Calendar

2001年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Recent Trackbacks

« 2001年5月 | メイン | 2001年7月 »

2001年6月30日

INSIDER No.21-4《Keyword》北朝鮮公式サイト

 北朝鮮はインターネット上で政府の公式サイトを開設していない数少ない国の1つだが、同国の対外経済交流促進のための機関である「汎太平洋朝鮮民族経済開発促進協会」が2年ほど前から開いている「DPRKorea Infobank」(1)が事実上その役目を果たしており、最近はなかなか内容も充実している。英語・中国語・朝鮮語・日本語の4カ国語で作られているが、日本語版は日本の「歴史教科書改ざん」の動きに抗議するため休止中なのと、ちょっとウェブの構成がおかしいところがあって表紙(2)から入っていくと巧く英語版メニューに行き着けないかもしれないので、上記の英語版メニューのページに直接アクセスするのがいい。

(1) 英語版=http://www.english.dprkorea.com/
(2) http://www.dprkorea.com/

 朝鮮中央通信社と英字紙「ピョンヤン・タイムズ」の最新記事をはじめ、金正日関連ニュースと写真、ピョンヤン旅行案内、映画、音楽、CDや書籍のオンライン販売、経済・投資情報、企業名簿、輸出産品展示会の予告、科学技術ニュースなどがある。より詳しい情報にアクセスできる「会員」も募集していて、バンク・オブ・アメリカ香港支店に年会費300ドルを振り込むと一般会員になれる。さらに、北朝鮮とのビジネスの相談に乗ってくれたりいろいろな便宜をはかってくれたりするVIP会員もある。韓国政府は、このサイトの内容を広めたり会員に登録したりすると、北朝鮮との接触を規制した国家保安法違反になると警告している。

 なお、在日朝鮮総連が出している『朝鮮日報』のサイトでは日本語の北朝鮮関連ニュースが読める。▲

INSIDER No.21-3《DOCUMENT》民主党の基本理念

※旧民主党が96年9月の結成時に発表した綱領的な文書だが、旧新進党の人々が合流して新民主党になったときに「廃棄」されたらしく、今は民主党サイトのどこにも残されていない歴史的文書になってしまった。先日、民主党の若手議員たちの勉強会に呼ばれたときに、この文書の話をしたら、ほとんどが「知らない」と言うので、ここに掲げることにした。なお冒頭部分の[ ]の部分は、発表直前に菅直人の意見で挿入したもので、原文にはなかった。

----------------------------------------

 私たちがいまここに結集を呼びかけるのは、従来の意味における「党」ではない。

 20世紀の残り4年間と21世紀の最初の10年間をつうじて、この国の社会構造を根本的に変革していくことをめざして行動することを決意した、戦後生まれ・戦後育ちの世代を中心とし[て老壮青のバランスに配慮し]た、未来志向の政治的ネットワークである。

■社会構造の100年目の大転換

 明治国家以来の、欧米に追いつき追いこせという単線的な目標に人々を駆り立ててきた、官僚主導による「強制と保護の上からの民主主義」と、そのための中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システムは、すでに歴史的役割を終えた。それに代わって、市民主体による「自立と共生の下からの民主主義」と、そのための多極分散・水平協働型の「市民中心社会」を築き上げなければならない。いままでの100年間が終わったにもかかわらず、次の100年間はまだ始まっていない。そこに、政治、社会、経済、外交のすべてがゆきづまって出口を見いだせないかのような閉塞感の根源がある。

 3年間の連立時代の経験をつうじてすでに明らかなように、この「100年目の大転換」を成し遂げる力は、過去の官僚依存の利権政治や自主性を欠いた冷戦思考を引きずった既成政党ととの亜流からは生まれてこない。いま必要なことは、すでに人口の7割を超えた戦後世代を中心とする市民のもつ創造的なエネルギーを思い切って解き放ち、その問題意識や関心に応じて地域・全国・世界の各レベルの政策決定に参画しながら実行を監視し保障していくような、地球市民的な意識と行動のスタイルをひろげていくことである。

 政治の対象としての「国民」は、何年かに一度の選挙で投票するだけだった。しかし、政治の主体としての「市民」は、自分たちがよりよく生きるために、そして子どもたちに少しでもましな未来をのこすために、自ら情報を求め、知恵を働かせ、別の選択肢を提唱し、いくばくかの労力とお金をさいてその実現のために行動し、公共的な価値の創造に携わるのであって、投票はその行動のごく一部でしかない。私たちがつくろうとする新しい結集は、そのような行動する市民に知的・政策的イニシアティブを提供し、合意の形成と立法化を助け、行動の先頭に立つような、市民の日常的な生活用具の1つである。

■2010年からの政策的発想

 私たちは、過去の延長線上で物事を考えようとする惰性を断って、いまから15年後、2010年にこの国のかたちをどうしたいかに思いをめぐらせるところから出発したい。するとそこでは、小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による「地方分権・地域主権国家」が実現し、そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく、新しい展望が開かれているだろう。

 経済成長至上主義のもとでの大量生産・大量消費・大量廃棄の産業構造と生活スタイル、旧来型の公共投資による乱開発は影をひそめて、技術創造型のベンチャー企業をはじめ「ものづくりの知恵」を蓄えた中小企業経営者や自立的農業者、それにNPOや協同組合などの市民セクターが生き生きと活動する「共生型・資源循環型の市場経済」が発展して、持続可能な成長とそのもとでの安定した雇用が可能になっているだろう。

 国の都合に子どもをはめ込む硬直化し画一化した国民教育は克服され、子どもを地域社会で包み込み自由で多様な個性を発揮させながら共同体の一員としての友愛精神を養うような、市民教育が始まっているだろう。

 そして外交の場面では、憲法の平和的理念と事実にもとづいた歴史認識を基本に、これまでの過剰な対米依存を脱して日米関係を新しい次元で深化させていくと同時に、アジア・太平洋の多国間外交を重視し、北東アジアの一角にしっかりと位置を占めて信頼を集めるような国になっていなければならない。

 私たちは、そのようなあるべき未来の名において現在を批判し、当面の問題を解決する。そしてたぶん2010年までにそれらの目標を達成して世代的な責任を果たし、さらなる改革を次のもっと若い世代にゆだねることになるだろう。

 私たちは、未来から現在に向かって吹きつける、颯爽たる一陣の風でありたい。

■友愛精神にもとづく自立と共生の原理

 私たちがこれから社会の根底に据えたいと思っているのは「友愛」の精神である。自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は「出る釘は打たれる」式の悪平等に堕落しかねない。その両者のゆきすぎを克服するのが友愛であるけれども、それはこれまでの100年間はあまりに軽視されてきた。20世紀までの近代国家は、人々を国民として動員するのに急で、そのために人間を一山いくらで計れるような大衆(マス)としてしか扱わなかったからである。

 実際、これまでの世界を動かしてきた2大思想である資本主義的自由主義と社会主義的平等主義は、一見きびしく対立してきたようでありながら、じつは人間を顔のない大衆(マス)としてしか扱わなかったということでは共通していた。日本独特の官僚主導による資本主義的平等主義とも言うべきシステムも、その点では例外でなかった。

 私たちは、一人ひとりの人間は限りなく多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務があるという「個の自立」の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという「他との共生」の原理を重視したい。そのような自立と共生の原理は、日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなくてはならない。

 西欧キリスト教文明のなかで生まれてきた友愛の概念は、神を愛するがゆえに隣人を愛し、敵をも愛するという、神との関わりにおいて人間社会のあり方を指し示すもので、そこでは人間と自然の関係は考慮に入っていない。しかし東洋の知恵の教えるところでは、人間はもともと自然の一部であって、一本の樹木も一匹の動物も一人の人間も、同じようにかけがえのない存在であり、そう感じることで自然と人間のあいだにも深い交流が成り立ちうる。そのように、自然への畏怖と命へのいつくしみとを土台にして、その自然の一部である人間同士の関係も律していこうとするところに、必ずしも西欧の借り物でない東洋的な友愛の精神がある。

■「一人一政策」を持って結集を

 私たちの 政治のスタイルも、当然、未来社会のあり方を先取りしたものになる。中央集権的な上意下達型の組織政党は、すでに問題解決の能力を失って20世紀の遺物と化している。私たちは、各個人やグループが自立した思考を保ちながら、横に情報ネットワークを張りめぐらせ、だれかが課題を発見して解決策を提示すればそこに共感する人々が集まって結節点が生まれ、問題が解決すればまた元に戻っていくような、人体における免役システムのような有機的な自立と共助の組織をめざしている。

 したがってまた、この結集にあたっても、後に述べるようにいくつかの中心政策を共有するけれども、それは時の経過と参加者の幅によって常に変化を遂げていくはずだし、また細部に立ち入れば意見の違いがあるのは当然だという前提に立つ。意見の違いこそが創造的な議論の発端であり、それぞれが知的イニシアティブを競い合うことで新しい合意をつくりあげていく、そのプロセスを大事にしたい。

 また私たちは、世界に向かって開かれたこの政治ネットワークの運営に当たって、電子的な情報通信手段をおおいに活用したい。私たちは子的民主主義の最初の世代であり、地球市民の世代である。

 この「党」は市民の党である。いまから21世紀の最初の10年間をつうじて、この「100年目の大転換」を担おうとする覚悟をもつすべての個人のみなさんが、「私はこれをやりたい」という「一人一政策」を添えて、この結集に加わって下さるよう呼びかける。▲

INSIDER No.21-2《LDP CLINICAL》今どき敢えて「反小泉」論──民主党若手の皆さんへの提言

●自民党総裁が“反自民”という異常事態にひるむな

 自民党総裁が“反自民”であるという、見たこともない矛盾に満ちた光景に戸惑うのは当然だが、しかし野党やマスコミがこれで浮き足だってしまっては話にならない。この状況は、自民党がいよいよ断末魔に陥って、小泉を総裁に取り込むことによってしか、彼と加藤紘一や若手を引き連れて離党する事態を防ぐことが出来ないということでこうなっているわけだから、この矛盾に苦しんでいるのは自民党であって、何も野党がその矛盾を引き受ける必要はない。

 まず第1に、鳩山由紀夫代表が「小泉が本当に改革をやるなら民主党はなくなってもいい」と言ったり、誰だか知らないが若手が「田中真紀子外相の秘書官になりたい」と言ったり、小泉内閣に媚びを売るようなことは絶対にしてはならない。我々はジョークや皮肉で言っているということが分かるけれども、マスコミの特にワイドショーは面白がって、前後のレトリックやニュアンスと切り離してその部分だけを何百回でも流すから、その一言で、都議選にせよ何にせよ、数議席を落とすことになる。こんなことは政治の初歩で、野党としては与党に対して常にスキッとした対抗姿勢を示す必要がある。

 第2に、ではどうすればいいかと言えば、冷たく突き放して「本当にやれるんですかねえ」と涼しい顔をしていればいい。三重県の北川知事は「純ちゃんが倒れるか、自民党が崩れるか。どちらかでしょうな。どっちも生き残ったら『何も変わらなかった』という結果になる」と言っている(20日付朝日)。これでいいのであって、「小泉さんが本物の改革派なら、自民党を壊して、我々の改革路線に合流してくるでしょう」と言っていればいい。

 第3に、それを説得的にするためには、竹中改革案を「骨太でなく骨抜き」などと嫌味をかませているだけでは駄目で、じゃあ本当の骨太とは何なのかということを打ち出す必要がある、それを出して、「彼が本物ならここまで来るでしょうが、どうですかね。自民党のしっぽを引きずっているうちは無理でしょう」という言い方をすれば、何を基準に小泉の可能性と限界を見極めるかを人々に分かりやすく示すことが出来るだろう。

●竹中改革案に欠けているものは何か

 竹中大臣の「7つの改革」と「経済諮問会議の基本方針」がまとまった。なかなかの力作で、個々の項目を見れば、是非やって頂きたい種類のことが盛り込んである。しかし個々の内容以前に大きな欠陥が3つある。

 その第1は、これは単なる経済政策であって、21世紀にどういう国家像・社会像を求めるのかという基本的な問題提起がない。はっきり言って、小泉にはそんな大それたものは何もないから、出てくるはずがない。私に言わせれば、それは、「官僚主導による強制と保護の“上からの”民主主義」とそのための「中央集権・垂直統合型の国家中心社会システム」から、「市民主体による自立と共生の“下から”の民主主義」とそのための多極分散・水平協働型の市民中心社会システム」への、100年目の大転換である。

 第2に、経済政策ではあっても、経済原理がない。敢えて読み取ればサッチャリズムの一変種で、規制緩和・歳出削減型の小さな政府論であり市場原理中心論である。旧自民党を代表する亀井静香が今もウワゴトのように言い続けているのは「弱者救済」原理で、これは55年体制の遺物でしかない。自民党政治がおかしいのは、「弱者救済」の経済政策をやって、実際には、弱者というよりも弱者ブリッ子をしているとお金がたくさん流れ込んでくる仕組みをつくってしまったことにある。そうすると結果的に「弱者育成」になってしまう。40年かかって第2種兼業農家を70%にまで増やした旧農基法農政がその典型だろう。経済政策はあくまで「強者育成」、強い産業や自立した経営者を励ますのでなければならないが、それだけでは世の中成り立たないので、社会政策・福祉政策としての「弱者救済」、セイフティーネットをワンセットにするポリシー・ミックスが必要になる。欧州はじめ世界はとっくにその意味での「第3の道」の模索を競い合っているのだから、我々も日本的な「第3の道」を打ち出さなければならないし、そのための経済学的な基礎としては例えば宇沢弘文教授の「社会的共通資本」の経済学がある。

 第3に、経済改革案としては、橋本内閣の「6つの改革」と同じで、テーマごとの立体的=有機的な連関性、従ってまた何よりも、優先順位と切り口・段取りが不明である。これでは、橋本改革と同様、全部が中途半端になることが見えている。北川知事はこうも言っている。「どんな改革でも必ず1割、2割の反対がある。たくさんのことを一度に実行しようとすると、小さな反対が積み重なって、何も進まない恐れがある。私は優先順位をつけて、ヒットやバントを交えながら一歩一歩進めてきた。いきなり満塁ホームランを狙えば、必ずあつれきが起きる。その点が心配だ」と。そのとおりだろう。橋本の「6つの改革」が出たときに、私は“分裂症的”だと批評した。それぞれの課題がバラバラで一枚の絵に収まっていないから、全体としての整合性を持てずに全部が中途半端になる、と。例えば「地方分権」は財源の地方分権に触れない珍妙なもので、だから今度は「中央省庁再編」も、2軒か3軒の家を壊して1軒の大きな家を建てて一緒に住みましょうみたいな、実質は何も変わらないようなものになってしまった。

 だから民主党は、徹底的な地方分権、すなわち明治以来の発展途上国型の中央集権国家を廃絶して、新たに成熟先進国型の地域主権国家を樹立するのが「改革」なのだということを明確にして、その地方分権を真ん中に置いて他の諸課題をそれと関連づけて「1枚の絵」として、A4の紙1枚に収まるように分かりやすく描いてみせなければならない。それが骨太ということだ。

●大蔵族出身の小泉の限界を見抜け

 この改革の眼目を一口で言えば「(旧)大蔵省の解体」である。なぜなら、廃棄すべき発展途上国型システムの中核にあるのが、大蔵省による「マネーの総動員体制」とも言うべきお金の流れの一元的管理だからだ。心臓が本当にハートの形をしているとすると、右半分が金融、左半分が財政で、これまではごく少数のエリート官僚がこれを一手に握って日本経済の血液たるマネーの循環の一番基本のところを司ってきた。そのスターリン時代のソ連もかなわないような徹底した方式のおかげで日本はここまで来たのだが、それで100年間走りに走って、20年ちょっと前にGDPが1兆ドルを突破して、ようやく発展途上国を脱して成熟先進国の末席を汚すようになり、それからさらに経済規模が5倍になって、全世界GDP合計30兆ドルの6分の1を一国で占めてしまう、飛んでもない超成熟先進国のステータスを維持するようになって、なお旧態依然の資源とマネーの再配分機構しか持っていないことが、物事がうまく行かない根本原因である。

 3年前の自民党総裁選を思い起こせば、故・梶山静六は「日本は出血覚悟の手術が必要な心臓病であって、小渕が言うような風邪薬をドンドン出しましょうということでは直らない」という意味のことを言った。これが構造改革派の考え方の典型である。当時、大銀行の経営破綻が差し迫っている中で、心臓の右半分の「金融」のところから切開しろと彼は言った。ところが藪医者=小渕とそれを受け継いだ医師免許も怪しい森は、「日本は風邪=不況であって、それを直すことが最優先だ」という診断のもと、景気対策に名を借りたバラマキ政策を続けて、その陰で亀井が「弱者救済」と称して利益誘導とその見返りとしての集票・集金の旧自民党構造を温存させてきた。

 梶山は、日本はどんな手術にも耐えられる体力を持っているという考えだったろう。とにかく5兆ドルだから、それが1.0%上がったとか0.5%下がったとか一喜一憂するのがおかしい。経済の右肩上がりの量的拡大を最大目標とする発展途上国時代は終わったのだから、どんどん右肩下がりに衰退しているというのなら心配だが、そうでなければあわてることはない。ところが小渕や森は、日本はひ弱であって、そんな手術をしたらすぐにでも死んでしまうかのようなことを言ってきた。彼らは結局、常に保護すべき弱者を必要としていて、日本は不況で先行きは不安だということにしておかないと、バラマキ政治を続けられないと思っているのだろう。

 ところで、小泉は3年前の総裁選でも「郵政民営化」を叫んでいた。これは心臓の左半分の「財政」の2つの弁の1つである郵貯から大蔵省資金運用部を経由して財政投融資を通じて特殊法人に注ぎ込むというチャネルのところからメスを入れろという診断だった。(メスの入れどころは違っても)梶山と同じ「心臓手術が必要」ということだから、彼が「景気拡大派」でなく「構造改革派」の一員であることは認めるが、さて、彼が本当に日本のシステム手術を託するに足る医者なのかどうか。

 私のメスの入れ方は、どちらとも違って、心臓の左半分のもう1つの弁である「税金から予算へ」という一番中心的な富の再配分機構のところから始めるべきだということにある。金融はすでに大蔵省の手を半分くらい離れた(財金分離)。これで郵貯に手が着き特殊法人の整理が始まれば財政の第2の弁にメスが入る。そうすると、財政の第1の弁である税金と予算だけが大蔵省の生きる道になるが、それをこそまず潰すべきだというのが私の意見である。つまり、大蔵省の仕事はなくなるということである。

 このことを、大臣になる直前の竹中と語ったことがある。彼は「財金分離よりも財財分離ですよ」と言うから、「それは賛成だ」と言った。彼の言うのはしかし、米国モデルを念頭に「税金を集める役所と予算を管理する役所を分けるべきだ」という、いわば第1弁を“前後”に分離するという意味だった。私は「それも悪くないが、より根本的には“上下”に分離して、予算編成権限と財源をともども中央と地方に縦に分けることではないか」と主張した。

 そういう意味での地方分権が小泉に出来るだろうか。彼は確かに「地方で出来ることは地方に」と言い、7つの改革の1つに地方分権を入れているし、これまでの首相と違って「財源を分けない地方分権はありえない」と言っている。しかし「大蔵族」出身である彼が、大蔵省解体を意味するような徹底的な分権に踏み込めるはずがないと私は見ている。あくまで中央集権が続くことを前提に、地方にもう少し手厚く財源を分け与え、また外形標準課税などの独自課税権を認めるのが精一杯ではないか。

 小泉の郵政民営化論は、旧銀行局やそれに従う全国銀行協会の郵貯批判と同工異曲で、だから悪いと言うのではないが、しょせんそういうものである。道路特定財源の見直しが唐突に出てきたのも、彼の大蔵族として育ってきた基礎教養が滲み出たものだろう。道路に限らず特定財源や特別会計を作って各省庁に大蔵省からの事実上干渉を受けない独自財源を持たせたのは田中角栄で、それが彼の官僚への人心収攬術だった。それは、余りに強大な大蔵省権力に制約を加えるという積極面もあったが、結果的には族議員の利益誘導政治を一層ひどいものにした。その財源を取り戻したいというのが大蔵省の宿願だったのであり、だからといって橋本派が言うように「小泉は大蔵省の手先」というのは違うと思うが、何か具体論めいたことを言わなければならないとなると、思わず古い引き出しから大蔵族の教養が出てきてしまうのだろう。

 ところが、道路特定財源を採り上げれば、当然その前後関係が問題になる。すぐ後ろには24兆円の赤字を抱える日本道路公団をどうするのかという大問題があり、また手前には、道路族から採り上げた財源を大蔵省に奉還して一般財源に解消したのでは何にもならないという問題もある。例えば、それをそっくり地方財源にして、道路だけでなく何に使おうと自由ということにする方法もある。となると、単に道路財源だけの問題だけでなく、中央と地方で全体としてどう税源を配分するかというそれこそ大問題につながる。そういう前後の脈絡を全体として考慮することなく、ポコッと「道路特定財源の見直し」を持ち出して、新聞がそれを世論調査で聞くと75%の人が「賛成」と答える。おいおい、ちょっと待ってくれよ、という感じだ。橋本派に対する嫌みとしてはいいかもしれないが、もう少しよく考えた方がいいんじゃないの、と。結局、大蔵族の教養から何か取り出して投げたというだけの思いつきにすぎないのではないか。そこに小泉改革の危うさが見える。

●斎藤精一郎『日本再編計画』をもう一度読み直そう

 中央と地方で財源をどう分けるか。民主党は中央・地方の財源を欧州各国並に「半々」くらいにすると言っているようだが、半々というのは曖昧で、今よりマシではあるが何を基準にしているのか分からない。明快なのは、立教大学の斎藤精一郎教授らが96年に出した『日本再編計画』(PHP研究所)で提起したように、「公共事業、医療・福祉、教育など国民生活に直接関係する政策と予算は地方に委ねる。21世紀に至ってもどうしても中央から全国一元的にやらなければならないことだけ、中央に残す」というはっきりとした考え方である。そうやって予算の費目を全部洗い出すと、結果的に財源の8割が地方に渡って、中央には5省庁しか残らない。中央公務員は10年間で7割削減する。地方は3300自治体を257の「府」に再編して基礎自治体とする。細かいことは斎藤さんらの本を読んで頂くしかないが、自民党流の、依然として中央集権主義が続くという前提に立って、少し地方にも手厚くしようという程度の分権なのか、それとも中央集権主義そのものを廃棄して、そのシンボルたる大蔵省を廃止して、徹底的な地域主権国家にするのか────それこそがシステム改革をめぐる中心的な争点でなければならない。

 しかも、この分権構想はワンノブゼムの改革課題の1つではない。それをド真ん中に据えることによって、初めて諸改革が立体性をもって繋がって、A4ペーパー1枚に収まるような分かりやすい見取り図が描ける。徴税の主体は地方になり、2割だけを中央の連邦政府維持のために「交付」する。どのように税金を集めるかの企画は地方が立てることで、全国一律的な税としては消費税が中心になるのかもしれない。その消費税も税率を決めるのは地方である。予算ももちろん地方ごとに立てる。道路に重点を置くのも福祉を充実させるのも、オーストリアのザルツブルグ市のように、自由になる財源の大半をオペラハウスに投入するのも、市民の合意さえあれば自由である。そうやって、市民の参加と監視のもと、予算を皆が本当に大事だと思う「公」の価値の形成に用いることが出来る。

 どうも地方分権というと一般の人たちは、中央政府と地方自治体の予算や権限の取り合いくらいにしか思っておらず、だから自分らにあまり関係ないと思っている。とんでもないことで、自分たちが生み出した富の一部を「公」の価値形成のために役立てて貰いたいという思いを込めて、専門家集団である官僚に預託しているのが税であり、今まではそこから先は「お上にお任せ」で仕方がなかったが、これからは我々自身がその使い道に責任を持って、どこにどう使うか政策に参画したり行方を監視したりしなければ、5兆ドルの富は活きない。つまり、ここから本当の「市民社会」が始まるのであって、だから地方分権はすべての改革の核心なのである。

 斎藤教授らの試算によると、今までのように大蔵省から省庁縦割りのパイプでいろいろな規制付きでマネーが流れて、族議員の介入で要らないところに行って腐ったり、無駄になったり、汚職で盗まれたりすることがなくなれば、あの本は96年に出たので、97年度からその制度転換が行われたと仮定してシミュレーションしているが、早くも2001年度には18兆円が、2005年以降は30兆円が節約されて浮いてしまう。当時予算規模が70兆円だから、逆に言えば半分近くが無駄なことに浪費されているということだ。当時、新進党はそれだけ浮くなら減税だという考え方だったが、斎藤さん自身と鳩山ら民主党は、それを一切の増税や医療・福祉負担の増大なしに十分に充実した高齢化対応の福祉社会の実現をはじめ、長期的な競争力強化のために投資して、さらに中央・地方の借金の返済まで始めることが出来る。それでもお金が余ってしまって、いずれ所得税は全廃して、それでも財政は赤字にならないという計算をしている。

 そんなに巧く行くかなあと思うかもしれないが、大事なのは、徹底的な地方分権構想をど真ん中に据えることによって、税制改革も財政再建も福祉充実も、さらには教育改革も──「皆と同じことがやれると誉められる」という文部省の全国一律的な発展途上国丸出しの国民教育原理を廃止して、地域ごとの個性ある教育を実現し得るかという問題も、全部ワンパッケージで解決する道を示すことが出来るという、その発想である。そういう骨太の絵を示して、「さあ、小泉さん、本当の改革派なら早く自民党を壊して、我々に合流したらどうですか」と言えばいいのである。

 実を言うと、ここにいる若い議員の皆さんはご存じないかもしれないが、96年に旧民主党が出来たときの最初の綱領的な文書である「基本理念」に大筋書いてある(別項参照)。どうして私がそれを知っているのかというと、その文書のとりまとめを担当したのは私だからだ(笑い)。そして10月に総選挙があって、直後に熱海で全議員が集まって合宿し、その講師として斎藤精一郎教授を招いた。そういうところから民主党は出発したのだという歴史を知った上で、若い皆さんが本当の骨太の方針を作り上げて頂きたい。▲

INSIDER No.21-1《FROM THE EDITOR》

●東京都議選の結果

 確かに“小泉人気”の威力は抜群で、自民党は現有48議席に対して53議席を確保する勝利を得ました。とはいえ、前回の当選議席54に比べれば1議席減のほぼ現状維持であり、一部の新聞が「議席伸ばす」とか「自民再生」とか見出しを立てているのは、いささか持ち上げすぎでしょう。もし“森総裁”か“橋本総裁”の下で戦っていたら40議席を切る惨敗となって分裂状態に陥ったであろう危機状態が、小泉人気でかろうじて歯止めがかかったというのが本当のところです。自民党はこの結果を過信してはなりません。

 1つのポイントは、無党派層の動向。例えば日本経済新聞25日付の社説は「無党派層の票は今回、小泉改革に期待を込めて自民党に多く流れたと見て間違いない。これが自民党の勝因である」と、ごく常識的な見方を採っていますが、同じ紙面のすぐ隣にある田中愛治=早大教授のコメントは、「かつての自民党支持層で無党派になっていた有権者は自民党に投票したであろうが、従来“どの政党も支持しまい”と考えていた自覚的な無党派層は、自民党にそれほど流れ込んでいるわけではない。自覚的無党派層の中にも自民党の追い風が吹いていれば、自民党はもっと勢いを伸ばしても良いはずだ」と指摘しています。

 今の段階で直感的に言えば、田中教授の言い分が正しいのではないでしょうか。橋本政権以来の自民党の体たらくにほとほとウンザリした本来的な自民党支持層が大量に“無党派化”して漂流し、一時は小沢=自由党に期待したり、民主党に浮気したりしていたのが、小泉の登場で「戻ってきた」のであり、それが前回54議席に対する今回53議席という結果に現れていると考えられます。小泉は「無党派層こそ宝の山であり、何をすれば支持を得られるかを考え実現することが自民党が立ち直るカギだ」と語っていましたが(毎日新聞4月25日付)、それが、政治意識が高いがゆえに敢えて支持政党を持とうとしない「自覚的な無党派層」を意味しているなら、小泉はまだほとんどその宝の山に届いていないことになります。

 各種の事前調査では、小泉内閣支持が80%を超えるにもかかわらず、だから自民党に投票するという人は20%にとどまっていたし、実際の都議選での自民党への投票率も35%程度でした。大雑把なところ、この2〜3割が自民回帰型の無党派層であり、残り7〜8割が自覚的無党派層であると言えるでしょう。後者は本質的に自民党嫌いで、小泉は評価しても、だからすぐに自民党に投票するほどナイーブでなく、また社民党や共産党など批判一本槍の旧革新も駄目だと思っていて、いろいろ不満を感じながらも民主党に入れたり、小泉人気に惑わされずに地道な福祉・環境問題に取り組んでいる生活者ネットに入れたりしています。民主党が22議席(プラス推薦無所属2)を得、ネットが6議席全員当選を果たして、(ネットはみな民主党推薦なので)それらを合わせると事実上、都議会第2党の勢力になったわけで、それは、彼らの方が多少とも宝の山に近いところで勝負していることの結果と考えられます。

 1カ月後に迫った参院選で、小泉が都議選と同様の“改革イメージ”の振りまきでいい結果を得ることが出来るのかどうかは、まだ確定的なことではありません。

 では野党はどうしたらいいのか。27日に民主党若手議員の勉強会に呼ばれて、「小泉政権の見方と民主党のあり方」について1時間ほど話をする機会がありました。基本的な趣旨はi-NSIDER 020で述べたことと重なりますが、こういう席なので多少とも政治論・運動論に踏み込んで提言しているところもあるので、ここで内容的・表現的に補足しつつ復元して採録することにしました。

 なお7月3日午後2時から5時まで千代田区平河町の都市センターホテルで、鳩山由紀夫、土井たか子、小沢一郎の3野党党首と、北川正恭=三重県、田中康夫=長野県両知事がパネリスト、高野が司会で公開シンポジウム「21世紀の日本と地方自治」が開かれます。

●高野の7月の予定から

 7月は講演が多いのですが、一般公開のものは余りなくて、上記3日の野党3党首と2人の県知事による地方分権シンポ(都市センターホテル)、10日松坂市「IT革命」講演会(フレックスホール)、31日徳島県「国際化時代の人権」(文化センター)くらいです。6日の部落解放同盟大阪府連の政治学習会「いま政治を問う」は一般参加も可能かもしれないので06-6568-1621にお問い合わせを。池袋サンシャイン文化センターの「新・世界地図の読み方」第4回は28日16時からで臨時参加可能です。

 安房鴨川の農作業は、6月30日〜7月1日が田んぼの草取りと大豆畑の植え付けで、次は8月4〜6日に草取りと大山不動尊例祭の御神輿担ぎになります。

 六本木男声合唱団の公演は、14日12時から竹橋のレストラン「T¥'SUKI」で開かれる「子供地球基金」のファンド・レイジング・パーティへのボランティア出演があります。参加費1万円。詳しくは同基金のホームページhttp://www.kidsearthfund.org/をご覧下さい。問い合
わせ・申し込みは03-3462-5821へ。▲

2001年6月28日

INSIDER No.24-2《AGING SOCIETY》「少子高齢化社会」を寿ぐ──菊池哲郎の論説

■高齢化は幸せの証し、少子化は成熟の証拠

 少子高齢化がいけないこと、「問題」として扱われている。おかしい。間違っている。高齢化とは、長生きする人が増えるということ。少子化とはことわざにもある「貧乏人の子沢山」が減ったということ、つまり金持ちが増えた証拠だ。子供たちにとっては過剰な競争にさらされず、のびのびと人生を送れる環境が整うということだ。

 まことにけっこうなことではないか。豊かさを求めて皆でがんばってきた結果、たどり着いたひとつの理想郷だ。だれが言い出したのか、それを「問題だ」と定義する。それこそ大問題ではないか。そもそも少子といっても毎年120万人もの子どもが生まれている。そのどこが少ないのか。同じ年生まれが270万人。しかも3年連続だから、800万人が団子になって激烈な競争をしてきた団塊世代として私から見れば、同学年120万人はうらやましい。間もなく大学は定員で見れば、全員合格の時代になる。思う存分自分の好みと能力を活かして、好きなことに専念できそうではないか。

 高齢化というが、地球が太陽の周りを一回りすればだれでも年をとる。昔からそうだ。それを「問題だ」というほど、われわれはおごっていいのか。どうしてこんな幸せな現象を、政府や一部の学者、評論家の口車に乗って「問題だ」と思うのだろうか。高齢化は幸せの証し。少子化はひとつの文化・文明の成熟の証拠。いいことを2つあわせると悪いことなのか。

 そのしかけは、「少子化」と「高齢化」というじつは関係のない、別々に起きている事実を、あたかも表裏一体のように扱う詐欺的表現にある。しかも何が問題かと突きつめれば、金だ。高齢者にかかる年金や医療費を負担する(と勝手に想定している)子どもの数が、高齢者の増加に見合って増えないと負担しきれないから「問題だ」という。そんな勝手な言い分がこの世にあっていいのだろうか。ものすごくわかりやすく言うと、将来の年寄りの年金と医療費を払わせるために子どもを増やせと、こともあろうに政府が言っているのだ。

 かつては「日本は人口が多く国土が狭く……」と教科書でも教え、狭い家や高い地価や農産物などを人口密度が高いせいにして、だから勉強しろ、勤勉になれと言っていたではないか。じつは土地政策、住宅政策、農業政策の貧困が理由だったのに、その無策を棚に上げ人口のせいにしていた。少子化で、その人口密度の高さがようやく解消に向かう方向が見えだしたら、今度は人口が減るのが問題だと騒ぎ始める。日本の官僚にかかったら何がどうなっても問題だらけ。それは役目としても、政治家まで鵜呑みにしてはおしまいだ。

■安上がりの高齢者になろう!

 今の子供らが将来ゆったりと暮らせるなら、私らの年金は今の3分の1で十分。夫婦2人、100円ショップで暮らせば、月3万円もあれば食費はすむ。高齢者が増えれば増えたように世の中が変わる。ものすごく当たり前なことなのだ。何でも今のままの状態で、ただ人間だけが年をとる将来がやってくると思うのがおかしいのだ。

 いっしょに高齢化する人数が多いのは、それだけ友だちがいつまでもいるということ。1人減り2人減りして友だちがいなくなる寂しさが少ない。高齢者の方は人数が多い幸せをかみしめればいい。そのうえ若者の収入から自分のぜいたく費用まで巻き上げようというのはセコ過ぎる。年金を貯金してさらに見栄を張って葬式に何万円も香典を包んでいく風習など、あと10年もすればなくなる。

 1人ひとりが安上がりの高齢者になっていけば、少子高齢化は問題どころか幸せの証拠になる。今高齢者にかかっている金額×これからの高齢者の人数で出てくる金額をそのまま、将来の働き手で割り算すると、年収の3分の1も取り上げるとんでもない金額になると国民を脅す。そんなバカな計算ばかりするから、それこそ子供を産む気をそいでいるのが今のやり方だ。どうせ約束など守ったためしがない政府が、どうしてそこだけ律儀なのかわからない。

 働き手が減ることも心配する。冗談ではない。過剰労働力に起因する生産効率の悪さが、現代日本で最大の問題だ。少人数になれば、都会では1年のうち1〜2カ月も通勤電車の中にいるようなムダな時間が省け、1人あたりで今の2倍以上(恐らく10倍にはなるだろう)効率よく働くのは簡単なことなのだ。120万人の子どもがおとなになったころ、今のおとな500万人分の仕事をこなすなど、ぞうさもない。自分たちの効率の悪い仕事を前提に計算した将来の労働力不足など、的はずれもいいところだ。

 高齢者が皆寝たきりになるようなイメージで扱われては困る。今でも大多数は元気をもて余している。社会的にはもったいない能力だ。高齢者の活性化は高度成長型の既成概念を取り払えばいくらでもできる。間もなくそうなる。

■「景気主義」にふり回されるのはもうやめよう

 さて、日本ではすぐそうした間違った観念がまかり通ってしまうのは、「景気」が、日本にとって最大のキーワードになって何年もたっているからだ。半世紀以上、日本はこれにふり回されてきた。与党の選挙公約はつねに景気をよくする方策が盛り込まれ続け、選挙民はそれを選んできた。野党とて、そこから逃れることは難しかった。それほどわれわれは景気に束縛されてきた。21世紀こそ景気をキーワードのトップからはずしていかなければ、われわれの幸せはない。

 戦後はずっと、経済白書とその解説者でもあったエコノミストたちによって、景気の重要性は飽きることなく繰り返されてきた。そのためのキャッチコピーも見事だった。例えば昭和30年代に、神武天皇以来の景気のよさだと「神武景気」が喧伝され、それどころではない天の岩戸の故事以来だと「岩戸景気」と名づけられ、さらに「いざなぎ景気」と命名はエスカレートした。景気のよさはじつに好ましいことであり続け、高度成長期を経て「景気」は経済大国、日本のキーワードとして定着した。

 明治期以降の富国強兵の時代、不況や恐慌はあったが、主たるキーワードは強兵だった。富国はそのための手段の位置づけで、日本全体の景気と一体ではなかった。景気という言葉そのものは、ものごとのようすや景色を指し、福沢諭吉翁の『文明論之概略』に「(売上げの増加は)商売繁盛の景気を示すもの……」などとあるのが、今の経済活動全体の状況を指すはしりだったようだ。

 ところが今では、「景気は低落傾向で個人消費に力強さがなく……」と、まるで世相のバックミュージックのように連日流れている。しかも景気はさらに専門化して、その一部門である「個人消費」といったじつはなんだか分からないものがキーワードの主人公になってくる。あたかも個人消費というなにかの実体があり、それを活性化させないと、日本はダメになるかのような言い方だ。それを盛り上げるために、いかに政府は苦労しているか、もう何年にもわたり毎日のように宣伝してきた。国民にその個人消費という怪物を活性化させるように、協力とムダ遣いを呼びかけている。まるで悪いのは個人消費という何ものかで、政府ではないとでもいいたげだ。

 国内総生産(GDP)の増減が最終的には景気のよしあしだ。そのGDPの6〜7割が個人消費だ。生産を測る統計の大半を正反対の消費で調べている。初めから理論と実際は、ずれている。ずれを修正し続けて60年。その測りがたい、じつは幻のようなGDPの増大を政策の筆頭に置くGDP至上主義とは、言い換えれば、幻想の政治だったともいえる。その幻想から覚めること、つまり「景気」に日本のキーワードの筆頭から降りてもらうしか、この虚構の積み上げから抜け出す道はないのである。

■古びた「景気」概念からの脱却を

 だから景気だけに焦点をあてて経済政策をやること自体、流行遅れのひどく古い手法で、もはや弊害しかないのだ。情報通信産業に見るように、豊かさを前提にしたポスト工業化社会はすでに来ている。そこでは景気は結果であって目的ではない。たとえば将来に夢があり、それを信じさせる社会をつくる政治が、公共事業などよりはるかに有効に働く。古びた「景気」概念の呪縛から脱却することこそが、じつは最大の景気対策だが、否、そんな発想ではなく、景気をよくするなどというわびしい政治目標から飛躍して、われわれの生き方を取り戻すための出発点にしなければいけないのである。

 グローバリゼーションと表裏一体で世界を闊歩する米国起源の過剰な市場主義信奉に反省が起きている。それは経済的な豊かさ=景気拡大だけを求め、その実現のために競争に勝つことが究極的な目的だとする考え方に対する反感だ。このままではどこかおかしいという正常な感覚がその動きを支えている。効率と金額換算だけが最優先する市場主義にはなじまないものはじつに山ほどあるのだ。たとえば教育、医療、環境、都市と農村、文化……そして何よりも日々の私たちの生活だ。そこにまで効率と競争と金額換算を原理にした市場主義が入り込みすぎた。激変への消化不良が拒否反応を起こし、いきなり犯罪に象徴されるもろもろの世間の異常さに結びついている。

 一時を万事に適用する理屈優先の演繹社会よりも、理屈より世の中のほうが先にあるという当然のことを思い起こして、世の中という万事の中からいいものを探し多様化させていく帰納型の社会が大事なのだ。孫に伝えるべきことは、効率とかお金とかが二の次になるもっとはるかに大事な、そんなもので測れない一人ひとりがどう生きてきたかそれぞれの別々の物語だと思う。[筆者は毎日新聞論説副委員長、『出版ダイジェスト』7月1日号より転載]▲

INSIDER No.24-1《FROM THE EDITOR》2001/07/26横浜発

●加藤秀樹「構想日本」に注目!

 大蔵省出身の加藤秀樹さんが主宰する市民派シンクタンク「構想日本」がいまなかなか面白い。加藤&構想日本が『中央公論』8月号に書いた「道路公団“健全経営”のカラクリ」は力作で、“伏魔殿”と言われる特殊法人の典型例として道路公団を採り上げて、同公団の外見上の“健全経営”は、「償還主義」と「全国プール制」によって赤字を限りなく将来に先送りできるカラクリと、償却費や除却費のコストを算入せずに赤字を黒字と表示することが出来る大福帳的な財務会計方式とによって粉飾されたものであって、普通の企業と同じ基準で査定すれば、すでに旧国鉄の民営化時点を大きく上回る大赤字で、その将来の返済不能債務は44兆円に達すると予測しています。同公団がろくに情報開示もしていない中で、ここまで会計手法のカラクリを突き止めて問題点を浮き彫りにしたのは画期的と言えるでしょう。

 ただし、付け加えれば、公団の収入が料金収入だけになっているのがもう1つのカラクリで、社団法人道路施設協会を媒介として旧建設省OBや道路族議員ファミリーが巣くう関連サービスの子会社が60以上もあって、それらは大儲けをしている実態がある。あのサービスエリアのまずくて高い食堂や、ランプの電球を切れても切れなくても取り替える作業といったすべてを公団が直接手掛ければ収入が飛躍的に増大するはずで、だとするとそれら子会社群の収支まで連結ベースで解明しないと、本当のバランスは分からないことになります。

 加藤さんらの提言は、(1)現在の建設中事業をすべて取りやめる、(2)償還主義と全国プール制から決別する、(3)財務状況の実態を明らかにし、一般的な企業会計原則を適用する、(4)経営責任を明確にする──ということで、それには、道路審議会が言っているような「国と公団の役割分担」といったことでは何の問題解決にもならず、“民営化”が有力な選択肢となるが、そうかと言って民営化がすべてを解決するわけでもない。採算性に乗らないけれども人々の暮らしに必要だという道路を誰の負担で建設し維持するのかという問題が残るからです。

 「構想日本」のホームページ(*1)では。加藤さんらの精力的な政策提言活動の全体を見ることが出来ます。最近が彼らが始めた注目すべき仕事は、現職国会議員の政策的な意見をアンケートによって集約した政策データベース(*2)。各議員のプロフィールやホームページへのリンクもあって、有権者が政治家を評価する上で有用です。もう1つ面白いのは「教育プロジェクト」の中にある「地域の学習支援ネットワーク」で、私がかねて大いに注目している千葉県習志野市「秋津コミュニティ」の地域社会と学校の融合・連携活動をはじめ、先進的な事例が紹介されています。

 (*1) http://www.kosonippon.org/
 (*2) http://db.kosonippon.org/

 なお、特殊法人の会計処理の改善については、財政制度審議会が昨年10月から取り組んでいた見直し作業が終わって6月19日に「特殊法人等に係わる行政コスト計算書作成指針」が公表され、民間企業と同様の財務諸表を作成・開示することを求めています。『週刊東洋経済』7月7日号の「郵貯と特殊法人」特集の中で会田一雄=慶応大学教授がこれについて解説していますが、これはあくまでガイドラインで、法的な拘束力を持たないとのこと。これで本当に特殊法人の経営実態が白日の下に晒されるのかどうか。

●菊池哲郎「“少子高齢化社会”を寿ぐ」に賛成!

 菊池哲郎=毎日新聞論説副委員長が『出版ダイジェスト』7月1日号に書いた「“少子高齢化社会”を寿ぐ」という一文がなかなかよくて、趣旨に賛成ですが、ほとんど誰の目にも触れないと思うので本誌に転載します。ご本人にはまだ断っていませんが、27日に一杯飲む予定なので、その時に事後承諾ということで、よろしく。この文章の後半は、本誌No.2(1月9日号)で新聞各紙の正月社説の中で「最優秀賞というか、ほとんど唯一の収穫」と誉めあげた毎日新聞1月4日付の「景気主義の呪縛から脱出」と同趣旨ですが、それもそのはず、この社説の筆者は菊池さんだったのです。

 少子化と高齢化で年金システムの破綻や医療費増大は避けられず、新規労働力の減少による経済の停滞も免れないという世の常識となっている旧厚生省の悲観的シナリオが、相当に怪しいものであって、いくつかの前提を置き換えれば、まったく別の楽観的なシナリオも描きうるのだということは、本誌もかねて主張してきたことです。例えば、旧厚生省シナリオでは、高齢化した人々がみな寝たきり老人になるかの前提で組み立てられていますが、ジョン・K・ガルブレイス=米ハーバード大学名誉教授が昔から言っているように、肉体労働よりも知識労働の比重が大きくなる先進国社会では60歳を過ぎた高齢者の5人に3人は元気で、その元気な年寄りに社会の中で適切な働き場を確保することが“高齢者対策”の第1であり、次に5人に2人の元気でない人たちへの介護や医療のサービスの提供が問題になるのであって、その順番を間違えてはいけません。あるいは、高齢化比率の予測も、“日本人”だけで考えるとどうしても上のほうが膨らんだ頭でっかちのグラフしか描けませんが、日本が外国人の専門家や労働者を1000万人ほど積極的に受け入れて“多民族社会”になっていくという仮定を挿入すれば、話が全然違ってくるのです。

 このように、一見もっともらしいシミュレーション結果がその前提となっている諸条件の吟味を抜きにしたまま、もはや確定的な未来であるかに信じ込まれてしまうという傾向は、それが悲観的な内容であればあるほど強くて、例えば今話題の京都議定書の「地球温暖化」シナリオに関してもそういう一面があることを認めないわけにはいきません。もちろん、だからと言って米ブッシュ政権のこの問題への独善的態度を許していいことにはなりませんが、一方では、本当に二酸化炭素が温暖化の主因であるのかどうか、主因であったとしてそれが本当に今世紀末に3〜4度の気温上昇をもたらすのかどうかについては、今週の『ニューズウィーク』(8月1日号)の特集「地球温暖化はでたらめだ」でMITの気象学者リチャード・リンゼン教授が語っているように、学問的に確定したことではないし、他方では、本誌が着目してきたように、燃料電池(という名の水素発電機)の自動車だけでなく一般家庭への導入によって化石燃料を直接燃焼させる20世紀型のエネルギー・システムが廃絶に向かうという仮定を立てれば、それだけで全く別の展望が浮上してきます。ブッシュ大統領がどこまで分かっているか不明ですが(リンゼンは「分かっている」と言っている)、そういう恰好できちんと国際社会に対して問題提起をして論争を呼び起こせばもっと建設的な議論になっているはずなのに、「米国経済にとってマイナスだ」という国益エゴのレベルでしか語っていないから単純な反発を招くだけになるのです。この問題については、本誌でも近く論じることにしましょう。

●知床半島をシーカヤックで一周した!

 7月21〜22日に「日本最東端の町」斜里と羅臼を訪れて、秘境=知床半島をシーカヤックで一周する旅に挑戦しました。

 カヌーは、川で5回、海で1回しか経験したことのない初心者の私ですが、このうち1回を除くすべては東大工学部で情報論・都市論を講ずる月尾嘉男先生のお供。同先生は、私よりやや上で、あと1〜2年で定年というお歳ですが、カヌーは月に1〜2回こなしてレースにも出場するベテランだし、登山やスキーのクロスカントリーも大好きというタフなアウトドアマンです。どちらが目的でどちらが手段かよく分からないのですが、全国各地の町興し・村作りグループとつながりを持って「釧路湿原塾」「四万十僻村塾」「伊王島離島塾」といった名前の塾を作って塾長になり、そのそれぞれで年に何回か、私のようなゲストを連れて行って講演と討論の会を開き、その謝礼代わりに現地側が1日か2日のカヌー・ツァーなどを準備するという巧みな仕掛けを張り巡らせていて、私もそれに何度かお付き合いさせて頂くうちにカヌーの楽しみに引き込まれてしまいました。

 今回は「知床半島塾」ということで、金曜日に現地入りして夜は町の文化ホールで午来昌=斜里町長や町幹部の方々もご臨席頂いて講演会を開いたあと、同塾運営委員長で町議でもある河面孝子さんの別荘で、メンバーである斜里町の元気なおばさまたちや羅臼町の町興しに取り組んでいる猛者連、それに明日のカヤック・ツァーに同行して頂ける両町のベテラン3人を交えて大宴会。と言っても、「明日は天気がどうかなあ」「今日も岬のほうは波が高くて漁船が出なかったそうだ」「この前の時は波と風で進めなくなって、舟を置いて海岸を20キロ歩いて漁師に助けを求めたものな」などとベテラン諸氏が言い、月尾さんも「僕は、何度もチャレンジして3年目にようやく半島一周に成功したんだから、初めて来て巧く行くと思ったら大間違いだぞ」と脅すので、落ち着いて酒も飲めません。

 実際、犀の角のような形をして北北東に突き出した知床半島は、真ん中に羅臼岳(1661メートル)を主峰とする知床連山がそびえ立ち、西の斜里町側は冬ともなればオホーツク海の流氷が押し寄せて岩をガリガリと削りとった断崖絶壁の奇観が続き、東の羅臼町側は国後島まで最短部分で25キロという狭い根室海峡に面していて、風や潮の流れは複雑怪奇だし、天候もしばしば激変します。しかも、羅臼町から北へ30キロ弱の相泊港から出発してしまうと、その先の「知床国立公園」に指定されている半島北半分には道路も港も人家もなくて、漁師たちが漁期に寝泊まりする「番屋」がところどころ岸壁に貼り付くように建っているだけで、遭難した場合に助けを求める術もありません。本当を言えば、私のような初心者が舟を出すなど飛んでもないような場所なのです。

 翌朝は3時に起床、5時前に出発して車で相泊まで行って艇を出したのが7時20分。海面までたれ込めていたガスも次第に上がり始めて、やや追い風の静かな海面を滑るように漕ぎ出しました。思いのほか順調な航海で、途中「ペキンの鼻」と呼ばれる岩場で周りにいくらでも転がっているウニをちょっとだけ“試食”して休憩したのを挟んで、4時間ほどで知床岬を回ることが出来ました。「ここが日本の最東端か」と感慨が湧きます。すぐ目の前の海からアザラシが3頭、丸い頭を出してこちらを見ているのは歓迎の意味なのでしょうか。遠くにはミンククジラが1頭泳いでいるのが見え、左の無人燈台近くの奇岩の上にはオジロワシが端正な姿で辺りを睥睨しています。自動車はもちろん自転車で入る道さえない日本最後の秘境は、こうしてカヤックを操って自分が自然の一部に溶け込むことによってしか、心ゆくまで味わうことを許されないのだと悟りました。

 その日は15時にカパルワタラの番屋に艇を上げて、投泊。年に何度も半島一周を試みるベテラン諸氏でも「今まで経験がない」と言うほどの好天気に、何度も感謝の杯を捧げました。翌朝は5時に出発、伝説に包まれた奇岩、岸壁から噴き出す滝、神秘の洞窟などを経巡りながらルシャ川の河口付近まで来ると、岸辺で餌を漁るヒグマの親子2組と3歳くらいの痩せた1頭を次々に目撃することも出来ました。この辺りで確認されている生息数は17頭。そのうち5頭と出会ったのですから相当な幸運でした(もっとも、ヨチヨチ歩きの小熊は未登録かもしれないので、19頭中の5頭になるかな)。心配された逆風や波乱もなく、休憩を挟んでウトロ港まで7時間のゆったりとした航海でした。

《関連情報》
(1)『銀の海峡──魚の城下町らうす物語』
 カヤック・ツァーに同行して頂いた羅臼町の渡辺憲爾課長からプレゼントされた、町当局発行の町紹介の本。東京の築地市場でもワンランク上の価格で取り引きされる羅臼産の海産物を獲る漁師たちの暮らしやその食卓、森繁久弥から加藤登紀子に受け継がれた「知床旅情」の歌とそれに惹かれて羅臼と深く付き合うことになった画家の関屋敏隆さんの活動、オホーツク人から古アイヌ人そして和人へと移り変わってきた魚の町の1000年の歴史──などがよく分かります。博多の明太子は、羅臼のスケソウと羅臼の昆布がないと出来ないって、知ってました? 文章も編集も写真もなかなかよくて、町当局が作ったとは思えない出来の新書版です。定価300円、連絡先は01538-7-2111羅臼町。

(2)斜里町立知床博物館編『しれとこライブラリー』
 斜里町立の知床博物館が編集した「しれとこライブラリー」シリーズ『知床の鳥類』『知床のほ乳類I』『知床のほ乳類II』がすばらしい。知床の原生の自然を長年にわたって調査研究してきた成果が豊富な写真やデータと合わせて紹介されていて、目を開かれることがたくさんありました。各巻1800円、北海道新聞社刊。

(3)羅臼海産物のネット通販『知床三佐ヱ門本舗』
 羅臼のキンキ、ほっけ、ウニ、昆布をはじめ第一級の海産物を手軽に入手したい方は、『知床三佐ヱ門本舗』(*3)へアクセスを。電話は0120-4015-99。主宰する町田さんは、斜里町での講演会とその後の宴会にも参加して頂きましたが、聞くと大前研一「アタッカービジネススクール」の第1期生で、大前さんに勧められてネット販売を始めて成功しているとのこと。私もさっそく注文しました。

 (*3)http://siretoko.com/

(4)北海道地図刊『知床連邦』
 知床半島の地図で優れものは、北海道地図(株)が発行する2万5000分の1山岳マップシリーズの『知床連邦』。山岳地図なので、海岸線がすべて表示されていないのが残念ですが、同半島の主要部が美しい立体地図で表現されていて楽しいです(1700円)。海岸線をすべて辿るには、やはり国土地理院の2万5000分の1地形図ですが、半島全部をカバーするには8枚ほど必要。こういう場合に便利なのは、同院が発行する『数値地図25000(地図画像)』のCD-ROMで、「標津」を1枚買えば24枚分の2万5000分の1地図がデジタル・データで収められていて、何枚かを連結させたり、拡大・縮小表示したり、距離や面積を測定したり、経路やメモを書き込んだりと、いろいろ加工することが出来るし、それを画像として保存したり出力することも出来るので、まことに便利。1枚7500円は安くないですが、8枚もの地図を座敷一杯に広げなければならないことを思えばそれほど高くないということになるでしょうか。『数値地図』そのものはWindows95用ですが、(財)日本地図センターで出している『Mac DE ミール』というソフトを求めれば、Macでもそのまま使えます(1万円)。いずれも八重洲ブックセンターB1の地図売場に常備されています。▲

2001年6月20日

INSIDER No.20《LDP CLINICAL》小泉はどのくらい“反自民”なのか──混沌たる参院選の行方

 小泉純一郎首相は、参院選向けの自民党のTVコマーシャルを撮影するに当たって、広報担当者から「総裁、どのようなコンセプトで作りましょうか」と問われて、即座に「反自民で行こう」と答え、腰を抜かすほど驚いている担当者を尻目に、さらに「だって、俺を支えているのは反自民の人たちだもん」と言い放ったという。あるいは彼は、首相就任直後の某評論家との個人的対話の中で、「今はいいけど、参院選後にいよいよ改革を具体化しなければならないということになると、橋本派を中心とする“抵抗勢力”と激突して、結局は何も出来ないということになるんじゃないか。その時はどうするんですか」と尋ねられて、これまた即座に「その時は離党する」と断言した。

 自民党総裁が“反自民”であるという前代未聞・空前絶後の矛盾に満ちた事態は、結局のところ、(1)小泉が本当に“反自民”のスタンスを貫き通した場合には、自民党が解体・分裂するか、(2)もしくは彼が弾き飛ばされて離党せざるをえなくなるかのどちらか、(3)そのスタンスを貫き通せずに、ほどほどのところで党内で妥協を図った場合には、たちまち国民的人気が(急上昇したのと同じくらいのカーブで)急下落する──という形で決着を迎えるしかないだろう。いずれにせよ小泉政権は短命に終わる可能性のほうが大きい。

●誤算と打算

 元々小泉は、先の自民党総裁選で自分が勝つとは想像しておらず、橋本龍太郎が勝って彼の下で参院選を戦って自民党が惨敗するのを待って、加藤紘一ともども、石原伸晃や塩崎恭久ら若手10人ほどを引き連れて離党、民主党や自由党と組んで本格的な構造改革政権を樹立するというシナリオを思い描いていた。それに対して民主党の鳩山由紀夫らは「出るなら参院選前だ。そうすればあなた方が立て役者になって、参院選後に一気に政界再編になる」と、水面下の働きかけを続けていた。小泉が総裁選で勝ってしまい、自民党総裁として反自民的な改革を進めなければならなくなったのは、加藤や鳩山にとってはもちろん、小泉本人にとっても大誤算だった。しかし、小泉、加藤はじめ改革派が自民党を壊すか自分らが外へ出るかして、自民党(の残党)をもう一度野党に蹴落とすことから本当の改革が始まる──という問題構図は、今も基本的に変わっていない。ただ、小泉が総裁に「させられた」ことで彼が簡単には離党できなくなって、政界再編の激発が先延ばしされたことが、与野党にまたがる改革派にとって大誤算だったのである。

 橋本派を中心とする自民党本体の側から見れば、小泉を総裁として祭り上げる以外に、自民党の参院選惨敗とその先の分裂騒動を回避する手だてがなかった、ということである。橋本派が、(だいぶ衰えてきたとはいえ)かつて“軍団”と呼ばれた組織力をフル動員すれば、橋本を勝たせることは出来ないことではなかったろう。しかし、橋本で参院選を戦えば惨敗し、彼が2度続けて総理として参院選に敗北し、2度続けて辞任するという奇妙な運命に遭い、自民党が混乱し分裂する中で総選挙に転がり込んで政権を失いかねないことは、橋本派の影響下にある利益団体や地方組織にとってもほとんど自明であって、自殺的な選択と言えた。予備選に向かう流れの中でその空気が見えてきたときに、野中広務はともかく、もう1人の同派幹部で目先の選挙に全責任を負っている青木幹雄=参院幹事長は、それに逆らって絶望的な戦いに打って出るよりも、敢えてその流れに乗って、小泉という“毒薬”を飲んでも参院選で多少マシな結果を得、政権党として長続きさせる打算のほうを選んだのである。

 橋本派をはじめ自民党本体にとって小泉は、進むも地獄、退くも地獄の苦衷の選択であり、それは、自民党が政権復帰したい一心で村山富市=社会党委員長を首班に担いだ94年6月の奇策よりも、もっと危険で切羽詰まった賭にほかならなかった。そういう意味で小泉政権は、本質的に、自民党政治が最終的な崩壊過程を迎えているからこそ誕生し得たのであり、その異常とも言える人気は、崩れつつある自民党政治の最後の命の輝きとも言えるものである。

 細川政権が誕生した93年の秋、いつもなら予算編成の山場を迎えて地方や業界の陳情団でごった返す議員会館は、火の消えたように静かで、予算に手を突っ込んで利益誘導してその見返りに票や金を貰うことを生業としている自民党議員たちはパニック状態に陥った。本当は、そのように予算に触れない野党の立場に少なくとも3年は身を置いて、長年の利権政治体質を克服することこそ、同党が健全で近代的な保守政党として再生する早道であったはずなのに、彼らは禁断症状を起こして、細川・羽田両政権を引きずり下ろして、「首相なんて誰でも構わない。とにかく与党に返り咲くことだ」と、しゃにむにの権力衝動に駆られて村山政権を作った。その結果、自民党的体質は温存され、それどころか、小渕・森両政権を通じて不況対策に名を借りたバラマキによってむしろそれが一層強化されることになった。それがKSD事件や許永中事件などの形で噴出し、自民党が再び政権を失って、今度こそ3年や5年は野党の立場に塩漬けにされなければならない宿命の時が近づいている中で、奇抜ではあったがご本人は毒にも薬にもならない人物だった村山とは違って、明らかに危険な毒気をはらんだ小泉を担ぐことで延命を図ったわけだが、しかしそれは時間稼ぎにすぎず、宿命の到来そのものを防ぐことにはならない。

●真紀子がアキレス腱

 小泉にとって最初の問題は、今の人気をさほど衰えさせることなく参院選まで辿り着けるかどうかである。「改革だ、改革だ」と叫んで派手目の花火を打ち上げる“空中戦”を続けて、具体論に踏み込んで橋本派はじめ党内抵抗勢力との“地上戦”に突入することは避けるという小泉の戦術は、それなりに巧みなもので、橋本派を黙らせ、野党の追及を鈍らせて、幻想的なまでの人気を維持する効果がある。

 それをかき乱す大きな変動要因は田中真紀子外相の衝動的と言っていい言動で、もう1つか2つでも外国が困惑するようなトラブルを引き起こせば、内外からの「辞任」圧力は小泉があがらえないほどのものになろう。もちろん今の状況で真紀子を辞めさせれば、自民党本部や外務省に爆弾でも投げ込まれかねない世論状況があって、簡単には出来ないが、外交を混乱させ国益を損なうことになれば、そうも言っていられない。

 彼女の行動パターンは、驕慢に育ったお嬢様のそれで、ある批評によれば彼女の人間関係には「家族と使用人と敵」という3つの分類項目しかなく、「友人」とか「同志」といった概念はないのだという。家族は、信頼できるものはそれしかない拠り所であって、その中核にあるのは父親の思い出である。使用人は、自分や家族に無条件で仕えるもので、電話1本で英国からでも米国からでも飛んで帰ってこなければならず、そうしない者は、ただちに敵の分類に移される。そして敵は、使用人のうち言うことを聞かない者と、世間全部である。ところが政治家の仕事は、いかにして自分の理念や政策や考えを支持する味方を増やし、それに反対する敵を少なくし孤立させて、組織的=法律的=制度的に物事を実現していくかにあるはずで、その点で田中角栄は疑いもなく天才だったが、たぶん父親は娘をネコ可愛がりしすぎたのだろう、彼女のやり方はその対極にある。

 米国の「ミサイル防衛」という愚劣としか言いようのない構想に疑義を抱くのは、常識的な人間として当然のことで、欧州各国首脳はもちろん米国の外交・軍事政策マフィアや著名ジャーナリストの間でも強い異論があるし、日本の床屋政談や井戸端会議のレベルでも「ブッシュって、何を考えているだろうね」という感じで話題になっていることではある。しかしそれと、日本の外相がそれを第3国のカウンターパートナーに対してお茶のみ話ふうに口にするのとは別の次元のことで、彼女は(1)まず小泉と全閣僚に対して「この際、米国に一言申し上げようと思う」と問題提起をして議論をし、内閣として「No!と言える日本」に踏み込むことについて一大決意を固めると共に、それをどのような隙のない論理と慎重な言い回しで切り出すか熟慮した上で、(2)“米国務省日本出張所”と嘲笑われてきた外務省内を押し切って省議としてまとめて、そして(3)誰よりもまず、ミサイル防衛構想について説明するために来日したアーミテージ米国務副長官に対してその主張をぶつけるのでなければならなかった。

 世間では、彼女がミサイル防衛構想に異論を口にしたことは「いいことじゃないか」と評価する向きもあって、それは確かに歴代外相が外務省の言いなりになって誰もそのような国際的常識を口にした者はいなかったことからすれば、多少ともマシではあるのだが、それだけでは床屋政談のレベルであって、(1)アーミテージとの会談をくだらない理由でキャンセルしておいて、(2)ドイツ外相とのお茶飲み話で不用意にこの問題を持ち出し、(3)その場外発言が波紋を呼ぶと、今度は「そんなことは言っていない」と撤回してしまう──というのでは、ただの情緒不安定であり、プロの政治家ないし外相としてはほとんどお話にならない稚拙さと軽率さである。

 18日のワシントンでのパウエル国務長官ら米高官との一連の会談で、彼女はその主張を正面切ってぶつける機会を得たわけだが、会談キャンセルと場外発言でわざわざ相手を逆撫でした後では、「ミサイル防衛構想を理解する」という日本政府の公式見解を述べて日米関係のこれ以上の悪化を防ぐことで精一杯だった。こうやって大人しくなってしまうと、真紀子人気は萎んでしまう。

●ファザコン外交

 それ以前に、外交について特に見識も蓄積もあるわけではないのに、彼女が小泉に対して外相ポストを要求し、小泉もまたそれを受け入れたことが問題である。彼女の外交問題についてのセンスは、すべて父=田中角栄の業績が原点で、そこから一歩も出ることがない。

(1)反米──田中角栄がロッキード事件で捕まって拘置所から出てきた時に「アメリカのユダヤにやられた」とうめいたのは有名な話で、どうしてそういうせりふになるのかについて、詳しくは、当時の本誌や、それを材料の一部とした田原総一朗の当時話題を呼んだ『中央公論』論文「虎の尾を踏んだ田中角栄」を参照して頂くほかないが、日本として独自のエネルギー資源を確保しようとした角栄と今里広記ら資源派財界人らの戦略が米国の不興を買ったというのが、田中失脚の国際的な背景文脈であり、そういうことから真紀子が「お父さんをいじめたのは米国」と思っていることは間違いない。

(2)親中──角栄が日中国交回復を為し遂げた最大の功労者であることは言うまでもない。そのお父さんが仲良しの中国の首脳が、ミサイル防衛に反対であり、また「つくる会」教科書に不快感を示しているのだから、彼女もまたそうなのである。

(3)北方4島一括返還──外相就任直後の記者会見で北方4島問題について聞かれた真紀子は、73年10月の角栄・ブレジネフ会談に自分も家族として同行し、その時に「4島一括」ということで日本と旧ソ連が合意したのだから、その原点に立ち返るべきだと語った。

 確かに「4島一括」は日本政府の基本スタンスだが、ただそう言って突っ張っているだけでは交渉の進展がないことから、橋本内閣以から森内閣にかけて、日本側は「2島先行返還」という代替カードも用意してロシア側と微妙な駆け引きを積み重ねてきた。外務省内では、川島裕=事務次官はじめ主流派とそれに連なる小寺次郎=ロシア課長らは「4島」派、東郷和彦=欧州局長はじめ非主流の系列は「2島」派という図式で対立が生じ、さらにややこしいことに、野中広務の側近である鈴木宗男=前総務局長が「2島」派に肩入れし、今年3月の森首相訪露・プーチン大統領とのイルクーツク会談には彼も同行した。鈴木は、北海道の公共事業利権のドンで、2島だけでも早く返させて根室地域の親しい土建業者を引き連れて行って港湾や道路の整備などを手掛けたいという思惑から、これに絡み込んだものと推測されている。森と鈴木は、イルクーツク会談から帰るとすぐに、小寺を更迭したのをはじめ、「2島」派で外務省内を固めようとしていた。

 ちなみに、外務省機密費スキャンダルは、そのように外務省に食い込みながら、主流派のポケットマネー化していた機密費の恩恵に与ることの出来なかった鈴木が、そのことへの恨みと、「2島」派を人事的に有利にする狙いから、暴露を仕掛けたと噂されている。

 こうした状況で外相になった真紀子は、(1)お父さんは「4島」である、(2)ロッキード裁判と病で孤独な闘いを続けていたお父さんを裏切って、新しい派閥を立ち上げたのが竹下登=元首相で、その流れが今の橋本派であるから、同派の「2島」論には反対、(3)機密費問題の解明は、鈴木宗男の思惑に填るようなやり方でなく、自分の考えで進める──というスタンスから、まずロンドンに赴任の途についた小町をヒースロー空港からそのまま帰国させてロシア課長に復帰させるという強引な人事を断行、巻き返しに着手したのだが、それならそれで川島ら主流派とよく相談して彼らを味方に引きつけて「4島」派体制を固めればいいものを、他方で主流派は機密費問題の犯人グループであるから、彼らも信用することが出来ない。それに元々、外務省の役人は自分の「使用人」にすぎず、言うことを聞かないならクビだくらいに思っているから、極端な独断専行に陥って、外務省全体を敵に回すことになってしまった。しかしそれもこれも、大本は「お父さんがすべて」というファザコンのなせる業と言える。

●参院選の勝ち方

 さて、小泉にとって第2の問題は、今の人気がある程度まで持続したとして、それが参院選の結果にどこまで繋がるのかということである。

 毎日新聞が都議選について行った調査では(19日付)、小泉内閣への支持率は80%と高いが、その小泉支持者のうち自民党の候補に投票すると答えたのは31%で、小泉支持でありながら「まだ決めていない」者42%、民主党に投票する者7%、公明党に投票する者6%と、分散的な傾向が顕著で、決して自民党が安心できない結果を示している。それはそのはずで、小泉人気は、(1)何が何でも自民党に政権党として延命して貰いたいと思う守旧的利権派の破れかぶれの支持、(2)自民党支持ではあるが小泉に徹底的な党改革を断行して貰いたいという期待、(3)政党支持には関係なく、「小泉=真紀子連合」なら自民党を引っかき回して、場合によったら潰してくれるかもしれないという面白がり──といった性格の異なるファクターが複合しており、その中では(3)が圧倒的に多いと推測しうる。

 都議選もさることながら、参院選になればますます、選挙区候補の4分の1強を占める橋本派や、比例候補にズラリ顔を揃えた建設業協会や土地改良組合などの土建関係、医師会はじめ医療・厚生関係、遺族会、特定郵便局長会など橋本派系の利権団体代表に実際に投票しようと思うかどうかはかなり疑問だし、そこを突いて恐らく野党は「こんな小泉改革への抵抗勢力を当選させて小泉の足を引っ張っていいのか。わが党が勢力を拡大した方が改革は進む!」とキャンペーンを張るだろうから、有権者はますます動揺する。確かに、小泉人気に誘われて自民党に投票する者も一定程度はいるはずだから、橋本首相の下で参院選を戦った場合に比べて自民党票は増えることは間違いないが、かといって同党が単独過半数を回復するまで票を伸ばすとは考えにくい。

 もっとも、それら利権団体代表は必死で、参院選後に小泉がどんな“改革”を言い出すか分からないから、我々の代表を1人でも多く送り込まなければ大変なことになるという危機感に駆られて、持てる組織力を全力動員するだろうから、小泉効果で利権派が頑張るという皮肉な結果になるだろう。そこが小泉にとってディレンマで、自民党の議席が増えるほど利権派の抵抗勢力が増えて、その後の改革が進めにくくなり、政権の寿命が短くなる。かといって、自民党総裁として、この候補は○、あの候補は×と選別する訳にはいかないから、その役目は野党にやって貰いたいというのがホンネだろう。負けて辞任に追い込まれるのでもなく、余り勝ちすぎて抵抗勢力が無闇に増えるのでもなく、ほどほどの勝ち方が出来るかどうか、である。

 小泉にとって第3の問題は、参院選によって生まれる新しい党内バランスの下で、いくつかの改革課題を具体化して予算と法案の形に仕上げていかなければならないが、そこで今は沈黙を決め込んでいる橋本派はじめ江亀派、森派の利権派=族議員との地を這うような“地上戦”に突入しなければならないことである。利権派は、業界・地元や官僚と手を組んで自分らの聖域を守ろうと決死の抵抗に出る。そういうことのためなら、脅迫、恫喝、スキャンダル暴露、買収、ポストをちらつかせての釣り上げなど、何でもやるのが橋本派や江亀派であり、ところが小泉は“空中戦”専門でそれと対抗する地上部隊を持っていないので、「国民の支持が頼りだ」などと言っていたのではたちまち蹴散らされる可能性がある。恐らく9月総裁選とその時期に始まる予算編成作業を前に、小泉は“離党”を含めた1つの決着を迫られることになる可能性もある。

●小泉の体質

 とはいえ、現実には小泉はしたたかで、国民向けには改革が進んでいるかに見えるいくつかの目玉を用意しつつ、本質的なところでは利権派とほどほどで妥協して、9月を超えて政権を維持させる道を選ぼうとするだろう。

 第1に彼は、「派閥解消」を叫び、組閣に当たっては現実に派閥の順送りを無視した人事をやってのけて世間の評判を高めたものの、本当のところは党内の派閥力学を操るのに長けたなかなかのマキャベリストであり、そのことは小沢一郎が最初から「彼は見かけよりも相当したたかだ」と指摘しているとおりである。総裁選の本選前に、江亀派の実質オーナーである中曽根康弘と談合して、亀井静香を本選に出させないようにして、その代わりに靖国神社公式参拝や集団的自衛権の憲法解釈変更など中曽根の持論を引き継ぐことを盟約するといったやり方に、それがすでに現れている。

 しかも、第2に、派閥にこだわらないと言いながら、出来た内閣は事実上、旧福田派系が半分を占める堂々たる派閥重視内閣である。小泉自身が、故・福田赳夫の秘書として「角福戦争」まっさなかに政治を修業した身であることは言うまでもないが、さらに、塩川正十郎=財務相は福田の側近中の側近だったし、福田康夫=官房長官はもちろん福田の長男であり、平沼赳夫=産業経済相は佐藤栄作の秘書から福田派→安倍派→三塚派にいて今は江亀派に移っている元々の福田派である。石原伸晃=行革相は今は無所属だが始まりは三塚派で、後に加藤派に移り、昨年秋の加藤騒動で派を離脱した。また扇千景=国交相は福田派→安倍派で育って、後に自民党を離党して新進党経由で保守党党首に収まった。そのほか、遠山敦子=文科相と川口順子=環境相はいずれも森喜朗の人脈に属する。つまり、板垣英憲『小泉純一郎』(KKベストセラーズ)が指摘するように、18人の閣僚中9人が福田〜森ファミリーであり、そこには、自民党を悪くしたのは田中派→竹下派→小渕派→橋本派であるという29年前の「角福戦争」以来の怨念にも似た敵愾心と、今度こそ橋本派を潰してやるという意気込みが湯気のように立ち上っている。実際、小泉が「改革」という時の第1の意味合いは「橋本派潰し」なのである。

 第3に、小泉は利権派ではないとはいえ、れっきとした「大蔵族」の族議員である。師匠の福田は大蔵省主計局長を最後に政界に転じ、佐藤内閣や田中内閣で蔵相を務めた大蔵族のドンで、その秘書を経て72年に初当選した小泉も、大蔵政務次官、党財政部会長、衆院大蔵委員長などその畑のポストを歴任しながらのし上がってきた。だから、真紀子の発想の源が父=角栄に行き着くのと同様に、小泉のそれも師=福田に行き着くのは当然で、例えば彼の年来の主張である「郵貯民営化」も、旧大蔵省やそれに連なる銀行協会の郵貯批判と同工異曲のものである。

 また彼が改革の“目玉”としてかなり唐突に持ち出してきた道路特定財源の見直しも、一面では、旧大蔵省の利害と合致する。特定財源や特別会計を次々に法制化して、財源の一部を旧大蔵省から奪って事実上、各省庁やそれにまつわる族議員に分け与えたのは田中角栄で、それこそが彼の官僚収攬術の核心だった。それは、余りにも巨大になりすぎた大蔵省権力に制約を加えるという積極面がなかった訳ではないが、結果的には例えば旧建設省道路局と道路族議員に自由にバラマキが出来る権限を与えて、利益誘導政治を蔓延させることになった。それを再び旧大蔵省の支配下に置いて一般財源として使えるようにしたいというのは同省の宿願であって、小泉の提起は基本的にそれに沿ったものと言えるのである。

 もちろん、郵貯や道路財源をターゲットにされた橋本派が盛んに言い立てているように「小泉は旧大蔵省の回し者だ」というのは事実でないだろう。しかし、小泉の“基礎教養”はこの畑なので、「何か具体論を」と求められると、とっさに「道路特定財源の見直し」という思い付きが出てきてしまうのに違いない。それは確かに、橋本派への嫌みを含んだジャブとして面白いし、族議員退治の1つの方法として有効には違いないが、よく考えてみると全く些末な話で、公共事業のあり方そのものを抜本的に見直す大きなプログラムの中のほんの1章にすぎない。しかも、道路局=道路族から取り上げた財源を旧大蔵省の手に委ねてその権限を再び強化させるのでは、何の意味もない。ところがマスコミは、「いよいよ小泉が具体論に踏み込んだ!」という調子で報道し、よく背景が分からない読者は「凄い、凄い」と感心し、世論調査でも「道路特定財源の見直しをどう思うか」と訪ねられると70%以上が「賛成」と答えるといった奇妙な状況が生まれている。

●地方分権が試金石?

 他方で小泉は、「地方で出来ることは地方に、民間で出来ることは民間に」「財源も含めて分権化するのでなければ地方分権とは言えない」と国会でしばしば表明している。公共事業を抜本的に見直すのであれば、財源のほとんどが旧大蔵省に集中してそこから各省庁の縦割りのパイプを通して地方に流すという明治以来100年余りの財政中央集権そのものを廃絶して、どこにどんな橋を架けるとか下水道を掘るとかいう話はすべて地方に任せてしまうようにすれば、国会に巣くう族議員がチョロチョロ策動する余地そのものが消滅するから、自ずと道路財源の問題も解決する。

 小泉が「改革」という以上、まず大事なことは、21世紀の日本をどういう社会にしたいのか、全体的なプログラムを国民に提示することであり、それを実現するために例えば道路財源の問題は当面このように変えていくというように、全体との連関の中で個々の課題の位置づけを明確にすることである。それ抜きに、このような問題をポンと持ち出すと、福田系vs橋本派、旧大蔵省vs旧建設省といった次元の低い抗争になだれ込んで泥沼化する危険が大きい。

 財源の地方分権化は、実は「改革」の致命的キーワードであり、小泉が本当にそこに踏み込むなら、旧大蔵省とは対決せざるを得ない。その対決を避けるような道路財源の扱いに終わるのか、それとも旧大蔵省の解体に繋がる真の分権化に向かうのか──そのあたりが、小泉改革が本物かどうかを見極める1つの指標となるだろう。

 マスコミも野党も、小泉の「改革」の空砲連発に浮き足立っているようなところがあるが、もっと落ち着いて彼の可能性と限界を国民に向かって解き明かして見せる役目があるのではないか。▲

2001年6月15日

[付表]日本全国の地域通貨実験

---------------------------------------------------------------
《地域(団体名)》    《主な目的》      《通貨名》
---------------------------------------------------------------
■北海道 栗山町      福祉・環境、まちづくり クリン
(くりやまエコマネー研究会
http://www.mskk.gr.jp/ecomoney/)
(参考:北海道新聞記事
http://www.ecomoney.net/ecoHP/News/kiji/010116-hokkai.jpg)

■北海道 下川町      地域活性化        Fore
(下川産業クラスター研究会
http://www.d2.dion.ne.jp/~takayu/index.htm)

■北海道 富良野市     NPO連携         フラン

■北海道 黒松内町     コミュニティ       ブナ〜ン
(くろねっと
http://www.d1.dion.ne.jp/~unizun/lets.html)

■北海道 札幌市      コミュニティ       ガバチョ
(ガバチョ・マネー研究会)
(参考:西部忠記事
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~nishibe/potlucktion.html)

■北海道 苫小牧市     地域活性化        ガル
(石っころ農場
http://city.hokkai.or.jp/~ishikoro/garu.html)

■北海道 女満別町     コミュニティ       メルン
(女満別地域通貨研究会)
(参考:北海道新聞記事
http://www.fashion-j.com/r/2001/219.html)

■北海道 帯広市      文化、福祉、活性化   Cee(しー)
(Cee推進会議=準備中)

■宮城県 仙台市      まちづくり<エコポイント>
(NPOアーバンネット
http://page.freett.com/urbannet/xwhat.html)

■宮城県 仙台市      コミュニティ      Bee(びー)
(ビーズリング http://michinoku.pos.to/eco/)

■群馬県 太田市      NPO連携
(太田エコマネー研究会
http://www.otacci.or.jp/~ecomoney/)

■群馬県 桐生市      コミュニティ
(桐生市ボランティア協議会)
(参考:桐生タイムス記事
http://www.watarase.cup.com/whatsnew/chiikitsuka.html)
 
■東京都 多摩ニュータウン コミュニティ      COMO
(COMO倶楽部 http://como.gr.jp/)

■東京都 立川市      コミュニティ      ボラン
(東京・賢治の学校 http://www1.neweb.ne.jp/wa/kenji/index3.htm)

■東京都 世田谷区烏山商店街 ダイヤスタンプ  (ICカード)
(参考:コンサルティング会社の報告
http://www.softcre.co.jp/think/com_biz03e.html)

■東京都 新宿区早稲田   商店街活性化
(早稲田いのちのまちづくり実行委員会
http://renet.vcom.or.jp/index.html)

■神奈川県 横須賀市    地域交流、NPO支援    R(りんぐ)
(レインボーリング
http://www.matsuri.net/rring/)

■千葉県 千葉市      商店街活性化      ピーナッツ
(千葉まちづくりサポートセンター
http://www.jca.apc.org/born/)

■山梨県 白州町
(白州いなか倶楽部
http://www.tsuchinowa.com/inaka/tuka.html)

■山梨県 巨摩郡      コミュニティ      福(ふく)
(八ヶ岳大福帳
http://www.gardencity.or.jp/~tom/daifukucho/)
(参考:八ヶ岳ジャーナル記事
http://yatsu.posso.ne.jp/2000/06/news1.html)

■長野県 飯田市      環境対策
(飯伊地域メディア協会)

■長野県 駒ヶ根市     市街地活性化    (ICカード)
(つれてってカード協同組合)
参考:赤穂信金
http://www.shinkin.co.jp/akaho/html/f_turete.htm)

■長野県 駒ヶ根市     まちづくり      ずらぁ
(駒ヶ根青年会議所)

■長野県 飯田市      コミュニティ<LETS> ダニー
(てくてくねっと/南信州地域通貨
http://www.tekuteku.net/lets.html

■長野県 伊那市      コミュニティ     い〜な
(伊那市エコマネー研究会)
(参考:熊本日々新聞記事
http://www.kumanichi.co.jp/sinnen/sin2001/area/area2.html)

■長野県 穂高町      <リング>    Heart(はーと)
(ハートマネー安曇野リング
http://www.ultraman.gr.jp/~love/)

■富山県 高岡市      まちづくり      どらー
(富山エコマネー研究会
http://www2.nsknet.or.jp/~hayato/toyama-ecomoney/)

■富山県 富山市
(富山エコマネー研究会)  高齢者福祉      きときと
(きときと→社会福祉生協) 生涯学習
(夢たまご→夢たまごネットワーク)        夢たまご

■静岡県 浜松市      NPO連携
(NPOヘルスブレイン・ネットワーク
http://www.wbs.ne.jp/cmt/hbn/)

■静岡県 磐田市      福祉、まちづくり
(磐田エコマネー研究会
http://www2.wbs.ne.jp/~imachan/arigato-tiketto2.htm)

■静岡県 三島市      環境対策
(NPO富士山クラブ
http://www.fujisan.or.jp/index.html)

■静岡県 清水市     商店街活性化<スタンプ> E.G.G.s
(清水駅前銀座商店街振興組合)
(参考:全振連の紹介記事
http://www.syoutengai.or.jp/genki/shizuoka/simizu/simizu.html)

■愛知県 名古屋市     コミュニティ     LETSなーも
(環境市民・東海
http://www.kankyoshimin.org/tokai/sub104.htm)

■愛知県 半田市      経済活性化、NPO支援  C(ちた)
(レッツチタ
http://www2.cjn.or.jp/~yukiando/LETS/)

■滋賀県 草津市      まちづくり、NPO連携  おうみ
(地域通貨おうみ委員会
http://www.kaikaku21.com/ohmi/)

■三重県 四日市市     まちづくり       ポート
(地域づくり工房みなと
http://terakoyapro.net/tiiki%20tuuka.html)

■三重県 津市       市街地活性化

■三重県 阿児町      コミュニティ

■三重県          庁内実験      大夢(たいむ)
(三重県庁・エコマネー研究会
http://WWW.pref.mie.jp/kenshu/gyousei/2000110126.htm)

■三重県 伊賀町      コミュニティ    bito(びと)
(伊賀地域通貨研究会
http://www.chirashiya.com/~iga/lets/)

■大阪府          まちづくり
(エコネット関西)

■大阪府 大阪市      福祉<福祉ポイント>
(ボランティア労力ネット
http://www.d4.dion.ne.jp/~v_rougin/)

■京都府 京都市      地域交流      キョートレッツ
(キュートレッツ事務局
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/3702/whatskyotolets.html)

■京都府 京都市      まちづくり       仁(じん)
(地域通貨「仁」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8735/)

■兵庫県 宝塚市      まちづくり、NPO連携  ZUKA(づか)
(宝塚NPOセンター
http://www.kansai.ne.jp/zukanpo/ecomoney01.htm)

■兵庫県
 神戸市東灘区鴨子ヶ原地域 コミュニティ、相互扶助 かもん
(NPOコミュニティサポートセンター
http://member.nifty.ne.jp/JCF07533/kamon/)

■兵庫県 長田区      コミュニティ      アスタ
(まちづくりNPO西神戸アスタ
http://www12.freeweb.ne.jp/area/asuta-wk/asuta-shihei.htm)

■岡山県 津山市      リサイクル、福祉    くるくる
(エコネット津山
http://www.lucksnet.or.jp/~econet/eco60.htm)

■岡山県 早島町      コミュニティ       ぷらん
(わくわくワーク http://www.momolink.com/wakuwaku/index.htm)

■広島県 東広島市     コミュニティ      カントリー
(NPOカントリーネット
http://npo.potato.ne.jp/sub33.htm)

■島根県 松江市      まちづくり        ダガー
(松江『だがぁ』倶楽部
http://www.web-sanin.co.jp/p/kacco/dagahtop.htm)

■鳥取県 西伯町      福祉、まちづくり
(あいのわ銀行)
(参考:西伯町役場
http://www.saihaku.net/)

■山口県 徳山市      福祉、コミュニティ  FUGU(ふぐ)
(たすけあいネットワーク
http://welfare.tripod.co.jp/welfare/tasukeai/tasukeai.htm)

■香川県 高松市      コミュニティ、環境
(高松版・地域通貨推進委員会
http://homepage2.nifty.com/thugoku/index.htm)

■高知県 中村市      環境対策、まちづくり
(参考:中村市役所 http://www.city.nakamura.kochi.jp/topj.html)

■高知県 高知市      商店街活性化      エンバサ
(菜園場商店街振興組合)
(参考:高知商工会議所
http://www.jcci.or.jp/machi/h000911kouchi.html)
(参考:高知放送
http://www.rkc-kochi.co.jp/daijiro/0101/010128.html)

■愛媛県 関前村      コミュニティ      だんだん
(タイムダラー・ネットワーク・ジャパン
http://www.timedollar.or.jp/)

■愛媛県 新居浜市大島   コミュニティ
(NPOわくわくアイランド大島)
(参考:四国新聞記事
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/fuukei/2/13/)

■愛媛県 久万町      コミュニティ
(グループねがい)

■愛媛県 五十崎町     コミュニティ
(五十崎榎シール事業事務局)

■愛媛県 松山市      コミュニティ、世代間交流
(グループあんき)

■愛媛県 松山市      コミュニティ、世代間交流
(ボランティアグループとなりぐみ)
(以上5件参考:県地域通貨活用モデル事業
http://www.pref.ehime.jp/houdou/houdou1206/hou120616-2.htm)

■福岡県 博多区      地域活性化      よかよか
(奈良屋まちづくり協議会
http://www.comenu.com/yoka.html)

■福岡県 大牟田市     福祉、地域交流    コール
(地域通貨コール実行委員会
http://call-oomuta.hoops.ne.jp/)

■大分県 湯布院町     地域活性化      yuhu(ゆふ)
(地域内交易システム「yuhu」
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/letsyufu/yufu.html)

■佐賀県 富士見町     環境     BigLief(びっぐりーふ)
(佐賀県民の森
http://www2.saganet.ne.jp/saga21/ecomaney.html)

■鹿児島県 入来町     コミュニティ     エッグ
(NPOネイチャリング・プロジェクト)
(参考:南日本新聞記事
http://www.minaminippon.co.jp/2000picup/2001/04/picup_20010429_11.htm)

■沖縄県 読谷村      コミュニティ     YOMI(よみ)
(地域通貨YOMI事務局)
(参考:NPO琉球インフォメーションセンター
http://www.ryufo.com/okituka.html)

■沖縄県 座間味村     地域活性化

■沖縄県 石垣市      市街地活性化

INSIDER No.19-2《LOCAL CURRENCY》日本でも広がる“地域通貨”の実験──『エンデの遺言』に学んで

 北海道の帯広市でも、地域通貨「Cee(シー)マネー」のささやかな実験が始まった。中心になっているのは、アマチュアのロックバンドをやっていたり福祉ボランティア活動に携わったりしている若い世代の人たちで、それを、全国ブランドの菓子舗「六花亭」の小田豊社長や著名レストラン「ランチョ・エルパソ」の平林英明オーナーといった地域のリ−ダー格の人たちが支援している。

 具体的には、市内で開かれる音楽会などの入場券の半券を交換所・協力店に持っていくと、例えば3000円の入場料の1割に当たる300Ceeマネーを受け取ることが出来るし、また「帯広生活支援センター」に登録してボランティア活動に従事し、それを記録した手帳を交換所・協力店に持っていくと1時間当たり300 Cee(半日500 Cee、1日1000 Cee)のCeeマネーを受け取ることが出来る。そのCeeマネーを持って協力店に行けば、代金の1割をCeeマネーで支払うことが出来る。今のところ協力店は、「六花亭」、「ランチョ・エルパソ」のほか焼肉チェーン「平和園」、書店「オカモト」など数社にすぎないが、実際にこれが動き出して多くの人々がその意味を理解すれば、協力店の輪が広がっていくだろう。

 協力店は、円貨で見れば1割の割引をすることで文化事業や福祉活動を支援するわけだが、そのようにして地域の経済やコミュニティ活動が活性化し、多くの人々がCeeマネーを手にするようになれば、結果的にお客が増えて売上げを何割か伸ばすことが出来るかもしれない。しかしそのような直接的な利益よりも、Ceeマネーという新しいコミュニケーション(交換=交流)の手段を通じて、特に若い人たちが地域の文化や福祉について真剣に考えたり語り合ったりする気風が生まれることが、小田や平林にとっては本当に嬉しいことなのだろう。

●全国に100近い?実験例

 日本で地域通貨への関心がにわかに高まったのは、99年5月にNHKが『エンデの遺言──根源からお金を問う』が放映されたのがきっかけだった。この番組は、童話『モモ』の作者として知られるドイツの作家ミヒャエル・エンデが、亡くなる1年半前の94年2月に、彼の終生のテーマであった「お金」についての哲学的考察をNHKスタッフに語った1本の録音テープをもとに、国家が権力を笠に着て発行する公定通貨とは別に、地域コミュニティが相互扶助のために発行する「もう1つの通貨」=地域通貨の試みを欧州や北米に取材しつつ、その背景に流れる思想の系譜を追ったドキュメンタリーで、大いに評判になった(2000年2月にその内容に沿った同名の単行本が出版された──河邑厚徳ほか著、日本放送出版協会)。

 その時期はと言えば、97年末から98年にかけてアジア通貨危機が起きて、デリバティブはじめ電脳上で途方もない大きさに膨れあがった投機マネーが僅かな金利差や為替差益を求めて各国の経済に容赦もなく襲いかかって、もはや誰も制御することが出来ないようなお金の国際的暴力性を目の当たりにしたばかりだった。他方、国内では大蔵省と大銀行の癒着による金融的ふしだらが生んだ不良債権という落とし子が日本経済の息の根を止めかねないほどの鬼っ子に成長して、無責任な週刊誌が「日本発・世界金融恐慌か!」などと人々の不安を煽り立てる中で、その真因を追及することなく多額の公的資金を注入して蓋をしてしまうという政治的でたらめが進行していた。政府が発行し銀行が管理する円貨、ひいては通貨という訳の分からぬものに永遠に支配され翻弄されながら駆り立てられるように生きるしかないのかと思い込んでいた多くの人々の間に、「成長を前提にし、成長を強制する性格をもつ現行の金融システムが、この競争社会を生み出している根本原因だ」と静かに語るエンデの言葉は、今までに耳にしたことのない新鮮な啓示として染み渡った。その番組を録画したテープは擦り切れるほどコピーされて回覧され、あるいは学習会の席で上映され、そうした中で全国各地で自分たちが理解したなりの地域通貨を創り出そうとする試みが始まった。

 今ではその実験例は100近くもあると推測されている。下記の一覧表は、インターネット上でたぐり寄せられるだけのものを丸一日を費やして拾い出したもので、この中にはまだ準備中のものもあるし、また過去に一定期間を区切って実験を行ってその後は再開されていないものもある。また各サイトの文面で言及されているがネットからは存在を確かめられないものもあって、恐らくこの倍かそれ以上の取り組みがあるのだろう。政府と国会が「銀行不良債権の“最終処理”」のためにまたぞろ公的資金の追加注入をしなければならないのかどうか頭を悩ましている時に、人々はそいういうことには惑わされない、地に足の着いた別の生き方を選び始めている──それが21世紀初頭の日本の経済光景の一断面である。

●北海道栗山町の「クリン」

 各地の試みの中で、よく知られているものの1つは、北海道夕張郡栗山町の「くりやまエコマネー研究会」の地域通貨「クリン」である。

 「エコマネー」というのは、この問題に比較的早くから着目して欧米の先行事例を日本に紹介する役目を果たしてきた通産官僚=加藤敏春の造語で、環境(エコロジー)、経済(エコノミー)、地域(コミュニティ)の重なるところに成立するのが、これからの社会のあり方としての「エコミュニティ」であり、そのエコミュニティを構築するための手段が「エコマネー」である。加藤の3冊の著書(『エコマネー』、98年、日本経済評論社/『エコマネーの世界が始まる』、00年、講談社/『エコマネーの新世紀』、01年、勁草書房)もよく読まれているし、また各地の学習や実験を支援する「エコマネー・ネットワーク」(*)を設立してネットでも情報を繰り出していて、彼が日本でのこの問題のエバンジェリストの1人であることは間違いないが、ただこの人はこの問題に限らず「俺が、俺が」が強すぎて何でも実績を独り占めしようとする傾きがあり、エコマネーという語についても「商標登録申請をしてみんなが勝手に使えないようにしようとしている」といった噂が出回ったりして、どうもオープンソース思想とは縁遠いようだ。

 (*) http://www.ecomoney.net/ecoHP/top.html

 それはともかく、エコマネーの考え方を真っ先に取り入れて、99年9月に24人の仲間で始まったのが栗山町の「クリン」である。翌年、翌々年と第1次、第2次のテストを行い、その成果を踏まえて今年はこれから第3次テストを行った上で本格的な運用に入ろうとしている。基本的な仕組みはこうである。

(1)申込をした参加者には、まず運営団体(くりやまエコマネー研究会)から「サービスメニュー調査表」が配布される。

(2)参加者は「サービスメニュー調査表」に自分のしてあげられること(Give)と、してもらいたいこと(Take)を記入し運営団体へ提出する。

(3)運営団体は、提出された「サービスメニュー調査表」を基に「メニュー表」を作成し、紙幣・交換手帳とともに参加者へ配布する。

(4)参加者は「メニュー表」から自分の受けたいサービスを選び、提供者へ直接電話で依頼し、お互いの都合の良い日時・場所等を決定する。

(5)サービスを受けたときは、依頼者は提供者へ感謝の気持ちとして紙幣「クリン」を支払う。このとき支払うクリンの価格は自由だが、目安として時間を基準に60分=1000クリン、30分=500クリンとしている。すなわち、依頼者はこの目安の価格に「ありがとう」の心をプラスして提供者に支払うことになる。

(6)クリンの支払いが終わった後、依頼者・提供者はそれぞれ自分の交換手帳に、日時・価格等その内容について必要事項を記入する。

 このようにしてクリンを得た人は、メニューから自分の必要とするサービスを選んで依頼するから、クリンの流通と共に地域内の「共助」の輪が広がる。しかしそれだけでは、町の人口の4分の1を占める65歳以上の高齢者はクリンを支払うばかりになりがちなので、例えば町のスーパーに協力して貰い、買物袋を持って来店すると「エコポイント」1点、それが10点貯まると店が1000クリンを手渡すようにして、高齢者もクリンを得る機会を増やした。また子供たちが商店の棚卸しやジャガイモの収穫を手伝えばクリンを得られるようにした。そのようにして、昨年秋の第2回テストでは553人がクリンを通じてのサービスのやりとりに参加した。

 人数が増えるとサービスのメニューも膨大なものになり、第2回では700ページもの電話帳のように分厚くなった。中身は例えば、甘酒の作り方、そば打ち指導、赤ちゃんの世話、イラスト作成、写真撮影、絵本を読んであげる、車を運転してあげる、代わりに買物に行ってあげる、雪下ろしをしてあげる……等々で、それ以前ならば親しいご近所か親戚同士でしか交換されることがなかっただろう共助が町全体に広がって、それだけまたお互いに知り合いが増えて、しかもそれでサービス提供者は(現金を受け取るのでは抵抗があるが)クリンを貰って、フリーマーケットで新品同様のセーターを手に入れることが出来るかもしれない。

 地域通貨のパターンはいくつかあって、その応用の仕方や力点の置き方は様々である。しかし基本的にはこの栗山町の例のように、それがなかったら生まれなかったであろう人の付き合いや触れあいを何倍にも増やすことを通じて、自分らの力で地域社会の活性化を図るきっかけにしようとするところに根本的な趣旨がある。諸外国ではどうなっていて、そこにはポスト資本主義に向かうどんな理論的な契機が含まれているのかは、次回以降で見ていくことにしたい。

 以下は、今のところ察知できる限りの日本各地の実験の取り組みの一覧である。特に新聞記事などは時間が経つと参照できなくなるものが多いので、その点はご注意頂きたい。[以下次号]▲

INSIDER No.19-1《FROM THE EDITOR》2001年6月15日横浜発

●小泉=田中内閣への賛否両論

 北海道新聞がホームページに「iとーく@参院選」というコーナーを設け、第1回は「小泉内閣の異常人気を考える」、第2回は「田中真紀子外相論」というテーマでインターネット上で読者に意見を戦わせて、その様子を要約して紙面でも報じるという、なかなか面白い試みをやっています(第3回は「構造改革、どうなる、どうする北海道」で現在進行中)。第1回では、相内俊一=小樽商大教授が小泉評価をめぐる熊さんとご隠居の対話という形式で問題提起をし、それに対して15歳から82歳まで93件の書き込みがあって、約5割が小泉支持。第2回では、残間里江子さんが真紀子支持論、高野が批判論を述べたのに対し、メール99件、葉書1通が届いて、やはり約5割が真紀子擁護でした。

 いずれもhttp://www5.hokkaido-np.co.jp/seiji/italk/index.htmlで、問題提起、道新側の解説、提起者の感想、投稿意見の全文、投稿者のプロフィール分析が読めるので、ご参照下さい。

 それにしても小泉=田中内閣の人気度はとどまるところを知らない有様で、官邸が始めた小泉のメールマガジンは1日にして申込者が100万を超える勢い。テレビのワイドショーで真紀子さんに批判がましいことを言おうものなら、連日連夜、抗議くらいならまだしも脅迫的な電話やファックスやメールが押し寄せてくるのだそうで、ちょっと恐ろしい社会的な空気です。私のところにはそういうのは来ませんが、来ても、私たちジャーナリストは右翼やヤクザに「殺してやる」と脅されたりする経験をさんざんしてきているので驚きもしないでしょう。しかし慣れない人は本当に怯えてしまうほどで、某大学教授は所轄の警察に警護を依頼し、警察のアドバイスでカバンに警棒のようなものを忍ばせて歩いています。まったく、マンガみたいな世の中です。

 少し落ち着いて小泉=田中内閣の可能性と限界を考えてみる必要があると思うので、近日中に書いてお届けします。

●辺境からの「日本史」

 5月連休に那覇を訪れた際に、新城俊昭『高等学校/琉球・沖縄史』の2001年新訂・増補版(東洋企画、電話098-831-7404)を買い求めてきました。嘉手納高校教諭である著者が、地域史のための副読本としてこれを刊行し始めて何年になるのか分かりませんが、私はこれを名著だと思っていて、沖縄に行くたびに新版を買うようにしています。地元でもけっこうなベストセラーのようで、那覇の大きな書店に行けば平積みされているし、今回初めて気が付いたのですが、空港の小さな売店の書棚にも置いてありました。沖縄に行って、何か1つ教養を得て帰りたいと思う方は、是非これをお求め下さい。今回一緒に行った「サンデー・プロジェクト」のプロデューサーやスタッフの何人かにも勧めて、みなさん「一気に読んだ」「凄い」と絶賛していました。

 最初にこの本を手にしたヤマトンチュが何より驚くのは、冒頭に出てくる「北海道・本土・沖縄の歴史展開の概念図」です。我々は、日本の領土は大昔から、北海道や沖縄を含めた今の版図のままであって、日本史はヤマトを中心として縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安……と続いてきたものと思い込まされていますが、この図は違っていて、簡単に言うと、日本史はその本土史と、縄文、続縄文、察文、アイヌと時代を経て19世紀に本土史の一部に組み込まれる北海道史と、貝塚、グスク、尚氏と続いて明治になって日本の一部になり、後に一時米国の施政下に置かれた琉球・沖縄史と、3本柱で成り立っていることを、一目で分かるように図示しています。

 関連して近頃面白かったのは、工藤雅樹『蝦夷の古代史』(平凡社新書)。類書は少なからずありますが、これは、蝦夷=日本人説と蝦夷=アイヌ人説の長年にわたる対立が何故不毛だったのか、歴史の中での蝦夷観念の5段階に及ぶ変遷を跡付けながら分かりやすく教えてくれます。東北古代蝦夷の研究家である著者が、ある時、「北海道から東北を見るという視野がまったく欠落した東北研究」ではダメなんだと気付くところから、彼の研究g新しい展開に入っていくわけですが、ことほど左様に、北海道や沖縄を「日本の一部」だと決め込むという明治以来の作られた常識を抜け出して、それらにはそれぞれ独自の歴史があることを認めた上で、そちらの方から日本本土の営みを眺めたらどう映るのかという視点で日本史全体を再構成することが必要なのだと思います。

 歴史教科書をめぐって何より問題なのは、我々が明治以来今まで、北海道アイヌや沖縄と“共有”できるような歴史記述を創造し得ていないということであり、裏返せば、本土、それもヤマト中心の偏狭な歴史観を彼らに一方的に押しつけてそれを不思議とも思わないで来たということであるはずです。今話題の「つくる会」の教科書がくだらないのは、そのような想像力の欠落をそのままにして、一層狭くヤマト中心の歴史観に立てこもろうとしているところにあります。それは本質的に「19世紀に向かっての逆走であり、アジアはもちろんアイヌや沖縄とも衝突せざるを得ない筋合いのものです。歴史教科書を「21世紀に向かっての展開」に導くには、まず国内で北海道や沖縄の辺境から、そしてそれぞれに豊かな独自文化を持った各地域からの視点で、偏狭で硬直したヤマト史をもみほぐし(歴史教育の地方分権とでも言えばいいのでしょうか)、それがうまく行ったらその延長上で、韓国、中国はじめアジア諸国とも“共有”出来るような共通歴史教科書を編む作業に進むことが必要でしょう。

 参考になるのは、F・ドルーシュ総合編集になる『ヨーロッパの歴史/欧州共通歴史教科書』(第2版、東京書籍)です(http://www.tokyo-shoseki.co.jp/search/query.asp)。何世紀にもわたって戦乱に明け暮れてきた欧州が、今ようやく統合に向かって歩み始めた中で、各国はこれまでの「よきドイツ人」「よきフランス人」等々を育てようという“国民教育”の基本目標をシフトアップして「よきヨーロッパ人」を育てようという共通の目標に向かって教育の体系を組み替えつつあります。その努力の一環として編まれたのがこの本で、各国を代表する歴史家14人が苦心惨憺の共同作業を続けて、連戦終結直後の92年に出た第1版に続いて最近、改定第2版が出たところです。これを読むと、漂流する中でどこによりどころを求めたらいいか分からなくなっている日本と、100年先を見ているヨーロッパと、その余りのコントラストに暗澹となることを保証します。▲

Profile

現在、INSIDERニュースレターの内容は、ご覧の《THE JOURNAL》内でブログの形で公開されております。
誰でも無料で閲覧し、またそれについて感想や意見を書き込むことが出来るようになっておりますが、従来通り、お手元に電子(Eメール)版配信もしくは印刷版郵送の形で講読を希望される方は、引き続きEメール版:年間6,300円(税込)、ペーパー(紙)版:年間12,600円(税込)をお支払いください。[法人購読の場合は年間105,000円(税込)になります]
ウェブ上で無料で閲覧できるものが、Eメール版・ペーパー(紙)版が有料なのはどういうわけだと思われるかもしれませんが、後者の場合、読者名簿管理と請求の事務、配信と郵送の手間が必要であり、とりわけ印刷版の場合は紙代、封筒代、印刷代、郵便代のほか宛名を印刷して封筒に貼り、印刷されたものを三つ折りして封入し、糊付けし、紐で束ねて郵便局に運び込むのに膨大な手間とコストがかかっていることをご理解下さい。
また、無料で閲覧できるならそちらに切り替えたいという方もおられると思いますが、残余の購読期間は引き続きEメール版もしくはペーパー(紙)版を配信させて頂き、購読料を途中返還することは致しませんのでご了解下さい。

BookMarks

TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER(インサイダー)
http://www.smn.co.jp/insider/

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.