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2008年12月16日

言葉は人に届くのか ──テレビと政治の現場で思うこと

 言葉はどのようにして他人に伝わるのだろうか。テレビのコメンテーターを12年半ほど続けていたときにいつも気になっていたことだ。事件が起きる、あるいは芸能の話題が報じられる。それを自分の言葉で語るとき、画面を通じて未知の方々に思いは果して伝わるものなのか。肯定的であれ否定的であれ、その要因とはいったい何なのだろう。そんな疑問を感じつつ、日々の仕事をこなしてきた。『「コメント力」を鍛える』(NHK生活者新書)にまとめてみたものの、さらに疑問は深まっている。

 テレビでコメントをしていたときにはまさに「脳内作業」だった。神戸の少年事件のときなどは現場に何度も出かけた。ところが番組で扱うテーマのすべてにおいて「現場主義」を取れるはずもない。したがって報道を基本にしつつ、独自のネットワークで事実を確認することが多かった。私の基本としたことは、「一つでも新しい情報を加える」ことであった。試行錯誤したものの、結論をあえてひとつにすれば、語る者の全人格の勝負だと判断した。実社会でもあることだ。「あいつが言うことだから納得しない」。

 もちろんすべての視聴者に納得されるような解答=見解などあろうはずがない。テレビは一過性だ。コメントは流れで判断されないことがしばしばなのだ。ある局面の言葉だけを瞬間的に見た人は、そこだけで怒り、苦情を寄せる。活字と違うテレビ映像の特徴でもある。だから誤解もされやすい。事実を基本にしつつ、与えれたテーマを自分なりにまとめあげていく。それを短い―たいていは一分から一分半程度―のコメントとして語る。それがコメンテーターの仕事だ。ときに長々と語る人がいるが、それは視聴者の生理を無視したものである。

 「言葉は伝わるのか、それとも伝わらないのか」。テレビから離れて政治の現場に活動舞台を移動するとさらに疑問は膨らんでいった。テレビ世界の特徴は印象性にある。私は2007年9月に「ザ・ワイド」(日本テレビ系)が終わってからほとんどテレビに出ていない。ましてや総選挙にかかわってからは、テレビ界の自主規制もあって、ほとんどテレビとは縁が切れている。ところが毎日のように路上で声をかけられるのは同一の言葉だ。「いつもテレビ見てますよ」。

 統一教会問題でテレビにかかわったのは1992年。おそらくオウム事件の印象が強いのだろう。先日も八百屋の女将さんから「オウム教の人よ」と紹介された。事件は1995年。「ザ・ワイド」のコメンテーターがその時期に重なり12年半。テレビの機能が印象性にあることは、こうした個人的経験からも納得することである。ただしその印象性も一方向だ。「アリタさんも笑うことがあるんですね」と言われたこともある。画面では笑
うことなどほとんどなかったからだ。しかし印象などに確固とした実体などはない。

 たとえば私が何かのスキャンダルに見舞われたとしよう。テレビ画面から作られた印象は瓦解し、きっと評価は一変する。「問題を起したアリタ」の発言を多くの人びとは信用しないだろう。「あんなひどいヤツの言うことなんだから」。画面上に映る一般的「個性」が「すべて」として流通する。しかし人間は単純な一色ではない。そこで再び言葉である。人格への評価に言葉がついてくる関係であることは、嫌悪する相手にはどこかで深く反発してしまうからだ。

 民主党の小沢一郎代表と会ったとき選挙へのアドバイスをさまざま伺った。あるひとことが印象に残った。「こんなことを言っては悪いけど、訴えていることはほとんど残らないよ」。ん? と思った。そのあとにこんな説明が続いた。「みなさんが家に戻って語るのは、たとえば小沢に会って、握手したというようなことなんですよ。だからそういう機会をどんどん作ってください」。その実感がある。出会う、挨拶をする、握手をする、名刺を渡す。この一連の行動が噂として広がっていく。

 「魔法のように」と形容してもいい、宝のような出会いが必ずある。日常活動とはこういうことをいうのだろう。テレビで発言する出演者を視聴者はどのように受けとめるのか。NHK放送文化研究所の調査がある。どんな顔をした者が、どんな服装をして、いかなる喋り方をしていたのか。印象に残る順番だ。「何を語ったか」は最後になるという。

 ならば「辻説法」での言葉とは何だろうか。問題は振り出しに戻ってくる。アメリカ大統領になったオバマは、その躍動感ある知性で「CHANGE」(変革)、「YES WE CAN」(私たちにはできる)などのフレーズを世界中に広めた。難しい言葉ではない。しかしである。こんな言葉は誰でも、いつでも語ることができる。では、なぜオバマなのか。そこに深遠なる秘密がある。

 オバマが流れるようなリズムある演説のなかで短いフレーズを効果的に使う。言葉、リズム、身振りをあのオバマが総合的に表現するから民衆は熱狂した。たとえば麻生太郎首相が、あの顔で「変革!」と叫んでも説得力は生れない。言葉とは人格という乗り物に積載され、人格に左右される魂なのである。つまり説得力とは全人格と全身体を使った表現の果実なのである。

Profile

有田芳生(ありた・よしふ)

-----<経歴>-----

1952年京都生まれ。
フリーランスのジャーナリスト。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「有田芳生の今夜もほろ酔い」



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