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2010年5月26日

たかが世論調査、されど世論調査

 5月23日、鳩山総理は普天間移設問題について「辺野古周辺海域」を提示し「『出来る限り県外』という言葉を守れなかったことを、心からおわび申し上げたい」と陳謝した。政府最終案は、総理の発言などから推測すると、自公原案よりはましなものになりそうだが、「国外」という理想との落差が大きすぎて、「公約違反」との非難や不満が渦巻くのはやむを得まい。一方、忘れかけていた「沖縄問題」を呼び起こし、「日米関係・米軍基地の見直し、再構築のスタートになる」「安全保障という国の根幹にかかわる問題を、真正面からとらえ、国民的議論を開始するチャンスだ」、と前向きにとらえる意見も多い。マスコミはどんな世論調査をするだろうか。

 本来、世論調査で数字を出すべき世論には三条件――①国民みんなで共有している②議論が行われている③そのプロセスで多数意見が醸成されていること――が必要といわれている。しかし、高ぶった感情の中で行われる世論調査は「真の民意」を反映しているといえるのか、単に、感情のぶつけ合いに堕する恐れはないのか、簡単に外注できる、安上がりのRDD電話調査の限界と問題点は何かなど、検証し、対策を考えるのも無意味ではあるまい。

 5月19日、衆議院第一議員会館で前議員会主催の、「世論調査は信用できるのか」についての講演があった。講師は朝日新聞編集委員・世論調査の責任者、峰久和哲氏。講演の要旨をケイ線で囲んで紹介(文責・筆者)し、若干の私見を述べたいと思う。

 世論調査の「劣化」
 調査の基本形は「訪問面接調査」だ。回収率は長い間、80%以上を保ったが1980年代に80%割れが始まり、現在では、ライフスタイルの変化などでなかなか会えず、会えても、「調査拒否」されるケースが多い。それで、電話調査に切り替えたが、個人情報の問題もあり、東京では電話帳に載せているのは40%程度だそうである。しかも、電話帳に載せているのは、高齢者が多く、自民党支持者が多い。載せていない人は「無党派」が多い。電話調査の欠点を補うために、小泉内閣発足前後に採用されたコンピューターで無作為に抽出されたRDD電話調査も、回収率60%の確保がぎりぎりである。低回収率の最大の要因は「調査拒否」である。

 峰久氏は昨年4月24日の朝日新聞で「調査時間帯に全員不在だった世帯も分母に含めると、実質的な回収率は50%に満たない惨状だと思われる。(中略)非常に回収率の高い世論調査でも常に3ポイント前後の誤差があることが分かっている。回収率が低いRDDだと、正直、どれくらいの誤差があるのか計算も出来ない」と述べている。さらに、携帯電話族は調査の対象から除外されているので、これを考慮すると、「正確度」は、はなはだ怪しくなる。

 「調査拒否」層とは何か。種種雑多な調査電話に本能的に嫌悪感をもっている人、最近の内閣支持率調査に不信と違和感をもっている人が多いのではないだろうか。

 世論の劣化
 知らないことを考えもしないで、いとも軽やかに回答する人たちが増えてきた。それは、「自分の意見を言う」ことよりも「正解をさがす」ことを教えてきた日本の教育の問題である。知らないことでも、複数の選択肢から「正解」らしいものを探がし出せば良いわけで、例えば、「支持率が下がっているので、『支持しない』が『正解』らしいから、支持しないに○をする」という類だ。支持・不支持の定義もあいまいである。5月の朝日の世論調査では、内閣支持率は前月比4ポイント減の21%、不支持率は3ポイント増の64%だが、にもかかわらず、「辞任すべきだ」は前月比8ポイント減の43%、「辞任する必要はない」は9ポイント増の49%である。「不支持」の中には確信的不支持論者もいるが、テレビを見て、軽い気持ちで「ちょっと支持しにくい感じだな」といった反応の人も「不支持」にカウントされるので、「不支持」者のかなり多くが「辞任する必要はない」と回答していることになる。
 人びとの「関心領域」も「情報量」も増えたが、「社会全体で関心をもつ問題」が減ってきた。

 世論調査の回答が「自分の意見」でなくクイズ番組と同じに「正解を探がす○×式の回答」とは、ショッキングである。世論調査を悪用すれば、民心や「民意」などいかようにも操作できる、「世論ファシズム」の恐怖を自覚すべきだ。マスコミ報道の与える影響について峰久氏は、「調査のたびごとに『小沢は幹事長をやめるべきだ』言われれば、『小沢は辞任すべきだ』に○を付けることになる」と語っていた。

 同じ調査をしてこの違い
 08年8月に行った福田改造内閣の支持率について、同じ日であるにもかかわらず、読売新聞は41.3%、朝日新聞は24%と、全く違う結果になった。この違いの根源は、質問文にあった。読売は「このたび、福田内閣は改造しました。あなたは福田内閣を支持しますか」と前置き付きだったのに対し、朝日は前置きなしで「あなたは福田内閣を支持しますか」と単刀直入である。

 昨年6月の温室効果ガス削減目標15%について、「妥当」という回答は、共同通信26.5%、朝日49%だった。この違いも質問文による。朝日は「経済界はもっとゆるい案を、環境大臣は厳しい案を主張したが、その間をとった」と説明し、共同は、15%削減をするためには個人の家計負担が増大すると説明した。

 また、質問文の言い回しの違いだけでなく、曖昧な回答した人に「重ね聞き」をすることによって、回答に違いが出てくる。「難しい質問」には「補足説明」が必要になり、その説明が「誘導」を生む。

 NHKは検察が「小沢不起訴」を決めた直後の2月5日~7日にRDD方式で世論調査を行い、その中で「民主党の小沢陣営との政治資金をめぐる事件で、小沢氏が不起訴になる一方、元秘書の石川衆議院議員ら3人が逮捕・起訴されました。あなたは、小沢氏は、今回の事件について、国民に説明責任を果たしていると思いますか、それとも果たしていないと思いますか」と質問している。

 ところが、1か月後の3月5日~7日の調査では「民主党の小沢幹事長の政治資金をめぐる事件で、元秘書の石川衆議院議員ら3人が逮捕・起訴される一方、小沢氏本人は不起訴になりました。あなたは、小沢氏は、この事件について、国会の場で説明する必要があると思いますか。それとも必要ないと思いますか」と質問している。

 2月の調査では「国民に説明責任を果たしていると思うかどうか」と質問したが、小沢幹事長は、すでに、東京地検から事情聴取された1月23日夜の記者会見で、300人を超す報道陣に丁寧な説明をし、その後も数次にわたる記者会見で全ての質問に答えていた。国民の知る権利は、マスコミの公正な報道によって充足される。論理的には、小沢が記者会見という公的な場で、マスコミを通じて、説明をしていたことが、国民への説明責任をかなりの程度、果たしたことになる。マスコミが公正に報道していれば、国民の意識も変わっていたと思うが、しかし、マスコミは、ほとんど報道しなかった。国民への説明責任を妨害したのはマスコミそのものである。NHKは、おそらく、その問題に気付き、「国民への説明責任」を「国会の場での説明」に切り替えたのだろう。NHKは小沢が真摯に説明責任を果たしてきたことを、暗黙のうちに認めたのではないだろうか。しかし、「国民への」を「国会の場」に切り替えた説明をしないので、国民は「説明責任を果たしていない」と思っている。

 私は、小沢幹事長が「国会の場で説明」することに賛成である。3月に、「THE JOURNAL」に掲載された拙文「シャイで不器用な小沢と狡智な『きつね』」で「小沢は、『弁明』を絶対にしない男だ。それは、長所であると同時に致命的な短所でもある。だが、私は、今こそ、日本のために、小沢は国会で語るべきだと思う。それは、弁明ではない。国民に真実を伝えまいとする、自民党やマスコミに対する警鐘である」と書いた。小沢に政治倫理審査会で、しかも、公開の場で発言され、国民の中に「納得」の声が出てきて困るのは、自民党とマスコミだろう。

 社論で世論調査を誘導してはならない。これは新聞社、テレビ会社が深刻に受けとめなければならない原則である。また、世論調査を根拠に社論をつくってはいけない。

 至言である。参議院選という「国のかたち」の大事業に、政党、政治家のみならず、マスコミも今までの報道を点検、総括し、改めるべきは勇気をもって改める、ジャーナリストの本義に立ち返ることが出来るかどうかの試練に立たされている。

 「平成5年の郵政選挙で当選した小泉チルドレンは『身に覚えのない票を獲得した』ことを自覚しなかったので、惨敗した。昨年当選した小沢チルドレンも『身に覚えのない票』を自覚出来なければ、次の選挙で落選する。厳しい逆風の中で森元首相や福田康夫さんが当選出来たのは、逆境をはねのける個人としての『力』があったからだ」と峰久氏は言う。

 自民党も同じだが、二人区で自民・民主で分け合ってきた議員、三人区で一人しか公認しないので、事実上無風選挙を「楽しんで」いた議員は、複数擁立という小沢戦略により、生まれて初めて経験する「地獄の苦しみ」にあえいでいることだろう。しかし、この苦しみを乗りきったとき、初めて「政治は国民生活が第一」という小沢理念の正しさを理解出来るのだと思う。

 峰久氏はいみじくも言った。「たかが世論調査、されど世論調査」

 新人諸君。世論調査の数字におじけついたら、負ける。笑い飛ばして、胸を張って走り回れば勝機は出てくる。「笑う門には福来る」である。誰にも遠慮することなく、「天衣無縫・自由奔放」に暴れ回り、先輩議員を蹴落としてでも、勝ちあがってもらいたい。
「疾風に勁草を知る」である。(注:勁草とは風に強い草)

Profile

二見伸明(ふたみ・のぶあき)

-----<経歴>-----

69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。
小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。
公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。
97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。
2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。
小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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