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INSIDER No.343《HORIEMON》藤原正彦の「市場原理主義」批判は間違っている——官僚支配の爆砕なくしては日本は前に進まない

 私は藤原正彦の『国家の品格』という本は高く評価していて、「懐かしさ」とか「もののあわれ」とかいった日本的情緒や「武士は食わねど高楊枝」的な武士道精神の復興が、日本自身の再生の鍵であるばかりでなく、それを通じて21世紀の世界を救う役目を果たすことが出来るというその結論に、基本的に賛成である。しかし、本誌前号でも吟味の対象としたライブドア事件についての藤原の新聞でのコメントや、それをさらに詳しく敷衍した『文藝春秋』3月号の巻頭論文「愚かなり、市場原理主義者」を読むと、彼が、日本的情緒・精神vs米国的市場原理主義という二律背反的な荒っぽい思想的対立軸にすべてを還元してしまって、それはそれとして問題提起としては意味のないことではないけれども、現今の日本の政治的対立軸がどこにあるのかについて完全に音痴であるために、結果としては、明治以来の発展途上国型の中央官僚専横の体制やそれにあぐらをかいた既得権益企業・集団を擁護し、またその随伴物である旧自民党的な馴れ合いによる隠微な利害調整や平等原理に名を借りた欲得づくのバラ撒き政治の手法を擁護する役割を引き受けてしまっている。こんな形で文春はじめ旧体制メディアで寵児のように扱われるのは藤原にとって不幸なことだと思う。

●競争そのものを否定しては話にならない

 「市場原理と自由競争は一体だから、その結果、わが国は激しい競争社会に突入した。自由に競争して、勝った者が情け容赦なくすべてを取る、という方式である。公平に戦った結果だからよいではないかという理屈である。弱肉強食、食うか食われるかの世界である。けだものの世界である」と藤原は言う。けだものの世界!?本当に日本はそんなことになっているだろうか。

 第1に、競争が激しくなっているのは事実である。それは、米国の圧力のためでもなく、小泉の“拝米主義的”改革のせいでもなく、日本が100年余りの官僚主導の発展途上国段階を脱して世界で2番目のGDP5兆ドルの民間主導(であるべきはず)の超成熟先進国になったことによって必然的に生じていることであって、それを競争の激しくない状態に戻そうとしても不可能である。社会が成熟すればするほど、個々人は“お上”を当てにしてそれなりの(悪)平等的な“保護”に安心を求めることは出来なくなって、それぞれなりの“自立”を厳しく求められるのは当然であり、しかし何らかの条件があって自立を達成出来ない場合に社会(政府・自治体・市民)のいずれかのレベルのサポートを受けられるようセイフティネットを整備するのもまた当然であって、今や欧州をはじめ先進国での政策議論の焦点は、競争的自立と社会的サポートの適正ミックスの政策的・制度的着地点は奈辺にあるか——欧州的に言えば「第3の道」の模索を競い合うことにある。どういう競争がどの程度までは適正かを検討するのでなく、競争か保護かの二者択一論に立って競争そのものを否定してしまうのは、どうにもならない時代錯誤である。

 第2に、競争が激しくなる一因は、それが一国の範囲で済まなくなって、世界的な問題になっていることにある。加藤紘一=自民党衆議院議員が昔から言っているように、「かつて世界の市場経済クラブのメンバーは日米欧数十カ国の数億人であっが、今や冷戦が終わって、中国・ロシア・東欧・インドなどの数十億人が一挙にクラブに加入してきて、世界経済の構造が激変した」のであり、そこでは、それらの国々の、豊かになりたいという激しい願望を抱いて、日本の5分の1や10分の1の報酬や賃金で1日10時間でも15時間でも働こうとする意欲に満ち溢れ、しかも総じて高い教育水準を持つ優秀な経営者や労働者が、日本を含む先進国の経営者・労働者と直接に競合する。

 例えば、中国の安価な製品の流入によって福井県鯖江の眼鏡フレーム製造業者や愛媛県今治のタオル製造業者の中に経営困難に陥るところが出てくるのは避けられないことであって、その時に政府に輸入規制による保護を求めるのは筋違いであるし、それが一時は成功したとしても長続きするはずがなく、各業者が中国では到底作れないような高度な製品を開発して逆に中国への輸出を強化するといった形で対応するしかない。それが出来る業者と今まで通りの製品を作り続けるしか能がない業者とがあって、後者が倒産したり廃・転業したりしなければならないけれども、それはグローバルな競争条件の下で必然的に起こることであり、その時に市場開放や規制緩和に反対して業界や地域丸ごとの保護を政府に求めるのは退嬰でしかない。競争に耐えうる強い業者を励まし育てつつ、何らかの条件があってそれに耐え得ない業者にはそれなりのセイフティネットを用意することが政府に出来る精一杯のことであり、それ以上の大きな役割を政府に求めてはならない。現に鯖江でも今治でも、生き残った業者はそのようにしてたくましく生き残っている。あるいは、農産物の輸入自由化に反対してデモをしたりしているのは、主として農協の職員であって、彼らが守ろうとしているのは、そうでなくとも既に半ば倒壊しつつある農協の既得権益であって、農業そのものではない。本物の自立した農家は、経営を改善してコストを削減しつつも、有機・無農薬/減農薬など“安心”という付加価値を高く買ってくれる消費者と直接に結びつくなどして、堂々と安価な輸入品に対抗している。

 経営者ばかりでなく、個々の労働者さえもがそのようなグローバルな競争に晒されて、自らの資質を高め労働の質を上げることなしには中国の労働者に対抗して自らの雇用を確保することは出来ない。そのことは、米クリントン政権第1期の労働長官になったロバート・ライシュが適切に問題提起したことであり、実際、欧米の多くの大学ではその頃から、単に自国内でそこそこ出世できるような人材でなく、世界のどこででも知識人・専門家・実務家として通用するような人材の育成を教育目標に掲げるようになった。例えば、日本の若者が国連の難民弁務官事務所の職員となって不幸な人々を救済することを一生の仕事にしようと決意したとして、彼は欧米やアフリカやアジアの優秀な若者たちとの厳しい競争に勝ち抜くことなしにその夢を実現することは出来ない。その競争がどんなに激しかろうと、それは弱肉強食とは呼ばないし、まして「けだものの世界」の出来事でもない。

●何でも市場経済のせいにするな!

 藤原はまた書いている。「市場経済の影響は経済にとどまらない。フリーターやニートばかりでなく若い世代全体に及んでいる。正社員となっても成果主義に追い立てられ、リストラにおびえなければならない。これでは一生懸命勉強をして、良い大学に入り、良い会社に入り、安定した収入を得よう、という動機も低下する。真面目に勉強してコツコツ働くより、ホリエモンに代表されるIT長者のようにベンチャーを作り虚業に精を出した方がよほど旨味があると思うだろう」と。

 本誌が繰り返し述べているように、この国は約100年に及ぶ発展途上国型の官僚社会主義を爆砕して、市場原理が十分に機能する成熟経済を思い切って発展させることが出来るようにするための変革の最中にある。加えて、外からは、冷戦崩壊後の世界構造の激変がもたらしたグローバリズムの津波が押し寄せている。この内と外との二重の転換の下では、政府はもちろん、どのような企業や個人も、過去の100年と同じように生きていくことは出来ない。

 今の若者たちの親の世代は、まさしく「一生懸命勉強をして、良い大学に入り、良い会社に入り、安定した収入を得よう」というふうに動機づけられて、“モーレツ社員”とか“社畜”とまで呼ばれるほど働いて会社に尽くした挙げ句、この世で最も“安定”していると信じられてきた大銀行や大手証券会社までが倒産したり統廃合されて、たくさんの人々がリストラに遭った。その親たちの姿を見て、若者たちの中の鋭敏で優秀な者たちほど、親と同じ生き方をしても仕方がないと思うのは当たり前で、その時に当の親も学校の教師も、「ではこういう生き方をしたらどうか」とアドバイスをすることが出来ない。そこで若者たちは新しい生き方を自分で模索しなければならず、その1つの形がフリーターやニートである。「働く意欲」がないのではなく、もはや自明ではなくなった働き方を求めてもがいているのである。またある者は、発展途上国型のかつての「良い会社」がアレレ?というほどの脆さを露呈して滅びていくのを目の当たりにして、世に言う「良い会社」に入るよりも自分で会社を興したりベンチャーに挑戦したりする方が自己実現の早道だと考えるだろう。ベンチャーが虚業とイコールであるはずがなく、むしろそれこそがポスト産業社会のイノベーションの最先端をなす。

 かつて米スタンフォード大学の某教授から聞いたところでは、同大学でも東部の名門校でも、「最優秀の10%の学生は自分でベンチャーを興すことを考え、またその可能性を持つ。次の30〜40%のまあまあ優秀な連中は既存のベンチャーやNPOや(シリコンバレーなどの)中小企業に入ってすぐにでも活躍することを考える。真ん中から下の平凡な学生は、化学を学んだからデュポンに入ろうかなどと平凡な就職を狙う。そして、どうにもならない一番下の10%の中に役人になろうとする者が多い」とのことであった。私が「日本では逆さまで、最優秀の者が役人になる」と言うと、彼は即座に「それは日本がまだ発展途上国だからだ。途上国では役人が天下国家を動かすからそのほうが面白いはずだ」と答えた。

 完全に米国型になるかどうかは分からないし、それが必ずしもいいことばかりとは言えないが、途上国を脱して成熟段階に到達するということは多かれ少なかれそういうことであって、ホリエモンの結末を捉えてベンチャーを馬鹿にするような言説を吐くべきでない。

 この国の5兆ドルの成熟経済は、世界に向かって開かれた市場経済の原理の下でしかこれ以上発展することは出来ない。そのことと野放しの市場万能主義をよしとするのは別のことである。市場経済が嫌だというのなら、過去の官僚社会主義に戻るか、またそれ以外の道か、どうしたら発展の道筋が立つのかを語るべきだろう。それなしに、市場経済が悪いでは、ただの反動になってしまう。▲

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コメント (1)

下記は 江草乗の言いたい放題 という日記へのコメントの写しです。藤原正彦のクズたるゆえんが詳しく書かれています。

普通の企業と同じで、教育界もほんの一握りの「聖職」あるいはそれに準ずるような呼ばれ方に値する優れた教師と、生活の資を得るために教師という職を選んだ大多数のデモシカ教師と、少数のクズ教師とで構成されている。

 ここでこの主題から外れるが、新田次郎のことを書いたら、新田次郎の次男で、例の「国家の品格」という駄本で1億近いあぶく銭を稼いだ似非数学者藤原雅正彦について書きたくなった。なお以下の文章は、元航空自衛隊の幹部であった「平成山人」のブログに負っている。

>NHKの「現代クローズアップ」という番組で放送された「超ヒット新書の祕密」で、藤原正彦の 「國家の品格」をヒットさせた新潮社の祕密を擔當編輯者だか誰かが出演して、大意、次のやうに語つてゐた。

曰く、始めに思ひ附いたのは 「國家の品格」 と云ふタイトルだつた。しかし、そのタイトルに相應しい原稿を新たに書き起こすのでは、時間が掛かり過ぎて出版のタイミングを逸して仕舞ふ。そこで、偶々存在した藤原正彦さんの講演テープを活字に起し、取敢へず、それに手を加へて出版した處、忽ちベストセラーになつた云々。

詰り、「國家の品格」 と云ふ、賣れさうなタイトルの本さへタイミングよく出版できれば、内容はどうでも良かつたと云ふ事なのだ。

私はそれを聞いて、本來 「文化事業」 たるべき出版社の餘りな 「金錢至上主義」 に怒りを覺える一方、納得もした。と云ふのは、試みに本屋の店頭でその 「國家の品格」 を手に取り、ぱらぱらと拾ひ讀みして見るが良い。 「成程、内容はどうでも良かつたのだな」と思はせるやうな嘘やら出鱈目やら矛楯やらが、直ぐにも目に著くからである。<

 私は元来国家とか、道徳とか言うことを声高に主張する手合いの本は読まないことにしているので、その駄本の内容はよくは知らないが、書評などで大体は了解している。平成山人の文章はその駄本の前後矛盾・自家撞着・デタラメ・うそなどを完膚なきまでに批判している。

 それによると、かの駄本は、表題や喧伝されている内容とは大違いで、要するに金儲けの企業のためにやっつけの手抜き仕事でデッチアゲタ印刷物だそうである。そしてその企画に乗っかり、売れれば印税がたんまり入ってくると胸算用した似非数学者藤原正彦は、やっつけ仕事で駄本のでっち上げに協力して出版し、見事に思惑が当たったというわけだ。もちろん、「東京大学」に現役合格して、大学院に進み、欧米に留学した「秀才」で、しかも父親が高名の小説家であるから、ざっと読んだところはそういった手抜き仕事とは分からないような工夫が凝らされているから、ほとんどの「浅はかな」読者は手もなくだまされ、「国家の品格」なる駄本はベストセラーになって、猫も杓子もヒンカクヒンカクと浮かれて、ついには2番煎じ3番煎じのヒンカク本が山のように沸いて出てきた。売れに売れたことで巨額のあぶく銭を手に入れた上に、似非数学者藤原正彦は一躍品格評論屋に祭り上げられてウハウハである。

 しかし、己自身が本来品格ゼロの手合いであるから、すぐにめっきがはがれてしまう。例えば、週刊新潮に「藤原正彦の管見妄語」という連載文章を書いている。6.18日号のものは「いっぱいいっぱい」という題で、昔の教え子にからんだ話が書かれているが、読むに足るほどのものではない。そして、その文章中には案の定とんでもないことが書いてある。

 その教え子は藤原のゼミ生だったそうだが「このゼミでは、20名ほどの学生が週に1冊の名著を読み論評を提出、授業中はディスカッションをする、というきついものだった。以下略」だそうだ。あれ藤原センセーはゼミでは数学ではなくて、文学論を講義していたんだ。数学を講義するという契約で国立大学教授に任用されていたはずだが、1に国語、2に国語3、4がなくて云々、という持論を見事に実践なさっている。それともご自身の数学の実力がゼミ学生にも劣るから、数学の講義をしたら正体がばれることを恐れたかな。

 

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