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INSIDER No.172《DOUBLE-CROPPING》人生二毛作開墾記・その7──風が空気になってしまっている!

 昨年末もギリギリまで時間のある限り鴨川に通って、草刈りに精を出した。自然王国スタッフのK君、M君にもだいぶ手伝って貰い、また早稲田のゼミの学生有志数人も2度、3度と来てくれて強制労働に従事した。おかげで、下の敷地北端から宅地用の平地、そしてその上の段の森林に差し掛かる辺りまで、全体のだいたい4分の1くらいではないかと思われるが、地表の茅と野バラを中心とした密集的な藪は取り払われて、だいぶ雰囲気が分かってきた。もっとも、高さ2〜3メートルに達していた茅を切り開いたら、けっこう下の街道沿いの家々が見えてしまうのは、いささか計算外だったが、しかしそれは後で目隠し的な植栽を考えれば済むことだ。

 草刈りと言っても並大抵のことではない。まず1回、刈払機で茅や野バラやその他雑木を切り倒すが、それだけでは倒れた草や枝が地面を覆っていてどうにもならないから、それをフォークやレーキを使って大きな山に積み上げる。それをいっぺんに焼いたらたちまち山火事になるので、一山ずつ燃やす。それでもまだ地面は見えず、虎刈りになった茎が突き出していて、ゴム長靴程度では足裏に突き刺さって歩けないので、もう一度丁寧に刈払機をかける。その短い茎と、10年以上も放置されて年々枯れては落ちた枯れ枝が厚さ5センチくらい堆積しているので、それを吹き飛ばすように3回目の刈払機をかけて、それも山に掻き集めて火にくべるのだが、この時は地面の土や石まで一緒に削ったり跳ね飛ばしたりするので、刈払機の刃がたちまち減ったり欠けたりするので、土ごと根を切る時は古い刃に付け替えなくてはならない。

 そのようにして、3回刈払機をかけて全部を燃やすと、ようやく地面が見えてくるのであるけれども、そこから先が問題で、地面の下には20センチほどの深さまで、茅の巨大な根っこや笹の地下茎や葛の蔓がビッシリと詰まっていて、地下帝国のようになっている。さて、これをどうしたらいいのか。農薬をかければ簡単だが、少なくとも1年間は何も生えなくなるし、それを過ぎても残留農薬が心配だ。茅が少々なら、切り取った根の上に食塩を山盛りにして殺す手があると友人の園芸家のSさんは言うが、今まで切り開いた部分だけでも数千本の茅があるから、とうてい手に負えない。とすると、耕耘機かユンボ(パワーシャベル)で掘り起こすか、逆に表面に20センチほど盛り土をしてしまうかないが、それもまた大変。考えあぐねているうちに正月が来てしまった。

●空気じゃなくて風

 さて、今回は風の話である。

 山口昌伴は言う。「いまどきの住まい、風が止まっている。閉じこめられて、風が空気になってしまっている。……なんとも“気詰まり”です。……密閉型のサッシュのせいだけではない。空気が設計の対象になっていて、風は対象から外されてきた。住まいにとって風は、“風邪”あつかいの邪(よこしま)なものとして、住宅設計技術の歴史の中で差別されてきた」。

 山口は重症のチェーンスモーカーで、自宅のマンションでは嫌煙権をめぐる攻防は微妙な段階にある。「たしかに今の住まいは有限の空気が密閉されている単位空間ですから、その中で3立方センチほどの体積とはいえ草を燻したら、たちこめる煙はしたたかな量で、家人が迷惑がるのも無理はない。……キッチンのレンジフードの下に行って立ちんぼ喫煙している負けオヤジなんて見るも無惨。食卓の上に換気ダクトを持ってくりゃいいんだよ」。

 なあるほど。アメリカは世界一、大気汚染の酷い国だから、窓の開かないような建物を作って中の空気を密閉して空調技術で完全管理する。循環式のニセ温泉と同じで、人が吸ったり吐いたりした空気を一度戻してフィルターにかけて、“そよ風”モードとか言って何食わぬ顔して送り出して、また吸わせる。そうするしか屋内で空気が吸えないのだから、そこで煙草を吸われたんではたまったものではない。だから嫌煙ファシズムが他のどこよりもアメリカでヒステリックに叫ばれることになったのだ。本当の問題は大気汚染そのものなのに、自動車天国アメリカでそれを正面切って問題にするわけにはいかない。

 脇道に逸れるが、循環式の温泉というのは恐ろしいもので、とりわけ平成に入って(竹下政権の「ふるさと創成」資金がきっかけで)全国に乱立した公共温泉の99%はこれである。では昔ながらの温泉地なら安心かというとそうでもなく、同じような方式を採っている旅館がたくさんある。循環式とは、浴槽の湯を流し放しにしないで循環させ、砂などで濾過してゴミや汚れを取り除き、塩素で大腸菌などを殺して、もう一度ボイラーで加熱して浴槽に注ぎ込むもので、これが問題であるのは、第1に、この方式が正しく運用されたとしても、湯は一般家庭の水道水を上回る塩素で侵された“塩素風呂”になり、大量の塩素を肌から、また特に泡風呂や打ち湯があると飛沫を口と鼻から、体内に吸収することになる。塩素に含まれるトリハロメタンは発ガン物質であり、また塩素自体が肌を傷め(皮膚細胞を溶かしてしまう!)、痒みや湿疹、肌荒れやシミ・ソバカスの原因になる。

 第2に、塩素被害は別にしても、そもそも湯量不足を補うための循環式が、それだけでなく換水と掃除を手抜きしてコストを浮かせる手段に悪用される傾向があるため、不潔極まりない。循環式であっても毎日湯を入れ替えて浴槽を掃除したり、循環させた湯に新しい温泉湯を加えて成分を出来るだけ維持したりする良心的な経営者もいないではないものの、ほとんどは週に2〜3回、酷いところは週に1回しか換水しなかったり、水道水を加えていたりするので、レジオネラ菌で死なないまでも、成分的にはデタラメの不潔な湯に入ることになる。流行るところは日に3000人が入浴するから、1週間換水しないと、塩素で溶け出した2万4000人分の皮膚細胞の死骸を到底濾過しきれないから、湯はヌメヌメする。それを温泉の成分のせいだと勘違いして有り難がって飲んだりしているおじさんがいる。

 第3に、これが正しく運用されないと、殺菌不足で、大腸菌ならまだしも、レジオネラ菌が蔓延し、2000年4月に静岡県掛川市の「ヤマハリゾートつま恋」で23人が感染して肺炎に罹りそのうち2人が死亡した事件が代表例であるけれども、体と心を癒すはずの温泉に入って死んでしまうことになる。

 循環式かどうかを見分けるのは、一義的には、湯が浴槽から洗い場側にあふれ出しているかどうかで、流し放しにあふれ出していればまず本物の掛け流し温泉、浴槽内の壁面に湯を吸い込む排出口があってあふれ出さないのは循環式である。より巧妙なのは、洗い場側でなく窓側の溝に湯があふれて一方向に流れていくようになっているもので、これも循環式である。しかし、あふれていればすべて安心だとは言えず、循環式でも時間によって湯をあふれさせてゴミを取り除く「オーバーフロー機能」が付いているものがあるし、かつて報告された最も酷い例では、洗い場にあふれさせてシャンプーや石鹸で汚れた湯と一緒に回収してそれも濾過して再使用していたケースもある。浴槽の湯口に柄杓などが置いてあって「飲用可」と表示してあるのは間違いなく本物の温泉で、「飲めません」と表示してあるのは循環式だが良心的な経営者であることを示す。何も表示していない湯を飲むのは自殺行為である。循環式と分かった場合は、少なくとも泡風呂や打ち湯は使わず、上がる前に入念にシャワーで塩素を洗い流すよう心がけなければならない。もっとも、シャワーや蛇口にも循環湯を混入しているところもあって、その場合には見分ける方法がない。だから仕上げのシャワーは水のほうがいい。

 ちなみに「天然温泉」という謳い文句は何の意味もない。循環式であろうと、温泉を引いてそれを循環させていれば“天然”だし、東京郊外の銭湯が湯河原温泉からタンクローリーで運んだ湯を混入させていても“天然”を名乗ることが出来る。「天然温泉100%」というのは、多分「水道水を混ぜていません」という意味で、「循環式ではありません」という意味ではない(以上、主として松田忠徳『温泉教授の温泉ゼミナール』=光文社新書による)。

 本来は自然に流れているものを密閉空間に封じ込めて技術的に管理して“自然らしく”見せることが、どのくらい訳の分からない事態を引き起こしていて、我々が何も知らずにそれを有り難がっているかということだが、それは水道水、給油システム、空調でも原理的に同じなのである。

●冷房じゃなくて風通し

 閑話休題。温暖多湿の日本ではとりわけ風通しのよい家が好まれたし、そのための精緻と言っていい(空気ではなく)風の管理技術があった。山口は夏のある日、大正生まれの冷房アレルギーの爺が街中に建てた家を訪れた。座敷に上がると冷房はおろか扇風機もないが、鎮まってみるとしずしずと涼しい風が吹いている。「いい風ですねえ、この昼日中に」と言うと、爺の普請道楽自慢が始まった。

「暑いのはイヤ、だが冷房もイヤ。そこで家の建て直しにあたって、隣近所のたたずまいをよく観察して、風の道を見いだした。あの家と家のはざまの、緑の谷間を通ってくる風がいちばん冷えている。それを、俺んとこの座敷に廻り込ませるように仕掛けたんじゃよ。ほれ、あそこの建仁寺(垣根の様式名)が風の向きを変える仕掛けで、ずーっと、ほらここに風が来ているでしょう。それだけじゃあ空気が溜まって風にならないからね、これを引っ張る工夫がいる。で、南の方の庭に砂利を敷いて、わざと熱くなるようにすると、あっちの空気が軽くなって上がる。と、こっちの冷えている空気が流れ出していって、暖まって上がっていく。どんどん空気が流れて風になっちゃうわけじゃ」

 止まっていれば空気、動けば風。昔の人は、風通しの悪い家は万病のもとで、住む人も病み建物も傷むと忌み嫌った。自然の中の大気は季節の味をはらんでいて、それを背戸(北側の木立や藪や池のある裏庭)と前庭(南側の石庭)の温度差を利用して北庭に向いた小座敷に取り込むと、そこが一番涼しい。簾や屏風、それに帳(とばり)や緞帳というのも、ただのインテリアや目隠しではなく、風の管理と結びついていたのだろう。

 また台所は、通り土間を通じていつも換気されていたし、床下も風通しがよかった。板の間の台所の床や、踏み込み炉と言って土間から板の間に切り込んだ腰掛け式の囲炉裏の脇には、揚げ板を設けて自然の冷暗所を作り、薪炭や野菜籠や漬物桶や醤油瓶などを置いた。今時の家にもポリケースの「床下収納」を設ける場合があるが、床下の風通しが悪い上に床上では冷房を使うので、久々に開けたら結露で水が溜まっていたというケースもあるらしい。台所も床下も風通しがよく、すぐ外の軒下や前庭は陽当たりがよくて、それらすべてが、自然の力を借りて食材を加工し保存食を作り保管しておくスペースとして連関していたのが日本の民家や農家であり、その基本に風通しということがあった。

 昨今、自分で保存食を作ることはなくなって、金を出して買うばかりだが、山口に言わせれば、保存食とそれを使った惣菜こそ「“おふくろの味”の正体であり、お節料理の中身である」。野菜が余れば糠や塩や味噌に漬け、大根が一度に採れれば干して沢庵を作り、芋が余れば茹でて干し芋にし、魚を獲りすぎたら生干しにするというのは、旬の味と鮮度を貯蔵する知恵の集積であり、それを自分ではやらなくなったことから、台所は買物籠、いやビニール袋一杯分の食料を処理するだけのキッチンになり果てて、そうなれば風通しのよい台所も床下も軒下も要らなくなり、水の溜まる床下収納などという代物がまかり通ることになる。

 横の吹き抜けだけでなく、縦の風の道もある。土間や板の間で火を使えば上昇気流が生じて、夏なら、火の周りは熱いが外から冷たい空気を引き込む。冬は、外からの風を制限して室温を上げる。茅葺き屋根はその全体が巨大な煙突で、熱と煙を吸い上げて外に排出する。飛騨の高屋根などはその煙突機能を妨げないよう、天井を板でなく簾で張っている。

 このあたりの横と縦の風の道をまったく考慮に入れなくなったのが現代の都市建築で、さて鴨川の北斜面の山林に農家的というか田園的な家を建て、しかも風力発電も導入できないかと考えている私の場合、どのようにして敷地全体と家を建てる場所の風の道を見いだせばいいのだろうか。

 その上で、夏の涼しさを主に考えるなら開放型の家になるし、冬の暖かさを主にすれば、OMソーラーもそうだが、何らかの程度、密閉型になる。OMソーラーは、屋根のパネルで温めた空気を密閉した床下に送り込んで床暖房し、さらにその暖気を室内にも回して柔らかな自然暖房を実現する優れたシステムだが、あくまで冬中心で、夏は暖気を温水用に振り向けて、床下から室内には外の冷気を取り込むことになっていて、その効果のほどは(夏にモデルハウスを訪れたことがないので)分からない。

 いまこの季節に現地に通っていて分かるが、関東一温暖な南房総でも北風はかなり冷たいし、敷地が北斜面で冬は日照が短いから、床暖房は魅力的だ。冬は床暖房で、夏は(窓を開け放しにするのは当然として)床下も風通しがいいといった都合のいい作り方はないものか。考えどころである。

●匂いと臭い

 風に関連して、匂いということがある。山口は言う。「住まいを匂いで設計する。そういう視点がいるのでは……これは図面に描けるものじゃありません。台所の設計、便所の設計を、匂いのメリハリと演出の視点から気配りをしなおしてみる必要がある」。

 昔、家には匂いがあったし、街もいろいろな匂いに満ちていた。今は家もオフィスも街全体も空調化され無臭化された。匂(にお)いも臭(にお)いも区別せずに、みな臭(くさ)いとみなして排除するのが近代化だと思ったからだろう。私が20歳過ぎまで住んだ世田谷・下北沢の家の台所は、いつもひんやりとして、すえたようなカビくさい臭いがしたが、あれは揚げ板の下の漬物樽の糠が生きて発酵する匂いだったのではなかろうか。あるいはそれが、昨日焼いたサンマの煙の臭いや、勝手口の土間に置いた生ゴミのバケツの腐りかけた臭いなどと渾然一体となっていたのかもしれない。ヴァーチャル・リアリティというが、あれがどうしても現実に近づけないのは匂いがしないことだ。それでも我々がそこにリアリティを感じるのは、本当の現実がすでに匂いを失っていることに馴らされているからなのだろう。管理された空気に香気を混ぜて気分をよくさせようというアロマセラピーは、循環式の浴槽に“温泉の素”を投げ込んでいるようなもので、本末転倒。暮らしに本来あるべき匂いを復権させなければならず、それにはまず風通しがなければ話にもならない。▲

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