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2010年3月27日

名宰相それとも暗君? ── 「黒い勢力」との死闘は続く

 「生方解任」騒動は小沢幹事長の決断で一件落着した。これを「蟻の一穴」にして、5月頃には「土手っ腹」に大穴を開けようと目論んだ検察や一部のマスコミなどの反・非改革勢力は、肩すかしを食って、当てが外れたけれども、一度くわえ込んだ「生方」という餌をとことんまで利用し、党内の似非改革派と連携して、小沢の政治生命を断ち、「国のかたち」を「生活第一」「政治主導」に180度転換する、日本が近代国家になって初めて取り組む大事業そのものを潰す意図を、貫徹しようとするだろう。状況は、16年前の細川内閣が崩壊した時に似通っているが、今回の方がはるかに凄まじく、陰険で、執拗である。

 巨大で陰湿な「改革潰し勢力」と真っ向から戦ってきたのは、小沢だけだ。カレル・V・ウォルフレンは、中央公論4月号で、「検察とメディアにとって改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうな些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す」と警告している。私自身も、自由党総務委員長の時、公安関係者に「カネと女」を重点に身辺を探られたことがある。私がそのことを知ったのは、私を担当した者が、たまたま、知人だったからである。後日、「職業とはいえ、あなたの身辺を探るのは嫌だった。預貯金も調べた。何も出なくて、ほっとした」と彼は言った。自民党の全盛時代、衆議院予算委員会理事をしていたとき、野党の某理事に「爆弾質問をするときには、身辺をきれいにせよ。私が爆弾質問をしたとき、瞬時に預貯金が調べられ、二、三日後、不倫関係の女性まで分かってしまった」と忠告されたことがある。「いざ」という時、脅しにでも使うのだろう。この文を書いている時、テレビが中井国家公安委員長の女性問題を報じていた。ウォルフレンの指摘は的確である。

 小沢は、20年以上、自民党政権と戦うだけでなく、「闇の権力者」とも死闘を演じてきたのである。大改革を志す者は、暗殺されることも覚悟しなければならない。鳩山総理にその覚悟ありや。検察とマスコミに煽られて、小沢批判を繰り返す議員などは、本当の修羅場では、我先にと逃げ出すだろう。

 「生方問題」を検証しよう。不満のない者はいない。不満は大別して二つある。将来を考え、現実を変えなければならないという、論理と歴史観に基づく良心からほとばしるものと、「好き嫌い」「恨み」「ジェラシー」「自己の利害損得」など、個人のさもしい感情から出るものである。「生方問題」は、「良心」か「個人的感情」かの格好の教材を提供してくれたが、同時に、「古い政治家」と「新しい政治家」を分別する機会も与えてくれた。

 生方は、火付け役の新聞インタビューで、まず、「民主党に元気がないのは『政務調査会』と『部会』がないからだ」と、その復活を主張した。これは、民主党改革の基本原則を真っ向から否定するものである。自民党の化石のような古い政治手法の一つが、政務調査会と総務会の承認がなければ、政府は法律を作れず、新しいことは何も出来ないシステムである。官僚は政調の部会長に自らが作った法律案を根回しし、その法律で利益を得る業界は部会長のもとに日参する。「部会」が政官業癒着の現場なのだ。「部会長」という役職は、それはそれは、「美味しい」ものだそうである。民主党は、と言うよりは、小沢改革は、その悪弊をなくすとともに、政治責任の所在を明確にするために、政務調査会を廃し、政策を内閣に一元化した。そして、内閣に入れない議員が、自己の識見や有権者の意見・要望を政府の政策・法案に反映させ、より良いものに仕上げる場として、議員なら誰でも参加できる「省庁政策会議」を設けた。本来であれば、政務三役が率先して議員の意見を聞く、あるいは、常任委員会筆頭理事が与党委員を集め、政務三役を呼びつけて議論するべきなのである。ところが、政務三役自身が未熟なこともあり、理想どおりに機能はしていないこともたしかであって、議員の中に不満が出てくるのは理解できる。内閣制度発足以来、初めて作ったシステムなので、試行錯誤を繰り返しながら、良い形にする努力が必要である。生方がその努力もしないで、「自由な論議」という俗受けする理屈を振りかざして、構造汚職のシステムである「政調会」「部会」の復活を主張する真意がわからない。政務三役になれなかった「恨み」か、あるいは、「美味しい」ものが食べたいのか、どちらかであろう。マスコミは小沢を古い政治家だと決めつけようとするが、それは、為にするもので、むしろ、小沢の主張は、半世紀に及ぶ「自民党族記者」体験と「記者クラブという談合制度」に毒され、錆びついたマスコミの「脳力」では理解出来ない、最も新しい政治家の発想である。生方を担ぎ回っているマスコミは、古い、自民党的な汚職のシステムの復活を望んでいるのだろうか。マスコミ各社に、「政調会」について、それぞれの考えを表明することを求める。生方も、生方の主張を支持した枝野行政刷新相も、本音は、内閣一元化に反対する時代錯誤の古ぼけた政治家なのだろうか。本来であれば、鳩山総理が、枝野にこそ厳重注意すべきなのだ。

 「国民は小沢さんが不起訴になったから全部シロだとは思っていない」と生方は言う。私は1月23日から3月23日の会見まで、小沢幹事長の記者会見を全て見た。「4億円」など、検察が捜査の中心に据えていた問題を、小沢は丁寧に説明した。NHKが生中継で放映していれば、多くの国民は「ああ、そういうことか」と納得しただろう。生方が小沢の説明を精査し、疑問と思う点を指摘し「この点はシロでも、検察がこの点をシロと判断したのはおかしい。全部シロだとは思っていない」と発言するのであれば、責任をともなった議論のしようがある。それを、「国民が」という意味不明で具体的実体のないものを隠れ蓑にして、国民を扇動するだけの非難中傷は、「天皇」の名を使って、世論を煽り、政敵を追放し、日本を戦争の苦しみに追い込み、しかも、何らの反省もしなかった「官僚」と同じである。こんな無責任・卑怯が、「社会正義」の仮面をかぶってまかり通るのは、新聞の社説と「永田町」、そしてテレビの時事風をよそおったお笑い番組だけである。

 生方の不満のぶちまけ方は異様である。副幹事長といえば、企業に例えれば「部長」である。部長が部長会議では何の発言をせず、マスコミに不満を漏らせば、解雇されてもしかたがない。しかも、高嶋副幹事長とのやりとりを録音し、マスコミに流すなど、陰険で、社会人としても失格である。彼が親しくしているJR総連(革マル系)の知人は「彼の言動は陰険で、支持出来ない」と語っていた。

 鳩山内閣の支持率が低下し、改革の行く手の信号が黄色に変わりそうにになっても、大臣は責任を感じようとせず、議員も大局観に立った判断ができないのはなぜか。
 旧民主党時代、党中枢の一人から「民主党は、議論は好きだが、結論は出さない。や(野)党でもなければ、よ(与)党でもない。ゆ(党)だ」と愚痴られたことがある。私は、旧民主党は、一部の歴戦の勇士を除き、パフォーマンスと街宣だけすれば、小選挙区で落選しても比例で復活できると思っている議員の、気楽なサロン政党だったと思っている。「政権を獲ったら、あれをやろう、これをしよう」とおしゃべりは達者だが、それだけで自己満足して、選挙で過半数を獲りに行く戦略も胆力も馬力もない政党だった。しかも、自民党の公認が取れなかったので、民主党に来たという官僚とエリート社員くずれが多く、「霞が関」に切り込むという発想も度胸もなかった。大半の議員は、いうなれば、代議士を職業とするサラリーマンだった。現在の民主党内の反小沢派とは、香水がわりに高いIQの匂いを振りまきながら、バーチャル・リアリティに浸っていた「紳士・淑女」が、生活の匂いを部屋一杯に撒き散らした小沢に「さあ、政権を獲りに行こう。のんきに、お茶を飲んでいないで、外に出て、一人でも多くの支持者をつくろう」と叱咤されて、戸惑い、「そんな、汚ならしい、古くさいことを」と違和感をもった者の集まりだ。生方の選挙観は「党が風を起こせばいいので、支持者獲得に汗を流す必要はない」というものだそうである。

 小沢は政権を獲るため、選挙の最前線で指揮を執った。「自民党流の古い手法だ」とマスコミや反小沢派の嘲笑を浴びながら、黙々と農村地帯を歩き、人と会い、企業、団体を訪ねて、「改革」を訴えた。3月23日の記者会見で、彼は、ガチガチの自民党支持の「団体、企業が、自民支持から無党派になった」と語った。自民党一辺倒だった全国農政連は、参議院選では自主投票になった。仙谷、前原、枝野には逆立ちしても出来ることではない。政治家の格と力量と責任感が、けた外れに違いすぎるのだ。選挙こそ政党の主張を実現する民主主義、民主政治の原点中の原点である。これは世界の政治史を通読すれば簡単に理解できる、政治学のイロハである。これを軽視する学者・評論家は「曲学阿世の輩」だ。。

 3月8日、ニューヨークタイムスは「U.S. Reaches Out to Tokyo's Real Power」
(アメリカは東京の真の実力者に手を伸ばしている)と、長文の記事を掲載した。それによると、ワシントンは小沢を「王座の背後にいるリーダー」と評価し、「昨年夏の日本政治の歴史的変化により、数十年にわたる話し合いのチャンネルが壊れた」ので、「アメリカからの自立(more independence from the United State)を主張してきた新しいリーダーとのコミュニケーションを改善する」ため、「4月の出来るだけ早い時期に、オバマ大統領との会見も含め、訪米するよう交渉している」と書いている。また、これは、「リーダーシップの弱さを指摘されている鳩山総理の権威を侵すことにもなりかねない」との懸念の声も載せている。

1月、アメリカでの世論調査で「世界に影響を与える政治家」は、一位、胡錦涛中国国家主席、二位、オバマ大統領。そして、三位は小沢幹事長だった。昨年3月にはアメリカの週刊誌「TIME」が小沢を「マーベリック」(独立自尊の男)と名付け、「アメリカにとって、手ごわいパートナー」と評価した。小沢は、日米関係を「従属から対等」に転換・深化させるキーマンである。党内外から、妬みに狂って「訪米阻止」の動きも出てくるかもしれない。それだけに、マスコミには、重箱の隅を突っつくような視野の狭い、次元の低い問題に執着するのではなく、マスコミに本来的に要求されている、日本の将来を見据えた高い次元の論説・主張・報道を期待したい。
 小沢も、われわれと同じ「叩けば埃の出る」欠陥だらけの人間だ。しかし、その理想は純粋で、壮大である。2009.8.30は、国民が民主党に「国を変えよ」と命じた記念日である。鳩山総理は、日本の最高権威者である。小沢には命を捨てる覚悟が出来ている。「今」を逃して「国を変えるチャンス」は、二度とこない。鳩山総理は、小沢としっかり腕を組んで、日本のため、国民のために「命を捨てる覚悟」をしてもらいたい。

2010年3月13日

シャイで不器用な小沢と狡智な「きつね」 ── 長崎県知事選が教えるもの

 長崎知事選が終わった。自民党は、勝ったとはいえ、昨夏の衆院選より5万票減らした。衆議院選の大勝で浮かれていた民主党も、風頼みの限界を天下にさらした。一時の興奮も醒めたこの時期、なぜ、民主党が敗れたのか、冷静に検証する価値はあると思う。

 開票の翌日、2月22日の読売新聞は社説で「景気と『カネ』が民主の逆風に」と論じ、朝日新聞は23日の社説で「『政治とカネ』問題にけじめをつけよ」、毎日新聞は「長崎ショック まず『政治とカネ』決着を」と、申し合わせたかのように、まくしたてた。しかし、地元のマスコミの理解と認識は違っていた。次のことは、考えようによっては、民主党にとって「政治とカネ」よりも、はるかに深刻である。

 朝・毎・読の三紙長崎県版が共通して指摘したのは「自民党と民主党の自力の違い」「民主党県連と連合がしっくりしていなかった」「候補者の知名度不足」「鳩山内閣の不安定感」など、多角的な分析・総括である。

 自民党の県議は23人、民主・社民系は13人、市町村議会議員の大半は自民系である。そうした土壌の中で、民主党が参院2議席を独占し、昨夏の衆議院選では4選挙区で全勝したのは、自民党が二つの派閥に分かれ、「昨夏の衆院選でさえ、『まとまらず、散々』(党県連幹部)だった」(読売)というお家の事情である。ところが、今回は一致団結し、「ある県議は、後援者ら5000~6000世帯に電話をかけまくり、個人演説会も設定。票の獲得に奔走した」(読売)のである。

 一方、民主など3党の推薦を受けた橋本剛陣営には不協和音がつきまとっていた。「労組がフル回転せず、衆院選時の追い風もない中で、どこまで票を伸ばせるか」(朝日)、「橋本陣営の関係者は、『組合の動きが鈍い』と口をそろえた。これに対し、連合長崎の組合関係者は『動こうにも動けなかった』と反論する」(読売)という有様である。極め付きは、自民党が県職員に評判のいい、中村法道副知事を推薦すると、連合が橋本を推薦しているにもかかわらず、県職員組合など3組合が自主投票を決めた。その上、候補者決定も遅れた。橋本が立候補を表明したのが11月末。連合傘下の各労組が推薦決定したのは年明けである。1カ月そこそこで労組にフル回転を求めるのは、無理である。組織力の強さを誇る公明党でも3カ月は必要なのだ。にもかかわらず「当初、楽勝ムードが漂っていた」(毎日)のでは何をか言わんや、である。 

 自民党本部は長崎県知事選を反転攻勢の足がかりにしようと、虎視眈々と狙っていた。知名度の高い国会議員を次々に送りこみ、「小沢問題」を徹底して批判した。自民党は、小沢を倒すことのみが、長崎知事選のみならず、参議院選勝利、政権奪回のための必要絶対条件であることを骨身に沁みて、知り尽くしていたのである。

 21日夜、橋本は報道陣に、「政治とカネをめぐる国会での議論が、知事選に影響したとは思わない」(朝日)と述べた。選挙関係者は私の質問に「長崎市では11,000票勝っていることを考えると、『政治とカネ』よりも、『自力の差』と鳩山内閣がなんとなくふらふらしていて、有権者に不安な感じを与えていることのほうが大きい」と語っていた。

 現地の事情に詳しい記者に「各紙の長崎県版の分析と、全国版の『政治とカネで負けた』という報道との違いはなぜか」と聞いたところ、「知事選の実態を書いても、全国の読者にとっては面白くもない。『政治とカネ』のほうが分かりやすいし、読者も納得しやすいからだ」というわけである。「小沢潰し」に異常なまでの執念を見せているマスコミの報道にそら恐ろしいものを感じた。

 ところで、検察が描いた「水谷建設から5000万円」など「政治とカネ疑惑シナリオ」は、1月23日の、300人を超える報道陣が詰めかけた記者会見を手始めに、小沢幹事長の数次にわたる説明で、雲散霧消している。会見に臨んだ彼らから小沢の説明に疑問・反論は全く出ていない。読売の記者ですら、25日の定例会見で、「なんで家族名義にしたのか、教えてください」と尋ねるなど、小沢の説明を聞いた記者・ジャーナリストの大半は十分、納得しているのである。にもかかわらず、マスコミは、「説明は不十分で、国民は納得しない」と、世論を煽っている。

 物事を論理的に考察する人は、与野党、マスコミを問わず、小沢の説明に納得している。しかし、1年もかけて小沢を灰色から黒に染め上げ、有権者の脳に擦り込んだものを、マスコミが、いまさら、「地検特捜部が、小沢幹事長を二度にわたって事情聴取するなど、綿密に、厳密に捜査したが、水谷建設などゼネコンからの不正なカネはなかった」と報道し、名誉回復をするはずがない。読売や日本テレビのように、いかなる手段を講じてでも小沢を政治的に抹殺することを社の戦略目標にしているマスコミにとって、小沢は「ダーティな小沢」でなければ困るのだ。(注:読売新聞の関係者は私に「『なんでもいいから小沢を潰せ』と、エライ人の鶴の一声で『一致団結』している。社の方針に疑問を感じている記者もいるが、正論を言えば、クビか左遷だ」と打ち明けている)

 選挙は、人びとの暮らし、国のあり方を左右する、武器を使わない熾烈な戦争だ。武力で戦う戦争でさえ軍事力だけでなく、敵軍を分裂させるプロパガンダが不可欠だ。まして、選挙戦では心理戦略、謀略、プロパガンダは重要である。「小沢を倒せば、格好つけるだけのひ弱な民主党など『赤子の手をひねるよりたやすい』という自民党や検察を中心とした旧勢力の狙い・判断は間違っていない。舛添要一参院議員が、日本記者クラブでの講演で、はしなくも、民主党の前原誠司、枝野幸男両大臣などと接触していることを暗示したのも、その一例である。

 長崎県知事選以降、前原など反小沢グループの「小沢辞めろ」コールは異常である。彼らが小沢の記者会見での説明と、彼の潔白を「証明」せざるをえなかった検察の不起訴処分を論理的に分析した上で、「小沢の説明、検察の不起訴処分に納得できない。幹事長を辞任してもらいたい」というのであれば、賛否はともかく、論理的である。

 しかし、内閣支持率低下の責任を、一方的に小沢に押し付け、幹事長辞任を要求する最近の前原の言動は「不穏当」極まりないものである。内閣支持率の低下は、第一義的には、鳩山総理、前原国交相など閣僚の責任である。「小沢問題」も支持率低下の一因であることは否定できないが、それも、所詮は、検察・マスコミ合作・共演のウソで固めた「小沢問題」である。ゲスの勘ぐりだが、前原の狙いは、自民党がぐしゃぐしゃなこの機に乗じて、小沢を潰し、鳩山を総理の座から追い落とし、自分が総理になろうと考えているのではないか、とさえ思えてくる。

 前原は、小泉・竹中路線と軌を一にする弱肉強食の新自由主義者である。「生活が第一」の「小沢改革路線」ではなく、格差拡大社会の再現である。外交も、小沢の「日米中正三角形」外交ではなく、カレル・V・ウォルフレンが指摘している「世界史上、例を見ない"宗主国と属国"の関係」に安住しようとする対米追従路線である。

 民主党が、一時的に国会で多数を占めても、それだけでは国の姿やかたちは変わらない。有権者一人ひとりと膝をつきあわせて話し合い、党の政策を理解してもらう地道な努力が必要である。長崎県知事選は、そのことを全国の民主党に教えている。選挙区の有権者に党の政策を理解してもらえなくて、政治改革が出来るはずがない。「小沢は選挙のことしか考えていない」という党内外の批判に目もくれず、党の政策を武器・弾薬として、自民党の領域に殴りこみ、無党派層に食い込むことを指示したのは、40年間、生死の境をくぐり抜けてきた本物の猛者だからこそである。そのエネルギーが「風」を呼び起こすのだ。小沢が辞めれば「暖風」が吹くと考えるのは、救い難い「極楽トンボ」である。
豊臣と徳川が争った大阪夏・冬の陣で豊臣が負けたのは、知略縦横の大軍師・大豪傑の真田幸村、後藤又兵衛など外様の猛将を遠ざけ、ろくに戦も知らない、口だけ達者なお仲間で秀頼の周りを固めたからだ。民主党はその危険な道に踏み込もうとしている。

 長崎県知事選で、金子知事路線を「継承」する中村の31万票を大きく上回り、「刷新」を主張する候補者の総得票が40万票だったことは、「本物の改革」への期待値であることを銘記すべきである。

 小沢は、「弁明」を絶対にしない男だ。それは、長所であると同時に、致命的な短所でもある。だが、私は、今こそ、日本のために、小沢は国会で語るべきだと思う。それは弁明ではない。国民に真実を伝えまいとする、自民党やマスコミに対する警鐘である。

 1月21日、衆議院予算委員会で自民党の小里泰弘議員は「小沢問題」の核心である土地購入資金について「水谷建設から5000万円の裏金があると言われている。具体的に説明すべきだ」と追及し、「'04年10月29日に購入していながら、なぜ、翌'05年1月に登記したのか」と質した。23日、地検の事情聴取を済ませた小沢が記者会見で、①越山会に貸し付けた4億円は「自己資金」である②4億円の一部は建設会社からの裏献金という報道がなされているが、事実無根で、不正な裏献金など一切もらっていない③所有権移転日を'05年にしたことについて「購入資金は自分で出しており、隠しだてする必要はなく、政治的にも何のメリットもないので、(理由が)わからない――など、マスコミが騒ぎたてた問題について、丁寧に説明した。小沢が家族の預金口座まで検察に教えていたし、週刊朝日がすでに「小沢夫人から借りたカネ」だと報道していたので、大半の記者は「問題のないカネ」だと認識していた。ブログ「雑感」は「安田信託銀行が、父親の湯島の土地を処分した残金2億円を、年利7~8%のビッグ(注:金融商品)で3回運用し、解約時には3億6000万円になっていた」と述べている。検察も確認済みだそうである。「複数行に分割して入金した」という小里の疑問については、上場会社で経理を担当していた友人は「銀行との関係を良好に保つために、数行に分散するのは常識だ。それを疑問視するのは、小里議員が経理音痴だからだ」とにべもない。

 2月1日の代表質問では、谷垣総裁は、23日の小沢の説明を追及せず、「小沢幹事長は不十分、不可解な説明を繰り返すばかり」と意味不明の批判をするだけで、最後に「小沢独裁と対峙する」と決意表明をする有様だった。小沢が不起訴になった翌日、5日の予算委員会でも、自民党の菅義偉議員は、「嫌疑不十分で不起訴になったのだから、黒に近い灰色だろう。刑事責任とは別に、政治的、道義的責任がある」と言うだけだった。自民党は、小沢に太刀打ち出来ないことが明らかになった。自民党に残された手は、あら探しと国民をアジることぐらいだろう。しかし、小沢が時期を選んで国会で説明すると、一番困るのは、自民党だ。小沢は、国会で堂々と説明すべきである。

 作家の村上龍は「小沢一郎ほど、誤解されている人はいないのではないだろうか。日本の政治家には珍しく、論理的だが口下手で、経済から外交まで3次元的な構想と戦略を持っていながら演説は苦手で、頭は切れるが社交的でなく、基本的にシャイな人だ。本当は政治家には不向きかも知れない。きっと孤独なのだろうが、決して孤立はしない『最後の政治家』だと思った」と語っている。的を射た、正確な小沢評である。

Profile

二見伸明(ふたみ・のぶあき)

-----<経歴>-----

69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。
小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。
公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。
97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。
2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。
小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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