ、15才は採られないのか合理的な説明はなかった。そもそも、指紋を採ったところでテロを防げるのか?

 外国人登録から指紋採取がなくなったと思ったら、今度は、すべての外国人の指紋を採ろうというのだ。

 「US-VISIT」には、ブラジル政府が対抗策をとって、アメリカ国籍者からのみ指紋を採取している。外交官の好きな相互主義という考え方からすれば当然である。日本が指紋を採りはじめれば、日本人だけが外国で指紋を採られる、という事態もあり得る。

 今国会の衆議院法務委員会での審議では、日本政府が想定している指紋の保存期間は70年から80年という言葉が法務副大臣から出た。が、その後、いつ廃棄するかはテロリスト側を資する情報なのでいえない、となった。

 法務委員会では、アメリカの「US-VISIT」が始まったときに、日米規制緩和イニシアティブという政府間交渉で、日本側が、<採取した指紋を出国時に廃棄する>よう要請していたことが民主党委員の質問でわかり紛糾した。アメリカにはすぐ廃棄を要求していたのに、自分がやるとなったら「80年保存」である。政府は矛盾を矛盾と認めず押し切った。法務大臣は、世界中の国家が指紋を採るのがいいのだという。

 アメリカがはじめた指紋採取は、日本がそれに続くことで全世界化に向かうのだろう。

 法務大臣のねらいどおりになるか。いずれにしてもこのままいけば、2、3年後には、<海外旅行は指紋を押して>、が常識になるだろう。

 外国人の指紋を採取するという話だろう、なんて人権感覚のないことを言っていると、それが回り回って日本人を含むすべての人類になることを見逃してしまう。

 この問題について、テロやら犯罪対策として仕方がないのか、それとも、国際人権規約にも違反することで、いくらテロ対策でもやってはいけないことなのか、国民的な論議が必要だろう。そうでなければ影響が大きすぎる。

 しかし、改正入管法はわずか2日半の野党質疑で衆議院法務委員会通過となってしまった。

 日本が変わる、世界を変える。もう止まらない人権の「構造改革」だ。

2006年4月13日

INSIDER No.350《OZAWA》小沢代表で民主党は政権を獲れるか?——『新・日本改造計画』が決め手

 解党寸前のドン底状態にある民主党が、この期に及んで形ばかりの代表選なんぞに時を費やしている暇などあるはずはなく、ここはスパッと、前原辞任、間髪入れずに両院議員総会で小沢=菅の非常時体制を有無を言わせず確立して、挙党一致で再建に立ち向かう潔い姿を示すことが何より大事だった。ところがここでもまた前原前代表の判断は狂っていて、「密室談合と言われるのはよくない。菅さんが出ないなら枝野を出す」と菅に出馬を迫ったので、出馬をとりやめようと思っていた菅も出ざるを得なくなった。

●前原前代表がもたらした3つの災禍

 当人たちも党内の大勢も、そのへんのオバさんたちを含めた国民のほとんども「ここは小沢しかない」と思っていて、選挙をやってもそのような結果になることが分かっているというのに、前原が選挙という形にこだわったために、またもやワイドショーの格好の餌食になって、「民主党代表選も迷走!?渡部恒三氏生出演!ドタバタの舞台裏に何が」(テレビ朝日)、「代表選混乱…小沢&菅氏共同出馬会見が二転三転で突然中止の裏側」(フジ)などと、すべてをドタバタ劇として揶揄するかの扱いが朝昼晩と何日間も続いて、同党への一層の不信を掻き立てた。新聞も、表現は少しは上品だが本質は同じで、「小沢と菅は犬猿の仲で、鳩山を介さないと話も出来ないらしい」といった俗説の類を量産した。ニュースを娯楽として扱う「ニュースのワイドショー化」がスポーツ紙、週刊誌を媒介して一般紙にまで波及するという事態が進んでいて、小泉首相はそれを上手に利用して政権を生きながらえさせたが、民主党は偽メール事件以後、まさにその「ニュースのワイドショー化」の罠にはまって愚劣な材料を提供し続けて自傷し、そこから脱するための代表選びでもまた同じことを繰り返した。これが前原前代表が残した第3の災禍である。第2はもちろん、“お仲間”政治によって偽メール事件を引き起こし、その処理と代表辞任のタイミングを見失って徒に傷口を広げた自損行為。第1は、本誌No.344で書いたように、「中国は現実的脅威」などと戯言を吐いて国際的に恥を晒したことである。

 話し合いで人事を決めるのが「密室談合」で、選挙による多数決なら公明正大だというのがそもそも子供じみている。古代ギリシャの古典的な直接民主主義では、市民が全員参加して納得いくまで話し合って物事を決め、公務に関わる役目は選挙ではなく抽選によって全員が回り持ちで受け持った。共同体の全員が集まり、あるいはもっと広域で部族長全員が集まって全会一致になるまで何日でも話し合うという形は、ユーラシアの遊牧民や北米の先住民の間では今日でも部分的に残っている立派な民主主義の伝統である。余談だが、ちょうど800年前の5月某日、モンゴル高原に割拠する21の部族の長、古老、巫師、武将、戦士ら数千人が集まって「クリルタイ(大会議)」を開き、満場一致、モンゴル部族の若き首領テムジンに“チンギスハーン”の称号を与えたのが、史上初の世界帝国=モンゴル帝国の始まりである。

 日本の“和”の政治も、一面ではユーラシア的な話し合い民主主義の流れに属するもので、それ自体が悪いわけではない。ただ小沢が93年に出した『日本改造計画』の中でも書いていたように、日本ではそれが談合と馴れ合いによる無責任・不決断の政治に堕してきたことが問題なのであり、ここは逆に危機の深さへの認識と再建への決意を鮮やかに示す方法として話し合い一本化が適切だった。早い時期に前原が綺麗に辞任し、即日、両院議員総会を開いて小沢と菅が「2人で建て直しをしていきたいので全員の了承をお願いしたい」と同意を取り付け、どちらが代表でどちらが幹事長かについては皆の意見を求め、決まらなければジャンケンでもすればよかったのである。話し合い一本化は場面によっては民主主義の基本に戻ることを意味するのだということを知るべきである。

●小沢一郎で大丈夫なのか

 いずれにせよ民主党は小沢を代表に戴いて建て直しに踏み出すしか道はない。小沢ほど毀誉褒貶の激しい政治家も珍しく、それで本当に大丈夫なのかという不安が残るのは事実である。

 毀と貶の最たるものは、東北人的と言うべきなのか、あるいは論理先行で人情の機微を軽視する性癖なのか、じっくり話し合って合意を積み重ねる努力をする以前に人間をシロかクロか、服従か離反かで決めつけてしまって、いろいろな能力や特性のある人たちの良い面を上手に引き出しながら全員を協力させていくようなコーディネートというか組織能力に欠けていることである。その結果、前原とはまた別の意味の側近政治に陥り、しかもその側近たちが次から次へと離れていって、昨今は「そして誰もいなくなった」という有様となっている。小沢もある意味で、93年の自民党脱党、細川政権創出の華々しさを頂点として、その後13年間の曲折を経て政治家として今がどん底と言っていいところにまで立ち至って、ようやく自分のその致命的弱点を人前で率直に認めて、「まず自分が変わる」と言えるようになったわけで、そうは言っても今更どこまで変われるのか、本人も含めて誰にも分からないが、ともかくもこれは小沢自身の出直し・再建も懸かった最後の勝負である。

 誉と褒の最大のものは、小沢には本当の改革、すなわち21世紀のあるべき日本へ向かっての国家改造プランを描く力があるということである。彼が自民党を離党する寸前の93年5月に出した上述の『日本改造計画』(講談社)は、政治家の著作としては異例なことに80万部も売れて、今も全国に根強く残る「一度小沢に首相をやって貰いたい」という待望論の基礎となった。当時の優秀な官僚などを集めて、明治以来100年に及ぶ官僚社会主義体制とその最後の随伴者でしかない自民党政治からの脱却の方途を全面的に展開したもので、私は部分的には意見の違うところがあるけれども、その構想力を高く評価する。

 彼がタカ派だという誤った評価もあるが、日米安保条約に基づく集団的自衛権の発動による自衛隊の海外派遣には断固反対、国連ベースの集団安全保障体制下での国際平和創出・維持活動への自衛隊もしくは別組織の積極参加は断固賛成という枠組みは、本誌も基本的に同意見だし、民主党内の横路グループや菅グループとも一致していて、前原の集団的自衛権部分解禁論とは決定的に違う。

●民主党の最大欠陥が直る?

 私は96年旧民主党の結成のための協議に1年半、政治ボランティアとして首を突っ込んで、とりわけ新党参加者全員によって行われた同年7〜8月の集中的な政策論議ではまとめ役を果たし、結党宣言の案を執筆した。その時に最も重視したことの1つは、自民党は良くも悪しくも“超現実的”で、目先のことから少しずつ変えていくのが精一杯であるのに対して、旧社会党は“反現実的”な理想論に立って「何でも反対」した。新しく出来る民主党は(当時から見て20年後の)2015年までに発展途上国的中央集権国家を完全に卒業して5兆ドル成熟経済に相応しい日本型市民社会を創り上げるためのトータル・ビジョンを描いて、そこから手前に向かって逆算するように個々の政策を立て、1つ1つの改革がどこに向かうための段取りなのかを常に明示するようにすることだった。

 今は民主党のアーカイブにさえ残されていないその宣言の該当部分は次のようである。

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《社会構造の100年目の大転換》

 明治国家以来の、欧米に追いつき追いこせという単線的な目標に人々を駆り立ててきた、官僚主導による「強制と保護の上からの民主主義」と、そのための中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システムは、すでに歴史的役割を終えた。それに代わって、市民主体による「自立と共生の下からの民主主義」と、そのための多極分散・水平協働型の「市民中心社会」を築き上げなければならない。いままでの100年間が終わったにもかかわらず、次の100年間はまだ始まっていない。そこに、政治、社会、経済、外交のすべてがゆきづまって出口を見いだせないかのような閉塞感の根源がある。

 3年間の連立時代の経験をつうじてすでに明らかなように、この「100年目の大転換」を成し遂げる力は、過去の官僚依存の利権政治や自主性を欠いた冷戦思考を引きずった既成政党ととの亜流からは生まれてこない。いま必要なことは、すでに人口の7割を超えた戦後世代を中心とする市民のもつ創造的なエネルギーを思い切って解き放ち、その問題意識や関心に応じて地域・全国・世界の各レベルの政策決定に参画しながら実行を監視し保障していくような、地球市民的な意識と行動のスタイルをひろげていくことである。

 政治の対象としての「国民」は、何年かに一度の選挙で投票するだけだった。しかし、政治の主体としての「市民」は、自分たちがよりよきう生きるために、そして子どもたちに少しでもまし未来をのこすために、自ら情報を求め、知恵を働かせ、別の選択肢を提唱し、いくばくかの労力とお金をさいてその実現のために行動し、公共的な価値の創造に携わるのであって、投票はその行動のごく一部でしかない。私たちがつくろうとする新しい結集は、そのような行動する市民に知的・政策的イニシアティブを提供し、合意の形成と立法化を助け、行動の先頭に立つような、市民の日常的な生活用具の1つである。

《2010年からの政策的発想》

 私たちは、過去の延長線上で物事を考えようとする惰性を断って、いまから15年後、2010年にこの国のかたちをどうしたいかに思いをめぐらせるところから出発したい。するとそこでは、小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による「地方分権・地域主権国家」が実現し、そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく、新しい展望が開かれているだろう。

 経済成長至上主義のもとでの大量生産・大量消費・大量廃棄の産業構造と生活スタイル、旧来型の公共投資による乱開発は影をひそめて、技術創造型のベンチャー企業をはじめ「ものづくりの知恵」を蓄えた中小企業経営者や自立的農業者、それにNPOや協同組合などの市民セクターが生き生きと活動する「共生型・資源循環型の市場経済」が発展して、持続可能な成長とそのもとでの安定した雇用が可能になっているだろう。

 国のつごうに子どもをはめ込む硬直化し画一化した国民教育は克服され、子どもを地域社会で包み込み自由で多様な個性を発揮させながら共同体の一員としての友愛精神を養うような、市民教育が始まっているだろう。

 そして外交の場面では、憲法の平和的理念と事実にもとづいた歴史認識を基本に、これまでの過剰な対米依存を脱して日米関係を新しい次元で深化させていくと同時に、アジア・太平洋の多国間外交を重視し、北東アジアの一角にしっかりと位置を占めて信頼を集めるような国になっていなければならない。

 私たちは、そのようなあるべき未来の名において現在を批判し、当面の問題を解決する。そしてたぶん2010年までにそれらの目標を達成して世代的な責任を果たし、さらなる改革を次のもっと若い世代にゆだねることになるだろう。

 私たちは、未来から現在に向かって吹きつける、颯爽たる一陣の風でありたい。(以下略)

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 「未来から吹きつける風」という表現は宮沢賢治の詩からの借り物である。が、出来たばかりの民主党はそのビジョンを描くことが出来ず、それを支援するために私が同党から頼まれて作ったミニ・シンクタンク「プロジェクト2010」も、その宣言と共に打ち出した「常時駐留なき安保」論の具体化のための安保部会では田岡俊次、小川和久、前田哲男など、複雑系、ネットワーク組織論の政治への適用のための情報部会では松岡正剛、金子郁容など、面白い人たちがたくさん協力してくれたが、それも党側の熱意が衰えて1年ほどで立ち消えになり、そのうちに98年春に旧新進党系の人たちが合流して“再結成”となったため、最初の宣言もその精神もお蔵入りとなってしまった。

 以後、民主党の最大の欠陥、そして小泉のエセ改革と対抗しきれない最大の原因は、依然としてトータル・ビジョンを形成できないことにあると私は一貫して主張し、そういうと幹部の誰もが「そうだ、そうだ」とは言うものの誰もそれを手掛けようとはしないことに苛立ちを感じ続けてきた。郵政改革がその典型で、とにかく郵政改革に手を着ければそれでいいという調子の小泉流に対して、郵政事業そのものだけでなく、不良債権処理後の金融改革の方途との関連での郵貯・簡保の民営化の位置づけ、道路だけに留まらない特殊法人改革の方途、郵貯に3分の1を頼る国債乱発政策の転換まで含めた改革の全体像を1枚の絵に描いて小泉案の不徹底、行き当たりばったりを批判しなければならなかった。それを怠ったことが昨年の大敗北の根本原因である。そういうことだったので、3年前に小沢が旧自由党を引き連れて民主党に合流したのを機会に、これはもう、彼に10年前の『日本改造計画』を党内と周りの知恵を結集して書き直して新版を作ってもらうしかないと思い、小沢本人にも他の幹部にも事あるごとに言ってきた。民主党の未曾有の危機の中で、ほとんど偶然のようにしてようやくその機会が巡って来たのである。

 『新・日本改造計画』の発表・出版がうまく行って100万部も売れるベストセラーになれば、それこそが民主党再生の武器となるだろう。しかしそのタイミングは、自民党総裁選でまたワイドショーが狂態を演じる前でなければならない。

●自民党は安倍で大丈夫か

 もし小沢民主党が『新・日本改造論』を引っさげて、これまでの「与党との政策の違い」を対案型か対決型のどちらで際だたせるのかという平板な発想ではなく、未来から語るのか過去を引きずるのかという次元で対抗していった場合には、自民党は窮地に陥る。「自民党をブッ壊す」と言って確かに過去の自民党政治のしがらみのいくつかは断ち切ってきた小泉も、93年に自民党一党体制を崩壊させた立役者である「ブッ壊し」の先輩である小沢から、未来の名において「どういう国、社会を作るのか」という論争を挑まれればタジタジとならざるを得まい。まして、ポスト小泉の最有力とされている安倍晋三には全くその能力はない。93年には小沢は小選挙区制を導入して政権交代ある政治を実現しようとする改革派の急先鋒であり、小泉は自民党内で数少ない公然たる小選挙区制反対論者で守旧派の突撃隊長だった。一旦そこまで歴史を巻き戻したところから、改めて「改革とは何か」を問い直すような党首討論の展開が期待される。

 7日のインターネット放送「国会TV」の「言いたい放題/金曜ナイト」で同TV主宰者の田中良紹と小沢=民主党とそのインパクトについて1時間のトークをしたが、その要点は次の通り。

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▼田中 「小沢代表」は小泉にとってかなり大きな誤算だった。昨年総選挙の圧勝で小泉は「これで民主党は潰せる」と思ったのではないか。あの後、小泉が突然「今の選挙制度はおかしい。2010年までに選挙制度を再検討する」という趣旨のことを言い出したのは、結局、中選挙区制に戻して、民主党は解体・吸収して、自民党の内部で政権交代すればいいという意味だったろう。公明党はもちろん、その方が生き残れるから賛成。民主党の前原前代表に対して「大連立」を呼びかけたり、盟友=山崎拓にアンチ靖国参拝の議員連盟を作らせて、親中国=国際協調派と反中国=一国主義派という対立軸を作り、前者に鳩山由紀夫を引き込んだりしたのも、つまりは、民主党を吸収してメガ自民党を作り、昔(55年体制時代のように)その内部で政権交代すればそれでいいという考えだったのではないか。ということは、小沢や羽田孜が自民党を飛び出して小選挙区制を実現した93年以降の「政治改革」の流れに終止符を打つということだ。ところが、自民党にとって与しやすい前原が引っ込んで、小選挙区制=政権交代論の権化である小沢が出てくることになって、予定が狂ってしまった。

▼高野 小泉は93年の政治改革論議の時から小選挙区制反対だった。昨年総選挙の結果で、小泉は自信を持って民主党を「潰せる」と思ったかもしれないが、もう一面では、「潰さないと危ない」と思ったのではないか。小選挙区制は、昨年総選挙で初めて、2大政党のどちらかにランドスライドをもたらすことがありうることを証明した。94年に細川政権下で小選挙区制が法制化されたけれども、その後何回かの総選挙では効果を発揮しなかった。というのは、自民党は過半数を制する力がないけれども、野党の方がバラバラで、7つか8つか10もあって、政権交代を迫るどころではなく、そこで自民党は野党を取っ替え引っ替え引っ張り込んで連立することで権力に留まることが出来た。3年前の小沢=旧自由党の民主党合流によってようやく2大政党制らしい形が出来上がって、それで初めての総選挙が昨年の総選挙だった。ここで初めて小選挙区制が作動して、今回は小泉マジックのおかげで自民党に大勝をもたらしたけれども、勝った自民党はベテランほど余り喜んでなくて、むしろ「怖い」と。次は同じようなランドスライドが民主党の方に起きて、自民党が野党に叩き落とされることが大いにありうると思った。それで、選挙制度再検討論が出てきたのだ。しかし、小沢が出てきてしまっては、選挙制度を中選挙区制に戻そうなんて話に応じるわけがない。

▼田中 もう1つは、これで「ポスト小泉は安倍」という流れは変わる可能性が出てきた。党首討論の場面を思い浮かべても、民主党が前原なら自民党が安倍という“若さの対決”になるが、小沢が相手では安倍はいかにも軽いということになる。かと言って福田も、後ろに中曽根とナベツネがくっついているというのではどうしようもない。となると、小泉の続投もあり得る。

▼高野 小泉は小沢と同じ昭和17年生まれで、今の自民党に小沢と張り合える奴は他にいないかもしれない。安倍では、小泉が前原を子供扱いしたのとは逆のことになってしまう。小泉は7月に3度目のピョンヤン訪問のサプライズ演出を狙っているらしいから、それが当たれば任期1年延長もありかもしれない。

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 このように、小沢登場は小泉の計算を二重に狂わせる可能性があり、場合によっては小泉自身の続投という思いもしなかった手段でこれに対処しなければならなくなるかもしれない。

 昨年総選挙の後では小泉は得意満面で、このまま当たるを幸いなぎ倒して残り1年間の任期を爆走するかに思われたが、年末から年始にかけての4大事件勃発で一気に運気が去って「9月まで持つのか」とまで言われ、そこで前原執行部の世紀の大チョンボで救われて、さあゆとりを持って安倍に引き継がせようかというときに、今度は小沢が登場……。この希にみる政局の乱高下は、9月にどういう決着を迎えるのだろうか。▲

※この記事は、先に《ざ・こもんず》の高野ブログで書いたことをベースにまとめたものです。

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