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このコラムのねらい

 宗教好きの教団嫌いというのが一昔前の若者の感覚。不思議大好きの宗教嫌いというのが現代の若者の傾向だといわれる。人々の心が宗教から離れ、ヒーリングとかスピリチュアルといわれるものに惹かれていっているという。

 さらには「霊感商法」などの金銭トラブル、「カルト」と呼ばれるような問題集団の存在、あるいは過度の政治や宗教へのかかわりなどが嫌がられ、宗教離れが進む傾向にあるよう見られる。しかし、そうした状況にあってもまだまだ宗教には根強いものがあり、宗教、および宗教団体の社会的役割、その影響力から目を離すことはできない。

 わが国には、伝統仏教、神社神道、教派神道、キリスト教に新宗教、さらには新新宗教などと呼ばれる様々な宗教が存在する。しかし、新宗教と新新宗教に違いはどこにあるのか明確ではない。新宗教と伝統宗教の境目もどこにあるのだろうか。

 宗教を巡る話題の多くはそうしたあいまいさを含んだ中で語られている。その要因として宗教団体側から一般社会に向けたアナウンスがなされていないことがあげられるが、そればかりではない、報道する側の知識不足、宗教法人制度への無理解のままに論評されていることが目に付く。

 宗教界を34年間取材してきた眼で宗教に関連する各種情報を見つめていきたい。  

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

良くわからないから言わない、良くわからずに言っている、あるいは見てみぬふり。
そんなことが多いジャンル。これは実に楽しみです。
期待しています。

高野 孟さん言われる地域主権の原理の一つとしての補完性の原理。 この補完性の原理の一翼を担うものとしての宗教組織ということがあっていいはずと 以前から思っています。しかしながら、日本の宗教組織、とくに仏教系は  NGOなどと連携して地域の中で積極的に貢献しようという意欲が乏しいように見えます。
日本の国家財政は 国が何でもやってくれるということを許さない状況になってきている。そういうなかで、人々の間でどう助け合って生きていくかということが求められるわけですが、日本の仏教系は そういう意識に乏しい。これは、日本では宗教組織という資源が社会的に有効利用されていないことを意味する、と思っています。このような点について どう考えるべきか ご意見をお聞かせいただければ幸いです。

私はどの教団にも属していませんが、宗教には強い関心を持っています。

宗教やその教団に関する情報が一般大衆に適切なかたちでもたらされているとはいえない現状であるようなので、宗教界を34年間取材してきた眼で宗教に関連する各種情報を見つめていく、廣橋隆さんのコラム、大変楽しみです。

<廣橋隆様>
はじめまして、よろしくお願いします。
宗教に関しての記事を楽しみにしています。
さて、我が家の家訓は「触らぬ神に祟りなし」です。特に新興宗教については、不信感がいっぱいです。私自身、ある日駅前で占い師に呼び止められ、500円を払って占ってもらった時の事。占い師曰く「働けども金は貯まらない。男運もない」と...。(今にして思えば、当たらずといえども、遠からずなのですが)
散々脅された後に「私と一緒に奈良のお山に行きましょう」と誘われました。どうやら某天〇教のお誘いでした。勿論、私は家訓を守ったのですが、恐ろしい体験でした。
廣橋隆様には、ぜひ、新興宗教についての実態を教えていただきたいと思います。
また、我が家の菩提寺は浄土真宗大谷派ですが、既存の宗教組織の在り方について、疑問はいっぱいです。
本来、仏教は人々の暮らしの中にあって生命を慈しみ、この世の苦しみも仏教宇宙においては一瞬でしかなく、あの世では誰もが仏となって救われる。と、キリストですら神のしもべにしかならないキリスト教より、ずっと懐が深い宗教だと思っています。
しかし、現実では、地方の大きな寺は名士で、幼稚園から駐車場まで多角経営しており、総じて金持ちです。庶民から遠い存在になり、派遣村が出来た時など率先して救済に動くべき宗教法人の動きは、総じて鈍いものでした。廣橋隆様は、この様な宗教界の現状をどの様に捉えていらっしゃいますか?
機会があれば、ぜひ教えて頂ければ幸です。

廣橋隆様

初めまして。
さて、キリスト教の中にローマン・カトリック教があります。その総本山はいわずとしれたバチカンです。
そのバチカンと日本との関わりですけれど、どうも日本政府はバチカン重視ではないような感じです。
前ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世の葬儀でも、他国は国家元首級の要人を派遣したのに、日本は確か川口元外相、という他国と比較して低いレベルでの派遣でした。一説には皇太子ご夫妻が参列を希望したのに、小泉首相から拒まれた、という事を何かで読んだ事があります。皇太子ご夫妻はヨハネ・パウロ2世の偉大さをよく御存知だったのです。だから参列を希望されたのでしょう。
日本はどうしてバチカンを軽視しているのでしょうか?麻生前首相夫妻が現法王ベネディクト16世と会見したのが大きな話題となりましたが、麻生夫人の装った服装を見ると、どうも正式な会見服ではなかったようです。女性は全身黒で、しかも黒のベールを頭に被らなくてはいけませんから。
こういった事を見ても、日本外交のバチカン軽視が伺えます。
かつて、共同通信記者だった倉田保雄さんのバチカンに関する記述を読んだ事あるのですけど、世界各国にちらばっている神父・修道士・修道女は約100万人で、表向きは’敬虔な教徒’なんですが、裏では、彼らが住んでいる地域の情勢をバチカンに上げる役目を負っているそうです。数からして、米CIAや露KGBより、その情報収集力はバチカンは凄い、という事を倉田さんはお書きになっておられます。
そういうバチカンを日本政府はどうして素通りしてしまうのでしょうか?イタリアで会議があっても、ほんのわずかな例外以外、首相・外相など立ち寄った、という事は聞いた事ありません。
一体何故なんでしょうね。

最近結婚した若い夫婦にお会いした。
彼らが今やっていることは、四国八八カ所めぐり。東京に住んでいるが、四国まで何度も足を伸ばし、分割して回っているとのこと。
他にも地方の、お寺めぐりをしているとも聞いた。

岐阜にある即身仏のお寺の話をしたら、是非今回の新婚旅行で立ち寄りたいという。

ごくわずかだが、このような若者が増えてきた。

また一頃より自然の中で休日を過ごす若者も増えてきている。
熟年が「百名山」に夢中になっているとき、若者は名のない山の森で時間を過ごす。

景気がよいときは、明るく馬鹿騒ぎがもてはやされ、外向的というのだろう。
景気が悪いときは、内省的な生活を求める。内向的というか哲学的な生き方を求めるのだろうか。

宗教界が混乱している状態でも、確実にこのような若者だけでなく人々が増えているのだろう。

まず、漠然とした印象であることをお許しください。

高価な美術品を買いあさっている宗教法人が存在しているという現実を見ると、税制優遇措置がされていることに釈然としないものを感じてしまいます。礼拝所等の施設維持管理費用に対しては非課税だという理屈は理解できなくもないのですが、どうも非課税対象が拡大解釈されているような気がしてならないのです。

宗教活動とその他の活動との線引きも曖昧なのではないでしょうか。霊感商法等も微妙なところで、御札(おふだ)等はお祓いがされているので、それに対する寄進料だということになり、課税されないとか。それでは、教祖の念が入っているという触れ込みで売られている壺とか印鑑の類はどうなのかということになります。繰り返しますが、宗教独特の曖昧さを、うまく悪用されている気がして、釈然としません。

基本的に一神教と、多神教(すべてに神が宿る)にわかれると、おもいます。で、神とは、どおいう位置ずけかとに、なるとおもいます。わたしがおもうには、かみが、ひとにたいして、なにかを、求める。これって、おかしきいとおもいます。
すべての物に神が宿る。で、神はなにももとめないし、信じないから罰をあたえるって、ありえないとおもます。
一神教にはこれがあると、おもわせて秩序をいじしようと?しているようにおもいます。

普通?の神仏集合家庭に育ったけど、宗教を自分なりに意識してキリスト教系学校を選び、友人の属する教会に通ったりしてました。それでもしっくりいかず、占星術や風水〜ニューエイジ系やらスピリチュアル系やらにハマったりしてました。大きな新興宗教も体験したことがあります。広く浅く薄くですがいろいろやってました(笑)それでもどれもこれもどうにも納得いかなかったのです。
でも、西洋発信の心理学や精神世界系は、結局東洋的な禅やら道教やら先住民の教えやらに多くが基づいているのがわかり、それから禅や原始仏教、神道(国家でなく)、また原始キリスト教や先住民族の教えなどにも興味を持ちいろいろ学んでいます。やっとしっくりくるものが見つかった気がしています。結局ずっと探していたものはやはり「自然の中にあり自分で感じるもの」というようなことなんだと今は漠然と思っています。だから人間の教祖とかお金の掛かりすぎるものは違うんじゃないかと思うのです。次回からの記事楽しみにしています。

家では先祖代々の宗旨で仏さまに手を合わせておまいりし、法事にものぞむ。地元の神社さんにもおまいりする。近畿地方に住んでいるので、15,6年前頃に最初に訪ねてから数回しか機会はないが、靖国神社にもおまいりしたこともある。お伊勢さんにもおまいりする。

宗教団体だとか、集団活動、組織の論理、政治イデオロギーなど、そういったことどもにとらわれて「宗教」をやるというのはたまらなく窮屈なことだ。それらのものは、まったくの夾雑物だ。(例えば靖国神社を忌避する左翼や、靖国を過剰にもりたてる右翼など、左右両方そのような方面の人々と出会いもしたが、どうしても体質的に合わない)自分自身で考えて、自分自身で納得したことでしか、救いも安寧も「ごりやく」もあるまい。私などは、先祖の法事の折に、幸いにも篤実なお寺さんがあって、そこの住職さんとやりとりすればそれですむし、それ以外に、こみいった「組織の論理」に基づいたおつきあいなどは、煩わしいから一切しないこととしている。自分自身が納得したことだけを受け入れ、ご先祖さま、と静かにお祈りすることが一番いい。

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Profile

廣橋 隆(ひろはし・たかし)

-----<経歴>-----

1949年7月22日生まれ。
1975年4月中央大学文学部卒業、同時に新宗教新聞社入社。
編集記者として、新宗教教団の動向を取材。
守備範囲は新宗教界にとどまらず、伝統仏教、神道界にも及び、宗教と社会問題の接点を幅広くフォローしている。
1995年4月から、同紙編集長。2009年7月、定年退職。
2002年3月専修大学大学院経済研究科修士課程修了、社会政策論専攻。

BookMarks

-----<著書>-----


『戦争と追悼』
2003年8月、八朔社、共著

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