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2009年9月28日

自民党が残した「恥的遺産」の一覧表を作れ

 外交デビューを、まずまずの出来で飾った鳩山政権が、八ッ場ダム建設中止問題で、群馬県知事、長野原町長ら地元建設推進派の猛反撃に直面している。23日、現地で予定されていた前原国交相との話し合いを地元住民は拒絶した。前原との話し合いに出席する地元代表は、長野原町長が人選した者で、推進派の町会議員が含まれていたとの情報もあり、群馬県、長野原町側の対応に作為的なものを感じる。本音では建設中止に賛成だが、大きな声に気圧されて、本心を言えない人もいるようだ。
 八ッ場ダムは、住民の半世紀にわたる強い反対を、国、県がアメとムチで切り崩してきた歴史をもっている。政治、行政に翻弄され、犠牲になったのは住民だ。多くの人は、ダム完成を前提に、移転、補償金で生活設計を考えざるをえなかった。それが、マニフェストに明記されているとはいえ、政権が交代した結果、「建設中止」と言われて、彼らが怒り心頭に発するのは、痛いほどよくわかる。前原国交相が「ダム計画を中止しても水没予定地の生活再建を国の財政支出で補償する法案」を通常国会に提出することを表明したが、当然の処置だ。
 1947年のキャサリン台風による大洪水の再来に対処するために計画されたはずの八ッ場ダムだが、昨年6月6日の政府答弁書で、治水効果が全くないことが明らかになった。また、一都五県の水需要も減少することが予測され、ダムが完成するころには、水余りで不要になるだろうとみられている。当初の目的からすれば、「ムダ」と断ぜざるを得ない。ダムの総事業費4,600億円の内、すでに3,200億円費消しているので、テレビは「もったいないから完成させたほうがいい」という老婆の声を紹介していた。
 「中止」と「継続」、どちらが安上がりかは検討に値する課題である。ダム建設に反対する「八ッ場あしたの会」は、継続するためには、残りの予算1,390億円に、さらに1,000億円程度の上乗せが必要になるが、「中止」の場合は、生活関連の残事業770億円ですむと試算している。また、これまで国や県は、代替地に温泉街を移転するが、広大なリゾート施設をつくるので、集客には支障はないと言い続けてきた。しかし、吾妻渓谷の美観が損なわれれば、観光客には魅力のない温泉地になるだろう。工事中止によって出来た残骸はどうするか。乱暴な言い方だが、「住民、勝利の碑」とでも記した碑でも建てて、「恥的遺産」(注:知的遺産に非ず)として残してはどうか。案外、新しい名所になるかもしれない。国交省は140余の公共事業を点検するとのことだが、利権を失う関係業者、民主党を含む国会議員、県会議員などの圧力は相当なものになるだろう。勇気をもって恥的遺産の一覧表を公表することを求めたい。

 JAL再建策について、24日、西松遥社長は前原国土相に公的資金投入を要請した。前原は「再建計画の実現性に納得できない」と拒否した。JALの経営実態は、国策会社のぬるま湯に漬かっていて、ひどいものである。それは経営陣だけでなく、労組も、労使協調路線をとるJAL労組と、地上職、整備職、パイロット職、客室乗務員職などで構成される反会社系7組合に分かれていて、人間関係・労使関係が複雑である。労使ともに再建に身を切る覚悟がないかぎり、公的資金という名の税金の投入には反対である。全日空に肩入れする気持は全くないが、極論を言うなら、JAL=日航の名にこだわることなく、解体してもいいのではないかと、考えている。むしろ、この際、JALの経営問題に矮小化するのでなく、赤字に苦しむ地方空港の存廃を含めて、航空行政の在り方を抜本的に見直し、さらに、高速道、JR,貨物輸送、フェリーなど、多様な交通、輸送手段を立体的、有機的に再検討し、いままでの無きに等しい総合交通体系を再構築するとともに、貧しい地方自治体に任せっぱなしの、人口過疎地のバス路線の維持、確保を検討すべきである。

 鳩山政権の、このシルバーウイークの使い方はみごとだった。本来であれば、「お休み」のはずの四連休を、総理と岡田外相は国連とアメリカを舞台に、国内では、各閣僚が立ち入り調査という行動で存在感をアピールした。幹事長・小沢一郎は、国会審議、議会運営、企業団体献金の禁止と個人献金の在りかたという、地味だが、立法府の根幹にかかわる問題を調べるために訪英した。国民はわが国が抱える課題と問題点の大きさと根深さを、改めて理解したであろう。また、今回の政権交代が、「一票による無血革命」といわれたのが、見当はずれではないことを実感したのではないだろうか。それだけに、民主党が「各論反対」の圧力に屈し、竜頭蛇尾になるのでは、と不安を感じた人も少なくないと思う。亀井静香金融相が中小企業対策で大胆な持論を展開し、他の閣僚が戸惑っているのも、連立政権ならではのことである。閣内で議論百出することは、方針決定の過程が透明になるので歓迎だが、はしゃぎすぎると、自民党につけ入る隙を与え、政権崩壊の危険につながることも銘記すべきだろう。「百花斉放・百家争鳴」は大賛成。が、結論が出たら「一致団結」だ。これが民主政治のイロハである。もう一点、大事なことがある。自民党が、新総裁の下で、過去のしがらみから脱却し、民主党に真っ向からわたり合える国家像、政策を提示し、骨太の論戦を挑める政党に再起することである。「強い野党」は健全な政党政治にとって不可欠の要素である。

2009年9月21日

総論賛成、各論反対。鳩山総理、腕の見せどころ

 鳩山政権を、大臣・副大臣と、小沢一郎が決めた衆議院常任委員長人事をセットで見ることをお薦めする。大臣ポストには、私にも少々、異議はあるが、副大臣とセットでみると、なかなかの味わいがある。例えば、農相・赤松広隆である。寡聞にして、彼が農政に詳しいとは知らなかった。しかし、農協など農業団体とのしがらみが少ないので、かえって、思い切った施策がとれるというプラスはあるだろう。その赤松を支える副大臣が、「農家への戸別所得補償制度」をまとめた衆院議員、山田正彦と参院議員、郡司彰という農政の専門家であり、それを監視し、督促するのが、民主党農政の核心である筒井信隆である。彼は、今回、国土交通相に任命された前原誠司が、昨年、某月刊誌で「戸別補償制度」を批判した際、「副代表辞任」を要求した「剛の者」だ。岡田外相に対する外務委員長は鈴木宗男で、「外務省官僚にごまかされるな」と目を光らせるので、外務省には目の上のコブだろう。「毒をもって毒を制す」ではないが、鈴木委員長選任に自公が強硬に反対したのは、「核密約」など自民政権下のダーティーな部分が明らかにされることを恐れたからである。

 副大臣制は、自民・自由連立の時、小沢一郎が、政治主導を実現するために、政務次官という名の「見習将校」ではなく、認証官としての重みをもった副大臣を作り上げたものである。にもかかわらず、自公政権は、官僚の巧みな誘導によって、副大臣制を換骨奪胎して、イベントの挨拶要員におとしめ、政治家としての力量、政策をもった人材を送り込もうとはしなかった。民主党は違う。衆参の論客が副大臣として大臣を支える体制である。国土交通副大臣・辻元清美、財務副大臣・野田佳彦がイベントの挨拶要員になるはずがない。政権を支え、監視する衆院常任委員長の顔ぶれは、前述の鈴木、筒井を始め、田中真紀子、鹿野道彦、東祥三、玄葉光一郎、大畠章宏など個性豊かな、頑固者である。大臣答弁に官僚臭がにじみでると、委員長にどやしつけられるような場面もあるかもしれない。それもまた、楽しからずや、である。
 
 それにしても、今回の大臣、副大臣は、テレビの政治バラエテイー番組の常連が多いので、自己主張が強く、「言語明瞭・意味明解」で面白いが、はしゃぎすぎて、食言の心配もある。ちょっとした一言が政権の命取りになることもあるので、気をつけてもらいたい。「綸言、汗の如し」である。私が運輸相の頃の閣議は無味乾燥なもので、閣議後の閣僚懇談会の方が面白かった。閣議で侃侃諤諤の大議論を期待したい。

 鳩山政権の支持率は、期待と不安を交錯させながら、歴代二位の70%を超す高さである。世論調査によれば、民意は「政策への期待」ではなく「政治が変わることへの期待」である。政権を不動のものにするためには、「政策を実現」して、「政治が変わったこと」を国民に実感してもらう以外にない。総理は18日、麻生前内閣が編成した約14兆円の補正予算の執行見直しを指示した。藤井財務相の弁では「各省がそれぞれ独自の判断でお願いしたい」とのことである。「独自の判断」がミソで、官僚の忠誠度を知ることが出来るし、「苛斂誅求派」か「温情派」か、大臣の人柄もわかる、面白い見ものになるだろう。
 
 注目されるのは八ッ場ダム建設中止だ。半世紀以上、国と群馬県、これを後押しする東京、茨城など一国六都県のアメとムチに翻弄され、犠牲になったのは水没予定地の住民である。前原国交相は、この連休中に現地で、地元住民と話し合うようだが、生活再建、地域振興を最優先に、誠実な態度で住民や自治体の理解を求めるべきである。
 
 来年度予算編成は大変だ。子供手当てなど7兆円超の予算を確保するためには、その分、他部門の予算を削除したり、いくつかの事業を中止したりしなければならない。茨城県にも「霞ヶ浦導水事業」「六号国道石岡バイパス」「茨城空港」など、見直すべき事業がある。全国で、県知事を先頭に、民主党系地方議員や企業・業者を巻き込んで、反対運動が起こるだろう。「総論賛成、各論反対」の厳しい現実に、船出したばかりの鳩山政権は直面するわけである。
 
 「明治維新」は西郷隆盛の「情」だけで成就したわけではない。倒幕という総論に賛成した地方武士は、自分の身分、生活不安という各論の立場から、萩の乱など中央政府に反抗し、ついには、「西南の役」で「情の人」西郷を担ぎ出して、敗れた。西郷の盟友、大久保利通は「非情の人」として西郷を討って明治政府の基盤を固め、翌明治十一年、暗殺された。「情に掉させば流される。知にはたらけば角がたつ」。激動期のリーダーは強靭な精神の持ち主でなければ務まらない。小沢一郎の本質・本心は「情の西郷隆盛」だが、尊敬する歴史上の人物は大久保利通である。
 
 三国志の主役、劉備玄徳が蜀の帝王になれたのは、大軍師・諸葛孔明あったればこそである。宰相・鳩山由紀夫と軍師・小沢は不可分である。マスコミは、細川政権を例にとって、「小沢支配」を喧伝するが、細川護煕総理の秘書官を務めた成田憲彦は、「小沢支配」を否定している。細川政権が自壊したのは、与党第一党の日本社会党に連立を束ねる力量がなく、武村官房長官などが自己顕示に明け暮れ、剛腕・小沢にしても、連立各派間の仲裁、苦情処理に専念せざるを得なかったことにある。それでも、細川・羽田政権は、二大政党制を育てるために小選挙区制導入という抜本改革を成し遂げている。鳩山総理の意思と指示が明確であれば、それの実現を目指して身体を張るのが小沢一郎である。

 2009年9月14日午前(日本時間)、降雨のため4時間遅れて始まったレンジャーズ戦ダブルヘッダーで、イチローが9年連続200本安打の新記録を樹立した。私はおもわず、「やったー」と叫んだ。そしてその瞬間「雨でノーゲームになり、幻のヒットにならないように」と祈った。1919年、ワールドシリーズでの八百長事件「ブラックソックス事件」で大リーグ人気が危機に陥ったとき、それを救ったのが本塁打を連発したベーブ・ルースだった。以来、大リーグは本塁打を中心としたパワー全盛の時代になった。そのパワー志向が、ゆがんだ形で表面化したのが、マニー・ラミレスら球界を代表する大打者の薬物疑惑だ。イチローは内野ゴロをヒットにし(走)、「人のいないところに打つ」バットコントロール(攻)、走者を刺す「レーザービーム」(守)の三拍子揃った名選手で、野球本来の醍醐味を具現した。アメリカ球界に新たな時代の幕開けが来たのである。

 イチローと一郎がダブった。日本を敗戦の廃墟から世界第二の経済大国に押し上げたのは、田中角栄の「日本列島改造論」を象徴とする大型公共事業だった。そして、いま、公共事業は、汚職・腐敗、環境破壊、国土荒廃という「負」にさいなまれ、「質」の転換を迫られている。鳩山は歴史の分岐点で、後続の政権が後戻りできないように、舵を前にきる歴史的な使命をになった総理である。細川政権を自壊させた歴史を他山の石とせよ。

2009年9月 9日

バカにつける薬はない ── 居安思危(賢者は安きに居て危うきを思い、愚者は危うきに居て安きを思う)

 鳩山内閣と民主党の主要人事が決まり、小沢一郎が民主党の幹事長になった。鳩山政権を支えながら140余人の一年生議員の教育と民主党政権が初めて国民の審判を受ける来年の参議院選挙対策―――負ければ安倍、福田、麻生の二の舞になる―――という重責を考えると、余人を以ってはかえ難い、まさに適材適所の人事である。

 政治家に要求される資質の一つは「多方面の能力・知識を持ち、事の本質を広い視野から見抜き、判断する」ゼネラリストとしての能力と剛直性である。口で言うのはたやすいが、実際は非常にむずかしい。新人議員には、狭い分野(ミクロ)の専門家(スペシャリスト)は多いがマクロのゼネラリストになれる素材がどのくらいいるか、わからない。ミクロのスペシャリストの欠点は、自分の理論に固執し、採用されないと、不平・不満を、ところかまわずぶちまけて、マスコミの餌食になりかねないことである。一部のマスコミは「一方的で、党内民主主義がない」と恣意的に囃し立てるが、それはまったくの見当はずれである。
 党内で侃侃諤諤(かんかんがくがく)の大議論をするのは当然である。特別の申し合わせがない限り、マスコミにオープンにすればいいし、マスコミに、自分の考えを発表してもよし、異なる意見を批判してもいい。しかし、一定の結論が出れば、自分の意見と180度異なるものであっても従わなければならない。それがいやなら離党することだ。これは民主的政党政治の基本中の基本である。日本の野党には「政権を狙うため」に、まず、「仲間同士の足の引っ張り合い」から始め、決まったことも平然と破るという奇妙な悪弊がある。私は新進党時代、それをなんども目撃、体験している。

 小沢一郎が幹事長に就任して一番失望・落胆、そして恐怖しているのは自民党だろう。民主党内の反小沢勢力にエールを送ろうと「権力の二重構造論」「西松問題」を流している。これに呼応するかのように、マスコミの報じるところによると、岡田克也にとっては甚だ迷惑な話だろうが、彼の周りに「このままでは小沢に党を乗っ取られるので、気を付けろ」「ポスト鳩山を考えれば幹事長でいるべきだ」などと騒いでいた者がいる。隙あらば小沢降ろしを再燃させようと目論んでいたのだろう。民主党が国民に約束した理想とは天地雲泥の差のある、半世紀余も続いた自民党内の総理争いを彷彿させる、愚かさを通り越したアナクロニズムである。
 サッチャー女史は12年間、首相の座にいた。総理大臣は、特別の事情がない限り、野党に政権を奪取されるまで、職務を遂行するものである。「総理2年の使い捨て」は許されない。いま大事なことは、ポスト鳩山を狙うのではなく、内閣と党が一体となり、来年の参議院選挙までに、マニフェストで約束したことを、一つでも二つでも、目に見える形で実現することである。総選挙直後、私は労組の幹部、市民など多彩な人たちと懇談した。「マニフェストで約束したからといって、いっぺんに全部出来るわけがない。慣らし運転で、出来ることから成果をあげてもらいたい」「村山富市が総理になっただけで、薬害エイズが発覚したのだから、今度はもっと大きく変わると思う」「私は自民党に投票したが、世の中が大きく変わる予感がする。いい方向に変えるよう民主党に期待する」(自民党市議夫人)など人びとの言葉はいずれも、静かで、温かなものだった。小沢一郎は政治、政党への信頼を取り戻すために、国民との契約の実現を目指し、その剛腕を駆使して鳩山内閣を支え、時には叱咤激励すべきである。それを権力の二重構造と呼ぶならば呼ばせればいい。国のかたちを変えることのほうがはるかに重要であり、そのためには「小沢の剛腕」のような巨大で強烈なエネルギーが必要なのである。

 有権者は「天下り天国・官治政治」の自公政権を否定し、「脱官僚・生活第一」の民主党を選択した。「国のかたち」が変わるのである。無血・市民革命である。この流れを塞ぎ止めて、歴史の歯車を元の自公政治の化石的旧体制に戻そうとして「西松問題」「個人献金問題」など瑣末な問題を重大な懸案などと位置付けるべきではない。自民党は政権与党時代の垢を洗いおとし、骨太の政策を練り上げて、鳩山政権に論戦を挑むべきである。それにしても「産経」はひどい。「民主党さんには思うどおりにはさせないぜ」で世論の非難を浴びたにもかかわらず、「個人献金問題」を「鳩山氏本人にまでいく話だ」と煽り立てている。民主党政権誕生をめぐる動きには、国益や国民の暮らしを全く考慮できない「バカにつける薬はない」ことが多すぎるようだ。

 自民党は16日の首班指名に誰の名を書くかで右往左往し、参議院の長老・若林正俊と書くことで決着した。好き勝手に名前を書かれたら、28日に予定している総裁選の事前運動にもなりかねないと憂慮したのだろう。総理大臣を選ぶという国会議員の最重要任務に、党を代表する総理候補なしで衆参本会議に臨む議員の神経はどうなっているのか。敗残兵が、やけのやんぱちで抵抗しているようなものだ。自民党は敗北が決まった瞬間、臨時党大会を開き、総裁を選出し、体制を立て直して特別国会に備えるべきだった。ところが、党内の疑心暗鬼と思惑で政党としての最低の危機管理すら出来なかった。もはや政党の体をなしていない。
 公明党も大変だ。「自公十年」のツケは大きかった。衆議院総選挙は、政権を争う権力闘争である。小選挙区制にはそれが露骨に現れてくる。公明党は党員の90%以上が創価学会員で構成される宗教政党である。公明党が権力闘争に参加することは憲法上、全く問題はないが、創価学会が政治を左右するのではないかという疑念と違和感を払拭するのは難しい。この際、衆議院から撤退し、「参議院と地方議会」に特化し、「福祉と平和の党」の原点に戻ることを検討してはどうか。

 9月上旬、G20とWTOが開かれた。G20には麻生死に体内閣は竹下副大臣を派遣し、WTOは欠席した。麻生総理がこの国際会議の重要性を理解していれば、投票日を都議選と同時か、その前後に設定し、新政権が代表を派遣できるようにしたはずである。ところが、彼は国益を全く考えず、公明票欲しさに最悪の選択をしたのである。公明党が国益よりも、東京都とはいえ「一地方議会」にすぎない選挙を最重要視したことは、国政に参加する政党のあり方として疑問をいだかざるをえない。また、十年間、公明党を全面支援し、自公政権を支えてきた政治的責任を、不本意だろうが、創価学会は真正面から総括すべきだろう。それが公明党再生への第一歩だと思う。

 9月6日付朝日新聞のトップ記事は「高速無料化の経済効果 国交省一転、試算認める」である。試算は07年度に国交省の国土技術政策総合研究所が実施したもので、高速道路を無料にすると、2..7兆円の経済効果があるという。民主党の公約に有利になるので、国交省はひた隠しにしてきたがが、隠しきれないと観念したのだろう。「霞ヶ関」の悲鳴が聞こえる。「霞ヶ関」は一世紀もの間、この国の実質的な統治者であるかのように振る舞ってきたことを猛省し、国民に奉仕する公僕としての意識に目覚めるまで、監視をゆるめることは出来ない。

 革命前夜の8月29日夕、私は茨城県の古河駅前で600人前後の群集の一人として、民主党候補の演説を聞いた。その日の午前、同じ古河駅前で、麻生総理が3000人の支持者に最後の、テキ屋のおっちゃんのような檄を飛ばしていた。開票の結果、民主党候補が自民党前職を破った。しかし、無所属の前職、中村喜四郎元建設相には負けた。「風」は吹いたけれど、中村の厚い岩盤を切り崩すことは出来なかった。このことの意味は十分に検討する価値があると思う。今回の選挙で「民主党に勝たせたいので、候補者の名前も顔も知らないが、投票した」という人が、かなりいたであろう。小選挙区制の利点でもあり、怖さでもある。今回の選挙では「風」のお蔭で当選出来た人も多い。だが、しかし、政権交代を「風向き」や「自民党のオウンゴール」のせいにして、矮小化してはならない。2009年夏の日本の出来事を、「世界、とくに中国などアジア諸国が注目、驚愕した『票による無血革命』だった」と後世の史家に記録させるべきである。

 「無血・市民革命の主役はわれわれだ」と胸を張って、大声で叫ぼう。

Profile

二見伸明(ふたみ・のぶあき)

-----<経歴>-----

69年12月の衆院選に初当選し、以後8期23年。
小沢一郎、羽田孜、石井一、森喜朗と同期。
公明党政策審議委員長、副委員長、運輸大臣を経て、94年、新進党。
97年暮の新進党解体により、小沢の自由党結党に参加。総務委員長、国対委員長。
2000年春、自由党分裂に際し、小沢と行動を共にする。
小沢対羽田の一騎打ちの新進党党首選では「四海波穏やかなときは羽田がベストだが、激動期は小沢の豪腕がベスト」と表明し、小沢の推薦人になる。

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