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民主党政権への不安(続) »

民主党政権への不安

 鳩山内閣に対する各マスコミの世論調査支持率は、どの調査でも70%台を超え、まずは目出度い船出である。ところで鋭い感性を持って民主党政権を観察する国民がいるので紹介しておこう。9月18日朝日新聞の「声」欄に「国家戦略局の名称は、戦争を想起させる」と、武蔵野市の老夫婦からの投書である。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で

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コメント (38)

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http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

平野さん

要するに、現状を打開するには、何がどうなのでしょうか?

獅子身中の蟲は誰?? 何ですか??

議員立法の禁止については、確かにおかしいと感じていました。議員さんが法律を作ることを放棄すれば、議員の存在意義なんてどこかへ行ってしまいます。ほんとに、大変な勘違いです。

官僚の会見については、判断しかねておりました。
官僚側の、過剰反応。いやがらせか?と、感じたりしていましたが、平野さんの指摘を見て、「政」の勘違い暴走だと納得しました。

なれない政権運営とはいえ、根本を間違えてはいけません。
早急に、改めなければなりませんね。

官僚の記者会見を禁止するのではなく、公の場での政治的発言は、官僚の職責〔公務員〕を考えると妥当ではないということではないでしょうか。与野党が審議中の事柄、世論で意見が割れている政策、などについての事実に基づく情報提供は、守秘義務に抵触しない範囲において公務員の義務と思います。しかし、その場を使って公務員が個人の意見なり、省庁の意見なりを述べることの特異性は、内閣と省庁の主従関係を考慮して認識されるべきです。役人は、いくら金があるということは言うべきとしても、金が足らないからできない、と公の場で言ってはいけません。

つまり、データ・事実関係の開示とコメンタリ・意見との違いを明白に識別しなくてはならないでしょう。内閣の方針について反対意見を表明する官僚に対しては、早急に内閣が人事権を行使できるようにすることが先決と思います。その意味では禁止という言葉は使わずに、役人が自分の立場を理解した上で、政治的発言には高いコストがかかるという認識を如何に植え付けるか、ということではないでしょうか。何人か飛ばせばすぐ学習するでしょう。関連して、国民にとって有益な内部告発を禁止という法律で潰すことなく、政治判断の対象とすることは有意義と思います。

永六輔氏は、ご自分のラジオ番組(TBSラジオ 土曜ワイド)内で、「国家戦略局」という呼び名について、何度も苦言を呈しています。「戦争を想起するような名前だ」「国家と聞くと、国家総動員法を思い出す」等。
先週(19日)はゲストの大橋巨泉氏も同様のことを指摘していました。
「まるで自民党が付けそうな名前だ」
「自民党は国家のための政党。対して民主党は、人々の側の政党ではなかったか」
「漢字は表意文字。本当に国民のために政治をやろうとしているのなら、こんな字をあてるはずもない」
「一体、誰が決めたのか?誰もおかしいと声をあげなかったのか?せめて藤井さんはこれはまずいといわなきゃ。菅さんが変更もせずそのまま大臣になるのならがっかりだ」
「自分だったら、万機公論にかけて、もっといい名前をつける」
などなど。

このような『こだわり』にはとても共感します。
残念ながら、多くの人にとっては、全くの関心外だと思いますが。
平野様、この件を取り上げてくださりありがとうございました。

<平野様>
ご苦労様です。平野さんからは、いつも議会制民主主義の本質を教えて頂き、感謝しています。
さて、鳩山政権についてですが、私は何となく危うさを感じていましたが、平野さんのお陰で、やっと見えてきました。
しかし、平野さんの記事には一部反論があります。脱官僚についての施策ですが、私は事務次官会見の禁止は、当然だと思っています。
何故なら、マスコミと官僚があまりに政治家を軽ろんじてきたからです。
政治家がAで行くと決めても、官僚が「いや、Aにはこんな問題がありまして省としてはBがよろしい」などと平気で語り、マスコミもまた、声高にBがいいと報じる。国民の為にはBがいいのではなく、省にとって都合がいいのがBだったりするので、報じるマスコミの洞察力が肝心なのだが、現在の記者クラブ制度では無批判にもしくは肯定的に役所の意見を伝えないと、出入り禁止になってしまう。
平野さんのいう通り、役人が国民全体の奉仕者であれば、問題ないのですが、現実には省あって国なし、マスコミは思考停止状態で、役所の広報機関と化している現状では、事務次官会見の禁止は、当然だと考えます。
公務員法を改正して公務員幹部の降格ができる様にし、記者クラブを廃止し、たかが一役人が批判的な記事を書いたマスコミを排除することができない環境になれば、平野さんの記事に書かれている理想的な事務次官会見ができるかもしれません。
>「議員立法は原則禁止し、法案提出は原則、政府提案に限ることを決め、同党所属の全国会議員に通知した」<
これは、本当に酷い話です。民主党は今まで議員立法を多数立案して、国会議員としての力量を磨いてきました。議員は法案を作るのが憲法に定められた仕事です。それを縛るとは、何を勘違いしているのでしょう。
政府に入っていない国会議員は、いったい何をしろというのでしょう。
「小沢さんは内閣に入らないので政策には一切関わりません。政策は内閣に一元化します」と岡田前幹事長はマスコミに語りました。要は、マスコミが散々煽った二重権力構造という訳の判らぬものに搦め捕られたのです。議員内閣制では国会が最高機関なのだから、国会議員を政策の策定から排除するなど有り得ないのです。「小沢氏の影響があるのは当然だ。」と言い切れなかった事が鳩山内閣の最大の問題になる気がします。
実際、国会がはじまれば、党を無視しては一日も運営できない事を思い知るだろう。

はっきり言って考え方が古い。
昔と同じ考え方では物事が進まない。戦略局が戦争を思い起こさせるといいますが、戦略局を作ったからと言って戦争がおこるのでしょうか。名前なんぞどうでもいいことで中身が問題なのである。名前等に気を遣って中身が伴わなかったのは今までたくさんあるでしょう。憲法違反なら内閣法制局がNOというでしょう。もう少し柔軟に考えていきましょう。

平野貞夫様

> 第一は「官僚の記者会見を原則禁止する」ことを閣議決定したことだ。反響が多く、なしくずしに変更したようだが、そんなごまかしで政治をやろうとするところに問題がある。そもそも憲法21条の「国民の知る権利」の本質を閣僚の誰もが理解していないことに問題がある。反対する閣僚がいないとは驚く。<
 
 「官僚の記者会見を原則禁止する」ことの目的を考えなければ、済崩し的な変更か、適切な軌道修正かは判断できないでしょうね。

 先ず、官僚の記者会見を原則禁止した目的は、政務(法律の草案や政策の立案)の動きを、信頼性・正確性・適切性を保証できる状況で国民に知らせることを目的としたものだと、私は推察します。

 また、原則禁止とは例外を認めるということであるが、所期の目的を遂行する上で、行政事務に従事する行政官(官僚)が記者会見に同席する方が判りやすい場合または行政官のみの記者会見で所期の目的が遂行できる場合にのみ、担当の国務大臣または政務官が例外を認めるということは必然的な事柄だと、私は思量します。

 尚、情報は、①何事が(What)、②如何に(How)、③何者が(Who)、④何処で(Where)、⑤何時(When)、⑥何故に(Why)の六要素(以下「六何(5W・1H)の原則」と称す)で構成され、情報変化容量を極小化して情報量を増やす活動(以下「情報活動」と称す)の流れは、収集(取材)・伝達{報告)・集積・評価・分析・判断(編集)・開示(配布/報道)・整理整頓・資料(保存)の段階に区分できるが、情報活動は、巧遅は拙速に如かず又は拙速を聞くとも巧遅に賭さずであり、何事が生起したかについての情報量は最優先されるが、何故に生起したかに至っては永遠に謎な場合もあり得るので、情報の信頼性・確実性・適切性を高めるために、各要素は前記①、②、…、⑥の順に優先されるべきだと、私は思量します。

> 官僚(事務次官クラスが狙いか)という政治に従属する立場とはいえ、その職務について記者会見を求められたなら、応じることが国民の知る権利を保障することである。問題によって守秘義務があることは当然であるが、閣議という政治の場で官僚の記者会見を禁止することは、明らかに憲法に抵触することだ。<

 国民に知らせる情報の信頼性を保証するためには、政務に関する一次情報は、当該の事柄についての責任と権限を有する閣僚または政務官(政治家)が記者会見で発表するのは当然であり、一次情報の情報源が責任と権限を有しない行政官(官僚)であるということは、情報の信頼性が損なわれます。

ましてや、官姓名を曖昧にした行政官(官僚)が発表する情報は信頼性が乏しく、恣意的な世論誘導をもたらす危険性が高いことは、「検察幹部」や「捜査関係者」が、頻繁に「マスゴミ」に漏らしたと思しき情報の社会的な影響の大きさで、現に実証されていると、私は思量します。

 因みに、一次情報の裏付けを取るために記者が特定の官僚と会見した二次情報を、匿名で発表することも必要でしょうが、一定の場所に記者を集めて説明や質疑応答などにより情報を提供する「記者会見」でそれをやるのは、常軌を逸していると、私は思量します。

 勿論、行政は、政務と行政事務とで成立するものであるから、行政官を闇雲に排除することは因果の道理を否定する邪見に過ぎないでしょうが、政治目的の遂行の障害・妨害となるような官僚の記者会見を閣議という政治の場で原則禁止と決定するすることは、明らかに憲法の範囲内で許可される随意の行為の範疇だと、私は思量します。

> 行政の事務や技術的専門的事項について、官僚が記者会見を求められたら応じて証明するのが憲法の原則である。特別な理由がある場合には、それを断ればよいことだ。<

 行政事務に関する事柄について、行政事務に従事する公務員(行政官・官僚)が「記者会見」をすることは、件の閣議決定による「官僚の記者会見を原則禁止する」ことの対象外だと、私は解釈しますが、所期の目的を踏まえて、不足・不都合な点は、憚ることなく修正するのは、情報管理の常道だと、私は思量します。

 従って、特に計画段階の情報は、①何事が‐何故に(What-Why)、②如何に‐何故に(How-Why)、③何者が」‐何故に(Who-Why)、④何処で‐何故に(Where-Why)、⑤何時‐何故に(When-Why)として、夫々の要素について理由・目的を明らかにした解説(以下「五何-何(4W-W・1H-W)の説明」と称す)をするか、もしくは、理由・目的が容易に推定できるような内容にすれば、情報量が増加して、当該の計画に利害をもつ当事者や関係者が理解し易くなると、私は思量する。

> 原則とはいえ閣議で一般的に禁止するという発想は、まさに戦時中の内閣独裁政治のイメージにつながることである。まして緊張関係のある官僚に余計なことを発言させない意図で、記者会見を禁止させるということなら、何をかいわんやである。公務員の自然権として、最悪の内閣に抵抗する権利があるというのが私の考えだ。<

 思想・信条・良心・表現の自由は憲法で保障されているから、法律の範囲内で許容される随意の行為として、夫々の自然人が意見を発表するのは構わないが、公僕という立場にあるときの「公務員」は自然人には相当しないと、私は思量します。

 「自然人と公務員(法人?)」および「責任と権能」は表裏一体の関係というか、「不二而して二」亦「二而して不二」の関係にあるということを弁えなければ、いくら多くの思量・情報を開示しても「情報量」は増えず、却って減少する危険性があると、私は思量します。

 因みに、「情報量」とは、或る出来事(事象)に関係して入力された情報が、当該出来事(事象)の実相を確定するのに必要な情報の量に対して内在する確率的な満足量を表現するのに用いる指標であり「インフォーメーションエンタルピー(information enthalpy)」とも称し、「情報量=1-情報変化用量」として計算でき、その値が大きければ情報の信頼性・正確性・適切性を増します。

 尚、「情報変化容量」とは、或る出来事(事象)に関係して入力された情報が、当該出来事(事象)の実相を確定するのに必要な情報の量に対して内在する確率的な不足量を表現するのに用いる指標であり「インフォーメーションエントロピー(information entropy)とも称し、「情報変化容量」が大きければ情報の乱雑性・不確実性を増します。

 尚、情報量/情報変化容量を判断するときの「情報」とは、あくまで当該の出来事(事象)が生起し易い/生起し難い確率だけによって決まる純粋に数学的な量のことであり、それが個人・社会にとってどれだけ意義のあるものかとは無関係です。

例えば、「官僚の記者会見を原則禁止する」という事象と、「国民の権利が侵害される」という社会的影響は「情報量/情報変化容量」の算定には無関係ですが、当該事象を起こす目的と原則的に当該事象が起こる状況の確率または例外的に当該事象が起らない状況の確率を明瞭にして「情報変化容量」を減少させて、「情報量」を増やせば、その事象によって、国民の権利が、侵害されるかまたは保障されるかの果報は容易に予測できると、私は思います。

 結論として、実情を適切に取材し、「情報変化容量」を増加させて「情報量」を減少させる因縁となるような「雑音/雑文」の発信は控えるのが、ジャーナリトとしての「識者」の取るべき態度だと、私は思量します。

鳩山総理に平野様のご意見をぶつけて、どのような回答が返ってくるか興味があります。

labo 様(2009年9月26日 09:15)

 「戦略」という語は、①“戦争に勝つための総合的・長期的な計略”のほかに、②“政治・社会運動などを行う上での長期的な計略”という概念を認識する時に、一般的に用いられる表現ですので、戦争に拘るのは異常だと、私は思量します。

 例えば「販売戦略を立てる」とか「最小利益の極大化戦略を展開する」・「最大損失の極小化戦略を展開する」などのように…。

 そもそも、政治や社会運動には「情報戦」の側面もありますので、「国家戦略局」という命名に、私には違和感は、まったくありません。

そう、名前なんかどうでもいい。
ただの記号です。

大橋巨泉、田嶋陽子、竹中平蔵の三人には、政治を語る資格はありません。
国民の投票をコケにした人たちです。(ほかにもいたかな?)

尊敬する平野氏のご指摘ですが、失礼を顧みずやや異論を呈したいと思います。
まず、“国家戦略局の名称は戦争を想起させる”ですが、その懸念は懸念として、国内外の情勢変化が70年前と大きく異なっている現在、新部局の名称(文字面)だけで、その目的・機能を軽々しく断ずることは、早計ではと思います。
また、氏独自の不安として指摘された“官僚の記者会見を禁止”については、官僚が求められたら無条件にこれに応じることが憲法21条に定める「国民の知る権利」に対応したもの、という解釈ですが、政府見解を、氏名を明らかにせず、責任の所在を明示しない会見なら、本質を見誤っていると言わざるを得ないのではありませんか。
さらに、“議員立法禁止通知”に関しては、平野氏も、議員立法はあくまでも国会審議を活性化するためだったとするなら、民主党議員に限った「立法禁止通知」ですから、これまた目的のための方便で、その運用を規制するのも国会運営の手法と解釈できないのでしょうか。従って憲法41条(国会は国権の最高機関)に反するとは思えず、憲法の原理を冒涜する行為とも思えないのです。
ともあれ、すでに死滅したと思っている日本の“社会の木鐸”が、一日も早く再生してくれることを心から待ち望んでおります。失礼はご容赦ください。

平野様 教えて下さい。
このことは小沢幹事長が議員必見と通達された各省政策会議の新設と関係あるお話ですか、すみません頭悪いモンで誰でもいいです教えて下さい。

「国家戦略局でなぜいけない?」
本稿の論説には共感できない。「国家戦略局」という言葉が「軍国主義」と結び付くというのは、ある特定の年齢層の方々が抱く妄想であろう。国を運営していくために戦略が必要であることは言うまでもないことで、世界中で「国家戦略」のない国があったら教えてほしいくらいだ。私に言わせれば、昭和の悲劇は明快な国家戦略が欠如していたが故に生じたものである。平成に入り国家戦略が再び不透明になってきており、「国家戦略局」創設は適宜を得たものと考える。
 少し長くなるが、日本人は明治維新が大好きだ。しかし、戊辰戦争という内戦で多くの国民が苦しまなければならなかったことについて「明治維新は国民に惨禍をもたらした」とは言わない。ではなぜ第2次世界大戦について語る時には「戦争の悲劇」を強調するのか。答えは単純で「戦争に負けたから」である。勝っていたら、これほど「戦争の悲惨さ」は強調されなかったであろう。「国家」「戦略」「情報戦」などというとすぐに「軍靴の足音が聞こえる」「戦前回帰はもうこりごり」という反応がおこるが、これは終戦の日で思考が停止した状態が続いているとしか思えない。
 一番大事なことは、「なぜ負けたのか」を分析することである。あれだけの総力戦を戦った結論が「戦争はもういや」だけでは情けないではないか。我々は、第1次世界大戦において連合軍側であった。しかるに、わずか20年後にその連合軍を相手に勝算のない戦争に突入した原因についてよく学ぶ必要がある。ビスマルク曰く、「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」

今回の平野さんのコメントはちょっと説得力がありませんね.

名前が変だと文句を付けているだけに聞こえます.要は中身をどうするかで,多分,国家戦略局は必要ないと思っているんじゃないですか?それと,事務次官の記者会見にしたって,省庁のトップである大臣がすることに変えただけであって,それがなんで憲法論議になるのですか?

今回の平野さんの主張はなにか政治的なものを感じます.

平野貞夫様

> 第二は「民主党の議員立法禁止通知」である。報道によれば与党の二元的意志決定を一元化するため「議員立法は原則禁止し、法案提出は原則、政府提案に限ることを決め、同党所属の全国会議員に通知した」とのことだ。これが事実なら著しい憲法違反の行為である。憲法59条1項は「法律案は、…、両院で可決したとき法律となる」と規定し、立法権のすべてを国会にゆだねている。<

 「議員立法」というのは、“国会議員の発議による法案を成立させる”ことを指すが、「議員立法の原則禁止」という通知の趣旨は“国会で採決することにより法案を成立させることを原則として禁止する”という意味ではないことは明白な事実ですよね。

 因みに、憲法第41条に「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と規定していますが、法案を提起する権能については特別の規定がありませんが、民主党(または連立与党)が、二元的意志決定を一元化するため「所属議員が法案を提起することを原則として禁止し、法案は原則として政府提案に限る」という方針を決め、同党所属の全国会議員に通知することが、如何なる理由で、憲法違反の行為になるのでしょうか?

 「政府が提出した法律律案でも、両院で可決したとき法律となる」というのは厳然たる事実出会うから、「所属議員が法案を提起することを原則として禁止し、法案は原則として政府提案に限る」という方針は、憲法59条1項の規定に反しているとはいえないと、私は思量します。

 尤も、民主党議員が法案を提起したいならば、政府が法案を起草するときに関与することができるでしょうし、また、党派横断的な法案を国会に提出する場合は原則の適用対象外として例外を認めれば、憲法の条規を遵守する上で、なんら障害・妨害にはならず、寧ろ、政官業の癒着を断ち切るためには有効な手段であると、私は思量します。

> 一方、憲法72条は「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し…」と規定し、「法律案」と「議案」を区別したのだ。その結果、内閣には「法律案」の提出権はないと解釈する学者や政治家が大勢いた。明治憲法以来、法律案の提出を独占していた政府は、内閣法5条で政府に法律案が提出できるようにしたのである。<

 そのあたりの学問や知識についての薀知苦は、私の領域外ですが、「議案」という語は、一般に、“会議で審議・決定するための原案”または“議事の対象となる案件”という概念を認識する表現に用いますので、「法律案」も「議案」の範疇に含まれると、私は思量いたします。

 然し、「法律案」と「予算案」および「条約の締結に必要な国会の承認に関係する議案」などでは、審議・決定の手順が異なるので、明確に識別できる語を用いて憲法の条文を規定するのは当然だと、私は思量します。、

 結論として、大衆通信媒体が垂れ流す「マスゴミ」を只管に信ずることなく、実情を適切に取材したり、考察したりして、「情報変化容量」を減少させて「情報量」を増加させるような「雑音/雑文」を発信するのが、ジャーナリトとしての「識者」の取るべき態度だと、私は思量します。

平野様何時も御苦労さまです。
さて、官僚の記者会見原則禁止問題ですが誤認があるように思われます。
民主党が決めたことを正確に書きますと・・・・
「府省の見解を表明する記者会見は大臣等の政が行い事務次官等の定例記者会見は行わない。但し専門性、その他の状況に応じ大臣等が適切と判断した場合は官が行う場合がある」
このように言ってるのであって一般的な記者会見等を禁止しているのではないのです、府省の見解を表明すると言ってる以上それは担当大臣等の政が行うべきものであり官僚が発言してよいことではないとするのが正しい。
これを無原則に認めてしまうと政を無視して府省の見解を自由に言えてしまうこととなり会社で言えば社長が複数人いる状態となり統制が取れなくなります。

「万年恥掻斎に同感」
本稿に共感できない部分が多いため2つに分けて意見を述べたい。
 万年恥掻斎氏ご指摘のことはすでに報道されている。この政策会議ですべての民主党国会議員は政策立案に意見を具申することができるはずである。それを勘案して政府として一元的に法案を出すということではないのか。民主党議員が立法に携わらないというのは間違った情報であると思うが、平野氏のご意見は如何であろうか。
 また、次官会見中止というのは、官僚はinformationを取り扱うべきという民主党政府の基本方針の表れなのだと理解していた。どこかの官僚が「天気予報や地震情報の会見も中止」などという揚げ足取りをして喜んでいたが、馬鹿じゃないかと思った。「国民の知る権利」なら大臣・副大臣会見で十分で、次官会見中止が憲法違反などという論を聞かされると、平野氏が本件についてどのような理解をされているのか逆に質問したくなる。
 情報にはintelligenceとinformationがある。官僚が公開できるのは後者のみである。前者の公開は政治家の判断でのみ行わなければならない。それが今回の次官会見中止の要諦と理解しているが、もし違うのであれば平野氏にご指摘していただきたい。

平野貞夫様

> 民主党の議員立法禁止の理由は「政策決定がスムーズになり、族議員の誕生を防ぐ」としているが、衆院事務局に勤めていた私としては看過できない。「政策決定がスムーズ」であることは民主政治の基本ではない。スムーズが必要なときもあり慎重さがいるときもあり、状況判断の問題だ。「族議員の誕生を防ぐ」とは、そんなに同志を信頼できないかといえる。<

 人間に「貪・瞋・痴・疑・慢・悪見」という六つ要素を根本とする煩悩が存在する限り、仲間といえども、自分自身でさえも過信するのは禁物であり、不具合・不都合・不適合が起こる前から予防処置・ポカ除けの工夫を配慮するのは、品質運営体制の初歩的な要求事項であると、私は理解しております。

 現実に族議員の弊害で失敗した事例が存在するのですから、「失敗から学ぶ」ということは成功の糧だと、私は思量します。

「官僚による記者会見原則禁止」についてあたかも「国民の知る権利剥奪」に見えるようにしむけたのは官僚であって、それに飛びついたのがマスコミであり、評論家達だ。そしてこれはまずいと政府側になし崩し的に方針変更させたように見せかけてもいるが、そこが官僚の作戦であり、古くからの行動様式である。なし崩しもなにも、もとから必要に応じて官僚が記者会見を行うことになっているのだ。方針変更も何もない。これが発表された9月16日の閣僚懇談会申合せには「官僚による記者会見原則禁止」などという文言はそもそも存在しない。平野さんが今まださらに、官僚に騙されているという構図になってしまっている。

拙者,先に高野論説9月4日;こらは明治維新以来の「革命」である;に於いて,国家戦略局なる発想の背景に見え隠れする僭越(単なる浅慮?)への危惧を述べた者であります。その折は御婦人とお見受けする匿名氏,只の御一人から,拙者の危惧に同意がよせられた儘に打ち過ぎました。
此度,平野氏が話の糸口にせよ,この点に触れられた事で,THE JOURNALに群がる,些か狂信的とさえ思われる諸賢に迎合するかの様な施策を民主党が採り続けるならば,行き着く先は全体主義国家かと懸念を深める処です。
先に,小沢氏シンパらしき元議員殿が,市民革命等と年甲斐も無く声高に叫ぶには,自重を求めましたが,平野氏には友人たりとて小沢氏を熟知されるなら,此処に集う問題意識旺盛な若き世代の諸君に,小沢氏に付従いて行き着くであろう先の危うさを語れかし。鳩山様のお坊ちゃまには,残念ながら自己満足に溺れるのみにて,先を憂えるだけの深き思考は期し難しと存ずる。
我等老人組が,訳知り顔で若者を鼓舞(扇動?)した挙句に行き着く先は,恐怖の全体主義,TYRANT様の専制支配たることは歴史の教える処。
拙者老い先短い身なれば,災いを後の世に残すこと無かれと慎み居りたるが貴公や如何に。

◎民主、議員立法を原則禁止 全国会議員に通知

政府・与党の二元的意思決定を一元化するため、議員立法は原則禁止し、法案提出は原則、政府提案に限ることを決め、同党所属の全国会議員に通知した。政策決定がスムーズになり、族議員の誕生を防ぐといった効果が期待されるが、政治主導が不完全なままでは従来の政府見解にとらわれて自由な立法活動が阻害される可能性もある。…一部抜粋asahi.comより

◎政府・与党の政策決定システム 「各省政策会議」新設 小沢氏通達

政府機関で、副大臣のほか政務官、各省に対応する衆参両院委員会の与党委員で構成し、その他の与党議員も参加可能とした。
政府側が政策案を説明して意見交換するほか、与党議員が政策提案を行う場とする。政策の決定権は持たない。副大臣が会議内容を閣僚に報告し、透明性確保のため議事録要旨を公開する。…一部抜粋産経新聞より

この2本で族議員の防止、意思決定の一元化と、議員の立案を政策立法化すること両面を補填し合えているとは言えないのですか。

頭のいい人がいろんな切り口で既に指摘されているのでもはや感想しか残りませんが。

本稿はしっくり来ません。なにかの布石かとかんぐります。たとえそうであっても本稿の展開は無理スジと思います。平野さんらしからぬというところです。

とはいえいついかなるとき何にでくわそうと謙虚に細心に(しかるのちに大胆に)をモットーとしておりますので頭の片隅に泳がせておくことにします。

私も国家戦略局という名前を聞いて、ぎょっとしました。完全な戦後生まれです。

平野さんのような大ベテランがこういう一見些細なこと(実は些細ではないと思うが)に目を向けて下さってうれしいです。名は体を表す。政治とは生活である、に共感したのに、いきなり国家戦略局とは、一種の裏切りではないでしょうか。民主党議員はこれをみて誰も異を唱えなかったのでしょうか。企業ならともかく、国家と戦略が結びつけば、連想するのは戦争です。  

「孫子を読まれたら?」
たけ氏のご意見に対して一言。国家戦略を理解するには孫子を一読されることをお勧めします。
 孫子は兵学書と言われていますが、政治の本とも言えます。孫子は「戦わずして勝つ」ことが一番素晴らしく、そのためには「一番大事なのは敵の謀略を阻止すること、次に大事なのは敵の同盟関係にひびを入れること。下策は実際に軍隊を動かすこと」と言ってます。このように、国家戦略とは外交のことであります。現代では、それ以外にも経済や環境、医療・福祉など多岐にわたり国家戦略が必要になってきています。
 国家戦略イコール戦争というのは、戦後一貫してマスコミ(米国?)によリ行われたプロパガンダです。「国家戦略を語るなんて君たちは右翼か!」というわけです。そのため日本人は「戦略白痴」にされてしまった感があります。
 ご参考までに、このあたりについての孫子の記述を下記に抜粋します。孫子のすごいところは、兵学書であるにもかかわらず、冒頭で「兵者國之大事(戦争というのは国家にとって重大なことですよ)」と言い切っているところです。

孫子曰、凡用兵之法、全國爲上、破國次之(中略)是故百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也、故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城(以下略)

政府はこれから国内戦争(政治・経済などの)をするわけですから、戦略局ができるのは当然だと思います。

我が国は、恐らく戦前から戦略という考え方はあまりなかったのではないでしょうか。不勉強な若輩者が、先人に対して余りにも失礼なので申し上げにくいのですが、戦略的なものの考え方があれば、日米開戦もあのような形ではなかったでしょうし、敗戦処理(出口戦略)も、もう少しダメージを少なく出来ていたのではないとか思います。

戦略局(部、課、係、グループ)の設置、戦略的考え方など、企業経営においてさえ日常的なものですから、今日のような世界的規模での経済破綻、また国家経営の非常時において、国家戦力局というネーミングこそ、勇気を与えてくれるものとして受け入れております。

戦の文字に外国との戦いを想起されるのも理解できますが、今後そういう事態が起こるとしても(誰も望んではいませんが)戦略局ができたからということではないでしょう。
少なくとも、このたび政府に設置された”戦略局”では、諸外国と”いくさ”ができるようには思えませんが、、。

「国家戦略局」は、これまでの日本が「戦略なき国家」であったという現状認識からきているのではないでしょうか。
菅さんなりが、ネーミングの由来を説明した方がいいかも知れませんね。

政治の表も裏も精通されておられる平野氏の今回の発言にはびっくりです。この処置は妥当ものではないでしょうか。もし不都合があるなら、改善すれば済むようなことではないかと思います。旧自民党政権下が余りにも酷く腐敗政治をもたらした。

第一の「官僚の記者会見を原則禁止する」:旧自公政権下では政治家はあぐらをかき、政策を官僚に丸投げし、閣議も事務次官会議で事前決定されたものばかりであり、担当事務次官が政治家の代わりとばかりに、記者会見を行ってきた。

いかがわしい慣例と思うが、重要な政策を官僚が作成してきたのであるから、政策に関わる記者会見を官僚が行って何が悪いと思っているのではなかろうか。問題は記者会見の内容である。行政府の官僚の役割を超えていたことである。旧自民党政権下で各省庁担当大臣がだらしなく金魚の糞のようになっていたところに原因があったのだが。

政策に関わる記者会見は本来、立法府の責任ある担当大臣ないしは副大臣が行うべきものである。政治主導のもとで決められた政策の実施段階において、官僚が技術的詳細なこと、あくまで行政の詳細を国民に伝えることに徹するならば、何ら官僚の記者会見は問題はない。この程度のことは誰でもすぐにわかりそうな事ではないでしょうか。

第二は「民主党の議員立法禁止通知」:族議員と官僚、関係民の癒着により、これまで政治を大きく歪ませてきたことに対するあるべき処置である。族議員が官僚と組み、勝手な立法化を提案することを禁止することはなんら問題はない。今後、民主党連立政権下では関係党の議員が立法化案がある場合、大臣、副大臣、政務官等と協議、議論する道を経由していくと説明されたと記憶しており、議員の立法化が禁止されたわけではありません。あくまで、これまでのように族議員が勝手に官僚と組んで癒着要因をはらむ立法化を禁じただけのものであると理解しています。

国家戦略局 に違和感を覚えた者のひとりです。 朝日新聞の投書を読み、ほんの少しでも戦争の匂い感じさせる言葉に敏感に反応する、せざるをえないひとがいることに我が意を得ました。 平野さまがそういう国民、市民の小さい声に目を留められ発言されたたことは、さすがだとたいへんうれしく思いました。 国家経営戦略局
と経営の二文字がつくと、そのイメージをこわさず、すんなりと胃の腑落ちてきます。・・・田中康夫さんを連想しますが、これなどは大変優れたネーミングだと・・・。いかがでしょう?

「官僚主導から政治主導へ」が全ての錦の御旗になっている感があります。もちろんその方針は進むべく道として正しいと思います。しかし「政治主導」を叫ぶあまり、焦って議会制民主主義の本質を見誤るな、というのが平野さんの主張でしょう。
民主主義って結構めんどくさいシステムです。何をやるにしても、コンセンサスの形成と手続きは重要だと思います。
「官から民へ」、「改革を止めるな」のスローガンを叫び、その具体的中身を国民にさして説明せず手続きを無視し続けたのが、かの小泉純一郎元総理です。彼が去った後には何か残ったか?、結局「改革」って何だったのか?と、言わずもがなでしょう。
官僚主導から政治主導でどう変わるのか?国家戦略局って何をするのか?、やはりもっと掘り下げる必要があります。
功を焦る必要はないです。まずはあらゆる「情報公開」から始めればいいと思います。自ずとどこから手をつけるべきか答えが見えてくるでしょう。
鳩山内閣は、全員野球ができると信じたいですが、目立ちたがり屋で、パフォーマンス重視、かつ野心家の方がいるようで、少々心配です。功を焦らずイラつかず協調して仕事をしていただきたいです。
願わくばかつて排除されるべくして排除された「夢民親父」のようなことにならないよう祈るばかりです。

片言隻句に拘るは本意ならずも,孫子までもが引れては老孫たれば看過ならず一言。
孫子計篇に兵者危(正しくは言遍に危)道也と有るを先ず見るべし。此れに先立ち老子の曰く夫佳兵者 不祥之器とあるをも見らるるべし。
戦略Strategy とは紛れも無き軍事用語,されども国家の方針と方策Nationl policy & strategyを言うに当たり,英国は戦略に敢えてMilitary strategyを造語したるかと憶測する。
経営用語として戦略と言う語は一般化しているとの指摘も見られるが,凡そ創業者をして経営戦略等と大仰な言辞を吐いた御仁を拙者は不幸にして知らず。
其れなりに成熟した企業の中にBureaucracy蔓延る段になると威勢の良い事を言いたがる向きが現れ,戦略戦略と言い募るが常。商売敵の有る身ともなれば已むなしとするか。
代議士諸君も選挙戦とて対立候補と争うともなればついつい,出陣式だとか,選挙参謀等の軍事用語が踊り,集票戦略が練られる仕組み。
戦略とは言ってみれば政治家ならぬ三文政治屋の常套用語たるか。
俄に掻き集められたる民主党議員のお里が知れると言うもの。慎むべし。
国家の大計に与る重責を如何と心得られるか,自問されて然るべし。言葉は大切ですぞ。

平野さんには、我々と違って平野さんにしか出来ないことを希望します。
>内閣の都合のため国会議員の立法権という基本権を侵し、内閣が政策決定を独占するのなら、憲法41条(国会は国権の最高機関)に反することになる<
平野さんがこのような事実認識と民主党構想への反論を持っているなら、何故、小沢幹事長に「各省政策会議」について問い質さないのでしょうか。平野さんなら出来ますよね。
その上で、それでもこの構想には反対なら反対だと表明して頂きたい。
(今回の論説には何故か、小沢幹事長にも各省政策会議にも一言も触れていませんね。)

 ここ数ヶ月の「のりぴー事件」等の無節操な捜査情報のリークは公務員の守秘義務に反して、大量に為された。「官僚の記者会見を原則禁止する」は公務員の本質からして誤りであるとは思えない、官僚が記者会見で世論を誘導しようとした事象は多々ある、国民の知る権利を保証するなら「沖縄密約」等など情報開示の法令をキチンとするべきだ。平野さんの「戦時中の内閣独裁政治」へのトラウマは理解できるが、当時の政治がどのように独裁を為しえたかの検証どうなのだろう、東京裁判で済ましただけで、日本人自身が国会で総括したのだろうか?
 民主党の現在の行動を当時の状況に比肩するはかなり違和感があります。

新政権が軌道に乗ってから、国家戦略局というネーミングが我慢出来なければ再考しても少しも遅くはないと思います。今はもっと急ぐべき大切なことがあるのではないでしょうか。

肝心なことは、この部局で今後、これからの日本が向かう中央集権から地方主権、すなわち市民の、市民による、市民のための地方主権実現に向け、あるべき国家使命とビジョンを決定し、それに基づくロングレンジでの分野別政策目標、戦略、そしてアクションを各省庁の大臣、副大臣、政務官とどのように擦り合わせていくかが問われているように思います。

国家戦略局は大変挑戦的であり、今後の日本の進路を決める大変重要な舵取りをやるところだと思います。楽しみにしております。

■平野論説に胡散臭さ感じます■

「公務員の守秘義務」というのをご存知ですか,
これは「国民の知る権利」を冒涜する法律ですか?
全体的に針小棒大の論説だと思います.
ご自身が現在も小沢側近の民主党員とおっしゃりながら,このような「国民の前で民主党の内紛を暴露する」形式を取っていることに,胡散臭さを感じます.
最も戦略的なのは平野さん自身ではないですか?

 私は官僚の記者会見禁止には違和感を覚えており、反対です。
 タダでさえ少ない官庁の情報が情報収集を怠り、政府発表をそのまま報道する談合メディアの記者達の劣化により、ますます、政権(官僚を含む)にコントロールされるの恐れがある点です。
 記者会見時の官僚の発言で政策に対する批判等政治的発言があればその場で対処すれば済む話で、何を恐れているのかわかりません。
 フリーランス等記者クラブから締め出されたジャーナリストが記者クラブの廃止について「公(口)約違反」と早速非難しています。知る権利からすればオープンにすることもジャーナリストを平等に扱う面では一歩前進でしょう。
 フリーランス等記者を会見に出席させれば全の情報問題点等が明らかになるかのごとき論調ですが大変疑問です。
 取材を希望し、記者会見に出席するフリーの記者達が少なくとも会見で取り上げられる事項、或いは自分で取材し取り上げたい題材がある場合、その問題点を認識し、自分たちの持っている資料や、根拠を基に適切な質問ができるかどうかです。
 政府(官僚を含む)に緊張感を持たせるだけの技量や能力が質問に当たる記者クラブ所属記者であろうと、フリーの記者であろうと取材能力の問題です。
 平等な取材の機会という制度論と、記者の取材能力とは別次元の問題だという点を指摘しておきます。
 議員立法禁止の件ですが、政権与党であれば同じ問題で議員立法を行う必要はないし、副大臣との政策協議の場が設けられるということなので特段問題は無いと思います。また議員側独自で作成した法案も協議を通じ政府提案にして提出すれば済む話です。協議不十分で提出された法案の場合、必要なら国会で修正すればその可能性は否定していません。
 また、議員の身分や政治資金等議員に関するものは議員立法で行うと。
 政権として行う政策は原則政府提案で、政策の実行にかかわらない部分は議員立法でという住み分けで問題はないと思う。
 超党派での提案の場合(野党の政策に同調する場合等)はどうなるのか若干の疑問点は残りますが、試行錯誤するのも政権交代のなせる業ではないでしょうか。
 

「官僚の記者会見禁止」ではなく「事務次官の記者会見禁止」と仄聞しておりますが、聞き間違いでしょうか?
これを気象庁の地震会見やインフルエンザの情報公開などはどうするんだとか、果ては嫌がらせとしか見えない駐外国大使の現地の記者会見まで止めさせるような「暴挙」に出る、官僚の抵抗のほうが無残です。
実際に直接民生に必要な情報は、次官会見からは遠いものです。

それでも平野さんが仰るとおり、事務次官の会見だって行われて然るべきことで、これを潰すのはやはり憲法に抵触すると思います。しかし、法律として次官の会見禁止を定めようというわけではなく、民主党による「政治主導」を進めるためのいわば「お願い」なわけですから、次官が受け入れるなら当面は様子を見るかということじゃないでしょうか。
憲法に抵触ということなら、これまで次官会議で閣議に上げる議案が決まっていたのも、議院内閣制からすれば正しい手続きだったとは思えません。

メディアからすれば会見が減ることは情報源が減ることですから、歓迎できることではないと思いますが、会見に頼らず足で情報を稼ぐ姿勢を取り戻すことのほうが、「知る権利」にとってはよほど重要ですので、次官会見の禁止で起きる実害は、法的秩序はともかく、そう大きくないのではないかと考えます。

「国家戦略局」は、わたしも最初に聞いたとき、何でそのネーミングなの?と感じました。もはや戦後ではない時代の後の生まれですが、感想は武蔵野市のご夫婦と同じです。武蔵野市といえば菅副総理の地元ですね。そのへんは朝日のイヤミかもしれません。
経営戦略みたいなもんだというのは、いかにも松下政経塾っぽいですね。確かにいまロジスティクスを「兵站」と解釈する人は少ないですから、戦略(ストラテディ)イコール軍事ではないかもしれません。しかし、漢字文化圏の諸外国、中国、台湾、韓国などに対し、それで通るかは疑問が残ります。
中味も定かでないうちに、看板にあれこれ言っても不毛な気もしますし、タイトルなんか後で変えてもいいでしょう。というか、むしろきっと変わるに違いないと思っております。

まだ政権スタートから一月も経っていないのですから、世間はあまり神経質にならんでもいいじゃない、というのが私見ですが、平野さんのような「身内」が身びいきせずに、厳しくチェックされるのは大変けっこうなことと思います。
これからもがんばってください。

mochizuki様

大橋巨泉氏の言葉を引用して偉そうに書いてしまいましたが、永六輔氏の「国家戦略局というネーミングはどうにかならないか」との発言とその理由を聞くまで、私は微塵も違和感を感じていませんでした。
その後ラジオのリスナーから参同の意見が寄せられ、(この番組はリスナーの年齢層は高いです。またラジオネームを使わず堂々と名乗って投稿する人ばかりなのがスゴイです。)『言葉の使い方』に(いい意味で)うるさい永氏だから指摘したのではなく、間違いなく嫌悪感をもつ人々が存在すると分かったのです。
きっとあと10年、20年したらこういう声はもう上がらないだろう。言葉から忌々しい記憶を連想してしまう方がいるということを見過ごすわけにはいかないと感じたのです。
深く考えたわけでもなく、単なる自己満足の偽善かもしれません。
名前より、中身が肝心です。

貴重なご意見をいただきありがとうございました。

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Profile

平野貞夫(ひらの・さだお)

-----<経歴>-----

1935年、高知県生まれ。
法政大学大学院政治学修士課程終了。
衆院事務局に入り、副議長(園田直)秘書、議長(前尾繁三郎)秘書などを経て委員部長となる。
1992年、参院高知地方区で当選し、小沢一郎と行動を共にする。
2004年、参院議員を引退。
以降、言論執筆活動に専念する。

BookMarks

-----<著書>-----


『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』
2010年1月、幻冬舎


『平成政治20年史』
2008年11月、幻冬舎


『虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実』
2006年9月、講談社


『ロッキード事件「葬られた真実」』
2006年7月、講談社


『公明党・創価学会と日本』
2005年6月、講談社

→ブック・こもんず←



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