Calendar

2003年12月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Recent Trackbacks

« 2003年11月 | メイン | 2004年1月 »

2003年12月12日

INSIDER No.165《DOUBLE-CROPPING》人生二毛作開墾記・その6──かつて家の中心には「火」があった

 土間があれば火がなければならない。縄文の昔から人は火を真ん中に置いて暮らしてきて、それは単に煮炊きや暖房の利便のためでなく、それを中心にして家族というものが成り立つ精神的な意味があったのだと思うが、この50年か30年ほどの間に家の中に火がなくなり、その結果、伝統的な暮らしぶりだけでなく、家族そのものも壊れてしまった。

 山口昌伴は言う。「住まいの中ではいろんな熱源があるけれど、それがだんだん見えなくなってきている。ただ昔なつかしいから炎をとりもどそう、というのではなく、人間に何かが欠けていくのをとりもどすために、火の復権を考えたらいいのじゃないか」。竈や囲炉裏がなくなったあとでも、一昔前まではどの家にも七輪があって、ガスが来てもガス台のわきに七輪があった。板の間には練炭火鉢もあって、その縁は平らで湯呑みに菓子皿が置けるくらい幅があり、それが空間を設計していた。真ん中で薬缶に湯が沸いていて、わきに茶櫃があって湯呑み、急須、お茶の缶がセットになっている。「どうしたって人が寄って来ますよね。『コミュニケーション重視の間取りです』なーんて住宅産業のチラシにあるけど、板の間の練炭火鉢のコミュニケーション効果にくらべたら、何をいっているのかわかりません」。火鉢も幾つかあった。おじいちゃんの居場所には信楽の大火鉢があって、町の世話役が相談に来たりしていた。おばあちゃんは長火鉢に寄りついたまま、そこで年をとっていった。子供たちも火鉢で火を学んだ。

「火の気を消去した不自然居住モデルが都市で形成されて、田舎に広がっていくのが近代の住宅史だった。……これからは田舎で形成された自然体健康居住モデルが、文明の力を借りて、都市型モデルを浸食していく、そういう逆転の構図があると思う」

●熱じゃなくて炎

「火はもともと炎をあげ煙を吐き熱と光を発するものである。竈や囲炉裏では火が生きていた。火鉢にも、花を活けるという語感で炭火を活けた。その生ける火に対して、ガス、電熱、電子レンジ、電磁調理器などは熱だけの存在だから火とはいえない。……囲炉裏は火に時間を感じる道具といっていい。薪柴は時とともに変幻する。薪柴をくべれば火勢があがり、放っておくと消え入りそうになる。また薪を足す。そこに大きなリズムが生まれる。……囲炉裏に集う人たちは寡黙である。火を見つめていると、それぞれに思い思いの想いがめぐる。こんなのが本当のコミュニケーションになっていた。……囲炉裏や暖炉の火は現代のダイニングにあるテレビにどこかしら似ている。だが現代家族の視線は家族の輪の外を向いている。囲炉裏の火は集いの真ん中にある。テレビは外界の出来事を映す。炉の火は走馬燈のように自分の内なる世界のドラマを映す」

 うーん、深いなあ。木は何十年かそれ以上も山で生きてきて、薪となって囲炉裏や暖炉にくべられてその最後の命を燃やす。パンパンとはぜたり、木口から泡を立てて樹液が吹いたり、急にガックリと崩れたりしながら、燃え尽きる。それは単なる光や熱ではなく命の輝きだから、“求心力”なんて生やさしいもんじゃない、人の心を吸い取ってどこか遠くに飛ばしてしまうような不思議な働きを持っていて、だから炎を見つめる人を時には寡黙な哲学者に、またある時は饒舌な語り部にさせるのだろう。

 家の中心は土間で、そこには炎がなければならない。しかしどんな炎か?

 竈ねえ。いくら何でも竈は要らないだろう。昔の農家では、土間の真ん中に土まんじゅうのように竈を作って、煙突も立てずにそのまま火を燃やした。ご飯の炊ける匂いと一緒に土間一杯に煙が広がるのが、竈と書いて「へっつい」と呼んだ頃のイメージである。やがて竈は壁際に移って煙突が付き、そのうちに煉瓦造りやタイル張りになったり鉄製のストーブに置き換えられたりして、ついに村にプロパンが入ってきてガス台に取って代わられた。その“近代化”の歴史を逆転させるのは無理で、たぶん自分の家には火力の強いプロ用のガス台を中古で調達して設置することになるのだろうと思っているが、先日、佐賀市の大隈重信生家の台所で見た、質実剛健の武家らしい小さくて端正な竈なら、台所の片隅かその外の軒下にあったらいいかもしれない。それは、煉瓦を4段に積んでその上に板の台が乗り、その上に珪藻土のような薄黄色の土で2つ穴の竈を築き、土管の煙突を立てていた。これなら自分で作れそうだ。

●囲炉裏じゃなくて囲炉裏テーブル、それとも薪ストーブ?

 やっぱり囲炉裏でしょう、土間に似合うのは。昔は、土間に接して上がり框(かまち)の付いた高床があって、そこは普通は板敷きで囲炉裏が切ってあって、その周りにゴザを敷いて人が集った。亭主、奥さん、客人の座は決まっていて、自在鍵には鍋か薬缶が掛かっていつも湯が沸いて、脇に茶の道具や煙草盆など置いて、それらがその家のもてなしの形を表していた。しかし、薪をくべる本物の囲炉裏は大変だよね。鴨川に移住してきた陶芸家のOさんが自宅の裏の工房の横に洒落た囲炉裏小屋を建てたので、よく遊びに行って宴会をやったが、確かに雰囲気は最高だけれど、煙いし、それで天井や窓を開けると冬は背中が寒いし、結局、火事を出して工房もろとも燃えてしまった。それでも、別棟の小屋だから出来たんで、今時、普通の家で薪は炊けないから、実際には炭を活けて“床火鉢”のように使うのだろう。

 それならいっそ、友達である木工家のBさんが作っているような“囲炉裏テーブル”が気が利いているかもしれない。Bさんの作品は、長さ数メートル、厚さ10センチかそれ以上もある広葉樹の原木を10年ほども寝かせて木目も美しく削り上げた板を2辺が長く1辺が短い細長い三角形に組んで、その中央に空いた小さな三角形の空間に合わせて鉄工家に作らせた鉄製火鉢を組み込んで、そこに灰を入れて炭をくべるというもの。三角形の囲炉裏テーブルはBさんのオリジナルだが、別に三角じゃなくてもいいんで(Bさんが三角にこだわる理由はちゃんとあって、それはそれで説得的だけれども)、そうやって無理のないやり方で、土間のある暮らしがあってその中央に火があるようにしたいものだ。

 中心をなすような力のある板が手にはいることが肝心だな。鹿児島のTさんが「古材が倉庫一杯あるから見にお出で」と言っていたので2月に行ってくる。鴨川地元のAさんも「130年ものの杉を切ってから50年寝かせた板があるけど、欲しい?」と言ってくれたし、他にもこの近隣には解体を待つ古民家がいくつもあって、何か面白い材が見つかるかもしれない。

 暖炉や薪ストーブという手もある。炭火もいいけれども、やっぱり薪をダイナミックに燃やしたいよね。ストーブなら堂々と薪を焚いても部屋じゅう煙だらけにはならない。囲炉裏か囲炉裏テーブルがあってそこに炭火があっても、なおかつストーブがあったほうがいいだろう。知人のMさんが「使わない」というので譲り受けた鉄製ストーブがあって、まだ梱包したまま仕舞ってあるが、これはやや小さい。家の中心に据わる火となると、ある程度の大きさがあって存在感がないといけない。カナダ製の大型キッチン・ストーブなんぞもいいけどね、値段がね……。まあゆっくり研究しよう。

 薪の材料はこのあたりはいくらでもある。2年は寝かせないと、いい火にならないから、外壁沿いのどこかか物置小屋の脇には薪を積む場所をつくらないといけない。炭焼きも窯を作って自分でやるのだろう。周りにはハチクの竹林がいくらでもあって、竹も竹の子も取り放題だから、竹炭を作るのがいいだろう。副産物の竹酢液は田畑の防虫に使える。間伐材の切り出し、薪割り、炭焼きは自然王国でやってきたことなので何の問題もない。

 あとは屋外の火ですね。七輪は丸と四角の2つがある。焚き火を囲んでバーベキューができるスペースがあるのは当然で、そこには山の水が流れ放しの流しと調理台があるのだろう。また台所の裏手には、燃えるゴミを燃やして灰として活用する焼却炉、生ゴミを堆積して堆肥にするためのコンポストを、たぶん煉瓦を組んで作ることになる。

 こうして、家の中には囲炉裏か囲炉裏テーブル、薪ストーブ、火鉢、それにプロパンガスのガス台があり、軒先には七輪ともしかしたら武家風の竈があり、外には焚き火スペース、焼却炉があって、やたらにナマの火がある家になる。火事には気を付けないとあかんなあ。

 ところで、本連載第3回で触れたが、焚き火をしてはいけないという飛んでもない誤解があって、ネット上でもいろいろ話が出ている。Oさんという人の個人ページにはこんな珍体験が書いてある。

 庭の落ち葉を集めて焚き火をしていたら、30年輩の女性が「焚き火をしてはいけないんですよ」と云って通り過ぎた。恐らく、野焼きをするとダイオキシンが発生するとの情報を聞きかじってのことと思ったが、市条例でもあったら厄介だと考えて市役所に電話した。例によってあちこち転送されたあげく、「そのような条例はありませんが、念のため、消防署に確認してください」との回答。消防署となると都条例か、ややこしいなと、いぶかりながら、消防署に電話すると、やはり数回転送された挙げ句、「焚き火禁止の都条例はありません。念のため、市役所にも確認しましたが、市条例もありません、ただし、焚き火をするに当たっては、『ヨネンコクチ』をして下さい」と意味不明の回答を得た。『ヨネンコクチ』とはなにかと質すと、返事は「予燃告知」。敢えて英語でいえば“preliminary notice of fire”とでもなるのだろうか。焚き火をするに当たっては、予め焚き火をする人の氏名、焚き火をする年月日、時刻等を電話で予告して下さい、という意味だった……。

 うーん、この日本語は変だね。「予」は「告知」に掛かるんだから、間に「燃」を挟んだんでは「予燃」つまり予め燃やすということになって意味をなさない。言うなら「燃焼予告」だろうが、何も無理に4文字熟語にすることもなくて、「焚き火事前届け出」とか言えばいいだろうに。それにしても、焚き火をするのにいちいち氏名、年月日、時刻をお上に届け出るってのはどういうことなのか。私はいま、自分の土地の草刈りに精出していて、刈り取った茅の山を順次燃やしているが、この場合は、最近まで人気もなかった山林から煙が出るので、下の街道沿いの消防署分署に「これからしばしば焚き火をしますがご心配なく」と挨拶に行った。こういうヨネンコクチは必要だが、普通の家で庭で焚き火するのに届け出なぞ必要ない。焚き火は日本文化の不可欠の一部であり、憲法で保障された(かどうか分からないが)人民の基本的権利の一つである。

 焚き火がなぜ文化なのかと言えば、それが単なる廃棄物の焼却ではないからだ。道元禅師に言わせれば料理も修行(前回参照)だが、庭や墓を掃除して落ち葉を焚くのもまた修行である。私が高校生の時にやっていたサークルの1つが禅研究会で、毎日曜日午前5時に起きて白山の曹洞宗のお寺に通ったが、そこでは読経・座禅・朝食の前後に庭の掃除と墓の草取りをする。禅師が言うには、「何もかも取り除くのが掃除ではない。庭や墓地を自然のあるがままの姿に戻してやることだ」。落ち葉がたくさんあれば、1枚残らずというのではなく掃き寄せて、植え込みに山にして土に戻し、あるいは焚いて灰にして畑に戻す。そのプロセスを通じて自然の循環を感じ取りつつ、自分の心もまた自然に戻っていくのが掃除であると言う。

 だから、家庭ゴミ(生活系廃棄物)の何十倍何百倍も出る企業ゴミ(事業系廃棄物)の中の特に質の悪い産業廃棄物の大量焼却を禁止した廃棄物処理法改正を一知半解して、「焚き火はいけない」「いや焚き火はいいが、農薬の付いた柿の葉や塩素漂白の紙はダイオキシンを出すから燃さないほうがいい」などと、大真面目に語っている人がいるけれども、これは哀れというほかない。

 それはちょうど、自動車の排ガスなどでたっぷり汚染された空気を吸わなければならない事態の深刻さを放置して、「路上喫煙禁止」で違反者から罰金を取るという千代田区条例のバカさ加減とも共通する。そこで次回は風と空気の話に移ろう。▲

Profile

現在、INSIDERニュースレターの内容は、ご覧の《THE JOURNAL》内でブログの形で公開されております。
誰でも無料で閲覧し、またそれについて感想や意見を書き込むことが出来るようになっておりますが、従来通り、お手元に電子(Eメール)版配信もしくは印刷版郵送の形で講読を希望される方は、引き続きEメール版:年間6,300円(税込)、ペーパー(紙)版:年間12,600円(税込)をお支払いください。[法人購読の場合は年間105,000円(税込)になります]
ウェブ上で無料で閲覧できるものが、Eメール版・ペーパー(紙)版が有料なのはどういうわけだと思われるかもしれませんが、後者の場合、読者名簿管理と請求の事務、配信と郵送の手間が必要であり、とりわけ印刷版の場合は紙代、封筒代、印刷代、郵便代のほか宛名を印刷して封筒に貼り、印刷されたものを三つ折りして封入し、糊付けし、紐で束ねて郵便局に運び込むのに膨大な手間とコストがかかっていることをご理解下さい。
また、無料で閲覧できるならそちらに切り替えたいという方もおられると思いますが、残余の購読期間は引き続きEメール版もしくはペーパー(紙)版を配信させて頂き、購読料を途中返還することは致しませんのでご了解下さい。

BookMarks

TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER(インサイダー)
http://www.smn.co.jp/insider/

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.