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2009年7月27日

「友愛と共生社会」の実現へ(1)

 世の中には想定外のことが本当にあるものだと驚いた。6月26日、日本でもっとも伝統のある「交詢社」の午餐会に招かれた。福沢諭吉先生の発想で明治13年に創られた社交クラブである。平成時代になって20年間「自民党を壊すこと」を生き甲斐としていた私から、財界の重鎮が話を聞こうと言うことであった。世の中は変わったと思った。

 もっとも、政治の話ではなくて、テーマは「ジョン万次郎に学ぶ〜日本の近代化・国際化の原点〜」であった。私は、良い機会だと思い「友愛」の理念は、ジョン万次郎が米国から持ち込み、福沢先生が育てようとしたものであること。明治時代に憲法や国会を導入する際、この思想が活用されたことなどを話した。

 さらに「友愛」の思想の原点は、キリスト教の異端派といわれる「ユニテリアン派」の思想であると説明し、明治初期には政府も民間(福沢先生ら)も、米国からユニテリアンの宣教師を招いて、日本人の強化に役立てようとした。なお、万次郎は日本人でユニテリアンの第一号であった。

 実は、明治21年に福沢先生のお世話で、ボストンからユニテリアンのナップ宣教師が来日する。同4月15日にナップ宣教師は「交詢社」で『ユニテリアンの教義について』講演した。「交詢社でユニテリアンについての話をするのは、121年ぶりです」と、私が語ると、会場からどよめきが起こった。

 私は講演の最後を次のように締めた。

「この間、鳩山由紀夫さんが民主党代表になったとき、『友愛』を政治の理念にする、と宣言した。朝日新聞が『人間離れした、宇宙人のような話だ』と批判した。これは問題である。鳩山代表の祖父・鳩山一郎氏は、ユニテリアンのエマソンの『人類愛』と孟子の『惻隠の心』を調和して『友愛革命』という運動を展開しようとした。混迷が続く日本で、こういった理想主義的な思考の論議を行うべきではないか。共に生きる、共に幸せになる資本主義社会の新しい柱をどうやって建てるか、これがいまの日本人に迫られている。私たちは、幕末・明治時代、先人たちがどのように悩み、苦労をしたのかを学ばねばならない」

 この話を先日高野孟氏にすると、「友愛の理論」が国民に理解されていない。「友愛」は「自立と共生」理論の原点であるので、THE JOURNALで「友愛の歴史や理念」を連載しようということになった。

■友愛の原点はユニテリアン思想にあり
 
 日本人で最初のユニテリアンは、ジョン万次郎であった。天保12(1841)年、14才で漂流し米国の捕鯨船に助けられ、米国で勉強し、捕鯨船の副船長として活躍。難儀する人や困った人を助けることが大事だと考え、鎖国の日本に開国を訴えるために帰国する。そして日本の開国と近代化・文明開化に努力を尽くす。地位を求めず、富を求めず、名声を求めず、生涯を貫いたのは「人間愛と隣人愛」であった。そして「人間を育てること」を生き甲斐とした。

 このような万次郎の信条を支えていたのは何であったのか。それは、異なった宗教、異質の信仰を融合できる感性にあった。その感性はスンダランド文化を源流とする故郷足摺岬に残る縄文古神道が生んだものである。万次郎はその基盤の上に、仏教・儒教・キリスト教という人類の遺産といえる信仰を抵抗なく生活体験の中で受け入れたのである。さらに万次郎の感性を一層高めたのは、米国で学んだユニテリアン協会での信仰であった。(続く)

2009年7月18日

『わが友・小沢一郎』の出版

 しばらくご無沙汰していたのは、緊急出版で幻冬舎から『わが友・小沢一郎』を刊行するためであった。7月15日校了、8月6日には東京、7日以降各地の書店に並ぶことになるので、よろしく。

 そこで、「まえがき」の要旨を事前に公表し、執筆の目的を述べておきたい。

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   東京都議会選挙の惨敗から始まった自民党の崩壊現象は、麻生太郎首相だけの責任ではない。戦後政治の中で自民党が放置してきた政治的廃棄物処理を怠けていたからである。

 民主党の国会議員たちが、したり顔で浮かれて、身のまわりに迫っている政党政治の危機に気がつかなければ、政権交代はできない。

 確実にいえることは、明治23年から120年続いたわが国の政党を中心とした議会政治が限界にきているということだ。自民党の崩壊は誰の責任という次元の問題ではない。歴史・時代の要求であり、情報社会では、これまでの政党中心の議会政治では主権者である市民・国民を納得させることは不可能となったのである。

 平成元年8月、自民党幹事長に就任した小沢一郎は、「このままでの自民党では、日本は行き詰る。米ソ冷戦の終結という国際情勢の変化や、資本主義の変質に対応できる国家をつくるため、政治の仕組みを改革しよう」と発想し、まず、着手したのが「自民党改革」であった。それが派閥抗争とか権力闘争に間違えられ、自民党を離れるようになった。

 平成12年4月、森喜朗政権が談合クーデターで成立して以来、日本で議会民主政治は機能していない。その極め付けは、麻生政権の「政権交代恐怖症候群」である。検察・警察という国家権力を表と裏で利用して、野党第一党代表の公設秘書を前例のないやり方で逮捕した。マスコミを使った「検察ファッショ」を見せつけられた市民・国民は、将来の生活不安と連動させて、政権交代の必要性を熱望するようになった。

 本書は、平成時代の20年間、「剛腕」「壊し屋」と批判の渦の中で生きてきた小沢一郎の人間としての実像を、私の立場で解剖したものである。何故この時期にこのような憎まれ作業をしたのか。それは、自民党の崩壊は政党政治の崩壊であり、これから始まる混乱は日本の議会政治の崩壊につながると、直感したからである。

 政党に代わる議会政治の主体を創造しなければならない新しい時代になった。そのためには、小沢一郎という政治家の感性と能力が必要である。「友愛と共生」の日本をつくるためにも欠かせないのだ。

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 議会民主政治には、政党に権力の正当性を握らせている。かつて自民党はその機能を持っていたので、国民から信頼されていた。麻生政権でそれが消え、検察や警察がそれに代わるようになった。恐ろしいことである。

Profile

平野貞夫(ひらの・さだお)

-----<経歴>-----

1935年、高知県生まれ。
法政大学大学院政治学修士課程終了。
衆院事務局に入り、副議長(園田直)秘書、議長(前尾繁三郎)秘書などを経て委員部長となる。
1992年、参院高知地方区で当選し、小沢一郎と行動を共にする。
2004年、参院議員を引退。
以降、言論執筆活動に専念する。

BookMarks

-----<著書>-----


『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』
2010年1月、幻冬舎


『平成政治20年史』
2008年11月、幻冬舎


『虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実』
2006年9月、講談社


『ロッキード事件「葬られた真実」』
2006年7月、講談社


『公明党・創価学会と日本』
2005年6月、講談社

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