日本経済新聞株式欄のコラム「大機小機」は、時折なかなか鋭い批評が載るので人気が高いが、3月9日付は「太守」子の担当で「ガラガラポン」と題して今の自民党の状況を巧く要約している。同コラムは、参院選に向けて自民党内はもっと危機感・焦燥感があってもいいはずだが、そうでもないのは、結局、もういっそボロ負けして一気に政党の組み替えに進んでしまったほうがすっきりするという冷めた気分があるからだと指摘、さらに要旨次のように述べている。
▼自民党内でもベテランは江戸幕府にたとえて現在を「安政の大獄」のころかと思っている人が多い。今の13代将軍の能力は確かに疑問符がつくが、そうであるがゆえに周囲の老中たちは勝手ができるところがあり、ここは内部を引き締め、14代将軍を迎えて目先を変えれば、何とかしのげるだろうという空気である。
▼が、ベテランが気付いていないだけで、自民党はもう幕末を迎えており、新しい総理・総裁は15代将軍になるのではないかと感じている人が、若手には少なくない。結局は維新への流れを止めることはできず、幕府は崩壊することになる。それはそれでいいのではないかという。
▼維新はすなわち政界再編。「自自」とか「自公保」とかいった既存の組み合わせを変えるのはなく、自民党も割れ、これをきっかけに民主党なども割れ、政策や政治の手法を接着剤として、新たなグループが誕生、新天地で競い合う。加藤紘一がガラガラポンに活路を見いだそうとしてるのは否定できないし、小泉純一郎だって年来の主張からは公明党より民主党と組みたいだろう。
▼政権から転げ落ちたときの悲哀を2度と味わいたくないという思いだけが自民党の「結束」をもたらしてはいるが、もはや構造的に政権の重荷に耐えられなくなっていると感じている人も増えている。
▼ひょっとすると、森首相は「有権者の政治への関心を高めた首相」「21世紀の新しい政治体制への幕を開けた首相」として歴史に残るかもしれない……。
●6年間の巻き戻し
本誌が分析してきたように、次を誰にするか決められないのに森には退陣を表明させなければならないというのは、森政権の危機ではなくて、権力の獲得と維持を自己目的とする自民党そのものの危機である。13日の党大会には、すでに「森即時退陣決議」を採決したりしている各都道府県代表がドッと押し掛けてきて、収拾のつかない事態になることは目に見えていて、それを避けるには前日までに退陣表明をしなければならない。ところが、それを受けて党大会でスパッと総裁を変えてしまうのであれば危機回避もありうるが、それが出来ずに予算関連法案の成立などを名目に1ヶ月先まで次期首相の選出を先延ばししなければならないとすると、今度は野党が「退陣表明した首相と話しても仕方がない」と審議拒否をする構えなので、ちっとも危機回避にならない。
そこで古賀誠幹事長、野中広務=前幹事長、青木幹夫=参院幹事長は8日に集まって、「党内向けには事実上の退陣表明と説明でき、しかも野党と世間向けには“まだ退陣したわけではないから審議拒否は不当だ”と開き直ることのできるような心境表明を森にさせよう」ということで文案を練ったが、そんな手品のような文章が書ける訳がない。「森は辞めさせなければならないが後がいない」という矛盾が、こういう漫画的な形になって自民党執行部を襲っているのであり、結局のところこの矛盾は、自民党をますます混迷させながら深まっていって、同党が政権から滑り落ちることで解決されるほかない。
ということは、日本政治はいったん94年6月の羽田政権の終幕のところまで時計を巻き戻して、6年間の空白を埋めながら政界再編を伴う政治改革のプロセスを再開するしかないところに来ている、ということである。
90年代から今日に至る政治改革の流れは、本誌が何度も書いてきたことだが、次のような段階論で理解することが必要である。
《序曲》
◆92年末
自民党の最大派閥「竹下派」が分裂(リクルート事件の余震の続く中、金丸「金塊」事件なども起きてどうにもならなくなり、小沢一郎、羽田孜ら政治改革推進派が造反し、自民党単独政権が崩壊に向かうのではないかという予感が生まれた)。
◆93年7月
政治改革をやりたがらない宮沢内閣が崩壊、自民党分裂の中で総選挙。《第1幕──初めての非自民政権とその挫折》
◆93年7月
細川護煕首相の改革派6党による非自民連立政権が誕生。
◆93年秋
予算編成期に地元から誰も陳情に来ないので自民党議員がパニックに。
◆94年4月
野党=自民党の執拗なスキャンダル攻撃に細川辞任、羽田政権に(社会党とさきがけは政権を離れたため、少数与党政権に)。
◆94年6月
羽田政権崩壊(羽田は予算成立と引き替えに首を差し出す形になり、(1)社会党の一部改革派は社会党・さきがけの政権復帰で第2次羽田政権を作り改革を継続することを目指したが、(2)小沢一郎は羽田を嫌い、自民党から海部俊樹元首相を引っ張り出して海部政権を作る動きに出て、(3)その間隙を突いて自民党が社会党の村山喜市委員長を首相に担いで「自社さ」連立の形で政権に復帰するという奇策を打ち出した)。
《長く暗い幕間──自民党の何が何でも政権復帰》
◆94年6月
村山政権発足、自民党が不完全ながら政権復帰し政治改革は事実上中断した。
◆94年12月
野党に落ちた羽田政権の4与党が合流して「新進党」結成(「保守2党体制」を作って自民党に政権交代を迫るという意気込みだったが内部はゴタゴタが続く)。
◆95年1月
社会党の山花前委員長ら改革派と日本新党系の海江田万里らが「リベラル新党」を結成しようとするが失敗。それに代わって、さきがけの鳩山由起夫、北海道知事を下りて中央復帰を目指す横路孝弘、海江田らによって「リベラル・フォーラム」が始まる。
◆96年1月
村山首相、武村正義蔵相の辞任で橋本龍太郎政権スタート(自社さの枠組みの上に自民党の首相が乗るという形で、自民党政権が完全復活)。
《第2幕──新しい対抗軸の形成》
◆96年9月
鳩山・菅直人中心の旧民主党結成、10月総選挙で51議席獲得(自民党は過半数を獲れず、新進党は敗北し、「保守対リベラルの2大政党制」の可能性が浮上)。
◆96年12月
羽田らが「太陽党」結成(細川も離脱し、若手は次々に自民党に一本釣りされ、新進党はいよいよガタガタに)。
◆98年1月
小沢一郎が「自由党」結成。羽田、細川、旧民社党系は民主党に合流。旧公明党系は「公明党」に戻る。
◆98年7月
参院選で自民党敗北、橋本辞任、小渕=自民党単独政権が発足。
◆98年8月
首班指名から金融国会の前半まで、民主党主導で自由、公明、社民、共産との野党共闘が小渕を追いつめる。
◆98年12月
「自自」連立成立。
◆99年10月
「自自公」連立成立。
◆00年4月
小渕急逝、森政権発足。自由党が分裂し、小沢=自由党は野党に、扇=保守党は「自公保」連立に加わる。
◆00年6月
総選挙で自公保が大幅に議席を減らしつつも過半巣確保、民主党は127議席に。民主、自由、社民、共産の野党共闘進展。
◆01年2月
森政権、危機ラインへ。遅々として進まないシナリオではあるけれども、この第2幕がさらに以下のように続いて、ようやく今秋にも《第3幕》が開くことが予想される。
◆01年4月
ポスト森政権発足。
◆01年7月
参院選で自民党敗北、公明と合わせても過半数に届かず、混乱。
◆01年?月
自民党分裂の中で総選挙、民主党主導の連合政権発足……。
●自民党はお化け
細川政権が発足した秋には、予算編成期にはいつも地元の首長・議員や業界代表の陳情で議員会館はごった返すのに、ほとんど誰も来ず、自民党議員がパニックに陥った。地方の首長たちも「ついに政権が代わって、もう今年から陳情は止めたんです」と嬉しそうに語っていた。自民党の政権維持本能は、何よりも予算に触る立場を確保して、地元や業界や天下り団体に利益を誘導し(あるいはその振りをして)その見返りに資金のキックバックや票の取りまとめなどを受け取るという仕組みを通じて貫かれるのであって、それが作動しなくなることは多くの旧型の政治家にとって“死”を意味していた。そこから、何が何でも細川政権を引き倒して、首相なんぞ誰でもいいからとにかく政権に復帰して、来秋は再び予算を握る立場に復帰しなければ……という激しい衝動が生まれた。それが、その古い自民党体質の代表である亀井静香を行動隊長として「村山政権」作りの陰謀を生んだのである。
社会党の村山やそれを取り巻く半ボケ老人グループは大臣ポストに目がくらみ、一部の中堅・若手は「ハト派で護憲派の村山と河野(洋平=自民党総裁)が手を携えて、ファシスト=小沢と戦うのだ」という自民党からの囁きかけに騙されて、完全に見当違いの戦略に乗せられ、自民党の政権復帰に手を貸した。その後の自社さ政権に何もいいことはなかったと言ってしまうのは酷で、社会党とさきがけが何ほどか自民党のやりたい放題に歯止めをかけた件もいくつかあったのは事実だとしても(例えば菅の薬害エイズ決着)、戦略的な前提の間違いはいかんともしがたく、結局、社さは化け物=自民党に骨の髄まで吸われてみじめな衰弱に陥るのである。その後の自民党の連立相手も同様で、自由党は半分の勢力を削り取られながら破滅寸前で残りの半分を抱えて政権を離脱し、今はまた公明党が森と心中するのかどうかの困難な決断を迫られた格好になっている。
どうしてそうなるのかと言えば、自民党はすでに歴史の中で役割を終えて、ただ最後に残った権力維持本能だけで生きている化け物であって、一緒になる者は誰でもその毒が体に感染して自分のほうが先に破滅せざるを得ないからである。本当は自民党は、93年から2年か3年は野党にいて苦しい思いをして、その間に旧式の利権政治家は自ずと淘汰されて、世代も思い切って交代して、ヨーロッパにあるような近代的な保守党として生まれ変わるべきだったし、それが何よりも自民党のためだった。ところが、野党の悲哀に耐えられずに、自分でパイプを抜き取ってリハビリ病院から抜け出して来て、元気になった振りをしてしまったために、55年体制の病気はこの6年間に体内でますます爛熟して、それが今のKS
D事件や機密費事件などの連鎖的スキャンダルとなって、目や耳や口や肛門などありとあらゆるところから腐った膿が吹き出すような姿となっているのである。
自民党がお化けになって腐臭を放ちながらそれでも生きながらえようとするのは見るに耐えない。それを自分でどうすることも出来ないのであれば、自民党を愛する国民が手を貸してやって、命をいったん捨ててこそ再生の道があることを教えてあげるのが親切というものではないだろうか。▲