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« 「来た、見た、勝った」 ── <無血革命>一週間前の点描 
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総論賛成、各論反対。鳩山総理、腕の見せどころ »

バカにつける薬はない ── 居安思危(賢者は安きに居て危うきを思い、愚者は危うきに居て安きを思う)

 鳩山内閣と民主党の主要人事が決まり、小沢一郎が民主党の幹事長になった。鳩山政権を支えながら140余人の一年生議員の教育と民主党政権が初めて国民の審判を受ける来年の参議院選挙対策―――負ければ安倍、福田、麻生の二の舞になる―――という重責を考えると、余人を以ってはかえ難い、まさに適材適所の人事である。

 政治家に要求される資質の一つは「多方面の能力・知識を持ち、事の本質を広い視野から見抜き、判断する」ゼネラリストとしての能力と剛直性である。口で言うのはたやすいが、実際は非常にむずかしい。新人議員には、狭い分野(ミクロ)の専門家(スペシャリスト)は多いがマクロのゼネラリストになれる素材がどのくらいいるか、わからない。ミクロのスペシャリストの欠点は、自分の理論に固執し、採用されないと、不平・不満を、ところかまわずぶちまけて、マスコミの餌食になりかねないことである。一部のマスコミは「一方的で、党内民主主義がない」と恣意的に囃し立てるが、それはまったくの見当はずれである。
 党内で侃侃諤諤(かんかんがくがく)の大議論をするのは当然である。特別の申し合わせがない限り、マスコミにオープンにすればいいし、マスコミに、自分の考えを発表してもよし、異なる意見を批判してもいい。しかし、一定の結論が出れば、自分の意見と180度異なるものであっても従わなければならない。それがいやなら離党することだ。これは民主的政党政治の基本中の基本である。日本の野党には「政権を狙うため」に、まず、「仲間同士の足の引っ張り合い」から始め、決まったことも平然と破るという奇妙な悪弊がある。私は新進党時代、それをなんども目撃、体験している。

 小沢一郎が幹事長に就任して一番失望・落胆、そして恐怖しているのは自民党だろう。民主党内の反小沢勢力にエールを送ろうと「権力の二重構造論」「西松問題」を流している。これに呼応するかのように、マスコミの報じるところによると、岡田克也にとっては甚だ迷惑な話だろうが、彼の周りに「このままでは小沢に党を乗っ取られるので、気を付けろ」「ポスト鳩山を考えれば幹事長でいるべきだ」などと騒いでいた者がいる。隙あらば小沢降ろしを再燃させようと目論んでいたのだろう。民主党が国民に約束した理想とは天地雲泥の差のある、半世紀余も続いた自民党内の総理争いを彷彿させる、愚かさを通り越したアナクロニズムである。
 サッチャー女史は12年間、首相の座にいた。総理大臣は、特別の事情がない限り、野党に政権を奪取されるまで、職務を遂行するものである。「総理2年の使い捨て」は許されない。いま大事なことは、ポスト鳩山を狙うのではなく、内閣と党が一体となり、来年の参議院選挙までに、マニフェストで約束したことを、一つでも二つでも、目に見える形で実現することである。総選挙直後、私は労組の幹部、市民など多彩な人たちと懇談した。「マニフェストで約束したからといって、いっぺんに全部出来るわけがない。慣らし運転で、出来ることから成果をあげてもらいたい」「村山富市が総理になっただけで、薬害エイズが発覚したのだから、今度はもっと大きく変わると思う」「私は自民党に投票したが、世の中が大きく変わる予感がする。いい方向に変えるよう民主党に期待する」(自民党市議夫人)など人びとの言葉はいずれも、静かで、温かなものだった。小沢一郎は政治、政党への信頼を取り戻すために、国民との契約の実現を目指し、その剛腕を駆使して鳩山内閣を支え、時には叱咤激励すべきである。それを権力の二重構造と呼ぶならば呼ばせればいい。国のかたちを変えることのほうがはるかに重要であり、そのためには「小沢の剛腕」のような巨大で強烈なエネルギーが必要なのである。

 有権者は「天下り天国・官治政治」の自公政権を否定し、「脱官僚・生活第一」の民主党を選択した。「国のかたち」が変わるのである。無血・市民革命である。この流れを塞ぎ止めて、歴史の歯車を元の自公政治の化石的旧体制に戻そうとして「西松問題」「個人献金問題」など瑣末な問題を重大な懸案などと位置付けるべきではない。自民党は政権与党時代の垢を洗いおとし、骨太の政策を練り上げて、鳩山政権に論戦を挑むべきである。それにしても「産経」はひどい。「民主党さんには思うどおりにはさせないぜ」で世論の非難を浴びたにもかかわらず、「個人献金問題」を「鳩山氏本人にまでいく話だ」と煽り立てている。民主党政権誕生をめぐる動きには、国益や国民の暮らしを全く考慮できない「バカにつける薬はない」ことが多すぎるようだ。

 自民党は16日の首班指名に誰の名を書くかで右往左往し、参議院の長老・若林正俊と書くことで決着した。好き勝手に名前を書かれたら、28日に予定している総裁選の事前運動にもなりかねないと憂慮したのだろう。総理大臣を選ぶという国会議員の最重要任務に、党を代表する総理候補なしで衆参本会議に臨む議員の神経はどうなっているのか。敗残兵が、やけのやんぱちで抵抗しているようなものだ。自民党は敗北が決まった瞬間、臨時党大会を開き、総裁を選出し、体制を立て直して特別国会に備えるべきだった。ところが、党内の疑心暗鬼と思惑で政党としての最低の危機管理すら出来なかった。もはや政党の体をなしていない。
 公明党も大変だ。「自公十年」のツケは大きかった。衆議院総選挙は、政権を争う権力闘争である。小選挙区制にはそれが露骨に現れてくる。公明党は党員の90%以上が創価学会員で構成される宗教政党である。公明党が権力闘争に参加することは憲法上、全く問題はないが、創価学会が政治を左右するのではないかという疑念と違和感を払拭するのは難しい。この際、衆議院から撤退し、「参議院と地方議会」に特化し、「福祉と平和の党」の原点に戻ることを検討してはどうか。

 9月上旬、G20とWTOが開かれた。G20には麻生死に体内閣は竹下副大臣を派遣し、WTOは欠席した。麻生総理がこの国際会議の重要性を理解していれば、投票日を都議選と同時か、その前後に設定し、新政権が代表を派遣できるようにしたはずである。ところが、彼は国益を全く考えず、公明票欲しさに最悪の選択をしたのである。公明党が国益よりも、東京都とはいえ「一地方議会」にすぎない選挙を最重要視したことは、国政に参加する政党のあり方として疑問をいだかざるをえない。また、十年間、公明党を全面支援し、自公政権を支えてきた政治的責任を、不本意だろうが、創価学会は真正面から総括すべきだろう。それが公明党再生への第一歩だと思う。

 9月6日付朝日新聞のトップ記事は「高速無料化の経済効果 国交省一転、試算認める」である。試算は07年度に国交省の国土技術政策総合研究所が実施したもので、高速道路を無料にすると、2..7兆円の経済効果があるという。民主党の公約に有利になるので、国交省はひた隠しにしてきたがが、隠しきれないと観念したのだろう。「霞ヶ関」の悲鳴が聞こえる。「霞ヶ関」は一世紀もの間、この国の実質的な統治者であるかのように振る舞ってきたことを猛省し、国民に奉仕する公僕としての意識に目覚めるまで、監視をゆるめることは出来ない。

 革命前夜の8月29日夕、私は茨城県の古河駅前で600人前後の群集の一人として、民主党候補の演説を聞いた。その日の午前、同じ古河駅前で、麻生総理が3000人の支持者に最後の、テキ屋のおっちゃんのような檄を飛ばしていた。開票の結果、民主党候補が自民党前職を破った。しかし、無所属の前職、中村喜四郎元建設相には負けた。「風」は吹いたけれど、中村の厚い岩盤を切り崩すことは出来なかった。このことの意味は十分に検討する価値があると思う。今回の選挙で「民主党に勝たせたいので、候補者の名前も顔も知らないが、投票した」という人が、かなりいたであろう。小選挙区制の利点でもあり、怖さでもある。今回の選挙では「風」のお蔭で当選出来た人も多い。だが、しかし、政権交代を「風向き」や「自民党のオウンゴール」のせいにして、矮小化してはならない。2009年夏の日本の出来事を、「世界、とくに中国などアジア諸国が注目、驚愕した『票による無血革命』だった」と後世の史家に記録させるべきである。

 「無血・市民革命の主役はわれわれだ」と胸を張って、大声で叫ぼう。

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Profile

二見伸明(ふたみ・のぶあき)

-----<経歴>-----

69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。
小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。
公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。
97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。
2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。
小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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