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2010年9月19日

羅針盤なき漂流船「ポチ菅丸」が出帆した

 17日夜、友人のクールなジャーナリストから電話が入った。

「仲間と飲んでいるんだが、『難題山積だというのに、菅改造内閣は何をしたいのか、全く分からねえ』と侃々諤々の大騒ぎだ。『役人の模範答案がないので、はっきりしたことが言えないのだ』とかんぐる奴もいる。ノーサイドだっていいながら、鳩山系から、申し訳程度に、2,3人、入閣させたらしいが、小沢外しは見え見えだし、なんだか、報復人事で、まるで連合赤軍の内ゲバみたいだ。これじゃ、菅の終わりの始まりだ」。――電話の要旨はこんなことだった。

 今回の党首選ほど奇妙なものはなかった。党首すなわち総理大臣を選ぶのだから、候補者は「政治主導」「国のかたち」「国民生活」「外交理念や普天間移設」「円高対策」など、国政の基本について、論戦をかわし、国会議員、地方議員、党員・サポーターはそれを判断の材料にして投票すべき選挙のはずだった。しかし、初日の共同記者会見でその理想と期待は雲散霧消した。小沢一郎は骨太の政策を訴えた。菅直人は「雇用、雇用、雇用」と叫ぶだけだった。小沢は、自分の言葉で語った。菅の言葉は中身の乏しい「巧言令色」だった。小沢の横綱相撲に対し、菅は「政治とカネ」で揺さぶりをかけた、制限時間を過ぎて「待った」をいうようなものだった。緒戦の言論戦で菅が圧勝すると信じていた記者たちは仰天した。「野党の一級の論客」が「訥弁」の小沢に、一発で土俵外に突き出されたのだ。驚いたのは記者だけではない。国会議員も党員・サポーターも、また、一般国民もびっくりしたことだろう。

 菅のトラウマは最後まで消えなかった。政策は「小沢理論のパクリ」と揶揄された。みっともなかったのは、テレビ朝日の討論会で小沢に完敗した菅が、再度、テレ朝に単独出演し、弁明と釈明をしたことである。極め付きは、14日の臨時党大会の演説だ。小沢は「夢」を語った。

 「私には夢がある。役所が企画した金太郎アメのような街ではなく、地域の特色にあった街で、お年寄りや子どもや近所の人がきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と、大勢の人たちがそこに集まり、楽しむ、どこでも一家団欒の姿が見られる日本。一方で、個人が自らの意見を持ち、外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本にしたい。(中略)私は代表となっても、できないことはできないと正直に言うつもりだ。しかし、約束したことは必ず守る。(中略)日本を官僚の国から国民の国へと立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたい。そのために私は、政治生命はおろか、自らの一命をかけ、全力で頑張る決意だ」。

 菅も、とってつけたように「夢」を述べた。

 「私にも夢がある。元気な日本を復活させ、次の世代に引き継いでいきたい。私自身はボロボロになって倒れようとも、その先頭に立って戦い、バトンを渡す。それが私の新しい、そして、最後の夢だ」。

 小沢は「国、社会、暮らし」とそれを支える「共生の理念」を語った。菅は民主党党首に再選されることだけを考えていた。自民党の総裁選挙でも、候補者はそれなりに天下国家を論じたものである。菅直人にはそれがなかった。彼が再選出来たのは、政策論争で小沢を打ち負かしたからではない。マスコミが一年半にわたって国民に擦り込んできた符丁(暗示)「政治とカネ」=「小沢は悪人だ」というネガティブ・キャンペーンの成果である。

 菅勝利の追い風になった「脱小沢」とはなにか。

 一つは、仙谷官房、野田財務、前原外務、岡田幹事長、枝野幹事長代理など、無責任な、おしゃべり・サロン政党に郷愁を抱く「オリジナル民主党」である。小沢は「野党は政権奪取を最優先すべきだ。マニフェストは国民との約束だ。死に物狂いで守れ」という当たり前の「政党文化」を民主党に持ち込んだ。まさに、「泰平の夢」を破る「黒船」だった。そして、民主党は政権を取った。「オリジナル民主党」の政治文化は「おままごと」であることが立証されたのである。彼らにしてみれば「軒先を貸して母屋を取られる」以上の屈辱だったにちがいない。「クリーンでオープン、公正・公平な民主党」とは似ても似つかぬネガティブ・キャンペーンの発信源のひとつでもあり最大の受益者でもあったのは、おそらく、彼らだろう。

 二つには、1,2年生議員の解散恐怖心だ。菅は「小沢なら解散するが、私はしない」と囁いた。私の友人の民間人は、数人の一年生議員に「『政策や力量・指導力では圧倒的に小沢さんだが、解散が怖い』と相談された。『菅さんだって、国会運営に行き詰まり、来春、野垂れ死に解散もあり得るよ』と答えたが、彼らの結論は『解散が怖いので、菅さんに賭けてみる』だった」と語っていた。

 三つは「小沢さんの政策を菅さんがちゃんとやってくれるのなら、コロコロ総理を変えなくてもよいのでは」という微温派である。菅内閣が、実体的には「官僚支配内閣」であることが明らかになったとき、彼らはどうするのだろう。事業仕分けも三回目ともなると、役人が用意する飴玉もなくなってくる。役人の振り付けに喜んで踊っている「志」のない国会議員は別にして、まともな議員は、さぞ悩むことだろう。

 そして、四つ目は「菅中枢」と情を通じあったマスコミと、それを無邪気に信じた「大衆」である。70歳以上の方は記憶にあるだろうが、1941年12月8日の真珠湾攻撃直後、日本軍がシンガポールを陥落させ、占領したとき、朝日、読売、毎日新聞は「観呼」の声を上げ、国民をそそのかした。全国で「鬼畜米英」「天にかわりて不義を撃つ」と提灯行列が行われた。そして、直後から敗戦の坂道をころがり落ちた。今回のマスコミの異常な「小沢叩き」が私には69年前の情景とダブって映るのである。

 新宿の立会演説会で、突如沸き起こった「小沢コール」は、私の友人のオバチャンたちが火付け役であった。彼女たちは、マスコミの巧妙な世論誘導に反発して、「小沢、小沢」と叫んだのだ。それが、「燎原の火」の如く会場全体に燃え広がり、大阪、札幌にも飛び火したのである。新聞の「世論」も世論だが、「小沢コール」も自然発生的な世論である。

 田中秀征氏は、「鳩山と小沢を結びつけたのは、菅のあざとさではないか」と書いている。「あざとさ」には「あくどい」という意味もある。自分の地位を守るため「あくどい」手段を講ずることを否定はしない。8月25日、安住選対委員長は、落選した小沢派の河上みつえさんに「生活が大変だろう。何に使ってもいいから」と300万円届けて来たそうである。彼女は「結構です」と断ったが、人の弱みにつけ込む卑劣なやりかただ。岡田幹事長は「敗戦の責任者」の枝野前幹事長を幹事長代理にし、よりによって「選挙担当」にした。本来であれば、頭をまる坊主にして、八十八か所お遍路めぐりをしなければならない者を、責任を不問にして、要職に起用するとはどういう神経なのだろうか。要するに、誰も責任をとらないで済む「新しい政治文化」を作ろうとしているのだろう。「クリーンでオープン、公正・公平」は、国民向けの「ファッション」にすぎない。小沢は10月24日の衆院補選について、党首選後の会合で「民主党政権を成功させなければならない。町村(信孝)に負けるわけにはいかない。『勝て』」と檄を飛ばしている。しかし、党中枢に渦巻いているのは、「小沢憎し」のどす黒い「憎悪の哲学」だけである。

 それでも、代表選はやってよかった。小沢の話を聞いて多くの国民は、初めて民主党の「改革」を理解した。与野党の別、また主義主張を超えて、国会議員は「政治家の覚悟」を思い知らされただろう。菅も民主党の党首である限り、民主党の政策を実行せざるを得なくなった。しかし、菅は官僚とアメリカに屈服する安易な道を選んで、小沢という羅針盤を捨てた。菅の改造内閣の顔ぶれが明らかになったとたん、アメリカの「高官」たちが、そろって「歓迎」の意を表している。菅とともに外相に「対米従属派」の前原がなったことには、ムキ出しの喜びぶりである。

 菅は、風だけを頼りに船出をした。マスコミは、チャンスを見て旧勢力復活のために、暗躍するだろう。それが悲しいことだが現下のマスコミの本質と役割だ。旧勢力への「御恩返し」である。

 そう遠くない将来、小沢一郎の存在価値が「多数」に理解される日がくるにちがいない。気がかりなのは、「多数」がこのことに気づいたとき、「手遅れだった」ということになることである。

2010年9月13日

やはり、小沢が真のリーダーだ

 マスコミの「挙国一致」「一糸乱れぬ」非難・中傷の嵐の中を、悠然と行く改革の闘士、小沢一郎と「コロコロと総理を変えるのはおかしい」という「世論」を作り出して、マスコミが総力を挙げて支援する菅総理との死闘は、明日14日に終わる。形の上では、小沢vs菅だが、実体は違う。本質は改革を忌避するマスコミや旧勢力と小沢との代理戦争である。

 7月の参議院選挙で民主党は惨敗した。これは、44議席しか取れなかったという次元の問題ではない。民主党にとって、「改革」を進めるためには、参院選は最低でも54議席を獲らなければならない選挙だった。だからこそ、支持率を回復し、参院選を勝つために、鳩山総理、小沢幹事長は屈辱的な辞任をした。小沢にとっては、「政治とカネ」を理由に辞任することには――党首選に関連してのマスコミ各社のインタービュー等で、検察の捏造であることが、改めて明らかになったが――「完全シロ」であるだけに、心情は複雑だったと思うが、私情を捨て、過半数獲得を最優先した。6月中旬、小沢は「これで 60議席は獲れる」と、「V字回復」を喜んだ。
 にもかかわらず、菅総理は、党のマニフェストに違反する「消費税増税」を唐突に「公約」し、仙谷官房長官、野田財務相、枝野幹事長、前原国交相、玄葉政調会長など政権与党の幹部はそれに同調した。参院で過半数を占められない「ねじれ国会」は、民主党が衆議院で過半数を占めても、今後、少なくとも6年間、或いは9ないし12年間続くことになる。「改革」が遅れるのだ。否、「政治主導」はホゴにされるのだ。それどころか、次の総選挙で民主党が敗れれば、「改革」は不可能になるのである。この責任は重大である。本来であれば、菅総理は、代表選に出る資格はなかったのだ。

 石原自民党幹事長は「政策的には菅さんと近いが、ばらまきをやる限りはダメだ。『日本の財政には漫然と構えている余裕はない』という認識があるなら、抱きつかれてもいい」と述べている。要するに、菅総理の政策は小泉・竹中路線に近いのだから、マニフェストを骨抜きにし、消費税増税をしようではないか、という呼びかけである。16年前の自社さ大連立の「夢よ、再び」を目論んでいるのであろう。
 小沢政権では、自民党はちょっかいを出せない。民主党の改革路線は、いばらの道ではあるが、着実に進むだろう。菅総理続投の場合は、自民党と手を結び、ポストや影響力を残したい現幹部が権力亡者になるだろう。しかし、小沢と小沢の理念・政策を支持した議員の厳しい目が光っている限り、自民党に操を売るのは簡単ではない。

 脳学者の茂木健一郎さんは、ツイッターで「(@ozekihiroshi)菅直人氏の記者会見を見ていたら『何だ、この程度なら俺でも絶対に務まる』と考えた人も多かったのではないか。一方、小沢さんはというと、一国の総理になり、国を良くしようと志すとはこれほどまでに覚悟のいることか、到底出来ることではないと、多くの人が感じたのではないかと思った」というつぶやきを紹介していた。私もテレビでの討論会など見ながら、「菅直人は、所詮、野党の論客だな。地方分権や、国家像、社会像、現下の経済問題などについては、はっきりせず、小沢とは格が違う。マスコミのネガティブ・キャンペーンがなければ小沢の圧勝だ」と感じた。「小沢の話を聞いて、初めて、民主党の目指す改革が深く理解出来た」人も多いのではないだろうか。

 1933年、ヒットラーの登場。1941年、日本の太平洋戦争突入。1970年、アメリカのベトナム戦争。2003年、イラク戦争。これらはすべて「世論の圧倒的支持」受けていた。その「世論」はすべて、マスコミが煽って作り出したものだ。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞は、太平洋戦争に関しては、軍部と共同正犯である。にもかかわらず、戦後65年経っても、なんらの謝罪もない。無責任を通り越して、「破廉恥」である。
 「世論」は大事だ。しかし「世論」は必ずしもつねに「正義」ではない。また、「世論」は決して責任は取らない。支持者が「右といえば右」では議員なんか誰でも務まる、無責任な、気楽な「商売」だ。
   
 党首選は「政治主導」か「霞ヶ関に屈服し、『第二自民党』という安易な道にのめり込む」か、を決める選挙である。小沢一郎は、次の若い世代に、新しい国を引き渡すために「自分の命」を投げ出しているのだ。「西郷は大きく叩けば、大きく響く。小さく叩けば小さく響く」と評したのは坂本竜馬だったと思うが、政治家は、自分の小さな器量を脱皮して、日本の未来、子や孫のために判断すべきではないだろうか。この期に及んで「迷っている」議員は、現在と近未来の自分のポストだけを見るのではなく、50年後、100年後を見て、判断すべきである。

 小沢一郎は、やはり、真のリーダーである。

2010年9月 8日

「世論調査」至上・万能主義は恐ろしい

 マスコミの世論調査が出揃った。予想どおりと言うべきか、各社が談合したかのように「首相にふさわしい」菅65%前後、小沢17%前後である。私は、かつて、「たかが世論調査、されど世論調査」を寄稿し、世論調査の限界と問題点を指摘したが、今回の「世論調査」は悪質で、あきらかに恣意的である。

 5月19日、衆議院前議員会総会で、世論調査の専門家・峰久和哲氏(朝日新聞編集委員)は次のように講演した。

☆「世論調査は政治を導くための『正解』を示すものではない。世論調査どおりに飛行機を動かしたら、飛行機は墜落してしまう。パイロットたる政治家が国家を運営していけばいいので、世論調査の数字どおりに国家が運営できるなら政治家はいらない」

☆「例えば『小沢幹事長は辞任すべきだと思いますか』ということを世論調査のたびごとに質問して、その都度、回答を引き出すのも、小沢幹事長へのマイナスイメージを有権者に定着させているのではないかと、自戒しながらやっている」

☆「小泉総理は2006年9月に辞めることが、かなり前からわかっていたので、1月から9月まで(世論調査で)『次の総理は誰がいいか』と聞き、いつの間にか安倍さんが断トツになってしまった。ある意味で、世論調査が作った総理だ。『次の総理は(という質問)』は本当に気をつけなければいけない」

☆「(質問の順番や、やり方により)数字を操作しようと思えばある程度のことは出来る。その意味で、世論調査はとてもおっかないものだ。それによって政局をつくることができる、あるいは、国民を一定方向に誘導することが出来るとさえいえる。世論はこう考えているから、政治指導者はこうすべきであるということはやってはいけない。(アンダーラインは引用者)

☆「社論に都合のいいような世論調査をしてはいけない。世論に迎合した社論もつくってはいけない」

☆「経済や外交問題などの難しい質問をしても、昔だったら、うーんとすごく時間をかけて『分からない』という答えが多かった。最近は考えもしないで『賛成だ』『反対』だと軽やかに回答が返ってくる。自分の意見を答えるというよりも、今こう答えるのが正解かなと、ノリで調査に応じているのではないかと思う。『世論』が劣化している」

 固定電話を対象にしたRDD電話調査では、携帯電話を利用する人の意見を聞くことができないので、「偏った世論」になる。外注もできるので、調査の操作は可能である。しかも回答率は、かつては、80%前後なので、調査に信頼性はあったが、最近の世論調査の回答率は60%程度で、今回の朝日も60%である。「偏った世論」を分母にした調査自体に問題があるばかりでなく、40%が回答を拒否した調査には、正確さ、信頼性そのものに疑惑と恣意性を感じる。TBSの58%に至っては「調査」とよぶに値しない、TV のクイズ番組なみのものである。それを、恥ずかしげもなく一面のトップ記事にする、あるいは電波に乗せる神経が理解出来ない。一つの参考情報として、紙面の片隅に載せればいいものである。にもかかわらず、「わが社の世論調査」こそ「民意」だと大上段に振りかざし、これを理解出来ない議員や党員・サポーターは「民主主義の敵」だと言いたげである。戦時中、軍部の意向に従って「挙国一致」を強制して「鬼畜米英」「聖戦」「欲しがりません、勝つまでは」と煽ったのと、まったく同じやり方だ。

 朝日新聞の度重なる変節は見苦しい。戦前、軍部を批判していた「朝日」は、満州事変を境に、戦争を阻止するどころか、軍部官僚と一体になって戦争を美化し、軍部に批判的な多くの良識人の言論を封じ、挙句の果てに、国民を悲惨な目に追い込んだA級の戦犯である。

 戦後は「革新の風潮」に便乗し、反米・反権力の「知性派」のメディアとして君臨した。しかし、東西冷戦構造が崩壊し、自民党の長期政権が半永久的に続くと見立てるや、軸足を「親米」「親自民党」に移し、「霞ヶ関」の擁護者になった。「普天間」では外務官僚に協力し、アメリカの世界戦略の広報・宣伝を担当した。読売、毎日などほとんどのマスコミも同罪である。菅総理は官僚の抵抗に屈して、「消費税」と「予算編成」で、「霞ヶ関」と手を結び、「日米対等外交」を放棄し、「対米従属外交」を容認した。政権交代の意義をないがしろにしたのである。マスコミはそれを是とした。「霞ヶ関」もマスコミも、現在の政治、行政の仕組みを変える指導力、決断力も実行力もない「リーダーシップ欠落の総理」なら、誰でもいいのである。

 東京、大阪の街頭演説会では「小沢コール」が沸き起こった。予想外の出来ごとに、マスコミはびっくり仰天し、「小沢陣営が動員をかけた」と言いつのった。演説を聞きに行った友人は「あれは動員して出来るものではない。地鳴りのように、地響きのように、地の底から湧きあがってきたものだ」と語った。小沢の叫びが庶民の魂を揺さぶったのである。時代を変えるのはマスコミではない。名もない庶民の怒りだ。

 ところが、ネットの世界ではおしなべて、80%前後が「小沢支持」である。この違いはなにか。それは「今、こう答えるのが正解かな」と、マスコミの強い願望とマインド・コントロールの成果を反映する「世論」と、二人の候補の政策を読み、聞き、判断する「自立した個人」の判断に基づく「世論」との落差である。政治、経済、外交について、2~3分の電話調査で「イエス・ノー」を求めるのは無謀だ。それを、百も承知の上で「国民を一定方向に誘導」するのは悪質な「世論調査ファシズム」である。

 先日、友人の出版記念会で会ったある週刊誌の記者が「小沢のオーラが強いので、反対派も多いはずだ。だから、小沢攻撃の記事を載せると、売り上げが伸びると思って、『反小沢』の旗振りをしているだけだ」と語っていた。某政令指定都市の市議会議員の友人は「4年間、毎日のように街頭演説をしている。鳩山辞任の時は罵声を浴びせられるなど、つらい毎日だったが、党首選が始まって以来、反応が180度変わった。半分以上の人が『小沢頑張れ』と激励してくれる」と語っている。私の住んでいる茨城県は12月に県会議員の選挙がある。今朝、土浦市選出の県会議員が暮れの県議選のために駅立ちをしていたところ、「総理は小沢だ」という声が多く「ナマの声とマスコミの調査とはだいぶ違う」と驚いていた。

 マスコミの世論調査を全否定はしない。しかし、今回の「小沢を落とす」ための「調査数字」の暴力的といえる乱用・多用の異様さを指摘しないわけにはいかない。再び言おう──「マスコミは日本をどうする気だ」と。今、日本人の心をジワジワと蝕んでいる「世論調査ファシズム」は、結局のところ、小田実が三十年以上前に予見した「民主(の衣をまとった)ファシズム」に通じるからである。

2010年9月 1日

マスコミは日本をどうする気か ── 日本を救えるのは誰だ

 古い政治を否定し、新しい日本を目指すラジカルな「改革者・小沢」が、自己保全のために小沢との談合を模索した「権力志向主義者・菅」の思惑を一蹴し、俄然、政治が面白くなってきた。17年前、「普通の国」(日本改造計画)をひっさげ、長期にわたる与野党談合政治を叩き壊した小沢一郎が「落日の日本」を救うべく人生の全てを賭けて起ちあがったのである。未来を想像する能力・感性がなく、現実を直視し、理解することを嫌い、変化を恐れ、ぬるま湯に浸かることを願っていた政治家、官僚、マスコミは肝を潰して跳び上がった。朝日新聞の27日の紙面は、まるで半狂乱である。社説、編集委員・星浩の一面の署名入りの記事、コラム「天声人語」を始め、紙面の大半を「小沢叩き」一色に染める異常さである。狙いは、「小沢潰し」の世論を煽り、週末に選挙区に帰る議員にプレッシャーをかけることである。菅陣営やマスコミは「小沢の方が適任だと思っていても、地元後援者から『なぜ小沢か』とつるし上げられれば、ほとんどが寝返るはずだ」と目論んでいる。いうなれば、菅陣営とマスコミ合作の謀略である。そんな「悪知恵」と実行力のある議員は全共闘、新左翼出身の仙谷官房長官だけだろう。菅派と目されている議員は「菅が総理の器でないことは百も承知しているが、それ以上に、お世辞の通用しない、原理原則を大切にする、無口な小沢が怖い」と言う。菅陣営は「脱小沢」「憎小沢」だけで群れている不思議な集団である。

 今回の党首選は、従来型の、総理の座を争う単なる権力闘争ではない。日本の将来、国民生活の行く末を占う路線闘争、日本の政治、経済、社会の底流を流れる二大潮流の争いである。すなわち、「生活重視派」vs「財政再建=増税派(新自由主義)」、「政治主導」vs「政治主導の仮面をかぶった官僚支配」、「日米対等外交」vs「対米従属外交」の闘いである。
 昨年秋、小沢一郎が国会議員160余人を引き連れて訪中し、胡錦涛主席と会談した。当時、ワシントン特派員としてホワイトハウス、国務省を取材していた友人は「日本の総理の発言などにはほとんど関心を示さないオバマ政権が、小沢の実力にショックと大きなプレッシャーを受けた」と語っていた。今年1月、アメリカで行われた「世界を動かす政治家」の世論調査で「1位 胡錦涛、2位 オバマ大統領、3位 (与党の幹事長にすぎない)小沢一郎」だった。超大国アメリカと堂々と渡り合えるのは、残念ながら、日本では、いまのところ、小沢一郎だけだ。

 「政治主導」は実現しなければならない大命題である。菅総理は薬害エイズで名を上げたアンチ官僚派だった。しかし、政権入りしてからは急速に色あせてきた。とくに、総理になってからがひどい。「普天間」「消費税増税」は官僚の振り付けどおりに踊っただけである。
 小沢の「政治主導」は「筋金入り」である。なにしろ、1969年の初当選以来、41年間、叫び続けている悲願である。「党首討論」、「官僚の答弁禁止」、「副大臣、政務官」はそのための布石だ。「公務員制度改革」「特別会計の改廃」「独立行政法人を、原則、民営化または廃止」「補助金制度の廃止し、地方に一括交付」など、小沢改革は「血の雨の降る大事業」である。小沢の剛腕とそれを支える民主党議員の高い志が不可欠である。

 マスコミは「小沢が立候補すると、党が分裂する」と、党内外に不安感を煽った。それだけではない。「『政治とカネ』問題を残した小沢は総理にふさわしくない」「総理をコロコロ変えるのはよくない」と、「善良な市民」の洗脳に専念している。その効果が、1000人程度の小規模な世論調査の70%を超える「菅続投支持」である。しかし、実体は、菅派の蓮紡行政刷新相がいみじくも述べているように、「菅さんを支持しているのではなく、総理をコロコロ変えるのはよくない」からである。読売オンラインなどネットの世界では、小沢支持は80%前後で、小沢支持が圧倒的である。「世論調査」の数字だけが「民意」とするのは、一種の詐欺行為である。
 民主党がマニフェストの実現を目指して戦い、敗れたのであれば、その責任を菅総理、仙谷官房長官、枝野幹事長に押し付けるのは酷である。だが、菅総理はマニフェストを勝手に変え、あろうことか、消費税の増税を「公約」した。そのため、多くの有為な人材が犬死させられた。この責任は誰が取るのか。本来であれば、総大将と筆頭家老、次席家老は切腹して、謝罪すべきなのだ。百歩譲っても、仙谷、枝野の首を叩き切って反省の姿勢を示すべきだった。民間会社であれば、社長は大赤字の責任を取らされて、即刻解任である。

 日本の政治の最も悪い点は「誰も責任を取ろうとせず、曖昧にする」ことだ。菅総理は、かつて、自身のホームページに「戦争責任を戦後の政府があいまいにしてきた。何がまちがいであったか総括せず、けじめをつけていないことが日本人の後ろめたさ、自信のなさにつながっている」と書いた。この認識は卓見であり、私も賛成である。しかし、「綸言汗のごとし」である。菅総理は参院選の敗北の責任を、自ら示すことによって、その名を後世に残すことが出来るのだ。

 鳩山前総理が党の分裂を心配して調整に乗り出した労は評価したい。小沢の本心は、30日夕、議員会館の自室で語った「いまの日本はこのままでは本当に沈んでいく。みんなで挙党一致で頑張らなければいけない」「自民党のように政権を維持していくためには、争いは争いとして、ちゃんと終わったら党のためにお互い助け合っていく意識を議員も持たなければダメ」(朝日31日付)なのである。当初から「静かにしてもらいたい」と「小沢排除」を鮮明にし、いたずらに党内に溝を作ってきた菅総理とは人間の格と幅、奥行き、器が違い過ぎる。

 いわゆる「政治とカネ」について触れておきたい。「起訴」は真っ黒、「起訴猶予」は黒に近いグレー、「嫌疑不十分で不起訴」は限りなくシロの近いグレー、「不起訴」はシロである。「政治とカネ」の中核である「5000万円の裏ガネ」は根も葉もないでっち上げであることが、検察の捜査の結果、明らかになった。「完全無罪」ではなく「完全冤罪」である。この段階で小沢に「政治とカネ」の問題はなくなった。残るのは、第5検察審査会で審査している「期ずれ」だけで、これも検察は執拗な捜査にもかかわらず、起訴出来なかったものだ。国会議員もマスコミも、内心では小沢が「政治とカネ」に関して「シロまたは限りなくシロに近いグレー」であることは知っている。しかし、小沢を潰すために、国民を洗脳する使い勝手のいい道具として、政局に利用しているのである。

 小沢の国家像は「日本改造計画」で明確である。しかし、菅総理の国家像はよくわからない。総理との懇談会に出席した一年生議員たちも、「結局、何がしたいのかわからなかった」「マニフェストを実行していく、無駄遣いをなくしていくという強いメッセージが欲しかった」「個別政策の話ばかりだった」と不満を漏らしていた(朝日26日付)。

 政党の命は政策=マニフェストである。政治家には二つのタイプがある。マニフェストを国民との契約と考え、既成勢力が作ってきた「現実」を変えようと死にもの狂いで努力する「現実変革、契約派」と「現実」に擦り寄り、妥協したほうが楽だと考える「現実追従、口約束派」である。今回の党首選は「現実変革派」vs「現実追従派=第二自民党化」との戦いでもある。

 党首選の底流に、民主党を超えて、日本が抱えている大きな対立軸があることから目をそらし、小沢潰しだけに躍起になっているマスコミに、「日本の知性を代表する」朝日新聞の社説の見出し「あいた口がふさがらない」を献上したい。

 2008年、朝日新聞は、自社を含む新聞の戦争責任を総括する「新聞と戦争」を刊行した。それによれば、満州事変の2年前、1929年10月1日、朝日の社内会議で編集局長・高原操は「どこの国においても言論機関が軍務の当局者と一緒になりて軍備拡張に賛成した場合はかならず戦争を誘ひ、他国の軍備をまたさらにそれ以上に増大せしめるものである」と説いた。「その高原が(満州)事変で、筆を曲げた。(中略)戦後、新聞社の幹部らは、軍部に抵抗しきれなかった理由に、『従業員やその家族の生活』や『新聞社の存続』を挙げた。だが、新聞の戦争への影響力を思えば、通用しない言い訳だ。ペンを取るか生活を取るかは、ジャーナリズムとしての覚悟の問題に帰する」と書いている。日本を滅ぼしたのは軍部だけではない。軍部に迎合し、お先棒を担いだ朝日、読売、毎日などジャーナリズムもA 級戦犯だ。彼らは一片の反省心も羞恥心もない不思議な人種である。
昨年3月3日、東京地検と朝日新聞が組んで、でっち上げた大久保公設秘書逮捕劇を皮切りに、マスコミ各社が、検察の意図的なリークが「小沢潰し」であることを承知の上で、たれ流し続け、政治不信、政治の停滞を招いたことをどう総括するのか。「『従業員やその家族の生活』や『新聞社の存続』のため」と総括するのだろうか。   

 私は小沢一郎の友人である。だから、マスコミが小沢を批判することに異をとなえているわけではない。マスコミが「挙国一致」で、小沢の当選阻止を画策していることに、マスコミを抱き込んで、あるいは、マスコミ自身が世論操作をする、新しい「『世論』ファシズム」の危険な匂いを感じているのである。

Profile

二見伸明(ふたみ・のぶあき)

-----<経歴>-----

69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。
小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。
公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。
97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。
2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。
小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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