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言葉は人に届くのか ──テレビと政治の現場で思うこと

 言葉はどのようにして他人に伝わるのだろうか。テレビのコメンテーターを12年半ほど続けていたときにいつも気になっていたことだ。事件が起きる、あるいは芸能の話題が報じられる。それを自分の言葉で語るとき、画面を通じて未知の方々に思いは果して伝わるものなのか。肯定的であれ否定的であれ、その要因とはいったい何なのだろう。そんな疑問を感じつつ、日々の仕事をこなしてきた。『「コメント力」を鍛える』(NHK生活者新書)にまとめてみたものの、さらに疑問は深まっている。

 テレビでコメントをしていたときにはまさに「脳内作業」だった。神戸の少年事件のときなどは現場に何度も出かけた。ところが番組で扱うテーマのすべてにおいて「現場主義」を取れるはずもない。したがって報道を基本にしつつ、独自のネットワークで事実を確認することが多かった。私の基本としたことは、「一つでも新しい情報を加える」ことであった。試行錯誤したものの、結論をあえてひとつにすれば、語る者の全人格の勝負だと判断した。実社会でもあることだ。「あいつが言うことだから納得しない」。

 もちろんすべての視聴者に納得されるような解答=見解などあろうはずがない。テレビは一過性だ。コメントは流れで判断されないことがしばしばなのだ。ある局面の言葉だけを瞬間的に見た人は、そこだけで怒り、苦情を寄せる。活字と違うテレビ映像の特徴でもある。だから誤解もされやすい。事実を基本にしつつ、与えれたテーマを自分なりにまとめあげていく。それを短い―たいていは一分から一分半程度―のコメントとして語る。それがコメンテーターの仕事だ。ときに長々と語る人がいるが、それは視聴者の生理を無視したものである。

 「言葉は伝わるのか、それとも伝わらないのか」。テレビから離れて政治の現場に活動舞台を移動するとさらに疑問は膨らんでいった。テレビ世界の特徴は印象性にある。私は2007年9月に「ザ・ワイド」(日本テレビ系)が終わってからほとんどテレビに出ていない。ましてや総選挙にかかわってからは、テレビ界の自主規制もあって、ほとんどテレビとは縁が切れている。ところが毎日のように路上で声をかけられるのは同一の言葉だ。「いつもテレビ見てますよ」。

 統一教会問題でテレビにかかわったのは1992年。おそらくオウム事件の印象が強いのだろう。先日も八百屋の女将さんから「オウム教の人よ」と紹介された。事件は1995年。「ザ・ワイド」のコメンテーターがその時期に重なり12年半。テレビの機能が印象性にあることは、こうした個人的経験からも納得することである。ただしその印象性も一方向だ。「アリタさんも笑うことがあるんですね」と言われたこともある。画面では笑
うことなどほとんどなかったからだ。しかし印象などに確固とした実体などはない。

 たとえば私が何かのスキャンダルに見舞われたとしよう。テレビ画面から作られた印象は瓦解し、きっと評価は一変する。「問題を起したアリタ」の発言を多くの人びとは信用しないだろう。「あんなひどいヤツの言うことなんだから」。画面上に映る一般的「個性」が「すべて」として流通する。しかし人間は単純な一色ではない。そこで再び言葉である。人格への評価に言葉がついてくる関係であることは、嫌悪する相手にはどこかで深く反発してしまうからだ。

 民主党の小沢一郎代表と会ったとき選挙へのアドバイスをさまざま伺った。あるひとことが印象に残った。「こんなことを言っては悪いけど、訴えていることはほとんど残らないよ」。ん? と思った。そのあとにこんな説明が続いた。「みなさんが家に戻って語るのは、たとえば小沢に会って、握手したというようなことなんですよ。だからそういう機会をどんどん作ってください」。その実感がある。出会う、挨拶をする、握手をする、名刺を渡す。この一連の行動が噂として広がっていく。

 「魔法のように」と形容してもいい、宝のような出会いが必ずある。日常活動とはこういうことをいうのだろう。テレビで発言する出演者を視聴者はどのように受けとめるのか。NHK放送文化研究所の調査がある。どんな顔をした者が、どんな服装をして、いかなる喋り方をしていたのか。印象に残る順番だ。「何を語ったか」は最後になるという。

 ならば「辻説法」での言葉とは何だろうか。問題は振り出しに戻ってくる。アメリカ大統領になったオバマは、その躍動感ある知性で「CHANGE」(変革)、「YES WE CAN」(私たちにはできる)などのフレーズを世界中に広めた。難しい言葉ではない。しかしである。こんな言葉は誰でも、いつでも語ることができる。では、なぜオバマなのか。そこに深遠なる秘密がある。

 オバマが流れるようなリズムある演説のなかで短いフレーズを効果的に使う。言葉、リズム、身振りをあのオバマが総合的に表現するから民衆は熱狂した。たとえば麻生太郎首相が、あの顔で「変革!」と叫んでも説得力は生れない。言葉とは人格という乗り物に積載され、人格に左右される魂なのである。つまり説得力とは全人格と全身体を使った表現の果実なのである。

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コメント (3)

「我々はちゃんとTVを見ていますよ」
有田さん、我々は愚民かもしれないけど、ちゃんとTVを見ていますよ。そして、我々の感受性でちゃんと物事を受け止め、判断しています。
有田さんが感じていることは分かります。しかし、我々はTVを通じて、人の言葉を音声としてのみ聞いているわけではありません。もちろん、食事をしながら、酒を飲みながら、ボーとして聞いていることもありますが、TVでは、話す人の感情や本音・本心が伝わります。
たとえば、麻生氏の発言は主に朝刊の政治欄から読み取ります。彼が何を考えているのかは文字としてしか読み取れません。ラジオであれば、アナウンサーの言葉=音声として聞き取ります。
しかし、TVにおいては発言内容もさることながら、その人物の表情や声のトーンから感情や本音も読み取っているのです。
麻生氏について言えば、新聞のぶらさがり記事の内容も腹が立ちますが、TVで報道される画面からは、若い記者を小馬鹿にしたような声のトーンや表情があからさまに伝わってきますので、この人物がどのような品性の持ち主なのか、あからさまに分かるのです。彼の馬鹿笑いも然りです。(個人的には、これらが麻生政権の支持率低下の大きなファクターだと思っています)。
別に、このコメントで麻生氏のことをことさら悪く強調する気はありませんが、我々はちゃんと見て、判断しているということをどうかご認識ください。
有田さんの“Regret”は理解します。
・・が、どうか自信を持ってコメンテタートしての活動を続けてください。有田さんの活躍を期待しています。

有田様がテレビというメディアの中で悪戦苦闘なさってきたことは、少なからず理解しているつもりではいます。しかしながら、テレビというメディアが登場してからほぼ半世紀、殆どなんら際立った足跡を残すことなく、いまやコンピュータ・ネットワークの世界に吸収されつつあります。テレビ業界の方々は殆どダーレも気づいていないでしょうが、デジタル化とはそういうことなのです。
ラジオがつくり出してきた
シブトイ文化との違いを思い起こして下さい。所詮は、というか結局は、というか、テレビなるものは、80%がた広告媒体でしかなかったのです。(わかりやすく言えば、新聞の折り込みチラシ程度のもの)昨今の番組の惨状を見ればお解りになるでしょう。でもこのことは、日本独特のものではないかと思うのです。例えば、アメリカはCNNというユニークなニュースチャンネルやFOXテレビというエンタテインメントに特化したクダラナイけどオモロイチャンネルを登場させました。イギリスでは、なんだかんだいっても、ネイチャリング物では出色のドキュメンタリー番組をつくっています。日本のテレビがこうなった根っこの原因は、新聞社系列に電波使用の許可を与えたことにあるのです。ですから、朝・読・毎・産・日はメディアとしてのそれなりの責任があるのです。もう片側の責任は広告代理店にあります。特に電・博の責任は重大と言わざるを得ません。はっきり言って、広告代理店とはチンドン屋の元締めにすぎません。広告代理店の本分に照らせば、電通は独占禁止法違反です。
こういったチンドン屋に仕切られているから、テレビはメディアの本質である「批評性」を真に獲得することなく衰退しつつあるのです。
最近、視聴率についてテレビ局自体が喧伝しなくなった理由は、視聴率なるものが信頼に足るものなのか、対費用効果はどうなんだい?という疑問に答えられないからなのです。その一番わかりやすい例は、ニールセンの撤退です。ニールセンは、あいまいな視聴率なるものに切り込むべく、いろいろな試行錯誤をしました。そのひとつに視聴質調査があります。当時は「猫が観てても1%」と言われる時代でしたが、結果は惨憺たるもので、視聴者の動態がバランバランで、把握できなったらしいのです。また、通常の視聴率調査でも、ビデオリサーチ社とのギャップが、セットインユース(テレビをつけている世帯)で15%から20%の違いがあったそうですから、そんなデータを買うスポンサーがいるはずもなく、結局は商売にならず撤退してしまいました。ちなみに、ビデオリサーチ社の主要株主は、キーテレビ局各社・主要全国紙各社・大手広告代理店各社・大手映画配給会社・興行会社で大半が占められているのです。こんなものを信頼しろというほうが、無理押しでしょうう?
下らないことをいろいろ申し上げましたが、私が有田さんに申し上げたいことは、テレビの時代はもうとっくに終わっているということです。これからはおそらく「ライブの時代」なのではないでしょうか?
ご健闘を切に祈ります。

我が国ではテレビ・メデイア、出版メデイアのレベルが低い。人の尻を追っかけ書いているだけでその根底となる問題点を取上げていない。またメデイアで伝える報道関係者の経験、学歴が低すぎる。何も理解せずテロップを読んでいるだけだし、メデイアと征治が癒着しているために真実を描き出していない。オバマと麻生を比べれば分かるだろう。オバマはハーバード卒、ブレインは錚々たる学者を起用、麻生は三流大卒、漫画を読み誤読はするし発言を間違える。やるべき人はやるべきときにやった人が社会の頂点に立つ仕組みが重要。

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有田芳生(ありた・よしふ)

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1952年京都生まれ。
フリーランスのジャーナリスト。

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「有田芳生の今夜もほろ酔い」



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