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2010年6月30日

わかりやすい国会の話[第17回]昭和時代の議会政治(4)

■太平洋戦争・敗戦と議会

 第76回議会は第1回の翼賛議会であった。衆院の会派は「衆議院倶楽部」だけとなる。議会の審議は形骸化し、戦時体制に備えるため「衆院議員の任期延長に関する法律」が成立し、任期が昭和17年4月30日まで1年間延長された。

 国際情勢は緊迫を増し、日米交渉は松岡洋右外相の意見に米国が反発していく。近衛首相と意見を対立させることになり、7月16日総辞職する。後継に適切な人材がなく第3次近衛内閣が成立する。松岡外相は退陣したものの対米交渉は悪化する。

 近衛首相とルーズベルト米大統領との会談計画も流れ、9月25日政府は米国に最終提案を行ったが、米国は覚書で事実上拒否した。軍部は和戦いずれかを近衛首相に一任する中、意見の合意を得られないとして10月16日総辞職した。後任に陸軍の強硬論者を抑えるため、強硬論者の東條英機陸相を起用するのが重臣のねらいであった。これが裏目に出る。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」

2010年6月27日

「日本一新運動」の原点(1)

 「日本一新の会」の発足を呼びかけたところ、想定を超える申し入れをいただいた。この感動を日本の政治に有効に活かしていきたい。

 これからのご協力とご叱正をお願いする。

■「日本一新運動」の原点(1)

 『日本改造計画』(小沢一郎著・1993年5月)を、改めて読んでみた。人間の「生き方」について重要な記述がある。

 「人類は、人間による自然支配という西洋的価値観から、人間は自然の一部であるという東洋的価値観への転換を迫られている。東洋的価値観、とくに古代日本の縄文時代においては、人間はまったく自然と共生していた。人間が自然を支配するのではなく、自然によって生かされていた。」

 この小沢氏の発想・感性が「日本一新運動」の原点である。日本の政治家で「共生」という言葉を使ったのは、私の知る限りではこれが初めてだと思う。1993年5月といえば、小沢氏は自民党幹事長を辞めて二年目、幹事長時代の苦悩の体験を生かすため、『日本改造計画』を世に出した。その思想の根っ子に、「個人の自立による真の民主主義の確立」と並んで「共生」という発想があった。

 小沢氏は2006年4月、民主党代表選で「小泉政治は自由と身勝手を混同した結果、弱肉強食の格差社会という妖怪を生み出してしまいました。本当の自由とは誰もが共に生きていける『共生』の理念が前提であり、それを保証する規律と責任を伴うものであります。その『共生』のルールが公正なのであります」と述べた。

 この理念は、自由党時代の『日本再興へのシナリオ』を起点に、『日本一新11基本法案』を発展させたものである。これが2007年7月の参議院選挙を勝利させた〝国民の生活が第一〟の真言となり、2009年8月の衆議院選挙で民主党が政権交代を実現した原点である。

 菅政権になったとたんに「国民の生活が第一」という真言は消えた。そして政策も政治手法も「小泉・竹中時代」を連想させ、歴史を逆流させる事態となった。政権交代を求めた国民の生活を漂流させないため、民主党は徹底した理念と基本政策の議論が必要である。

 日本一新運動は、現代情報化社会の時代性を加味して、日本一新基本政策を深化させる試みであり、皆さんもその隊列に加わって頂きたい。


▽   ▽   ▽


■日本一新の会事務局からのお礼とお願い

 「日本一新の会」に多数のお申し込みを頂き、心より御礼申し上げます。

 また、思いがけず多数の皆様からカンパを頂きました。当会運営の為の資金として大切に使わせて頂きます。

 現状は、皆様のご協力・拡散のお蔭もあり、事務局は新規登録に追われており、うれしい悲鳴をあげております。したがいまして、カンパを頂いた方々、拡散にご協力いただきました皆様お一人おひとりにお礼をもうしあげることが適いません。この場を借りて御礼申し上げます。

 当会は緊急的に立ち上げた為、専用システムもなく、セキュリティーも万全でないことから、お預かりした情報から、メールアドレス以外の個人情報(住所・氏名・電話番号等)は削除しておりますのでご安心ください。

 もちろん、皆様方からお預りしたコメントは平野貞夫が全て目を通します。

 今後とも、当会の発展の為に皆様のご助力を賜りたく、よろしくお願いいたします。

 「メルマガ・日本一新」配信の登録・解除は、 nipponissin@gmail.com までお願いいたします。

 お蔭様で上記アドレスは、入会依頼が殺到しております。

 ご意見等のアドレスは、後日別に設定いたしますので、暫くは配信登録に限らせて頂きますので、 何卒ご協力をお願いいたします。

2010年6月21日

わかりやすい国会の話[第16回]昭和時代の議会政治(3)

■戦時体制と議会

 昭和11年12月24日、完成したばかりの議事堂に第70回議会が召集された。休会開けの翌12年1月21日、衆院本会議の代表質問で、浜田国松議員が激しく軍部の政治関与を攻撃したのが「腹切り問答」であった。政党と軍部の正面衝突となり、これが原因で同月23日広田内閣は総辞職する。

 後継に林銑十郎陸軍大将が就任した。陸軍内部を統制するねらいがあったが、国民から「軍部ロボット内閣」と呼ばれ、議会を解散した。総選挙の結果は反政府勢力が圧勝し、わずか4ヶ月で総辞職することになる。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

2010年6月18日

「日本一新の会」発足にあたって! 

日本一新の会・代表 平野貞夫

 六月八日、民主党は菅新政権をスタートさせた。十一日には衆参両院で所信表明を行い、菅首相は国家や国民のため、いかなる政治を展開するかを明らかにした。私たちは、これを機会に「日本一新の会」(代表・平野貞夫、顧問・戸田邦治)を発足させることにした。

 「日本一新」とは、平成十二年六月の総選挙で、当時の自由党、小沢一郎党首が提唱した運動である。平成十五年七月には「日本一新十一基本法案」をまとめ国会に提出し、民主党に合流した。

 その理念は、平成十八年四月、小沢一郎氏が民主党代表に就任し、「共生社会の実現論」に継承された。さらに平成十九年の参議院選挙で「国民の生活が第一」という政治目標となり、昨年八月の総選挙で政権交代を成功させた。

 菅首相の所信表明などを検証してみると、国民のための政治の実現、民主政治の定着などで問題を感じる。このまま菅政治が推移するなら、政権交代の歴史的意義も消失する。

 日本一新の会は、政治の根本について議論する場として「メルマガ・日本一新」を発行し、議論する場としたい。(「メルマガ・日本一新」配信の登録・解除、並びにご意見は、nipponissin@gmail.com まで)

■菅首相の所信表明などに感じること

(1)「国民の生活が第一」という政権交代の標語が消えた。「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」を一体的に実現する。これが菅政治の中心だが、「強い社会保障」で国民の関心を引きつけ、消費税アップのために利用しようとする旧体制の官僚の影を感じる。国民の生活はどうなるのか。

(2)「最小不幸社会の実現」(記者会見)とは、十九世紀の「救貧法」の発想か。
 最小でも「不幸」を前提とする政治があってよいだろうか。私たちは「社会保障を国の責任で整備することが、健全な資本主義社会の前提」という考えだ。「不幸」を撲滅するのが政治の目標ではないか。

(3)日本人の閉塞感、自信喪失、不安感の原因を経済の低迷と発言した。
 この認識は、自民党や旧体制官僚の経済中心主義の歴史観だ。二〇世紀末、重化学工業社会から情報社会に資本主義が変質したことを認識していない。
 現代の混迷の根本原因は、第三次産業革命により文明が移行し、所有欲求と存在欲求という旧体制の価値観で、人間社会が運営できなくなったことにある。この歴史観を理解している政治家は少ない。これまでの内閣総理大臣では皆無であった。
 「日本一新の会」は、二一世紀の情報社会では、「共生欲求」という新しい価値観を加えて、国家や社会のシステムを再構築しなければならないと考えている。

 菅政権の発足にあたって、指摘しておきたいことは沢山あるが、次回から「日本一新運動」の経緯などを説明した上で、これからどのように展開すべきか、志を共にするみなさんと一緒に考えていきたい。

2010年6月17日

わかりやすい国会の話[第15回]昭和時代の議会政治(2)

■軍部による議会政治の崩壊

 昭和7年になって内外で血なまぐさい事件が続発する。2月20日に衆院総選挙が行われ、犬養首相が率いる政友会が大勝した。総選挙後の議会も珍しく紛糾なく終わり、居留民保護でもめていた上海事件も停戦協定に調印して解決し、一息ついていたとき、国内で重大事件が発生する。5・15事件だ。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

2010年6月14日

わかりやすい国会の話[第14回]── 昭和時代の議会政治(1)

 昭和天皇が即位された大正15年12月25日、即日「昭和」と改元された。昭和元年は7日間しかなかった。政界では政党間で互いに相手の汚職・腐敗をあばき合う、泥仕合いがつづけられていた。

 新天皇のもと公正な政治を行うべく、憲政会の若槻首相の呼びかけで、田中義一政友会、床次竹二郎政友本党両総裁と党首会談を開き申合せを行ったが、憲政会と政友本党の合同密約が表面化する。政友会は震災手形問題で若槻内閣を追及し、台湾銀行問題に発展し昭和2年4月17日、若槻内閣は総辞職する。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

2010年6月 8日

菅民主党新政権に感じること

 5月28日(金)午後4時頃、JR常磐線で上野へ向かっていたところ、小沢幹事長から携帯電話があった。内容は、国会会期末から参議院選挙に至る政治日程と憲法や国会法、公職選挙法などの運用についての話だった。

 夕刻にかけて電話のやり取りがあり、私が感じたことは、参院選挙の環境を良くするため「鳩山首相・小沢幹事長が退陣し、挙党一致体制をつくる」ことであった。

 6月4日、民主党両院議員総会で菅直人氏が代表に選ばれ、8日には菅新体制が発足する。民主党や新政権への支持率は、V字型にアップし、予想どおりの展開になった。しかし、挙党一致体制については挙党どころか混乱体制となった。首相交代ドラマについて、さまざまな情報が流され錯綜しているので、私が関わった事実を中心に問題を整理しておく。

■鳩山首相退陣の深層
 6月2日の民主党両院議員総会で鳩山首相は「10日ぐらい前から退陣を考え、小沢幹事長にも自分の指示で辞めてもらう」という主旨の発言をした。これが真実かどうか問題である。私は5月28日の小沢幹事長との電話のやり取りで「自分の退陣を犠牲にして、首相に退陣を説得する」との心境を感じとっていた。

 小沢幹事長は、自分が悪役になって他人を立てて事態を収拾するのが得意である。鳩山首相は責任を他人のせいにして問題に処してきた政治家である。

 想い出を話しておこう。平成14年秋、鳩山民主党代表が自由党に突然合併を申し入れたことがある。小沢自由党党首は「せめて役員会の了承をとってからにしてくれ」と留保した。

 翌朝、鳩山代表から私に「鳩山―小沢極秘会議で小沢さんは、自由党は党名・理念・政策・人事もすべて条件をつけない。丸ごと合併すると言った。これを役員会で発言してよいか」との電話があった。「それは小沢さんに聞くことで。意見というなら、何にもしらない自由党議員は大騒ぎとなり合併の話は不調となる。小沢は全力を上げて協力するとのことで説明すべきだ」と私は伝えた。この時の合併話は、民主党でまとまらず、鳩山代表は引責辞任をした。

 鳩山首相の退陣をめぐって、鳩山・小沢・興石三者会談が数回開かれた。6月1日の三者会談で興石参議院会長は参院の審議状況、選挙に臨む候補者の心境を鳩山首相に叱るように説明したと聞いている。この時点で退陣せざるを得ないことがわかったようだ。方法は、小沢幹事長がふりつけていた「鳩山首相が小沢幹事長の首を切る」というやり方だ。会談後の〝親指〟は、そのことで、返事は2日ということで話を持ちこした。

■何故、挙党体制がつくられなかったのか
 この三者会談の夜、鳩山・菅会談が行われたとの情報がある。時期は別にして会談は事実のようだ。以下収集した情報を整理して、要点を再現すると。こんな感じになる。

鳩山首相「やめるので後をやってほしい」。
菅   「わかったが、小沢を切ろう!」というものといわれている。

 この夜、鳩山首相は松井副官房長官に、退陣用の演説の原稿の執筆を指示する。

 私は、5月28日、小沢幹事長と電話でやりとりをした夕刻、菅グループに属する親しい参院議員に、鳩山首相退陣の流れを説明し、菅氏中心の政局となるので挙党一致体制をつくるよう心がけるようアドバイスをしておいたが、まったく逆の方向になったのは残念だ。

 6月2日(水)午前9時すぎ、小沢幹事長の代理から電話があり、鳩山首相退陣とその後の政治日程について憲法上、国会法上の運用や前例についての意見を求めてきた。会期末でもあり、参院選挙の日程も固まっている状況だけでなく、朝鮮半島問題、国際的経済危機、災害など危機管理のためにも、政治空白を最小限にするよう意見をいう。

 同日午前の両院議員総会で鳩山首相が退陣挨拶する時期まで挙党一致体制が実現できそうになっていた。どうもおかしいと感じたのは、午後2時頃、民主党幹事長室から「官邸は首班指名を6月8日(火)に延ばしたい」との話が入ってからである。

 「そんな発想だから鳩山政権はもたなかったのだ。国民の生命、国家の安全を考えない政治を続けるのかと、言いなさい」と伝えておいた。

 情報通によれば、この頃、幹事長周辺に、6月1日の「鳩山--菅会談」の内容が伝わり、挙党一致体制が崩れたとのこと。ここら辺が事実に近いのではないか。

 菅氏は2日の鳩山首相退陣を受けて、4日に行われる代表選挙に立候補を表明する。小沢氏は挨拶をしたいという菅氏に会おうとしない。私の推測は「鳩山--菅密談」を知ったからだと思う。

■菅代表の憲法感覚と人間性
 菅氏は立候補の記者会見で「小沢幹事長は国民の不信を招いたことについて、少なくともしばらくは静かにしていただいた方が、ご本人にとっても、民主党にとっても日本の政治にとってもいい」と発言した。テレビや新聞のコメンテーターなどは「しばらく」とは小沢に甘いといっているが、そんな問題ではない。この菅氏の発言こそ、憲法感覚の欠如と人間性の欠陥を自分で吐露したものである。

■憲法感覚の欠如
 人間は基本的人権として、言論と行動の自由をもっている。まして与党の幹事長を勤め、党の代表として政権交代に自己を犠牲にして貢献した小沢一郎という政治家に「日本のためにも静かにしていろ」との暴言は見逃せない。この発言は、政治家の言論・活動の自由を侵害するという憲法上、由々しき問題である。日本の有識者、政治家がこのことに気がつかないことが、日本の知的危機といえる。

■人間性の欠陥
 この暴言は、憲法原理に対する無感覚と無知を表すだけでなく、小沢一郎の人間を冒涜したものだ。人間の尊厳がいかなるものか、わかっていない証である。

 なんのために、四国八十八ヶ所を巡ったのか。空海の思想が何かを知らない、形だけの信仰なら空海の怒りも強かろう。小沢氏を外すにしろ、言い方がある。「小沢は悪者」と断言したと同じだ。これで政権を担当できると思っていたら大間違いだ。

 実は3年前の平成19年元旦、小沢邸で菅氏は私をつかまえ国会運営の真髄について質問してきた。当時の小沢代表の意向もあり、その後2年間ぐらい国会運営や政治についてアドバイス役をやった。

 率直にいって、菅氏の性格は他人を利用して自分の地位や利益向上に利用するというきわめて自己本位で人間としての礼や信や道に欠ける態度であった。「脱小沢」の選挙劇場を演ずる役者としては適当かもしれないが、日本の社会や国民の生活を一新させることは無理である。

■政治と金とは何か
 菅代表はじめ反小沢グループが、念仏のように言う小沢氏の「政治と金」とは、東京地検特捜部と巨大マスコミがつくり上げた虚像であることは明確である。

 特捜が不起訴としたものを、市民目線と称して人民裁判のように操っているのは、旧体制の自民の亡霊たちである。本来なら、菅氏自身が、民主政治の危機として彼らに反論すべき立場であった。それを小沢排除に利用したといえる。市民運動家・ポピュリストの限界で、世論を説得しようとせず、逆に世論を利用して小沢氏を切り捨てる方策に走ったといえる。小沢氏の問題はきちんと収支報告を出している問題への検察権力の意図的関与である。議会民主政治の確立のためには、こんなことを政治が許容してはならないことだ。

■菅新政権で気になること
 菅首相、仙谷官房長官、枝野幹事長という三役揃い踏みで、日本の政治が始まることになる。三人の過去を問おうとは思わない。これからの政治にたいする姿勢次第だ。

 しかし、早くも6月7日には、小沢グループの抱き込み人事が始まり、切り崩し作戦が展開している情報がどんどん入ってくる。これも問題である。

 菅・仙谷・枝野三氏が進めようとする政策は、新自由主義の思想による「小泉亜流構造改革」の再生、ネオコン政治を私は予感している。仙谷氏と米国シティグループとの関係はよく知られている。枝野氏がやってきた仕分けは、まやかしで、人間性を無視した形だけのもの。民間の小泉ブレーンを活用し、新自由主義に有利な仕分けをしているだけだ。制度の根本を仕分けするものではなかった。

 小沢グループは、自由党時代「日本一新11基本法案」を国会に提出して、共に生き共に幸せになろうという「共生社会」の実現を国民に公約したことがある。

 小沢氏が、民主党代表選に出馬したとき、この理念を公約している。これを民主党の理念・政策に生かすことをこれからの活動方針にすべきだ。

 「小泉亜流構造改革」の復活を阻止して「国民生活第一」の「共生社会」の実現をこれから、民主党の政治にどう取り入れ、日本に真の議会民主政治をいかに実現していくか、民主党の課題は重大である。

 自民党政権が崩壊し、民主党政権に交代した後、民主党の「ネオコン派」による「小沢排除」が起きると想定していた。菅氏が、代表戦の出馬会見で小沢潰しを宣戦布告したことは「共生社会派」にとっては絶好のチャンスである。起用された政策担当者から、小泉政策の評価さえ言外に感じる。これからは、どちらが国民や国家社会の爲になるのか。どちらが本物なのか。民主党の洗濯が始まるのだ。


◎万人幸福の栞(丸山敏雄著・倫理研究所)に「得るは捨てつるにあり」という言葉がある。小沢一郎は平成15年7月、この教訓を活用して自由党を解党、民主党に合流した。今回は鳩山首相を説き伏せ、身を捨てて、参院選挙に勝利して日本に民主政治を確立しようとしているのである。

Profile

平野貞夫(ひらの・さだお)

-----<経歴>-----

1935年、高知県生まれ。
法政大学大学院政治学修士課程終了。
衆院事務局に入り、副議長(園田直)秘書、議長(前尾繁三郎)秘書などを経て委員部長となる。
1992年、参院高知地方区で当選し、小沢一郎と行動を共にする。
2004年、参院議員を引退。
以降、言論執筆活動に専念する。

BookMarks

-----<著書>-----


『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』
2010年1月、幻冬舎


『平成政治20年史』
2008年11月、幻冬舎


『虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実』
2006年9月、講談社


『ロッキード事件「葬られた真実」』
2006年7月、講談社


『公明党・創価学会と日本』
2005年6月、講談社

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