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2009年5月12日

小沢一郎と七人の侍

 小沢一郎の代表辞任問題が起きてから、いや小沢が党代表になって以来、ずっと考えてきたことがある。

「民主党と小沢」って黒沢明監督の「七人の侍」に似ているな、ということだ。

 民主党村はコイズミを頭領とする山賊に何度も襲われて、若いムラオサだった前原はヘロヘロ、村は崩壊寸前だった。そこで、村の農民たちは小沢が頭目の七人の侍に山賊退治を託した。山賊側の頭領がコイズミからアベ、フクダに代わったこともあって、七人の侍は大活躍で、いよいよ山賊を追い払う寸前までいった。ところが村人の間に「あの浪人侍たちはさんざん人を殺してきたってよ」「山賊退治が終わったらこの村を支配するんじゃないのか」と言い出した。瓦版も「この村は人殺しに守られている」と書き立てた(高野論説を借りれば、小沢を誰もクリーンな政治家だとは思っていないのに)。

 映画と違うのは、民主党の七人の侍は山賊退治半ばにして村を出てゆくのだが、映画では侍頭(志村喬)が最後にポツリとこう言う。「山賊と戦ったのは我々だが、結局勝ったのは百姓たちだ」

 ザ・ジャーナルの読者に小沢支持が多いのは、「政権交代という力仕事は小沢の持つ突破力しかない」「自民党という百戦錬磨でヌエのような怪物と戦うには権力の何たるかを知った政治家しかない」と感じているからだろう。

 結党以来の民主党は、各グループが足を引っ張り合い、執行部に入れなかったグループは批判ばかり。私は「日本文句垂れ党」と呼んできた。批判の的の小沢が去った民主党は総選挙に勝って政権を取っても、霞ヶ関の官僚支配という新たな山賊と戦えるのか。政権交代すべし、と思っている私にとっては新たな心配事だ。

2009年5月11日

野武士ジャーナリズムの衰退を憂う

 「本が売れない」--活字離れがいわれて随分たつが、昨年からの不況が追い討ちをかけて、月刊誌が相次いで廃刊になった。店頭から消えた「論座」や「諸君」などとともに、一番残念だったのが「月刊現代」の休刊(廃刊)である。3月末、この「月刊現代」を舞台に書いてきたライター69人が、それぞれの思いを執筆した「現代と私たち」という本を自主出版した。声をかけていただいた私は、大要、こんな内容を寄稿した。

 <週刊誌記者から夕刊紙編集記者、そしてフリーで仕事をしてきた個人的な体験からいえば、月刊誌はライターの腕を磨く「道場」のようなものである。週刊誌や新聞の行数では書き切れない、あるいは記事からこぼれてしまった取材内容や論評を数十枚の原稿にまとめるのは“出稽古”にも似た作業である。一方、雑誌の編集者は道場主の立場だ。あらゆるテーマで稽古を行い、一定の実力がついたなら、「もう真剣勝負も大丈夫だ」と単行本に挑戦させたり。そう、月刊誌は書籍で一本立ちできるまでのジャーナリストの登竜門であり、出版社にとってはライター養成の“武者溜り”のような場所である。その道場が失われることの損失は計り知れない>

 そんな雑誌ジャーナリズムの危機に、さらに追い打ちをかける出来事がおこった。週刊新潮で今年1月から4回にわたって掲載された「実名告白手記 私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した!」だ。連載では、1987年に朝日新聞阪神支局が襲撃されて記者の一人散弾銃で撃たれて死亡した事件について、その実行犯を名乗る島村征憲氏なる男の告白手記を掲載したのだが、これがまったくの虚偽だったのだ。

 連載開始当初から、マスコミ関係者では内容に疑問を呈されていた。そもそも、手記には刑事事件でいう「秘密の暴露」がほとんどなく、新事実についても確認の取れないものばかり。しかも、最後には告白を行った島村氏が、週刊文春や朝日新聞、毎日新聞などのインタビューに対して手記の内容を否定する発言をした。これで、週刊新潮の虚報は確定した。

 島村氏の一連の言動にはたしかに疑問を持たざるをえないが、この問題の本質は、週刊新潮が手記についての裏付け取材をした形跡がほとんどみられないところにある。たとえば、事件後に送られてきた犯行声明について、島村氏は新右翼活動家として知られる故・野村秋介氏に頼んだと語っている。だが、生前の野村氏の側近であった蜷川正大氏によると、島村なる男が野村氏の周辺に現れた事実はない。また、島村氏が右翼を自称してるので、島村氏が所属していた右翼団体の人間とも話をしたところ、犯行時は島村氏は北海道にいたと証言したという。

 蜷川氏が驚いたのはこれだけではない。島村氏が児玉誉士夫の門下生だったという証言について確認するため、週刊新潮に行って事実関係を問いただしに行ったところ、編集部の担当者が持ってきた児玉誉士夫の資料として、ウィキペディアのコピーがあったという。児玉について書かれた書物は世にあふれるほど出版されているにもかかわらず、インターネットの資料が使われていることに、蜷川氏は愕然としたそうだ。

 週刊新潮は、「島村が実際にそうしゃべっているから」ということで掲載したと言っている。だが、これは何ともおかしな理屈である。であるならば、週刊新潮は詐欺師の話でも裏付けなしで掲載するのか。私も正直に言えば、過去には週刊誌と夕刊紙でずいぶんと飛ばし記事を書いてきた。しかし、少なくとも死者の出た話や、歴史的な新事実について書く場合は念入りな取材をしたものだ。

 私が週刊誌記者だった当時、週刊新潮は徹底した取材を行う雑誌として業界内でも一目置かれていた。仲間内では「週刊新潮が取材した後はペンペン草も生えない」と言われるほどで、それゆえに週刊新潮のステータスは高かった。が、こんなことでは雑誌ジャーナリズムが世間から「どうせ週刊誌だから」と思われ、信頼が失わてしまう。冒頭に書いた『月刊現代』の休刊が道場閉鎖による書き手育成の場が失われることの危機とするならば、週刊新潮の虚報は雑誌ジャーナリズムの取材力、ひいては読者からの信頼性の危機である。

 雑誌記者の間では、「新聞は総理をつくり、雑誌は総理を引きずりおろす」というセリフがよく使われる。事実、1974年に『月刊文春』で発表された立花隆氏の「田中金脈研究」が、最終的に現職首相を追い詰めたという実績があるからだ。雑誌ジャーナリズムの神髄とは、ゲリラジャーナリズムとして乾坤一擲を放ち、ときには「一国のリーダーでも引きずりおろす」という気概にある。また、これこそが雑誌ジャーナリズムが持っている大手メディアの発表ジャーナリズムとは異なる“矜持”である。

 であるがゆえに、雑誌メディアにとって『月刊現代』が終止符を打ったことと、週刊新潮のこの雑駁な連載の影響は大きい。日本では数少ない野武士集団によるジャーナリズムが衰退の道をたどらないことを祈るばかりだ。

Profile

二木啓孝(ふたつき・ひろたか)

-----<経歴>-----

1949年、鹿児島県出身。
明治大学在学中から出版社勤務。
1979年、小学館「週刊ポスト」専属記者。
1983年、「日刊現代」入社。編集局配属。
1995年、編集部長。政治、企業事件、宗教問題をテーマに取材・執筆。
2007年、「日刊現代」を退社。現在、BS11編成制作局長。

-----<出演>-----

『インサイドアウト』
(BS11)
『NEWSゆう+』
(大阪ABC)
『おはようコール』
(大阪ABC)
『パックイン・ジャーナル』
(朝日ニュースター)
『アクセス』
(TBSラジオ)

BookMarks

-----<著書>-----


『宗男の言い分』
2002年7月、飛鳥新社


『殺人心理』
2000年10月、アスキー


『永田町の通信簿』
1996年12月、作品社

『手に取るように政治が分かる本』
かんき出版

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