Calendar

2003年10月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

Recent Trackbacks

« 2001年9月 | メイン | 2003年11月 »

2003年10月27日

INSIDER No.155-3《DOUBLE-CROPPING》人生二毛作開墾記・その2──エノキ、ケヤキ、コナラ、カキ、そして……

 全部で何坪あるのか分からないまま、大山不動尊の杜に連なる山林を買った。公簿上で968坪(3201平米)あるのは間違いないが、100メートルほど離れたご近所に住んでいてこのあたりの土地の事情・経緯に詳しい長老のKお父さんも、前の所有者である東京のUさんにここを仲介し今回もUさんと私の間に立って貰っている不動産屋のYさんも、口を揃えて「2000坪はあるだろう」と言う。前回で触れた“縄伸び”という山林・農地にありがちな現象(それにしても、180坪が実は200坪だったという話は聞いたことがあるが、2倍とはねえ)に加えて、東隣の田んぼだった斜面は昔、地崩れを起こして、その真下にあるKお父さんの家も危うく土砂に埋まりそうになったことがあり、その後に市の方で土留め工事を行い、消えてしまった道路を造り直したりしたので、とりわけ東の境界や北側の道路との境い目は公図とはだいぶかけ離れているようなのだ。

●まず草刈機を買って

 確かめてから契約すればいいじゃないかと言われそうだが、第1には、自然王国スタッフであるK君のお父さんからの話であり、役所の公図よりもお父さんのような地元の事情通で、しかもこの土地の売買に立ち会ったことのある長老の記憶の方がよほど信用するに足る。第2には、仮に“縄伸び”が思ったほどなかったとしても、私は坪1万円というこのあたりの(不動産屋経由の場合の)大体の相場以上には払っていないので、損をすることはない。それに、第3に、敷地全体に広がる榎(エノキ)はじめ広葉樹の大木群は(ほとんどが杉に植え替えられて無惨に放置されているところが多いこの一帯では)まことに貴重なものであり、もし造園業者に頼んでこれだけの数の成木を植えて庭にしようとしたら、とうてい1000万円では済まないだろう。森を手に入れたと思えば、土地代はタダだったと考えることさえ出来るわけだ。

 いずれにしても、売り主であるUさん側の経費負担で、YさんとKお父さんが隣接の地主に立ち会って貰って“境界確認”をするという手続きをきちんとやってくれるという一項は契約条件に入っているので、それを待つ間、ともかく10数年放置された藪を切り開いて、南や西の境界にまで到達できるよう道を拓くことが私の当面の緊急課題である。

 これは大変な作業で、すっかりきれいにするには数ヶ月かかるだろう。自然王国のK君やM君にも手伝って貰うことになるだろう。早稲田のゼミの学生や、私が団長をやっている草ラグビーチームの食うや食わずのフリーター的若者たちに「お前ら、草刈りのバイトやるか?」と話したら、みんな面白がって、中には「飯だけ食わしてくれればお金は要らないからやらせて下さい」という奴までいた。

 そうやってみんなに助けて貰わなくてはならないが、まず私が率先、取り組むのは当然で、それにはまず自分で草刈機を買わなければならない。これまで自然王国ではさんざん、草刈機を使って杉林の下刈りをしたり田んぼの畦の雑草刈りをしたことがあるので、扱いには慣れている。脛に高速回転の歯が当たって自分や周りの人の脚が短くならないようにするにはどうするか、地面に埋まった石に当てて刃が欠けたり、割れた小石が顔に飛んできて目が潰れたりするのを避けるにはどうするか、一応は知っているつもりなので、ここはひとつ奮発して、1万円台/小排気量・小燃料タンク/刃径160ミリ/園芸など柔らかい草用のものから、5万円近い/大排気量・大燃料タンク/刃径255ミリ/山林など堅い草用まで、いろいろある中で、中の上程度のプロ仕様の機種を選んだ。

 カワサキの2サイクル空冷エンジンを使ったキンボシ(株)というメーカーの「ゴールデンスター」ブランド、排気量33.3cc、最大出力1.48kw、燃料タンク0.8リットル、重量6.4kg、刃径255ミリというもので、これならかなり使えそうだ。まだ出動の機会はなく、横浜の自宅の物置に立てかけてあるが、11月早々には“初陣”を飾ることになるだろう。

 ちなみに、草刈機は正しくは(?)刈払機と言って、動力は電気もしくは充電型、4サイクル・ガソリンエンジン、2サイクル(ガソリン50:オイル1の混合油)、同じく(25:1混合油)があって、電気なら振動が少なく排気ガスもないが、以下、後のものほど振動も排気ガスも騒音も大きい。エンジン型は、刃先とエンジンが一体になっていて肩からベルトで吊して作業する「肩掛け式」が一般的だが、エンジン部と燃料タンクを切り離して背中に背負う「背負い式」もあり、これだとだいぶ重量負担も振動も楽になるが、値段はハネ上がる。刃先は、家庭園芸用には160〜200ミリの小さいものもあるが、標準は9インチ=230ミリか10インチ=255ミリで、山林用は255ミリが普通。刃には、円盤鋼板の歯型にそのまま刃付けした丸鋸、歯型の凹凸に小さく鋭く小さく鋭い鋼の刃を埋め込んだチップソー、ナイロン糸を高速でブン回すナイロンカッターなどがある。ナイロンカッターは、安全性が高く、石・コンクリート・立木などがあっても刃こぼれを気にせずに際まで刈れるというメリットはあるが、柔らかく低い草を刈るもので、山林用には切れ味が足りない。

●夫婦エノキの颯爽

 鴨川市というと「シーワールド」のイルカ芸が有名で、太平洋に面した海の町と思っている人が多い。そうには違いないが、山側にも意外に奥行きが深く、西に向かって加茂川沿いに長狭街道を行くと、北に清澄山系、南に嶺岡山系が連なって、その間の谷間に豊かな田園風景が広がる。江戸時代に寿司米として珍重された記録もある「長狭米」の産地である。街道が登りになって峠に差し掛かる辺りが房総半島の背骨、東京湾側との分水嶺で、そこまでが鴨川市である。その一番奥まった一帯が大山地区(旧大山村)で、平塚、金束(こづか)など5つの集落からなる。鴨川自然王国は平塚にあり、私が求めた土地は金束に属する。

 東西に走る長狭街道から、北に富津方面に向かう88号線が分かれるT字路の辺りが金束の中心地で、そのわずか200メートルほどの街道沿いに市役所出張所を兼ねた郵便局、交番、バス停、理容店、美容店、薬局、「すし屋」という変な名前の食品スーパー、ガソリンスタンド、幼稚園、小学校、保育園、消防署などの“都市機能”が軒を接するように固まっている。そのガソリンスタンドの向かいを南に入ると、それは大山不動尊に登っていく参道の1つで、それを100メートルほど行って右に分かれて、田んぼ脇の未舗装道路を辿ると、すぐに紹介者のKお父さんの家があり、その上にプレハブ2階建てのもう1軒の家があり、その上を右に回り込めば、我が山林の下端に達する。街道からたった300メートル余り、これなら車を運転しない家内でも歩いてスーパーやバス停に行ける。今の横浜の家も、300メートルほど歩くとバス停に出るが、そこにはローソンが1軒あるだけで、銀行や郵便局に用があったり、ちょっとした生鮮品を買うにはバスかタクシーで大船駅まで出なければならない。「こっちのほうが便利だわ」と家内も喜んでいる。それでいて、敷地から眺めると、プレハブの隣家もK宅も街道も木に隠れてほとんど見えず、ただその遙か向こうの清澄山系の峰々しか目に入らない。その景観がこの土地を選んだ大きな理由の1つである。

 敷地の下端は、道路に面した手前から30メートルほどは高さ1メートルほどの立派な石垣が組んであり、その下には排水用のU字溝が整備されている。東隣の斜面がかつて地崩れを起こした後、市で土留め工事を行った際に、ついでにこちらの方まで工事をやってくれたのだそうで、これで万全である。その石垣が切れて、道が緩く左に折れる角が敷地の入り口で、そこから左に25メートルほど緩やかな斜面を登ると、宅地用に整地した百坪余りの平面に出て、その東端にも大きな榎や柿の木がある。

 その敷地の入り口近くには、夫婦の(根元がくっつきそうに寄り添った2本の)大きな榎(エノキ)があり、樹高15メートルほどだろうか、2本分だから空を覆うほどの広がりで颯爽と枝を広げている。榎はその先の道沿いや敷地のあちこちに何本もあり、50メートルほど先の西隣の杉混じりの鬱蒼たる森(下の「すし屋」スーパーの持っている土地だそうだ)との境には欅(ケヤキ)やシロダモ、それにコナラもあるが、何と言っても一番手前の夫婦榎が立派で、この敷地の目印あるいはシンボルのような風情である。家を建てたら「榎庵」とでも名付けるか。それじゃあ蕎麦屋みたいかな……と考えたりするのが楽しい。この夫婦榎の姿が余りに美しく、また敷地の上の方にもたくさん榎の大木があるのが、この土地を選んだもう1つの大きな理由だった。

 榎は欅の親戚筋に当たるニレ科の落葉高木で、ヨノミ、エノミとも呼ばれる。東北以南の日当たりのよい暖地に多く、朝鮮、台湾、中国中部にもある。高さ10〜20メートル、直径1〜3メートルに達し、広く枝を張って姿がよい。漢字の榎の「夏」は、『漢字源』の解字によると「大きくかぶさる」意で、それに「木」偏が付いて「枝葉が大きくかぶさる木」を表す。和名のエノキも、枝がのびのびと張るので「枝の木」と呼ばれるようになったという説があるから、いずれにしても枝振りが大きく立派であることに特徴がある。

 樹皮は厚く、灰黒褐色で斑点があり、割れ目はないが、ざらざらする。葉は互生で、長さ5〜10センチの広卵型もしくは楕円形で、基部から3本の主脈を出し、縁の上部に小鋸歯がある。初夏に淡黄色の両性花が咲くので、「榎の花」は夏の季語である。秋には6〜8ミリの球形の核果が成り、10月頃に熟すと赤褐色となって食べると甘い。豊橋市の神明宮では榎の玉を用いた榎玉神事が行われるという。地元長老によると、戦時中はよく子供がとって食べ、また竹鉄砲の弾にして遊んだという。また地方によっては、若葉を飯とともに炊いて食用にしたり、樹皮を煎じた汁を漢方薬として用いたりした。材は灰黄褐色で比較的堅く、建築・器具・機械材、薪炭材などに用いる。ただ欅のように真っ直ぐに伸びず、根本から枝分かれするので大きな柱を取るには適さない。

 庭園樹、屋敷木、街路樹として植えられるが、特に江戸時代には一里塚の道標として植えられたり、村境や橋のたもとの目印として植えられたりして、そのため道祖神のご神木になっている例も多い。そのことに関連してか、榎にまつわる迷信や伝説もいろいろある。

▼嫁入りの際に榎の脇を通ると縁切りの呪いにかかる(というが、これはエノキとエンキリの語呂合わせか?)。
▼榎が屋敷にあると元旦に黄金のカラスが来る。あるいは、屋敷の北西隅の榎には黄金が成る(実際、名古屋地方では「福榎」と言ってその方角に榎を植えている家がある)。
▼榎に祈願すると歯病が治る。榎の空洞に溜まった水を「霊眼水」と呼び、目に付けると眼病が治る。
▼東京の王子稲荷にある榎には、大晦日に関八州の狐が大集合して年次総会を開き、官位を定め、またこの時の狐火で豊凶を占った(東都歳事記)、等々。

 上述の夫婦榎はまさしく敷地の北西隅にある。黄金が成るのかどうかは知らないが、縁起のいいことは確かだ。福榎か。「福榎亭」というのも悪くない。ちなみに日本一の榎とされているのは徳島県一宇町の「赤羽根大師の大エノキ」。樹高16m、目通り幹周り8.70mで環境庁調査で日本一と認定され、平成11年に徳島県の天然記念物となった。仮称「榎福亭」の亭主としては、一度お参りに行かなければなるまい。[榎については、その10、11でさらに詳しく述べている。]▲

2003年10月20日

INSIDER No.154《DOUBLE-CROPPING》人生二毛作開墾記・その1──とうとう鴨川で山林を手に入れた!

 安房鴨川、房総山地の奥深くにある「農事組合法人・鴨川自然王国」に月に1〜2度、たいていは1泊か2泊で行って、農林作業の真似事をするようになって7年が経つ。その間、いずれはこういう山深いところに居を移して、もう少し本格的に田舎暮らしを始めたいという思いを抱き続け、その覚悟の証として、5年前に(株)インサイダーの登記上の本社を自然王国内に移したりもしたものの、終の棲家というか、そこでこの世とおさらばすることになるであろう第2の人生の本拠地として自分で納得のいく土地を見いだすのは、思ったほど簡単なことではなくて、ずっと暗中模索を続けてきた。が、この夏以降に急に動き出した経緯の末に、自然王国から3キロほど離れた大山不動尊の北麓の山林を手に入れられることになり、本日、無事にすべての手続きを完了した。ここで私の人生二毛作目の展開が始まる。

●土地探し

 鴨川市に限らず南房総あたりでは、空いている土地や家はいくらでもある。それでいて、なぜなかなか見つからないのかというと、第1に、農家や地主の意識の問題がある。高齢化・過疎化が進んで、もう自分らでは維持できなくなった田畑・山林や使っていない宅地・建物があっても、先祖伝来の土地を売りたくないと思うのは当然として、ならば貸せばいいじゃないかと思うのだが、それも「都会モンに貸したら盗られてしまう」と警戒する。そこで第2に、行政や農協の出番があって、一定の枠組みを作って斡旋・仲介・保証をして都会から農村への人の流れを促そうという試みが、他では成功している例もあるけれども、鴨川市ではまだそこまで行かない。市が数年前に「空き家対策」に取り組んだことがあるが、都会側の移住希望者はすぐに500人も集まったのに、地元側からは「売ってもいい」「貸してもいい」という物件が1つか2つしか出てこず、挫折した。

 そうなると、第3に、自分で探すしかない。誰でも考えつくのは、「田舎暮らし」のための物件情報誌をチェックしたり、地元の不動産屋さんを歩き回ることだが、それでうまく行く場合もあるけれども、買ったはいいが昔の経緯があって水利権が付いていなかったとか、「農地付き」といううたい文句に惹かれて移ったら石ころばかりで畑にならなかったとか、信じられないようなトラブルに見舞われる場合もまた少なくない。それを避けるには、やはり、私がそうだったように、たまたま故・藤本敏夫の縁で自然王国を訪ねるようになって、何年も通い詰めている内に次第に地元に知人や友達が出来て、さらには夏祭りでは毎年、御神輿担ぎを買って出て村の長老たちとも顔見知りになって、そういう人の繋がりを蓄えながら少しずつコミュニティで顔なじみになりながら溶け込んでいくよう心がけることである。そうすると、自ずといろいろ情報も入ってくるようになるのである。

 そんなわけで、2〜3年前からは時折、よさそうな話も舞い込んでくるようになったものの、私は「こういうことは時が解決する。機が熟せば、出会い頭で一気に事が成るということがあるだろう」と思って、焦ることなく流れに任せていた。「でもなあ、来年は還暦で、それこそ人生の折り返し。そろそろ決めないと、年を取り過ぎちゃうなあ」などとぼんやり考えていたこの夏、まさにその“出会い頭”のような事態が降って湧いた。

 自然王国スタッフのK君から、彼のお父さんが不動産関係に詳しくて、いまこの近所で急いで買い手を捜している家があるので見てみないかと言っているという話があった。農作業のあと、さっそくお父さんに案内を頼んで行ってみると、そこは400坪の借地に3年前に新築したばかりの立派な杉材の本格木造家屋で、決して悪くはなかったのだけれども、私は小屋のようなものでも家は自分の思い通りに建てたいという思いがあったし、環境的にも前後左右に隣家があってどちらかというと町中という感じだったので、申し訳ないが食指が動かなかった。ほかに2〜3の物件を案内して貰ってはみたものの、いずれも帯に短し襷に長しというところで、そのうち陽も落ちてきたので帰ろうということになった。

●縄伸び

 車を止めてあるところまで歩きながら私がもう一度、「やっぱり私は、何にもない山の中の土地に、気に入った小屋を建てるのが夢なんですよ」と言うと、お父さんは突然、「ああ、そうだ。俺んちの上のところに1000坪の山林がある。登記では1000坪だが、実際は2000坪近くあるんだ。見てみるか?」と言う。登記と実際が倍も違うとはどういうことだといぶかりながらも、「はい」と私。「十数年前に私が東京のU区議会議員に世話した土地で、本人は凄く気に入って、一部を宅地用に整地して家の設計も出来て、さあ建てようという時に彼に一身上の事情が生じて、延期になった。それ以後、もう10年も放ったらかしで来ていないなあ。どうかなあ、売るつもりがあるかどうか分からないがね」とお父さん。それで行ってみると、これがなかなかいい。

 緩やかな北向き斜面で、上の方は次第に広葉樹の大木が増えていって、そのまま大山不動尊の杉林に接している。中頃に100坪ほどの宅地が整地済みで、そこに立つと、南から西に連なる森を渡る風が日当たりのいい平地を通って、そのまま北に広々と広がる清澄山系の眺望に向かって吹き抜けていく感じがする。下の長狭街道沿いにあるスーパーや農協バンクや郵便局のあたりまでは300〜400メートルしかないのに、木陰に隠れて建物も街道も視野に入らないし、物音もほとんど聞こえない。宅地の南側の石垣を組んである上の土地はすぐにでも畑になりそうだし、宅地の北側の斜面を下って道路に出る手前当たりはミニ田んぼを作ろうと思えば作れる地形になっている。「これだけあれば、馬を飼っても敷地の中で乗り回せますよ」とK君。「ここは敷地内から水が出るから、水道は引く必要がないよ。東京電力は向こう持ちで電気を引いてくれるけど、水道は自分持ちだから、下から水道を引っ張ったら工事に何百万円もかかるだろう。ここはいい水が出るから心配ない」とお父さん。私はもうほとんどここが気に入ってしまっていた。

 それにしても、これは一体どのくらいの面積があるのか。「公簿は約1000坪だが、実際は“縄伸び”で2000坪近くあるんじゃないか」とお父さんは事もなげに言う。田舎の田畑や山林に縄伸びということがあるのは私も知っていた。登記簿に記されている面積よりも 実測面積の方が多いことで、これは大化の改新による班田収受の時代から、太閤検地、 そして明治初期の地租改正に至るまで、政府の方はそれを元に税金を取り立てるべく、出来るだけ正確に田畑・山林を測量しようとするけれども、現実には今のような計測機器があったはずもなく、1間ごとに結び目を付けた縄で計るのが精一杯だし、役人の数も足りないから辺鄙なところでは今で言う町内会のような組織に自ら測量させ面積を自主申告させたりしたので、農民や地主の方は出来るだけ少なめに登録して税を軽くするよう心がけた。明治20年になって、余りにもデタラメなので可能な限りの修正を行う努力を払った上で、明治22年に「土地台帳」制度を作って地積を登録した。これが今日の登記制度の元であって、都会や平地はともかく山の中に行くと、その時の登録面積のままになっているところも少なくないので、実際に縄を当てて実測すると、あれれ?というほど縄が伸びてしまうことになる。

「ほらあそこに大きな木があって、その上に杉林が見えるだろ。あの辺が上の境だ。この東隣の斜面は昔、地滑りが起きて、こちらとの境は動いてしまったが、まあ大体、あの柿の木のあたりが境だと思って間違いない。いや、ここはこれだけ大きな木がたくさん生えていて、地滑りは絶対にないから大丈夫だ」

 一見して、素人目に見ても1500坪か1800坪くらいはありそうだ。しかし何坪であろうと、1000坪より小さいことは絶対にないし、どちらにしても境界すれすれまで家を建てたり塀を設けようというのではないから、ほとんどどうでもいいことなのだ。そもそも、10年以上も放置されたままの山林は、まず身の丈よりも高く伸び放題になっている草を莫大な労力をかけて刈り取らない限り、境界らしきところまで近づくことさえ出来はしない。

「お父さん、先方に売る気があるかどうか聞いてくれません?」
「ああいいよ。実際に間に立って区議のUさんにこれを売ったのは、友達の不動産屋のYだから、Yを通じて聞いてみよう」
「いくらくらいですかね」
「うーん、Uさんも1000万円だかで買って、整地に何百万か使っているから、1300、まあ1500だったら文句はないだろう。売る気があればの話だがね」
「でもこのご時世だし、縄のびがあるとしても取引はあくまで公簿面積でやるのだから、1坪1万円、1000万円が限度でしょう。それでよければ買いたいと伝えて下さい」

 しばらくYさんを通じたやりとりがあって、その間に家内も現地に連れて行ったが、何より広葉樹の大木があるのが気に入ったようだった。9月末にUさんから最終的な返事が来て、私の言い値で売ってもいいと言う。預金というものをろくに持たない私は、銀行でその額を丸々借りて今日付で払い込み、本当のところ何坪あるかも知らぬまま、晴れて安房鴨川の“山林地主”となったのである。▲

Profile

現在、INSIDERニュースレターの内容は、ご覧の《THE JOURNAL》内でブログの形で公開されております。
誰でも無料で閲覧し、またそれについて感想や意見を書き込むことが出来るようになっておりますが、従来通り、お手元に電子(Eメール)版配信もしくは印刷版郵送の形で講読を希望される方は、引き続きEメール版:年間6,300円(税込)、ペーパー(紙)版:年間12,600円(税込)をお支払いください。[法人購読の場合は年間105,000円(税込)になります]
ウェブ上で無料で閲覧できるものが、Eメール版・ペーパー(紙)版が有料なのはどういうわけだと思われるかもしれませんが、後者の場合、読者名簿管理と請求の事務、配信と郵送の手間が必要であり、とりわけ印刷版の場合は紙代、封筒代、印刷代、郵便代のほか宛名を印刷して封筒に貼り、印刷されたものを三つ折りして封入し、糊付けし、紐で束ねて郵便局に運び込むのに膨大な手間とコストがかかっていることをご理解下さい。
また、無料で閲覧できるならそちらに切り替えたいという方もおられると思いますが、残余の購読期間は引き続きEメール版もしくはペーパー(紙)版を配信させて頂き、購読料を途中返還することは致しませんのでご了解下さい。

BookMarks

TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER(インサイダー)
http://www.smn.co.jp/insider/

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.