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野武士ジャーナリズムの衰退を憂う
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野武士ジャーナリズムの衰退を憂う

 「本が売れない」--活字離れがいわれて随分たつが、昨年からの不況が追い討ちをかけて、月刊誌が相次いで廃刊になった。店頭から消えた「論座」や「諸君」などとともに、一番残念だったのが「月刊現代」の休刊(廃刊)である。3月末、この「月刊現代」を舞台に書いてきたライター69人が、それぞれの思いを執筆した「現代と私たち」という本を自主出版した。声をかけていただいた私は、大要、こんな内容を寄稿した。

 <週刊誌記者から夕刊紙編集記者、そしてフリーで仕事をしてきた個人的な体験からいえば、月刊誌はライターの腕を磨く「道場」のようなものである。週刊誌や新聞の行数では書き切れない、あるいは記事からこぼれてしまった取材内容や論評を数十枚の原稿にまとめるのは“出稽古”にも似た作業である。一方、雑誌の編集者は道場主の立場だ。あらゆるテーマで稽古を行い、一定の実力がついたなら、「もう真剣勝負も大丈夫だ」と単行本に挑戦させたり。そう、月刊誌は書籍で一本立ちできるまでのジャーナリストの登竜門であり、出版社にとってはライター養成の“武者溜り”のような場所である。その道場が失われることの損失は計り知れない>

 そんな雑誌ジャーナリズムの危機に、さらに追い打ちをかける出来事がおこった。週刊新潮で今年1月から4回にわたって掲載された「実名告白手記 私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した!」だ。連載では、1987年に朝日新聞阪神支局が襲撃されて記者の一人散弾銃で撃たれて死亡した事件について、その実行犯を名乗る島村征憲氏なる男の告白手記を掲載したのだが、これがまったくの虚偽だったのだ。

 連載開始当初から、マスコミ関係者では内容に疑問を呈されていた。そもそも、手記には刑事事件でいう「秘密の暴露」がほとんどなく、新事実についても確認の取れないものばかり。しかも、最後には告白を行った島村氏が、週刊文春や朝日新聞、毎日新聞などのインタビューに対して手記の内容を否定する発言をした。これで、週刊新潮の虚報は確定した。

 島村氏の一連の言動にはたしかに疑問を持たざるをえないが、この問題の本質は、週刊新潮が手記についての裏付け取材をした形跡がほとんどみられないところにある。たとえば、事件後に送られてきた犯行声明について、島村氏は新右翼活動家として知られる故・野村秋介氏に頼んだと語っている。だが、生前の野村氏の側近であった蜷川正大氏によると、島村なる男が野村氏の周辺に現れた事実はない。また、島村氏が右翼を自称してるので、島村氏が所属していた右翼団体の人間とも話をしたところ、犯行時は島村氏は北海道にいたと証言したという。

 蜷川氏が驚いたのはこれだけではない。島村氏が児玉誉士夫の門下生だったという証言について確認するため、週刊新潮に行って事実関係を問いただしに行ったところ、編集部の担当者が持ってきた児玉誉士夫の資料として、ウィキペディアのコピーがあったという。児玉について書かれた書物は世にあふれるほど出版されているにもかかわらず、インターネットの資料が使われていることに、蜷川氏は愕然としたそうだ。

 週刊新潮は、「島村が実際にそうしゃべっているから」ということで掲載したと言っている。だが、これは何ともおかしな理屈である。であるならば、週刊新潮は詐欺師の話でも裏付けなしで掲載するのか。私も正直に言えば、過去には週刊誌と夕刊紙でずいぶんと飛ばし記事を書いてきた。しかし、少なくとも死者の出た話や、歴史的な新事実について書く場合は念入りな取材をしたものだ。

 私が週刊誌記者だった当時、週刊新潮は徹底した取材を行う雑誌として業界内でも一目置かれていた。仲間内では「週刊新潮が取材した後はペンペン草も生えない」と言われるほどで、それゆえに週刊新潮のステータスは高かった。が、こんなことでは雑誌ジャーナリズムが世間から「どうせ週刊誌だから」と思われ、信頼が失わてしまう。冒頭に書いた『月刊現代』の休刊が道場閉鎖による書き手育成の場が失われることの危機とするならば、週刊新潮の虚報は雑誌ジャーナリズムの取材力、ひいては読者からの信頼性の危機である。

 雑誌記者の間では、「新聞は総理をつくり、雑誌は総理を引きずりおろす」というセリフがよく使われる。事実、1974年に『月刊文春』で発表された立花隆氏の「田中金脈研究」が、最終的に現職首相を追い詰めたという実績があるからだ。雑誌ジャーナリズムの神髄とは、ゲリラジャーナリズムとして乾坤一擲を放ち、ときには「一国のリーダーでも引きずりおろす」という気概にある。また、これこそが雑誌ジャーナリズムが持っている大手メディアの発表ジャーナリズムとは異なる“矜持”である。

 であるがゆえに、雑誌メディアにとって『月刊現代』が終止符を打ったことと、週刊新潮のこの雑駁な連載の影響は大きい。日本では数少ない野武士集団によるジャーナリズムが衰退の道をたどらないことを祈るばかりだ。

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コメント (13)

二木 様

TBSラジオ・アクセス、朝日ニュースター・パックインジャーナルなどで拝聴、拝見させていただいております。

今回の小沢秘書起訴問題で、評論家、ジャーナリストの方々の信念が良く見えました。

つまりなんと世論調査に弱いことか・・ということ。

相変わらず高い小沢辞任の調査結果ですが、この中には2つのパターンがあります。

1つ目は現状維持派、または反小沢派

2つ目は政権交代希望なのに小沢氏では勝てない、と考えている方

2つ目は明らかに世間を気にし、風を読みたがる方々、悪く言えば風次第の方々。

評論家、ジャーナリストの方々の中に2つ目の考えの方が少なからずいらっしゃる。これが真に残念でなりません。これではジャーナリズム衰退と言われても仕方ないと思います。

ところが小沢氏本人はこのことを理解して、「現状のままで政権交代できる」と自信を見せている。何故なら、2つ目の方々は、小沢氏続投でも政権交代できると分かったら小沢氏支持になるからです。

明らかに小沢氏の方が上手と言わざるを得ない。

<いい子ちゃん集団になってしまったマスコミ>
広告業界というマスコミの片隅で暮らす者として申し上げます。
私は50代ですが、この業界に入った当時の先輩方は、セクト崩れだとかそれはもう、個性的な方がいっぱいいて、喧嘩して血だらけで仕事している人や、いつも会社にいないけど、なぜかいい仕事をする人とか、それはもう型やぶり集団でした。
今はもう、私がいる中規模代理店~大規模代理店に至るまで、ほとんどお役所化しています。
私たちが接するメディアにおいても、大規模な所ほど役所化してます。なぜなら、彼らは小学校~大学までずっと私立の名門校出身で、親も同じです。
「先生のいう事に逆らわないで過ごしてきたいい子ちゃん」なのです。
彼らにパルチザンみたいな記事が
書けるとは思えせん。「先生のいう事に逆らって何ぼ」の私たちの時代とは、教育環境がまったく違うのです。
当然、雑誌メディアにおいても、昔から日和見の編集長や副編はいたでしょうし、偉くなれば「無事これが一番」ともなるでしょう。従来は若くて、無鉄砲で、血気さかんな若手につきあげられる事で、メディアは時代を生き生きと表現し、先輩に頭を叩かれながら若手の成長もできたのでは・・・。
しかるに、今は輝きを失っている。それは、経営者の問題です。スポンサーや政治家、同じ出版社の子弟を入社させる事を行ってきたツケを払わされているのです。
だだ、出版不況とは雑誌狭義の話ではなく、新聞不況の方がより深刻だと考えています。
雑誌は、野武士の生き残り?だめダメ編集長氏の週刊朝日や朝日ジャーナルはウケています。実際私の所にも媒体雑誌担当から、増刷の報告とAERAも含めた絶好調の動向が伝えられています。
新潮にかぎらずポストも青息吐息ですが、総理を引き摺り下ろす位の気概は、どの記事からも感じられません。
当然です。だって僕たちいい子ちゃんだもん。そんな危ない事しちゃいけません、結局あなたが損をするのよ。とママにいわれて育ってきたんだもん。
誰かと似ていると思ったら、安倍、福田氏の顔が浮かんできた。

<そんなマスコミに誰がした>

 二木さんの論説「野武士ジャーナリズムの衰退を憂う」や投稿コメント
「いい子ちゃん集団になってしまったマスコミ」はほぼ同年代の者にとっては
自分の周辺やその属する組織(会社など)で感じるモノと同じだと思います。

しかしながら、そのようなマスコミにしたのは今や社会(会社・組織)の中枢やトップ
に君臨する60代、50代の”60年安保”や”70年安保”等の政治の季節を身をもって
経験してきた世代ではないですか

社会変革を全共闘等の直接的な活動の場から自らが生活する場(会社・組織)
での個々人としての活動(生活)に移行していったはずなのに、、、
その結果が今の状況でしょう

そして今やマスコミの現場ではその世代が薫陶したはずの後輩や若い部下たちの
世代が中心に成りつつあるのだろう。それが「矜持の衰退」や「いい子チャン」である
とすれば50代~60代の世代の努力がイマイチなだけではないか。

自分たちの世代は立派な道場で上の世代の薫陶を充分に受けてきたくせに
下の世代をキチント薫陶するべき機会を奪ってしまう。それが戦後の第一世代
(50代~60代)なのはどの業界にも散見されるものだ。

大切なのは「矜持の衰退」を嘆いたり、次世代を「いい子ちゃん」呼ばわりを
することではないと思う。

まあ、「そうは言っても」と言う状況があるのは充分理解しますが、なにか
恵まれた世代の昔話を聞かされるのは若い世代は辟易するのではと思います

<自戒を込めて、、、アラカンオヤジ>

<junk-salvage>
おっしゃる通りです。私たち世代が悪っかったんだと思います。
バブルを生み出したのも、このような格差社会を生んだ事も元を正せば責任は私たちです。

週刊新潮は、ずいぶん前からネットから拾ったネタで安上がりな記事づくりをしていました。
商売優先の行き着く先は、「客より会社」です。
米国の医療機関や保険会社、エンロン、食品偽装など、例を挙げればきりがありません。

無論、弱みのない人間などいない。むしろ、弱みのない人間こそ危険だ。
しかし、報道の一端を担う方々までが市場原理主義で行動されては、社会に歯止めがなくなってしまう。
いつのまにか、マスコミ内部にもパラダイム・シフトが及んでいたようです。

本日の小沢さんの会見で、日テレを名乗ったフリーキャスターの七尾氏(親が元官僚)が離党についての質問をしていました。
思惑含みの私見としか思えない質問をあのような大事な場面でしかも公共の電波で行うこと自体、ジャーナリズムもここまできたかと呆れると同時に、名前を名乗らせることを了承していたと思われる日テレには大失望です。
こんなにひどいジャーナリズムで、旧西側国家と我が国は言えるのでしょうか。

>私も正直に言えば、過去には週刊誌と夕刊紙でずいぶんと飛ばし記事を書いてきた。

正直な言やよし、です。
ただ、この後に続くべきなのは「それは恥ずかしいことであり、今後詳細に自分の飛ばし記事について報告し、謝罪したいと思う」です。

>しかし、少なくとも死者の出た話や、歴史的な新事実について書く場合は念入りな取材をしたものだ。

「歴史的新事実」がゲンダイに出たのが幾つあるのかは知りませんが「そういう記事以外は念入りな取材をしなかった」と認める以上、その責任はどーなるの?とお尋ねするしかないのですが。

あと、二木氏のみならず、それを掲載した日刊ゲンダイその他雑誌の組織的病理が問題なのではないですか。同紙の管理職も務めた二木さんが「飛ばし記事」の数多い存在を認めたなら、それについてゲンダイの改革を促すべきです。

ともあれ、この文章は見出しを「野武士ジャーナリズム云々」ではなく

「衝撃告白・私も飛ばし記事を多数書いていた・・・その1」とするべきです(笑)。

もちろんその後の連載を希望。著名ジャーナリストとして活躍される二木氏の過去の行状、たった一行で済む話だと思っておられるなら、それこそが”危機”であり、「野武士ジャーナリズムの衰退」です。

 発表ものの取材に慣れっこになると中身を鵜呑みにする癖がつく。いつしか発表主体の信頼だけが拠りどころとなり疑いもなければ裏どりも省き、当然ながら記事にはジャーナリズムのかけらすら入り込まない。最近の一連の小沢代表たたき報道はその延長線上にあるのではないか。

 新聞取材の劣化が取り沙汰される今日、勢い雑誌ジャーナリストに期待したいがそれも相次ぐ道場閉鎖となるとむずかしく、ジャーナリズムの衰退はまったなしか。こうなったのはどの世代の誰に責任があるというより、そもそもジャーナリストを志す人の「素質」に問題があるような気がする。

 昔よく麦踏みをやらされたが、あの踏むほどに強くなる麦のような人が少なくなったとは思えない。学業成績を偏重するあまり素材を見捨てているのではないか。総理大臣職ではないので常識的な漢字は読めるほうがいいが、文章の巧拙などは現場教育でどうにでもなる。

 読者離れを少しでも緩和する策を講じることも必要だ。社内の記者で間に合わなければ外部のジャーナリストに名入りで執筆してもらい質を高めればいい。権力に取り入って税金を投入してもらおうなどとゆめゆめ考えてはならない。

すでにここがペーパーでない重要なメデアですから、ここのようなサイトジャーナリズムが主流ですね、廃刊誌のライターでここのようにサイトを構築して、集う作家の生活費をどこから生み出すか課題は大きく、希望も大きく膨らみますよな

「政治と金」というテーマで長年記者が記事を書いてきたと思います。政治家にいわゆる汚い金が流れていたこと、流れていることは事実でしょう。しかし、記者の皆さんにも「汚い」金が流れているのです。以前は沢山あった「プロの報道」がなくなっているということです。そのことが新聞はもとより雑誌の廃刊、衰退に結びついていることは間違いありません。テレビと同じで同じような内容ばかり。今回の小沢代表報道なんかは良い例でしょう。どこからかの力に影響されて「見えない政府」の役割を果たしてしまっている。官製報道の垂れ流しなんですよ。「情報が嘘」ということです。読者はそのことを感じとっていると思いますよ。

『雑誌記者の間では、「新聞は総理をつくり、雑誌は総理を引きずりおろす」というセリフがよく使われる。事実、1974年に『月刊文春』で発表された立花隆氏の「田中金脈研究」が、最終的に現職首相を追い詰めたという実績があるからだ。雑誌ジャーナリズムの神髄とは、ゲリラジャーナリズムとして乾坤一擲を放ち、ときには「一国のリーダーでも引きずりおろす」という気概にある。また、これこそが雑誌ジャーナリズムが持っている大手メディアの発表ジャーナリズムとは異なる“矜持”である。』
 
 現時点においてもなお,上記のような価値判断をしておられるのは,理解に苦しみます。あの方がどういう立ち位置にあるのかは,今回の小沢問題での,あの方の発言や行動を見れば,判るではありませんか。1974年の彼の雑誌ジャーナリズムにおける行動が日本の政治にどういう方向の力を与えたのか。彼の目的は何であったのか,今こそ検証されるべきではないのですか。

 現に,田中元首相は,あの方によって最終的に追い詰められたのではなかったようではないですか(参照:新党日本HP内,田中良紹,ニッポン維新「ロッキード事件の嘘」「政治と金の本当の話」)。

飛ばし記事は愛嬌の一部だと思って受け入れられてきた度量が昔にはあった。
それができなくなったのは個人情報保護法案である。
これで公人の情報までフィルターがかけられることになった。
そして訴訟の賠償金が上がったことにより雑誌編集部は訴訟を恐れ、滅多なことを書けなくなった。
噂の真相が廃刊を決めたのはまさにそうした時代を予期させたゆえだ。
そういう時代に我々はいる。

そりゃーもうジャーナリストなんて自称ですからw

●小沢一郎政経研究会
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/090930/000013294.pdf
講演謝礼 525,000円 H20.4.23 (株)オーケープロダクション
(取締役 小倉智昭 所属タレント 小倉智昭 諸星裕 室井佑月)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/000025218.pdf
講師謝礼 300,000円 H19.4.19 高野孟
講演謝礼 300,000円 H19.9.10 二木啓孝
講演謝礼 500,000円 H19.12.25 勝谷誠彦

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Profile

二木啓孝(ふたつき・ひろたか)

-----<経歴>-----

1949年、鹿児島県出身。
明治大学在学中から出版社勤務。
1979年、小学館「週刊ポスト」専属記者。
1983年、「日刊現代」入社。編集局配属。
1995年、編集部長。政治、企業事件、宗教問題をテーマに取材・執筆。
2007年、「日刊現代」を退社。現在、BS11編成制作局長。

-----<出演>-----

『インサイドアウト』
(BS11)
『NEWSゆう+』
(大阪ABC)
『おはようコール』
(大阪ABC)
『パックイン・ジャーナル』
(朝日ニュースター)
『アクセス』
(TBSラジオ)

BookMarks

-----<著書>-----


『宗男の言い分』
2002年7月、飛鳥新社


『殺人心理』
2000年10月、アスキー


『永田町の通信簿』
1996年12月、作品社

『手に取るように政治が分かる本』
かんき出版

→ブック・こもんず←



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