« 2010年1月 | メイン | 2010年4月 »

2010年3月24日

わかりやすい国会の話[第9回]明治時代の議会政治(3)── はじめての衆議院解散と選挙大干渉

 第1回議会は明治24年3月7日に閉会した。山県首相は予算が議会で修正されたのがショックで、辞めてしまった。後任に伊藤博文を推したが「首相になる時期でない」と逃げ、ようやく5月になって松方正義が首相に就任した。それだけ議会対策に困ったわけだ。

 第2回議会は同年11月25日から始まったが、その直前に中江兆民の知恵で、自由党のシンボル板垣退助と改進党のトップ大隈重信の会談が行われた。民党派の団結が約束され、松方内閣は追いつめられていく。同年12月25日、海軍の整備費削減など、もめにもめ衆院は解散となる。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

2010年3月12日

わかりやすい国会の話[第8回]明治時代の議会政治(2) ── 帝国議会のスタート

 明治23年(1890)7月1日、わが国で初めての衆議院選挙が行われた。有権者数は45万365人で、人口の1.24%であった。投票率は93.7%だった。総選挙の結果は次のとおり。

 大同倶楽部 55 立憲改進党46 愛国公党 35 保守党 22 九州同志会 21 自由党 17 自治党 17 官吏派 18 中立派 67 無所属 2

 参考のため当選した衆議院議員の職業は、農業129 商業19 鉱業 1 会社員 7 銀行業 4 弁護士 20 新聞雑誌記者 8 医業 3であった。当選者の年齢は、最年長が68才、最年少が31才で、平均42才8ヶ月であった。

>>続きは「Infoseelニュース 内憂外患」で

2010年3月 5日

わかりやすい国会の話[第7回] 明治時代の議会政治(1) ―― 帝国議会の構成や役割など

 「大日本帝国憲法」は、明治22年2月11日、西暦1889年、紀元2549年に発布された。天皇中心の体系でつくられたものであったが、幕末の激動やら明治維新、自由民権・国会開設運動とわが国の歴史始まって以来の大革命であった。

 憲法発布を国民はどう理解したか。私は父から「天皇さんが国民に絹の布をくだされるらしい」という話を聞いた。これが明治20年代の多くの国民の感覚であったことと承知しておくべきである。

 さて、明治憲法で定められた「帝国議会」とは、どんなものであったか。これを知ろう。

>>続きは「Infoseekニュース 内憂外患」で

Profile

平野貞夫(ひらの・さだお)

-----<経歴>-----

1935年、高知県生まれ。
法政大学大学院政治学修士課程終了。
衆院事務局に入り、副議長(園田直)秘書、議長(前尾繁三郎)秘書などを経て委員部長となる。
1992年、参院高知地方区で当選し、小沢一郎と行動を共にする。
2004年、参院議員を引退。
以降、言論執筆活動に専念する。

BookMarks

-----<著書>-----


『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』
2010年1月、幻冬舎


『平成政治20年史』
2008年11月、幻冬舎


『虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実』
2006年9月、講談社


『ロッキード事件「葬られた真実」』
2006年7月、講談社


『公明党・創価学会と日本』
2005年6月、講談社

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.