月刊文藝春秋の手記でわかった麻生首相の“心変わり”
今朝の新聞各紙には、今日発売の月刊誌「文藝春秋11月号」に麻生首相が寄せた手記「強い日本を! 私の国家再建計画」のなかで、麻生首相が冒頭解散を考えていたという記事が出ている。
これによると手記で麻生首相は「私は決断した。国会冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と明言している。
このことを昨日の夜、記者会見で質問された麻生首相は、国民の信を問うというのは解散の意味であることを認めつつも「いつ解散するとは一切書いていない」などというふうに言って逃げていた。
実は月刊誌の締切と発売というのは、なかなか悩ましいものがあって、文藝春秋の締切、校了は、大体、毎月27日がデッドライン、それが翌月10日に発売されることになっている。昨日の記者会見では、麻生首相は9月22日か23日にこの手記を書いたと言っている。
麻生首相は、この文藝春秋が発売された10月10日前後に解散を考えていたということになる。だから、タイミングよく解散と同時に、自分の意見が月刊誌に発表されるという思惑だったのだろう。
しかし、アメリカ発の世界同時株安、金融不安に加えて、自らの内閣支持率の低さにより、この作戦は大幅に変更を余儀なくされた。とても解散ができる状態ではないので、先延ばしのために、今、次々とカードを切っている状態だ。自民党のなかには、年明けに解散がズレ込むという意見も出ているが、そうすると、月刊文藝春に書いた決意は、まるでウソになってしまうではないか。
原稿を書いてから、店頭に並ぶまで10日あまりある月刊誌のタイムラグを計算に入れなかった失敗により、麻生首相の“心変わり”がよくわかる。