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2001年2月14日

INSIDER No.4-4《KEYWORD》弱者育成?

 2月11日の「サンデー・プロジェクト」に7カ月ぶりに亀井静香=自民党政調会長が出演し、田原総一朗との対論のあと、途中から竹中平蔵、榊原英資も加わって経済政策をめぐるじっくりとした議論が展開された。

 亀井も珍しく真面目で、「あ、この人が東大経済学部出身というのは本当だったのだ」と思わせるほどだったが、しかし結局のところ彼が一貫して言い続けたのは、血を流すような構造改革は避けなければならない──それを避けることこそ政治の役割だということだった。終わり近くなって口を出した私は、思わず「亀井さん、やっぱり自民党だねえ。最後の自民党!」と言ってしまった。彼は「俺は永遠の自民党だ」とか言っていたが、私はさらにこう言葉を継いだ。「自民党の政策の根本的な欠陥は、弱者救済のための、あるいは弱者救済に名を借りた社会・福祉政策と、強者育成のための経済政策とを、ごっちゃにしているところにある」と。

 経済政策は、激しい技術革新やグローバライゼーションの波に立ち向かう強い個人や企業や産業を育てることに焦点を当てない限り、日本が生き残ることはできない。しかしそれ一本槍では、それに適合しきれない個人や企業や産業は切り捨てられるばかりになってしまうので、そこは社会・福祉政策として救済・支援に万全を期さなければならない。両者を峻別した上で、1に経済政策、2に社会・福祉政策と順番を明確にしてバランスを確保することが肝心だが、55年体制型の自民党的(=旧社会党的)な福祉社会モデルではそこがごっちゃになって、「弱者救済のための経済政策」という論理的にあり得ない種類のものが追い求められてきた。旧基本法農政の38年間で農業がどんなことになったかを見れば明らかなとおり、莫大な資金を注ぎ込みながら結局のところはお上の保護に頼って生きるしかない「弱者」をますます温存し育成し、それによって旧い利権と集票の機構を維持しようとするだけに終わっているのである。

 今年は、参院選からそれにたぶん踵を接して行われるであろう衆院選を通じて、さらなる政界再編を伴う政権交代が必然化するに違いないが、そこでの本質的な選択問題は、自民党的な「弱者救済」の名による構造改革の回避か、民主党中心の野党連合による「強者育成」の構造改革の断行かというにあるが、さらにそこで問題になるのは、かつてのサッチ
ャー的な市場原理万歳の「弱者切り捨て」路線なのか、ブレア的な市場原理万歳ではない「第3の道」路線なのかというより高次の選択問題である。民主党は果たしてそこまでの理論的準備があるのかどうか。なくて政権をとってしまうと、酷いことになる。▲

INSIDER No.4-3《OPINION》森首相の人格欠陥

 森喜朗首相が日本の実習船と米原潜の衝突事故の第一報を受けてから約2時間もゴルフ場に留まって、それから自宅に帰って着替えてからのんびり官邸に戻ったというのは、彼の首相としての欠格というに止まらず、人間としての人格的欠損を示している。

 首相周辺の話では、事故発生の第一報では死傷者が出たかどうかは明かでなく、その約1時間後の午前11時半頃の第二報で初めてその可能性があることを知らされて、プレーを切り上げてクラブハウスに引き揚げたというのだが、そんなことは何の弁解にもならない。

 第1に、海難事故や航空機事故を聞いて死者がいないかも知れないと考える方がおかしい。彼は例えば、ゴルフの最中に自分の息子が乗った飛行機が墜落したという知らせを受けて、そのままプレーを続けただろうか。もし続けていれば、人間としておかしいと言われて当然だろう。

 第2に、今時、船員になろうと進んで苦しい訓練を受ける若者は国の宝である。森の息子はグータラかもしれないが、首相として自分の息子以上に大事にしなければならないのはこういう若者たちである。「日本の宝である俺の息子たちに何てことをするんだ!」と、すぐにワシントンに怒鳴り込もうと思うのが首相というものである。

 第3に、首相は日本のシンボルであり、その行動様式は常にシンボリズムに則ったものでなければならない。嘘でもいいから、ゴルフ姿のまま官邸に駆けつけるのが政治的に当たり前であって、官房長官や副長官が適切に行動したので実務対策的に齟齬がなかったとかいうのは別次元の話である。

 余談:北海道で聞いた話では、ある自衛隊の最高幹部はこの件に対する私的見解として、「森は首相として、もうどうしようもない」と語った。▲

INSIDER No.4-2《LOCALISM》千葉県に市民派知事誕生か?──超保守・土建王国に転機

 3月26日投票の千葉県知事選挙で、超がつく保守・土建王国の千葉に初の市民派知事が誕生する公算が大きくなっている。旋風の目は、連合が擁立し民主党と社民党が推薦した、まったく無名と言っていい団塊世代の新人候補で都市計画プランナーの若井康彦。県議会の大半を占める自民党系2会派が混乱を重ねて、告示前1カ月になっても候補を絞り切れず、ほかには共産党の医師=河野泉が立候補表明しているのと、一部環境派市民団体が元さきがけで現無所属の堂本暁子参院議員に出馬を求めているが、まだ流動的であるため、若井が県経済界や自民党系の一部県議の支持も得て勝つ可能性が大きい。パターンは違うが、長野県や栃木県で起きたのと同質の市民革命が千葉県でも起こるかもしれないということである。

●自民党のドタバタ

 現職の沼田武知事が昨年11月、4月までの任期一杯で退陣する意向を表明したあと、自民党側では岩瀬良三参議院議員が一部の県選出国会議員らの支持を得ていち早く出馬を表明した。岩瀬は、県商工労働部長、教育長を務めたあと県商工会議所専務理事を経て95年に千葉選挙区から初当選して現在1期目。しかし「県議会議員会」と「ちば21」の2派66人の自民党系県議の間ではまったく信望がなく、県議たちと一部国会議員はもう1人の参議院議員=倉田寛之を推す動きに出た。倉田は県議出身で3期目のベテラン。岩瀬が抜けた後の千葉選挙区で今年の参院選を戦うということで公認も得ており、知事選に出るつもりは毛頭ない。出たい人は出したくなく、出したい人は出たくないという状況の中で、県に縁のある現職自治官僚、大学教授、マツモトキヨシの息子などの名前も挙がったが消え、また自民党本部からは元労働省女性局長の藤井龍子を強く推してきてが県連側が拒むといった混迷が続き、結局、告示を1カ月前にして県連会長の中村正三郎衆議院議員(元法相)と同幹事長の飯島重雄県議が辞任する騒ぎにまで発展した。

 岩瀬は、自民党の推薦が取れなくても出馬する意向で、近く記者会見を開いて政策を発表する構えである。国会議員のうち中村や臼井日出男らは岩瀬推薦に踏み切るべきだとの考えだが、県議側には依然として岩瀬嫌いが強く、飯島ら一部はむしろ「若井のほうが遙かにマシ」という考えで若井陣営に接近している。ところが、若井本人も、支持する連合千葉や民主党も「自民党との相乗りはかえってマイナス」との判断で、「もし自民党が推薦を決めれば『相乗りは迷惑だ』という声明を出す」(民主党県連)という強気の態度をとっている。このため、自民2会派の代表による「知事選対策協議会」は13日までに「岩瀬か若井か」で結論を出す予定でいたが、「若井に乗るしかない」「いや、若井を推薦して断られたら大恥ものだ」「ここまで来たら岩瀬推薦しかない」「それより立候補断念のほうがマシだ」などと紛糾して結論に至らなかった。

 若井側が断ると言っているのに推薦するわけにはいかず、結局は中村らの意向に沿って岩瀬擁立に向かう公算が大きいが、実働部隊である県議たちが元々嫌いな岩瀬のために、しかもこのゴタゴタで白けきったあとに、熱心に選挙に取り組むわけがなく、むしろ「もう誰を推しても間に合わない」とあきらめムードが広がっているという。

●岩井急浮上の背景

 民主党側の候補者選びも難航していた。民主党の本部や県連は、当初、党副代表の岩國哲人代議士(東京比例)に出馬を要請していたが、彼にその気はなく、他方、連合千葉は野田市の根本崇市長に話を持ちかけ、また民主党県連と提携関係にある市民団体「21世紀の千葉を創る県民の会」は堂本の擁立を熱心に働きかけるなど、バラバラ状態だった。その中で、連合中央幹部の個人的な繋がりから突然浮上したのが岩井で、民主党と連合は一気に彼でまとまった。しかし「県民の会」は堂本を擁立して「環境」一本で戦うことにこだわり、このため民主党県連と同会の候補者一本化は成らない見通しとなった。

 岩井は、1946年千葉県佐倉市生まれ、市川市の小学校から名門・千葉大付属中学、都内高校を経て東京大学工学部都市工学卒業後、東京で「地域計画研究所」の代表を務め、東京下町の防災計画や千葉を含めて全国各地の都市計画や地域振興計画、さらには海外各国の国土計画の立案を担当した地域計画のプロである。5年前に、熊本県阿蘇地域の12市町村が出資する財団法人「阿蘇地域振興デザインセンター」の人材公募に応じてその事務局長に就任、地域づくりのコーディネーターとして多彩な活動を繰り広げつつ、国土庁地域活性化センターの地域振興アドバイザーや「九州ツーリズム大学」講師なども担当した。『若者と都市』『生活リゾートの創造』『分権の時代と地域づくり方法論』など著書も多数ある。

 岩瀬や堂本の67〜68歳と比べて一回り若く、共産党の河野の60歳よりまだ6つ年下という若さに加えて、都市計画・地域振興計画のプロであり、しかも最近5年間の阿蘇暮らしを除いて千葉県で人生の大半を過ごしていて同県の抱える問題について詳しい。先週行われた立候補表明の記者会見では、どんな県政の懸案事項について聞かれてもそれなりの考えをすらすらと述べて、「阿蘇の山の中から出てきたというが、どんな奴なんだ」と思っていた記者連中をビックリさせたという。環境一本の堂本や批判するばかりの共産党候補には出来ない芸当である。

 長野県の田中知事の場合は、情熱と勇気だけで県政の伏魔殿に切り込んで行ったのだが、若井にはプロとしての豊富な知識と土地勘、そして自治体を動かして何事かを実現していくためのノウハウがある。もちろん“土建王国=千葉”の構造改革は並大抵のことではなく、田中以上の激しい戦いを強いられるだろうが、その王国を支えてきた自民党県議団は、公共事業の利権配分をめぐって2会派に分裂している上、今回の候補者選びのゴタゴタでますます四分五裂状態に陥っていて、その中の少なくとも一部は改革側に身を移して若井と手を組もうとするかもしれない。

 こうして、千葉県知事選は、あの千葉に政治変革が始まるのかどうかという関心にとどまらず、7月参院選の行方を占う前哨戦の1つとしても全国的な注目を集めることになろう。▲

《関連情報源》

千葉日報 http://www.chibanippo.co.jp/
毎日のように県議選の動きを報じている。

阿蘇地域振興デザインセンター http://www.asodc.or.jp/
若井がこれまでの職場で作っていたホームページ。

自民党千葉県連 http://www.chibajimin.jp2.net/

あまり更新されておらず、知事選には触れていないが……

千葉県庁 http://www.pref.chiba.jp/

INSIDER No.4-1《FROM THE EDITOR》編集長より

●「国会テレビ」の危機・その後

 前号で報じた「国会テレビ」の危機は、同社が、各方面からの資金援助や視聴者が自主的に始めたカンパ活動に支えられて、1月末までに支払を求められていた衛星使用料の半年間の延滞分をJSATに支払ったことにより、ひとまず回避され、現在、放送は継続しています。しかし、月額500円を負担する“物好きな”視聴者によって支えられるしかないという現在の方式では、今後も毎月発生する約700万円の衛星使用料さえ賄うことが出来ず、さらに制作費や人件費は丸々赤字という状態が続くわけで、本質的には何ら問題は解決していません。同社としては、(1)引き続きJSATおよびスカイパーフェクTV側と「ベーシック」方式を実現するよう交渉を進めるとともに、それが実現するまでのあいだ放送を継続できるよう、(2)資金的後ろ盾となってくれるようなスポンサーの獲得、(3)民主党、自由党など同テレビに理解のある政党による有料の広告・番組提供の拡大、(4)視聴者による1口=10万円株主の募集、(5)現在約4000人の(とスカイパーフェクTV側は言っている)国会テレビ契約者を増やすための独自の営業活動……など、いろいろな手段を講じていく方針ですので、本誌読者の皆さんも是非ともご協力をお願いします。

●山川暁夫=川端治論集が2月下旬刊行へ

 本誌の創始者である故山田昭(共産党時代の筆名=川端治、その後=山川暁夫)さんの1970〜99年の単行本未収録の論文を1冊に編んだ論集『国権と民権』が2月下旬、緑風出版より刊行されます。同書の刊行に合わせて、一周忌と出版記念を兼ねた集いを3月24日午後1時より中央大学駿河台記念会館(お茶の水)で開催する予定です。会費は本代6000円を含めて1万円。山田さんに縁のある方はもちろんのこと、20世紀を最も激しく生きたジャーナリストの軌跡に少しでも触れてみたいと思う方はご参加下さい。

●『私の死亡記事』がなかなか売れ行き順調

昨年12月に文芸春秋社から発売された同社編『私の死亡記事』がそこそこの売れ行きのようで、まだ多くの書店で平積みされています。100人ほどの人が自分で自分の死亡記事を書くという異色の企画で、自らの業績をまっとうに評価している真面目な人がいるかと思えば(敢えて名を秘す)、「腹上死」を願望している人が2人(野村万之丞と毛利子来)いるのをはじめ「ライフルで狙撃」(平野貞夫)とか「ミラノで孤独に客死」(四方田犬彦)とか割と惨めに死ぬことを想定している人も多くて、なかなか面白い。私は惨め派で、まだお買い求め頂いていない読者へのサービスとして以下に全文を掲げます。うちの娘には「格好つけすぎだよ」と一笑に付されてしまいましたが、まあこの本全体が1つのジョークですから……。

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■馬に乗って出たまま、それっきり──高野孟

 あいつは五十歳を過ぎた頃から、一杯飲むとよく「俺は“野垂れ死に”願望でね」と言ってました。冗談かと思っていたら、本当にその通りになってしまいましたね。「ちょっとトルコまで行って来る」とか言って、モンゴルから一人で馬に乗って出ていって、それっきりでした。きっと、カラコルム山脈かパミール高原かその辺で、狼に襲われるか、氷の割れ目に落ちるかして、空しく死んで行ったんでしょう。自分で望んだことですから、それはそれで幸せだったのだと思います。

 いつだったか、何で“野垂れ死に”なんだ、と聞いたことがあります。こんなことを言ってました。「革命家には二つの生き方がある。カストロかチェ・ゲバラか、大久保利通か西郷隆盛か。革命家ってほどの仕事もしてないのにこんなことを言うのはおこがましいけれども、ま、どちらのタイプかという問題だ。旧体制をひっくり返した後に、新体制の権力者に収まって次の時代の建設に取り組むのが似合う人と、そういうことには興味がなくて、自分は次のまた別のフロンティアというか、死に場所を求めて一人旅立っていくのが美しいと思う人と、いるよね」と。若い頃の左翼時代を全然卒業できていない、浪漫性小児病というのですかね。畳の上で人並みに死ぬのを恥だと思い込んでいるようなところがありました。

 でも、あいつが偉かったのは、好きなことだけやって生きて、そして死ぬということをおおむね貫いたことでしょう。誰もがそうしたいと思っても、いろんなしがらみもあってなかなかできることではないですが、あいつは、どこまで本気か冗談かわからないままに、仕事と暮らしの本拠を安房鴨川のとんでもない山の中の過疎村に移して農業や林業の真似事を始めたり、十勝の牧場に小屋を建てて原野や雪原を馬で走り回ったり、毎年のようにモンゴルを旅したり……。今にして思えば、それもみんな“最後の一人旅”のための準備であって、周りの者の多くが誤解していたように、単なる息抜きや遊びではなかったのでしょう。

 葬式はもちろん、墓も要らないと言ってました。物書きでありながら、自分が出した本もちゃんと取っておかないような奴でしたからね。どうせお骨もないことだし、行きつけだった居酒屋に縁者が集まって一献捧げれば、それが一番いいんじゃないでしょうか。世の一隅を少しだけ騒がせて、そのままユーラシア大陸のどこか吹き抜けて行って跡形を残さないような、さりげない一陣の風だった思えばいいことですから。そう、あいつは山でも木でも川でも海でもなくて、風でした。▲

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