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2010年11月11日

今こそ、実行力のある骨太政治家の出番だ  菅内閣、溶解の序曲 ── 「漏えい問題」は氷山の一角にすぎない

 「中国漁船衝突事件の映像漏えい・流出問題」で海上保安庁職員が上司に告白し、(11月11日正午時点では)取り調べを受けている。流出された映像が国家機密に該当するかどうかについては ── (私は、海上保安庁が中国漁船の船長を逮捕した時に、映像を一般公開していれば、「尖閣諸島は日本の領土」との主張を世界にも訴えられたと考えているし、また、今回の事件を「最重要な国家機密」を漏えいしたものとは思っていない) ── 今後の捜査と内閣の判断を待つしかないが、直感的に、「菅内閣は救い難い。もう、駄目だ」と思う。菅総理や仙谷官房長官は、衆院予算委の答弁によると、鈴木久泰海保長官に全ての責任を押し付ける意向のようだが、そんな「とかげのシッポ切り」は許されない。「漏えい」は哲学も理念もない無責任内閣の本質を露呈した氷山の一角なのである。

 菅総理が、まず、やるべきことは、仙谷官房長官、前原外相を罷免することだ。馬渕国土交通相は、海上保安庁の上司なので、当然、辞任すべきである。それにしても、党首選に勝ちたい一念で、若手の票をあてこんで、テレビ受けはいいけれど、3回当選の大した実績もない若い馬渕を大臣にした菅総理の任命責任も問われるだろう。

 「映像漏えい・流出問題」のそもそもの原因・発端は、菅総理、仙谷官房長官、前原外相(当時:沖縄担当相)、柳田法相の無責任な対応、態度、行動にある。より根源的には、「菅内閣の信任投票」とのたもうた参院選での大敗北にもかかわらず、政権の中枢や党執行部が、一片の責任も感ずることなく、そのまま政権・党執行部の中枢に居坐ったことである。要するに、「無能と無責任」がモーニングコートをきているようなものである。「ころころ、総理を変えるのはよくない」というバカの一つ覚えのようなマスコミの扇動で、ころっと丸めこまれて菅総理を支持した206人の国会議員の心中や如何に。「ねじれ国会」でも補正予算の執行には実質的な影響はないので、菅総理も、民主党をぐしゃぐしゃにする前に身を引いたらどうだろうか。

 切り口を変えよう。前原沖縄担当相の命により、海上保安庁は命がけで中国漁船を拿捕・逮捕し、「粛々と」取り調べをするはずだった。しかし、日中対立の深刻化を懸念したアメリカは、口先では日本を支持しながら、中国にも配慮した圧力をかけ、菅政権は、中国に「映像非公開」を約束させられ、「那覇地検の政治的判断」を「是」として中国人船長を「事実上の無罪放免」で釈放した。その責任は、菅総理、仙谷、前原、柳田各大臣が負うべきである。また、前原外相はAPECに先立ち、クリントン米国務長官にハワイに呼びつけられ、「思いやり予算」の増額と引き換えに「尖閣諸島は日米安保の対象地域」とのリップサービスをもらって、大はしゃぎした。心ある者は、おそらく、「こんな無責任で軽佻浮薄な連中と一緒にメシが食えるか」とケツをまくりたくなるだろう。この風潮は、詳細は省くが、五・一五事件を彷彿させ、不気味である。

 私は、官僚が独りよがりの正義感で国家の機密を漏らすことは、絶対に許してはいけないと考えている。と同時に、この件を奇貨として、「フヌケ内閣」のもとで、着々と実力をつけ肥大化したしている警察庁や防衛省が「国民の知る権利」を制限し、さらに罰則を強化して戦前の「特高警察」の復活を目論まないよう、監視の目を光らせる必要があると思っている。

 話は飛躍するが、「守秘義務違反」の最たるものは、小沢一郎を貶めるために、流した検察のリークである。これは、国益上もまた、人権の観点からも、許されざる「犯罪」だ。民主党よ、昨年の政権交代の原点に立ち返って、政治を立て直せ。全国各地に燎原の火のように燃え広がりつつある「小沢を働かすべきだ」という叫びに、真摯に耳を傾けるべきだ。

2010年11月 7日

「我は行く さらば昴よ」── 提灯デモ従軍記 「あいまいさが高度に発達した国」を糾弾する

 古賀政男の名曲「男命の純情は 燃えて輝く金の星を口ずさみながら、11.05宵の提灯デモ「権力とマスコミの情報操作に抗議する」に参加した。名だたる有名ブティック店が建ち並ぶ、明治通り、表参道のケヤキ並木、青山通りを、シリアスなテーマにもかかわらず、サビの効いた「検察審査員 出て来い!」というシュプレヒコールに「いねぇんだから出られねぇ」とまぜっ返すユーモアさえもある、それでいて、肚の据わった草の根庶民のド根性と力を感じさせる、魂をゆさぶるデモだった。沿道を散策する人たちもびっくりしたようで、前々日、3日のニコニコ生放送「『緊急特番』小沢一郎が皆さんの質問に全て答えます」を見たのか、手を振る若いアベック姿も見られた。取材に来ていた香港の有力紙「大公報」の東京支局長・梁鐘文さんは「参加者は1000人くらいか。沿道から拍手もあって、盛り上がっている。紳士的なので、不快な感じを与えない、説得力のあるデモだ」と評価していた。このデモが呼び水となり、小さくてもいい、全国各地で、自然発生的に、「民主主義を守る」デモが多発することを期待したい。しかし、大阪、名古屋など大都市はともかく、町、村が親戚と友人、知人だけのような地方の小都市では、「言うは易く、行うは難し」だろう。デモが全てだとは思わない。小さな対話集会でもいい、チラシを作って、ポスティングしてもいい。自分の身の丈にあった、長続きする気楽な運動が大切なのだ。「継続は力なり」である。私は、時代認識として、マスコミが一役買っている「忍び寄る、民主主義の仮面をかぶった世論ファシズム」の行き着くところは、極右、極左勢力の台頭とテロだと危惧している。既に、その兆候もある。小沢支持者も小沢一郎に違和感を持っている人も、極右・極左の台頭を阻止するために勇気ある第一歩を踏み出すことを念願している。

 閑話休題。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」が、ちょっと寄り道をしたい。

 小沢一郎のネットメディア生出演は、マスメディアに革命的な衝撃を与えた。マスメディアに出演する評論家やキャスターはその局の意向を忖度し、司会者の顔色を見ながら発言する。自分の意見を言うべき場面でも「国民は、世論調査によると」と「国民、世論を『胸壁』として」小沢のいないところで小沢攻撃をする。これは、意気地なしの卑怯者だ。ネットメディアのコメンテーターたちは違った。「私はこう思う」と小沢に真っ向から切り込み、小沢も逃げずに、真正面から受け止め、ありのままを語った。一時間半の時の長さを感じさせない真剣勝負の、本物のディベートだった。マスメディアが意図的に編集した小沢像とは明らかに違う小沢がそこにいた。現時点では、マスメディアとネットメディアの力の差は歴然としている。しかし、ネットの世界、特にツイッターの世界は「安心して、何でも自由にものが言える言論空間」である。中国の反政府運動には、二年後を睨んだ権力闘争の側面もあるが、他方、ネットによって「自立した人民」の存在があるのだ。生の素材を、手を加えずにそのまま視聴者=国民に提供できるネットメディアを軽視してはいけない。マスメディアは、報道の原点に立ち返り、自己改革をしない限り、数年後には人びとから見捨てられるだろう。

 閑話休題(2)。作家・赤瀬川源平の言を借りるまでもなく、日本は「あいまいさが高度に発達した国である。その頂点が政治の世界だ。17年前、あいまいで無責任な政治風土にメガトン級の爆弾を投下したのが小沢一郎だった。

 3日、検察のリークをたれ流すマスコミ報道について感想を求められた小沢は「ニュースソースは分からないが、捜査の途中経過を詳しく報道するのは、民主主義国では日本だけではないか」と、偏向報道を、問答無用と切り捨てた。

 憲法第11条は「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」と宣言し、第13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と規定した。さらに第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」ことを義務付けた。ところが、憲法に最も忠実でなければならないはずの検察は、例えば「村木事件」では、マスコミを抱き込んで「村木は極悪女」のイメージをたれ流し、彼女の人格を否定した。この事件の本質は、「証拠の改竄」は枝葉末節の問題であって、樋渡前検事総長を先頭に、検察が組織ぐるみで憲法の理念を踏みにじった、憲法違反・憲法否定そのものをやってのけたということである。「小沢問題」も同じだ。

 マスコミも、本来ならば憲法違反の恐れがないかどうか、皮膚感覚で判断出来なければならないのに、その程度の「最低の学力」すら欠如している。彼らは「良心の呵責」の一片も持ち合わせず、「権力」の狙いと軌を一にしているからこそ、検察のリークをたれ流すのである。

 検察とマスコミが一般庶民に植え付けた小沢の「政治とカネ」疑惑とは、「世田谷の土地購入資金はゼネコンの裏献金だというものである。しかし、この問題は、あの「前田検事」をはじめ全国から辣腕検事を数十人投入し、30億円の国費を使い、西松建設だけでなく、関連するすべてのゼネコンを調べ尽くしても「シロ」だったのである。そのことを百も承知で、依然として「小沢悪人」イメージを撒き続けるマスコミは憲法を否定する「極悪人」である。また、政争の具としか考えない与野党議員も同罪だ。

 「国会招致」について小沢は「司法の場に移っているので、立法府で議論するのは妥当ではない(注;論理的に正論である)が嫌だと言っているのではない」と言っている。要するに、菅総理らが目論んでいる補正予算や関連法案との取引材料ではなく、「『いわゆる政治とカネの問題』『政倫審への出席の是非』など党で議論し、結論を出して来い」と言っているのだ。岡田幹事長だって小沢の真意は分かっているだろう。しかし、「あいまいさと無責任が高度に発達している」政治風土をぶち壊すことになる小沢発言に恐怖して、のたうちまわっているのが、菅政権と民主党である。しかし、日本が脱皮するために通らねばならない「生みの苦しみ」だ。

 「最終責任はリーダーが取る。部下に責任を押し付けない」は政治のイロハだ。にもかかわらず、「尖閣諸島問題」では菅総理、前原外相、仙谷官房長官、柳田法相は、責任を那覇地検に押し付けた。その結果は、中国のみならず、ロシア、アメリカにも足元を見透かされる羽目になっている。小沢は、かつて、中国の最高実力者・鄧小平国家主席に、面と向かって「尖閣諸島が中国の領土だったことは歴史上、一度もない。日本の領土だ」と言い切った剛の者だ。その度胸と論理に裏打ちされた見識が、菅や仙谷、前原にあるのか。菅が本物のリーダーであるならば、那覇地検の検事に責任を転嫁するのではなく「日中関係を考慮して私が釈放の決断した」と言えばいいのだ。もちろん、総理の座を捨てることも覚悟の上である。前原も「法に則って粛々とと日本人のナショナリズムをくすぐるパフォーマンスではなく、外務大臣の辞表を懐に、菅と対決すればよかったのだ。

 無責任なリーダーの下には無責任な部下と官僚しか集まらない。そして、「中国漁船衝突の映像漏えい」が示しているように、最近の一連の不可解な出来事は2.26事件の青年将校を気取ったはねっ返りだ。「あいまいさと無責任」が元凶なのだ。

 私は民主党を厳しく批判をしたが、「それでは自民党か」と誤解や錯覚をされては日本が大変なことになる。今の自民党は「無責任が当たり前」の政党だ。私は加齢(?)により気が短くなって「民主党も自民党もガラガラポンとぶち壊し、政界再編だ」と叫びたくなるのだが、小沢は「民主党を良くするために頑張る」と言うのである。血気盛んな十数年前と比べると、格段の進歩・成長で、重みと凄み、そして温かみを感じさせる円熟した大政治家である。

 閑話休題(3)。提灯デモ従軍記に戻ろう。

 アメリカの中間選挙ではティーパーティーという草の根運動をする偏狭な右翼・保守勢力が大きな影響力を行使した。日本では、「自分の意見を持ち、自分の言動に責任を持つ自立した個人」が、こよなく人を愛する共生の理念を燃えたぎらせて、政治を変える原動力になるべきだと思う。「草の根運動」がものを言う時代である。

「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ 
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし 
鳴々 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかにこの身を照らせよ

我は行く 青白き頬のままで 
我は行く さらば昴よ
(中略)

我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ」

 谷村新司の壮大な名曲「昴」は理想に向かって突き進む青年の歌だ。私は宵闇の中をデモりながら「生涯一青年」たらんと誓ったのである。

Profile

二見伸明(ふたみ・のぶあき)

-----<経歴>-----

69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。
小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。
公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。
97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。
2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。
小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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