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« 刑事免責で医療事故は増える
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捜査権の介入が医療事故を顕在化させた(2) »

捜査権の介入が医療事故を顕在化させた(1)

 医療事故と刑事責任を考えるうえでのターニングポイントは一九九九年である。この年の二月、都立広尾病院で看護師が患者に消毒液を注入してしまうミスがあり、患者が亡くなった。

 この事件を受け、警察への医療事故の届け出件数は急増することになる。全国の警察が受理した医療事故の件数は、広尾病院の事件が起きた九九年までの三年間は二十〜四十件台にとどまっていた。それが事件の翌年の二〇〇〇年には百二十四件まで一挙に増えているのである。

 捜査当局は「法と証拠」にもとづいて行動するというのが建前だが、世論や社会の動きには敏感に反応する。警察、検察は医療事故への対応を強め、九九年に十件だった年間の立件件数は二〇〇〇年には二十四件、二〇〇一年五十一件、二〇〇二年五十八件という具合に増えていった。

 ところが、医療過誤と刑事事件の関係は二〇〇四年に再びターニングポイントを迎える。この年、福島県立大野病院で帝王切開を受けた女性が大量出血し、死亡した事故で、執刀した医師が業務上過失致死容疑で逮捕された。これに対し、医療界から激しい批判が巻き起こる。特にこれまでの医療関連事件と異なり、任意捜査ではなく、医師を逮捕したことへの反発は強く、刑事訴追への批判は診療科を超えて広がった。

 軌を一にするかのように、その後、医療事件に対する無罪判決が相次ぐ。大野病院の事件も一審の福島地裁が昨年、医師に無罪判決を言い渡し、検察は控訴を断念。東京都杉並区で一九九九年、割りばしがのどに刺さった保育園児が受診後に死亡した事故も一、二審とも無罪となり、検察は上告できなかった。

 こうした流れの中で登場したのが「医療崩壊」論議である。救急患者、妊婦の受け入れ拒否問題や医師の過酷な勤務実態などが次々と明らかになり、「分かりやすさ」を第一とするマスコミ報道の中心は医療崩壊へと移っていった。新聞でも医師側の立場に立った論調が目立つようになり、相対的に、医療事故を扱う報道は影を潜めていくことになる。

 警察も検察も、そもそも医療事故を積極的に手掛けたいとは思っていなかったであろう。犯意がある一般的な犯罪と違って、業務上過失致死罪の捜査は難しい。高度な専門知識が不可欠なため、専門家に鑑定を頼む必要がある。患者の死亡と医師らの行為との因果関係を証明するのは困難な作業で、捜査は長期化する。手術中のミスなど、文字通り「密室」での行為を解明するという医療事故独特の苦労もある。警視庁や東京地検は専従チームを編成したと聞くが、通常、警察には医療事故を専門とする捜査員を置く余裕はなく、労災やその他の事故を手掛けながら捜査を行うというのが現状である。

以下次号   

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http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

<納得できません>
>手術中のミスなど、文字通り「密室」での行為を解明するという<
上記の可視化は全然大変ではない。ほとんどの(よほど設備のない野戦病院でなければ)手術室には施術の撮影が可能です。
病院によっては、患者のご家族に手術室の模様をリアルタイムで見れる様に、特殊なガラスを隔てて家族室を設備する所さえある。
警察も検察も医療も検証を行う上で全てのポイントは可視化です。
読者を医療素人として手術室が未だに密室などと、富家様、あなたの医療ジャーナリストとしての情報収集能力は如何なものなのでしょうか。

編集部の皆様、《THE JOURNAL》で、自称医療被害者による報復感情むき出しの質の低い議論をいくら繰り返しても、問題の解決にはつながりにくいように思いませんか。

富家孝さんは、警察の介入が必要だと主張なさっているようですが、逆の例も世界にはあります。

しばしば引き合いに出されるスウェーデンですが、無過失保障が充実しており、実質的に刑事民事とも医療事故での訴訟は封じられています。

無過失保障金の上限は880,000 Euro。例えば目を失った場合は75,000 Euro、手を失った場合は150,000 Euroなど、定型的に算定されます。損害賠償額と同程度ですから、よほど特殊な事情がない限り、民事訴訟を起こす意味がありません。

スウェーデンでは、捜査機関が介入してくる事は無く、法律家や医療サービス関係者からなる「Medical Responsibility Board」 (HSAN)で処理されます。

それらの成果なのか、スウェーデンでの医療事故の報告数は、近年激増しています。

1996年までは、人口10万人当り0.1件程度の死亡事例が報告されていますが、2007年は0.7件と7倍に増えています。

日本は1996年が0.1件、2007年で0.3件です。

医療関連の有害事象を漏れなく把握して適切な対策を考案検討するためには、どっちが好ましいんでしょうか。

我が国には『医療の質・安全学会』があり、2009年11月21日(土)-23日(月)には第4回 医療の質・安全学会学術集会 が開催されています。
http://qsh.jp/index.htm
http://www.congre.co.jp/qsh2009/


以下は同学会の設立趣意書です。

http://qsh.jp/syuisyo.htm
 医療への信頼が大きく揺らいでいる今、医療の質と安全のあり方が鋭く問われています。 医療において患者さん本位の質のあり方を確立することは、患者さんと医療に従事する人々の共通の願いであるばかりでなく、健康を大切にし、安心して暮らせる社会を希求するすべての人々の願いでもあります。

 医療を必要とする人々は、期待を実現してくれる安全で確かな医療を求めて、どうしたらよいか戸惑っています。 医療に従事する人々は、医療への期待に応え患者さん本位の医療を実現しようと努めながら、その思いが実現できないことに戸惑っています。 私たちは医療に対する期待と現実の医療が提供できていることとの間にいつしか乖離が生まれていることに気づきました。

 近年のめざましい医療技術革新は医療の可能性を飛躍的に高めました。しかしこれに伴う医療過程の複雑化と危険性の増大は、医療の質と安全に関わるさまざまな矛盾と課題を蓄積してきました。これは日本だけでなく世界の国々で現代医療が直面している喫緊の課題であり、21世紀の医療と医療提供システムのあり方を問う根源的な課題でもあります。

 医療の質と安全をめぐる諸問題は医療に従事する人々がいっそうの努力を重ねるということだけで解決できるものではありません。 医学の枠組みを超えさまざまな視座と幅広い英知を集めた学際複合的な研究とその知見を実際の医療に役立てる取り組みの推進を通じて、新しい医療のあり方、システムとして患者本位の医療の質と安全を保証するしくみを創り出す必要があります。

 このたび、そのような研究を推進し交流する場として「医療の質・安全学会」の設立を祈念するにいたりました。

 さまざまな立場で医療に関わる方々、医療関連諸学の研究者の方々はもちろん、患者本位の質と安全の確立に貢献できるさまざまな分野の研究者の方々のご参加により、新しい医療のあり方を国内外に提言できる有意義な学会となることを願っています。

今年の学会を主宰した会長の挨拶も転記しておきます。

http://www.congre.co.jp/qsh2009/01_greeting.php
医療安全学の構築を目指して
−実践からDoのサイエンスを−

医療の質・安全学会 第4回学術集会会長 武田 裕
大阪大学大学院医学系研究科医療情報学講座 教授

振り返ると、1999年は、重大な医療過誤を契機に、わが国の医療安全の取り組みが本格的に始まった年といえます。時をほぼ同じくして米国では、Institute of Medicineによる“To Err is Human”報告が公表され、海外でも国をあげての行動が開始されました。それから10年が経過しました。確かに各医療機関では、医療安全管理体制が整備され、医療現場からのヒヤリ・ハット報告は重大な医療事故の防止に役立っています。また、予期せぬ死亡・合併症等に対する院内でのピア・レビュ(同僚審査)は機能し、医療の透明性と説明性はかなり確保されてきました。また、重大な過失による医療事故への対応も、相当な改善がなされています。これらの基盤となる医療安全文化が、わが国の医療に定着してきたことは、この10年間の大きな成果と言えます。

一方で、諸外国に比して、医療の質の管理については、今後の大きな課題として残っています。質向上のための具体的な行動目標も不明確で、かつ医療安全に従事する人的、部的、資金的な現状では、さらに質向上のための余力はないというのが、わが国の現状ではないでしょうか? 今回の医療の質・安全学会の学術集会は、これからの10年の目標を真剣に考える場となることを希望しています。まずは、医療を担う人材養成に医療安全に関する知識・技術・が習得されねばなりません。具体的には医学・看護学・薬学などの卒前・卒後教育の一環として、医療安全や質的管理が正式な授業科目として組み込まれることが必要です。すでにWHOが医学教育のコアカリキュラムを提唱していますが、わが国としても、積極的に教育・研修を実践することが求められています。そのためには、医療安全学という学問体系を構築して、教育者・研究者を育成することが必要条件です。

私は、長年医療情報学を基礎に、「医療の科学」(Doのサイエンスとも称しています)の体系化を目指してきました。学際的、職種横断的、実践的という「Doのサイエンス」の特質は、医療安全学という新しい学問にこそ具現化されるべきであると期待をもって本学術集会を企画・運営しています。 是非、これからの医療安全学を構築する基礎となる発表や討議、知識・技術などを共有する多彩なプログラムにご参加いただきたく存じます。

学術プログラムには、多くのシンポジウム、教育講演、一般口演に加えて、ポスター発表を重視しました。また、企業の方々からの情報発信の場として、企業展示の場を確保し、同じフロアでポスター発表や交流会が開催されるように企画しています。特別講演には、大阪大学柳田敏雄教授による「グリーンメディスン」という新しいパラダイムの講演も予定されています。運営面において、仲間どうしの交流を支援するために、情報交換会(懇親会)を無料にする工夫もしてみました。

今後の医療安全のための新たな10年の幕開けの一つである本学術集会にご参加いただき、医療安全の科学化、医療現場でのインテリジェンス化を担っていただくことを強く希望します。
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医療関連の有害事象は、科学的検討なしに減らす事はできません。富家孝さんにも、一歩一歩確実に成果を上げていくしか解決方法が無い事を、ご理解いただきたいものです。

>高度な専門知識が不可欠なため、専門家に鑑定を頼む必要がある。患者の死亡と医師らの行為との因果関係を証明するのは困難な作業で、捜査は長期化する。

患者の死亡と医師らの行為との因果関係を証明するのが困難な作業なのは,当然だと思います.なぜなら,医師が人を殺しているわけではなく,病気によって人が亡くなっているのが事実だからです.医師はそれを善意で助けようとしているだけなのですから.

例えば,同じ患者を異なる100人の医師が治療を行った場合の結果が下記のようになった場合を考えてみます.医師は患者を助けたいと願い,善意で治療を行っています.
①100人の別の医師が治療を行った結果,100人全ての医師で亡くなる.→病気が悪かった.
②100人の別の医師が治療を行った結果,10人の医師で救われ,90人の医師で亡くなる.→スーパードクターだ.
③100人の別の医師が治療を行った結果,50人の医師で救われ,50人の医師で亡くなる.→運が悪かった.
④100人の別の医師が治療を行った結果,90人の医師で救われ,10人の医師で亡くなる.→医師のせいである.
つまり,問題にしているのは④の場合だと思われます.この④の場合に,医師を業務上過失致死罪の刑事罰に処したいと考えている人がいるということだと思います.
それは,医療というものの不確実性というものを考慮にいれていない発想だと思います.
一般の方は,医療というものは,診察して,検査したら,病名というものが一つ判明し,その治療法は一つに決まっておりそれを行えば治ると思っているのではないかと思います.
実際の医療の世界とは,診察して,検査して,50%の確率でAの病気が考えられ,30%の確率でBの病気が考えられ,15%の確率でCの病気が考えられ,4%の確率でDの病気が考えられ,1%の確率でEの病気が考えられるというような,確率論の世界なのです.その治療法も,40%の確率でMがよく,30%の確率でNがよく,20%の確率でOがよく,5%の確率でPがよく,4%の確率でQがよく,1%の確率でRがよいというもので,つまるところまずはやってみないとわからないというのが本当のところなのです.治療を開始した後も,どんな不測の事態が起こるかはわかりません.変化が起こる度に,それまで想定していた確率に変更を加え,その度に選択を迫られるのです.答えなど,初めに存在しない世界なのです.答えは,全てが終了した時点で,結果としてわかるだけなのです.医療とは,そのように不確実な行為だということを前提として考慮しておく必要があると思います.

それ以前の全ての医療行為に問題がなくとも,たまたま④の10人の医師の1人となってしまう確率というのは必ずあるのです.1回すごいことをやることよりも,1回も間違わないということの方が,断然に難しいことであり,実際には不可能なことなのです.このような不確実な医療の世界では,全ての医師が④の10人になってしまうその可能性が存在するのです.スーパードクターと呼ばれる人とて,例外ではありません.たった1回誤ってしまっただけで,業務上過失致死罪の刑法犯となってしまうのであれば,医療という行為そのものを否定することにつながると思います.なぜなら,繰り返しになりますが,スーパードクターを含めた全ての医師が,④の10人の医師に入る確率を0にするということはどんなに努力をしても不可能なことだからです.人間というのは,誤りを犯すものだからです.100万回間違わなくとも,1回の間違いが,④の10人に入ってしまえば刑法犯ということになってしまのであれば,多くの医師はそのような自分が犯罪者となってしまう可能性がある危険な医療行為を避けるようになると思います.その結果は,国民にとって必要な医療が受けられなくなるということを意味します.それを,犯罪者となってしまう可能性がある危険な医療行為を避けるという選択をした医師に責任転嫁をすることはできません.医師にも人権はあるのです.不可能な事を求める制度の側に問題があり,その制度を作った人がその責任を負う必要があると思います.よって,医療行為に業務上過失致死罪などの刑法を適用しようという考えそのものが誤りなのであり,国際的にもそれが標準です(民事訴訟は別ですが).

政治、経済、医療でも人それぞれ考え方が違います。逆説的に考えれば、一度トコトン大野事件の様な事が多くなり、マスゴミが騒ぎ、医師が逮捕され、結果は裁判で無罪になり、しかし医師は危ない手術はしなくなり、危険な産科、小児科、脳外科などの成り手がなくなり、結果困るのは多くの国民です。今の様な内部告発を是とし、患者さんの事を思う善良な医師を結果責任で起訴する様な世の中が続く限り、次第にマトモナ医師は少なくなって行くでしょうね。

しばらくは困った世の中が続くでしょう!

食品などの偽装に対する内部告発と手術に等による結果責任に対する内部告発を同列に扱う方がおかしいと思います。

mno様 2009年12月18日 20:59

 実は高校を卒業した後、親父の勧めで、某大学の医学部進学過程に入学しました。(思うところがあって、我侭を言い、1年一寸で退学し、他大学の文科系に再入学しましたが。)
 入学後のセミナーで、先輩から、医学は残念ながら純粋科学ではない、今だに経験科学であるという講義を受けました。

 その講義を受けましたので、どういうお医者さんにかかるかによって、結果が違う(直る場合も直らない場合もある)という、不確実な医療の世界というのはよく理解できます。

 そういう意味で、最善を尽くされたとしても医療事故というのは発生するのでしょう。

 ただ、中には、故意或いは悪意もしくは重大な過失により、医療過程の中で事故若しくは事件が発生する可能性も、医師が神でない以上、ありえないとはいえないと思います。

 その可能性がゼロで無い以上、業務上過失致死罪を含め医療行為を刑法の適用外とするのはいかがなものかと思います。

 また、福家さんのコラムにあります、医療崩壊の問題についての、mnoさんのご意見、或いは日本医師会の公式見解はいかがなものでしょうか。

 高齢化が進む日本では、医療及び介護については、供給が需要に追いついていけない状態が、今後ますます進んでいくものと思います。

 医療に携わられる方として、この問題についてのご見解が承れれば、幸いです。

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Profile

富家 孝(ふけ・たかし)

-----<経歴>-----

医師・医療ジャーナリスト。
1947年大阪市に生まれる。
1972年慈恵医大卒。
開業・病院経営・日本女子体育大学助教授を経て、現在、オフィス51取締役。
新日本プロレス・ドクター。
慈恵医大相撲部総監督。

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