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2004年1月27日

INSIDER No.174《DOUBLE-CROPPING》人生二毛作開墾記・その8──敷地の中から水が湧いていることの幸せ

 1月24〜25両日は、日本一の芝生屋さんである清水興産グループの清水勇夫会長から同社の精鋭14人の草刈りボランティア部隊に派遣命令が下され、平野英四郎隊長の指揮の下、2日間で一気に我が山林の敷地最上段まで藪を切り開いてくれた。さすがプロ集団で、刈払機、チェーンソー、鋸、鉈を駆使して、藪を払い、蔓を切り、枯木を倒して、さらに草や枝は燃やし、太い幹は後で薪にするようまとめて、あれよあれよという間に開墾作戦第1期の「とにかく上まで藪を切り開く」という目標が達成されてしまった。清水さん、平野さん、そしてプロの作業員の皆さん、本当にありがとうございました。自然王国スタッフのK君と私が加わって総勢16人。やっぱりこういうことは人海戦術に限る。

 清水さんは私のモンゴル旅行や六本木男声合唱団の仲間で、ゴルフ場やサッカー競技場の芝生の施工・管理ではナンバーワンの会社を率いており、日本芝生協会の会長でもある。時々ゴルフを教えて貰ったり、私が川淵三郎キャプテンと引き合わせて「学校校庭の芝生化」の運動に一緒に取り組んだりしている。「冬は芝生の仕事が暇なので、“社員研修”として作業員を派遣しますよ」と言ってくれて、この日、横浜の本社と千葉県市原市の作業所から14人の部隊が来てくれたのである。隊長の平野さんは、芝生管理の超一流博士で、ゴルフも釣りもプロ級で、よく遊んで貰っている関係。1日目の夜は半数以上が自然王国の小屋に泊まったので大宴会になった。

 皆さんのめざましい働きのおかげで、2日目の午後になってようやく、初めて、敷地のほぼ全貌が見渡せるようになった。下から見上げると、藪だらけだった時には何か暗い圧迫感のようなものがあって、かなり急な斜面のように感じていたのが、意外になだらかで、一番奥に行って少し急斜面になっている地形であることが分かった。西日が差し込むようになったせいもあるのだろう、明るく柔らかな景色で、そこに焚き火の煙が漂って幻想的な趣さえ感じられる。庭園デザイナーのSさんも駆けつけて、「いやあ、南から西にかけての森の景観がいいですねえ!」と歓声をあげた。

 こうして切り開いていくと、藪の中からいろいろなものが発見される。中段中央には小振りの梅があり、その左手上方には甘夏ミカンが4本あった。たぶん前の持ち主が植えたのだろう。藪に埋もれていて危うく切り倒しそうになったのを、「あれ、これはもしかしたら甘夏じゃない?」という具合に気が付いて残したものだ。タラの芽も何本か残した。自然薯も蔓や誰かが掘った穴があちこちにある。自然薯掘りに慣れた人は誰もが「こりゃあ、来年になったら自然薯の宝庫だよ」と言う。下の林道の向こう側は(余所の土地だが)ハチクの竹林で、筍も採り放題である。他にも丁寧に見ていけばいろいろなものがあったに違いないが、今はそんなことを言っている場合じゃない、シャニムニ切り開くのが先で、それでも後で出てくるものは出てくるだろうし、欲しいものがあれば植えればいい。

●水源が3つ見つかった!

 最大の関心事である水源は、これまでに3つ発見した。第1は、敷地の上の、昔ここが棚田だった時の最上段にあって、これが田んぼに水を供給する源だったのだろう。前の地主が、コンクリートの槽を埋めて、そこから土中にパイプを通して左方の大きな水タンクに貯水し、さらにそこから土中パイプで下の水道栓まで繋がるよう工事がしてあるが、パイプもタンクも泥が詰まっていて使い物にならない。山の浸み水は使っていないと散ってしまって出が悪くなる。それでも僅かに清らかな水が浸み出していて、白い沢ガニが何匹も棲んでいるから、まだ生きている水源である。一度周りを深く掘って、パイプとタンクを工事し直せば、段々水量が増えるのではないか。

 第2の水源は、東隣の森に入った辺りにあり、ここのほうが水量はやや多い。亀の形をした大きな岩に巨木の根が絡みついたその根元に水が湧いていて、そこから5メートルほどパイプを引いて大きなコンクリートの槽に流れるようになっている。地元長老のKお父さんによると、昔はここから下の方の3軒の家が水を取っていたそうだから、相当な水量があったのだろう。お父さんを通じて水利権者に了解を得れば利用して構わないとのことなので、まずはここから水を引くことを試してみることにしよう。こういう工事はK君がお手のものである。

 この第1と第2の水源は、お父さんから聞いていたものだ。ところがさらに、中段に第3の水源があった。1月11〜12両日、現地に行き、宅地として造成された部分のもう1つ上の段の茅と野バラの山を(風が余りなかったので)野焼き同然に盛大に燃やした。枯れ草や枯れ枝の山を野バラの棘に難渋しながら抱きかかえて焚き火のところまで運ぶ作業をしていると、段々地面が見えてきて、そのさらに上の段との間の土手のほぼ中央から水が少し滲み出しているのが見えた。そこを枯れ葉をかき分けてよく見ると、土手に沿って左(西側)にすこーし水が流れて湿っていて、5メートルほどのところで大きな穴が開いていてそこに水が吸い込まれている。

 ところがその先をさらに枯れ枝を取り除いていくと、ずっと下の方まで緩やかなC字形を描いて、元は田んぼの脇の水路だっただろうと思われる跡があるではないか。それに沿ってどんどん掻き分けて行くと、元水路はその段を東に向かって横切って、右手の雑木林の手前で下に曲がってだいぶ下の方まで続いていて、その先は急な斜面になっていてちょっと分からなかったが、全長40メートルくらいだろうか、れっきとした小川の跡なのだ。

 そこで、近所のDIY屋に車を飛ばして小さな掛矢(カケヤ=杭打ちなどに使う樫など堅い木で作った槌)を買ってきて、水を吸い込んでいる穴を土で埋めでその上から石を集めてカケヤで叩き込み、上から粘土をかけてまた突き固めると、少しずつではあるが水が下へと流れ始めた。

 で、今度は土手下の水源を見ると、1カ所は本当にちょろちょろではあるが水が浸み出していて、その近くに沢ガニが1匹いたので、間違いなく水源である。ところがその30センチほど右にもう1カ所、水が溜まった小さな穴があり、その水は右に流れているようだ。シャベルを使ってその水も左に流れて、先の水源と合流するようにしてやると、だいぶ小川に流れる水が増えた。夕方、暗くなって引き上げるまでに、水はお湿り程度ではあるけれども15メートルくらい先まで届いていた。いまは一番枯れている時期だから、これで雨が降るともっと流れるだろう。

 前の地主は、上述のように、ずっと上の方の第1の水源からタンクを経て、この元小川をまたいで地中パイプを引いて、梅の木の横に蛇口を設けていた。ということは、彼がこの工事をした10数年前にはすでに小川は枯れていたか、水量が落ちていたのだろう。しかしここもやり方次第ではチョロチョロ小川を再生することが出来るかもしれない。いや、なかなか面白い。湧き水が余るようならそのまま敷地を流れる小川にして、クレソンでも生えていて、蛙や沢ガニがいて鳥が遊びに来るようにしたいもんだと思っていたけれど、そんなものを人工的に作らなくても初めからちゃんと小川があったのだ。

 それにしても、第1、第2、第3とも水の出をよくする作業が必要で、自然王国代表の石田三示さんに聞くと「基本的には深く掘ってみることだが、無駄骨を避けるには井戸屋か何か専門家に見て貰うのがいい」と言っていた。石田宅も自然王国も山の浸み出し水を使っていて、水はチョロチョロ(2センチほどの細いパイプに半分ほど)でもタンクを大きくすれば日常の用には十分足りるそうで、さらに雨水も利用することを考えれば、まず上水は心配ない。

 これで塩素ガス殺菌の市水道の水を飲まなくて済む。しかも、水道は電気と違って自分で引かなければならないから、150メートルほど離れたKお父さんのお宅のところからここまで管を引けば、加入料と工事費を合わせて250万円ほど負担しなければならないし、さらに当たり前だが後々水道代を払わなければならない。大変な出費になる。

 しかし実はお金の問題などどうでもいい。水道水というのはご承知の通り、塩素ガスを投入して水の中に次亜塩素酸という活性酸素を発生させ、その強力な酸化作用で水中の細菌を殺す。ところがこの活性酸素は水道水の中に残留して、それで顔や手を洗えば肌を酸化させて表面を破壊するし、内臓に入れば細胞を酸化させてガンをはじめ様々な障害を引き起こす。活性酸素こそ万病の元と言われるゆえんで、健康のためにありとあらゆる薬やドリンクを試す人がそれを飲むときに水道水で飲んだり、トレーニングやエアロビクスに取り組んで「あー、疲れた」と言って水道水で喉を潤したりしているのでは、何の意味もない。

 そこで浄水器を取り付けて活性酸素を除去する訳で、それでもやらないよりかはマシだが、活性酸素を除去しても活性水素は発生しない。そこでさらに高価な電気分解装置を導入して、活性水素の豊富な「還元水」を作るのがベストということになるのだが、そうまでしなくても、本当の天然の山の浸みだし水なら人工的な還元水に近い水質が得られる(ちなみに天然水と銘打ってボトルで売っている水には活性水素は少ししか含まれていない)。この土地は、上にも左右にも人家がなく、十年以上にわたって農薬を使用したことがないのは確実だから、調べてみないと確かなことは言えないが、恐らく優れた水が出るはずで、これが何より幸せなことなのである。▲

2004年1月 1日

INSIDER No.172《DOUBLE-CROPPING》人生二毛作開墾記・その7──風が空気になってしまっている!

 昨年末もギリギリまで時間のある限り鴨川に通って、草刈りに精を出した。自然王国スタッフのK君、M君にもだいぶ手伝って貰い、また早稲田のゼミの学生有志数人も2度、3度と来てくれて強制労働に従事した。おかげで、下の敷地北端から宅地用の平地、そしてその上の段の森林に差し掛かる辺りまで、全体のだいたい4分の1くらいではないかと思われるが、地表の茅と野バラを中心とした密集的な藪は取り払われて、だいぶ雰囲気が分かってきた。もっとも、高さ2〜3メートルに達していた茅を切り開いたら、けっこう下の街道沿いの家々が見えてしまうのは、いささか計算外だったが、しかしそれは後で目隠し的な植栽を考えれば済むことだ。

 草刈りと言っても並大抵のことではない。まず1回、刈払機で茅や野バラやその他雑木を切り倒すが、それだけでは倒れた草や枝が地面を覆っていてどうにもならないから、それをフォークやレーキを使って大きな山に積み上げる。それをいっぺんに焼いたらたちまち山火事になるので、一山ずつ燃やす。それでもまだ地面は見えず、虎刈りになった茎が突き出していて、ゴム長靴程度では足裏に突き刺さって歩けないので、もう一度丁寧に刈払機をかける。その短い茎と、10年以上も放置されて年々枯れては落ちた枯れ枝が厚さ5センチくらい堆積しているので、それを吹き飛ばすように3回目の刈払機をかけて、それも山に掻き集めて火にくべるのだが、この時は地面の土や石まで一緒に削ったり跳ね飛ばしたりするので、刈払機の刃がたちまち減ったり欠けたりするので、土ごと根を切る時は古い刃に付け替えなくてはならない。

 そのようにして、3回刈払機をかけて全部を燃やすと、ようやく地面が見えてくるのであるけれども、そこから先が問題で、地面の下には20センチほどの深さまで、茅の巨大な根っこや笹の地下茎や葛の蔓がビッシリと詰まっていて、地下帝国のようになっている。さて、これをどうしたらいいのか。農薬をかければ簡単だが、少なくとも1年間は何も生えなくなるし、それを過ぎても残留農薬が心配だ。茅が少々なら、切り取った根の上に食塩を山盛りにして殺す手があると友人の園芸家のSさんは言うが、今まで切り開いた部分だけでも数千本の茅があるから、とうてい手に負えない。とすると、耕耘機かユンボ(パワーシャベル)で掘り起こすか、逆に表面に20センチほど盛り土をしてしまうかないが、それもまた大変。考えあぐねているうちに正月が来てしまった。

●空気じゃなくて風

 さて、今回は風の話である。

 山口昌伴は言う。「いまどきの住まい、風が止まっている。閉じこめられて、風が空気になってしまっている。……なんとも“気詰まり”です。……密閉型のサッシュのせいだけではない。空気が設計の対象になっていて、風は対象から外されてきた。住まいにとって風は、“風邪”あつかいの邪(よこしま)なものとして、住宅設計技術の歴史の中で差別されてきた」。

 山口は重症のチェーンスモーカーで、自宅のマンションでは嫌煙権をめぐる攻防は微妙な段階にある。「たしかに今の住まいは有限の空気が密閉されている単位空間ですから、その中で3立方センチほどの体積とはいえ草を燻したら、たちこめる煙はしたたかな量で、家人が迷惑がるのも無理はない。……キッチンのレンジフードの下に行って立ちんぼ喫煙している負けオヤジなんて見るも無惨。食卓の上に換気ダクトを持ってくりゃいいんだよ」。

 なあるほど。アメリカは世界一、大気汚染の酷い国だから、窓の開かないような建物を作って中の空気を密閉して空調技術で完全管理する。循環式のニセ温泉と同じで、人が吸ったり吐いたりした空気を一度戻してフィルターにかけて、“そよ風”モードとか言って何食わぬ顔して送り出して、また吸わせる。そうするしか屋内で空気が吸えないのだから、そこで煙草を吸われたんではたまったものではない。だから嫌煙ファシズムが他のどこよりもアメリカでヒステリックに叫ばれることになったのだ。本当の問題は大気汚染そのものなのに、自動車天国アメリカでそれを正面切って問題にするわけにはいかない。

 脇道に逸れるが、循環式の温泉というのは恐ろしいもので、とりわけ平成に入って(竹下政権の「ふるさと創成」資金がきっかけで)全国に乱立した公共温泉の99%はこれである。では昔ながらの温泉地なら安心かというとそうでもなく、同じような方式を採っている旅館がたくさんある。循環式とは、浴槽の湯を流し放しにしないで循環させ、砂などで濾過してゴミや汚れを取り除き、塩素で大腸菌などを殺して、もう一度ボイラーで加熱して浴槽に注ぎ込むもので、これが問題であるのは、第1に、この方式が正しく運用されたとしても、湯は一般家庭の水道水を上回る塩素で侵された“塩素風呂”になり、大量の塩素を肌から、また特に泡風呂や打ち湯があると飛沫を口と鼻から、体内に吸収することになる。塩素に含まれるトリハロメタンは発ガン物質であり、また塩素自体が肌を傷め(皮膚細胞を溶かしてしまう!)、痒みや湿疹、肌荒れやシミ・ソバカスの原因になる。

 第2に、塩素被害は別にしても、そもそも湯量不足を補うための循環式が、それだけでなく換水と掃除を手抜きしてコストを浮かせる手段に悪用される傾向があるため、不潔極まりない。循環式であっても毎日湯を入れ替えて浴槽を掃除したり、循環させた湯に新しい温泉湯を加えて成分を出来るだけ維持したりする良心的な経営者もいないではないものの、ほとんどは週に2〜3回、酷いところは週に1回しか換水しなかったり、水道水を加えていたりするので、レジオネラ菌で死なないまでも、成分的にはデタラメの不潔な湯に入ることになる。流行るところは日に3000人が入浴するから、1週間換水しないと、塩素で溶け出した2万4000人分の皮膚細胞の死骸を到底濾過しきれないから、湯はヌメヌメする。それを温泉の成分のせいだと勘違いして有り難がって飲んだりしているおじさんがいる。

 第3に、これが正しく運用されないと、殺菌不足で、大腸菌ならまだしも、レジオネラ菌が蔓延し、2000年4月に静岡県掛川市の「ヤマハリゾートつま恋」で23人が感染して肺炎に罹りそのうち2人が死亡した事件が代表例であるけれども、体と心を癒すはずの温泉に入って死んでしまうことになる。

 循環式かどうかを見分けるのは、一義的には、湯が浴槽から洗い場側にあふれ出しているかどうかで、流し放しにあふれ出していればまず本物の掛け流し温泉、浴槽内の壁面に湯を吸い込む排出口があってあふれ出さないのは循環式である。より巧妙なのは、洗い場側でなく窓側の溝に湯があふれて一方向に流れていくようになっているもので、これも循環式である。しかし、あふれていればすべて安心だとは言えず、循環式でも時間によって湯をあふれさせてゴミを取り除く「オーバーフロー機能」が付いているものがあるし、かつて報告された最も酷い例では、洗い場にあふれさせてシャンプーや石鹸で汚れた湯と一緒に回収してそれも濾過して再使用していたケースもある。浴槽の湯口に柄杓などが置いてあって「飲用可」と表示してあるのは間違いなく本物の温泉で、「飲めません」と表示してあるのは循環式だが良心的な経営者であることを示す。何も表示していない湯を飲むのは自殺行為である。循環式と分かった場合は、少なくとも泡風呂や打ち湯は使わず、上がる前に入念にシャワーで塩素を洗い流すよう心がけなければならない。もっとも、シャワーや蛇口にも循環湯を混入しているところもあって、その場合には見分ける方法がない。だから仕上げのシャワーは水のほうがいい。

 ちなみに「天然温泉」という謳い文句は何の意味もない。循環式であろうと、温泉を引いてそれを循環させていれば“天然”だし、東京郊外の銭湯が湯河原温泉からタンクローリーで運んだ湯を混入させていても“天然”を名乗ることが出来る。「天然温泉100%」というのは、多分「水道水を混ぜていません」という意味で、「循環式ではありません」という意味ではない(以上、主として松田忠徳『温泉教授の温泉ゼミナール』=光文社新書による)。

 本来は自然に流れているものを密閉空間に封じ込めて技術的に管理して“自然らしく”見せることが、どのくらい訳の分からない事態を引き起こしていて、我々が何も知らずにそれを有り難がっているかということだが、それは水道水、給油システム、空調でも原理的に同じなのである。

●冷房じゃなくて風通し

 閑話休題。温暖多湿の日本ではとりわけ風通しのよい家が好まれたし、そのための精緻と言っていい(空気ではなく)風の管理技術があった。山口は夏のある日、大正生まれの冷房アレルギーの爺が街中に建てた家を訪れた。座敷に上がると冷房はおろか扇風機もないが、鎮まってみるとしずしずと涼しい風が吹いている。「いい風ですねえ、この昼日中に」と言うと、爺の普請道楽自慢が始まった。

「暑いのはイヤ、だが冷房もイヤ。そこで家の建て直しにあたって、隣近所のたたずまいをよく観察して、風の道を見いだした。あの家と家のはざまの、緑の谷間を通ってくる風がいちばん冷えている。それを、俺んとこの座敷に廻り込ませるように仕掛けたんじゃよ。ほれ、あそこの建仁寺(垣根の様式名)が風の向きを変える仕掛けで、ずーっと、ほらここに風が来ているでしょう。それだけじゃあ空気が溜まって風にならないからね、これを引っ張る工夫がいる。で、南の方の庭に砂利を敷いて、わざと熱くなるようにすると、あっちの空気が軽くなって上がる。と、こっちの冷えている空気が流れ出していって、暖まって上がっていく。どんどん空気が流れて風になっちゃうわけじゃ」

 止まっていれば空気、動けば風。昔の人は、風通しの悪い家は万病のもとで、住む人も病み建物も傷むと忌み嫌った。自然の中の大気は季節の味をはらんでいて、それを背戸(北側の木立や藪や池のある裏庭)と前庭(南側の石庭)の温度差を利用して北庭に向いた小座敷に取り込むと、そこが一番涼しい。簾や屏風、それに帳(とばり)や緞帳というのも、ただのインテリアや目隠しではなく、風の管理と結びついていたのだろう。

 また台所は、通り土間を通じていつも換気されていたし、床下も風通しがよかった。板の間の台所の床や、踏み込み炉と言って土間から板の間に切り込んだ腰掛け式の囲炉裏の脇には、揚げ板を設けて自然の冷暗所を作り、薪炭や野菜籠や漬物桶や醤油瓶などを置いた。今時の家にもポリケースの「床下収納」を設ける場合があるが、床下の風通しが悪い上に床上では冷房を使うので、久々に開けたら結露で水が溜まっていたというケースもあるらしい。台所も床下も風通しがよく、すぐ外の軒下や前庭は陽当たりがよくて、それらすべてが、自然の力を借りて食材を加工し保存食を作り保管しておくスペースとして連関していたのが日本の民家や農家であり、その基本に風通しということがあった。

 昨今、自分で保存食を作ることはなくなって、金を出して買うばかりだが、山口に言わせれば、保存食とそれを使った惣菜こそ「“おふくろの味”の正体であり、お節料理の中身である」。野菜が余れば糠や塩や味噌に漬け、大根が一度に採れれば干して沢庵を作り、芋が余れば茹でて干し芋にし、魚を獲りすぎたら生干しにするというのは、旬の味と鮮度を貯蔵する知恵の集積であり、それを自分ではやらなくなったことから、台所は買物籠、いやビニール袋一杯分の食料を処理するだけのキッチンになり果てて、そうなれば風通しのよい台所も床下も軒下も要らなくなり、水の溜まる床下収納などという代物がまかり通ることになる。

 横の吹き抜けだけでなく、縦の風の道もある。土間や板の間で火を使えば上昇気流が生じて、夏なら、火の周りは熱いが外から冷たい空気を引き込む。冬は、外からの風を制限して室温を上げる。茅葺き屋根はその全体が巨大な煙突で、熱と煙を吸い上げて外に排出する。飛騨の高屋根などはその煙突機能を妨げないよう、天井を板でなく簾で張っている。

 このあたりの横と縦の風の道をまったく考慮に入れなくなったのが現代の都市建築で、さて鴨川の北斜面の山林に農家的というか田園的な家を建て、しかも風力発電も導入できないかと考えている私の場合、どのようにして敷地全体と家を建てる場所の風の道を見いだせばいいのだろうか。

 その上で、夏の涼しさを主に考えるなら開放型の家になるし、冬の暖かさを主にすれば、OMソーラーもそうだが、何らかの程度、密閉型になる。OMソーラーは、屋根のパネルで温めた空気を密閉した床下に送り込んで床暖房し、さらにその暖気を室内にも回して柔らかな自然暖房を実現する優れたシステムだが、あくまで冬中心で、夏は暖気を温水用に振り向けて、床下から室内には外の冷気を取り込むことになっていて、その効果のほどは(夏にモデルハウスを訪れたことがないので)分からない。

 いまこの季節に現地に通っていて分かるが、関東一温暖な南房総でも北風はかなり冷たいし、敷地が北斜面で冬は日照が短いから、床暖房は魅力的だ。冬は床暖房で、夏は(窓を開け放しにするのは当然として)床下も風通しがいいといった都合のいい作り方はないものか。考えどころである。

●匂いと臭い

 風に関連して、匂いということがある。山口は言う。「住まいを匂いで設計する。そういう視点がいるのでは……これは図面に描けるものじゃありません。台所の設計、便所の設計を、匂いのメリハリと演出の視点から気配りをしなおしてみる必要がある」。

 昔、家には匂いがあったし、街もいろいろな匂いに満ちていた。今は家もオフィスも街全体も空調化され無臭化された。匂(にお)いも臭(にお)いも区別せずに、みな臭(くさ)いとみなして排除するのが近代化だと思ったからだろう。私が20歳過ぎまで住んだ世田谷・下北沢の家の台所は、いつもひんやりとして、すえたようなカビくさい臭いがしたが、あれは揚げ板の下の漬物樽の糠が生きて発酵する匂いだったのではなかろうか。あるいはそれが、昨日焼いたサンマの煙の臭いや、勝手口の土間に置いた生ゴミのバケツの腐りかけた臭いなどと渾然一体となっていたのかもしれない。ヴァーチャル・リアリティというが、あれがどうしても現実に近づけないのは匂いがしないことだ。それでも我々がそこにリアリティを感じるのは、本当の現実がすでに匂いを失っていることに馴らされているからなのだろう。管理された空気に香気を混ぜて気分をよくさせようというアロマセラピーは、循環式の浴槽に“温泉の素”を投げ込んでいるようなもので、本末転倒。暮らしに本来あるべき匂いを復権させなければならず、それにはまず風通しがなければ話にもならない。▲

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