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2011年12月21日

指揮官・司令塔不在の政治の空白がそら恐ろしい ──「一川問責」は野党政治家の救い難い劣化の象徴だ

 大臣の言葉尻をとらえて辞任に追い込み、政権にダメージ与える野党の手法は政権交代前も現在も変わらない。いやはや、である。一川保夫防衛相問責決議は、今までとは比較にならないほど低次元、姑息で野党の衿持もなく、一歩間違えれば亡国の危機にある歴史認識も気迫も全くないものだった。要するに、参院での過半数を悪用して片っ端から問責決議を提出可決させ政治を機能不全にする小手先の嫌がらせだったのだ。酒席でのオフレコとはいえ、前沖縄局長の発言は許せるものではない。一川防衛相が直ちに沖縄局長を解任したことは、むしろ評価されていい。それなのに「監督責任」を理由に問責するとはいったいどういうことか。

 太平洋戦争で沖縄は本土と軍に見殺しにされた。戦後はアメリカという国家とアメリカ兵に半世紀以上にわたって「犯され」、本土に復帰し沖縄県となっても未だにアメリカとアメリカ兵に「犯され続けて」いるのだ。その現実を、見て見ぬふりをし、カネで片をつけようとしてきたのが日本政府だ。前沖縄局長の「不適切な発言」の根底には「犯されて」いることを歴代政権が黙認してきた歴史が根深く張っているのだ。

 「女児暴行事件」のとき、私は新進党の「明日の内閣」の安全保障担当相だったが、「事件」の奥深い深層に沖縄県民の苦悩、日米政府への不信を感じた。鹿野道彦「明日の内閣」の外相(現農水相)と相談し、自社さ連立政府に「日米地位協定の見直し、改定」を要求した。

 一官僚の酒席でのオフレコ発言で、あらためて深層心理から解き放たれた「犯」を傍観していたのは、今の野党、当時の政権党・自民党である。一川防衛相の監督責任を問責する前に歴代の首相、外相、防衛相、沖縄担当相は沖縄県民に土下座して謝罪すべきではないか。自民党には一川を問責する資格などまったくないのである。「沖縄の怒り・不信」を「不適切発言に対する防衛相の監督責任」にねじ曲げて、全ての責任を一川一人に押し付けた理由を野党、特に自民党に問いたい。

 鳩山由紀夫首相(当時)が普天間基地の国外移転に奔走している姿に沖縄県民は希望の灯を見たにちがいない。民主党は全力をあげて鳩山の国外移転構想に協力すべきだった。ところか、アメリカにおべっかを使い「辺野古」に固執し、足を引っ張ったのは岡田外相、北沢防衛相、前原沖縄担当相とその配下の外務・防衛官僚だった。本来であれば、こういうときこそ、アメリカと対等以上に渡り合える政界の第一人者小沢一郎の構想力、剛腕に沖縄の未来を託すべきだったのだ。にもかかわらず、小沢への嫉妬か、或いは、牢固とした闇の勢力に脅されたのか、それとも、アメリカの圧力か、小沢を政策決定から意図的に外す大失態を犯したのは民主党、いな、「政治のなんたるかを知らない、おしゃべり好きで、責任を回避する」オリジナル民主党の幹部ではなかったか。(注:東日本大震災と福島原発も同じだ。小沢を抹殺するのではなく、小沢に財源と権限を与えるべきだった)。

 またアメリカまで行って「辺野古移転」を主張しアメリカから「いい子」扱いされた石破自民党政調会長(当時)の言動は利敵行為そのものである。鳩山が「県外移転もやむなし」と舵を切ったとき、そっぽを向いたのは全国の知事だ。国民だって同罪だ。事と次第によっては自分の県に沖縄の基地がくるかもしれないので「県外移転」は、本音では迷惑千万だった。その心情は理解できる。であるならば、全県知事、市町村長、県市町村会議員、マスコミが一致団結、総力をあげてアメリカに国外移転を「強要」すべきではなかったのか。沖縄の米海兵隊の最も主要な任務は「朝鮮半島有事」のとき、在韓米軍の家族を救出することだ。こんな海兵隊は迷惑だ。鳩山の構想を、自民党と一部の民主党を含めた政治家やマスコミは「迷走」と軽蔑・非難したが、沖縄県民とまともな日本人は、戦略戦術的には稚拙だが「正しい軌道を走っている」と評価したはずだ。安保マフィアにはお気の毒だが、血の雨を降らさない限り辺野古移転は絶対にありえない。

■沖縄を自治州にせよ
 ところで、唐突だが琉球王国の歴史を思い起こし、大阪都構想の向こうを張って沖縄を自治州に格上げしてはどうか。地方分権のモデルになる。私が現役時代の20数年前、沖縄選出の某党の国会議員にその話をしたとき、剣もほろほろだったが。

■日米合意を白紙にしよう
 マスコミや野党は「不適切発言」によって「政府、沖縄、アメリカとの信頼関係が崩れた」と批判している。これこそ人心を惑わすデマゴーグである。崩れたのは日本を属国と考えている「沖縄利権と政府、米軍、安保マフィア」の馴れ合いの「信頼関係」だ。アメリカはグァム移転の予算を凍結するという。渡りに船とはこのことである。日米合意を白紙にし、普天間基地撤去は当然のこととして沖縄の米軍基地の縮小・撤退を、両国がそれぞれの世界戦略、政策をぶつけ合って解決すべきだ。尖閣列島を含む沖縄は日本の領土だ。アメリカではなく、日本の自衛隊が守るのが国際社会の常識である。

 2009年2月17日深夜の小沢・クリントン米国務長官会談で小沢は「日本政府は自らの主張をきちんとしなかったところに問題があった。これからは同盟国としてお互いの世界政策、戦略を話し合い、合意を得たうえで個別の問題に対処すべきではないのか」と述べた。日本のマスコミはこの会談を義務的に小さく扱ったが、外国紙はかなり詳細に報道したようだ。ちなみに、フィナンシャルタイムスは「He also said he considered China a "bigger problem" for the Japan-Us alliance than North Korea」と報じている。クリントンは小沢発言を「大変な洞察力だ」と驚嘆した。

 歴史に「若し」はないというが、鳩山が小沢と二人三脚で沖縄問題に取り組んでいたら、新しい展開があったかもしれない。

■一川よ、エセ専門家に誤魔化されるな
 ところで、10数年来の友人、一川防衛相に一言申したい。自衛隊、特に幹部には一切、政治批判をさせるな。した者は直ちに首にせよ。軍部がのさばった戦前戦中を他山の石とすべきだ。自衛隊は国が決めたことを忠実に実行すればいいのだ。これがシビリアンコントロールの原点だ。日本には本物の安全保障の専門家はいない。自称「専門家」のネタ本はアメリカの世界戦略と外交政策だ。彼らは所詮、アメリカの防衛専門家の講義を受け、それを金科玉条として、アメリカの意向に沿った防衛論こそ正道と思い込み、難解な防衛用語とレトリックを駆使しているだけである。

 話は飛躍するが、古い映画「大菩薩峠」の主人公・机龍之介を剣道5段の月形龍之介が演じた。剣を知っている映画評論家が言ったそうだ。「月形では5段の机龍之介にしかなれない。むしろ剣の心得のないほうが本物の机になる」と。アメリカナイズされたエセ専門家の鋳型にはめ込まれてはいけない。世論調査では厳しい数字だが、それはそれとして、謙虚に受け止めればいい。「うまく生きよう」などと思うな。日本と沖縄のために喜んで死んでいけ。頑張れ! ちなみに、私は「衆議院安全保障委員長」を二期務めている。

 1997年晩秋の新進党代表選で私は小沢一郎の推薦人になった。理由は単純・明快である。「世の中が"春のうららの隅田川"の時代なら、だれが首相になってもかまわないが、厳しい激動・激浪を乗り切れるのは、構想力の大きい剛腕の小沢以外にいない」である。現在は当時とは比較しようもないほど、国際社会も日本国内も非常に危険な、難しい情勢だ。

 EU発金融不安・世界恐慌は地響きをたてて迫っている。アメリカは「ウォール街占拠」に見られるように失業と貧富の格差の拡大に手の打ちようがない。ニューヨーカー誌のジョージ・バッカー氏によると1978年に企業の最高責任者と最低賃金労働者の賃金差は40対1だったが現在では400対1になっているそうだ。コロンビア大学のロバート・C・リーバーマン氏も「勝者が全てを独占する経済」と決めつけ「アメリカという国が富裕層とその他を分ける縫い目にそって分裂してしまう」と警告している。来年は大統領選もあるが、アメリカは20%、いな、1%の富裕層のための政治に堕している。政治が機能しなくなっているのだ。TPPも、言っていることはきれいごとだが、アメリカの富裕層の価値観を押し付ける新しいアメリカ型の帝国主義である。アメリカ発の恐慌もありうる。(注;誤解されないように付言する。『私は自由貿易論者である』)

 中国も不安要因充満である。ヨーロッパ向けの輸出が激減し、景気は下降局面に入った。国内ではポスト胡錦涛をめぐる江沢民派の太子党(高級幹部の子女グループ)と胡錦涛派の中国共産主義青年団(団派)との確執は凄まじく、国家主席に内定したと恩われた太子党の習近平も主席になれる保証はない。しかも、「共産党資本主義」は拝金主義を生み出し、党幹部・官僚の汚職・腐敗は日常茶飯事である。都市と農村の貧富の格差も異常すぎる。こうした中国の内部矛盾に抗議するデモは全国に蔓延し、暴動に発展しているものもある。また、3億数千万にのぼるネット人口は世界と情報を交換し、国際社会の支援を受け、独立を要求するチベットや人権問題で中央政府に反抗する勢力もかなりいるようだ。2012年1月の台湾総統選の行くえも目が離せない。内側から見た中国は、政治が機能しない崩壊寸前の状態といえよう。不動産バブルが弾ければ、世界恐慌の引き金になるだけでなく、それをきっかけとして政治動乱が勃発する惧れもある。1929年の恐慌から脱却するために太平洋戦争があった。まさかとは思うが、第三次世界戦争の惧れも否定できない.

 小沢がクリントン長官に「市場主義と共産主義は相容れない。中国をソフトランディングさせるのは日米の役目だ」と主張したのは洞察力に裏打ちされた卓見と言わざるをえない。

 日本については多言を必要としない。日本の政治は、一言で言えば、「指揮官・司令塔不在」「構想力不足」「 しみったれ」「のろま」「責任回避」「無責任」だ。今回のような大惨事に対処するには、まず、資金だ。直ちに自治体が取り組まなければならないのは、被災者の捜索、ガレキの除去、電気・水道などの復旧、物資を輸送するためのインフラ整備、仮設住宅だ。その資金を、アメリカは半狂乱になるだろうが、手持ちのアメリカ国債を売却するなり、外債を発行して調達してもいいではないか。ところが、谷垣自民党総裁は復興税説を主張し、岡田幹事長は予備費で対処したいと述べた。その構想力の貧困さにはあきれてものも言えない。しかも、震災から半年以上経ってようやく11月21日に第三次補正予算が成立した。予算が現地に配分されるのは来年の1月下旬か2月頃だろう。兵法で禁止されている「兵力の逐次投入」である。しかも、「のろま」で「しみったれ」だねぇ。

閑話休題  11月27日号のサンデー毎日の「小沢・鳥越対談」は圧巻だ。その中に興味深い小沢の発言がある。鳥越が例の「4億円」を質問したのに対し、小沢の説明は「僕のお金です(略)親からの相続は大きかった。僕自身だって稼いでいます。印税だけでも1億何千万円もありますし...」と端的である。もの書きが政治家になったのであればびっくりしないが、売れないことで定評のある政治本で1億何千万円も稼げる政治家は小沢だけだろう。小沢理綸に、希望に満ちた日本を見出し、共鳴する声なき声が多いことを示しているといえよう。信じがたいが小沢は政治家であると同時に思想家なのだ。

 11月13日の読売新聞は輿石幹事長に小沢観を語らせている。「元代表を尊敬しています(中略)だから、私はよく極端なことを言う。『小沢さん抜きの民主党はない。政権交代もない。小沢さん抜きの民主党に明日はない』と。小沢さんは幹事長の一つのモデル。政権中枢の幹事長として、10年、20年先の日本や外交のことも考える。これなら大丈夫だっていう安心感。それがないと国民の支持はえられない」と。

 かつては「左翼系革新」の理論誌、今は「中道・リベラル」の高級総合雑誌「世界」12月号が陸山会判決を厳しく批判している。北海道大学の白取祐司教授は「『推認』有罪の説得力を問う」と純法学者の立場から判決文の問題点を暴き、江川紹子氏は冷徹なジャーナリストの眼で「原則を捨てた裁判所」と題して司法の腐敗堕落を糾弾している。また、故意か偶然かわからないが、「法律時報」11月号には「追認」について「鹿児島老夫婦強盗殺人事件・無罪の判決文」を題材に情況証拠、追認の研究論文が掲載された。そのなかで「被告人に不利な状況証拠だけを積み重ねるのではなく、(被告人に)有利な情況証拠や、犯人であれば発見されるであろうと考えられる痕跡が発見されないこと等の消極的な情況証拠も取り上げるべきである」と述べている。陸山会事件にこの理論が適用されていれば石川ら3人は完全無罪で、小沢裁判もなかった。12月16日の公判では村木事件で悪名高い前田元検事が証人として出廷し、「私が裁判官なら(小沢)」無罪の判決文を書く」と述べたそうだ。民主主義と日本の将来を憂う人々が、小沢に対するマスコミを含む体制によるマインド・コントロールから目覚め始めているのではないか。

 小沢裁判は小沢を抹殺するために行われている「政治裁判」だ。「常識」で判断すると取り返しのつかないことになりかねない。司法が画策しているのは小沢を抹殺することによって民主主義の土台を崩すことである。眼に見えない「国家権力」という化け物と、我々は戦っているのだ。悲観してはいけない。絶望してはならない。19世紀のイギリスの宰相ディズレリーは「絶望は愚者の結論だ」と言った。

 40数年ぶりにアランの「幸福論」が角川書店から出版された。1940年に日本で初めて邦訳、出版した仏文学の石川涌は私の盟友の父君なので言うわけではないが、若者の間でこの本が数十年ぶりに静かなブームになっているそうだ。大震災いらい、原発事故も含めて日本の将来に、表面的にはうわついているように見える若者たちもそこはかとなく不安を感じていることの反映ではないだろうか。アランは言っている。「悪い天気には、いい顔をするものだ」

 来年は辰(龍)年だ。どじょうが龍になることありえない。いっそのこと。小沢を龍にしてしまおうではないか。「雨の猛きを見て龍の大なるを知る」という。「公共財の小沢」の復活・活用には反動も並みではないだろう。

 「民主主義の崩壊を食い止めるため」に戦う人たちよ、小異を残して大同につこうではないか。

Profile

二見伸明(ふたみ・のぶあき)

-----<経歴>-----

69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。
小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。
公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。
97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。
2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。
小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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