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2011年3月21日

日本を救うために、今こそ発想の大転換が必要だ ── 「共生社会」の岩盤を作ろう

 震災復旧、日本再生に向けての、これからの政治の取り組みが被災者のみならず日本人に生きる希望を与えることになる。本番はこれからだ。

 地震発生と同時に知事、市町村長は救援の最前線に立った。官民一体となり、地域の総力を結集して大災害と戦った。自治体職員、警察官、消防団は家族の安否を確かめるどころか、命がけで奮闘した。官僚の中にも、上からの指示がなければ、規則に違反し、規制を無視してでも自分の責任で判断し、行動する豪傑もいた。。放射能の被ばくの危険も顧みず原子炉に放水し続けた自衛隊員、東京消防庁職員の勇敢な行動に世界は驚嘆と絶賛の声を上げた。被災者は飢えと寒さに苦しめられながら、お互いに励まし合い、助け合って秩序整然として乗り切ろうとしている。いち早く、近隣の市町村から宿泊施設が提供され、今では全都道府県が救援の手を差しのべている。医師会は救急救命医薬品を空輸した。無名の庶民もすばやかった。余震の恐怖をものともせず、食糧や救援物資を車に満載して、被災地に直行した。私の友人は10名の仲間とともに、トラック3台に炊き出し用の大釜と食材、救援物資を満載して、舞鶴港から小樽港、函館、青森経由で岩手県入りした。私は心の底から、日本人であることに誇りを持ったのである。

 これから先は政治の仕事だ。災害発生後、もっともダメなのが政治だと言い換えてもいい。今回の大震災は、阪神淡路大震災とは比べものにならない巨大・巨額の被害をもたらした。マグニチュードは阪神大震災の7.3に対し9.0。死者・行方不明は6,436に対し2
1千人(3月20日現在)を超える大被害である。家屋、道路、鉄道、医療機関などの被害は比べようもない。仕事を失った人も数知れない。しかも、「阪神淡路」と全く違うのは原発災害という人災ともいうべき新たな難題も重なっているのだ。

 「阪神淡路」では平成6年度第二次補正予算 10,223億円。平成7年度第一次補正 14,293億円 平成7年度第二次補正 7,782億円 計33,800億円だった。今回は、当座は予備費で賄うとしても、23年度には本格的な超大型補正を組む必要がある。額は、少なくても初年度で10兆円、場合によっては15兆円規模が必要になるだろう。気絶しそうなくらいびっくりするのは「財政健全化=緊縮財政・消費税論者」の菅総理、野田財務相、仙谷由人、岡田幹事長など菅執行部と財務官僚だろう。

 日本人の最も悪いパターンの一つが「物を小出しにする兵力の逐次投入」である。橋本龍太郎内閣のとき、景気対策として予算をチビチビ出し、効果が見えないので、さらに小型の補正予算を追加し、結局、6回も補正予算を組みながら景気対策は失敗して、残ったのは財政赤字という借金だけという教訓がある。最大限(注:最小ではない)の補正予算を組み、あわせて、本予算を政策の優先順位に従って総組み換えし、特別会計削減に大胆に切り込むべきだ。

 岡田幹事長は「不要不急の予算を削減して財源を生み出す」と言っている。そのことを否定はしないが、そんなチマチマした「逐次投入」の発想で、「国難」を克服できるはずがない。財源は国債か増税しかないのだ。谷垣自民党総裁は「震災税」を提唱している。消費税に2%上乗せすれば5兆円の増収になるとそろばんをはじいている。菅政権、民主党内にも内心では同調者がいるようだが、これほど、国民生活の基盤を破壊する苛政はない。

 復旧、復興の財源は、大震災の直接、間接の被害で苦しむ国民から税金として巻き上げるのではなく、こんなときこそ無利子国債など、国が借金して賄うべきだ。場合によっては、アメリカは半狂乱になって「アメリカを潰す気か。世界恐慌になるぞ」怒り狂うだろうが、アメリカの国債を売却して財源をねん出してもいいではないか。「財政健全化至上論者」は目を剥くだろうが、一般庶民を塗炭の苦しみに落とし込む「財政健全化」に意味があるのか。「国滅びて、健全財政残る」は悪い冗談だ。また、テレビ各社は国民の財産である電波を、マスコミ好みの市場原理通りにオークションにかければ400億円以上もする電波使用料を38億円という不当に安い料金しか払っていない。この際、電波使用料を市場価格並みに引き上げるのは、公平の観点からだけでなく「財政健全化のためにも当然のことだ。

 予算も大半を、地方主権の予行練習の意味も含めてひも付き補助金ではなく「一括交付金」として地方に交付する。復旧事業、生活基盤整備、中小企業、農漁業を中心とする経済の立て直し、雇用、コミュニティーの再構築など地域の実情を知り尽くしているのは県、市町村だ。今回の大災害で責任を全身で受け止めた地方自治体の底力は凄かった。中央官庁が異口同音に懸念を示す「地方には専門知識を持った人材が少ない]ことは問題点の一つであることは間違いではないが、それならば、中央の専門知識を持った官僚が、腰掛けではなく「骨を埋める覚悟で天下って」地方に行けばいいのだ。災害復旧は地方主権への千載一遇のチャンスでもある。もっとも、中央官庁には、法律の附則などに「交付金の使用に際して、関係官庁と相談することが出来る」趣旨の文言を、こっそりと、目立たぬように挿入して実体的にはひも付き補助金にする裏ワザを持っていることは留意したほうがいい。

 菅総理は大震災対策を大義名分に、考えられない行動を取った。谷垣自民党総裁を、政策のすりあわせもせず、副総理として連立を組もうとしたことである。具体的な救援・復旧対策に自民党は協力することを表明している。とすれば菅の目論みは、一つには財源として「震災税の導入」であり二つには自分が全責任を取る勇気も気持ちもないので、責任の一端を自民党に押し付ける責任分散であり、すなわち菅延命である。こんな悪知恵を思い付く実力者は仙谷以外にいない。官房副長官としての仕事は震災対策ではなく、どさくさにまぎれての、「菅自連立」である。

 菅はどうにもならなくなって、19日、震災発生後9日も経って、小沢一郎、鳩山由紀夫、前原誠司元代表と会談した。小沢は党員資格をはく奪された「一兵卒」である。

 前原元代表は刺身のツマに過ぎない。「小沢を活用すべきだ」と進言していたのは笹森元連合会長だが、菅、枝野は拒否していたという。本腰を入れて大震災対策に臨むのであれば、小沢を副総理兼党幹事長に任命して全権を委任し、亀井静香、鳩山という実力者を財務相など最重要閣僚にすべきである。菅がそこまでの覚悟を見せれば、野党も全面協力するだろう。

 宇沢弘文東大名誉教授は「社会的共通資本」という概念を主張し続けている。彼は「第一は山、森、川、海、水、土、大気などの自然環境で、国、地域の人たちが聖なるものとして大事に守り、次代につたえつづけてきたもの。第二に、道、橋、鉄道、港、上下水道、電力、ガス、郵便、通信などのインフラ、そして第三に、教育、医療、金融、司法、行政、出版・ジャーナリズム、文化などの制度資本。それらが有効に機能することで、一人ひとりの人間的尊厳が保たれ、魂の自立を守り、市民的権利を全ての人が最大限に享受することができる」と述べている。「国民の生活が第一」と共通、共有する点の多い概念だ。しかし、彼は、それもTPPなどアメリカ市場原理主義に侵害され、破壊されつつあるという。私は数十兆円を投じて行われる復旧、復興、日本再生事業は市場原理主義ではなく、「国民の生活が第一」という「共生社会」の理念に則ったものであるべきだと考えている。

 この拙文を書き終えたとき友人から切迫したメールが来た。「放射性物質が雨となって降ってくる。直ちに健康を損なわないにしても、放射性の毒素は身体に蓄積されるものであり、汚染された土壌、水などで子どもたちの健康をジワジワと損なう恐れがある。東京以東の子ども、妊婦、乳幼児、母親を疎開させるべきだ」という。政府はこの素朴だが原初的な訴えにどう答えるのだろうか。
 
 大災害は想定を超えた事象が起こるから発生する。今回の大惨事は世界最強の防波堤を征服し、破壊する想像を絶する大津波が襲ったからだ。静岡の浜岡原発は大丈夫か?全原発を直ちに総点検せよ。原発建設計画も見直す必要がある。時間はかかるが「脱原発社会」に舵を切らなければならないのだ。

 私は、この10日間、ガソリンがないので、もっぱら、自転車、徒歩、路線バスを愛用した。始めはゆっくりペースに慣れなかったが、いまでは、ついこの前までの生活が、せせっこましく、ただ、忙しいだけで、中身の薄いものだと実感している。不夜城のようなネオンが消え、美しい星空が戻ってきた。私たちは便利さだけを追い求めてきたライフスタイルを転換しなければならない局面に立たされているのではないだろうか。

(2011.03.21)

2011年3月16日

菅総理では東北・関東大震災は救えない

 日本は史上稀というべき非常事態である。日本発の世界恐慌の恐れさえ孕む重大局面である。野党も協力を申し出ている。菅総理も反小沢・親小沢の確執を乗り越えて挙党態勢を構築し、あらゆる人材を活用しなければならないはずだ。この時期に菅総理の無様な対応、言動を批判することは不謹慎だという反発が出てくることは百も承知である。しかし、言うべきことは言わなければならない。「国難、非常時」を理由に一切の批判を封じ込めるのは権力側の常套手段だ。ニューヨークの9.11同時多発テロのとき、CIAの情報操作に踊らされ、思考停止となって激情のままにブッシュ大統領のイラク攻撃を支持し、わずか数年にして、国際社会でアメリカの信用を失墜させた上下両院議員とそれに唆されたアメリカ国民の姿を他山の石とすべきである。

菅総理は思考停止である

 15日朝、枝野官房長官は福島第一原発事故について「本日、政府と東電で統合対策本部を設置する」と発表した。私は気絶するくらいびっくりした。11日午後、車を運転中、強烈な地震を感じ、ラジオで震源が岩手沖であることを知ったとき、阪神淡路大震災とはケタ違いに大きいと直感した。菅総理は私よりもはるかに詳細な情報を、瞬時に受けていたはずだ。被災者救援と原発事故防止に、最悪の事態を想定した万全の体制と対策を具体的に指示したと思っていた。しかし、菅総理は何もしていなかったのだ。

 産経新聞によると、同日午前、菅総理は東電本社に乗り込み「福島第一原発の爆発事故の連絡が遅れたことについて『一体どうなっているんだ』と強く批判した。『テレビで爆発が放映されているのに首相官邸には1時間くらい連絡がなかった』と東電の対応に苦言を示し、『撤退などあり得ない。覚悟を決めて欲しい。撤退したときには東電は100%つぶれる』と厳命した」のである。その怒鳴り声は廊下まで響いたそうだ。原発事故の責任を東電に転嫁するつもりなのか。東電の現場社員は命がけで対策に没頭しているが、東電本社の幹部の対応には「情報を隠蔽しているのではないか」という不信が私も含めて多くの国民の中にある。しかし、根源的な問題は、菅に震災時の原発事故防止の最高責任者は総理であり、責任転嫁は出来ないという危機管理意識と責任感が希薄なことである。

 13日午後、枝野長官は記者会見で「総理が被災現場を視察したいという強い意向を持っているので、地元と調整したが、調整がつかなかった」と述べた。総理が視察するとなると、その対応だけで地元はてんやわんやの大忙しになる。救援活動で猫の手も借りたいこの時期の視察ほど迷惑なものはない。私は二度、阪神淡路大震災を視察したが、地元に余計な負担や迷惑をかけないよう、細心の注意を払ったものだ。愚妻も扇千景参院議員(当時)の「議員夫人が現地で炊き出しをしよう」との提案で神戸に行ったが、現地に負担をかけたのは、炊き出しの場所確保だけで、食材も釜も全て「炊き出し部隊」の持ち込みだった。「現地の迷惑考えず」、テレビを通して「最高指揮官としての雄姿」をアピールする目論みは瞬時にして見透かされたといえよう。

 15日、電話で菅と会談した佐藤雄平福島県知事は「県民の不安や怒りは極限に達していることを伝え、(1)国が責任を持って事態の早期収拾を図る (2)県外避難先の確保など、全面的な支援を行う (3)県民に分かりやすい情報を提供する、の3点を要望した。翌16日朝、津波と原発事故にみまわれた南相馬市の桜井市長はNHKを通じて「国からの情報はまったくない」と怒りをぶちまけていた。避難先についても栃木県那須町や埼玉県三郷市がいちはやく用意し、東京都も住宅提供を申し出るなど、国の無策とは大違いで、地方自治体の対応は具体的で迅速である。

 13日、福島原発の取材のため双葉町入りしたフォトジャーナリストの広河隆一によると「午前10時20分、双葉町役場玄関付近で放射線を計測。すべての計測器が振り切れた。さらに、午前10時30分頃、双葉町厚生病院玄関前で計測したところ、ここでも、すべての計測器が振り切れた」という。使用した計器は「BEIGER COUNTR DZX2(上限は1000マイクロシーベルト/時)」と「VICTOREEN209-S1(上限は10ミリレントゲン/時以上)」、「MYRate PRD-10/時」」の3台で、上限を超えているため、正しい数値を確認することはできなかったということだが、かなり危険な数値だ。しかし、政府、東電は「心配なし」と言い続けた。被災地の住民、とくに戦争体験をもつ年配者は「わが軍の損害、軽微なり」という大本営発表と同じだと不信感を募らせていた。

 15日午前10時22分、3号機付近で、一般人の年間被ばく限度の400倍に匹敵する1時間あたり400ミリシーベルトの放射線量を計測した。東京でも放射線量を計測した。京大原子炉実験所の小出裕章助教は「既に米スリーマイル島の事故をはるかに超えている。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故になりかねない。1,3号機もその危険を抱えている」と指摘している。菅は「冷静に」と呼びかけ、原発から半径20~30kmの住民に屋内退避を要請したが、満足な情報が与えられていない住民はしらけるばかりだろう。広河隆一は「半径20km圏内立ち入り禁止の表示も検問もなかった」と書いている。住民の不安を抑え、パニックを防ぐ最良の方法は国民に信頼されている内閣が、正しい情報を住民に機敏・適格に提供し続けることである。

 12日朝、菅は突然、福島原発を視察した。総理の視察となると、現場は資料の作成や専門家の説明員の確保で事故対策どころではない。初動の最も大事な数時間を総理対応に浪費させ、その結果、原発事故対策を後手後手にして、最悪の事態をまねきかねない状況に追い込んだ菅の愚行は糾弾されてしかるべきだろう。菅総理は自己保身のみに汲々として、それ以外は思考停止である。

 今回、眼を引くのは自治体職員、警察官、消防団員の命がけの活躍とそれをサポートする自衛隊の活動だ。阪神淡路大震災を教訓にして、与野党が協議し、多くの法整備、法改正をした。例えば、自衛隊に災害出動を要請できるのは県知事だけだったが、阪神淡路の反省として、市町村長も要請できるように改正した。

 ところで、政治が早急に取り組まなければならないのは日本経済の立て直しとインフラ、国民の生活など復旧、再建事業である。阪神淡路大震災とは比べものにならない巨額の資金と長い期間が必要になる。私は巨額の資金を単に従来型土木事業ではなく、この機会に日本国土の改造、日本経済・産業構造の転換、一般庶民の生活基盤の強化など、構想すべき壮大なビジョンが必要だと考えている。壮大なビジョンを作り、その実現に猛進するスケールの大きな政治家とそれを支える豊富な知識と情報を持った有能な官僚が不可欠だ。財務省流「財政の健全化」などというチャチな観念に固執すると日本列島は沈没し、世界大恐慌の引き金をひくことになるだろう。予算の総組み換えという荒療治をするにも絶好のチャンスではないだろうか。

 また、今回の被災者救援活動は県、市町村など「地方の力量」を見せつけた。中央官庁はまったく手も足も出せなかった。情報すら提供出来なかった。地方主権は可能である。補助金制度を廃止し、地方自治体に一括交付金と権限を移譲する理論の現実性を見せつけたのである。

 「科学の時代」は怖い。原発は牙を剝くと人類を絶滅させる。ただちに全原発の総点検を行い、さらに、時間はかかるけれど、「脱原発」をエネルギー政策の基本にし、第三のエネルギーを開発すべきだ。高速道は非常時には全く機能せず、在来道路が威力を発揮した。電話はアナクロの黒ダイヤル電話は平常どおり機能したが、携帯は役立たずだった。ガソリンがないので遠出もできない。わが町も「大東京」も、ともに陸の孤島だった。私たちがなじんできた便利で安楽なライフスタイルがバーチャルであることも明らかになった。地震の恐怖がなければ静かな空間があった。インフラ整備も生活の質を豊かにするものを検討すべきだろう。今までの生き方を、見直す勇気を持ってもいいのではないだろうか。

 阪神淡路大震災の際、与党自民党を指揮したのは幹事長・森喜朗で、野党新進党を指揮したのは幹事長小沢一郎だった。16年経った今日、非常時対応の経験がある議員は少なくなった。大半の議員は机上の勉強もしていないド素人だ。16年前、若手として活躍した官僚は、今は局長、審議官だ。官僚は絶えず、議員の品定めをしている。官僚が使命感をもち、のびのびと活躍できる環境を作るのも政治主導である。政治主導は仕組みだけではなく、議員の実力、人間性も重要な要素なのだ。

 地震が起きたとき、東京・青山のペンシル・ビルの地下にいて、編集者と執筆の打ち合わせをしていたキャリア官僚のOBは、揺れが一段落したとき、開口一番、「ヨレヨレの菅が、出動服を身につけてパフォーマンスを始めるだろう。ヨレヨレの菅もこれでひととき息を吹き返すことになるにちがいない。この震災は、菅にとっては『神風』になるかもしれない」、「こういうときには小沢一郎のような人物が必要なのかもしれない」と言ったという。それから数日後、さすがのマスコミも「政権無策 不安を増幅」(読売15日)「政府対応 後手に」(毎日16日)と「菅の危機管理能力の欠如」を追及し始めた。大げさではなく日本の存亡を賭けた政治を菅に委ねるのか、とりわけ、民主党議員の見識と決断にかかっている。(敬称略)

2011年3月 7日

政治は「民」か「官」か 戦後初の壮絶な路線闘争 ── 3.19一万人東京集会 の歴史的意義を考える

 16人の会派離脱に続いて、今度は菅民主党に愛想を尽かして、3月3日、愛知一区の佐藤夕子衆議院議員が離党届を提出した。翌4日には、政治家は絶対に受け取ってはいけない外国人からの政治献金を、あろうことか、前原外相が受け取っていたことが発覚し、参院予算委員会で自民党から「外相辞任」を突きつけられ、前原は辞任した。(注:自民党長期政権の礎を作ったのはアメリカCIAの対日工作資金だという歴史的事実は記憶の片隅に留め置く価値があるだろう)。「小沢潰し」に明け暮れるツケが回って来たのだ。

 「暗い日曜日ならぬ暗い一週間」が始まる。菅総理は、将棋で言えば「詰んでいる」。それも、「雪隠詰め」だ(注:雪隠(せっちん)とは便所のこと)。しかし、当の本人は「なんとかなる」と思い込んでいる。こういうのを「雪隠で饅頭を食う」という。国民の立場からすると、たまったものではない。国会は国民の生活を人質にして与野党がいがみ合っているようなものだ。自民党とマスコミは「民主党はマニフェストを投げ捨てて、自公政権が踏襲してきた従来型の官僚主導政治に戻れ」と攻め立て、菅執行部も、本心は自民党流政治の方が脳みそを使わず、気楽で、政権も長持ちしそうだと錯覚し、場合によっては自民党との大連立も模索したいのだが、「健全な世論」と「民主党正統派」が「国民との契約を破棄することはまかりならぬ」と眼を光らせているので、困り果てているということである。

 2011年度予算は年度内に成立する。ところが、予算を執行するために必要な40.7兆円の借金(赤字国債)を許可する「特例公債法案」は廃案になるだろう。ということは、手持ち金51.7兆円で日本を運営しなければならないのだ。一方、義務的経費は、国債費(借金の返還)21.5兆円、社会保障関係費 28.7兆円、地方交付税交付金 16.8兆円の三本柱だけで67兆円になる。その他、国家公務員や小中学校の教師の給料分が6.8兆円ある。国債が返還出来ないとなると、国債の格付けは下がり、それが長期金利の上昇へと跳ね返って景気に悪影響を及ぼしかねない。年金も満足に支給できず、公務員の給料も遅配になるかもしれない。菅もその点を見越し、戦争末期の「本土決戦、1億玉砕」の平成版的発想で事態を乗り切ろうとしているのだろう。攻める野党やマスコミは菅に「国民生活が第一」を廃棄処分させ、「増税一直線」を飲ませるだろう。この毒薬は菅執行部にとっては甘い味のする薬かもしれない。しかし、先祖返りする政治では国民生活にとって明るい展望はなく、残るのは無力感、虚脱感だけである。大喜びするのは財界の一部とアメリカの国益のみを考え、「日本はTPPなどアメリカの世界戦略を無批判に受け入れる」ことを当然視しているネオコンとオバマ大統領だろう。

「閑話休題」
予算編成に関する菅内閣の致命的失敗を指摘しておこう。民主党は有権者との公約を果たすために予算編成に際し、政治家が政策の優先順位を決め、財源は予算の総組み換え、特別会計の抜本的改廃で捻出するはずだった。ところが、菅総理はそうした努力もせず、民主党の基本方針を否定し、自民党が取り続けてきた「シーリング方式」を採用した。この方式は高度成長期ならいざしらず、昨今の景気低迷や産業構造の転換、社会状況の変化に対応出来ないだけでなく、財政赤字を拡大する時代遅れの方式である。このことについては、昨年9月の代表選で菅は小沢一郎に厳しく問い詰められ、満足に答えられなかったのである。朝日、読売、毎日など大手マスコミの論説委員たちは無能なるが故か、はたまた、「小沢潰し」の意図によってか、こうした国の基本に関わる重要な論議を「政策論議が深まらない」と論評したのである。「国のかたち、政治のあり方をめぐって、自民党と同じ「先祖返り」を突き進む菅執行部派と「政治主導=国民生活第一」の民主党正統派との路線の対立は、すでにこの時、明らかだったのだ。

 予算はさておき、マスコミは16人の会派離脱や佐藤の離党届を口汚く批判中傷し、「世論は支持しない」と報じている。しかし、Yahooの「みんなの政治」の「みんなの評価」では、菅、仙谷、岡田の「評価」は5点満点で{1}なのに、16人離脱組の会長、渡辺浩一郎は「2.5」、佐藤は小沢並みの「3」という高得点である。マスコミはこれら一連の出来事を「民主党内の内紛」「与野党の権力争い」とステレオタイプの皮相的コメントに終始しているが、これほどIQの低い、「学力不足」の評論は珍しい。有権者は直感的に事態の本質を理解しているのだ。

 現在、日本は「官尊民卑」に象徴される牢固とした官僚制度に支えられた「バラマキ利権と弱肉強食の小泉、竹中以降、極端になった市場原理主義」という古い、従来型の政治と「官僚支配を打破し、政治主導・自立と共生、地方主権」を標榜する新しい政治が、「国のかたち」をめぐって争う路線闘争の真っただ中にある。換言すると小沢一郎、鳩山由紀夫を中心とする改革派が菅一派、自民党・マスコミ・官僚検察軍団などの連合軍と壮絶な戦いを展開しているのである。先日、私は外国人特派員に「総理の座を争う単なる権力闘争ではない。『民』か『官』か、国のかたち、政治のあり方を問う、戦後初めての路線闘争だ」と説明をした。

 18年前、小沢が投じた一石は時代を作る激浪に成長した。自民党内にも公明党内にも小沢理論に共鳴する具現の士が出てきた。菅が衆議院を解散するか、それとも退陣するか、予測しようもないが、早ければ4月、遅くても6月には総選挙があるだろう。一進一退はあるだろうが、改革のうねりは、怠ることなく、大きく確かなものにしなければならない。

■「3.19一万人東京集会」の歴史的意義は大きい

 政局が極度に緊張しているであろう3月19日13時、東京・千駄ヶ谷の明治公園で「一万人集会」とデモを行いたい。連合や業界・団体が個別のテーマで抗議あるいは要求の集会・デモ行進をすることは珍しくない。しかし「3.19」は「検察問題」「TPP」など個別の要求を内包しながら「国民生活が第一」という政治の原点、あり方そのものを訴える集会、デモだ。無名の庶民が自分の意思で参加し、政治家に覚醒を促す、民主主義の原点に立脚した運動である。おそらく戦後初だろう。労組、各種団体の参加は大歓迎だが運営するのは集会・デモを取り仕切った経験の少ない無名の庶民だ。手違いもあるだろうし、ゆきとどかないところもあるだろう。

 リーダーの一人は毎週、新宿南口で、黙々と「民主党内で小沢一郎の地位保全を求める」署名運動をして、5千名以上の署名を集め、岡田幹事長に提出している人だ。また、小沢が民主党倫理審査会に提出した「私の主張」に「これこそ民主主義の原点だ」と感激して印刷し、東京駅前で配布している人もいる。第五検察審査会に単身乗り込んで、議決疑惑を暴き、国会質問につなげた猛者、菅総理の衆議院本会議での「こども手当2万6千円にはびっくりした」との答弁を聞いて「政権交代の原点を忘れたのか」憤り、自分で立てた20個の民主党の掲示板を叩き壊したサムライもいる。TPPなど時局の課題に一家言をもつ個性の強い人が多そうだ。我々が「小異を残して(注:『捨てて』ではない)大同につく」度量があれば、小沢一郎を総理にして「国のかたち」を変えることは可能だ。「消費税増税」はない。私は実行委員会の顧問に過ぎないが、老骨に鞭を打って成功させたい。言い古された言葉だが、日本のため、子、孫のために。

 小沢一郎とは不思議な男である。18年間も叩かれながら、平然として影響力を拡大しているのはまさに驚異である。小沢の母校、慶応義塾大学の創始者、福沢諭吉は「すべて事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように後悔せぬようにとばかり考えています」と語っている。小沢も同じだろう。肚のすわった者は頼もしく、強いのである。

【お詫びと訂正】
「『民』か『官』か」を寄稿した3月7日の時点では「顧問」でしたが、実行委員会で協議した結果、8日午後、岡田さんから「実行委員長を引き受けてもらいたい」との要請がありました。実行委員の方々のご努力を知っていましたので、「3.19」を成功させるために「お役にたつのであれば」ということで、お引き受けいたしました。文字通り、浅学非才ですが、歴史の一ページを彩る運動に参加出来る名誉を胸に、老骨に鞭を打って頑張ります。ご協力の程、お願いします。

Profile

二見伸明(ふたみ・のぶあき)

-----<経歴>-----

69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。
小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。
公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。
97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。
2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。
小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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